キテレツ大百科 ハルケギニア旅行記   作:月に吠えるもの

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雪風タバサのピンチ 危ないエルフあらわる・中編

ハルケギニア最大の国家、ガリア王国は魔法先進国として知られています。

魔法人形のガーゴイルが用いられているのはもはや日常で、その技術力も他国の追随を許さないレベルでした。

 

「おお、ミューズ! 余のミューズよ!」

 

王都リュティスの王宮、ヴェルサルテイル宮殿の一室では青髪の美丈夫が部屋に入ってきた人物を見るなり、顔を輝かせていました。

ミューズと呼ばれた女性――シェフィールドは自分の主が腰かけるソファーの横へと歩み寄っていきます。

その両手には小さな箱が手にされていました。

 

「ようやく完成したのか! 異国のマジックアイテムとやらが! 余は待ちかねたぞ!」

「既に実験も成功致しております。ぜひ、ジョゼフ様にもお試しを」

 

四十半ばとは思えないほど子供のようにはしゃぐジョゼフに、跪いたシェフィールドは差し出した小箱をそっと開けます。

その中には数本の赤い棒――チョークが並べられていました。

 

「テングの抜け穴か……。一つ試してみようではないか! ミューズよ、こことは別の場所からこれを使って戻ってくるのだ。なるべく遠い方が良い!」

 

チョークを一本手にしたジョゼフはソファーから立ち上がるなり、壁にチョークで大きな輪を描き出します。

シェフィールドもチョークを一本手にして退室していきました。

 

十数分間、輪の前で腕を組んで佇んでいたジョゼフでしたが、突如その中からシェフィールドが潜り出てきます。

 

「おおっ! ミューズ! よくぞ戻ったな! 一体、どこから戻ってきたのだ?」

 

現れて微笑みを浮かべるシェフィールドにジョゼフはさらにはしゃぎだし、輪の中に自分も入っていきました。

今まで宮殿の中にいたジョゼフでしたが、目の前には宮殿の中庭の光景が広がっています。

噴水の裏側の壁にジョゼフが描いたものと同じ赤い輪が描かれており、中庭と自分が今までいたグラン・トロワを満足げに見渡していたジョゼフはまたその中へと戻りました。

 

「素晴らしいぞ、ミューズよ。未知のマジックアイテムをここまで再現できたとは見事だ。まさしく神の頭脳だ」

「もったいないお言葉でございます……ジョゼフ様」

 

主に褒め称えられてシェフィールドはほんのりと頬を染めます。

先日、シェフィールドは回収して持ち帰った天狗の抜け穴のテープをジョゼフに献上していました。

使い方をシェフィールドから聞かされたジョゼフは二つに分けたテープを使って早速、瞬間移動の実演を行ったことで天狗の抜け穴の効果をはっきり知ることができたのです。

 

さらにジョゼフの命を受けたシェフィールドは腕の立つメイジの研究員達を使って天狗の抜け穴の分析を行わせました。

テープに使われている塗料に秘密があることを発見し、その塗料の成分や素材をさらに調べることで、それを参考に新たな天狗の抜け穴を再現しようとしたのです。

成分自体は完全な復元こそできませんでしたが、瞬間移動する能力を発揮できるまでには再現できました。

結果、粉末状に精製されチョークとして複製された天狗の抜け穴が彼女達の手にあるのでした。

 

「しかし、キテレツとやらのマジックアイテムは実に摩訶不思議だ。瞬間移動? そんなことは始祖の伝説でもなければできそうもない。そこらのメイジができんことを、その少年は杖も持たず道具一つで成し遂げてしまうのだ。平民ながら実に見事だな」

 

ジョゼフは天狗の抜け穴のチョークを見つめながら感嘆と頷きます。

 

「キテレツとやらは他にどんなマジックアイテムを持っているのか、余は楽しみでならんな。聞けば物の大きささえも自由自在に変えられるそうではないか」

 

シェフィールドからの報告で、ジョゼフは他にもメイジの魔法をも凌駕する様々な不思議な効果を秘めた数々の未知のマジックアイテムの存在も知っているのです。

 

「ジョゼフ様の仰せの通りに、姪御には新たな任務を与えております」

「シャルロットか。しかし、正直いって期待はできんな。あやつは俺のことを心底憎んでいるからな。母の治療を餌にしたとしても、いざとなれば飼い主の俺に牙を剥いてくるだろう。まあ、そちらの方が色々と都合は良いかもしれんがな」

 

ジョゼフはつまらなそうに小さくため息をつきますが、すぐにシェフィールドへ向き直りました。

 

「ミューズよ。お前に新たな任務を与えよう。シャルルの屋敷に抜け穴を作るのだ。こいつのちょうど良いテストにもなる。ここからは1000リーグも離れているからな」

「御意」

 

主からの命令を受けて恭しく一礼したシェフィールドは静かに退室しようとしますが、すぐに呼び止めます。

 

「そうだミューズよ。ヨルムンガントの製作はどうなっている?」

「申し訳ありません。そちらの方はまだ時間がかかりそうでございます……」

 

立ち止まり振り向いたシェフィールドは僅かに苦い顔を浮かべて詫びました。

 

「そうか。だが、レコン・キスタとトリステインの戦をさらに盛り上げるにはヨルムンガントが必要だからな。完成を待っているぞ」

「ジョゼフ様のご期待に沿えず、まことに面目ありませぬ」

「いや、まだできぬのならそれで良いのだ。余は急がぬ。では行くが良い、ミョズニトニルンよ」

 

再び一礼したシェフィールドは今度こそ退室していきます。

シェフィールドがいなくなった一室でジョゼフは先ほどまで自分が座っていたソファーへと戻っていきました。

 

「どうした? ビダーシャル卿。お前の国ではこいつは珍しいか?」

 

ジョゼフとは向かい側のソファーには、一人の男が座っています。ジョゼフが手にする天狗の抜け穴のチョークを不思議そうに見つめていました。

 

「我ら砂漠の民といえども、このような代物は作れぬからな」

 

シェフィールドが入ってくる前からずっとそこにいた羽のついた帽子を深く被った男、ビダーシャルはジョゼフの客人なのです。

ビダーシャルは遠路はるばるこのガリアを訪れていたのですが、ジョゼフと話し合っていた最中にシェフィールドが入ってきたので中断されてしまったのでした。

子供のようにはしゃぐジョゼフと天狗の抜け穴の実演をただ黙って見届けていたビダーシャルでしたが、さすがにその効果には内心驚いてしまったのです。

 

「そうか。先住の魔法といえども瞬間移動などできぬというのか。我ら人間が恐れる先住魔法も決して万能ではないのだな」

 

どこか皮肉のこもった言葉を平然と口にするジョゼフですが、ビダーシャルは何の感情も覗えない表情でジョゼフと向き合ったままでした。

 

「さて、話が中断してすまなかった。お前は我らと交渉をしたい、ということだったな。しかし、それを聞く前にぜひやってもらいたいことがある。交渉を聞くのはそれを果たしてからにしてもらおう」

「……それが条件というのならば我に選択は余地ない。分かった。お前の要求とは何だ?」

「まあ待て。その仕事の内容は、俺の姪の動き次第で決まることだ。今すぐには取り掛かれんよ。その時が来ればまた呼ぶ。それまでは下がるが良い」

 

肝心な依頼内容を話そうとしないジョゼフに、ビダーシャルは僅かに顔を顰めていました。

 

「ああ。お前にもこのテングの抜け穴を一つくれてやろう。退屈なら、そいつを自分で調べてみたらどうだ? エルフの力でな」

 

 

 

 

 

この日もキテレツ達は魔法学院の中庭に集まっていました。

これから新たな試みがここで行われるからです。

 

「ブタゴリラ君! この風車を回せば良いんだね!? こちらは準備はできたよ!」

 

ゼロ戦の正面に立っていたコルベールは操縦席に向かって叫びました。操縦席ではブタゴリラが乗り込んでおり、トンガリが機体によじ登っています。

 

「ねえ、ブタゴリラにこれが本当に動かせるの?」

「心配すんな。前に伯父さんと一緒に行った爆発館に飾ってあった奴をちょっとだけ動かしたことがあるんだぜ。それに父ちゃんと一緒に見たテレビや本だって見て勉強してんだからな!」

 

ブタゴリラは操縦席の計器を操作していますが、トンガリは不安な様子で見つめていました。

 

「それを言うなら博物館でしょ。……それじゃあ、見よう見真似ってことじゃないか! しかもそれいつの話なの!? っていうか、本物動かしたことないのに無茶言わないでよ! そもそも本物とレプリカは違うんだよ!?」

「うるせえな! 横でゴチャゴチャ言うんじゃねえ! えーっと、確かこいつを動かしてガソリンをこっちに移して……」

 

喚き立てるトンガリですが、ブタゴリラは気にせずに記憶を頼りに計器の操作を続けます。

 

「本当にブタゴリラにだけ任せて大丈夫ナリかね~」

「キテレツはあれを動かせないの?」

「いくら僕でもゼロ戦を動かすなんて無理だよ」

 

ゼロ戦から少し離れた場所で集まっていたキテレツ達ですが、ルイズの言葉にキテレツは首を横に振りました。

 

「熊田君は自信あるみたいだけど、ちょっと心配だなあ……」

「ええ。そうよね……」

「ま、今は見物させてもらいましょうよ」

 

苦い顔をする五月とみよ子にキュルケは爪を磨きながら言います。

今日の昼、コルベールは数日間も研究室に閉じこもって続けていたガソリンの調合と複製を成功させたのでした。

完成させたガソリンはワイン一本分で、キテレツ達は早速それをゼロ戦の燃料タンクに入れて動かすことにしたのです。

とは言ってもいくらキテレツでも何の知識もなしに動かすことは不可能でしたが、ブタゴリラが自信満々に自分が動かしてみせると大見得を切っていました。

トンガリを無理矢理手伝わせて操縦席に乗り込み、今も四苦八苦しているわけです。

 

「よっしゃ、先生! そいつを回してください!」

「分かった! それじゃあいくぞ!」

 

ブタゴリラの合図でコルベールは杖を振ります。エンジンをかけるにはまずプロペラを回さないといけません。

コルベールの念力によってプロペラがゆっくりと回り出すと、ブタゴリラはさらに計器を操作していきます。

 

「これで……どうだ!」

 

スロットルレバーを力いっぱいに倒した途端、バスバスと燻った音を立てたかと思うと機体は力強いエンジン音と共に振動しだし、プロペラは激しく回転していました。

 

「わあーっ! 動いたナリーっ!」

「すごーい!」

 

ゼロ戦のエンジンが動いたことに五月とコロ助は歓声を上げます。キテレツ達も目を丸くして始動したゼロ戦を眺めました。

 

「本当に動いた!?」

「おおっ! 動いた! 動いたぞ!」

 

トンガリとコルベールも動き出したゼロ戦に驚いていました。

コルベールはガソリンを完成させた時と同じように興奮しっぱなしです。

 

「本当に動かせちゃうなんて……嘘みたい」

 

みよ子はブタゴリラの素人知識で動いたことに驚きを隠せません。

下手をしたらエンジンが動きだした途端に壊してしまうのではないかと不安だったのですが、その心配はなかったみたいです。

しかし、やはりちゃんと調整ができていないのかエンジン音にガタガタと異様な音が混じっており、プロペラの回転が途中で急に遅くなったり速くなったりを繰り返していました。

 

「でも飛ばないじゃないの。ちゃんと飛ぶんでしょ?」

「燃料が足りないんだ。あれだけじゃ全然足りないよ」

 

ゼロ戦を飛ばすにはせいぜい、樽が五本くらいのガソリンが必要になるでしょう。

 

「ブタゴリラ! もうエンジン止めて良いよ! とりあえず動くことは分かったんだから!」

「ええーっ!? 何だって!?」

 

キテレツが叫びますが、エンジンの騒音のせいでブタゴリラには聞こえていませんでした。

 

「ブタゴリラ。とりあえずエンジンを止めようよ」

 

トンガリもキテレツの言葉は聞こえませんでしたが、同じことを考えていたのでそれを直接伝えます。

ブタゴリラは計器を操作してエンジンを切ろうとしますが、中々止めることができずにいました。

 

「そういえばキテレツ君。タバサちゃんのお母さんの薬はいいの?」

 

ブタゴリラが苦戦している中、みよ子はふとキテレツに問いかけます。

 

「うん。今、調合した薬を熟成させている所なんだ。丸一日は放置しておかないといけないんだよ」

 

キテレツがタバサに依頼されていた薬の製作を中断していたのはそのためでした。

他の材料を調合させる時も同じように熟成させないとならず、特に水の精霊の涙は最低三日はかけて熟成しなければなりません。

薬の生成と調合は非常にデリケートなので、奇天烈大百科に記されていた通りに慎重に作業を進めなければなりませんでした。

 

「あとどれくらいでできるの?」

「一週間か十日くらいかな……」

「そんなにかかるナリか!?」

 

五月の問いに答えたキテレツにコロ助は声をあげました。

 

「最低一週間……タバサもきっと待ちきれないでしょうね」

「うん。お母さんの病気を早く治してあげたいんだもの」

 

ため息をつくキュルケに五月も頷きました。

 

「ところでタバサはどこにいるの? キュルケ」

「そういえばまだ戻ってきてないみたいね」

 

一昨日にタバサとトリスタニアの街で別れてから、彼女は未だ魔法学院に帰ってきてはいませんでした。

使い魔のシルフィードも一度は学院に戻っていましたが、今はシルフィードさえいないのです。

 

「やっぱりお母さんの所へ行ったのね」

「うん。きっとそうだわ」

「もうすぐ病気を治すことができるからね。待ち遠しいのかもしれないよ」

「タバサちゃんはとってもママ思いの良い子ナリ」

「それにしてもとタバサがここまで親思いだなんて」

 

キュルケは親友の意外な姿に肩を竦めていました。

 

「まあ、確かに意外よね。普段の様子じゃ全然考えられなかったのに……あ」

 

ルイズも感嘆とする中、中庭の一角に注目して目を丸くします。

視線の先には、一頭の風竜がちょうど降り立っている姿がありました。それは噂のタバサの使い魔シルフィードです。

その背からは一人の少女が地面に降り立ち、キテレツ達の元へと歩み寄って来ていました。

 

「タ~バサッ、お帰りなさい」

 

キュルケは帰ってきたタバサを見つけるなり、抱きついていました。

抱かれたままのタバサはなすがままで突っ立っています。

 

「ママと会って来てどうだったナリか?」

「コロ助。気軽にそんなことを聞いたりしちゃ駄目だよ」

「あ、ごめんナリ……」

 

キテレツに叱られてコロ助は思わず口を押えます。

今はまだ、会いに行ったとしても心が壊れている母親とタバサはまともに話もできないのです。

 

「タバサちゃん。キテレツ君が作ってる例の薬なんだけど、まだ時間がかかるんですって」

「いい。わたしは急がない。……それよりキテレツ、あなたに頼みがある」

 

五月からの言葉にそう返すタバサはキテレツの方を向きます。

 

「何? 協力できることがあるなら何でも言ってよ。力になるから」

「あなたの天狗の抜け穴を貸して欲しい」

「天狗の抜け穴なんかをどうするの?」

 

タバサからの要求にみよ子は不思議そうに問いかけました。

 

「母様をひとまずわたしの部屋まで連れてきたい」

 

その返答にキテレツ達は一斉に納得します。

わざわざガリアの実家に帰って定期的に病気の母親の様子を見に行くよりは、自分がいつでも傍にいてあげられるようにしたいのでしょう。

 

「キテレツのテングの抜け穴ならすぐにこっちへ来られるものね」

「うん。それじゃあ用意するから待っててね」

 

頷くルイズにキテレツは早速、天狗の抜け穴が置いてある宿舎に向かって駆け出します。

 

「大丈夫よタバサ。もうすぐお母様の病気は治せるわ」

 

抱きつくキュルケが優しく囁くと、タバサは僅かに俯いていました。

数分後、キテレツは天狗の抜け穴のテープを手に戻ってきます。

 

「それじゃあこれを。もう一組のテープをタバサちゃんの部屋に貼っておくからね」

「ありがとう」

 

天狗の抜け穴を受け取り、タバサはシルフィードに向かって歩き出そうとします。

 

「待って。あたしも行くわ、タバサちゃん」

 

そこへ突然、みよ子が申し出てきました。立ち止まったタバサはみよ子の方を振り向きます。

 

「どうしたナリか。みよちゃん?」

「何かタバサちゃんを手伝えることがあるかもしれないじゃない。キテレツ君達はここで待ってて」

「それならあたしも一緒に行ってあげるわ。タバサのお母様を一緒に運ぶくらいならできそうだし。ね? タバサ」

 

キュルケまでも名乗り出てきたのでタバサは二人を見つめますが、何も答えずにシルフィードの背中へと上がっていきました。

二人も後をついていってシルフィードに乗り込みます。

 

「それじゃあキテレツ君。そっちはお願いね!」

「うん! 任せといて!」

「タバサの部屋はあたしの部屋の上だから! 詳しいことはルイズに聞いてちょうだいね!」

 

浮上を始めるシルフィードの上からみよ子とキュルケが叫びます。

そのまま三人を乗せたシルフィードは一気に大空高く飛び上がっていきました。

 

「おーい! ブタゴリラ君! 大丈夫なのかね!? すごい音だが!?」

 

未だエンジンが止まっておらずに騒音を立てているゼロ戦の下からコルベールは心配そうに呼びかけていました。

 

「ブタゴリラ! 何をやってるのさ! 早く止めてよ!」

「くそっ! 止まれよこのっ!」

 

トンガリもブタゴリラも喚き立てますが、色々と計器やレバーを弄ってみても一向に収まる様子がありませんでした。

 

 

 

 

数時間とかからずにシルフィードはタバサの実家があるというガリアの目的地までやってきました。

そこは何とトリステインと国境を隣接している場所で、ラグドリアン湖のちょうど反対側の湖畔に位置しています。

 

「タバサちゃんの家って、こんなに近くにあったのね……」

 

シルフィードが着陸した場所は湖畔からすぐ近い森の中です。

そこには古い立派な造りの大名邸がひっそりと建っていました。

門の前でみよ子は屋敷を呆然と見上げています。

 

「どうしたの、キュルケさん?」

 

同じように屋敷を眺めていたキュルケですが、その顔はみよ子よりもさらに驚愕して目を見開いていました。

 

「これ……この紋章って……ガリア王家の紋章じゃないの」

 

キュルケが見ていたのは門柱に刻まれていたレリーフです。

そこには二つの杖が交差されている紋章がありました。それはまさしく、ガリア王国の王家の証なのです。

しかし、その紋章は何故かバッテンの傷が刻まれて潰されているのが分かります。

 

「ええ? それじゃあタバサちゃんは?」

「あの子……ガリアの王族なんだわ。確か、今のガリア王はジョゼフ一世っていう人だったわね」

 

みよ子もキュルケも驚きを隠せませんでした。まさかタバサがただの留学生の貴族というのではなく、由緒あるガリア王家の一員だったなんてまるで想像できなかったのです。

つまり、タバサはガリア王家のお姫様ということでした。

 

「でもどうしてあんな傷がつけられてるの?」

「あれは不名誉印って言うのよ。簡単に言えば、王家の人間でありながらその権利を剥奪されているわけ」

「どうしてそんな……」

 

王家の人間でありながらタバサはお姫様ですらない、没落しているというその事実に二人は疑問に思っていました。

 

「おっと……こんな所で呆けていても仕方ないわね。まずは中に入りましょ」

 

タバサはとっくに門を潜って屋敷の入口の前まで行ってしまっているのでキュルケは後を追うことにします。

みよ子も慌ててキュルケと一緒に自分達を待ってくれているタバサの元まで向かいました。

待っている間のタバサはちらちらと周囲に視線を配って何かを確かめている様子です。

 

「お帰りなさいませ。シャルロット様」

 

玄関を潜って屋敷の中に入ると、老僕の執事がタバサを出迎えていました。

 

「こ、こんにちは」

 

みよ子は思わず頭を下げて挨拶をします。その横でキュルケはタバサのことをじっと見つめていました。

 

「ペルスラン。母様をトリステインまで運ぶ。あなたも逃げる準備をして」

 

きっぱりとそう告げるタバサですが、執事のペルスランはいきなりのことに困惑した顔を浮かべています。

 

「は……? 外国へ亡命すると? しかし、この屋敷の周りには王家の者どもの目が光っておりますぞ」

「大丈夫。屋敷の周りに何も気配は無い。兵が来る前に母様を連れ出す」

「かしこまりました……あなた方は、シャルロット様のお友達とお見受けしますが……」

 

頷いたペルスランはみよ子達へと視線を移しました。

 

「はい。みよ子と言います」

「ゲルマニアのフォン・ツェルプストー。タバサの学友よ」

 

タバサの友人であると知ってペルスランは嬉しそうに微笑みます。

それから一行は廊下を通り、客間までやってきました。屋敷の中は綺麗に手入れがされていますが、ペルスラン以外に誰も使用人はいないようでしんと静まり返っています。

 

「母様を連れてくる。ここで待ってて」

 

そう言い残したタバサは屋敷の奥へと続く扉を開けて客間を後にしていきました。

残されたみよ子とキュルケはソファーに腰を下ろします。

 

「ペルスランさん。シャルロットって、タバサちゃんの本当の名前なんですか?」

「あの子、学院ではタバサって名乗っているのよ。偽名じゃないかって思ってたけど、間違いなかったみたいね」

 

同じく残って控えていたペルスランに二人は語りかけます。

 

「シャルロット様はタバサと名乗っておられるのですか。……左様でございます。お嬢様の名はシャルロット・エレーヌ・オルレアン。今は亡きオルレアン公爵のご息女でございます」

「オルレアン……オルレアンですって!?」

「誰なの?」

「オルレアン大公家って言ったら、ゲルマニアの貴族でもその名を知らない者はいないガリアの王族……ガリアの王弟家なのよ!」

 

タバサの本名と出自を耳にしてキュルケは驚愕してしまいました。

正真正銘、タバサの実家は正統なガリア王家に連なる王族にしてお姫様ということなのです。

 

「やっぱりあの子はガリアの王族だったのね……」

「でも、どうしてタバサちゃんのお父さんが……」

 

タバサの父親は話を聞く限りでは既に亡くなってしまっていることが気にかかっていました。

それだけではなく、タバサの実家が没落していることと何か関係があるのではと考えます。

 

「……シャルロット様の心許すご友人とあらば、構いますまい。分かりました……お二方を信じてお話しましょう」

 

苦い表情でため息をついて、ペルスランは口を開きました。

 

 

 

 

一方、屋敷の最奥までやってきたタバサは部屋の扉の前で立ち止まります。

小さくノックをしますが、中から返事はありません。しかし、それはタバサには分かり切っていることでした。

ドアを開けた先は開け放たれたままな大窓の外に中庭が広がる殺風景な広間で、ベッドや椅子、テーブルくらいしか置かれてはいません。

そのベッドの上には一人の女性が蹲っています。

 

「お迎えに参りました。母様……」

 

ベッドに近づいていったタバサはその場で跪いて深く頭を下げます。

ゆっくりと体を起こした瘦身の女性は粗末な寝間着を身に着けており、まだ若いはずなのにその顔は病のおかげで老婆のようにやつれ果てていました

目の前にいる自分の娘を目にしても、わなわなと震えて怯えた表情を浮かべます。

 

「王家の回し者め……性懲りもなくまた私のシャルロットを奪いに来たのね……! 夫を殺しただけでは飽き足らず……何て恥知らずな……! 下がりなさい、悪魔め!」

 

罵声を浴びせ、ベッドの枕からテーブルのグラスと身近にあるものを手に取り、次々にタバサへと投げつけます。

タバサはそれを避けようともせずに全て一身に受けていました。頭に当たったグラスが床に転がり砕けます。

頭から血が流れても、タバサは気にも留めません。

 

(母様……)

 

頭を垂れたままのタバサは悲しそうな顔を浮かべますが、それは誰も見ることができません。

今、目の前にいる母は心を病み、実の娘であるはずのタバサさえも拒絶するほどになっています。

もう何年も本当の母親とはまともに話もできていませんでした。

 

「この子は……シャルロットは誰にも渡さないわ……ああ……シャルロット……心配しないで……私がずっと守ってあげますからね……」

 

タバサの母は抱いている人形に頬ずりをしていました。ただの人形を娘と思っているなど、もはや正気を通り越して狂っています。

この母親の姿をタバサは今までもずっと見届けてきました。しかし、それももうすぐ終わりを迎えようとしています。

 

「……帰れというのが分からないの! 無礼者め!」

 

いつまで経ってもタバサがいることでまたしても取り乱して喚き立てていました。

タバサはゆっくりと立ち上がるなり母を真っ直ぐに見つめると、杖を構えます。

 

「ごめんなさい、母様……」

「ひっ……この子には指一本触れさせは……」

 

一言そう呟いたタバサに母は人形を庇うようにして腕の中で抱きしめます。

タバサは呪文を唱え、母に向かって静かに振り下ろしました。

途端にベッドの上を白い雲が覆い尽くし、母を包み込みます。

雲が晴れた時、あれだけ取り乱していた母は静かに寝息を立てていました。

こうでもしないと、暴れる母を屋敷から連れ出すことはできません。しかし、自分の母親に杖を振るうことに罪悪感を覚えていました。

 

「もうすぐその汚された心を元に戻してあげられます。今しばらく待っていてください……」

 

タバサは眠りにつく母に向かって呟きます。僅かですがこの屋敷にやってきて初めての切ない笑みを浮かべていました。

もうすぐ本当の母とまた会えることができる確実な未来に、タバサの心は期待に満ちていました。

キテレツが今作っている奇天烈斎が残した水の精霊の解毒薬ならば、母の心を救うことができるのです。

それだけでなく、この悪夢の牢獄から母を逃がしてあげることさえもできるのですから尚更タバサの心は安堵に満ちていました。

 

タバサはキテレツから預かっていた天狗の抜け穴を取り出し、それをじっと見つめます。

これが無ければ母をこの牢獄から脱出させ、国外へ亡命させるなど到底不可能だったことでしょう。

 

「ありがとう……キテレツ……」

 

キテレツ達への深い感謝の想いを込めてタバサは礼の言葉を呟きます。

自分達が故郷へ帰るための時間さえ割いて母を救ってくれるあの子達には必ず何か報いてあげたいという強い思いがタバサの胸中に渦巻きまいていました。

 

しかし、今は母をここからトリステインの魔法学院へ移動させることが先決です。

杖をベッドに立て掛け、母の体を起こそうと手を伸ばしたその時でした。

 

「きゃあああああっ!」

 

突如、みよ子の悲鳴が部屋の外から響いてきます。

それだけではありません。客間の方から何やら物々しい音が聞こえてきているのがはっきりと分かりました。

その音を耳にしたタバサは焦りと動揺に満ちた顔で杖を手にし、母を部屋に残して客間へ向かって駆け出します。

 

「まさか……そんな……」

 

屋敷の中だけでなく外にも、先ほど一切無かったはずの大勢の敵意に満ちた気配が突然感じられたのです。

 

 


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