オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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※一部残虐的な表現や衝撃的場面があります。


STAGE39. 支配者失望する/森ノ異変トエンリノ苦難(13)

 ()()も、長き歴史の狭間に埋もれし、忘れ去られた存在であった……。

 

 

 1週間程前の、トブの大森林北寄りにある低標高の山野を鬱蒼とした森が覆う中央最深部。

 ハムスケの縄張りから北へ50キロ程の辺りには、以前からじわりと広がり続ける枯れ木の森が直径1キロを超えて広がっていた。この地域は数十年ごとに緑で覆われたり枯れたりを、とあるタイミング毎に繰り返している場所でもあった。

 その中心付近にて、これまで体の大半を地中に埋没させ、数百年に渡り精気を集め続けてきた巨大な魔物が遂に蓄え作業を終え、夜明けと共に突如目を覚まし地表へと登場する。

 現れた魔物の全高は実に100メートル。根元周りは60メートル程もある樹木のモンスター。

 この魔物の巨体を地上から人が見上げれば、天を()くといっても語弊がないものだ。

 根元から20メートル程上には禍々しく大きな口の如きものが開いて見える。また、全長300メートル以上もある触手のような太い蔓の枝を6本も持っていた。魔物本体の巨体周辺へ触手がとぐろを巻く姿から、全体の大きさは陸揚げされた超巨大タンカーにも匹敵するだろう。

 根の部分はうねり始め、塔を持つ要塞の如き魔物の巨体が徐々に移動していく。

 

「ああぁあ、ついに復活しちゃったよぉ。世界は滅びるっ。もう終わったぁぁーー」

 

 五月蠅(うるさ)く叫んだのは小柄の者で、人とよく似た体形だが樹木を磨いた感じの艶肌をもつ生命体。

 葉っぱが変形した髪風の頭と表情は人に近かった。腕や下半身には蔓状の枝が巻き付き、住処にする宿り木(やどりぎ)から伸びている。その宿り木の近くまで、魔樹による精気吸い取りの侵食が進んで来ていた為、結構まめにヤツの様子を窺っていた木の妖精(ドライアード)のピニスン・ポール・ペルリアは、絶望的と感じる光景を草木の陰へ潜み、目の前に見ていた。

 すでに数百年を生きている彼女達だが、レベルでいえば二桁に届くかという水準でしかない。こんな巨体の圧倒的といえる生命力で溢れたバケモノから触れられたならば、あっさり容易く手折られてしまう存在だ。

 だから、ピニスンは魔樹の動きをただただ見送るだけであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ一行が、アーグランド評議国へ潜入した丁度その頃。

 スレイン法国の首都『神都』。

 その中心部を占める中央大神殿敷地内で最奥にある『六色聖典』本部をはじめ、『六の姫巫女』指示所の他、最高執行機関内においてかつてない衝撃が走っていた。

 

 

『至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟の喪失』と『漆黒聖典〝隊長〟の敗北』に――。

 

 

 漆黒聖典が出撃後も、王国の大都市リ・ボウロロールとリ・ブルムラシュールにあるスレイン法国秘密支部内の敷地への、遠視による毎日午前11時と午後2時の確認はまだ続いていた。

 そして『隊長』と竜王の戦いの翌日である本日、午後2時のリ・ボウロロール支部への確認に、セドランの隊が間に合い、その驚愕の事実が本国へ届けられた。

 敷地へ並べられた板に書かれた文章を、遠視により水の巫女姫所属の部隊が入手。

 伝えられたその文面は即時に書簡へ書き起こされ、上司の神官長が内容を確認して――震える。

 神官長が目にした内容は以下の通り。

 

『昨日昼過ぎ頃、漆黒聖典〝隊長〟が煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)と単騎で交戦に至り完敗す。その戦闘の合間に、遠方で待機中の隊が竜隊に襲われ、カイレ様と至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟を共に喪失せり。その際に、護衛の陽光聖典5名全員と第五席次クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが戦死。なお〝隊長〟は存命で健在なり。竜王は余りに強く、応援として〝番外席次〟の出撃を具申する。〝隊長〟と〝番外席次〟の二名による竜王再討伐の要あり。現在、隊は一時転進し王都北東の森で待機中。連絡はエ・ランテルにて待つ。最終判断を神官長会議にて決し、速やかに指示を願う』

 

 書簡を読み終えると、老いた風体の神官長ジネディーヌ・ゲラン・グェルフィは、身じろぎせず1分ほどその場で固まっていた。

 この事態が、ずっと人類世界を見てきたここ100年……いや150年で最悪の状況に思えたためである。

 また、人類の守り手の最後に切る札の内、2枚もが通じなかったのかと失望する。

 相手は評議国に君臨する、かの最強の『白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)』ではないというのに……。

 

(……なんたることに。人類はこれからどうなるのだっ)

 

 しかし、直ぐに対策を考え動く必要があった。

 彼は枯れた老体を感じさせつつも、急ぎ姫巫女の指令所から出ると地下ながら幅の広い通路を進む。そして最高神官長の執務室へ辿り着くなり、ノックと同時に中へ飛び込んだ。

 

「大変です、最高神官長!」

「何事ですかな、水の神官長? まず落ち着きたまえ」

「それは、中々難しい言葉です。今入った知らせで、漆黒聖典の〝隊長〟が敗北し、至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟を喪失したとのことっ」

「なんだと!?」

「これを!」

 

 水の神官長ジネディーヌは話しながら、驚きの表情に満ちる最高神官長へ文面の記された書簡を手渡す。

 顔色を変えつつ、最高神官長は書簡を一気に読み終えた。

 

「なんということだ……。あの奇跡の至宝を失った上に、第一席次の〝隊長〟が敗れるとは……」

 

 最高神官長でさえも、書簡の衝撃的内容を理解し固まった。

 スレイン法国が長年頼ってきた、とっておきの切り札を含んだ2枚までもが竜王の軍団へ通じなかったのだ。

 特に至宝〝ケイ・セケ・コゥク〟は、使用適任者のカイレを見出してからこれまでどれほど強力さを誇る怪物にも有効であった。このため、その喪失は人類と国家にとって限りなく大きい損失と打撃である。

 最高神官長の両手には震えがきていた。

 今後、どう対策すればいいのかなど、すぐに考えられないほどに。

 スレイン法国は、あらゆる怪物に対抗出来た大きな攻撃手段を一つ失ったのだ。

 彼にとって、この2つの件は、漆黒聖典の副官であった第五席次の『一人師団』クアイエッセを失った事すら完全に霞む事象に思えた。

 そんな最高神官長だが声を絞り出す。

 

「――直ちに臨時の神官長会議を行う。全員の招集を頼む。最優先だ」

「ああ……心得た」

 

 水の神官長ジネディーヌは、会釈すると最高神官長室を急ぎ退出した。

 それから20分後に、法国内の最高意思決定会合である神官長会議が、神秘的に輝く最高級ステンドグラスの窓群から光の差し込む神聖さの溢れる会議堂で開かれた。

 歴史を感じる使い込まれた大机と椅子に掛け、この場へと集ったのは、頭冠と神聖なる純白に青系と金の線の施された神官風の服に身を包んだ最高神官長、六大神官長、三機関長、研究機関長、大元帥の総勢12名。

 しかしその者達の顔は暗く、全員が眉間に皺を寄らせ視線を下へと落とした深刻極まりないものであった。

 最高神官長がまず口を開く。

 

「忙しい中、急のところを良く集まってくれた。既に皆、話は聞き及んでいると思うが、昨日あった戦いで我らスレイン法国にとって大きい損失が起こり大変な事態となった。それについてベレニスよ、説明を頼む」

「はい」

 

 そうして、この場の紅一点である50代の火の神官長ベレニス・ナグア・サンティニが、手元の資料を見つつ状況と損害と死者について一同へ伝えた。

 それが終ると、再び最高神官長がこの会議の本題について告げる。

 

「さて皆の者よ、ついては早急に大きな判断が必要となる」

 

 それは、リ・エスティーゼ王国の少なくない人類について見捨てる事を含めるものであった。

 彼の言葉に、六色聖典を指揮する土の神官長レイモン・ザーグ・ローランサンが問う。

 

「最高神官長、それは――竜軍団討伐隊を撤退させるかの判断という意味ですか?」

「……そうだ。もはや状況挽回の対処として〝番外〟投入しか手はないと思う。しかし今、彼女を送るとすればこの神都に長期の不在が起こる事となる。だが、それは出来るだけ避けるべきと考えている」

 

 ここで会議の場がざわつく。

 

「王国に住む人類を見捨てるということですか? それは……」

「それよりも〝隊長〟が全力を出した以上〝神人〟の存在が広くバレている可能性がある。〝真なる竜王〟が法国まで襲ってくる可能性へ急ぎ備えるべきだ。神都が燃え落ちる前に」

「私は最高神官長の考えに賛同する。これ以上の対応は確かに難しい。自国の守りを危うくしてまで他国へ出張る事もないだろう」

「戦略的にみれば一度仕切り直し、エ・ランテル辺りで決着を付けるのがよろしいでしょうな」

「しかし、困りましたなぁ。何か別の良き手は有りませんかなぁ」

「そういえば、あのゴウンなる謎の旅の魔法詠唱者とかは……いや……」

「うーむ。確かに現状では、戦場まで距離が随分ありますね」

「至宝とカイレ殿を失ったのだ。また〝一人師団〟クアイエッセの損失も小さくはない。〝隊長〟が健在とはいえ、敵の大きい戦力に対し、これ以上の戦闘継続は残存戦力を消耗するのみ。一度引いて立て直すことをお勧めする」

「先日の報告資料にあった、化け物というべき強さの吸血鬼と、竜王軍団がどこかで派手にぶつかりませんかねぇ……はぁ」

 

 満を持して送り出した漆黒聖典の〝隊長〟達が敗れた事で、撤退寄りの意見が多くを占めた。

 中には竜王軍団の余りに強い戦力へ対し、藁にも縋る気持ちの思いもあって、謎の人物や怪物の話も聞こえてきた……。実はすごく現実味のある話だったりするが、良く知らない法国の者達にとってはタラレバ的なものといえよう。

 ざわつきが鎮まり気味のところで、土の神官長のレイモンが意見を述べる。

 彼自身15年以上も漆黒聖典として最前線で激しく戦ってきた護国の英雄である。それだけに、あれほど強い〝隊長〟の敗北は、未だに信じられないものがあった。元漆黒聖典としてのプライドもある。

 

「〝番外〟を使わない手段としては、竜王の鱗や体の一部を手に入れ、巫女姫達を使った大魔法による五重の呪いや負荷を掛けるなど、弱体化はまだ可能だと私は思いますが? それに、王国の冒険者達に紛れるという手も残っております」

 

 すると、風の神官長のドミニク・イーレ・パルトゥーシュが相槌を打つ。

 彼は元陽光聖典の所属で多くの異種族を葬った聖戦士である。先程、陽光聖典5名の死亡を聞いた時には、凄まじい怒りの闘気を放っていた。

 

「おお、それならば竜王の部位の輸送には、陽光聖典の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の精鋭を使うと速くて良いだろうな。それと王国軍が兵数により24時間波状的に1週間も攻撃してくれれば、生物である以上竜王達も流石に疲れてくるはずだ」

 

 歴戦の彼も竜王への手はまだあるだろうと考えていた。

 そんな二人の神官長に、最高神官長は緩やかながら首を横へ振りつつ伝える。

 

「憶測で、残る貴重な人類の守り手たる戦力をこれ以上動かすことは出来ない。あの漆黒聖典第一席次が、〝完敗〟したと伝えてきたのだ。……恐らく傷を負わすことも殆ど出来ていまい。大魔法も、どの程度作用するのか不明の相手。再度戦わせるなら万全を期すべきだ。

 ――ゆえに、竜軍団討伐隊の本国への帰還を命じる」

 

 これに、土の神官長のレイモンと風の神官長のドミニクが反論する。

 

「いや、人類の守り手として、やはり王国に住む人々を見捨てるわけにはいきません。最高神官長、ここは我らの踏ん張りどころかと思います」

「そうですとも」

 

 だが最高神官長はそこで、報告の中に確認出来た無視できない事実を皆へ明確に突き付ける。

 

「報告で、大いに気になったのは〝隊長〟の単騎攻撃の合間に、まさに狙い撃つ形でカイレ殿やクアイエッセらが討たれた事だ。()()()作戦行動が把握されていたとしか考えられない」

 

「――くっ」

「それは……」

 

 勿論二人も気付いている点である。それでも、という思いでいたのだ。

 対して最高神官長は、大きい痛手を受けた今だからこそ堅実に、直接〝隊長〟らの考えも早期に聞く必要があると判断していた。

 

「だから私はここで無理をして、安易に動くべきではないと考えるのだ。今、まずしっかり対策すべきである。それを怠れば――全滅すらも考えられると思うが、いかに?」

「「「「「……」」」」」

 

 土の神官長と風の神官長をはじめ、誰もそれ以上反論が出来なかった……。

 こうして竜軍団討伐隊へは、本国への帰還命令が伝えられる事になったのである。

 

 

 

 

 スレイン法国に『至宝喪失』と『神人の敗北』という激震が走ったその夜のこと。

 王都リ・エスティーゼの王城へ、竜王軍団との和平交渉に赴いていた大臣が帰還して来る。

 彼は取次役で同行した魔法詠唱者(マジック・キャスター)とは違う、もう一人の護衛の魔法詠唱者に〈浮遊板(フローティング・ボード)〉へ乗せられる形で運ばれ、王城まで途中数度の休憩と仮眠を取りつつ、丸一日近く飛び続けて帰って来ていた。

 些かやつれ顔の大臣は、王城内へ戦闘時以外で空から直接乗り込めない決まりを厳守し、城の少し手前で降りて城門前へと魔法詠唱者を引き連れ歩いて現れる。

 だが夜の到着という事もあり、城門の守備兵らは一時「大臣の亡霊か?!」という話にすらなった……。

 大臣の帰還は一時的なもので、宝石貴金属の竜王側への譲渡量を確認すると共に、国王の確約を求めてのものである。

 国王ランポッサIII世は、大臣の帰還と用件を受けて直ちに宮殿5階の居室を出ると、王城側建屋の執務室に移った。間もなく扉を叩いた大臣の入室を許すと3人掛けの椅子へ座らせて早速会談する。

 

「用件は聞いている。まだ任務も途中だろうが、先に一言伝えておく。――よくぞ生きて戻ってくれたな。大儀である」

「はっ。竜王への取次役の者が特に頑張ってくれました」

「そうか。そうであろうな。……では話を聞こうか」

 

 ランポッサIII世は、配下らの竜種との交渉の難しさを思い、必ず功に報いようと心に刻みつつ話を進めさせた。

 大臣は、竜王との謁見で交渉した内容を改めて国王へと伝える。

 圧倒的風格と存在感を持っていた竜王の雰囲気や側近の者らの話に、和平締結への関心と感触。その条件となる都市以北の地域割譲の件。また捕虜についての交渉はしていない点も。

 公務における長年の経験から、大臣は竜王の態度から『領土』に『捕虜』も含まれていると判断したことも付け加える。

 ランポッサIII世は、一瞬だけ目を閉じるも頷く。これ以上の犠牲と未来を思って。

 そして、竜王から「領土以外のモノは何か提示されないのか?」と告げられ、王家の宝石や貴金属類の譲渡が必要だろう件について、その量へ国王の承認を確かめに来たというくだりまでを話し終えた。

 大臣の提示予定量は、最大で王家の全保有分の十分の一で、金貨にすればおおよそ2200万枚分以上にもなる量だ。

 なお六大貴族の一つ国王派のブルムラシュー侯は、領地内に金鉱山とミスリル鉱山を有して160年以上が経ち、王家を凌ぐ金貨にして2億5000万枚以上の蓄えを既に持っていると思われる。

 大臣の報告を一通り聞いたランポッサIII世は、視線を左右へと動かしながら考えた。

 竜王への提示予定量は、王家の全経費の数年分に及ぶもので、昨今の戦費すらも十分賄えるほどだ。それでも、大都市エ・アセナルの方が損失的にはずっと大きかったが……。

 すでに大都市を失った上で、この支出に国王の眉間には深い皺が浮かぶ。

 今、並行して竜王軍団との決戦の準備も進んでいる。20万余の兵と3000を優に超える冒険者達。

 加えて旅の魔法詠唱者一行の助力――。

 だが、やはり戦わずに穏便に終える手があるなら、それも進めるすべきだと国王は考える。

 王国の平和と人類世界の今後を考えるのならば、ここでの線引きは上策に入るだろうと。

 ランポッサIII世は大臣へ告げる。

 

「――竜王への譲渡提示量について、最大で王家の全保有分の十分の一までを承認しよう。現在、王都には戦力が集結しつつある。しかし、戦えばその多くが失われよう。周辺の都市が新たな戦場と変わるかもしれない。それを事前に防げるなら無駄とはなるまい。――大臣よ後は任せるぞ」

「は、ははっ」

 

 国の王としての惜しげもない決断である。

 退出の為に席から立ち上がり、頭を下げた大臣は、長年ずっと見てきた。

 国王ランポッサIII世は、無駄に贅を尽くす王では決してなかった。このような有事の際に対し、最大限対応をする為に莫大である先祖から引き継ぐ王家の宝物を大事に守っていたのだ。

 

「必ずや陛下と国民へ吉報を」

「うむ」

 

 国王の執務室を退出した大臣は、夜明けの出立まで全力で体調回復に努めた。それは、食事であったり、入浴日ではなかった事で湯による行水や、数時間の仮眠を取る形でだ。

 そして東の空が白み始める頃、大臣は再び〈浮遊板(フローティング・ボード)〉へ乗ると、共に決死の覚悟で任務へ就く魔法詠唱者(マジック・キャスター)に引かれ、王城をあとにした。

 

 

 

 

 全てが黒く焦げ、無残さ甚だしい廃墟と化したリ・エスティーゼ王国の旧大都市エ・アセナル。

 その北東側には何事も無かったかのように平和な平原が広がる。

 空は良く晴れて青一色になり、早朝から夏の陽射しが地上へと照り付けていた。

 今は、()()()()()最強天使(ルベド)が保護対象に加える日の朝の10時前である。

 ここは、廃墟から北へ1キロ程の場所にある煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリス率いる竜軍団の宿営地だ。

 ここには現在、安置中の5遺体(行方不明14)を除くと、計290体もの生きた竜達が滞在する。その中には、侵攻時からの負傷者も含まれるが、順次回復しその数は7体程へと順調に減ってきていた。

 

 しかしそこへ軍団としては重要な2体が含まれる。

 

 副官級の百竜長3体のうち、難度177のノブナーガと配下筆頭でもある難度180のアーガードが重傷で寝込んでいた。

 現在は、難度171のドルビオラのみが副官として忙しくしている。管理職の厳しさに種族など関係ないのだ……。

 元々ドルビオラは、軍団の糧食や陣地内の整備など後方支援のまとめが主な担当。ノブナーガは攻撃隊の訓練や警備体制の管理が主な担当である。アーガードこそが、全軍の状況を最も把握していた竜であった。

 その重要である二名の抜けた穴は本来小さくない。それでも、残ったドルビオラは一族の中で見識が広く話術も得意であり、たった1体であったが十竜長等と上手く連携し副官職を十分に熟していた。

 そんな彼のもとへ1体の竜兵がやって来る。

 

「ドルビオラ様、竜王様ガオ呼ビでス」

「そうか、では直ぐに参る」

 

 ドルビオラは、急ぎ主のもとへと移動した。そうして尊敬する竜王へと恭しく長い首を垂れる。

 

「ドルビオラ、お傍に」

 

 信頼する配下の言葉に、上質の柔らかい布の上に巨体を横たえて座る煉獄の竜王が声を掛ける。

 

「昨日からすまんな、ドルビオラ。アーガードが動けず、1体では流石に忙しかろう?」

「はっ。確かに」

「そこでだ、攻撃班の訓練や警備体制の部分は、俺が受けもとう」

 

 先日ゼザリオルグは、アーガードを半殺しにし、竜兵5体を殺した人間を――まんまと取り逃がしていた……。

 圧倒して半殺しにし追い込んだはずが、完全に見失い捕まえ損なったのだ。信じられないが、すべて事実。

 これは軍団の指令官として、小さくない失態である。

 また、理由はあれど侵攻もこの場で止まりすでに長く、先の遺体喪失を感知出来なかった件も含めて、かなり失策が積み上がってきているように思ったのだ。

 

 竜王たるもの、力だけというのでは愚物と化す。

 

 英知を見せ責任も十分に果たしてこそ、一族の頂点と言える。

 そういった思いがゼザリオルグにはあったのだ。

 しかし、配下の百竜長ドルビオラとしての見方は全く違った。

 あの難度180を誇る一族きっての強者アーガードを、あっという間の一方的で半殺しにした相手を――逆に半殺しの返り討ちにして、なお無傷……。

 

 我々の竜王様は―――正に圧倒的であるっ。

 

 そう誇らしく思っているのだ。

 この場に陣を敷いていることは、本国との連携を考え捕虜を後方へ送る為には必要な事で、先日の遺体喪失はすぐ傍で警備していた者すら全く気付けていない事件。

 またアーガードを倒したほどの人間が、脱出能力やアイテムを持っていても全く不思議ではなく、主の責については微塵も考えていなかった。

 なので、これほど偉大といえる竜王に、忠実な配下として雑務などさせる訳にはいかない。

 だからこそドルビオラは泰然と答える。

 

「竜王様、お気遣いありがとうございます。ですが、十竜長等の協力もあり全く問題はありません。竜王様はゆるりとこの場でお寛ぎください」

「……そうか」

 

 竜王とは余り配下の手伝いをするものではなく、これ以上の言は控えるしかない。

 失策の挽回が出来ず、内心ちょっぴりガッカリのゼザリオルグである。

 仕方がないと、竜王は気持ちを切り替えて別の件を――ドルビオラを呼んだ本題を語り始める。

 

「さてドルビオラよ、先日来た王国からの和平の使者についての件だ。お前はどう考える?」

 

 ゼザリオルグは、一昨日の騎士風の人間の殴り込み当初は、憤慨して「和平などっ」と考えたが、闘いが終わり直後の失態もあり、落ち着くため睡眠をとって一夜明けてから再度冷静に考えてみた。

 人類圏へのこの進撃の目的は『人間共への復讐』で人類の大量殺戮である。

 概ねゼザリオルグの個人的恨みであるが、一族の中で親族を人類側の八欲王らに殺され思いを同じくする者も多い。それゆえ無傷なら攻め込み続けるのは当然である。しかし、現在19体もの犠牲者が出ていた。

 そして副官級の竜をも易々と倒す、人間世界の上位戦力を侮り難しと考えない方がおかしい。もしも、先日の騎士風の人間以上の者が数人も出てくれば、現軍団の優位は風前の灯火となる。

 竜王には、今生きている一族の者を巻き込んでも、更に攻め込むべきなのだろうかとの迷いが大きく膨らんできていた。

 

 彼女の結論は、更に攻めゆくなら己の身ひとつでと――つまり今は和平もありだと考えに至る。

 

 対して主からの言葉に、どう返すか百竜長は思案する。

 

(この問いかけは……悩んでおられるのか? 同胞に戦死者を出した上で、その遺体を奪い去られ、戦闘力の高い人間を差し向けられてきた事に)

 

 先日の強い人間は――己の所属や名を一言も語っていなかった……。

 

 ゆえに、()()()先兵だと考えるのが自然であるっ。

 

 そしてあれほどの手練れの2人目、3人目が居ないと断言出来ようか。それが一度に攻めて来たとしたら。

 少々荒っぽい気もするが彼等王国は、こちらが和平を飲まない時に際し、実力的脅しをチラつかせてみせたのだろう。

 使者は「(しか)るべき措置を取ることになります」と告げていたのだから――。

 ドルビオラは、それでも己の主である竜王が取るべき道を示す。

 

「ゼザリー様、よろしいですか。竜王たる者、弱者の人類如きに逡巡するような事があっては決してなりません。竜種とは数多ある全種族の頂点。嘗て八欲王らへも我らの先達が見せたように、最強を示し続ける義務があるのです。それは――我らの命よりも重いということをお忘れなきよう」

「――っ! ……よく分かった。下がっていいぞ」

「はっ」

 

 ドルビオラは、長い首を一度垂れ礼をすると数歩下がり、背を向けて飛び立つ。

 配下からの大事な言葉を汲み取り、王国への返事を決める竜王であった。

 

 

 

 

 バハルス帝国の首都、帝都アーウィンタールの北端付近には無法臭漂う街並みが広がる。

 その中に建つ、暗殺集団〝イジャニーヤ〟の拠点の一つであるこの建物では、装備を整えた団員を中心に遠征第三陣の準備が進んでいた。

 時間は、エンリがカルネ村で攫われる日の、午後の昼下がりの頃。

 ふと、盗賊風の装備をした若手の男が、少し年上の戦士装備の男に向かって、頭領であるティラへの心配を口にする。

 

「お嬢、大丈夫ですかねぇ?」

「まだ帝国内のはずだ、心配ないだろ?」

「そうじゃないですよ。あのヤロウと一緒じゃないですかっ」

「ああ、―――チャーリーか」

 

 この拠点に居る連中は、少なくとも10年は〝イジャニーヤ〟で仕事をする連中ばかりだ。親の代からという者もいる。人情味と連帯感の強い組織だ。

 一方で一定以上の実力が無いと加入出来ない精鋭集団でもある。

 新参には、少し風当たりのキツさや規律の厳しさも感じるが、逆に身内へは甘いところもみられる。

 なんといっても首領だったお嬢三姉妹2名の未帰還を、『ちょっとした出向』と言っているぐらいだ……。

 確かに、雑魚と闘い負けたままなら問題となっただろう。しかし、風の便りが届いた時には標的だった連中と表舞台で、音に聞くアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』の一員を平然とやっている誇らしい状況に、「流石はお嬢達っ!」と皆が驚き笑い喜び、今は納得している。

 少し作業の手を止め、新参で刀を使う紺髪のチャーリー(ブレイン)の話を呑気そうにしていた二人へ大声が飛ぶ。

 

「おい、お前らっ! 口動かさずに、手ぇ動かせ!」

「「はいっ!」」

 

 年配の厳つい黒髭の忍び風戦士から一喝され、彼らは遠征の準備作業に慌てて戻った。

 さて、建物内はざわつき騒がしいが、どうして遠征かというと、勿論王国の竜軍団に関する事が原因である。

 昨日の朝に、彼等の組織宛てで中央から依頼が舞い込んで来たのだ。ただこれは彼等だけではなく、帝国の裏社会で有名な一部の腕利き組織へ通達されていた。

 ここへ届いた内容は、以下の通り明解である。

 

『〝イジャニーヤ〟首領殿への依頼を伝える。リ・エスティーゼ王国にて、竜王並びに副官級の竜を討ってもらいたい。返事は不要である。戦果で示してもらえればよい。副官討伐には金貨2万枚、竜王では金貨10万枚を与える。竜王の軍団は現在、王国北西部にて陣を構えている。以上、実行されたし』

 

 当然直接この建物へ届いたわけではなく、帝都南側の裏町の地下飲み屋に届いてから3箇所ほど経由して運ばれてきた。

 それを、頭領のティラが直々に読み最終判断したのだ。

 

「……竜退治だ、爺」

「やりますか、頭領」

「ああ。大仕事だが、帝国へ竜王軍団がやって来る前に対処する。ねぐらは守らないとな。第一陣の準備を急げ」

「はい」

 

 ティラから読み終えた書簡と指示を受けとり、白鬚(ヅラ)に眼帯を付けた白髪の爺は一礼するとこの場より影に溶け込む形でスッと消え去る。

 〝イジャニーヤ〟の者達はこの依頼を待ち、あらかた準備していた。

 それから1時間後に第一陣が幌の付く荷馬車で出発する。

 第一陣の団員の顔ぶれは、頭領のティラと眼帯の爺、そして紺髪の刀使いチャーリーに他3名。

 だがこの時、頭領のティラは中央からの依頼の裏の無さで、逆に少し油断してしまっていた。

 普通は依頼を受諾して初めて詳細が分かるはずなのに、今回は戦果を持ち込めば報酬が貰えるという()()さだ。

 確かに〝イジャニーヤ〟の組織として、他人事ではないというのもあったのが……。

 

 それでもティラ達は、肝心の竜王らの強さを完全に見誤っていた。

 

 まさか、副官の竜達ですら十三英雄級を含むチーム(蒼の薔薇)でも殺しきれないとは想像出来ていなかったのだ。

 そのティラ達一行は、帝都を出ると王国北西部を目指し帝国の大街道を南西へ進んでいく。チャーリーことブレインは、幌荷馬車の荷台の側面の囲い板に背を預け、刀を左手で握り黙って座り揺られていた。半日移動したところで宿に入り本日早朝に出発。その朝方、湖傍の小都市セギウスに向かう南東への分岐路を、直進し通過している。

 報酬が金貨で最大10数万枚という大口の話に、士気の揚々と上がるメンバー達の様子。

 その中で、チャーリーだけが一人ローテンションであったが、彼は浮わついた空気を見かねて向かいへクッションを敷いて座るティラに尋ねる。

 

「団員の中で(ドラゴン)と戦った事がある者はいるのか?」

「ん? ……爺はどうだ?」

 

 帽子を深く被って御者席へ座り、手綱を握る爺が横を向いて答える。

 

「若い頃に一度だけあります。強大な1体の霜の竜(フロスト・ドラゴン)でしたよ」

 

 闘いにおいて経験の有無は非常に大きい。たとえそれが敗戦であっても。

 竜と対戦し、生き残っているだけでも凄い者なのだ。夜目も利く奴らは高速で空を飛んで追い縋りながら冷気や火炎を吐くのだ。並みの者ではまず逃げ切れず死ぬ――。

 

「そこは大森林を抜けた奥の山岳地帯でした。当時、魔法の武器の持ち合わせがなく刃が通らず、結局怪我を負い地下の闇に紛れ逃げるほかなく……。まあ、若気の至りですかな」

 

 一瞬後ろへ振り返りつつ彼は白髭顔の眼帯へ、右の人差し指をトンと一度だけ当てた。

 その様子を見た紺色髪の剣士は、真の最強怪物を見た者として冷静に、より上の水準で皆に問い掛ける。それは憶したというのではなく、当然闘う際に考える状況想定の範疇である。

 

「向かう相手は竜の集団。乱戦になれば――最悪、複数の竜を同時に相手する場面も考えられる。勝てると……いや、()()()()()と思うか?」

 

「「「「――っ!」」」」

 

 ティラをはじめ、皆が紺髪の彼を見た。

 チャーリーを名乗る男は言葉を続ける。

 

「皆の腕は確かだと思う。並みの(ドラゴン)となら良い勝負になるだろう。だから言いたい。絶対に同時で複数の竜と戦わないことだ。その兆候があれば事前に必ず引いて、一度態勢を立て直すべきと考える。そして、いきなり竜王や副官を標的にするのはまずやめた方がいい。竜の軍団に対して自分達の力量を掴んでからでも遅くないと思うぜ。帝国が王国へ国家の精鋭中の精鋭を送り込む時点で、相当ヤバイ敵ということだからな」

 

 報酬の金貨に目がくらんで命を落としては、元も子もない。

 しかし新入りの言葉に、大げさだと横に座る若い戦士の団員らが言葉を返す。

 

「そんなことは分かってるさ。相手が(ドラゴン)なんだからな。でも、難度で80台程度なら問題ねぇ。俺がこの魔法剣で何体でも叩き斬ってやるよっ」

「そうだぜ、新入り」

 

 彼等は、(ドラゴン)の難度は90程度が殆どだろうと考えているようであった。

 だが、ブレインの見方は違う。

 リ・エスティーゼ王国には、強さで名高いアダマンタイト級冒険者チームが2つある。

 噂からすれば、彼等は其々のチームが、難度80台のモンスター達20体程でも一回の戦闘で全て倒してしまうぐらいの実力を持つはずだ。

 なのに最初の情報が届いてから数日経つ今も、大した反撃の噂は聞こえてこない……。

 それはつまり――それ以上の難度を誇る竜達の犇めく軍団という可能性が高いと考えられるのだ。

 だが、ここでこれ以上警告しても水掛け論的に思え、チャーリーを名乗る男は「そうか。俺の気の回し過ぎだといいが」とだけ返しカウボーイハット風の帽子を深く被った。

 

 彼等の乗った幌荷馬車は今夜、帝国の南西にある国内有数の大都市に到着の予定だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん……」

 

 薄らとエンリの閉じられていた瞼が開いていく。

 ぼんやりとした彼女の目には見知らぬ天井が映っていた。それは、高級感のある白やベージュ調の大きい石材群で組まれている。

 

「……?」

 

 そして、再び彼女の目が静かに閉じられていく……。

 だが次の瞬間、彼女は目を全開。凄い勢いで飛び起き上半身を起こした。呑気に二度寝している場合ではない。

 エンリは、自分がここに居る直前の状況を思い出したのだ。

 

 純白の上品なコート系の服を着た老人からの魔法で気を失い、カルネ村から攫われた事を――。

 

 思わず一瞬、いつもの服装へと目を落とすが幸い乱れはない。

 

(よかったぁ)

 

 旦那(アインズ)様への操が立ち、ホッとしつつ両手で胸を隠す形で、視界の周りに気が回り始める。

 視界正面の先には、立派な木製の両開きの大扉。その取っ手は黄金色を放っている。横になっていたのは、赤色の肌触りの良い高級で高価だろう厚手の布が掛けられた横長のソファーであった。布の周囲の端は金糸のモール調飾りで仕上げられている。

 そして、ソファーの周囲へ古い専門書物の積み上がった山が幾つも並び、床の多くを埋めているという謎の視界の光景に、エンリの思考と身体は固まる。

 

(……何……ここはどこ?)

 

 すると彼女の耳へ、背中方向から聞き覚えのある、老人にしては随分高く若めの声が飛びこんで来た。

 

「おぉ、起きられたか。お嬢さん」

 

 自分を(さら)った魔法詠唱者(マジック・キャスター)からの声を受け、エンリは目を見開いたままの恐れが浮かぶ表情でゆっくり左後方へと振り向く。

 その過程で、この部屋が壁の多くに天井までの本棚の並ぶ50平方メートル程の広い部屋だということと、本棚へ収まる大時計により午後4時45分頃なのだと理解出来た。

 攫われてからまだ10分と少しという経過時間だ。

 振り返ったエンリの視線の先4メートル程には、まだ昼間の光の差し込む5つの縦長に並ぶ窓を背に大きい机があり、そこへ白髪白鬚の老人が座り何かを調べる感じで分厚い本を捲っていた。

 エンリが老人へ視線を合わせると、彼は席へ座ったままだが客人へと丁寧に名乗る。

 

「私はフールーダ・パラダイン。お見知りおきを。ここは私の仕事部屋の一つです」

 

 エンリは、その余りに有名な名を聞き、表情が恐怖から驚きのものに変わっていた。

 

「えっ? あのバハルス帝国の……ですか?」

 

 フールーダの名は彼女でも知っている。

 第6位階魔法詠唱者という大賢者にして、バハルス帝国へ数代に亘り仕える柱石的人物である事を。強大な帝国の皇帝に続く実力者No.2である。いや実質、皇帝すらもこの老人の意見の全てを無視できないだろう。

 彼の名前が周辺の人類世界へ広まり優に100年以上経つ。隣国の辺境の小村の者でも知らない者は殆どいない有名人といえる。

 フールーダは、客人からの問いへ小さく頷く。

 

「そう。こうしてお会いすることが出来嬉しい限り。本日は誠に勝手ながら、実力で貴方にここまでお越し頂いた」

 

 (さら)った真意を、老人は招きたかったのだと言いたげだ。

 この場の先進的雰囲気と人物の風格に、現状の全てが真実だと彼女は認識する。

 しかし、隣国のカルネ村から連れ去られた側のエンリは、困惑するしかない。彼女は辺境の小村に住むただの村娘に過ぎないはずなのだ。だからどうしてという思いを抱き、振り返っていた彼女は、ソファーから足を下ろすと立ち上がり、その率直な思いを尋ねる。

 

「一体、何の為にですか?」

「それはですね――あの死の騎士(デス・ナイト)小鬼(ゴブリン)をいかなる魔法で操っておいでなのかを、是非にも教えて頂きたく思いまして」

 

 白鬚を扱きながら笑顔を浮かべる老人は、机の席から立ち上がりつつ本題を述べた。

 この少女を見つけた際、彼女の魔法力は小さい部類であった。この場合、死の騎士(デス・ナイト)だけを操るのであれば、ネクロマンサーという生まれながらの異能(タレント)持ちの可能性が高いと思った。

 

 しかし――小鬼(ゴブリン)をも完全に従えているとなると話は別だ。

 

 これは新魔法に因る『難度上位者支配』が濃厚だと、今のフールーダは判断していた。

 今もそれに関する書籍を机で調べ始めたところであった。

 一方、老人からの言葉の内容に、エンリの表情は固まる。

 

(そ、そんな……。いつの間にみんな(モンスター)の存在を帝国へ知られてしまったの?)

 

 王国からではなく、帝国からの宣告に、村の指揮官は隣国の情報収集力の高さを思い知る。

 それと同時に、このみんな(モンスター)についての話は、全て旦那様から力を頂いているものだという考えに辿り着く。それは、勝手に話してしまっていいものかとも。

 エンリは愛しの旦那(アインズ)様の忠実な配下として、毅然とフールーダへ尋ねる。

 

「あの……この件について、お断りすることは出来ますか?」

 

 その言葉を聞き、フールーダは笑顔から一瞬驚いた表情になるが、再びニッコリとする。少し忘れていた風に少女へと、右手を開いて差し伸べ掌を見せる仕草を付けて告げた。

 

「ああ、そうでした。勿論、お教えいただければ私に出来る事なら何なりと叶えましょう。たとえそれが――金貨100万枚でも、()()()()貴族の領地と地位をお望みでも。当然、この帝国の貴族位も思うがままに。さあ、どうですかな?」

 

 老人は長年の経験から、用意周到である。

 王国の辺境の貧しい小村と聞けば、平均年収でいうと馬車馬の如く働いても金貨数枚。帝国の平均年収に対して3分の1以下だろう。非常に苦しい生活のはずである。

 本来なら金貨100枚とでも告げれば……いや、圧倒的な権力を背景に「()の命を取る」と脅せばいい話に思える。

 しかし、フールーダは己の人生に対しての対価として評価し提示していた。

 だからこそ、全てが驚異的に破格であり、満を持していたともいえる。

 ところが……少女は困った顔で、直ぐに返事を伝えてくる。

 

「あの、凄く有り難いお話ですが、やっぱり……お断りさせてもらえませんか?」

「な……なんですと?」

 

 フールーダは、ここでポカンと口を開け本当に驚く。

 王国の辺境の小村の村娘にすれば、どれ一つ取っても夢以上の提示であるはずなのだ。

 それを即時に断るなど、フールーダの思考を振り絞っても出てくる理由は一つしかない。

 

(語れば――彼女はそれと同時で確実に死ぬ――ということか……)

 

 彼女の死は、フールーダにとってある意味、非常に困る。

 まず全容を聞いた後ならと思うが、途中や出だしで死なれては大きく膨らんだ希望が水の泡となる。また、彼女を足掛かりに旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウンへの接触に影響が出るかもしれないのだ。かの人物は、半月以上前の時点でカルネ村内に見えず村を離れたと報告されており、その足跡の情報も村娘から聞けると考えている。状況から、〈魅了〉の魔法を用いても、彼女が話す事に変わりなく使うのは危険に思われた。老人は、自分の魔法の持ち技に記憶をトレース出来るものがないことを内心で残念がる。

 対してエンリとしては、確かに目の飛び出る水準の夢ある対価が提示されたとは思う。あのお方にお会いする前なら、村や妹の為にも飛びついただろう。でも今は、村を守り頼れる優しい愛しの旦那(アインズ)様の事を考えれば、提示された富や貴族位などは不要で完全に霞んだ存在といえる。だから、比べるまでもなく彼女は即答出来た。

 だが難題の解決に悩むフールーダは、豊富な経験を活かし即座に少し視点を変えて考えると、村娘へ改めて尋ねる。

 

「そういえば、まだお聞きしていなかった。お嬢さん、貴方のお名前は何と?」

「あ、すみません。私はエンリ・エモットといいます」

「では、エンリ・エモット嬢へお願いを。今は死の騎士(デス・ナイト)達を操る詳細をお話しいただかなくても結構。その代り――その力を少し私へ見せていただけないか?」

「えっ?」

「例えばだが、新たな死の騎士(デス・ナイト)を支配するところを見せてもらえればと」

 

 フールーダの考えは、直接魔法の発動の様子をみることで多くを参考に出来ると踏んだのだ。幸いここの敷地内の地下へ長年に亘り死の騎士(デス・ナイト)が1体拘束されている。これなら、秘密の魔法の詳細や話を聞く訳ではないし、ハードルは随分下がるのではと思えた。

 だが、彼の話を聞いたエンリにすれば状況は変わらない。

 

 過程も旦那(アインズ)様あってのもので、帝国の魔法詠唱者(マジック・キャスター)へ勝手に見せる事は出来ないと考えていた。

 

 それにエンリとしては、実際のところみんな(モンスター)を支配などしているつもりはない。手伝ってもらっているのだ。もし新たな死の騎士(デス・ナイト)がいたとしても――()()禍々しい巨体へ向かい「あの、すみませんけど……」とお願いするだけである。

 カルネ村にいた死の騎士(デス・ナイト)達に対し、エンリはそれで全てうまくやっていた……。

 ゆえに、彼女は気持ちを真っ直ぐ伝える。

 

「申し訳ありませんが、お見せするというご期待には沿えません。私は、可能なら静かにカルネ村で一生を終えるつもりです。ですからお願いです、私をあの村へ帰してください」

 

 エンリには、カルネ村の指揮官として他所へ攻め込むという気はまるでない。

 村の砦化も鍛錬や武装もあくまで専守防衛である。

 

 

 でも、その思いは――魔法狂いで魔法研究が生きがいの頑固な老人には通じない。

 

 

 村娘の言葉を聞き終えると、フールーダの表情から微笑みと共に、白い眉毛の下へ見えていた少年の如きキラキラの瞳も眉下へと消えていた。

 そして彼はエンリへ淡々と伝える。

 

()()()()、悪い事を私は言いません。一度でいい。その魔法を私の目の前で見せて欲しい。それが叶えば、何時でも直ぐに村まで御返ししましょう。勿論、対価として私に出来る事なら何なりと叶えますしな。ゆえに―――それまではこの帝国へ居て頂く」

「―――っ!」

 

 リ・エスティーゼ王国辺境の田舎村からの虜である、褪せた金髪の少女は、強大な力を有した帝国の権力者の言葉に絶句する。

 それは、誘拐に加えての幽閉通告。フールーダの人としての罪は重なっていく。

 だが帝国内では、皇帝や彼こそが『法』である。彼等を国内で裁ける者など存在しないのだ。

 エンリは沈黙したまま、視線を床へ落とす。そのまま3分近く経過するが村娘は何も語らない。

 フールーダは、一度エンリを見て溜息混じりに目を瞑ると、大机の上にあった鈴を小さく鳴らした。1分が過ぎようとした頃、大扉が数度叩かれる。

 

「入れ」

「失礼します、パラダイン様」

 

 扉が開かれると一人、エンリより幾分小柄の人物が室内へ入って来た。

 白いローブに白銀の金属防具衣装装備という魔法省の制服を身に付けた魔法詠唱者(マジック・キャスター)で綺麗な金髪の少女だ。彼女の右手に持つ杖は『鉄の棒』のようだが細かい文字の刻まれたものを握っていた。

 エンリは振り返り、現れた魔法省の兵である者を見る。

 魔法詠唱者の少女は、扉を閉め数歩進んだ位置で立ち止まった。一瞬だけ左前方に置かれたソファー傍に立つ、村娘風の服装の少女と視線を合わせるが、正面奥の大机横へ立つ上官へ目を向ける。

 

「お呼びにより――アルシェ・フルトが参りました」

 

 白髪の魔法使いは、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少女へ頷くと告げる。

 

「うむ。早速だが、アルシェ・フルトよ。帝国魔法省最高責任者フールーダ・パラダインとして厳命を伝える」

「はっ」

「お前には、そこにお立ちのエンリ・エモット嬢の保護・世話役の任を命じる。この方を当面の間、帝国魔法省で保護し滞在してもらう事にした。私からの変更命令があるまでこの任務を最優先で続行せよ」

「了解です」

 

 アルシェは、エンリ・エモット嬢と呼ばれた娘の姿を再度見る。今は、パラダイン老の方へ顔を向けていた。気になったのは、あの老師が少し丁寧な口調をしている事だ。でも、相手の娘の服装は汚れやほつれも散見され、どう贔屓目にみても貴族の令嬢や中流層以上の娘には見えない。

 これは、どういうことなのか。

 一応アルシェは本日、パラダイン老から王国への出発前の午前中に呼ばれており、10分間程度事前の話を聞いている。だが、その内容から理由の推察は無理に思えた。

 彼女は老師からの言葉を思い出す。

 

『王国への出陣後、間もなく私は一度魔法省へ帰還する。その際に、もしかするとお前を呼ぶかもしれない。そして、今日から外部の若い女性を一人、保護する事を伝えると思う。なので部屋や衣服、食事の手配などの準備をこれからしておいてくれ』

 

 概要は要人対応のものだ。魔法省に全く不慣れな為、話の多くの時間は滞在対応についての問い合わせ部署などの説明を聞かされた。なので保護する期間やその人物の詳細などは、一切知らされていない。

 ただ最後、老師より気になる注意事項がアルシェには伝えられていた。

 

『絶対、行方不明にしないことだ……魔法省の敷地から極力出さないように注意せよ。その為に、彼女の足首へは――』

 

 その言葉を思い出し、彼女はエンリの足元へと視線を落とした。

 すると村娘の左足首に、金属の輪っかが付けられているのを見つける。

 

 その様子にアルシェは、保護とは名ばかりの彼女がまるで――囚人のように思えた。

 

 

 

 

 時刻は午後5時45分を過ぎつつある。

 帝国魔法省敷地内の地下奥に垂直で掘られ石材で壁面を築かれた穴へと、5階分程の螺旋階段を降りた一行が、更に重厚な扉をいくつも解封しつつ奥へ進む。

 一行のメンバーは、魔法省に残るフールーダの高弟2名を先頭に、フードで顔を隠したフールーダ自身。続いてフード付きローブで姿と顔を隠されたエンリが歩き、すぐ横にアルシェが付いて手を取っている。最後を高弟の3名が続く計8名。

 フールーダは、交渉で村娘エンリの協力を得られなかった。しかし、王国に侵攻した竜王軍団討伐へと向かう強襲魔法詠唱者部隊に合流する直前でもまずやっておきたい事があった。

 

 

 それは、エンリ・エモットと死の騎士(デス・ナイト)との対面だ。

 

 

 普通に考えれば、幽閉しようとする村娘を、彼女が操る事の可能な死の騎士(デス・ナイト)に近付けるのは危険度の高い行為と言えるだろう。しかしフールーダには関係ない。エンリ嬢が逃げる為に死の騎士(デス・ナイト)へ魔法を掛けてくれても『見られれば一向に構わない』――そういう考えの男である。

 彼だけは何時でも〈転移(テレポーテーション)〉で逃げられるのだから……。

 

 エンリが、フールーダの部屋で協力を断り()()担当のアルシェが呼ばれたあのあとすぐの事。

 保護部屋へ村娘を移すのかという時、フールーダから「ああ、その前に」とアルシェへ、老師不在時の魔法省責任者である高弟宛の書簡が託された。

 地下の扉群を開け進む現状は、書簡を読んだ高弟により全て段取りが進められている。

 白鬚を扱く老人は、エンリへ「先に少し会わせたい者がいる」とだけ告げていた。

 一行は最初に帝国魔法省の敷地内最奥の塔へと進む。衛兵の2メートル半を超える石動像(ストーン・ゴーレム)4体とそれを操る皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)達へ、高弟2名が「パラダイン様の命によるものだ」と告げて入口を潜った。

 塔の奥から、直進する密閉通路途中の広いすり鉢状の円形屋内空間を周り込み抜け、向こう面の扉から更に奥へ進み突き当たる場所が垂直の形で掘られた穴だ。

 螺旋階段を降り、封印された扉を解除する数が5枚目を迎えた。それを押し開いたところで、エンリ達は魔法の明かりが灯され続ける牢獄部屋へと辿り着く。

 扉を解封するたびに、高弟達は極度に緊張していったが、それはアルシェにも言えた。

 

(この先に一体何が……あるの?)

 

 ここまで(いだ)いていた感情がこの部屋で極限に達する。

 そこには高い天井まで届く太く頑強に出来た柱が一本あり、根元には死の騎士(デス・ナイト)が太い鎖により(はりつけ)の状態で拘束されていた。黒い鎧の体は厳重に何重にも鎖が巻かれ、手足へも巨大な鉄球が繋げられている。

 フールーダの5名の高弟達の内、4名はなんと歯を鳴らす程の感情に追い詰められていた。強大な暗黒の力を内包するアンデッドからの波動は、初めてこの怪物を見るアルシェにも大いにその恐怖を伝える。

 

「気を強く持つのだ。油断すれば精神を飲まれるぞ」

 

 老師の真剣さを含む、鋭く低い声が皆に掛けられた。

 この場に立つ者は、一介の村娘を除き全員が第3位階魔法を修めた実力者のみ。すでに精神の守りの魔法を掛けているが、生者として死への恐ろしさを抑えるのは難しいのだ。

 

 その中において、エンリだけは違った。

 

 すでにアインズへ対し死兵の心情を持っているからだろうか。それとも、日々のアンデッドとの協力関係が精神を強化したのか、はたまた(むしば)んだのか……。彼女はフールーダ以上に平然としている。

 エンリには、暗黒波動からの空気がよく理解出来た。この部屋全体が、死者からの怒りで盛大に満ちていると。

 

(放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス放セ殺ス――――)

 

 場の空気と同じく禍々しい棘のささくれ立つ、黒色の全身鎧(フル・プレート)の巨体。腐りかけの死者の顔が収まる角を生やした兜の頭部が僅かに動く。その赤い瞳が室内に踏み入った者達を捉えた。死の騎士(デス・ナイト)は度々体を動かし鎖を軋ませ、重い鉄球をごろりと転がした。

 それは、視線を合わせた順にその人間をブチ殺したいという殺意の衝動。

 ところが赤い光の視線がエンリに向くと、死の騎士(デス・ナイト)の動きがピタリと止んだ。

 

 そして―――咆哮。

 

 

「オオオァァァアアアアアアアーーーー!」

 

 

 フールーダを始め高弟達が全員、思わず魔法をいつでも放てるよう死の騎士(デス・ナイト)へ手を(かざ)し身構えた。それはこれまで、この怪物(モンスター)が殆どこの部屋で声を上げていなかったからだ。突然の行為で、フールーダ達の表情には驚きと恐怖しかなかった。

 今の状況に、アルシェもエンリから思わず手を放し、未経験の強い暗黒波動に固まっていた。

 そんな怯え固まる魔法詠唱者達を尻目に、エンリは死の騎士(デス・ナイト)へと歩を進め近付いて行く。

 なぜなら、()の咆哮が「助ケテクレ」と言っていたから。

 

「ぁ……エモット……さん……?」

 

 客人の驚愕の行動に、保護担当であるはずのアルシェは、僅かに小声を掛けるに留まる。

 高弟達に至っては怯えて目を背け気味だ。

 ただフールーダだけは村娘の行動に見入っていた。瞬きも惜しみ一瞬も見逃さずという強い視線を少女の行動へと向ける。

 でもエンリは、死の騎士(デス・ナイト)の傍まで寄りその手に触れると、申し訳なさそうに呟くのみ。

 

「……今は、私もあなたと同じ身なんです」

 

 それだけ述べると少女は背を向け、アルシェの傍へ戻ってくる。

 今の彼女も虜であり、何も出来ない事だけを伝えたのだ。

 

「ォォォ……」

 

 そんなエンリへ死の騎士(デス・ナイト)が何か声を送るように唸った。

 フールーダの期待した、村娘と黒い鎧の怪物(モンスター)との対面はこれで終わった……。

 

 

 

 

 死者(デス・ナイト)の居た地下の穴から戻ったエンリは、立派な帝国魔法省中央棟の西側に建ち、空中通路でも繋がる第三施設棟内の宿泊区画の一室へと通されていた。

 既にフールーダは〈転移(テレポーテーション)〉で魔法省を後にしていた。ゆえにアルシェがエンリの面倒を見なければならない。

 フールーダが去ったあと、アルシェは高弟の一人から、「村娘が死の騎士(デス・ナイト)を支配出来る魔法を使えるのかもしれない」と聞かされた。「だからしっかり見張れ」と。

 その場は驚きながらも一兵卒として「分かりました」と彼女は答えている。

 確かに地下であの時、鮮烈な強さのアンデッドと聞く死の騎士(デス・ナイト)を恐れないエンリの取った行動に皆が驚かされたのは事実。

 午後6時半を回っており、部屋の窓から見える西の空の太陽はもう地平線に掛かりかけていた。

 第三施設棟は1、2階吹き抜けの講堂も備える10階建ての大きな総石材造りの建物だ。ここはその8階。高層階ということで、窓は人が通れる程大きく開閉出来ない構造になっている。部屋は15平方メートル程の居間と10平方メートル程のベッドルームのふた間を備えていた。

 エンリは居間の窓辺へ掌を突いて、覗き込むように景色を眺めている。

 アルシェはその後ろ姿を、居間の椅子に腰掛けぼんやりと見ていた。

 先程の敷地奥の塔からここへ来るまでに、アルシェはエンリからも衝撃的な話を聞かされた。

 

『私は、リ・エスティーゼ王国の帝国寄りの辺境にある小村のカルネ村に住んでいたのですが、先程パラダイン様に――突如、魔法で眠らされた上で誘拐されて今ここに居ます』

 

「………」

 

 アルシェはその非人道的話に絶句した。

 自らの国を代表する英雄級の上司の行った事が信じられなかった。信じたくなかった。

 でも、もしかして……という予感が彼女にはあった。

 まずアルシェ自身の試験スルーでの急な不自然さを感じる雇用や、『保護』だとし実際の『幽閉監視』とは違う役割の説明など、当初からの老師の言葉と行動に違和感と疑念が(ぬぐ)えなかったのだ。

 確かに、帝国魔法省最高責任者として、国家規模の重大な理由があるのかもしれなかった。それが軍事転換も可能な『死の騎士(デス・ナイト)を支配出来る魔法』を手段問わず手に入れるというもので。

 ただ、それがあったとしても……。

 

 

 これは明らかに――人の権利を害した犯罪である。

 

 

 しかし、帝国においてパラダイン老は絶対権力側で『法』ともいえる人物。

 彼は今回の行動を「是」としたのだ。

 帝国内において、それは『もうどうしようもない』と言えるだろう。強い力のある者に追随するのは、この世界の習わしでもある。

 多くの忠実なる帝国民はそう自分を納得させ、偉大なるバハルス帝国主席宮廷魔法使いの言葉に従うはずだ。そうしなければ、帝国への反逆罪に問われ粛清される可能性も十分にある。

 何と言っても、相手は皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスに多大な影響を与えている人間なのだから。

 

(でも……)

 

 そうなのだ。

 今のアルシェには、たとえ権力者からの言葉だとしても、これは絶対に受け入れられない事象であった。彼女が、この帝国魔法省最高責任者の犯した、未来ある若い村娘を他国から攫う非人道的行為を受け入れるということは――幼い妹達を非人道的に貴族へ売ろうとしている父親らを認めるのと何が違うのかという話なのだっ。

 おまけにパラダイン老が主犯である為、あの老人の人間性に最早全く期待出来ない事もあった。

 

 つまり――伯爵家当主への例の口添えの件を皇帝に奏上するか非常に疑問なのである。

 

 大局で、村娘の魔法の価値を天秤に掛ければ、国家にとっての必要「悪」なのかもしれない。

 でも、これまで自分の仕事や生き方で人身に関し最低限曇りのないアルシェには、決定的な判断要素になった。

 また普通に考えると、片田舎の村娘一人に大した事が出来るとも思えないのだ。そもそもエンリの魔法量はアルシェよりもずっと少ない。彼女の生まれ持った能力で見れば分かる。恐らく、支配という高等である魔法には相当量の魔力が必要。ゆえに目の前の少女では大した効果を望めないのが常識というもの。

 個人的な見解だが、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少女はパラダイン老が間違いを重ねて犯していると考えた。

 

(………私はこの子の件に目を瞑れないっ)

 

 アルシェは、椅子から立ち上がると窓から景色を眺めているエンリへ数歩近付き声を掛ける。

 

「エモットさん」

「あ、はい?」

 

 魔法詠唱者の少女からの言葉にエンリは振り向いた。

 アルシェは小声で本題を尋ねる。

 

「…………(あなたは、どうしたいのです?)」

 

 だが、帝国の兵からの言葉にエンリはその真意が掴めず言いよどむ。

 

「(えっ、どうしたいって……逃げたいかってこと?)……」

 

 アルシェは、少し眉間に皺をみせて悩みの雰囲気を感じさせるエンリへ、口許を手で隠し小声で自身の話を少し語る。

 

「……(実は私は、昨日パラダイン老と面談し、今朝から急に魔法省へ勤務している。それまでは2年程ワーカーをしていた。だから殆どここの者ではない。そして、私はあなたへの老師の犯罪行動に失望し憤慨している。だから――脱出したいなら助力する)」

「――っ!」

 

 一瞬、罠ではないかとエンリは思いつつも、アルシェ・フルトと名乗ったまだ若い少女の真剣さの深く満ちる表情と瞳に嘘の影はまるで見えない。

 それは、指揮官の勘といえる。ここが切所だとも。

 エンリとしては、もしかすると旦那様が助けに来てくれるかもしれないとも思う。でもお忙しい主である旦那様に、配下の自分が頼り切っていて良いはずがない。ナザリックの皆が、旦那様の為に懸命に働いているのをまだひと月程だがずっと見てきた。つまり、己の難局は自力でなんとかするべきだとエンリは決断する。兎に角、ここは外へ出る事だと。

 エンリは、魔法省の制服装備を着る魔法詠唱者(マジック・キャスター)の少女へ小声で伝える。

 

「……(私はカルネ村へ帰りたいです。フルトさん、手伝ってもらえますか?)」

「……(分かった、エモットさん。貴方に協力する。老師は、恐らく目的に囚われて酷い過ちを犯している)」

 

 二人の少女は握手を交わす。互いにこれが一蓮托生ともいうべきものになるだろうと。

 帝国の少女は、父や伯爵の跡継ぎが妹達へやろうとしている事を侮蔑し否定する立場であり、今回の老師の行なった目の前の村娘への人(さら)いの状況を許せないという思いを重ねて口にした。

 アルシェはこれまでのワーカーのあくどい仕事でも、人攫いや人殺しの仕事だけはしていない。メンバーのロバーデイクもそういった仕事を一切受けなかったので、ワーカーチーム『フォーサイト』はいつからかそんな依頼が舞い込まなくなった。

 ヘッケランやイミーナも「その事は気にしなくてもいい」と言ってくれている。本当にいいチームだ。

 だから〝人として〟、老師の考えをぶっ潰す意味で、今回は(さら)われた側の少女の脱出に手を貸そうと決心した。ただその場合、アルシェ自身も最も軽くても監視不行き届きで罪を問われることになる。同行を見られれば任務放棄や違反、挙句は反逆罪すらもあり得る……。

 罪で彼女が捕まれば、妹達の身を父達に確保されるのは時間の問題といえた。

 

 最早、帝国の権力階層に希望を持てないアルシェは――妹達を連れて国外逃亡への決意に傾く。

 

 しかし、さてどうするかと第3位階魔法詠唱者の少女は少し考える。

 フールーダは希少金属を使った警報装置も使用していた。それを埋め込んだ頑丈な輪を、ここへ眠らせ連れて来た際に村娘の左足首へ、低位の〈解錠〉では外れない中位魔法を込めて付けたと聞いている。魔法省の中央棟からエンリがある一定距離を離れれば、もう一片との引き合う力が弱まり逃亡がバレてしまうという仕掛け。

 ここは老師側の本拠地の首都。逃走すれば魔法省からだけでも、相当数の追手が掛けられるだろう。その中で、更に妹達を連れての国外脱出は限りなく難しく思える。

 だからこそ有事の際に妹達の件は、ヘッケラン達へ依頼しようと考えていた。信頼出来る仲間達にしか頼めない内容であったから。

 

 実は昨日の面接を終えるとアルシェは、あれから直ぐ『歌う林檎亭』へ赴きヘッケラン達に帝国魔法省への就職の件を伝えたのだ。

 すると「おいおい、凄いな」「おめでとう」とは言われながらも「少し気になりますね」とロバーデイクの言葉が強く胸に突き刺さる。

 

「――以前、帝国魔法省への就職は相当厳しいと聞きましたが。試験がないのはおかしくないですか?」

「――っ」

 

 アルシェ自身も老師と面談を終えてから少し気になっていたのだ。そんな例があるのかと。

 だがら、会談室退出後の帰りに寄った受付で女性から『多分、前例がない』という話を聞いていた……。

 明らかに、パラダイン老師によるあの会談室の場での即決によるものだと理解出来た。

 

 そして――ナゼと。

 

 この2年間のワーカーでの仕事を熟して数々の裏も見てきたアルシェだからこそ、『なにかあるかも』と思い、手を打っておくべきと考えた。

 ゆえにこの場の仲間達へ思い切って伝える。

 

「お願い。もし明日以降、私がここへ連日顔を出さなくなったら、王国の最寄りの大都市で妹達を匿って欲しい」

 

 私的でトンデモナイお願いである。

 しかし、ロバーデイクとイミーナから直ぐに向けられた視線を受け、ヘッケランは――。

 

「分かった。俺達にまかせろ」

 

 そう笑顔でアルシェへと伝える。ロバーデイクとイミーナも笑顔で頷いていた。

 あの日、執事との家の話を横で聞いていたヘッケラン達は後日、アルシェへ何が出来るのかと話し合っていた。そして結論として、可能な事は手伝ってやろうと。

 この願いが、『一緒に伯爵家と戦って』というものなら厳しく難しいが、単に逃げるならそうでもない。信用の出来る情報屋からの言葉でも、伯爵家の跡継ぎがワーカーを雇ったという話はまだ無い様子。

 それなら旅行と変わらない水準の逃避行だ。

 あのアルシェが真剣な表情で頼んで来ていた。本当に困っているのだろう。ここで、応えてやるのが仲間というものである。

 真に頼りとしていた仲間からの言葉に、アルシェは思わず涙ぐむ。

 

「ありがとう、みんな」

 

 自然と感謝の言葉が口から出ていた。

 そうしてヘッケランからの要望として、隠れ家の地図と妹達の特徴、使用人の者への通しについて手を打つように伝えられ、即座に地図を書き特徴を知らせ、使用人の娘には木片を二つに割った割符の片方を預け『合うモノ』を持つ者が現れたら、アルシェの代理人として信用してよいと告げている。

 生死の伴う仕事も多く共にした息の合う仲間だから、1時間程で手を打ち終わっていた。

 でも、まさかの昨日の今日で、それがいきなり発動しそうであるとは……。

 

 こうして妹達の件への後顧の憂いは一応ない。つまり今、アルシェにすればエモット嬢を連れ出す上で一番問題といえるのは警報装置の件となっている。

 アルシェの考える手は大きく2つ。

 恐らく試すと警報が鳴るので後へ見送るが〈解錠〉が通じない場合、何とか()()()外すか、強引にそのまま突っ切り逃げるかだ。

 とは言え、突っ切るのは継続して希少金属が探知され続ける事といい、余りに現実的でない。

 ただ外すとしても――面倒なのは、多分老師の魔法が位置固定の類と思われる点。輪っかとしてスルリと外れるものではなく足と一体化し至極厄介と考えられた。くっついた筋組織ごと(えぐ)るしかない。

 時間の無さと強力だろう追手を考えれば、足首を切り落としてでも置いていく方がいい……と。

 

 一方エンリだが、「村へ戻りたい」という意見に同意してくれた目の前に立つフルトという娘が、難しい表情をしているのに気付く。

 思い出せば先程この地が、あの毎年王国へ戦いを挑む強大なバハルス帝国の首都である帝都アーウィンタールという事実を聞かされていた。加えて、今は帝国魔法省という警備の厳しい重要拠点の中なのだ。

 眼前の制服装備の少女が、一流の第3位階魔法詠唱者であってもエンリを帝国から逃がす事の容易ではない状況はよく理解出来た。

 なのでエンリは、自分自身でも何か出来ないかと必死に考える。強い気持ちから思わず力が入ったのか、左手を握り胸に当てた。すると……僅かだが胸元へ当たる固い感触に気付く。

 

「―――ん? (ああっ、コレ!)」

 

 

 

 あの()()()()角笛のお守りであった。

 

 

 それはエンリへ笛を吹くことを思い付かせる。

 制服の少女と二人では難しくても、20名程の新しい仲間と協力すれば道も開けると信じて。

 

(私は、なんとしても旦那(アインズ)様の下へ、カルネ村へ無事に帰りたい)

 

 ただ彼女はここで、前回笛を吹いた時の事を思い返していた。少し不安があったのだ。小鬼(ゴブリン)達の登場までに幾分の……数分の時間が掛かっていたことに。

 安っぽいが周りへと響く笛の音も出るのだ。居場所を知らせてしまい時間が掛かっては逆効果となる代物である。

 でも、時間の掛かる理由については、恐らく森から遠かった事が原因に思えた。あの時呼び出したのは草原のど真ん中であったと。周りに森らしきものがなかったのだ。そしてジュゲム達がやって来たのは、森の方角だったことを覚えている。

 魔法省のこの高い建物の窓からふと見ると、広大な敷地の奥へ小さい森があるのに気付いた。

 エンリは、首紐を引き上げ手繰り角笛を胸元から取り出す。

 

「(きっと、あの森の傍で吹けばすぐ来てくれる気がするけど……)えっと、この笛を使えばここから逃げられるかも」

「それは?」

「もしかの時に身を守ってくれるお守りです。でも森の傍に居ないといけないの。窓から見えた敷地内の森まで、なんとか行けないかな?」

 

 アルシェは、エンリの示す笛型の『魔法のアイテム』であろうそれを一度見詰める。生者、死者問わず相手の魔法力を見ることは出来る彼女も、アイテムについては何も見えない。

 でも、協力を求められた制服装備の少女に良案も無い為、エンリを信用し即答える。

 

「わかった。あの場所までは私に任せて」

 

 一旦笛について胸元へ仕舞わせたエンリを椅子に座らせると〈幻影(ミラージュ)〉でその様子を幽閉部屋内へ造り出す。次に〈屈折(リフレクター)〉の魔法でエンリ自身の姿を一定方向からしか見えなくし発見されにくくすると、逡巡することもなくアルシェが先で部屋を出る。

 幸いにも同階に衛兵の魔法詠唱者(マジック・キャスター)は立っておらずホッとする二人。

 廊下奥から階段を降り始め、途中、通路や出入り口の3箇所で見張りの者が立っていたが、なんとか無事に通過し建屋の外へと出る事が出来た。

 そうして油断することなく、魔法省敷地内の森の傍20メートル程の所までエンリ達はやって来る。

 立ち止まるとアルシェが全周警戒をしつつ告げる。

 

「時間が無い。策があるなら直ぐに」

「はいっ」

 

 頷くエンリは、再び首紐を手繰り胸元から角笛を引き出す。僅かに旦那様からの贈り物と再度の別れを寂しく思いつつも、ぐずぐずしている時間は微塵もない。自分の居るべき場所へ戻る為、彼女は大きく三つ深呼吸し角笛を唇に当てると、思い切り吹いた。

 この窮地に、(ささ)やかでも信頼出来る力強い仲間達であれと、強く祈りを込めて――。

 

 

 しかし――――今回、それは細やかではなかった。

 

 

 周辺に響いたのは、前回と全く違う地を揺らす程の「ボォォォーーォゥ」という重低音。

 その直後から、目の前の小さな森の木々の間からあふれ出てくるこの状況は何なのだろうか。

 アルシェだけではなく、エンリもただただ茫然と立ち尽くし光景を見ている。

 19体――そんな小さい数ではなかった……そして、100や200でもなかった。

 1000を超えても、()()の出現の終わりがみえないのだ。

 

「……あれっ?(ああぁっ、一体全体どうなってるのかなコレって……? ど、どうしようっ)」

「エモットさん……こ、この小鬼(ゴブリン)の……大軍はナニ、ナニィッ!?」

「あはは……」

 

 呼び出した当人も含め、訳分からずの有り様を見て完全に狼狽するアルシェであった。

 帝都の魔法省内へモンスターの大軍を呼び込んでいるとしか思えない惨状に、村娘を幽閉しようとしたパラダイン老師の方が正しかったのかと、後悔の考えも浮かび始めていた……。

 ただ、ここは帝国魔法省の敷地内。

 当然周辺へ何棟もある大きい魔法省施設の建屋には、竜軍団討伐でベテラン勢の7割強を欠く中、まだ魔法詠唱者部隊の精鋭達が多く残っていた。

 たちまち非常呼集の鐘が周囲からけたたましく鳴り響き出し、大規模で広がる異変に気付いて動き出した80名を超える魔法詠唱者らが、出現したモンスターの大軍と200メートル程の距離を取った場所へ集まって来る。

 でも、目の前に密集し整然と整列するように隊列を組み上げ続けていく1500体以上の小鬼(ゴブリン)の軍団と、奥の小さい森からまだまだ小鬼(ゴブリン)達が湧き出て来つつある光景を見た者は一瞬立ちすくんでしまう。

 そんな味方の状況に、魔法省の留守を任され魔法詠唱者部隊の先頭で率いるフールーダの高弟は思わず唸る。

 

「くっ。一体何事なんだ、これは。トブの大森林にある小鬼(ゴブリン)国家からの軍勢を伴った侵略かっ」

「代行! 隊の攻撃準備、整いましたぞっ!」

 

 魔法詠唱者部隊の中でも、死の騎士(デス・ナイト)を見ているフールーダの高弟達は流石にまだ動けた。若輩らを導く仲間の報告に責任者代行の高弟は頷く。

 この出現しつつある軍団の目的や原因究明は後回しである。今は兎に角、帝都へこのモンスター達が雪崩れ込む前に敷地内で殲滅するしかない。そうしなければ都市中が大混乱になるだろう。

 二列横隊で鶴翼に整列した魔法省の魔法詠唱者部隊は、最高責任者代行を務める高弟の鼓舞の声と共に一斉攻勢へと出る。

 

「精鋭の諸君よ。帝都の民の為にも今ここで勇気を振り絞り、目の前のモンスター群を〈火球(ファイヤーボール)〉で全て焼き尽くせぇぇーーっ!」

『『『おおーーーーーっ!!』』』

 

 80余名の魔法詠唱者達から第3位階魔法である〈火球〉が連射で猛烈に放たれていった。

 

 だが――実に200発近くにも及ぶ〈火球(ファイヤーボール)〉群は、ゴブリン新軍団まで届かない。

 

 既に1700余名以上に膨れ上がっていたその軍団の中には、もう魔法省の魔法戦力へすら対抗出来る部隊が出現していたのだ。

 その時、新軍団の中で綸巾(かんぎん)を被った凛々しい髭のゴブリン軍師が、羽扇を前方へ翳し指示する。

 

「魔法砲撃隊及び魔法支援団、接近する〈火球〉群を急ぎ薙ぎ払えっ! 我らが旗頭、エンリ()()を守るのだ」

「「「了解!」」」

 

 流星群の如く見えてエンリ達のいる方向へ飛び込んで来る脅威的なはずの〈火球〉の雨は、手前の草原に突如出現した直径が50メートル程もある〈竜巻(トルネード)〉へどんどんと巻き上げられていく。それは風系の範囲攻撃魔法を拡張し、動きも小鬼(ゴブリン)魔法隊に操作されて。その光景は、まさに巨大な〈炎竜巻(ファイヤー・トルネード)〉と化していた……。

 眼前の圧倒される盛大な火柱の姿に、魔法省の魔法詠唱者部隊の多くが思わず声を上げる。

 

「ああぁぁぁぁっ!」

「ば、馬鹿な、小鬼(ゴブリン)如きが、大魔法を?!」

「あ、あれがもしこちらに迫って来れば、ヤバイぞっ!」

「おい、見ろ……ヤツラの軍団の奥に陣幕が展開され始めたぞっ」

 

 敵の膨張する形で増え続ける2000体に届きそうな怪物《モンスター》戦力とその行動に、帝国魔法省の魔法詠唱者部隊員らは驚きを隠せずにいた。

 最も攻撃力のあった〈火球〉群の無力化に次の攻撃を考えるが、第3位階魔法の〈電撃(ライトニング)〉や〈電撃球(エレクトロ・スフィア)〉であっても、〈竜巻(トルネード)〉の起こす気流層の壁に阻まれればゴブリン軍団までは届かない。

 直ちに、高弟達が第4位階魔法の〈気流操作(コントロール・ウインド)〉でこちらも竜巻(トルネード)を作りぶつけたが、簡単に弾かれてしまった……。

 ゴブリン軍団の魔法砲撃隊員の方がレベルが高く、加えて魔法支援団による支援魔法もあって寄せ付けなかった。ただ、ゴブリン軍団の魔法砲撃隊員は5名しかいないので弱点と言える。しかし知られなければ優位は動かずだ。

 戦闘開始から15分程が過ぎた頃、互いの力の差が歴然と見えてきていた――。

 そして晩の7時を越えており、無情にも日没である。

 夜の暗闇が全てに広がり、出現したモンスター陣営に有利な状況が連続していき、魔法省責任者代行の高弟は焦りと、打開への閉塞感に手が震えていく。

 

(あぁ、師がおられぬことの何たる無力さよ。我々だけでは小鬼(ゴブリン)の軍団一つ倒せぬのかっ)

 

 戦闘の合間のこの瞬間も、森からは小鬼(ゴブリン)達が滾々(こんこん)と湧き続けていた……。

 

 

 

 帝国魔法省敷地内で発生した非常事態の知らせは、皇城へも急ぎ伝わる。

 間もなく、帝都皇城の執務室にあるコの字型の大机へ座り、今日も朝から資料や書類と格闘をしていた皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの元へ慌てた騎士姿の伝令が入ってくる。

 

「大変ですっ、陛下ーーっ!」

 

 その取り乱した騎士の姿を見た皇帝は、僅かに視線を上げつつ眉を顰めると冷静に注意する。

 

「狼狽えるな、馬鹿者。バハルス帝国の騎士が多少の事で取り乱してはいけないな」

「はっ、申し訳ありませんっ。しかし――それどころではありません! 魔法省の敷地内に、ゴ、小鬼(ゴブリン)の大軍が突如出現っ。現在、敷地内にて魔法詠唱者精鋭部隊と交戦しておりますが苦戦中とのこと。敵の数なんと――2000体以上!」

 

「なっ、なんだとーーーーーーーっ!?」

 

 若き皇帝は大口を開けて叫び、大いに取り乱していた……。

 大机の椅子から驚きで立ち上がり手を天板へ突くと、目の前の伝令から視線を机へと落とす。

 帝国の威信を掛け整備された監視網や防衛の備えは万全と考えており、現に絶対防衛線である西の南北へ通る大街道から東方域内へ、大軍の侵入を許したことは近代の100年で一度も無かったのだから。

 

「爺の居ないこの間隙を突かれたのかっ(くっ、帝都アーウィンタール内や周辺の戦力で足りるのか……)?」

 

 そんな言葉と共に自問自答もしている最中、まだ開け放たれていた部屋の扉から伝令がもう一人、衛士を押しのけ飛び込んで来た。それは残留していた帝国四騎士の一人、〝激風〟のニンブルであった。

 

「非常事態の伝令だっ、通せーーっ! 陛下っ、大変でございます!」

「なんだ、お前もか?! 小鬼(ゴブリン)の話は聞いたところだぞっ」

 

 対処の結論をまだ告げていない内容に、不機嫌さが表情へ吹き出したジルクニフ。

 だが、帝国四騎士の(ニンブル)は、一瞬怪訝な表情が混じるも告げる。

 

小鬼(ゴブリン)? いえ、全然違います、陛下っ」

「っ!?」

 

 皇帝は漸く、ゴブリン軍団とは別件の更なる非常事が起こっていることを理解する。

 ニンブルは早口で続きの決定的な内容を伝えた。

 

 

「西の大森林より、火炎魔法や打撃をほとんど受け付けない()()()()()()()()()()巨木のモンスターが、西の穀倉地帯を東北東へ低速で移動中とのこと。明後日には西の南北へ通る大街道を横切り、数日後にはこの帝都付近まで到達の予想でありますっ」

 

 

「……ななな何ぃぃぃぃーー(どうなっているんだっ! 私は、どうすればいいっ)!!」

 

 その場で呆然と立ちつくしたジルクニフは、無意識に両手でその美しい金髪の頭を――力強く掻きむしっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに……?」

 

 アインズは、カルネ村からのエンリ行方不明報告に対して一瞬呆然とした。

 同時に外部の人為的なものを直感する。

 まず、日頃の彼女(エンリ)より敬愛的忠誠を感じる行動から、突然自主的に失踪するとは思えなかった。

 そしてエントマからの報告で、失踪に小鬼(ゴブリン)の1体を含むと聞いている。あの角笛から呼び出された者らの忠誠はほぼ絶対だ。自分の命よりもエンリの無事を優先し行動するはずで、不測の事態へ共に巻き込まれたのだろう。

 またエンリへ関し、アウラによる窪地や井戸なども注意した探知へ引っかからない事から、近隣にはいない可能性が高い。不慮の怪我等で動けないなら、もう発見出来ているはずである。

 ンフィーレアを狙われた可能性もあるのだ。最近の順調さに慢心があり、自ら隙をつくったのではと己の油断に苛立つ。

 

(俺の考えが甘すぎたのか……クソッ)

 

 慌てていたと聞くネムも、可哀そうに姉を凄く心配している事だろう。

 一時的に1週間程の警備状態であり、顔見知りのエントマだけではなく、フランチェスカ()当てるべきだったのではと思う。

 この時、(かす)かにエンリへ〈伝言(メッセージ)〉をと、支配者の思考に(よぎ)る。でもここは思い留まる。アウラは失念しているのかもしれないが、ある意味正解にも思う。

 まだエンリが生きていて、連絡を取れて足が付いたと敵に気付かれれば、首謀者らが――少女を殺して逃亡するかもしれない。〈伝言〉は、この世界でも知られている。あれは通話のみで、その場がどこかは分からない魔法……。彼女が今、目隠しなどで自分の居る場所を知らない可能性も十分にある。その瞬間は、アインズですら何もしてやる事が出来ないのだ。

 それでは囚われの配下の不安を煽るだけといえる。故に〈伝言(メッセージ)〉は、万全を期したあとでよいと思った。

 御方から湧き出す負の感情は、エンリ誘拐を引き起こした者へと向けられるのは当然である。

 

「………(命じて、(さら)ったのは)誰だ?」

 

 

 ――絶対的支配者が動く。

 

 

 アインズは現在、アーグランド評議国内第三の都市サルバレの市街南西部に建つ、宿屋の一室でベッドへと腰掛けていた。明日の朝からは、竜王軍団撤退へ向けての裏工作で中央都へ向かう予定である。

 今夜は王都をはじめ、竜王国のセバスも連絡先に加えて確認やナザリックでの日課を熟し、明日の中央都での行動を色々思案する時間を朝まで見込んでいたが、一部の予定は完全に吹き飛んだ。

 まず現時刻を確認する。アイテムボックスには時計や収納履歴も付いていた。

 今は午後7時5分を回っている。

 念のためにと、この部屋でもずっと不可視化していた姿で、彼は立ち上がった。

 すると、壁際へと控えて立つLv.43の小鬼(ゴブリン)レッドキャップの2名は自然と緊張しだす。なぜなら絶対的支配者の身体から、『絶望のオーラ』が弱く漏れ出してきていたからだ。

 

(まず、エンリの居場所を調べて、早く安全を確保してやらないと。急ごうっ)

 

 少女の傍にいた小鬼(ゴブリン)は殺され、たった一人で今も酷い事をされているかもしれないのだ。

 (エネミー)へ怒りの鉄槌を下すのは後である。

 そうして、主の彼が状況へ対処する為にナザリックへ動こうとしていた矢先。その思考の中へ〈伝言(メッセージ)〉の電子音が響くと、王城から美女の美声が届く。

 

『アインズ様、ソリュシャンでございます。今、よろしいでしょうか?』

 

 この急ぎのタイミングで何かっ、後にしろっと思ったが、一つの小さな傷を蔑ろにすればダムすら決壊する例えもあると考え直し早口で確認する。

 

「……うむ、だが急ぎの用がある。手短に用件を頼む。なんだ?」

『はい。では御報告いたします。今、王国戦士長殿の言伝を大臣補佐の者から預かりました。戦士長殿が、竜王軍団への具体的な戦術面での話を内々にしたいため、今日明日で時間を少し貰いたいと』

 

 これまで、反国王派との絡みと王都に駐留すると公言している為、王国軍や冒険者達との戦術会合には余り出ていないアインズである。だが、流石に先日アインザックに「動きがある」と聞いてもいて、王国全軍が近日動き出す以上、すでに自治領土に第二王女との婚姻の約定や多くの前金を受け取り国王派の奥の手とされた己の闘いの内容を、問われる場が来るとは考えていた。

 それもこの時間に伺いが来たという点から、人目の少ない夜の間にということだろう。

 アインズはソリュシャンに告げる。

 

「では、約2時間後の午後9時でどうかと確認せよ。今から私は緊急で用件を1つ片付ける。だから、決まらない場合のみ連絡しろ。連絡がなければ、私は午後9時の10分前に王城へ行く」

(かしこ)まりました、アインズ様。では失礼いたします』

「うむ」

 

 そうして〈伝言(メッセージ)〉は切れた。この様子なら、今日明日にも反国王派側の第三回深夜会合も動き出しそうである。

 このように、増して忙しくなりそうな予感へ、至高の御方はエンリの件を1時間半程度で終わらせるべく隣室のルベドへ連絡を取る。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。ルベドよ、聞こえるか?」

『――だから姉妹とは、一緒に仲良く寝るのも良ぃ――っ。()()少し待て。アインズ様、何か?』

「うむ。私は今より少しナザリックへ戻る。そのあと王城へも向かうかもしれん。何かあれば知らせよ」

『分かった。異変があれば知らせる』

「ではな」

 

 アインズは、ここでエンリの件をまだ敢えて伝えなかった。ある意味、全てはマダ確定的ではない。巨大な混乱と惨劇を防ぐことになると信じてだ……。

 それと、最強天使から()()への『姉妹仲良し講座』はまだ忙しく続いているようである……邪魔をしてはイケナイ。

 ルベドは一応、今日も昼過ぎにカルネ村のエモット姉妹の仲の良い様子を見て楽しんでいた。

 つまり、彼女の次のお楽しみの時間までに片を付けないと――世界に悲劇が起きる可能性大。

 夜中にふとエモット姉妹のベッドでの仲良く休む姿を堪能するかもしれず、それを考えればタイムリミットは近いっ。

 妹のネムの様子が少し気になったが、カルネ村に今寄れば10分はロスするだろう。アインズは諸々の怒りを持って、先に急いでエンリを探すべくナザリックへと〈転移門(ゲート)〉で移動した。

 

 

 

 カルネ村は、現在リ・エスティーゼ王国ヴァイセルフ王家の領地内にあるが、アインズの名の下、ナザリックの友好保護対象にしている地域だ。その中での今回の事件へ対し、既に階層守護者のアウラを始め、NPC達が動く騒動へと拡大している。

 

 支配者としても、まさに威信が傷付けられたと言っていい。

 

 この不愉快な感情を抱かせた連中に、アインズは全力で対応すると決めた。

 故にまず配下エンリの確保に総力を投じる。

 ナザリック地下大墳墓所属の者達において、捜索の切り札と言えばアルベドの姉、ニグレドである。

 急ぐ支配者(アインズ)はナザリック帰還後、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を受け取る前に真っ直ぐ下層を目指す。

 途中の第二階層で、セバス配下の『同誕の六人衆(セクステット)』の一人、蛮妖精(ワイルドエルフ)のジルダ・ヴァレンタインから指輪を受け取ると一気に第五階層奥へと飛ぶ。そして、右手にアイテムボックスから取り出した不気味な腐肉赤子(キャリオンベイビー)を掴みつつ、眼前に建つ館『氷結牢獄』へと踏み込む。

 すると、たちまちニグレドが現れた。

 慣例となる、黒色の喪服姿に長い黒髪を振り乱して追い縋って来る魔物的姿で「こどもをこどもをこどもをわたしのこわたしのこわたしのこぉお! さらったさらったさらったなぁぁあ!」というイカれた言葉の雨をアインズは聞きつつ「お前の子はここだ」と告げ赤子を優しく渡してやる。

 

「おおおお!」

 

 顔の皮膚の無い異様な形相を、長い前髪で隠すニグレドは落ち着きを取り戻し、受け取った赤子を女性らしく大事に優しく抱くと揺り籠へ移す。

 アインズとしては、今緊急さもあってこのやり取りを省略出来ないものかと思うが、タブラさんの考えでもあり無下には変えられない。ただ、彼女は『亡子を求める怪人』という設定だとはいえ大の子供好き。もしも――自身の子が出来た時にはどうなるのかという考えがふと浮かぶも、今は思考の端へと追いやった。

 そして(ようや)く二人の会話が始まる。

 

「これはアインズ様、御機嫌よう。本日はお一人で(わたくし)に御用が?」

「うむ。少し急ぎで行方不明になったナザリックに所属する()()をお前の力で探したい」

 

 するとニグレドが少し慌てるように尋ねてきた。

 

「それは、とても大変心配ですわっ! そ、それで一体誰を?」

 

 ナザリックに所属する人間には、可愛い可愛い子供のネムも居たからだ。子供は可愛く活発で元気がよく、意外と遠方で迷子になったりや怪我をしやすい。

 だから属性が「善」の通り、優しい母性本能溢れるニグレドは胸元へ手を組み合わせ、心配そうな仕草でアインズを見詰めてくる。

 その姿は顔に皮膚が乗っていれば、慈悲深い女神のようにも見えたかもしれない。

 しかし……今は髪の隙間から瞼のない右の丸い眼球が不気味に覗いていた。

 そんなニグレドへと支配者は告げる。ただ、エンリをと告げても、子供にしか興味のない彼女は関心が薄そうに思えた。なのでここは、ネムを大事と思っているニグレドにやる気を出させる形で伝えた。

 

「探してほしいのはネム――の姉のエンリだ。先程、午後5時前から行方不明になっている。ネムも不安から慌てているらしいのだ」

「……分かりましたっ。では始めます」

 

 子供のネムを安心させたいという気持ちが、ニグレドのやる気を高く維持させた。

 姉のエンリとも面識があるため、探知へ特に支障はない。すぐにアルベドの姉は複数の魔法を発動する。それは多種に及んだ。当然対策や対抗魔法も含めてだ。

 そうして、1分ほどで探知魔法を駆使し彼女は知らせて来た。

 

「無事、発見いたしました……」

「場所は?」

「ここより北東方向へ220キロほどの、頂いている地理資料から推測してバハルス帝国内の中央部の大都市西側外縁部かと」

 

 実はまだこの時、ナザリックの持つ周辺地理資料には帝国の帝都アーウィンタールの詳細な情報は無い。第九階層の統合管制室において、あくまでも『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』での俯瞰映像から起こした資料を見ていた。

 

「200キロ以上も遠方の帝国内だと……?(不明から2時間程……魔法だろうが、〈飛行(フライ)〉にしては早すぎるなぁ……何者かな)……まあ、今は無事なら」

「ですが、これを……〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉」

 

 気を利かせたニグレドの魔法で登場した画面へ映し出された光景に、アインズは驚く。

 

 

「――っ、はぁ?! (一体何だよ……コレはっ!?)」

 

 

 アインズには、目に飛び込んで来た画面の状況が今一つ分からなかった。

 それは、陣幕内で見知らぬ小柄の魔法詠唱者の少女と並んで立つエンリの元気そうな姿であったが――周辺には二人を取り巻き守るように犇めく、数千体もの小鬼(ゴブリン)達の整然とした軍団も映っていたのだ。

 

(なんで、レッドキャップスまでもがいるんだっ?!)

 

 エンリが、先日再度渡した『小鬼(ゴブリン)将軍の角笛』を使ったのであろう事は推測出来た。

 しかし、オマケを20体程しか呼ばないはずのゴミアイテムで、ナゼこんな状態になっているのかまるで不明――。

 そしてこれからアインズは、今回の『配下エンリの誘拐』の件に対し、ナザリックの絶対的支配者として帝国内の実行犯や首謀者達へとケジメをつけに行く身だ。でも、新世界のプレイヤー達を意識している支配者にとって、今、人類国家へ表立っての悪名は避けたくもあった。

 『アインズ・ウール・ゴウン』として、この先の行動が混沌としてくる。

 

 

 

(コリャ、もう大事(おおごと)すぎるだろぉぉぉーーーーーーーーーーーーーっ!!)

 

 

 

 この、初めて赴くバハルス帝国内で展開された待ったなしの大騒乱収拾の困難さを思い、彼は心の中で絶叫していた……。

 

 だがそれでも、腹を括った絶対的支配者は間もなくナザリック内から一軍を従え、帝国内の中央部にある大都市西側外縁部へとエンリの主として〈転移門(ゲート)〉で移動し乗り込んでいく―――。

 

 

 

 

 

 ナザリックの一行は、帝都へと向かった。

 だがしかし、実のところそれは、アインズ達()()ではなかった――。

 

 エントマが至高の御方へと連絡を終わった頃、エンリと共にいてフールーダから〈昏睡(トランス)〉と〈認識阻害〉を受け、気を失っていたゴブリン軍団のカイジャリが(あぜ)道脇で目を覚ます。

 

「……ぁ……俺は……」

 

 すでに辺りが真っ暗で、彼は驚き飛び起きた。

 

「――っ!? 姐さんは?!」

 

 倒れていた(あぜ)道周辺を見回し確認したあと、彼は直ぐにエンリを探しつつ村へと入って行く。主人の安全を真っ先で確認するために。

 ゴブリン軍団の者にとって、軍団全員の命よりもエンリ一人の命の方が大切なのだ。ゆえに必死である。

 同時に、主人の妹でナザリックとの繋がりを持つネムも探した。本来()()()がいれば先にそちらへ行くところも、先日より彼女は「トブの大森林内の調査」の名目で遠方にいた……。

 ふとカイジャリは周囲へ、この時違和感を持った。何となく、自分へ興味が無く誰も声を掛けてこない気がしたのだ。その時、ゴブリン軍団のゴコウを見付けた。彼も姐さんを探している様子。

 そこでカイジャリから声を掛ける。

 

「おい、ゴコウっ。姐さんはっ?」

 

 ところがなんと、ゴコウはカイジャリを無視し、そのまま通り過ぎようとしたのだ。

 カイジャリはそのゴコウに掴み掛かる。

 

「おい、何で俺を無視するんだよっ! 姐さんは?!」

 

 すると、ゴコウは――驚愕の表情で目の前のカイジャリを見詰め大声で驚く。

 

「オぁーッ! カイジャリじゃねぇかよ、生きてんじゃねぇか! 一緒にいた姐さんは?! お前、今までどこにいやがったよ!?」

 

 何か話が噛み合っていない事に、掴み掛かったままのカイジャリは疑問を持ちゴコウへぶつける。

 

「何で今直前に、俺を無視しやがったんだっ?」

「え? あ、そりゃ――お前の姿が、それまで目に入らなかったんだ。あれっ、見えてたのに何でだろ?」

「――っ?!」

 

 村に入って誰からも声を掛けられなかったが、偶々と思っていたのはやはり間違いみたいだ。

 この距離で姿が目に入らないってことは明らかに異常である。魔法だろうか。

 

(しかし今、それは重要じゃないっ)

 

 思い出したように、エンリと一緒に居たカイジャリの口から()()の話が飛び出す。

 

「それは後だ。時間は多分、午後4時半頃だったと思う。姐さんと一緒に家に向かって畑の畔道を歩いてた時だ。突然、白髪白鬚の老人が現れて……俺は、直ぐ魔法で眠らされて、気が付けば夜だったんだ。それでゴコウ、姐さんは大丈夫か?!」

「――行方不明だ」

「えっ、行方不明?!」

「そうだ。午後5時過ぎからは、御屋形様の配下のお偉い方も何名か動いていただいてるが、未だ見つからねぇ。トブの大森林の方も村の近隣も、数キロ単位の凄い広範囲で詳細にお調べのようだがな……」

「――っ!」

 

 リーダーのジュゲムから、御屋形様の配下の武力水準を聞いていたカイジャリは固まる。ジュゲムの話を聞く限り、死の騎士(デス・ナイト)のアニキたちが束になっても通用しないという方々ばかりと聞いている。

 それほどの者達が見つけられないとなると……。

 カイジャリの心に大きく不安が広がる。あの目撃した白髪白鬚の老人も、雰囲気のケタが違ったのだ。少なくとも死の騎士(デス・ナイト)のアニキ達より、一段上の水準に思える。

 

「くそっ、俺が死ぬ気であの爺さんに切り込んでりゃ」

「……」

 

 ゴコウにもカイジャリの悔やむ気持ちはよく理解出来る。

 だからゴコウは、気持ちを共有するべくカイジャリを急ぎ、馴染みの場所へ引っ張っていった。

 村の端寄りに建つ小鬼(ゴブリン)達の住処である共同生活館だ。中へ入ると、蝋燭の灯る食卓兼用の大机の席に、両肘を突いて頭を抱えた暗い表情のンフィーレアが一人座っていた。その天才薬師少年の傍には、小鬼(ゴブリン)兵のパイポとクウネルが同じく深刻な表情で腰の剣の柄へ手を置いて臨戦状態で立っている。

 エンリから非常時になった時、ンフィーレアを絶対に守ってと二人は護衛を言い付かっていた。

 だから彼等は、それを忠実に守っているのである。

 

「なんだ、()()()()……」

 

 パイポの呟きが示す様に、そんな室内にいた3名はカイジャリの存在へ気付いていなかった。

 なので、彼から腕を掴まれているゴコウが、横のカイジャリに変わりこの場の者へ告げる。

 

「――おい、姐さんと一緒に居たカイジャリから聞いたぞっ。姐さんは午後4時半頃、畑の畔道を歩いてた時に突然現れた白髪白鬚の魔法を使う爺さんから攻撃を受けたらしい。恐らくその爺さんに(さら)われたんだっ!」

 

 その言葉に、パイポとクウネル、そして―――ンフィーレアの表情が生き返るっ。

 

「なんだとぉ、アイツ生きてたのかっ!?」

「本当かよぉーーっ!」

「エンリィィィィーーーーーー!」

 

 パイポとクウネルは、護衛をそっちのけでゴコウの傍まで迫る。そして当の護衛されていた普段物静かなンフィーレアが、更にゴコウの襟を両手で掴んで揺すりながら聞き返す。

 

「エンリを(さら)ったのは白髪白鬚の魔法を使う爺さんだって?! 身長や服装や装備はっ?」

 

 ンフィーレアも第二位階でも後半の魔法詠唱者であり、筋力は常人以上にある。少しでも大好きなエンリの手掛かりをと正に必死であった。

 すると、ゴコウは横から腕を握られているカイジャリへ顔を向け発言を促す。

 頷いたカイジャリが、ンフィーレアの襟を掴み、彼の意識を引き寄せると告げた。

 

「その老人について俺が教えやしょう、兄さんっ!」

「――あっ、カイジャリさんッ?!」

「身長は俺達と同じぐらいで、ンフィーの兄さんより低い。長い髪と髭は股間ぐらいまで伸びてましたよ。白い上等のコート……ローブを(まと)った感じの姿でしたね。杖も右手に持ってましたよ。そして――あれは人間でしたが、貫録が死の騎士(デス・ナイト)のアニキ達より上かもしれませんぜ」

「――っ! まさか……」

 

 そこまで聞いたンフィーレアは、伝え聞く一人の有名人の風貌を思いついていた。続けて名を口にする。

 

「もしかして、バハルス帝国の大魔法使いフールーダ・パラダイン老じゃないかな……でも……いや」

 

 帝国の一大要人が、この辺境の片田舎の小村へ来るという理由……。

 しかし、それが大魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウンに関するのなら十分にあると思えた。

 パラダイン老は、第6位階魔法の使い手であり、確かにこの村へ侵入出来ても不思議ではない実力者だ。

 並みの人物らでは、恐らく死の騎士(デス・ナイト)達や、目の前のカイジャリさんらゴブリン軍団に阻まれる事だろうと。

 

 ンフィーレアは相手が誰であっても、大好きなエンリを取り戻すつもりでいる。

 

 それが――目標であり尊敬し組織を率いると聞くアインズ・ウール・ゴウンであろうとも。

 ただ、今回の相手はバハルス帝国の権力者No.2である……。一組織ではなく、三大人類国家の一角が控えているのだ。

 でもこの若き天才薬師少年の、初恋の人エンリへの熱い想いがブレる事はない。

 

「――行こう。帝都でも帝国だろうと、エンリが助けを求めてるなら、僕はどこでも構わない!」

 

 ンフィーレアはアインズと握手を交わしているが、『エンリへの協力をよろしく頼む』という形でのみだ。救援に向かう行動に制限がある訳ではない。

 すると、少年の勇気溢れる言葉に周囲4名のゴブリン軍団の者達も賛同する。

 彼等は密かに、人間の主のエンリには、異形種の御屋形(アインズ)様よりも人間の雄であるンフィーレア・バレアレの方が、跡継ぎが出来易くてお似合いと考えている者も多かった……。

 

「よく言ったっ、兄さん!」

「ンフィーの兄さん、俺達も乗るぜ!」

「助けに行きやしょうっ」

「おうとも! じゃあ、俺がちょっとリーダーへ言ってくる」

 

 ゴコウが入口の扉へ向かい開けようとした時、それよりも速く扉が外から開かれた。

 

 

「話は全部聞いたからっ。ンフィー君、みんなっ、私も行くっ! お姉ちゃんを助けないと」

 

 

 入口にはネムが、両腰に手を当て鼻息を荒くし仁王立ちしていた。

 アインズ様同様に『悪』を懲らしめるのだと。

 村が襲われて以降、小さい彼女もアインズから大事に守られつつも、自分達でも何とかしようと考えるように変わってきている。

 

「ネムさん! ―――あっ」

 

 ゴコウの視線と声に後ろへ振り向いたネムをはじめ、室内奥の全員が館の外へ注目する。

 ネムの立つ出入口の扉の後方、館の前庭をゴブリン軍団リーダーのジュゲムとシューリンガン、キュウメイ他3名がこちらへと歩いて来るのが見えた。

 村の中は、エンリの捜索で自警団のラッチモンが詰所に残る。夜となり道に篝火が立てられ、村人やブリタらは村近郊を、夜目の利くゴブリン兵らにより畑周辺とまだ対応が続いている。

 

「どうしました? ネムさんにンフィー兄さん、それにお前らも」

「実はエンリ救出に、東方の帝都へ行こうと――」

 

 ンフィーレアが率直に切り出す。

 情報を持ったカイジャリが生きて戻った事で、状況は一変した。ジュゲムらも交えて急遽、10分だけと共同生活館一階の大机にて作戦協議は進む。

 主人であるエンリを(さら)ったのが、東隣国の大魔法使いという話。残念ながらその凄さについてある程度知っているのは、この場でカイジャリとンフィーレアのみだ。

 ここで、ジュゲムは小鬼(ゴブリン)兵を1名、大森林内のエントマへ『カイジャリ生還と敵遭遇状況』の伝令として出す。但し、ナザリックを知らないンフィーレアが居るので「畑の連中へ」と経由させ秘密にしてだ。ゴブリン軍団は、あくまでもカルネ村指揮官エンリの配下であり独立した支配系統を持つ。だが、手厚く主人エンリの捜索もしてもらいナザリック傘下に入っている以上、通知の義務は守る。

 さて、帝都へ行くにはまず高速の移動手段として、ナザリックとのパイプを持ち副官的なネムが、死の騎士達に頼んで運んでもらう案を出して来た。

 彼等(デス・ナイト)も今はエンリ指揮下である。1体に5名乗せてもらえば、疲労しないし〈闇視(ダーク・ヴィジョン)〉と彼等の素早い巡行の動きなら3時間程で遠方の帝都まで着けると。

 だが問題は多い。まず帝都に小鬼(ゴブリン)達や死の騎士(デス・ナイト)達が入れるのか。次に、エンリの正確な居場所。そしてどうやって大魔法使いから奪い返すのか。

 でも行動派のンフィーレアは言い切る。

 

「まず行ってみないと。対応策は現地でも考えられるよ。だけど、こんな離れたところで首を捻ってるだけじゃ――エンリへ何も出来ない」

 

 今は夏。河川が有れば潜ってでも都市へは入れる。大魔法使いは魔法省が本拠地。大魔法使いは一人に対し、こちらは強力な死の騎士(デス・ナイト)達が3体いる。それらの事を少年は、サラリと並べた。

 堂々の意見のこれらには、ネムやジュゲム達も感心するのみだ。だからリーダーは言う。

 

「では、死の騎士(デス・ナイト)のアニキ達に話が通れば出発ということで」

「「「おおーーーっ!」」」

「任せて。ちょっと頼んでくる」

 

 交渉人(ネゴシエーター)ネムが、まだ少し足が付かない椅子から降りると館を飛び出していく。夜でも心配いらない。彼女にはLv.23の白きG(オードリー)が護衛として常に付いている……。

 少女は村の中央広場まで駆けて来る。

 そこには、巨大である剣と盾をもつ圧倒的な死の騎士(デス・ナイト)達が静かに3体立っていた。

 小さいネムは、まずルイス君へとその巨体の彼を見上げながら素直にお願いする。

 

「ルイス君、あのね、お姉ちゃんが隣の国の悪ーい魔法使いに捕まったみたいなの。助けに行きたいんだけど、心細いし少し遠いから連れて行って手伝ってくれる?」

 

 すると……彼から少し唸るように返事が返ってくる。

 

「オォ……ァァ……」

 

 それを聞いたネムは、にっこりする。

 

「ありがとう、ルイス君、大好き!」

 

 ネムは、死の騎士ルイスの巨剣フランベルジェを持つ太い腕へと躊躇なく抱き付く。この剣は、無念にも殺された、村の皆や父母の仇を討ってくれた業物である。怖いはずがないのは当然だ。

 

「……ァァ……」

 

 少し彼が照れている様に見えるのは、気の所為ではないだろう。

 ネムは他の2体にも其々きちんとお願いする。

 すると、「オ……ァァァ……」「オォ……ァァォ……」とどちらも協力の意を示してくれた。恐らく日頃からエンリが、アンデッドとして嫌うことなく対等に、そして指揮官として道理を通し丁寧に接していたからだろう。

 それはネムにも言えた。だから、困ったときに手伝ってくれようとしているのだ。

 アインズが生み出した彼等は、元スレイン法国の騎士でもある。その残滓なのか結構プライドが高く、ゴブリン軍団の言は全く聞くことはない。

 あと、ネムもアインズの配下として認められていることもある。そして、ナザリックの大宴会ですべてを目撃したルイスから、彼女がアルベドやニグレド、恐怖公にプレアデスの方々からの覚えがめでたいとも聞いている。

 シモベとして――無下には出来ない()()()()()もあった……。

 

 ネムが死の騎士(デス・ナイト)達と交渉している間に、ンフィーレアは自警団のラッチモンへエンリの誘拐時の状況経緯を話し、奪還の為に帝都へ乗り込むことを伝えた。夜中に村が随分手薄となるので彼に、この場へ不在のブリタには念の為、村に残っていてもらう事の伝言も頼む。

 頷いたラッチモンはその場で少年に告げる。

 

「うむ、若いな。羨ましく思う。だが偉大なあの方もいる。無理はせんことだ。生きていてこそという事も忘れるな」

「はい」

 

 一礼し詰所からンフィーレアが戻って来ると、共同生活館の前庭で準備が整っていた。

 死の騎士(デス・ナイト)達3体と、ジュゲム以下完全武装した13名の小鬼(ゴブリン)達にネムが、携帯食や布も詰めた鞄を幾つか抱え出撃を待っている。

 そうしていよいよ、ンフィーレア達が――死の騎士へと乗り込む。

 まず死の騎士達は巨大な剣と盾を持つ故に両腕を曲げているのでそこへ一人ずつ腰掛ける。次に両肩に一人ずつ乗り、最後は兜へ1名しがみ付く形で5名乗るのだ。

 ネムが死の騎士(デス・ナイト)へ頭を下げて、その珍妙な乗り方を飲ませていた……。

 

「じゃあ、お願いっ。出発―っ!」

 

 ネムの声に、死の騎士(デス・ナイト)達が地を滑るように動き出す。凄い速さで村内を駆け抜け砦の正門を潜る。

 だが、その村の門から出て間もなく、不意の情景がンフィーレア達には見えた。

 空から1体のモンスターが現れ道の先へ降りて来たのだ……。

 

「――っ! みんな、止まってっ!」

 

 ()()の存在を一応知るネムの声の前後で死の騎士(デス・ナイト)達も制動を掛けた。

 思わず小鬼(ゴブリン)らは、乗る巨体へしがみ付きながら固まる。目の前に降り立った怪物から、強大な戦闘力が漏れていたからだ。

 

 それは蒼い馬に乗った禍々しい姿を持つ騎士の上位アンデッド、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)

 

 レベルは実に58である。幸い、彼はまだ腰の剣を抜いてはいない。

 ここ数日の指揮権をエントマが預かる彼等の任務の最優先事項は、ンフィーレア・バレアレを守る事である。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)から、ンフィーレアら一行へ向け警告風に声が響く。

 

「コオォォォーーーー……」

「オオオォォォアァァァーーーー」

 

 それに対して、兜部分にネムが乗り先頭に立つ死の騎士(デス・ナイト)のルイスが真摯に答えた。

 ンフィーレアには、恐るべきアンデッド達である彼等が、一体何を言っているのかまるで分からない……。

 その会話のやり取りが「クォォ……コォォーーーー」「オォォ……アァァ……オォォー」と続く中でネムの声で妥協案が割り込む。

 

「あの。じゃあ、貴方も一緒に傍で守っててほしいけど……だめ?」

「……」

 

 怯えることなく、首をカタンと右へ可愛く倒しつつ尋ねる交渉人(ネゴシエーター)の少女の言葉に、蒼い馬へ乗った騎士は一時沈黙する。そして……。

 

「…………コァァ……」

 

 大人の事情も少なからずあるのだろうか……彼は、ネムの言葉に同意した。

 

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の受けている命は、確か『ンフィーレア・バレアレを守る事』へ付随してのカルネ村防衛である。なのでそれは、カルネ村へ薬師の少年を閉じ込めることではないのだ。

 少年が移動した場合、そこが守る場所となっても命令へは一向に反しない。

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は残りの2体へ村の防衛を頼みに行くと戻って来た。

 

 

 こうして、ネムの言で新たなる過剰戦力を加え、ンフィーレア一行は帝都を目指し始める――。

 

 

 ただ、このあとネムは、ンフィーレアへ蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)の存在がバレて、その言い訳をするのが大変であったけれど……。

 

 

 

 

 

 アインズと共に帝国へと〈転移門(ゲート)〉を潜り移動して来たメンバーは、まずアウラとその精鋭のシモベ達10体とプラス1体。そして――デミウルゴスと嫉妬、強欲、憤怒の三魔将達6体である。

 

 バハルス帝国が、この新世界の地上より完全消滅するには十分すぎる程の戦力といえる……。

 

 ただ、デミウルゴスは丁度良い機会として、バハルス帝国の調査に来ただけであった。三魔将達は彼の護衛だ。元々初期の地理調査で、東方を担当していたデミウルゴスがついでにと御方へ申し出て同行をアインズが許した形だ。

 デミウルゴスの同行に、アウラが少し残念そうにする。

 

「もう。ちょっと、デミウルゴス。折角アインズ様と二人っきりかと思ったんだけどぉ……?」

「悪いね。でも、私が居なくてもシモベ達はいるんじゃないのかね?」

「みんな、あたしの邪魔はしないわよ」

「そうかね。だが、これは仕事だよ。割り切ってくれたまえ」

「はいはい」

 

 正直アインズは、もし帝国の戦力が単に王国と数倍程度で比すレベルであるならば、自身だけでも過剰戦力だと考えていた。とはいえ、流石に未踏の国家へ護衛無しでは油断しすぎであり危険が大きいと判断する。そのため、ニグレドがエンリを見つけてくれた事もあり、トブの大森林の中から周辺探査してくれていたアウラを〈伝言(メッセージ)〉で護衛にと呼び戻していた。

 ただこの時、喜び勇むアウラはエントマへ「あたしはアインズ様にナザリックへ呼ばれたから戻るね」とだけしか伝えていない……。忠実な配下として、すでに敬愛する主の命へ注意が全力で向いていたから。

 またその際にアウラは、アインズに会いたいというハムスケも、()()()()()として主の了承をとって連れて来る。

 ハムスケは、ナザリック地上中央霊廟正面入口前にてアインズとの再会を果たし、巨体を細かく軽快に揺らしはしゃぐ。

 

「殿、嬉しいでござる。某、頑張るでござるよっ」

「うむ。まあ今回、お前でも活躍の場も少しはあるだろう」

 

 Lv.30台程度であるが、アインズの予想で今回のエンリ誘拐に関し、制裁を与える相手は大したことのない者と考えている。なぜならば、カルネ村で最重要人物のンフィーレアでなく、若く可愛い笑顔の娘のエンリを攫ったことからだ。

 カルネ村に住む既婚者も含む若めの女達を見て回れば、エンリが多分一番に目につく娘である。

 日頃から偶に、カルネ村へと行商人が幾人か来ていたとの報告を受けている。その中に、こっそり女達の値踏みをし、目星を付けた悪徳者もいたのだろうと。辺境の小村から村娘が一人ぐらい居なくなっても騒ぎはしれていて、そのうち未解決で忘れ去られていくのが現実なのだ。

 支配者的には、恐らくLv.15以下の手慣れた帝国内に居を構える裏社会の人攫い集団辺りではと想像している。王国では奴隷を禁止しているし、隣の帝国なら奴隷制も生きており、余計に足は付きにくいだろう。また、220キロという距離を短時間で移動していた点も『移動アイテム』があれば十分可能だ。

 なので、その程度の組織連中ならハムスケでも、敵の手下ら相手に十分と主は判断した。

 ただその狼藉者達を倒す前に、アインズは大問題を解決しなければいけないのであるっ。

 

 さて、エンリの()()()()も概ね特定し救援の為、帝国の中心都市へと一気に乗り込んだかにみえたアインズ一行。

 しかし、実は大都市外縁部にある()()()()の敷地外(そば)の緑地群森林内にまだ潜んでいた。

 先程から3分ほど、御方達はこの場より防御対策しつつ〈千里眼(クレアボヤンス)〉と〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を使い闘いの様子を窺っている。

 エンリの呼び出した小鬼(ゴブリン)の軍団は、なんと最早5000体に迫ろうとしていた……。

 その近くに対峙する、統一された制服装備を纏う100名程の魔法詠唱者の集団も確認する。彼等は恐らく帝国の正規部隊の一部に思われた。

 ここで直ぐに支配者が手を出せば『アインズ・ウール・ゴウン』の名がバハルス帝国中へどういう形で広がるのかは目に見えるようだ。

 

 

 確かに、すぐ絶大に『名声』は得られるだろうなと思う――ただし悪名として。

 

 

 それはあっという間に王国へも広がってしまう事だろう。そこまで進めば容易に取り返しはつかないはずだ。

 故に絶対的支配者は正直、次の一手を打ちあぐねていた。

 そして、その思いは表立って言えずにいる。

 

「うむ。少し……様子を見る」

「分かりました、アインズ様」

「賢明なご判断かと」

 

 アウラは兎も角、意外にもこの行動にデミウルゴスが微笑みを浮かべ賛同してくれていた。

 よく分からないが、アインズは「悪くはないのだ」と思う事にする。

 そうしていると丸眼鏡を僅かに押し上げつつ、最上位悪魔の忠臣が告げてくる。

 

「それでは、アインズ様。私は少々都市と周辺を調べて参ります」

「うむ」

 

 主は何食わぬ雰囲気で、悠然と配下の彼を送り出す。

 デミウルゴスは、恭しく左手を曲げ腹部に添え一礼すると数歩下がり、そのまま三魔将達と姿を消した。

 アインズは、プレッシャーが少し下がった気がしている。表裏に卓越したナザリックの参謀ともいえるデミウルゴスへ、醜態は見せられないとの考えがあった。

 だがすでに、ここへ出発する前のナザリックの地上にて、本日午後9時の王城での予定をアウラとデミウルゴス達に告げてしまっていた。

 時刻はもう午後7時半を過ぎ掛けている。

 優秀な配下の彼の事、多分1時間もすれば戻って来るだろう。

 

(あぁ、デミウルゴスが戻ってくるまでに何とかしなくちゃ……無能と思われかねないしなぁ)

 

 もう汗など出ない身なれど、アインズはふと白金の輝きを持つ頭蓋の額へと手を当てていた。

 

 

 

 アインズの下を離れたデミウルゴスであるが、真の目的は帝都周辺の調査――ではない。

 ナザリック至上主義にして、配下最高の頭脳を持ち沈着冷静の彼であるが、主の前で興奮を隠すのが大変であった。

 3日前に第七階層の『赤熱神殿』にて、至高の御方より、帝国へ対し「――何か布石を打つか」という要望らしき話を伺い、同階層守護者は色々策や布石をと考えていた矢先――。

 

 

 アインズ様配下の(エンリ)が、既に鮮やかな利きを見せていた……。

 

 

 デミウルゴスがこの地へ同行したのは、表の目的である帝都アーウィンタールを最速で精密調査しつつ、裏の本題であるアインズ様の奥深きお手並みをお傍で直接学ぼうとしていたのだっ。

 

 罠的な隙を作り、まんまと相手を呼び込んで、弱みを生成しそれを元に完全に打ち砕くっ!

 

「アインズ様の……これは、なんと素晴らしき一手でしょうか。流石でございますっ!!」

 

 忠臣は帝都上空で思わず叫んでいた。

 この状況の実現まで、たったの3日に過ぎない。

 デミウルゴスは、主の才に当初、愕然としたほどだ。

 

 物事への大半の判断は――その『結果』である。

 

 『愚か者(バハルス帝国)』は、御方の餌へと盛大に食い付いている状況。栄光あるナザリックに連なる者への攻撃は全力で対応するのみ。

 配下の拉致についてこの国の弁解の余地はナイのだ。

 正義は(ナザリック)にあり。

 

 

(ふふふ、討ち滅ぼすも属国にするも牧場にするも何の障害もありませんね)

 

 

 そこまでの攻撃性は、さすがナザリックの大悪魔と言えた。

 デミウルゴスは、至高の御方の次の輝ける一手を今か今かと楽しみにしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. その者、元黒服の男につき

 

 

 曇天の中、ぱらぱらと小雨が降る。

 随分前に日が昇った午前の砂利道を、一台の馬車を先頭近くに2名の馬へ乗った騎士が先導する形で、荷馬車と歩兵30名ほどを連れた隊列は東の王都へと向けて粛々と進む。最後尾近くにも騎士が一人騎乗し続いていた。

 それは、王都リ・エスティーゼへと竜軍団討伐戦の集結の場に向かう地方貴族の一団であった。

 国王の厳命であり、拒否は出来ないために渋々の出陣となっている。

 運よくこの家の当主は、先日の王城での舞踏会で一夜の女遊びへ金貨80枚を使わずにいたのでそれを戦費の足しに出来たという……。

 しかしその隊の進行が突如止まった。

 隊列の前に、一人の男が道を『通せん坊』する形で立ち尽くしていたためだ。

 先導する騎馬のうち右側の騎士がその男へと厳しく告げる。

 

「冒険者よ、脇へ寄れ。これは男爵様の隊列であるぞっ」

 

 そう、道に立つ男は冒険者の姿をしていた。

 彼は大都市リ・ロベルにて元ミスリル級冒険者であった()()()である。

 冒険者は騎士の言葉を無視し、腰の剣を抜くと騎馬の騎士へいきなり斬り掛かっていく――。

 

 襲って来た冒険者はとても強く、あっという間に騎馬の騎士からの攻撃をいなして切り込み、二騎士を打ち倒していった。

 それを見た馬車の御者や槍を握る歩兵の半数が武器を投げ捨てて周囲へと逃げ出す。

 ただ、この酷い状況下の中でも後方の騎士だけは、「逃げるなぁぁーーーっ、槍を構えよっ」と冷静に命令を叫ぶ。その声に残った歩兵達が従った。

 そこからは6名一組のリーチのある槍の部隊3つに囲まれ、指揮する騎士も少し腕が立ちゴドウは手こずる。

 

「クソッ。俺はこの数年で、随分と怠けていたようだな……」

 

 昔よりも身体が全然動かず、この場の苦戦を痛感していた。

 ところが数分の間が過ぎ、馬車の中で外の様子を見て震えていたフューリス男爵は、じっとしてればいいものを『逃げ出す好機』だとして側面の扉を開け外へと飛び出したのだ。

 このタイミングが最悪といえた。

 何とか槍兵を2名討ったが攻めあぐんでいたゴドウは、護衛のいない男爵を視界に捉えると軽快に走り出す。

 すると「いかんっ、御屋形様を守れーっ」と騎士は指示を出すしかなく、歩兵達と共に走り出す。

 それにより――整然とした陣形が大きくくずれていった。

 隊列はすぐに足の速さに従ったものとなる。

 それを見たゴドウはすぐさま反転し、槍兵一人一人を切り倒していき、8名程斬った途中で騎士をも打倒した。

 それを見た残りの槍兵達は、もうかなわないと背を向けて逃げ出していく……。

 

 砂利道から脇の畑の中へと逃げようとしたフューリス男爵だが……足元の泥に足を取られ派手にコケる。その拍子に足首を思い切り捻挫していた。

 普段から何も鍛えていない彼の軟弱さがここへきて炸裂した形だ。

 返り血で装備が染まる冒険者の男に追いつかれると、泥へ塗れるフューリス男爵は仰向けで後ろへ手を突きつつ後ずさりながら叫ぶ。

 

「お前は誰だっ。知らんぞ。私はフューリス。間違いじゃないのか?!」

 

 するとゴドウは、剣を振り上げつつ口許をニヤつかせて伝える。

 

「あの時は瀕死で川に落ちて意識が曖昧だったがな、俺はまだ覚えているぜ。昔、法国からの特殊部隊の奴らに殺され掛けた時に奴らが言ったんだ。フューリス男爵――アンタから頼まれたってな。だからここでコロシテおかねえと」

 

 よく考えれば矛盾だらけの話のはずである。

 しかし、ここ10日ほどは残るがその前の数年分の記憶の多くはゴッソリ無く(知識は残ったが過程が不明)、その昔に森で襲われ告げられた部分だけが強烈に記憶へ焼き込まれていた……。

 

 そして『殺される前に今度はこちらからヤル』と決めていた事をニセの記憶で思い出していた。

 

 仇の行動の詳細情報は、『トラトラトラ』ではなく、『ニョッコニョッコニョッコ』という三度繰り返しの合言葉を話す八本指系列の者が伝えに来るとも()()()()()

 

「や、やめろっ。死にたくない! 金を払うからっ。な、金貨100枚でどう――」

 

 ゴドウは、突如背中から衝撃を受けるも、そのまま金で命乞いをするフューリスへ構わず剣を斜めに振り下ろした。

 

「ぎゃああぁぁぁあぁぁーーーーっ!!」

 

 ただ熱いと思える激痛に男爵は声をあげる。

 暗殺者の手元が、衝撃で体勢と共に狂ったため男爵の首ではなく、右腕が肩から離れて泥の道へと転がった。

 その光景を見たあとにゴドウは、己の胸から突き出した剣先に目を落とす。

 どうやら、とどめをさしきっていなかった騎士が起きあがり、最後の渾身の力で背中へ突きを放ってきた様子。

 元冒険者は後ろから倒れ込んできた騎士と共に、やや斜めに前のめりで倒れていくと男爵がもがく横の泥道へと突っ伏す。

 横へ向けた彼の顔の目には最早、力が感じられない。

 胸元からは大量の血が流れ出していく。

 

「俺は……なんでヤツを必死に殺そうとしたんだ? あ……、情報をくれた……赤毛で黒服のねえちゃんに報告がまだだぜ……まあいいか……」

 

 意識は混濁的状態に陥り、記憶が余計に曖昧となった。

 ゴドウは、そのまま夏のぬるい雨に濡れる地面で動かなくなる。

 雨は徐々に強さを増していく。まるで地表へ撒かれた血をすべて押し流そうとするかのように。

 周囲へ逃げ散った歩兵が、数名戻って来た。

 

 フューリス男爵は大量の血を流すも、まだしぶとく生き残った。

 

 でもそれは、運の悪い……更なる苦しみを受ける為だけではないだろうか。

 壮絶な死への恐怖心だけが男爵の胸に刻まれていく……。

 わがままな彼の心に生への黒い狂気が広がり始めた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 突撃のニグン2(進撃ではない)

 

 

 あの尊厳を根こそぎ奪われ囚われた屈辱が……いつしか喜びに変わる事もあるのだろうか。

 最近、彼の顔には笑顔が多く浮かぶ。それは些か傲慢で歪み気味にだ。

 少し幸運を掴みつつある男の名は――元陽光聖典隊長、ニグン・グリッド・ルーイン。

 先の監獄での修羅場を凌ぎ、彼の図太い精神は再び調子に乗り始めていた……。

 

(くくくっ。どうだ、今日も生き残ったぞ。それは当然、私程の者だからだっ!)

 

 人なるものは、命が助かり衣服や食事に寝床が整えば、欲が出てくるものらしい。

 彼の場合、特に性欲が。

 支援隊ながら隊長職にも据え置かれ、恵まれたニグンは少しずつ全てが自分へ都合のいいように解釈し始めていく……。

 

 

 

 本日も、旧陽光聖典で現『エントマ部隊』支援隊所属の隊員達は、闘技場の地上建屋内の会議室で『講義』を受ける。

 その冒頭は必ず、教育係も兼ねる美人で可愛い部隊長のエントマにより、この『組織』における最も大切な思考と行動への訓示から始まる。

 

「いいですかぁ、皆さん。〝全てはアインズ様の御為に〟ですぅ。これを忘れたり、怠ったり、破ったりしたらぁまた暗い監獄へ入って貰ってガジガジも追加しちゃいますよぉ」

「「「「……(ヒィィィーー!)」」」」

 

 あの心の折れた暗闇で、記憶へ染み込んだ地獄の経験は、簡単に払える物ではない。

 隊員にとってエントマは、監獄の番人にして『声の女』であった。彼女の声は、彼等へ絶対的に響くものと変わっている。

 精神的に屈服していた隊員達の多くは、徐々に『教育』を素直に受け入れて始める。内容は、おもに『この組織に存在する施設や人材は、全てアインズ様の物。そして常時、全員がアインズ様の御為に命を賭して働く』という内容である。

 それは、人として付いていけない下劣なニグン隊長ではなく、髪質が少し変わっているが、身近で接する憧れの美しい乙女、エントマ部隊長の為にという部分もあった。

 その彼女が、ニグンの顔面へ強烈なビンタを炸裂させた初のスキンシップから早1週間――。

 『エントマ部隊』支援隊隊員へ対する、闘技場への軟禁状態は依然続いている。

 

 彼等がナザリックの元敵兵という事実は、()()()()において小さい事ではない。

 

 許されたとはいえ、人間でもあり立場的に直ぐ組織の中でデカい面は許されないのだ。

 当初から裏で拷問官のニューロニストにより、「うふふふ、対象は極限へ追い込んだ後が肝心。徹底した再教育が必要よん」と判断されていた。隊員達の教育はそのカリキュラムに従っている。

 なお『講義』の内容には、まだ『組織』の全体像などの具体的内容は含まれない。それと並行して『個の利益についての考えの全否定』、『集団主義の徹底』もしつこく植え付けていく。この措置は、彼等が反乱要素を多分に含む隊員であるためだ。勿論、『偉大なるアインズ様の御為に死ぬ事が最大の名誉』であるという教えも続く。この世界は『力ある者を崇める事』は自然といえるので、屈服した状況から各自の心の土壌は整いつつあり、彼等は行き場の無い己の立場も理解し粛々と教えを受け入れていった……。

 その中で、ニグンだけが異様に高いポジティブさを誇っている。彼は確かに、何かモノが違うのかも知れない。

 

(はははっ、私には強運があるっ。流石は私だ。その事を神に……アインズ様に感謝したい!)

 

 自画自賛の精神は健在ながら、国を捨て去ったニグンの中において、嘗ての神々しく眩しい光に包まれ崇めた神のビジョンは、今や奇異な仮面を付けた漆黒の魔法詠唱者のものにすっかり変わっている。

 仕える主が身体能力だけの戦闘馬鹿ではなく、絶大の力を持つ偉大なる魔法詠唱者(マジック・キャスター)という状況は非常に安心出来た。何故ならこの組織に於いては、魔法を使う者がのし上がれる環境を持つという最大の証明であるからだ。

 尊き『盟主』への忠誠心が、日々高まっていくのを彼自身が感じている。

 アインズ側としては、特にアイテムや魔法での洗脳などしていないのだが……。

 この地が秘密結社『ズーラーノーン』の施設と信じ、『エントマ部隊』より上の肩書きは知らないニグンであったが、とりあえず支援隊長の地位には十分上を狙える位置だと満足している。

 部隊長から釘を刺されているが、捨て駒となる配下達も居た。

 

(くくくっ、我らが〝組織〟と盟主様は、第7位階魔法を行使出来た威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)ですらものともされないのだっ。直に世界は、スレイン法国も含めて盟主様のものとなるだろう。そうなれば――活躍次第で、端の小国ぐらいはきっと私のモノに。……その時こそ、女どもを自由に食い放題だ。それまで少しの間は、まずコノ目の前に立つ小柄の部隊長をコッソリと使()()()()()我慢するか……御方の為、私は懸命に働くぞ。はははっ)

 

 ゲスな彼の自己中心的皮算用の野望は健在で、特に変わっていない。

 周囲を活用し、己の力で成り上がる者の何が悪いのかと。運も含めて全て個人の力なのだと。

 こうしてニグンを筆頭に、支援隊全体の『盟主』へ従おうとする気運は、順調に高まる。

 ただ一つ、彼等は詮無き現実を心に持っていた。

 連日『講義』の中で見せる、エントマの可愛らしい声やポーズ。また変化が少なめの表情とその後ろ姿に浮かぶ(うなじ)、揺れる南方風のメイド系衣装の裾下からスラリとのびる若い素足も見せられていた。既にひと月程も女を抱いていない壮年の男達にすれば、部隊長は目の前にダラリとぶら下げられた『ネタ』である……。

 同時に、隊員達が彼女の『講義』により十分教えられた『組織の全てはアインズ様のもの』の一項により……目の前に立つ美人で可愛らしいエントマ自身も、『盟主様のもの』だということがイカガワシイ方向でも散々想像出来た。

 先日、ニグンからの「エントマ様も盟主様のものでしょうか?」との質問に対し、彼女が「その通りですぅ。私の命もぉ、あなた達の命もねぇ」と決定的な返事を伝えると、場に座る隊員の多くが溜息や唾をごくりと音をさせて飲み込む。アインズ様は、こんな可愛い部隊長の身体までも連夜好き勝手に出来る存在だという現実に……。そして彼等自身の生殺与奪すらも。

 『盟主』のその大きい権力に関し、隊員達はエントマの姿を見る度に思い知っている。

 

 しかし――エントマの件に限り、色欲旺盛な(ニグン)のみ納得していなかった。

 

(あの王国の小村近くの草原で我々は見た。盟主様は美しい天使様を含む3名もの美女を連れておられた……だから、コノ一人ぐらいは……イイハズ)

 

 ご都合主義にもほどがある。

 実に浅ましいニグンの考えがジワリと、彼の行動を支配し始めていた。

 

 

 

 エントマの『教育』は座学の講義だけではなく、闘技場の闘技エリアに移動し『彼女の支援隊』としての連携を確認する『訓練』も厳しく行われた。

 この時、隊員達はLv.51――難度153のエントマの恐るべき実力の一部分を知る。

 部隊長の乙女は、嘗てカルネ村の外の草原で『盟主』や3名の女性従者達が軽く見せた闘いに劣らない視認の難しい素速い動きを、人の体形のまま披露した。

 だがニグンらはここで支援部隊として、その部隊長の高速の動きに合わせなければならない。

 隊員全員がニグンの指揮で必死に食らいつく。何故なら、エントマは『出来るまで』鬼のように何時間でも続けたからだ。

 またエントマは時折、蟲を呼びつつ自身が(アグレッサー)として、5対44程度で支援隊のみの動きの対応も試した。因みに使う蟲は大きめのG達だ……。合間に第3位階魔法もニグンらへ平然とぶっ放す。

 彼女は、殺さないように急所は外して手加減をしているが行動と視線は冷たく、主以下、姉妹達や組織のNPCらへ向けるような『真心』は今のところ見られない。

 至高の御方からも「よろしく」と言われているだけに訓練は終始、怪我人も出る程の真剣なものだ。

 それだけに――支援隊の隊員達は、鬼教官エントマの見せる尊敬と恐怖すら感じる実力に、彼女へ対して時折ムラムラと(よこしま)な想いを目で向ける程度までに(とど)めていた。

 

 だがニグンは違う。それでもエントマを求めようと行動した。

 

 但し、彼も仲良くする足掛かりが全く掴めないでいた。講義の後に言葉で誘うがつれない態度の連続。残るはスキンシップのみと考えた。しかし講義と訓練を除くと、彼女が闘技場に居る時間は殆ど残らない。

 ゆえに狙うは、接近することが比較的多い訓練時間だろう。

 確かに、訓練任務上で相手の手や肩を掴むことが稀にあるかもしれない。だが、ニグンの彼女へのアプローチ回数は度を越して感じられた。

 それをエントマは全てサッと躱していく。

 普段、プレアデスの姉妹達や至高様からの接触であれば気にすることはしない。

 

 しかし、ニグンの彼女に対する手つきと指の動きは(いびつ)――如何にも下心の溢れるイヤラシイ雰囲気に染まっていた……。

 

 新しい配下として信用する形で、一週間前に一度は肩へのみ触れさせたが、二度目を与えるほど彼女は優しくない。

 ビンタを再度ヤツの顔面に打つ手もあるが、次は『壊れそう』なので彼女はずっと避ける事にしていた。

 

 この考えに対し、ニグンは――ヤツはなんと捨て身で突撃を慣行する。

 

 ここ数日、5時を前にすると鬼教官の「用があるからぁ、ここまでぇ」と切り上げる午後のキツイ『訓練』が今日も始まった。午後3時を過ぎ、エントマと支援隊の連携について、(アグレッサー)のG達相手に近接からの包囲殲滅を訓練する。混戦の中、ニグンは部隊長の傍へ寄った瞬間にGへ魔法を放つ振りをしつつ、〈空気破裂(エア・バースト)〉を己の近隣で炸裂させた。彼は、その衝撃に加え〈加速〉も使い、愛らしいエントマへ何とかどさくさの力任せで押し倒すべく抱き付いていく――。

 しかし……ニグンがエントマの側面後方から羽交い絞めを狙い迫るも、その結果はみえていた。

 

 

 「ホントにキモいからぁーーっ!」

 

 

 寄り付く害虫を払うが如く、その声と頬の叩かれる音が辺りへ響くと同時に、ニグンは闘技場の観客席上段に頭から突き刺さっていた……玉砕である(二回目)。

 『声の女』の不機嫌な大きめの声と状況に、隊員達はその場で凍り付く。

 前回のビンタは()()で打たれたが、今回は普通に平手で、更に手首の利き(スナップ)まで入っている。

 そのパワーから正に弾丸のような速度で、硬質石材製の観客席へと飛び込んでいた。

 無論、割れたのはニグンの額のみである。観客席は血に染まった――。

 

 それでも運よく、この男は首の捻挫と額の裂傷と大きなタンコブ程度で済む。

 ただ、角度で10度ほど首の(かし)いだ感じは暫く戻らなかったが……。

 魔法で傷を止血され、闘技場地下の自室の牢屋へ転がされたニグンは目が覚めると、闘技場地上建屋に用意された教官としてのエントマの執務室へと速攻で詫びを入れに行った。

 

「申し訳ありません、エントマ様。ですが、貴方のその若き美しさと可憐さに男として我慢出来なかったのです。毎夜うなされる程のこの私の熱い想いは――」

「もういいけどぉ。聞きたくないからぁ。以後、二度とないよう注意することぉ」

 

 下等な人間の雄如きに、熱く劣情されても彼女の心には全く届かない。

 エントマとしては、汚らわしく無礼である。

 普通なら問答無用でバリバリと食うところだ。

 しかし……大事でお優しい主から直々にも「よろしく」と『教育』を任されている以上、殺すことはやはり躊躇われた。もしかすると、殺した事情をお聞きになったアインズ様が「嫌な思いをさせてしまったな――スマナイ」と詫びの言葉を仰るかもしれない。偉大な至高の御方に、そのような尊い事を思わせるぐらいなら、この場は飲み込んだ方がいいと。

 なので、注意し早く場を切り上げる事にした。

 

「おお、エントマ様っ。なんと寛大なるお許し。私は感謝の気持ちで愛が――」

「――もう、下がっていいからぁ」

「はっ。ありがとうございます。では」

 

 ニグンは、体を深々と90度まで倒して一礼し退出する。

 しかし、無論――頭を下げた時、彼の顔に反省の色は見えない……。

 

(危ない危ない。首がモゲるところだったが、また私は助かり許されたぞ。流石は高い実力のある私だ。どうやらこの女――割ともう直ぐでモノに出来るかもしれないな、くくくっ)

 

 何か凄まじい勘違いのまま、『エントマ部隊』支援隊の隊長ニグンは上司の部屋を後にする。

 彼は、イヤラシく歪んだニヤケ顔で思い出す。ビンタを受けた瞬間、咄嗟で彼女へ懸命に伸ばしていたそのスキンシップ改め猥褻(わいせつ)目的の手が、僅かに可憐な双丘の胸へ(かす)っていたことを……その感触を……。

 地味に積み上がっていくこれらの薄い幸運達。

 

 だが、最後までこの男を生き残らせるのかは――全て彼の行動次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. VS(バーサス) 森の巨大魔樹

 

 

 トブの大森林中央から東北部への異変に気が付いたのは、木の妖精(ドライアード)達だけではなかった。

 巨大な魔物が枯れ木の森を出た辺りから、まず森の中に住む動物達が騒ぎ始める。そして次に、もっとも近い場所に暮らしていた蜥蜴人(リザードマン)の者達が、いつもの森とガラリと違う空気の異変を感じ取る。

 彼等は、枯れ木の森から直線距離でおよそ十数キロ離れた25キロ四方程の広さのある逆さ瓢箪型の湖の南端の湿地へ、5つほどに分れて集落群を構えて住んでいた。

 間もなく異変の元を調べに行った蜥蜴人の戦士達が戻ると、彼等の声帯を活かした甲高い擦過音が各集落の中へと響く。それは厳重警戒や避難を呼びかける水準のものであった。侵略や戦争、紛争等の対処が難しいもので、例えば稀に湖面上で発生する竜巻といった自然災害など通り過ぎるまでじっと潜んでおくしかない類のものも含む。

 魔樹は、本体の巨体と触手風に伸びる太い蔓の枝の重さと力で周辺を押しつぶしつつ、一部精気を吸い取りながら進んでいた。それにより進行速度も1時間に1キロ程度だが、その緩い速度でさえ彼らの村まではあと数時間分しか離れていない。今晩を経ずして最接近されるだろう。

 現状は直撃コースと違うが予断を許さず、最良でも2,3キロ南を東方面へ進むと思われた。このため、集落群は協力した緊急での対策が不可欠であった。

 

 魔樹の北方向への転進を少しでも防ぐために。

 

 けれどもここで色々と問題が存在した。

 元々この蜥蜴人(リザードマン)達の部族集落は長年の間、基本的にバラバラな自治をしている。

 でも、これほどの強敵である魔樹を相手とするには、力と歩調を合わせて互いの手が裏目にでないよう纏まった対応行動が早急に望まれた。

 ところが――数年前に7つ存在した部族が、5つになってしまうほどの部族間総力での激しい戦いがあり、その爪痕はまだ深く残っていた。戦いのきっかけは主食である魚の不漁。つまり食料不足であったから、なおさら依然として遺恨が残っている……。

 ただ結果的だが、激しい戦闘で2つの部族が瓦解して消え去るほど数が減った事で、戦いの直後から食糧不足は一気に解消されて平和へ戻り今日(こんにち)の現状がある。

 残っている5つの部族は、2つの部族を戦いで消し去った三部族連合の〝緑爪(グリーン・クロー)〟、〝小さき牙(スモール・ファング)〟、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟と、戦いに不参加だった2つの部族〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟である。旧三部族連合間以外では、互いに現在も交流がほぼない。

 特に〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟には、ほぼ壊滅した〝黄色の斑(イエロー・スペクトル)〟、〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟の部族の生き残りの者達が合流している形だ。

 それだけに嘗て同盟の形をとった〝緑爪(グリーン・クロー)〟、〝小さき牙(スモール・ファング)〟、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟は纏まり易いが、残りの2つである〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟とは溝があると言えた。

 しかし、三部族連合を率いた〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の中で、五部族連合を唱える者が登場する。

 

 元戦士で今は『旅人』のザリュース・シャシャだ。

 

 その二足歩行で、平均的体躯に全身が結構丈夫な鱗で覆われている蜥蜴顔の亜人の彼は、緊急招集で湖畔の杭上に建つ部族村最大の木造集会小屋へと集められ開かれた部族内会議の場にて、族長の兄であるシャースーリュー・シャシャへ対しその『驚くべき意見』を突き付けていた。

 それまでに出た意見の多くは『静観』である。その後で、ザリュースは意見を言わせて欲しいと希望し、族長の許しを得て発言していた。

 

「一時的でもいい、同盟だ。それも――全五部族でだ。合同部隊による魔物の誘導が必要なんだ」

「「「――っ!?」」」

 

 彼の言葉に多くの者が困惑した。

 ここには血筋ではなく、部族の実力者らが集っている。絶対権力者である族長の他、長老達や戦士階級の者、森祭司(ドルイド)の者らである祭司頭と祭司達、野伏(レンジャー)の者ら狩猟班だ。

 『旅人』というのは、ある意味特別であろう。一度部族とその権力を離れ外の世界へと旅立った者を指し、多くが帰らない中、戻って来た者は外の知識を持つ故に高く評価される。権力の外の者だが、一目置かれる存在である。

 

「いやぁ、それは無理だろう」

「そうだそうだ。組むなら〝小さき牙(スモール・ファング)〟、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟とだけでいいじゃないか」

「旧三部族連合以外の者らは信用出来ん」

 

 『旅人』の言葉へ否定的な意見が幾つも流れる。でもそれをザリュースは続けて即一蹴する。

 

「相手は山の如きバケモノと聞く。一歩足並みが乱れれば、我々は住処を追われるか、全滅する。生者達がこの地で生き続ける為に、過去へ拘っている場合じゃない――今こそ同種族で力を合わせるべきだと考えるが?」

「「「……」」」

 

 多くの者が、事の重大さに口を閉じた。

 万が一に自分の下手な意見次第で〝緑爪(グリーン・クロー)〟族だけでなく、この湖畔の全部族が消え去るかもしれないという話になっていたからだ。

 身長2メートル20センチを超えた圧巻の体格を誇る族長のシャースーリューは、弟のザリュースへ問う。

 

「お前の考えにも一理ある。だが……この難しい使者に、一体誰がなる?」

 

 言うのは容易いぞという厳しい視線も付けての事だ。身内であるがゆえに身贔屓は出来ない。

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族は兎も角、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族では、何をされるか分からない。実際、交流が無いため湖の狩場の範囲も明確には取り決めされておらず、先日も〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の狩猟班が〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の狩猟班と湖面上で偶然遭遇し、互いに無言の牽制をしあったという報告など一触即発の空気があるのだ。

 並みの者を行かせては足元を見られかねず、かといって族長が出向くわけにはいかない。

 族長のシャースーリューが室内を見回す。その鋭い視線を順に向けられるが、今ここで誰も手を上げる者はいない――いや一名いた。

 ザリュース自身が語る。

 

「もちろん、二部族へは俺が行こう。今は時間が無い。……あの戦いへも参加し、世界を見て来た旅人の自分に任せてほしい」

 

 力強い言葉とその決意の眼光に、周りの長老や戦士に祭司らが反論を言い出す事はなかった。

 族長は、周りの承諾も得られたとして弟へ告げる。

 

「ザリュース・シャシャよ。族長として命じる。〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟と一時的でも構わん。同盟を締結せよ」

「承りました」

 

 このあと、会議は〝小さき牙(スモール・ファング)〟族と〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族への使者を決め、魔樹の誘導を行う戦士をすぐに選抜する件などを話し、程なく終わる。

 部族内会議の閉会後、時間が無いためザリュースは兄へ二、三告げると直ぐに出発する。

 愛剣の『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』を確認しつつ、生け簀の傍で「ロロロ」と名を呼ぶ。すると脇の水辺の小屋から一体のモンスターが喜び勇んで現れた。

 それは5メートル程の巨体を持った4つの長い蛇首と四足獣の身体を持つ多頭水蛇(ヒュドラ)という種族のモンスターである。ただ本来の多頭水蛇は8つの頭を持つ。この個体は――奇形体で幼く棄てられていたのだ……。

 ザリュースは、ロロロがまだ小さい時に拾って育てていたので、ロロロは言葉を話せないが彼を親か兄の様に慕っていた。

 多頭水蛇へ跨ると彼は、湿地を駆けるように最大巡行速度を上回る速さで移動を開始し、最初の目的地として西の〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の集落を目指した。

 

 そうして2時間程が経過する。

 途中でザリュースも必死に泳いで急いだ事で、本来なら半日弱は掛かる土地へと到着する。

 ロロロと共に両者はかなりへばっていた……。肩で息をしつつ呼吸を整えながら周りを見回す。

 集落の周囲は、先端を尖らせた木の杭を張り巡らせたもので守っている様子が見えていた。湿地へ杭を打ち、その上へ小屋を作っていてそれが無数に並ぶ風景は〝緑爪(グリーン・クロー)〟族と大差はない。小屋の数は少ないが個々が大きいという差があるぐらいだ。

 『旅人』の彼は、まずここと一時的に同盟を結び、それを難敵の〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族へ示す形でこの難問を進めようと考えていた。

 4つの部族がこの難局で一時的でも纏まっている状況は、大きな判断材料になるはずなのだ。

 それだけに、ここ〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族との交渉は慎重に進めたいと考えていた。

 ただ時間だけが無かった。ロロロもかなり疲労しているがこの限界ペースで移動してもここから〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落へはあと1時間以上は掛かるはず。一刻も早く用件を済ませる必要もあった。

 彼は、背上よりロロロへ指示し集落の手前からわざと水音を立てつつ、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の戦士達の出方を窺う。戦いや敵意を向けられる前に、用件を伝えるつもりでいる。

 そうして集落の入口の門の傍まで来ると、ザリュースはロロロから降りる。次いで集落内から見慣れぬこちらの様子を窺う者らへ向かい堂々と声を掛けた。

 

「俺は〝緑爪(グリーン・クロー)〟族のザリュース・シャシャ。ここの族長殿と一族を代表して……いや、三部族連合の代表として、例の巨大な魔物の件で急ぎ話がしたいっ!」

 

 魔物という単語で、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の戦士達は顔を見合わせ何かを小声で話すと1名が村の奥へと一時消える。

 動きがあるなとザリュースはここで静観する。

 数分待っていると、集落の奥から捻れた杖を持つ歳を経た蜥蜴人(リザードマン)が現れた。その全身には白い塗料で紋様が書かれている。その者を守る形で数名の戦士と思われる者らも連れていた。

 

(祭司頭……か?)

 

 その者が堂々と待つザリュースへと伝えてくる。

 

「魔物という言葉で……用件は理解した。部族を纏め上げる者が会うそうだ。後へ続くが良い」

 

 老いた蜥蜴人の言葉に頷くと、ロロロには集落外のこの周辺にいるように手で合図する。

 ザリュースは先導する者達に続いて〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の集落の中へと入って行く。

 道すがら戦士達が立ち、ザリュースを警戒しているだろうと思っていたが、そういった様子は無く、大きめの立派な小屋へと通された。

 そこで祭司の者と数名の戦士達は下がっていく。

 ザリュースは、代表者の度量が広いなと感じる。権力者には臆病な者も多く、中々出来ない事であるからだ。

 入る際に「俺は〝緑爪(グリーン・クロー)〟族のザリュース・シャシャだ。入らせて頂く」と名乗ると、中から「どうぞ」という高めの小さい声が聞こえた。

 どうやら雄ではなく雌の模様。さらに入口からはツンと薬湯のような香りの空気が流れてきた。

 恐らく中年から老年の雌の蜥蜴人だろうと、中へ入って――彼は思わず目を見開いた。

 

 そこに居たのは――ただ真っ白き者。

 

 暗めの室内でも暗視能力を持つ目にはハッキリと見える。

 純白の鱗は美しく、傷一つない滑らかさを感じさせるスラリとした姿をしていた。

 つぶらな目はルビーの如き真紅。そのシルエットは明らかに雌。それも、全身の赤と黒の紋様から未婚の者ということが分かる。更に一目で若いと知れた。

 気が付けば、ザリュースの心に大きく何かが突き刺さって、身体が固まっていた……。

 そんな棒立ちの来客へ彼女は告げる。

 

「よく、いらっしゃいました。〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の()()()()を任されているクルシュ・ルールーです。まあまず、お座りください。堅苦しい会話は無しで率直に話しましょうか。……あら、かの四至宝の〝凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〟を持つ方にもこの身は異端のようですね?」

 

 間近で聞く声は、良く聞けば張りのある澄んだよい声である。

 アルビノ特有の自身の身体を気にするそぶりもなく彼女は微笑む。そもそも稀な存在だが、蜥蜴人でも目立つ上に平均よりも弱い体となる事が多く成体まで生き残る者が少ない。

 その彼女へ、急激に熱い想いの湧き起こるこの衝動は、ザリュースの一目惚れというもの。

 彼は、次の言葉に「結婚してくれ」と思わず言いそうになった。

 

 しかし――種族存亡の一刻を争う今はと、彼はここでそれを告げる気持ちをグッと飲み込んだ。

 

 ザリュースは、勧められてその場へ腰を下ろすと漸く話し出す。

 

「あ、いや、そんな事はない。では、普段の話し方で。お初にお目にかかる、俺はザリュース・シャシャだ。急の訪問で悪いが、例の魔物について五部族合同で対策すべきとここへ来させてもらった」

 

 前に座った雄の蜥蜴人の話を聞きつつもクルシュは、()に感じた。

 この白い身体を不気味がらない者はいないはずと思っているからだ。〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の中では、強い祭司の力によって真っ当に扱われているが、既に3年程も前から結婚適齢期を迎えていながら集落に百名居るどの雄もこれまで全く言い寄って来ないのだ……。

 陰口は揃いも揃って『白いのは弱さを呼び込む』、『白すぎて怖い』と。加えて強い祭司の力も特別さへ拍車を掛けていた。

 だからクルシュは「生涯独身かしらね、しょうがないかぁ」と、もうサバサバと諦め気味である。

 彼女が気になったのは、ザリュースの否定する文句だ。

 その言葉からは――族内の者達と違い、怯えが全く感じられなかったのだ。一体どういう事か。やはり『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』を持つ者は度胸が違うという事だろうかと。

 彼女は思考の隅でその事を考えつつも、今の部族の直面する問題へと向き合う。

 

「そうですか。つい先程の知らせでは、この集落の端から端までの長さの7倍ほど南の付近を通りそうだと聞いてますが」

「それは、魔物がこのまま方向を変えなければな。だが、そう言い切れるか?」

「――っ!」

 

 クルシュはザリュースの考えを理解する。

 万が一、一番西にある〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落が巨大な魔樹に襲われた場合、湖岸に沿って東へ進む可能性が濃厚だ。

 その時、この地の蜥蜴人の集落は5つとも壊滅する。さらに精気を吸い取るという話で、もし湖の魚達が纏めて餌食になった場合――近隣の蜥蜴人(リザードマン)の全部族は未曽有の大飢餓状態を経験する可能性が考えられた。

 おそらくは、そうならないかもしれない。

 だが、そうなるかもしれない。

 この場合、権力者はそうならないように最善の手を打つ責任があるのだ。

 クルシュは他に選択の余地なしとし口を開く。

 

「……分かりました。この件に関して、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族は三部族連合に協力しましょう」

 

 彼女の顔――それは、実際に修羅場を経験した者のみが出来る厳しい表情であった。彼等はあの三対二の部族戦争には参加していないはずなのに。

 ザリュースの思考は、それがどういった状況かと想像し始めて、真っ先に掠めた『飢餓に因る同族食い・内紛』が恐らく事実と気付き考えるのを即ヤメた。

 この部族に族長がいない今の状況に、それが現実なのだという事を無言で突き付けられて……。

 彼は一度目を閉じると、気持ちを入れ替えて再び目を開く。

 

「では、部族内で10名ほど魔物を誘導する者達の選抜を頼みたい。分かっていると思うが、魔物の前へ出るので我々同種族の為に、死ぬ可能性がある事は告げておく」

「了解したわ。すぐに人選を始めます」

「では選抜が終わり次第、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落の少し南で待つ形をお願いする。東の三部族からも向かって来ているはずなので、出会った際はこれを見せてやってくれ」

 

 ザリュースは、懐から掌程の長さの魚の木彫りを取り出しクルシュに手渡した。

 彼は出発前に兄のシャースーリューへこの事を伝えている。

 

「では、今から俺は〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落へ向かう。もしかすると三部族連合への協力が事実かどうかを確認に来るかも知れない。その時に事実だと伝えてほしい」

「……やっぱりこれから行くのね。あそこは〝力こそ全て〟という部族だけど、交渉できるのですか?」

「分かってる。全部族で最大の武力を持つと言われているな。でもやるしかない。それに、彼等も現状の考えは理解出来るはずだ。山ほどの巨体のバケモノに、村へ来てほしくないという事は」

 

 ザリュースはここでの用が済んだと立ち上がる。

 

「では、失礼する。あ、これだけは言わせてほしい。――協力してくれると言ってくれてありがとう。大きい希望と勇気を貰えたよ。後はよろしく頼みます、クルシュ・ルールー族長代理殿」

 

 クルシュの頭には、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族へ共について行った方が説得は容易いのではとの考えも(よぎ)る。でも、まず〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族を纏め戦士を選抜するのが先だと背を向けた彼を見送る。

 

「――はい」

 

 彼女は、平均的な蜥蜴人の体格であるザリュースの、その背中に大きな漢の姿を感じた。

 ここでクルシュは一つだけ贈り物をする。

 

「シャシャ殿、少し待って」

「え?」

「体力の回復を――〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉」

 

 ザリュースの体は淡い光に包まれる。同時に、全身からだるさが完全に消えた。

 

「おおっ、これは凄く助かる」

 

 外へ出たザリュースは、クルシュの小屋の傍で控えていた祭司と戦士達に再び付き添われて村の外まで見送られた。彼は、ロロロと湿地の深めのところで合流すると、再び全力で西を目指し進み始める。

 

 

 

 

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の集落を後にしてから1時間と少しが過ぎた頃、湿地をロロロに乗って急ぎ駆けるザリュースの視線の先に、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落が見えてくる。そこで彼は「さて、どうなるか」と呟くも進む足を止めない。

 それよりも、腰に下げる剣の柄を一度掴み確認する。

 

 愛用する牙が凍った風で4つに枝分かれした魔法剣『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』――これは元々、数年前の戦いの際、〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長を討ち取った強者である誇りの証しとして引き継ぎ持つ剣であった。

 

 今から分け入ろうとする〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落には〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の生き残りも40名近く暮らしていることだろう。

 一斉に取り囲まれれば、無事では済まない。しかしそれは、〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の集落を出た時から百も承知の事。

 ザリュースの接近に数多の戦士風の者達が気付き、村へ入る手前に号令も無く集まり始めた。流石は最大戦力を持ち勇ましいと聞く村だけの事はある。

 向こうからのアクションがあるかと思われる寸前で彼は止まると、声を周囲へと響く様に張り上げて叫ぶ。

 

「俺は、今回の魔物の件で、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の一時協力を含めた四部族連合の代表としてこの地に来たザリュース・シャシャだ。至急、族長に会わせてほしい!」

 

 魔物の件と『四部族連合』の言葉に、戦士達が少しざわつく。

 彼等のこの村でも当然、接近中の余りに巨大な魔物への対応を憂慮していた。加えて『四部族連合』という衝撃と威圧度の高い文句。

 そこへ、巨体のロロロがザリュースの為にと、4つの頭を上に向け大顎を開けると、周囲へと威圧の唸り声を上げてくれる。

 だが、その声をそよ風の如く受け流して、村の奥から巨体を誇る一体の蜥蜴人(リザードマン)が現れた。

 

「よく一人で来たじゃねぇか。流石は〝凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〟の持ち主よ」

 

 身長は2メートル30センチはあるだろう。そしてその右腕が筋肉で膨れ上がり、尋常ではない力の持ち主だということがはっきりと理解出来た。

 その表情は口が切り裂かれたのか大きく横まで裂けており、蜥蜴というよりはワニというべき厳つい顔をしている。

 だがザリュースが最も注目したのは、胸に押された焼き印だ。

 それは――ザリュース自身にもついている『旅人』になった者の証しであった……。

 ロロロに跨る彼は、目を細める。

 

(この者は外から戻って……)

 

 ザリュースの予想通りの言葉を、大柄の蜥蜴人(リザードマン)が告げる。

 

「俺が〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族長、ゼンベル・ググーだ。ゼンベルでかまわんぞ」

「お初にお目に掛かる。俺は……ザリュース・シャシャだ。用件は、例の魔樹に対しての五部族連合での対応だ」

「ほお、あとはウチだけということか」

 

 ゼンベルは耳が良いらしく、ザリュースの最初に叫んだ言葉が届いていたようだ。

 そうであれば話は早いとザリュースが協力の話を伝えようとしたとき、ゼンベルがそれを制する様に兆戦の言葉を先に叩き付けてきた。

 

「――なら、まず剣を握れ。共に戦うに相応しいかその力を皆へ示してもらおうか。俺らが信じるのは強者のみ」

「……(言葉での説得は無理か)分かりやすい判断だ。ならば俺は力を示すしかないな」

 

 訪問者の周囲を戦士達や祭司の者らが半包囲に囲う、敵陣のど真ん中といっても差しつかえのない状況。そこへ堂々と立っているだけでも、十分に度胸のある者だと知れる。

 誰であれ真の強者には敬意を払う。それは、この種族の本能的文化とも言えるだろう。

 

「ふふ、怯みがまるでないか。見事な使者殿だ。伊達に四至宝の一つの所有者じゃねぇな。勿論、相手は――俺がする。付いてくるがいい」

 

 族長のゼンベルが、差しの戦いの場へと集落の大通りを進み案内する。

 こうなれば、部族の者は誰も横から勝手にザリュースへ手を出すことは出来ない。

 それは卑怯者のすることで、もうこの集落にはいられない事を意味するのだ。

 ザリュースはロロロから降りて、再び深めの湿地で待つように手で指示すると、ただ身一つで集落へと足を踏み入れていく。

 当然の如く多くの鋭い視線が突き刺さる。数年前のあの凄惨な戦いの随分前から、この村へ単身で〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の者が入った話を聞かない。

 でも今は、そんな過去など脇へ置いておく。五部族全部の命運が尽きるかもしれない魔物へ足並みを揃えなければならないのだ。

 ゼンベルが足を止めたのは集落の中央にある湿地の集会広場と言える場所。楕円風で、狭い部分でも30メートルはあるだろう。その地へ間もなく人垣で円陣が出来上がる。直径で20メートル程あるだろうか。

 勝たなければ、生きて出られないだろう決闘場が出来上がる。

 ワニ顔の族長が3メートル程の長さの槍、石斧状の部分も付くハルバートを配下から渡され、太い右腕へ握ると尋ねてきた。

 

「さて、準備に不足は有るか?」

「ないな。開始の号令を頼む。あ、大怪我をさせるのが目的ではないんだが?」

 

 両者はまるで酒の席での会話のような雰囲気に、周囲の者の方が緊張で固まっていた。

 そんなザリュースの言葉に、じゃあという感じでゼンベルは返す。

 

「ふん、では俺に負けだと認めさせろ。周りの者らはよく聞け! もし、俺がここで死んだら、こいつがその瞬間から族長だ、忘れるな!」

 

 族長としての厳命を聞き、戦いを前にざわついていた周囲の者達は押し黙る。

 その決意にザリュースも伝える。

 

「俺は絶対に死ぬつもりはない。だが、もし俺が死んだ時は、魔物も含め好きにするがいい。それと、この〝凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)〟はゼンベル殿のものだ」

 

 雄と雄の決闘の宣言と言える。

 これで、もはや誰にも汚すことは出来ない。

 二人は円陣の中央付近で向かい対峙する。体格差は190センチ程の平均サイズのザリュースと比べ大人と子供程の差が見て取れた。

 ゼンベルは戦士頭へと視線を向ける。

 すると、その者が手を上げて「始めっ!」と叫んだ。

 

 互いの得意手が不明のため、数合は探り合いという感じに進む。

 腰のいびつな斧にも見える愛剣を抜いたザリュースが間合いを詰めたところで、ゼンベルがリーチの長いハルバートを振るう。

 その次の段階としてザリュースが踏み込むと、ゼンベルがハルバートを鋭くぶつけて来た。

 巨大といえる右腕から発せられたその凄まじいパワーで、ザリュースは強い衝撃により数メートル軽々と飛ばされた。

 ゼンベル優位の状況に周囲の円陣が湧く。

 だが、受けたザリュースは全然違う考えをしていた。

 

(なんだ……これは? 弱い? ……いや油断を誘っているのか)

 

 そんな思考の途中で、ゼンベルが尋ねてくる。

 

「まだ、その剣の力を使わねぇのか?」

「――っ!」

 

 族長の言葉で、ザリュースは気付く。この目前の雄は『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の能力を知っていると。

 続けて、ゼンベルの方からその事実をあっさりとバラしてきた。

 

「俺は昔、その剣を持っていた奴に負けたんだよ。この左手の有り様はその時の傷だ。それから俺は旅に出たのさ」

 

 ゼンベルの左手の太い指はその二本が欠落していた。

 

「……そうだったのか」

 

 相手は同じ〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長であったはず。

 ザリュースが先の戦いの中で勝てたのは、混戦の終盤で〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長が、すでに一日に3回使える『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の能力を使い切っていたことが大きい。あの強大な力がザリュースと戦った時に残っていれば、死んでいたのはどちらであったか……。

 つまり、この剣の全開能力と戦った事がある戦士と今、ザリュースは向き合っているのだ。リーチの長いハルバートを持つ意味にも頷ける。

 だが、ザリュースも旅人として昔とは戦士としての水準を随分と上げている。

 そう思い彼は、憶することなくゼンベルの懐へと先程よりも速い身の熟しで踏み入り剣の一撃を振るおうとした。

 しかし――それをゼンベルは待っていた。

 ザリュースは、ソノ攻撃を右手で握る剣へ左手を刃面に添える形で受ける。

 ゼンベルは右手に握っていたハルバートをすでに手放し、太い右腕の手刀を震脚と腰の力強い捻り込みも上乗せし力強く突き込んで放ってきた。それは受けなど関係ないとお構いなしにだっ。

 丈夫な『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』がへし折れるかという側面への衝撃の直後、威力を不用意でまともに受けたザリュースは弾丸の如く飛ばされる。

 円陣の人垣の上を飛び越えて、その後方の湿地帯の抵抗の大きい路面を20メートル程転がる。

 

「ぐっ、何てパワーだ」

 

 ゼンベルは戦士ではなく、修行僧(モンク)だったのだ。

 ザリュースは受け身から立ち上がると、湿地を軽快に走り円陣を飛び越え決闘場へと戻る。

 その様子を腰の低い構えのまま、両の手を閉じたり開いたりしながらゼンベルは悠々と待つ。まるで、手応えが不十分だったことですぐ戻ってくることが分かっていたかのようだ。

 

「さあ、仕切り直しだ。ここから本番だぜ」

「凄い手刀だな」

「こおぉぉぉおおおお!」

 

 ザリュースの言葉へ、ゼンベルは息を長めに吐き出し、凄まじい手刀の攻撃で応える。

 不意を付けたと思った一撃をザリュースが剣で受け切ったからだ。加えて、部族内の他の者なら、今の一撃で昏倒していてもおかしくない衝撃のはずであった。現に、ザリュースの身体は飛んで行ったぐらいなのだから。

 鋭い手刀は肉体も含め鍛錬により〈アイアン・ナチュラル・ウェポン〉で、硬質化もされその硬度は鋼鉄に近付く。最高の熟練者にもなれば、アダマンタイトの鎧がへしゃげるとも言われている。

 ゼンベルの剛力で鋭い手刀の攻撃をザリュースはなんとか『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』でいなし流し、体勢を崩さない範囲で耐える、耐えて、耐えた。

 双方二十合以上を交え、間合いを取って睨み合う。

 互いの剣と手刀が周囲の空気すら震わし、顔を掠める攻撃が幾つも放たれ届いており、ザリュース側の顔や体には数か所から流血が見えていた。

 その姿を見つつも、未だ無傷のゼンベルは全然納得がいかない。

 

「(チッ、どれも浅いか)……はっは。この攻撃に耐えるかよ」

 

 一方、受ける側のザリュースは、クルシュに心の中で感謝していた。

 

(あの去り際の回復魔法を受けていなければ、ここまで体を動かす体力が残っていなかった……本当にイイ雌だな)

 

 思わず内心でニヤけたザリュースの表情に、ゼンベルの不満が声となって告げられる。

 

「どうしたよ、何故剣の力を使わないんだ? 手加減されてる気がするんだよ」

 

 それへ真顔に戻ったザリュースは答える。

 

「悪いが、あれを使うつもりはない。この闘いは―――殺し合いじゃない。勇気と力量の見せ合いだろう?」

「そうか……、なら俺の修行僧(モンク)の神髄を見せるしかねぇな」

「ああ、こちらも剣技の全力を見せよう」

 

 直後から更に戦いは凄まじいものとなった。

 ゼンベルは、気の効果で包み込むことにより肉体の各所を〈アイアン・スキン〉で鋼並みに強化する技も投入し、剣を恐れず前に出て鋭い手刀の攻撃だけではなく、蹴り、尻尾での払い、殴りを連撃で畳み掛けていった。

 それに対して、ザリュースも受けるだけではなく、何度も間合いを素早く取ると回り込みつつ切り込んでいく。

 なので徐々に傷が増えていくのは、普通の鱗に過ぎないザリュースの方のみであった。

 その壮絶さに、円陣をもって囲んでいる〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の者達は圧倒され固唾を飲んで見入ってしまっていた。

 

 しかし――勝敗とは見た目の傷でつくものではない。

 

 ザリュースの持つ魔法剣『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』は、刀身に冷気が宿っており、切り裂いた相手……攻撃時に接触した者へ追加で冷気のダメージが与えられるのだ。

 つまり、『凍牙の苦痛』の刃を受け止めただけでもゼンベルには冷気の攻撃が当たることになる。〈アイアン・スキン〉で低減してはいるが、夏の季節にもかかわらず手足へのかじかみを感じ、長時間の戦いは不利だと悟った。

 

(大技に気を取られていたが、本来の能力はコレかっ。前はもっと早くに負けたから気が付かなかったぜ、畜生っ)

 

 これがあれば、防戦のみに徹していればいいはずだが、このザリュースという戦士は、更に踏み込みを見せてきていた。

 目の前へ立つヤツには、もうゼンベルの必殺のはずである激しい猛攻を何度も全て凌ぎ切られている。

 

 ゼンベルは嘗て自分の負けた者を倒した漢が、本物だというその事に――満足していた。

 

 〝鋭剣(シャープ・エッジ)〟族の族長は、魔法剣の大技を全て使い切っていたとしても、少なくともこの状態でザリュースに破られているはずなのだ。

 すでにゼンベルは、全身が重くなり始めていた。あと数分で勝敗はついてしまうだろう。だが、それは彼にすれば『見苦しい』というものに他ならない。

 

 突然にゼンベルは、潔くここで自ら構えを解いた。

 

 ザリュースとゼンベルとの見た目では、明らかにザリュースが苦戦しているように見えていた。それは多くの傷に加え、既にザリュースが僅かだが肩で息をし始めていたからだ。1時間分の全力移動の後での全力戦闘が約15分。

 余裕はほとんど無かった。しかし、ゼンベルのダメージ具合は勿論知っている。

 だから……ザリュースが告げた。

 

「引き分けだな?」

「――そうだな」

 

 彼の意外な言葉に対してゼンベルは直ぐに乗る。族内の者からザリュースの言葉へ文句や反論の出ないうちにだ。

 恥ずかしいのはコチラなのであるから。

 今回の魔樹の協力の件は、一時的なものに過ぎないと容易に考えられた。

 ザリュースは「引き分け」と言い出した時点で、この部族を率いる気もなさそうなのは明白。

 だから、ゼンベル自身も部族の為にここで求心力が落ちる事を避けたいと考えた。

 最後まで決着が付かなかったが、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族内の者でゼンベルとここまで戦える者はいない。10分もつ者が一、二名いる程度である。

 多くの者が忘れていたみたいだが、この闘いは勝敗を決めるモノではない。ゼンベルが『共に戦うに相応しいかその力を皆へ示してもらう』と言っていた。あくまでも、使者であるザリュースの強さを確認する為に行なったのだ。

 そして、ザリュースは族長のゼンベルと互角の戦いを見せてその強さを多くの者に見せたのだ。

 ザリュースは改めて〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の族長ゼンベルへと願い出る。

 

「例の魔樹に対して、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族とも歩調を合わし五部族連合で対応したい。ついては是非協力をお願いする」

 

 これに対し、ゼンベルが直ぐに答える。

 

「いいぜ。種族全体の危機に勇敢なザリュース・シャシャは単身でこの地へ赴き、皆の前で見事に奮戦と勇を示した。故に――〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族も協力する。皆、わかったな! 異論は族長である俺がゆるさねぇ」

 

 円陣で集う多くの部族の者達からの反論は出なかった。

 こうして、遂にザリュースは難問であった〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族からの協力の取り付けに成功したのである。

 彼はすぐさま、ゼンベルへ告げる。

 

「〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士を10名程選抜して欲しい。これから出来るだけは早く魔樹への対応に向かおうと思っている」

「おいおい、お前自身がか?」

「そうだ」

 

 このザリュースの言葉に、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の中からも「すげぇヤツだな」「本当に勇敢だ」という声が漏れてきた。あの巨体の魔物の話を聞けば、絶望的な気にすらなるのだ。

 五部族で最大戦力を持つ〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族でも一部で『静観』という流れを見せつつあった。

 ゼンベルはというと、もちろんザリュースと同じ対処派である。

 だから、勇敢な使者の言葉にこう語り出した。

 

「じゃあ、先陣はもちろん俺をはじめ、この〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の精鋭が務めよう」

 

 戦ではないのだがとザリュースは思う。

 でも緊張感はそれ以上にあってもいい局面なのは確かだ。

 集落どころか五部族全てが無くなるかもしれない大任である。族長が率いるのは当然だと言わんばかりであった……。

 

 

 

 

 それから3時間近くが過ぎたころ、五部族からの選抜戦士達が〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の集落の南方500メートルの辺りに集結した。

 時刻は丁度、正午を過ぎた頃。

 集まった者達は、各部族の族長の地位にいる者達が各10名程の戦士らを率いていた。

 まずシャースーリュー・シャシャをはじめ、各族長を中心に話が進み、戦士長など共に戦う者として一言ずつ挨拶を行う。彼等の中で異色なのが最後に一団を率いて現れたクルシュ・ルールーであった。彼女は「日光に弱いので」と伝える。真っ白の身体に日除けのため、上半身へ草で作った被り物を纏った姿により植物系モンスターかと思わせる(なり)を披露していた……。

 〝緑爪(グリーン・クロー)〟ら三部族の一行は、湖で水揚げしたばかりの魚を差し入れ、〝朱の瞳(レッド・アイ)〟は薬などの医療系の物を持ち込み、最も近い〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族は矢や槍、斧などの武器を多めに持ち込んでくれている。

 五部族での総勢は58名。これには最終連絡要員も含む。各村では、もしもを考えて戦士以外の湖中央北岸側への退避が始まっていた。

 そして挨拶に続き、魔樹対策の当地臨時指揮官が決められる。

 

 それには――多頭水蛇(ヒュドラ)のロロロを従え、この場の脇にいたザリュースが指名された。

 

 彼の指名は、一時的に協力を承諾したゼンベル・ググーとクルシュ・ルールーからの強い要望でもある。

 特にゼンベルは「他の者の指揮なら、俺達は抜けさせてもらう」とまで言い出していた。直後にクルシュ・ルールーも「申し訳ないですが、こちらもザリュース・シャシャの言葉を信じて来ましたので」と付け加えた。

 このため、三部族の代表でもあるシャースーリュー・シャシャが、「ザリュース、この場は全てを言い出したお前が指揮するのが相応しいだろう」と伝えて話は落ちつく。

 兄は元々弟の力量を高く買っていた。族長すらも広い判断力に多くの英知を持つザリュースの方が相応しいのではと考えている。しかし、弟としては族長について、高い武力も含め以前から部族内に多くの人望や統率力のあった兄が適任だと疑わないでいた。一度権力の外へ出た自分は、その補佐程度が適任なのだとの思いは変わらない。

 一同の話が一段落し休憩を兼ねて食事が始まると、ザリュースは真っ白の君であるクルシュ・ルールーとの再会を果たす。

 

「中々しぶといのね」

「どういう意味だ?」

「さあ。一応褒め言葉だけれど?」

 

 笑顔を浮かべる彼女により、彼の疲労と傷は〈中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)〉にて回復してもらう。

 30分ほどで荒事前の急ぎ気味での食事休憩を終える頃、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の斥候から、最新の魔樹の位置情報が伝えられる。

 

「魔物は依然として東北東へ向けて移動中。あと2,3時間で、我らの集落へ最接近するとみられる。その距離は、ここから我ら集落までの4倍程の位置だ。一応まだ安全圏とはいえ、早朝よりも――やや北寄りを通ってきているぞ」

「「「「「――!?」」」」」

 

 五部族の長達とザリュースは顔を見合わせる。これ以上進路を北寄りへ向けさせれば、非常に危険だと。

 ザリュースが各部族へまず尋ねる。

 

「あの魔物へ攻撃を仕掛けた部族はあるか?」

 

 その返事は「いや」「うちもない」「いえ」「まだだ」など何処も試してはいないようだ。

 当然と言えば当然。もし軽率に仕掛けて暴れたことで進路が変わった場合、その責任を取れるのかという話だ。

 しかし今、誘導する為にはいくつかの即時決断が必要であった。まずザリュースが考えるのが『囮作戦』だ。進路上に立ちふさがり反応を見るというものである。

 ただし、既に森に生える樹木などはお構いなしに踏みつぶしており、動物への反応確認と蜥蜴人(リザードマン)自身での確認を予定する。

 まず、大きめの動物がいいだろうと、大鹿辺りで試すことにした。

 そして囮となる蜥蜴人(リザードマン)は――。

 

「俺がこの中で一番頑丈のはずだぜ。動きも悪くないはずだ。なあ、ザリュース」

 

 自分しかいないだろうと、ゼンベルが太い右腕に持った石斧風のハルバートを肩に乗せつつ、ニヤけながら要求してきた。先陣を切らせろとだ。

 ザリュースも彼が適任だろうと、それを認めた。

 

「……そうだな。では、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の族長殿にお願いする」

「ふん、堅苦しいなぁ。あれだけの戦いが俺と出来るんだ。堂々と対等でいい」

 

 ゼンベルは、ザリュース程の雄が風下に立つ事を許さない。

 それは自分の誇りにも繋がるものであるからだ。己を凌ぐほどの者は、やはり並び立ってもらわねばスッキリしないと考えていた。

 また、己が言い出さなければ、間違いなくザリュース自身が行くと言い出しただろうと。

 一時的とはいえ不可能に思えた五部族連合を現実化させ、英雄的風格を見せるヤツは、最後まで残っていてもらわなければ種族としての損失にも思えた。

 

(魁は、俺のような前のめりに闘うことしか出来ない者が適任なんだよ)

 

 ゼンベルは、皆へ的確に移動の指示を伝える指揮官ザリュースの姿を見つつ満足気に微笑んだ。

 

 ロロロを連れたザリュースと五部族連合の一行は、速やかに南西の地へ移動すると、魔物の様子を探り随時連絡を寄越す班と木材で箱型の檻を作る班、森の動物を捕らえる班と――蜥蜴人(リザードマン)自身で魔物の反応を確認する班とに分けられる。

 魔物の様子を探る班は〝小さき牙(スモール・ファング)〟族、檻を作る班はクルシュらの〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族が、森の動物を捕らえる班は〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族が受け持った。

 そして、蜥蜴人(リザードマン)自身で反応を見る班は、ザリュースとシャースーリュー率いる〝緑爪(グリーン・クロー)〟族とゼンベルら〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族が合同で担当する。

 時間がないので、動物を使う確認の下準備の間に、魔樹の蜥蜴人(リザードマン)への反応確認を行う。

 危険も多いが30分ほどとはいえ、待ち時間すら貴重で無駄には出来ない。

 囮であるゼンベルが、落ち着いた様子でただ1名、巨大な魔樹の進路上真正面へハルバートを右手に仁王立ちしていた。

 そこは森の木々が少し薄く、日が随分差し込み地面には草が少し伸びている場所だ。木々の間から、魔樹の巨体が十分視認出来る程。

 ただ、果たして魔樹側から外を視認出来ているのかも分からない。もしかすると枝や根などからの接触で外を認識している可能性もある。

 他の者は、ゼンベルの姿が辛うじて見える200メートル程離れた場所で待機する。

 ゼンベルは一応〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士達へ、「俺に万が一の事があればザリュースの指示に従え」と伝え、その10名を彼に率いらせていた。

 なので今、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の族長は、一人の修行僧(モンク)としてここで魔樹の前に立っている。

 ザリュースからは、「()()手を出さないでほしい」と伝えられているので、まず躱したり逃げたりして反応を確認するつもりだ。

 正直、ゼンベルも実際に西から迫りくる山のようなあの魔樹の巨体を目にして唖然とする。どうこう出来るとは到底思えない大きさである。

 

「おいおい。なんだよ、ありゃ。笑っちまうぜ、俺達が闘うとか考える規模じゃねぇな……もはや竜王とか神の領域だぞ」

 

 たとえ魔物の全身が、本来の樹木程度の強度であったとしても、その重量比が半端ではない。左右にうごめく巨大な蔓の枝の一撃は、間違いなくすべてを圧殺するものと確信出来た。

 そうして、10分と少しで魔物の左右から出る太い蔓状の枝がとぐろを巻き、両脇から先行する形に本体もゼンベルの目前50メートル程まで迫る。つまり、魔樹の前は幅300メートル程の鶴翼隊形の壁正面に位置しているような雰囲気といえる。凄まじい威圧感で迫って来るとゼンベルは感じていた。

 

 しかし――魔物の前進速度と進路はまるで変化がなかった。

 

 怪物の動きはあと30メートル、更に20メートルまでメリメリと木々を押しつぶしつつ寄っても変わらない。そしてついに本体の根元が10メートルほどまでにゼンベルへ近付いて来た。

 勇敢なゼンベルもこれ以上は危険だと、南東へと急いで下がる。それは追って来られても良いように南への誘導も考えてだ。

 だが、魔樹はその進路を変えなかった。彼は再び、正面やや右の位置へ立って南側へ誘導を考えたが、進路を変更してまで迫って来る感じはなかった。

 それを更に3回ほど繰り返し、5度目の正面位置への挑戦に立った時、遂に異変が起こる。ゼンベルの周囲は、すでに樹木の間隔が詰まり鬱蒼としたいつもの森の光景であった。

 それゆえに、はっきりと認識出来た。

 魔樹の長い蔓がゼンベルへ向けて放たれたのが――。

 

「――ごがぁっ!!?」

 

 咄嗟に樹木の間へ下がり避けたにも拘わらず、ゼンベルは周囲の木々十本以上と、へし折れたハルバートと共に派手な形で空中へ吹っ飛ばされていた……。

 魔樹本体右手側から伸びる上から二番目の蔓の枝で、中央から外へと払う形で鞭の如く放たれたものだ。

 直撃を躱したはずだが、それでも彼は軽く100メートル以上後方へ飛ばされ、数度樹木へぶつかり地面に転がる。

 〈アイアン・スキン〉も発動し屈強であるはずのゼンベルだが、完全に脳震盪を起こしていて立ち上がれなかった。

 幸い、魔物と距離がひらいたのでザリュース率いる、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士達に急ぎ進路外へ運ばれ手当てを受ける。

 そんな際中にもゼンベルは語り出していた。

 

「アレは、敵を確実に視認しているぞ。樹木の間に入ったが、構わず打ってきやがった。巨体の割に狙いが随分正確でもある。なんとしても、五部族の集落からヤツを引き剥がさねぇと――全てを失うぞ」

「分かった。少し休んでいてくれ。まだ試してみたい事がある」

 

 ザリュースは立ち上がると、檻を作る班である〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の所へと向かった。森の中は狭いので、ザリュースはロロロを降りて歩いている。ロロロは終始彼について回っていた。

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の彼等は3つ目の檻を作っていてまだ作業途中であったが、指揮官は先に確認させて欲しいと割り込む。

 クルシュらの隊には、彼女以外にもう一人戦士兼任の祭司が来ていた。クルシュとその者へザリュースが一言問いかける。

 すると、クルシュ達から彼の期待する答えが貰えた。すぐさま、ザリュースは最前線へとって返し〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の数名の戦士へ後で試すためにある事の準備を頼む。

 間もなく、森の動物を捕らえる班の〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族の戦士達が大鹿を捕らえてきた。戦士が3名もいれば、難度が20程の野生動物を正面から捕らえることはそれほど難しくない。

 戦士達は、足を縛った生きている大鹿を担いで運び、出来上がった檻へ放り込むと、縛っていた紐を引いて解き解放する。そこまですると〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟族の戦士達は再び動物探しに出かけていく。

 その檻を連絡を受けた〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の戦士らが担いで、魔樹の進路上正面へ放置し様子を見る。

 すると、一度目は直進して来る魔樹の根の部分に踏みつぶされてしまう。

 しかし次の檻では、驚愕の展開をみせた。太い蔓を器用に使ってその檻を掴むと――なんと口の如き開口部へと檻ごと動物を放り込んでしまった……。

 ザリュースと戦士一同は、その光景を目の当たりにし戦慄する。

 

「うあぁあああ……」

「……この魔樹は力で踏みつぶすと共に植物の精気を吸い取り、生物を丸のみして食うというのか……」

「これは余りにも、危険過ぎるっ」

 

 植物には樹液で生物を溶かして捕食する種類もあった。

 だが、この超巨大サイズである。また蔓状の枝は、太い木々も無傷で軽く打倒する強靭さとパワーから、村や街を襲い種族を絶滅させることも容易に思えた。

 ザリュースは眉間に皺を寄せて苦悶する。

 

(コイツを何とか滅ぼす手を打つ必要がある。もう俺達が助かればいいという次元じゃない。何とかしないとこの森全体と言わず、その外の世界も全て滅びるぞっ)

 

 ただ、この後に3つ目の檻を進路の右側へ置くと――捕食の際、ついに右側へ少し方向が動いた。

 ザリュース達は僅かだが、南寄りへ巨大な魔物の進路を変えることに成功する。

 だが、歓声は上げられなかった。本題のこの魔樹をどうにか出来ないかという部分は、多くの者の中で完全に見通しが立っていないためだ。

 そんな中、ザリュースは先程から一つだけ手を考えていた。とはいえ種族の生存環境付近での実行は躊躇われた。

 

 暴れた時に、何が起こるか誰にも分からないからだ。

 

 〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の戦士等へ頼んだ準備は整ったが、まだそれらの用具を担いだ戦士達は魔樹の進路上をただ先行する。ロロロにも一部運んでもらっていた。

 強い者や出来る者が生き残る。それがこの世界の現実である。『全てを救う』という考えは綺麗ごとにすぎない。それは最早、傲慢ともいえる神の水準。

 だから、今は種族優先で可能な事をしようと(ザリュース)は動いていた。蜥蜴人の生活圏以外での処分である。戦闘地域の住民は貧乏クジを引くという事だ。

 まずは巨大な魔樹について、彼等の湖からの引き離しを行う。

 追加で檻と動物を増やし、本当に僅かずつだが進路を南寄りへと変えさせた。動物を入れた檻は、一行が東へ移動しながら皆で6時間を掛け、計15個を超えて作りあげ魔物へ捧げられた。

 そうして、夜中の日付が変わる頃には、5部族で一番東の〝緑爪(グリーン・クロー)〟の集落の南東側4キロを無事通過させていた。

 彼等は、森の途中の泉や沼で水分を補給しつつ、更に東側へと移動し交代で3時間程の仮眠を取ると、早朝の日の出の時刻を迎える。

 すでに、逆さ瓢箪型の湖から東南東へ10キロ程離れた位置に来ていた。湖近隣の蜥蜴人種族の安全は確保出来たと思われる。

 ここでザリュースは、いよいよ魔物に対して一つの策の実行を提案する。

 

「俺は、可能性のある手を今試しておきたい。なんとかあの魔物を止めたいんだ」

 

 それに対し、シャースーリューやクルシュ、治療の終わったゼンベルらも賛同した。

 

「出来るなら倒しておきたいと、そういう事か。……そうだな」

「いいんじゃねぇか。誰かがやらねぇと効果もわからないしな」

「怪物を放っておくわけにはいかないわね」

「仕方ないの」

「見過ごせんか」

 

 一応全部族長の合意を受け、まずその前段階の確認を開始する。

 満を持して〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族のクルシュともう一人戦士兼任の祭司に頼む。そうして、ザリュースは肝心のモノを出してもらい受け取った。

 それを片手に、彼はゼンベルや〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の数名の戦士と、〝緑爪(グリーン・クロー)〟の例の用具を担いだ戦士数名やロロロも連れて森の中を移動していく。

 魔樹の進行方向の少し前方。僅かに開けた場へ陣取ると、石で囲みを作り森の中で収集させた乾いた木々を積み、ザリュースは手に持っていた――『()()』から焚火を起こした。

 勿論あの怪物が避けることを期待して正面に配置する。

 そう、これは魔樹の、地へ置かれた炎に対してどういった行動をとるかを見る事が目的だ。

 

 ザリュースは強大な魔樹も、樹木のモンスターである以上『火系』が有効だろうと考えた。

 

 『火』というのは水場を好む蜥蜴人(リザードマン)にとっても忌むべきもの。しかし、すでに種族の伝統や手段を選んでいる場合ではない。

 そうして、じきに魔樹が焚火の前へやって来た。

 

 だが、ヤツは避けることをせず――焚火を触手風の蔓の枝で叩きつぶし確実に消す。

 

 その様子にザリュースは、予想通り魔物は植物ゆえに火が苦手と考え、急ぎ次の行動へ移った。

 5分程で5名の戦士達に火矢の準備をさせる。手持ちで用意していたのは魚の油だ。蜥蜴人達はほぼ火を使わないが彼は〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟族の村から何とか用意させていた。あと数少ない乾いた織物の布を撒いて足しにする。

 それを魔樹の後方、バラバラの5箇所より木々の間の位置へ隠れ潜み、ザリュースの「打て―っ!」の声に合わせて一斉に放つ。

 的は巨大であり、確実に当たる――と思われたが、なんと矢よりも数段速い蔓状の枝の動きにより一瞬で全てが撃ち落とされると同時に、念入りに炎は消されていた……。

 魔樹の正確な対応に、戦士達は困惑する。

 

「馬鹿なっ」

「そんな」

「なにぃっ?!」

「くそっ」

「見えてるのかよ?」

 

 おまけに枝の動きはまだ止まらない。矢を放った者達と、声を上げたザリュースへもカウンターの如く蔓の鞭が襲い掛かっていく。その結果、〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の3名と〝緑爪(グリーン・クロー)〟族の2名の戦士が、剣を抜いて構えるも虫のように叩き潰された……。

 

「なっ!」

 

 見えた太い蔓の動きに指揮官のザリュースは、仲間の凄惨な最期を確信する。だがそれに囚われている場合ではない。ザリュースへも枝が正確に高速で迫って来ていた。

 

「――くっ!」

 

 迫る枝へ咄嗟に、手へ握る『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の能力の大技である〈氷結爆散(アイシー・バースト)〉を手前の広域へ放って逃げた。魔樹によるザリュースへの一撃が空を切る。

 蔓の表面を僅かに凍らせ固めて方向を辛うじて僅かにズラすことが出来たので死なずに済んだ。だが二度目は無いように思えた。

 近くへロロロと潜んでいたゼンベルが、仲間をやられた怒りに唸る。

 

「畜生っ、仲間をヤラれたっ。あの怪物めぇ。ザリュース、大丈夫かっ!」

「ああ。く……」

 

 ザリュースは、『結果的に判断ミスをしてしまったのでは』という激しい自責に一瞬固まる。

 彼は指揮官として『火』が有効なら大量の火矢が武器として使えるだろうと考えていた。更には森ごと燃やす手も考えて。最終的に五部族の全戦士達を動員してもだ。ただ、今の反撃を見れば全部族を集めても、まだ手に余る怪物と考える。

 ゆえにザリュースは、他の種族との連携も視野に入れて始めていた。確か東側の森には『東の巨人』が支配している地域が広がっていたはずだ。火矢への結果を材料に、ザリュースは東の森の支配者へ対し、直談判に向かえるなら行ってみたいと。

 しかし一方でそんな時間の猶予は全く無さそうにも思えた。

 まず彼等の正確な本拠地の場所が不明。東の勢力とは、森での距離をもって不干渉が長年の常識である。同種族ならともかく、異種族と聞く価値観すら違うだろう連中と歩調を合わせるのは難しく、時間が必要との予測も立つ。

 ザリュースらの人類にも近いその思考力は、歯がゆさと焦りを心の中へ広げていく。

 五部族連合に『より強い力』があれば、協力の取り付けや従わせるのも難しくはないのにとの考えも生み出しつつ。

 

 この世界において――『強さ(strength)』だけが万者の共通語なのだ……。

 

 だが今、ザリュースはそういった攻撃思想が仲間達を危険にしてしまったのかと後悔に浸る。

 

「クソぉっ、俺が……」

「おいっ! 一人で背負いこむなよ。これは五部族連合の族長らの総意だ。お前だけが気にする事じゃねぇ。誰かがやるべきことなんだ。()()()()()が戦うには手を何か考えるしかないだろっ!」

 

 ゼンベルが厳しい表情で告げていた。

 だが、問答や落ち込む時間すらも魔樹は与えない。

 

 なんと巨体の魔物は猛烈に前進をしだし、急激に速度を上げたのだ。

 

 進行方向の先には――兄やクルシュ・ルールー達がいる。30分ほど先行しているという予想で動いているはずだ。でも、このままでは数分で追いつかれ彼らへ危機が迫る。

 ゼンベルが咄嗟に叫ぶ。

 

「不味いぜっ! 急いで戻らねぇと」

「あ、ああ。今は皆に急いで知らせようっ!」

「よし。てめえらも急ぐぞっ」

 

 得意ではない森の中の踏破だが、一刻を争う。魔樹が一歩先行するも、時速は4キロ程度である。だが、すぐ横を走り抜けることができない。回り込む分遅くなることに焦りを感じた。

 ロロロを連れたザリュースとゼンベルに〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の戦士達は森の中を急ぐ。

 

 

 

 

 

「――何か、騒がしくありません?」

 

 クルシュの言葉に、シャースーリューが直ぐに反応した。

 

「ん……? おい、そこの2名で魔物寄りの周囲を少し確認してきてくれ」

「「はっ」」

 

 歩哨に立っていた配下の戦士2名が、即行動を起こす。今は戦場にいるのと何ら変わらない。

 それに、魔物がいつも同じ速度で行動するとも考えていなかった。

 『火』を試すという話で、事態が急変することは十分考えられている。この位置は従来の魔樹の進む速さから30分ほど先行する位置だが、仮に魔物が10倍の速度に上がった場合、あっという間の位置でもある。

 もちろん、高速で迫られれば脇へ躱す一択となる。

 確認に行った2名の戦士がすぐに戻って来た。

 

「大変ですっ、魔物がこちらへ迫っていますっ、直ちに退避行動を。推定であとひと息(5分)ほどです」

 

 その報告に、〝鋭き尻尾(レイザー・テール)〟の族長が進言する。

 

「重い荷は捨て置こう。退避を急ぐべきだ」

 

 〝小さき牙(スモール・ファング)〟の族長やクルシュも頷き、シャースーリューも同意する。

 

「そうだな。皆、身軽に持てるものだけ持ち、南側へ移動せよっ。急げっ!」

 

 4部族40名程が森の中を南へ移動する。そして、距離を取って腰を下ろし息も殺して巨大である魔樹の通過をじっと待った。行動としては敵を挑発することなく、冷静な対応で悪くないと思われる。ところが、魔樹の攻撃範囲の見積もりが少し甘かった。

 彼等が急ぎ隠れた木々の場所は、魔樹の枝がとぐろを巻いた見かけの全福よりも100メートル以上離れて退避していたが、枝を最大で伸ばした半径300メートルよりも近くにいたのだ……。

 そのために、左右6本の太い枝全ての射程内であった。

 火矢を射かけられる前までは、枝の届く範囲にいても無視していた魔樹の反応が一変していた。

 それはシャースーリューらが居た位置へヤツの本体が最接近した瞬間に起こる。

 

 突如、魔樹の枝が全力で襲って来たのである。

 

 1本の枝には各所に小枝もある。当然小枝といっても、元枝が太いので普通の巨木よりも太いものすら存在する。それらが一斉に迫って来た。

 退避していた40名ほどの蜥蜴人(リザードマン)達は、北側からの半包囲を受ける形で大乱戦と化す。

 だが、精鋭の戦士で固めていたのは正解であり、その中にあって彼等の多くが愛用の武器を抜いて本分を全うする。

 戦士達は魔物への攻撃の手であると同時に、族長の守り手でもあった。

 

「枝の有効範囲から、全力で退避だーーっ」

 

 シャースーリューの大声での指示に、「「「おおっ!」」」の声が各所から返ると同時に数名ごとで分散する。檻を使った魔樹誘導の中で、脅威となる枝に対しての対処を検討していた。

 それは、木々や岩などの狭い間を出来るだけ抜けて逃げるというものだ。蔓は余り伸びる物には見えない。間合いに抵抗物が増えれば長く追うのは難しい。恐らく、30秒は追って来れられないと予想する。

 ゆえに初動が重要。

 全員が速やかに南側の木々が茂る方向へおのおの走り出していた。

 その中で標的になった者がいる。それは――最も目立つ者。

 戦士ではないその白き者は、両脇から戦士2名に抱えられつつ、その後ろに2名の戦士に護られ全力で走っていた。

 〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の族長代理であるクルシュだ。

 戦士らの邪魔になるため草で作った被り物は退避時に手放し、今は布を上半身へ急ぎ巻いていた。

 白き異端の者であるが、付き従っている戦士等は長老達から命を賭しても守れと言われてきていた精鋭達である。

 あの魔法でクルシュと火をおこした戦士級の祭司が前を進む2名の戦士へ指示する。

 

「私達2名が下がり応戦する。10秒は稼ぐ――その時間で何としても逃げ切れ」

「「分かりました」」

「いけませんっ」

 

 クルシュは叫ぶが、祭司の者は族長代理の安全を最優先した。

 彼女を抱えるため、狭い所を余り通る事が出来ないのも狙われる要因となっていた。それを補うために囮として2名の者は速度を落とす。

 それに襲い掛かる三又に分れた枝の蔓。

 祭司の者は、魔樹の枝へ魚の油の小壺を投げつけると叫ぶ――「〈火球(ファイヤーボール)〉」と。

 後方の視界の端に炎を見たクルシュは、前を向くしかなかった。彼らの働きに応えるには逃げ切るしかないと決意して。

 ところが、次の瞬間。クルシュ達は左側から別の蔓の枝の攻撃を受けてしまう。

 3名はその威力に右側の木々や草木の茂みへと別々にふっとばされた。当然移動の足が止まる。

 直撃を受けた戦士は、気絶したまま太い枝に叩かれ頭を潰された。

 もう一人の戦士が剣を抜いて立ち上がるも蔓が首に巻き付くと同時にその圧倒的な力で、体が持ち上がり絞めにより脊髄圧迫損傷で、握っていた剣は握力を失った手より抜け落ちる。さらに、万力の如き力に断裂した胴体と頭が地面へと落ちていく……。

 そして蔓は次の獲物を求める。衝撃に朦朧としつつも逃げる為に立ち上がったクルシュへと迫って来た。

 彼女はどちらが南かも分からない状況だが、兎に角まず蔓から逃げようとフラフラと転がるように地を進もうとする。

 だが、蔓はもう彼女の傍まで来ていた。

 

(〈火球〉が使えれば――くっ、まだ魔法に集中できないわ。一歩でも進まないと……皆に……あの雄は無事かしら……)

 

 変わった形のクリスタル風の剣を腰に差した、種族の新たな英雄の姿がふと心に浮かんだその時、恐ろしい力で蔓に右脚の脛部分を掴まれ彼女は転倒する。

 その絞める余りの剛力に脛部分の筋繊維がブチブチと断裂していくのが激痛と共に伝わって来た。

 

「い、痛いぃぃ。キャァぁぁーーーっ!」

 

 最後を感じ、クルシュは思わず絶叫する。

 次の瞬間――周囲へと声が響いた。

 

 

 

「その雌に、触れることは俺が許さないっ! 魔樹めぇぇぇーーーっ!!」

 

 

 

 彼女の脚を絞めていた強烈な剛力がプツリと途絶えた。

 ザリュースの両手で握られた『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』からの渾身の一刀が、直径で15センチはあろうかという太さの蔓を絶ち切っていた。

 自身の断裂に一瞬引いた蔓の枝だが、再び小枝を伸ばしザリュースへ迫る。

 

「〝朱の瞳(レッド・アイ)〟族の族長の方は任せろ。とっとと逃げるぞ」

 

 ロロロを〝竜牙(ドラゴン・タスク)〟の戦士達に預け、共に先行して来たゼンベルがすでにクルシュを担いでくれていた。

 

「ああ、長居は無用だっ」

 

 言葉と共に頷くと、ザリュースは手へ握る『凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)』の大技である今日二度目の〈氷結爆散(アイシー・バースト)〉を手前の蔓と草木へ向けて放った。

 前面の風景が空気中の水分ごと一瞬で凍りつく。

 それへ背を向けてザリュースは、ゼンベルへ続きこの場を去って行く。

 

 彼はこのまま無事に逃げ切れると思った。

 

 なぜならあと少しの間、移動すれば蔓の到達圏から出るからだ。

 しかし――ザリュースは背中へ強い衝撃を受ける。

 それでも彼は木々の間や草木の群生場を走り続けた。そして、30秒ほど過ぎ、ゼンベルへ遅れるも蔓を振り切っていた。

 幸い魔樹は、()()()()()()にはさほど興味が無い様子で、そのまま東北東へと前進を続けて遠退いていく。

 苦痛の表情だが命に別状のないクルシュとそれを担ぐゼンベルが、後方に感じた草と枯れ枝を踏む足音に振り向くと、その場にドサリと両膝を突いたザリュースが前のめりにゆっくり倒れていく光景をスローモーションの如く見る。

 倒れた彼の背中には、浅くない()()と思われる赤い血の流れ落ちる傷が数か所、口を開いていた……。

 クルシュは自身の脚の痛みすら忘れ惨劇へ目を見開き、ゼンベルは思わず叫ぶ。

 

「ザ、ザリューーーースーーーーーーッ!」

 

 一時的ながら五部族連合を実現した蜥蜴人(リザードマン)の英雄は、圧倒的な魔樹からの攻撃で、ついに倒れてしまった。

 

 彼の深手は――次なる大規模の戦いに種族の重要な中心戦士の不在を意味していたが、それを思い知る者はまだいない。

 

 

 

 

 トブの大森林における巨大な魔樹との戦いはまだ続いていた。

 東部戦線ともいえる新たなる局面。

 

 

 しかし――率いる者が大バカであった……。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)達とのこの差は非常に大きいと言える。

 そのために、悲惨な結末を迎えるのは既定路線とも思える展開を、当然のようになぞっていく。

 

「お前ら準備はいいなっ! ()()()()突撃するぞ!」

『『『オオォォーーーーッ!!』』』

 

 戦術も戦略も何もない。魔樹の正面へ横列の感じで集まった一団が居座るのみ。

 ただただ、今までと同じ『 力 に よ る 戦 い (power battle)』がそこにあるだけだ。

 確かに相手が難度100程度の相手であれば、こんな形の戦い方でも十分通じたように思う。

 だが、今回は相手が悪すぎた―――。

 

 

 蜥蜴人(リザードマン)達を振り切り3時間が過ぎた頃、魔樹は周辺に『火』を使うものが居なくなったと認識し、再び速度を落としていく。この怪物もずっと警戒状態をとるのは精気を使い、多少疲労するらしい。

 しかしその時、魔樹の到達していた地域は『とある者』の勢力圏に深く入り込み始めていた。

 『とある者』とは、最近の30年程に亘りトブの大森林の東部森林地帯を治めている『東の巨人』という妖巨人(トロール)種族の部族長「グ」なる魔法剣を振るう支配者のこと。

 その「グ」と部族総戦闘力は、現在のトブの大森林で最強かもしれない。

 妖巨人(トロール)は長い鼻と長い耳を持つ種族である。筋骨が強靭に見えるけれど、人とは異なる異形により不気味さのあるモンスターだ。全高は2メートル後半程度だが、人食い大鬼(オーガ)よりも怪力を持つ。さらに抜群の再生能力を持っており肉片からでも蘇るほどだ。

 彼の傘下には現在、人類から見れば不死身のように思える妖巨人(トロール)が200余体の他、人食い大鬼(オーガ)も実に1000体程居た。あと「グ」の力により蛙頭のボガード、屈強なバグベア、言葉は話さないが理解し行動する悪霊犬(バーゲスト)も多数従える。支配集団に含む人食い大鬼(オーガ)の数が物語る通り、元々大森林東部にあったゴブリンの大部族を力で幾つか討ち滅ぼしている。隷属的となったゴブリンは1万余だ。ゴブリンの生き残りの一部は森の西側へも落ち延びていった。そして今も「グ」の勢力は、東部へ取り残されたゴブリンの大部族と小部族をいくつも同時に威圧し、隷属しようと考え動いている。

 『東の巨人』の勢力の目的は力に因る森の全域支配であり、昔より力を付けた彼等にはその戦力があった。でも智が皆無で、野望の進行は遅遅としている現状。

 「グ」は、妖巨人(トロール)の中でもひときわ大きく3メートル以上あり、筋骨隆々とした立派な体躯をもつ戦妖巨人(ウォー・トロール)で、大きいグレートソードで毒魔法の剣を装備した彼はLv.30以上であるハムスケをも超える攻撃力を有している。

 しかし、知能も加えた1対1での総戦闘力ではどちらに分があるのかは不明だ。

 とはいえ現在はまだ、ハムスケの勢力である南側へは不可侵の状況を守っている。

 それは嘗て南側に居るのは只1体と聞き、腕の立つ部下10名を送り込んで武を交えた事もあるが、だれも帰って来なかったことで妖巨人(トロール)を滅ぼせる存在と認識し、それ以後手を出していない。

 また北の湖のほとりに住む蜥蜴人(リザードマン)達には、力のある魔法を使う祭司と武勇の優れた戦士が多数いると聞き距離を取っている。

 しかし現在、東側方面の3分の2を統一した状況で、橋頭保として森の中央部を抜け西側方面の一角へと手を伸ばそうかという時期であった。

 

 その折に、「グ」のもとへ伝令として、一兵卒のバグベアが緊急事態を知らせてきたのだ。

 ここは東部大森林のほぼ中央辺りの地面に残る、大きく古い亀裂の入った跡。

 大地の裂け目の途中に掘られた洞窟の、その最奥へ作られた『支配者の間』と名付けた「グ」が執務をする特別の空間。その奥の上座に置かれた石材で作った歪な椅子へ、彼は座り報告を受ける。

 

「グ様、お知らせいたします。巨大な樹木姿の魔物が、森の中央より領内の木々を倒しつつ東へ向かい移動して来ていますっ」

「おのれ、どこの無法者だ! 俺の領地で暴れているのは! ぶっ殺してやる!」

「あの、それは難しいかと。山ほどの大きさでして――」

「――やかましい! 俺様がバラバラにして、残らず食ってやるわ! 下がって今直ぐに集められる軍団へ出陣を告げろ!」

「は、はいっ」

 

 配下の言う事など、彼はまるで聞いていない。正に力ある独裁者であった。

 既にそれが30年も続いているのだ。

 逆らう者、気に入らない者は、全て力で踏みつぶすものと考えて疑わない。

 

 それこそ――強者にとっては至極当然のことなのである。

 

 「グ」は側近の妖巨人(トロール)騎士達へ告げる。

 

「お前達も準備しろ! 出陣するぞ!」

「「「はっ」」」

 

 『支配者の間』から私室へ移動した「グ」は雌の妖巨人(トロール)3名の手伝いにより部屋の脇に飾られていた鋼鉄の鎧を纏うと、愛用の魔法剣を掴み洞窟の外へと出ていく。

 そこには、既に500体程の強兵が揃う。そうして更に10分ほどで800体前後が集まった。

 妖巨人(トロール)が130体、人食い大鬼(オーガ)400体に、ボガード50、バグベア100、悪霊犬(バーゲスト)50、そして荷物運びも兼ねた隷属的ゴブリンらが100体程だ。

 それらを前に「グ」が吠える。

 

「俺の領土を踏みにじるデカい図体の魔物が現れた! 皆でぶっ殺すぞー!」

『『『オオォォーーーーッ!!』』』

 

 勇ましい声を聞き満足すると「出撃だ!」と告げ、神輿型の物に乗り込む。

 それを、人食い大鬼(オーガ)達12体が担ぐと駆け足で移動を開始した。

 森の中を魔物が進む先にと先回りする道を進む。距離で15キロ以上あったが、2時間もあれば余裕で到着出来るようだ。

 軍団を急がせたが移動途中に話を聞けば、木の魔物は凄く足が遅いらしい。

 

「ふぁふぁふぁふぁ! デカブツのノロマなど、俺の敵ではないわ! 愛剣でガリガリ削ってやる!」

「左様にございますな、グ様はお強いですから」

 

 太鼓持ち的なボガードが相槌を打ってくれ、「グ」は機嫌よく頷く。

 実際、ゴブリンの軍団などを相手に彼は先頭へ立って進撃し、難度で90を超える程の敵部族で最強の戦士達も、その不死身の如き体を生かし多く討ち取っていた。

 全軍で難度が100を超えるのは『グ』だけであった。

 彼に続くのは側近の妖巨人(トロール)騎士の難度87や84に留まる。とは言え一般配下の妖巨人は、難度で45を超える者が全体の9割以上もいた。それだけに『グ』の軍団は、高い再生能力も相まって異様に強かったのである。

 だから「グ」が先頭に立つとき、敵の大規模集団へ対しての、その突貫力はかなりのものを誇った。

 軍団の者達には強気さが広がっている。もちろん今回の敵に対しても――だが。

 接敵地へ到着し、遠目に見え始めたその相手の姿に、軍団のざわめきが起こった。

 なぜなら、中央にそびえる敵の本体だけでも根元の太さが60メートルを超え、全高が100メートルもある正に山の如き相手であったのだから。

 それの周囲には追加で、長い枝のとぐろの山頭が6つ見える。

 

「き、来たぞ。……なんだ、あれは」

「大きい……山のようだ」

「カ、カイブツダ」

 

 バグベアやボガード、低知能の人食い大鬼(オーガ)すらも圧倒される大きさへ恐怖を感じていた。

 その皆が怯む中で、「グ」が声を張り上げ鼓舞する。

 

「憶するな! 逃げ出す奴は俺がぶっ殺すぞ! 見てみろあのノロマさを! よじ登り、全員で切り倒しちまえばいいんだ!」

 

 すると、同種族(トロール)の者らをはじめ、バグベア達も賛同する。

 

「……おおっ、それがいいっ。流石はグ様」

「全軍でやりましょう!」

「ワレラ、シタガウ」

 

 自分より大きく強い者など、「グ」にとって邪魔と考えた勢いのみの発言であったが、偶然的に軍団の士気は戻り好結果となった。

 そうして、魔樹の進路上の森の合間へ広がっていた狭い原っぱに800名が犇めく。

 間もなく彼等の目前へ遂に迫る魔樹。それが残り50メートルとなった時だ。

 「グ」からの「()()()()突撃するぞ!」との命令が出された。

 神輿を降りて自らの足で駆ける彼が、先頭で軍団から飛び出していく。

 それに続いて側近の妖巨人(トロール)騎士3体が進んで行く。更に妖巨人(トロール)の兵達と並走し、バグベアや人食い大鬼(オーガ)達も魔樹へと殺到して近付いた。

 

『『『オオオォォーーーーーーーーッ!!』』』

 

 この時の彼らの上げた声は、地響きをも思わせる程に盛大であった。その響きに「グ」の上げた()()()()絶叫の声は掻き消されていた。

 次に――軍団の上げていたその声が突如途切れる。

 

 

「――――ぐぎぁ……」

 

 

 それが聞こえた「グ」の最後の声となる。

 彼の落とした大剣が地面へ墓標のように突き刺さっていた。

 先頭を駆けていた『東の巨人』である戦妖巨人(ウォー・トロール)の「グ」が、魔樹からの高速の蔓に捕まり、()(すべ)なくあっという間に握りつぶされ、そのまま魔樹の口の如き開口部へと放り込まれたのである。

 

「「「「――っ!? …………」」」」

 

 突撃していた軍団全員がその恐怖の光景に立ち止まり絶句した。

 これまで戦場で圧倒的強さと数々の不死身さを見せた「グ」が、ものの数秒で戦場から姿を消してしまったのだから。

 もう、どうすればいいのかダレモワカラナイ。

 

 

 『東の巨人』の誇った軍団は――次の瞬間に崩壊していた。

 

 

 それは、一斉の撤退であり、一瞬の逃走であり、最後は魔樹による蹂躙劇で幕が下りる。

 その時間は僅かに5分だ。

 触手風のひと枝の全長は軽く300メートル以上に及び、それが6本。さらにその其々に数十の小枝群を持つ。また、餌の800体は全て本体の目前にいた。

 この地に幻想的地獄が浮上し展開する。

 

 兵等は死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ――タクサン。

 

 多くが魔樹の枝に絡め取られ捕まり、易々と引き裂かれ捻り潰されくたばる。

 鎧も武器も単なるモノとして肉塊と合成されてしまうように……。

 ある者は口の如き魔樹の開口部へ放り込まれ、ある者は手足が千切れて地上へ転がった。

 地面に散った幾多の体は、とどめの如く魔樹の根で1万トンを優に超える巨体の全重量を地面との間に掛けられつつメリメリと擦り潰されて……全ては土に帰っていく。

 地面を覆っていた周囲の草の色は、緑から朱く赤く紅く染め上げられた――それはやがて闇の如くドス黒く変ってみせる。

 この闘いの生還者は、何度も磨り潰されながらも肉片から再生出来た妖巨人(トロール)達のみの僅かに8体である。

 

 

 

 だが、精神的な面でみるとそれは(ゼロ)だったと後世に伝わっている――――。

 

 

 




補足)時系列
29 夜中クレマンと会話 ナザ緊急会議 ザイトル復活 ザリュース同盟活動 ニグンビンタ ルトラー縁談 帝都混迷 王割譲承認 夜中風呂ラナーVSルトラー
30 アインズ幻影改良済 ガゼフバレた 昼そのガゼフから冒険者数等情報有 森のザイトル戦 夜にニニャとエ・リットルで再会
31 ジャ~イムスぅ 大臣が約定持参 ルトラー面会の要望 ティラ&ブレイン 遠征王都到着 服あつらえ 第二回深夜会談
32 ニニャとデート (屋敷から王城へ帰還) ガゼフへ第二報告 『漆黒』の実力の検証 王都組合長と面会 人間捕虜餞別完了
33 竜王国への援軍 (地方組合と面会) ツアレ気のせい 和平の使者 至宝奪取作戦 アイ、デミ訪問 隊長と竜王の戦い ガゼフ昼食 守護者ルベド 帝国派兵 ラナーと深夜会談
34 冒険者点呼日-7日目 ルトラー面会 アインズ評議国潜入 法国激震 大臣帰還
35 大臣再出発 竜王の思案 ゴドウ死 アルシェ就活 モニョ都市散策 ニグンビンタ2 ティラ&ブレイン王国へ
36 帝国近衛通過1 エンリ誘拐 ゴブ5000 ザイトル襲来 アイアウラデミ帝国潜入



考察・捏造)ザイトルクワエ&トブの大森林
ザイトルクワエは、トブの大森林中央部の森の中に封印されていた。
ドラマCDより、強化されたハムスケの足で数時間から半日強(いつ出発したのか不明)は掛かることから、足場や草木、地形の障害も考え、本作ではハムスケの住処から北へ距離的に50キロ程度離れていると想定。このことから書籍9巻の地図のトブの大森林はU字に見えるが、中央部も大部分は低標高の森林地帯と思われる。そして、書籍4-011からアゼルリシア山脈と大森林の間に山脈から流れ込んだ川で逆さ瓢箪池が出来ていて、その南湖畔にリザードマンの集落がある。
つまり、ザイトルクワエの封印場所はそれよりも南であり、リザードマンの集落は『東の巨人』らの拠点(9巻地図で東の森中央部)よりもかなり近い位置という前提になってます。



補足)かの人物は、半月以上前の時点でカルネ村内に見えず村を離れたと報告されており
実は、王城出入りの王国側内通貴族が、竜軍団侵攻の件で慌て大いに混乱。
アインズの王城到着・滞在を、帝国情報局の王都近郊滞在員へ伝え終わっていると勘違いし、実は派手に伝え損ねている……。





最近各話お待たせし、文字数も大変な事になっているとは思ってます。
ただ個人(読者、作者)には各人でペースというものがあります。そこをご理解ください。


STAGE.38の最後へ1500字程で、『休暇関連P.S.』を追加してます。
未読の方はどうぞ。
更にその後ろへ『休暇関連P.S.その2』を39話更新時に追加してます(2000字程 野郎編 笑)
合わせてどうぞ。

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