オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


STAGE36. 支配者失望ス/混迷ノ帝国/隊長VS竜王 (10)

 バハルス帝国皇帝ジルクニフの居城、金銀をはじめとした貴金属類も豊富に使用し装飾された美しく壮大な皇城が中央に建つ帝都アーウィンタール。

 その市街西側の一区画に閑静で趣きのある高級住宅街が広がる。だがここ数年、建物や庭の手入れがされなくなるなど、費用と手が回らず維持が疎かになりかけている邸宅や屋敷は増えつつあった。

 

 ここは、そんな屋敷の一つに住まう代々貴族血族の一家――元準男爵のフルト家。

 

 この家は元が付くことからも分かるように数年前、貴族位を帝国から剥奪されている。

 主家であった中流貴族が反皇帝派であった為、配下のここも連座的に潰されたのだ。

 フルト家は現在、当主と妻、長女と幼い双子を含む三姉妹の5人家族の構成。そして、当主自身が大した収入源も無いまま以前と同じ形での生活を継続し、未だ他に執事以下5名の奉公人を抱えていた。

 貴族位喪失後、数年は代々の残していた蓄えや古い武具に地方の本宅、不要な家具の売却で金貨2500枚余をかき集めてなんとかしのいでいたが、それも無駄に食いつぶし一昨年より資金がほぼ枯渇している……。

 五女であった妻の実家はというと、『血の粛清劇』により皇帝から真っ先に断頭台に送られており頼るどころではない。関係が少しでも目立てばフルト家は位剥奪程度では済まず、妻の実家名を口に出すこともはばかられていた。

 そんなフルト家当主は、いつも貴族然とした仕立ての良い服を身に着けるまだ四十を僅かに過ぎた男だ。彼は、武も文も商の才もなく概ね無能であった。結末がどうなるのか分かっていながら、都合のよいことしか考えない『逃げ』の男……と言えば分かるだろう。

 その当主だが、まだ儚い野望を持っていた。

 

 妻が生んだ美しく可愛い金色の髪の娘達である。

 

 生まれた子に男子がいれば、次期当主の教育を受けさせたが、出来たのは全て女子――。

 しかし、長女のアルシェを見れば、少し背は低いものの容姿端麗に育ってくれていた。

 続く下の双子の娘達、クーデリカとウレイリカもアルシェの幼いころの可愛らしさに負けていない。

 

(これは――先の有望である貴族へと嫁がせ、玉の輿を狙えるっ。そして生まれた三男辺りをフルト家に迎えれば家も再興出来ようぞ)

 

 夢の如き一発逆転……いや三発の宝玉を持っていると望みを繋いでいた。

 なので、良家の貴族達に一目置かれるためにも貧民とは違う以前からの生活を維持する必要があったのだ。

 

 しかし――頼みの資金が先に尽きてしまった。

 

 当時14歳であった若き長女アルシェにはまだ良い縁談は無く……。

 さらに彼女は何を思ったのか貴族の娘的に好まれる習い事はせず、帝国魔法学院に在籍していた。

 でもフルト家の当主は当初より入学を容認。彼は美人なら後で何とでもなると思っていたのだ。当主のいい加減さはここにも出ていた……。確かに魔法学院は誰もが入れる訳では無く、名門であったことも大きかったが。

 しかし、当人であるアルシェの考えは違い、しっかりとしていた。

 

(これからの帝国は、貴族血縁の時代じゃない。実力の時代。もし武術や魔法、政治や商業の才能があるならそれを伸ばすべき)

 

 そう思って勉強し、試しにと大学院や魔法学院の入試を受けたのだ。

 すると上位で魔法学院の試験に引っかかる。

 特に「魔力系系統に優れているな」という言葉を、あの生きた伝説と言える大魔法詠唱者(マジック・キャスター)パラダイン老から受けたのである。

 アルシェは魔法勉学に励んだ。

 第1位階魔法を周囲が驚く3カ月ほどの速さで習得し、第2位階魔法をも一年半ほどで自在にこなせるようになった時――華やかであった道に終わりが来た。

 家に借金取りが来るようになったのだ。

 最大の原因は父であるフルト家当主の『買い物』。借金の額はすでに金貨100枚を超えようとしていた。

 『いや、今回は興味を引く良いものがありませんな』と客人の貴族や商人らに言えば済むだろうに、ひょいひょいと気軽に軽口へ乗って『買い物』をし、10枚分以上の金貨の浪費を繰り返した。

 それが、月に数度。年間にすれば金貨で実に200枚を超えている。

 貴族位剥奪前には、これほどの買い物はしていなかったが、今は周辺の貴族達の目を引くために以前以上に使っている風であった。

 加えて切り詰めても年間のフルト家の経費は使用人5名の賃金なども含め金貨で200枚ほどにもなる。

 対して収入は、かつて主家から金貨420枚程あった年俸も久しく無くなり、僅かに残った領地他から金貨で30枚弱程。

 バカでも分かる。フルト家の台所事情は完全に破たんし赤字へ陥っていると……。

 

 長女のアルシェは色々と考えた。

 可愛い双子の妹達は非常に幼い。

 母は優しい人であるが、育ちが良すぎて何も出来ない人であった。

 使用人達は、執事のジャイムスを初め長年勤めていようともあくまでも賃金を貰い、ただ指示を受けて働いている者達に過ぎなく見える。

 そして、父は以前、家を支え主家へ仕える姿に尊敬の念を持たせてくれたが……思春期も重なり、親の実能力を知った彼女にとって最早極悪で最悪な存在……。

 

 若いアルシェであったが――今、自分が動くしかないと決心する。

 

 彼女は唐突に、帝国魔法学院を中退した。

 理由は『一身上の都合』のみ。誰も助けてくれるわけがない。

 入学時、『平民』として入った事からイジメられることはなかった。なので、今更『貴族染みた生活維持のために出来た家の借金を返すべく働く』とは言い出せるわけもない。

 そうして彼女は名門の帝国魔法学院を静かに去って行った。

 

 しかし辞めてはみたものの、すぐに当てがある訳では無かった。

 一応、在学時に魔法詠唱者(マジック・キャスター)の将来の仕事について学ぶ機会があった。

 最も華々しいのが、学院を卒業した上位者は試験を経て近衛軍である皇室護兵団(ロイヤル・ガード)に就職することだ。

 給料は新人でも年俸が金貨150枚はあるという話だ。上位で十年も勤め上げれば金貨300枚程にもなり、昇格もすれば年俸で金貨1000枚も夢じゃないと聞いたものだ。

 他にも帝国魔法省で一人の魔法詠唱者隊員や職員として働くのも収入面を考えて悪くない。

 次に冒険者への道がある。全卒業生が第2位階魔法を習得し、上位者は第3位階魔法をも使いこなす為、卒業後すぐにも冒険者チームの主力として活躍できる。

 また、民間の商業方面に進む者達も少なくない。生産者や医療関係者としても優秀であるためだ。

 そんな話を聞いていたが、アルシェは魔法学院の中退である……。

 とりあえず第2位階魔法までは習得しているので、簡単でそこそこの仕事には付けるだろう。

 だが――フルト家の借金は金貨で100枚にまで達している。

 アルシェとしては必然的に、歩合の良い仕事を選ばなければならない。

 それでもまず探したのが生産者や医療関係者としての安全といえる仕事だ。

 しかし、若輩の新人で尚且つ、魔法学院中退ということでは中々見つからない。

 とある工房の親父が指摘する。

 

「おめぇがせめて卒業者ならなぁ。まだ、“精錬”の授業を受けていないんだろう?」

「あ、はい……」

「じゃあ、ウチでメインは任せられないなぁ。見込みはあるが、ウチの熟練者に教えてもらうにしても合間の習得じゃ早くても1年以上は掛かるぞ。当分は補助者として、月給で金貨4、5枚ってところだな」

「そうですか……」

 

 普通に考えれば、年収で金貨50枚ぐらいは軽くあるので悪くない仕事なのだが、多大な借金を背負うフルト家としては足らない。

 アルシェの考えでは、最低でも月給で金貨10枚は欲しいと思っていた。

 帝国魔法学院卒業生であれば、新人でもそれだけ出すと言う所が三つ四つあったのだ。

 月収で金貨10枚以上の稼ぎがあれば、父に無駄買いを止めてもらい、一部家財を売り払い、借金を返済。ぼちぼちと使用人を減らし、最終的に屋敷も売却して二回り程小さい建物に移り住めば家族仲良く暮らしていけるだろうと考えている。

 しかし、今すぐ彼女が安全の高い生産者や医療関係者としてその収入を望むことは、現実的に無理な模様。

 仕方なくアルシェは次に、帝都に幾つかある冒険者組合支部の一つを訪れた。

 その場に居合わせた冒険者達は皆、場違いと思える若く品の良い服装をした娘の登場に怪訝な表情を浮かべる。だが依頼者であるかもしれず声まで掛ける者はいない。

 アルシェは、特に気にする風もなく受付へ向かい「私はアルシェ・フルトと申しますが」と『アルシェ・イーブ・リイル・フルト』の貴族名は一応隠して名乗り、『自身の冒険者への登録』『知り合いやコネなし』『自分は第2位階魔法の使い手』『月収で金貨10枚以上希望』『魔法詠唱者を募集しているチームの有無』等の要望や状況確認を伝える。

 するとアルシェが若輩であったためか、彼女は白いブラウスの組合の制服を着た親切で優しそうなお姉さんから会話室の一つへと案内され、席へ向かい合う形で座り説明を受けた。

 当初、アルシェはこの状況を『幸運』の始まりかと考えた。

 

 しかし、それは現実が厳しいことへの裏返しであった。

 

 冒険者の世界――それはまず攻撃力、殺傷力、防御力等の戦闘面の実力がものをいう職業。思考力を含む人間性などはその次の評価となる。

 魔法学院中退ながら第2位階魔法を完全に使えるというのは、(シルバー)級並みの実力が十分に見込めるということで、無論評価はされる。

 だが、組合の制服を着たお姉さんは、上品で清楚な身形(みなり)も含めて明らかに育ちの良さそうに見えるアルシェへと、右人差し指を立てながら伝えてきた。

 

「うーん。あなたの歳で第2位階魔法を十分に使えるのは大したものだけれど、悪い事は言わないわ。ここは――凶暴なモンスターをも顔色すら変えず相手にする荒くれ者達の世界なの。あなたには頼れる知人やお兄さんとかいなくて一人でしょう? アルシェちゃんは、小柄でとっても可愛いから大変な事になっちゃうわよ?」

「……?」

 

 『可愛さ』が危険に繋がる意味が良く分からず、()()()首をひねるアルシェ。

 純真無垢な14歳で元お貴族さまの娘が、ヤサグレた野郎たちの『女への激しい爛れた情事』についてまだ知るはずもない。確かに学院で異性との淡いお話は出たが、濃さ深さが違った。

 そんなアルシェの様子に、組合支部のお姉さんはため息交じりにもう少し分かりやすく広い視点で伝える。

 

「ふぅ。あなたのようなこの業界の右も左も知らない若い女の子では、こなれた冒険者の多くから中々仕事で対等の相棒としては見てもらえないということよ。少なくともまずあなたの実力を周囲へ明確に見せなければ、誰もあなたの話は聞かないし依頼や取引もしないと思うの。そしてきっと――洗礼で半人前の弱者として、一方的な暴力の伴った命に関わるほどの酷い扱いを受ける」

「――っ!」

 

 隣国の大都市エ・ランテルで、ツテなしコネなしだった成りたての新人ながら4階級も飛び級するほどの圧倒的実力を持つ、どこぞの二人組の冒険者チームなど本当に極々稀で伝説になるほどの事なのだ。

 流石に、『伝手の無い半人前は人間関係だけで否応なく命が危ない』という脅し混じりの警告で、アルシェは驚きの表情を浮かべる。まだ何もしていないのに、どうしてそんな酷い事になるのだろうと。

 でもそれは無知であるアルシェの理屈だ。

 

「困る……私……どうしたら」

「私が言う事じゃないけど、確かに冒険者は当てれば収入が大きい。でも、もろもろの危険度は他の職業と比べものにならないわ。冗談で言うけど、正直まだ一般市民相手の泥棒とかの方が全然お勧めよ。冒険者は決して手軽に出来るものじゃない。本当によく考えて。絶対に甘く見たり舐めない事ね」

 

 アルシェは両手で鼻と口許を隠すように包む。

 彼女なりに危険を覚悟し決意してこの場に立っているつもりである。ところが、高収入だと当てにしていたその職業が、選択肢から(こぼ)れ掛けていた。彼女は、行き場の無い気持ちに困惑する。

 しかし、組合支部のお姉さんの言葉は概ね事実であり、世間知らずは恐ろしいと言わざるを得ない。

 もちろん良い冒険者達も大勢いる。だが、こういう純粋な子へと真っ先に群がって来るのは間違いなく()()()を持つ冒険者達だ。

 職業柄、この少女へハードルを高くしてあげるのは親切と言えるだろう。

 知り合いがいれば、伝手やコネでそういった酷い扱いにも歯止めが掛かるのだが……。

 こんなに可愛い女の子が知り合い無しコネなしの一人では、どうぞ自由に襲ってくださいといっているも同然である。

 それは流石にと見かねての組合支部のお姉さんであった。彼女は組合事務所の人間で、荒くれの冒険者達とも顔なじみであるから、冒険者系の者達から絡まれる形の危ない状況になっても助けが入ったり、立場を話せば見逃してもらえる場合も多くなるが、この目の前の子は間違いなく餌食になる。

 組合支部のお姉さんは改めて目の前の少女を見る。ここまで告げても、まだ迷っているようだ。

 

「……(この子にもやむを得ない事情があるんでしょうね。……まあ、今日知り合ったのも何かの縁かしら)仕方ないわね。良い条件のチームがあるかだけ少し調べてあげる」

「本当っ?!」

 

 これは千載一遇の好機である。アルシェの声は上ずった。

 

「でも、余り期待しないでね。全員女子のチームとか、男女混合チームとかからの募集があればいいんだけどね。まず冒険者達が本気でチームのメンバーを募集することなんて、メンバーが亡くなるか新設チームが出来る前後ぐらいなの。更に良い条件のチームに出会う機会は稀。だから元々情報も少なくて難しいものなのよ」

「……分かりました。そうですよね。でも、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 

 アルシェは礼儀として笑顔を浮かべる。

 これでダメなら賃金は下がるが、今は安全といえる生産者や医療関係者としての職で我慢するしかない。そう割り切ろうとスッパリ決めた。

 「じゃあ、ちょっと待っていてね」と組合支部のお姉さんは部屋を出て行った。

 アルシェは勢いだけでここまで来てしまったが、良く考えれば見知らぬ者達とグループを組んで、命すら危険に晒す戦いが延々と続く職業を選択しようとしている事へ僅かに震えた。

 しかし、今の自分に出来る事は限られている。

 

(――歯を食いしばって前へ進むしかない)

 

 彼女は、自然と奥歯を噛みしめ両手に拳を作っていた……。

 20分程経ったかと思った頃、部屋の扉が開き組合支部のお姉さんが帰って来た。

 

「……アルシェちゃん。今日入ってた情報や知り合いに幾つか当たって聞いてみたけれど、冒険者のチームで今、メンバーを募集しているチームで良いところは―――この帝都内に無いみたいだわ」

「――っ。……そうですか……ありがとうござ――」

 

 アルシェが残念さで視線を落とし、別れの前のお礼を言い切ろうとした時、組合支部のお姉さんの言葉が割り込む。

 

「――でも、ある冒険者チームの知り合いで、元冒険者の神官の人が新設のワーカーチームを作ろうとしていて魔法詠唱者を丁度探してるって話を聞いたの」

「ワーカーの……チーム……」

「その元冒険者の人は、無償で多くの人を治療したくて人助けの為に冒険者をドロップアウトした程のお人好しだそうよ。それとメンバーには若い女性もいるみたいなの。あと結構強くてしっかりした人がリーダーらしいし、経験を積む機会として短期間でも悪くないと思う。冒険者に戻れないわけでもないしね。本当にあなたが急ぐのなら―――お勧めかもしれない」

 

 アルシェの目は、大きく見開かれていた。

 そして迷わず告げる。「行きます」と。

 今旅立つ若き少女に、多くの荒くれ達を見て来たお姉さんが言葉を贈る。

 

「一言だけアドバイス。私達の様な職業は舐められたら終わり。堂々と自分に自信がある部分を強気でアピールするのよ」

「はいっ、色々とありがとう!」

 

 少女はお姉さんへ礼を告げると急ぎ冒険者組合支部を後にし、教えて貰ったその元冒険者さんと仲間達が居るという店へ一目散に駆け込んだ。

 そして、アルシェは聞いた特徴に一致する人影の座る席へと詰め寄る。

 同時に相手への確認もせずに確信をもって口を開いた。

 

 

「――魔法の腕には自信がある。仲間に入れて欲しい」

 

 

 アルシェは、こちらへ口を開け唖然とした目の前の三人へ堂々とそう自信過剰に自身を売り込み始めた――。

 

 

 

 

 それから二年が過ぎた今――。

 肩口辺りにてバッサリ切られた金髪を銀意匠の入る漆黒のカチューシャで留めるアルシェは、相変わらず細身で少し小柄だが黒茶色のローブと魔法系の冒険者風の装いで身を包む16歳の気品を残す綺麗な少女になっている。

 手に握る杖には、ぱっと見で『鉄の棒』のようだが細かい文字の刻まれた魔法アイテムを選んでいた。

 

 彼女の所属したワーカーチームの名は『フォーサイト』。

 あれからアルシェは仲間達と数多くの死線を越え、一流と言われる第3位階魔法を既にほぼ網羅するほど成長していた。彼女だけではなく、メンバー全員のレベルが上がっているのが容易に窺えた。

 チームリーダーは、金髪で碧眼、程よく日に焼けた肌の男、ヘッケラン・ターマイト。

 年齢は二十歳程度。身長は約175センチで、両手に上質である革の手袋を付け、体には立派な服の下へ鎖着(チェインシャツ)を仕込み両腰に剣を下げている。

 冒険者でいえばミスリル級水準の実力を持ち、帝都のワーカー達の間でも名が知れており一目置かれる程の男だ。

 そして女性だが、野伏(レンジャー)で弓兵の力を持つイミーナ。

 表情は鼻筋の通った切れ長の目に緑系の瞳。髪は長めの紫色で左ポニーにしている。上半身と両腕には革系の防具を装備。弓以外では腰に短刀を帯びている。

 彼女は半森妖精(ハーフエルフ)のため、耳が人よりも長い。種族の影響からか細身の肢体で胸が平らである……。

 ヘッケランとは恋人関係みたいだが、彼は胸に関して少し残念に思っているとか。

 そして神官ではなく司祭(クレリック)職業(クラス)をもつロバーデイク・ゴルトロン 。通称はロバー。

 全身鎧(フル・プレート)を装備し、聖印の描かれたサーコートを着ている。腰のひときわ太いベルトには主装備のモーニングスターを吊るしている。

 30代ぐらいに見える刈り上げの金髪に輪郭のガッチリした少しおじさん風である表情の男。

 

 そんな4人だったが、その中でアルシェの装備に限り、2年程の間であまり変化はない。

 単に買えなかったのだ。

 先日、アルシェの手元には銀貨が数枚しかなかった。

 彼女はこの2年で実に350枚以上の金貨を稼いでいたにもかかわらずだ……。

 原因はもちろんアルシェの父、フルト元準男爵だ。

 

『お父様。今後、無用な物品の購入は控えてもらえませんか?』

『――なにを言うかっ! 貴族たるものこういったものに金を掛けるものなのだよ。お前にもすぐわかる』

『……』

 

 2年前にワーカーとしての初仕事を終え、金貨3枚を手に入れた日の晩のやり取りである。

 だが結局、この2年で父である彼の『買い物』が途切れることはなかった。

 アルシェの予想通り、『お前にも分かる』という機会など訪れず無駄な物に金貨が浪費されたのみであった。

 その裏を知ってよく考えれば当然である。

 フルト元準男爵は、いつしか野望を長女の婚姻からまだ幼い双子姉妹のクーデリカとウレイリカの婚姻探しへと切り替えていた。妹達はまだ5歳。結婚適齢期はずっと先の話だ。そのために、婚姻話が容易に進むはずがなかったのだ。

 なぜ、『アルシェの縁組』を考えなかったのか。

 それは――勝手に名門学院を中退しワーカーという貴族にあるまじき下賤といえる職に就いた長女アルシェを、内心で親の彼は玉としてすでに切り捨てていたのだ。

 

(穢れた娘アルシェよ。我がフルト準男爵家の礎となれ。妹達の為……いや、私のために馬車馬の如く金貨を稼ぐのだっ)

 

 2年程前のある日から、彼の長女アルシェは突然外泊をするようになった。

 初めは学院の女子の友人の屋敷に泊まるという話であった。

 しかし、そのひと月の間での頻度が突然な上に多すぎた。彼女はワーカーとして、仲間達と数日泊りがけで命懸けの仕事を熟していたのでそうなるのは当たり前の事ではある。

 度重なる外泊を不審に思った父は、執事に命じて帝国魔法学院への出席を確認させた。そして、長女アルシェの学院中退を知る。

 翌日、アルシェが家に帰って来た夕食後、妹達を食堂から下げさせると元準男爵は厳しい口調で長女を問い詰める。

 ただただオロオロする名家育ちの母。

 すると、アルシェは魔法学院からの中退をあっさり認め、魔法詠唱者としてワーカーの仕事をしていることを告げた。同時に、これまでに稼いできた金貨の詰まった革袋を差し出した。

 その革袋から覗く金色の硬貨の輝きを見て、怒っていた父の態度が目に見えて変化する。

 しばしの無言。

 父は最後に――「好きにしろ」と告げた。

 元準男爵はこう考え始めていた。

 

(外泊が始まってすでにひと月。金貨がすでに20枚程もある。まっとうな稼ぎであるまい。名門学院中退に始まり俗世の泥の中に落ちた娘は、もはやどこぞの馬の骨どもにも散々と散らされておるはずだ。最早、使えぬ……。名家の貴族に差し出せるモノではなくなった。あとは――育てた分は有効に()()()()利用しようぞ)

 

 この時から父としての彼は死に絶え、人としても腐臭を放ちはじめたのである。

 当のアルシェは、平民に落ちそして荒事のワーカーの職に就きながらも、その操は家の為に嫁ぐ機も有ると考え貴族の末裔として恥じないように固く守っていたにもかかわらず、その健気な意志が父に届く事は無かった。

 少女は厳しい冒険者系の世界で、チームのメンバー達と仲良く堂々と大胆かつ強気に生きていた。

 ただ、そんなアルシェは、実は女の子として本人知らずの形で結構人気が出てきている。

 小柄ながらも有能で、戦いも含めて常時憶すことなく少しベビーフェイスでポーカーフェイスなところが、荒くれ者達のハートをグッと捉えつつある。

 また金髪とその可愛い体形に加え、気品のある雰囲気と仕草に口数の少なさが、男女問わず街の商人達他の見知った者らの間でもウケていた。

 そもそも帝国魔法学院卒業生で第3位階魔法の使い手はそれなりにいるのだが、これまでに中退者でここまでの鮮やかな使い手に急成長する者は中々いなかったのだ。なので、逆に目立ち知られるようになった事も大きい。

 そんなアルシェの、フルト家以外の順風満帆であった人間関係がついに結実する時を迎える。

 

 

 

 先日まで手持ちとして銀貨数枚しかなかったアルシェであるが、ワーカーチーム『フォーサイト』が達成した帝都の大貿易商人からの密漁クエスト、『アゼルリシア山脈北端への珍獣狩り』で大成果をあげたのだ。

 大商人から支払われた報酬の総額はなんと破格の金貨885枚。

 依頼されていなかった殆ど見た事のない珍しいモンスターをついでに捕獲していたのだが、これが希少種であったため、その臨時報酬に金貨が700枚も追加されたのである。

 チームの諸経費を引いたのちに四等分されたのだが、これによりアルシェの手持ちのお金は一気に――金貨203枚まで増えた。

 少女は、この機を逃さない。

 執事のジャイムスへ事前に色々と確認していた。

 現在、家の借金の総額は金貨で約300枚。使用人達を解雇する為の諸費用が金貨30枚。双子の姉妹を引き取って暮らすための住まいと準備金に金貨15枚等々……。

 そうしてアルシェは満を持し、屋敷での夕食時に父である元準男爵の座る席へ近付くと、現在の借金の約半分となる金貨150枚の入った革袋を、彼の前へと叩き付けるように強く置いて告げる。

 

「お父様、お別れを告げる時が来ました。その革袋には私の稼いだ金貨が150枚入ってます」

「……なんだこれは! 父に対し無礼だぞ、何のつもりだアルシェっ!」

「これが最後のお金です。私はもう家にお金を入れないから」

 

 アルシェは目を瞑り、そう静かに父へと伝えた。

 すると、その様子に父は当主として当然とばかりにふんぞり返り、娘へと怒鳴り立てた。

 

「認めんっ。……お前が稼ぐようになるまで、この家で暮らせてこられたのは一体誰のお陰だと思っているっ!」

 

 ここで少女の眼が一瞬でバッと開き、怒鳴るフルト元準男爵を怒気の鋭い視線が射貫く。

 そして、この家から独立する者としてアルシェは口調も変えた。

 

「もうフルト家は8年以上も貴族ではないっ。嘗ての準男爵家としての生活は終りにしてっ! ……今日の分も合わせれば、家に入れたお金は金貨で500枚以上になる。もう十分に――利子も付けて十二分に恩は返したはず。妹達も連れて家を出るから。それに、雇用人らの解雇費用分についてもジャイムスを通してすでに渡してある」

 

 金貨500枚と言えば間違いなく大金である。たった一人の少女が稼げる普通の金額では無い。

 16歳となった少女の眼光は2年前とは別物に変わっていた。

 何度も熟練の冒険者達が怯む程の凶暴なモンスターすら倒し、死線を潜ってきた者の眼光は並みではない。今の彼女の視線には荒くれの男達をも身震いさせ黙らせるほどの眼力が備わっていた。

 

「――っ!? …………」

 

 フルト元準男爵は、()()()()()()の者からの尋常ではない想定外の強い圧力と、フルト家が解散する将来を示す内容の言葉に驚き、口を半開きにしつつ真偽を確かめる為、食事の乗るテーブルの傍に立つ執事のジャイムスへと恐る恐る視線を向ける。

 すると長年彼に仕えた執事は、申し訳なさそうに皺をより深く顔へ浮かべるも、目を細めつつ僅かに頷くのである。

 

「……ば、馬鹿な……」

 

 家の為、将来をも切り捨てて飼い殺しにするはずの長女からの下剋上であった。

 一度席を立ち上がりかけ腰を上げた元準男爵は、思考の行き場が無く背もたれへとヘタり掛かるようにドサりと座った。

 

「ああ、アルシェ……アルシェ……」

 

 母は食堂の席に座ったまま、やはりただオロオロするのみ。

 そんな父母へ、アルシェは畳み掛けるように今後の方針を指し示す。

 先程から、この場には長女アルシェからの有無を言わさない雰囲気が漂っていた。

 

「ここに有る金貨で借金の半分は無くなる。あと、この屋敷はフルト家が帝都へ寄った際の別宅だったから小さいし本宅程は高く売れないけど、それでも金貨で400枚以上にはなるはず。そのお金で借金を全て返し、地方の土地に一軒家を借りて二人で静かに暮して。贅沢をしなければ売却分の残りと家財一式に、領地の残りから上がる収入であとの生涯出費は賄えるはず。しばらくはジャイムスとメイドの人が一人残ってくれる。……心配ないから、大丈夫だから」

 

 どうしようもない父と何も出来ない母だが、それでも――彼女の親なのである。

 完全に捨て去る事など出来るはずもない。最後の真心の気持ちで言葉を伝えていた。

 アルシェの根底は、素直で優しく少し甘い子なのだ。

 

 

 それが――禍根を残すことになろうとは、この時のアルシェはまだ気付くことが出来なかった……。

 

 

 

 

 はや二日が過ぎた。

 アルシェの宣言通り、妹達は屋敷の外へと共に連れ出されたため、すでにこの結構広い元準男爵フルト家の中に、「おとうさま-」「おかあさまー」という可愛く幼い双子姉妹のクーデリカとウレイリカの声が響いてくることはない。

 三姉妹は早々とあの夜にこの屋敷を去っていた。

 

「……げふふふっ……。ふざけるなよ、アルシェめぇ……」

 

 無精ひげが幾本か顎に見え出した元準男爵の当主は、睡眠不足も多少あり目を血走らせつつ居間にてソファーへ座り度数の高い酒を呷りながら吠えていた。

 猛烈に高まった苛立ちと腹いせの為に、あの後二夜連続で――未だ三十代であるアルシェの母と『4人目の娘を』と激しい子作りを慣行し、それは連日朝にまで及んでいた……。

 クーデリカとウレイリカの双子は、貴族位剥奪後に生まれていることから分かるように、跡継ぎかもしくは玉の輿の玉となる事を狙ったものだ。

 

 居なくなれば――また作るだけである。

 

 すでに、当主の(オス)の思考は犬猫以下の水準にまで落ちて来ていた。

 そんな状況のフルト家に一通の書簡が今朝届いていた。

 既に昼前だが居間で酒を啜りつつ、ふとその書簡に気付いて読み始めたアルシェの父の手が小刻みに震え始める。

 差出人は、皇帝派で伯爵家の貴族ながら、40を超えた妻帯の跡継ぎが女性に対し『特殊な傾向の趣味』を持つという噂の囁かれている家だ。

 そして書簡にはそれを示すかのように、『幼い娘希望』『フルト家再興の条件』等が書かれた内容の文面が見て取れた――。

 内容はどう読んでも可愛い双子達の幸せといえる『婚姻』には結び付かないものである。

 しかし。

 幼いクーデリカとウレイリカの父である獣になり下がった男は、奇声の如き声を上げる。

 

「も、もう少しだぁぁぁーーー。もう少しの辛抱だぁぁ、ふふふしゅっ。クーデリカとぉウレイリカを欲する名家が見つかったぞぉぉぉぉ。グへへへ……。フルト準男爵家ぇぇぇ再興の邪魔はさせんぞぉ、何人(なんぴと)も、我が裏切りの娘、アルシェもだぁぁぁぁーーー」

 

 その時、キシリと音が鳴った。

 

「――――んん゛!?」

 

 居間の開いた扉付近の廊下、その床板の軋みである。

 元準男爵がゆっくりと書簡から顔を上げ、そちらへ顔ごと目元にクマも出来ている血走った視線を向ける。

 するとそこには、元準男爵の異様な発言を聞いてしまい表情の固まった執事のジャイムスが立っていた……。

 

「く、くふしゅー……。ジャ~イムスぅぅぅぅ、お前~~、自分のぉぉぉぉ主の名を言ってみろぉぉぉぉぉーー!!」

「ひっ、だ、旦那様……ひぃぃぃぃぃぃぃぃーーーー」

 

 帝国の伯爵家まで巻き込み、御家再興に鬼畜と成り果てたフルト家当主の野望の手が、再び娘達であるアルシェ三姉妹のもとへ迫ろうとしていた。

 

 アルシェの波乱の物語は、こうして幕が上がる――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エ・ランテル冒険者組合王都遠征隊が王都へと到着した日のこと。

 

 帝都アーウィンタールの50キロ程南方に、500平方キロほどの大きな湖がある。その南側に『湖の都市』と呼ばれる城塞都市セギウスはあった。

 帝都から南西にある大都市へと伸びる街道が途中で南東に分岐し、この湖の(へり)を沿うように北西から南東へとほぼ真っ直ぐ小都市内を抜けている格好だ。帝都からの道のりは約120キロ。セギウス周辺の人口はおよそ41万人である。

 小都市の中心に城があり、街の周囲は湖の水を水路の様に通した堀で囲まれている。他の都市に比べると幾分低めの外郭璧で守られている感じだ。

 外郭内にはぎっしりと建物が並ぶ。そんな街並みの西側の一角に、無法者達の多く住む区域が広がっていた。

 

 その闇世界へ埋もれる形で、人知れず拠点の一つを構える暗殺者集団があった。

 

 入り組んだ街中へ潜む彼等の6階建ての建物は総石造り。

 4階の日射し差し込む窓辺から、離れた奥へ置かれている3人掛けのゆったりしたソファーへと、金毛の髪を箒の形に緑系の紐で結んだ人物が座っている。

 

「ティラお嬢様、珍しい所からの少し変わった依頼が舞い込んで来ておりますが」

 

 忽然とその傍に現れた白髪に白鬚で眼帯を付けた男が、お嬢様と呼んだソファーへ座る少女へと書簡を渡した。

 男は齢60に迫るもまだまだ体格のいい黒ずくめの装備を纏う。

 書簡を手にする彼女は、衣装の各所に緑系のアクセントのあるその忍び風の装備を身に付け、胸には立派だといえる膨らみもあった。

 幾分釣り目で、表情は少し涼し気の綺麗な少女が口を開く。

 

「頭領と呼べ。いつまでも廃業した姉妹らの気質が抜けんよな爺よ。今、この“イジャニーヤ”を率いているのは私だ」

 

 爺へ文句を言いながら、開いた書簡を読み始めるティラ。

 

「――ん? 中央からの極秘だと? 概要は……帝国との辺境地域に在る王国の小村に住む標的人物の確保? なんだコレは。日程等詳細は受諾後に、か。暗殺者集団に人さらいをさせる上、報酬が金貨3000枚とか、田舎村の者の対価にやたら金額がいいな。……絶対にヤバイ案件だろ、これ」

 

 彼女は三つ子の姉妹だ。

 ティアとティナとの三姉妹で、腕利き揃いの暗殺者集団『イジャニーヤ』を頭領として纏めていた。

 しかし、他二人の姉妹らは二年ほど前、王都での任務を金貨1500枚で請け負うも、失敗したのか突如音信不通となった。

 だが後日、そのまま標的達とチームを組んで、アダマンタイト級冒険者をやっている事が判明。今も元気にしている様子。

 一方、その未達となった仕事の責任で、依頼主である『法国の一個人』から、以前に彼が撃ち漏らしたという亜人の村の要人殺害等、いくつかタダ働きするという面倒事を処理させられた。

 名声失墜とそんな泥を被ったティラだが、元から姉妹共々呑気である性格なのか廃業した姉妹達のその後の行動を余り気にしていない。

 ただそれ以来、表立って仕事で“イジャニーヤ”の名前は使わず、以前から存在する幾つか別の単なるワーカー集団として偽装し細々と活動している。

 この依頼も、帝国東北部の都市にある支部へ伝手で舞い込んで来たものだ。

 書簡を丸め始めたティラを見て爺は問いかける。

 

「どうします、頭領?」

 

 爺から言い換えられた呼称に満足しつつ、直感ながらティラは明確に答える。

 

「中央から舞い込むのは無茶ばかりだ。放っておけ」

「はい。私もコレは、きな臭い案件だと思いましたので賛同いたします」

「ふん。で、この件はこれで終わりなのか?」

 

 ティラが確認すると、爺は別の書簡を手渡してきた。

 

「実はですな、一部の上位ワーカー達にも先の件が別の形で出回っているようなのです」

「ほう?」

 

 ティラは急ぎ、ワーカー達に出回っている書簡を斜め読む。

 内容の概要は以下。

 『難度60以上と思われる強力なモンスターの討伐。帝国との辺境地域に在る王国内の小村にいるモンスターを倒せ。1体あたり報酬金貨150枚。但し、王国軍兵と遭遇の危険有り。連絡乞う。ケーオス商会帝都支店』

 

「ふーん。村人の確保に、ワーカー達を陽動として使うつもりだな」

「そのようですな。隣国で軍がらみも有りでは、冒険者はまず動きませんから。……結構良い値ですし」

「そうだな。……強力なモンスターか。何がいるんだろう? だが、先の報酬の金貨3000枚との差は大きいぞ……もしかするとトンデモナイものがいるのかもな」

 

 ティラの勘は鋭い。表情をニヤリとさせる。それを知る爺が相槌を打つ。

 

「確かに。村人確保の報酬との差は不気味ですな。ワーカーどもはまるで――場をかき回すだけの捨て石のような」

「そんなところか、ふん。……とりあえず、帝国中央は事を秘匿する為に軍の関係者を動かしたくないということは窺える。ケーオス商会の名は長年知っているが、おそらく有事用のダミー商人の一つなのだろうな」

「後で確認いたします」

「ふむ。……ワーカーか。そういえば――先日の雨の日に、私が拾ってきた()使()()の男はどうしてる?」

 

 ティラは1週間程前、この都市のスラム街にて、ずぶ濡れで蹲っていた紺色の髪の男を拾ってきた。

 男は手に珍しい剣、『刀』を強く握りつつ、半袖の黒ポロシャツに動きやすいズボン姿であったが、雨に因る寒さの為なのか、それとも何かに怯えているのか終始震えていた。

 

「一応、今日も落ち着いています」

「そうか」

 

 というのは、ここへ連れて来た当日、男はどう見ても錯乱していた。

 彼はベッドに潜り込み、頭を抱え目を見開き、時折涙を流し「努力は無駄だ、無駄なんだ、あはは」と意味不明な事を小声で呟き続けた。相当酷い目にあったのか。

 翌日の昼になって、腹が空いたふうで出された食事を口にすると漸く落ち着いた。

 そこで初めて彼は片言の様に告げてくる。「俺は――――。王国の……ワーカーだ」と。

 恐らく嘘だろうとは思っている。

 でも構わない。ここでは過去は気にしない。

 それよりティラは、彼のずぶ濡れだった姿を最初に一目見て、この男がタダ者ではないと感じていた。

 それは――彼が震えていた状態でも隙が全く無かったのだ。

 声を掛けずに近付いていれば、奴の握り続けていた刀で切られていたはずだと。

 正直なところ今、姉妹の二人が廃業してから“イジャニーヤ”の戦力は大きく減っている。

 この施しは一種のスカウトなのである。

 ティラは爺を伴って3階へと降りて来た。刀使いの男を放り込んでいる部屋の扉前に立つとノックする。中に気配はまだある。

 

「――チャーリー・ウイラント、起きてる? 入るから」

 

 刀使いの男はそう名乗っていた。

 返事はないが、ティラ達は構わず部屋へと入って行く。

 

「……」

 

 チャーリーを名乗る男は、カーテンを閉め切った薄暗い15平方メートル程の部屋の中、壁際のベッドの上で背を壁に付けて座り、己の刀を両手で握ったままじっとそれを無言で見つめていた。

 何かに悩み続けているのは容易に感じ取れる。

 しかし、ティラは気軽に声を掛けた。

 

「こんな所にじっとしていないで、外でも歩きに行かない?」

「……放っておいてくれ。邪魔なら出て行こう。……世話になった分はこれでいいだろ?」

 

 そう言って紺の髪の男は、ズボンのポケットから硬貨を1枚握り出し親指で天へと弾く。

 硬貨は綺麗な放物線を描いてティラの手元へと落ちた。それはなに気なく()()()()()

 借りは作らないし、お金には困っていないというアピール。

 だがティラは金貨を手に握ると、ツカツカと彼の方へ近寄りベッドの端へどさりと座り込んだ。

 そして、すでに1週間もここへ居続ける男の心へと図々しく切り込む。

 

「別に邪魔じゃないけど。それに――あんた、行く当てないんでしょ?」

 

 紺の髪の男(ブレイン・アングラウス)はハッとする。

 そう、いつの間にか先程の金貨が、ポケットの中に戻っているのに気が付いたのだ。

 

(……この娘、タダ者じゃないな)

 

 チャーリーの浮かべた僅かな驚きの表情に、ティラはニヤリとする。

 先日の雨の日、彼の隙の無さにビビらされたお返しである。

 チャーリーを名乗る紺の髪の男ブレインは、腑抜けて油断し少女からの殺気もなかったとはいえ、自身の身体に接触されていた事へまだその原理を理解出来ていない。

 ティラが使ったのは『影』。元からある彼自身の影と接地する面からのアプローチのため、間合いが一瞬無効化されたのだ。

 それと流石に咄嗟では、影という自然現象と映る面ごと切り裂くという対応法には連動出来なかっただろう。

 もちろんティラは種明かしする気などない。

 しかし、ネタとして誘い出す餌にした。

 

「さあ、一緒に外へ出るのよ。ポケットに湧いた金貨の原因を知りたくない?」

「……」

 

 手口は兎も角、借りに対しての金貨を返されたことで借りが残ってしまい、チャーリーを装うブレインは渋々重い腰を上げた。

 

 

 

 ブレイン・アングラウスは、あの吸血鬼(ヴァンパイア)との戦いのあとにどう逃げて来たのか正確に覚えていない。

 ただ恐怖と絶望と惨めさで、北東方向へとがむしゃらに勢いで逃げ出したに過ぎない。

 そうして走り、歩き、泳ぎ、伝いしてこの街まで辿り着いた。ずぶ濡れだったのは雨の所為ではなく、実は堀のような水路を泳いでこの都市内へ侵入したからだ。

 あの化け者と出会うまでの彼は、ただ一人の男、王国最強の戦士ガゼフ・ストロノーフだけを目標に体を鍛え剣の腕を磨き続けてきた。

 

 その修行の場として、人にあるまじき『禁断の修羅の道』を敢えて選んでだ。

 

 常に命のやり取りになる戦いの場――盗賊団側の用心棒として、その鋭い殺気や人を斬る技を高め続けた。

 しかし。

 あの吸血鬼との『絶望の戦い』で、それまでの全てがまるで意味を持たなくなった。

 生涯で一番熱かったであろう、あのガゼフ・ストロノーフとの決勝戦さえも。

 単に自惚れていたのだ。ガゼフ・ストロノーフを超えればそこが目指したものの最高点なのだと。

 

 

 だが――すべては幻想だった。

 

 

 かの吸血鬼の(ふる)い戦う水準は、次元が違ったという表現しか思い浮かばない。

 生涯の倍の期間鍛えようが、絶対に届くはずがないと強烈に思わせる世界を垣間見せられた気がしたのだ。

 自慢の究極と考えていた神速の武技〈神閃〉が、彼女にとってコマ送りという情景にすぎない事実は愕然とした。

 だが、それ以上にブレインが戦慄したのは、紅き吸血鬼(シャルティア・ブラッドフォールン)がその圧倒的な力を持ちながらも――それを完全に持て余していた事だ……。

 

 

(真の最高点に到達しても見える世界は、存外退屈で狭いのかもしれない)

 

 

 最強というものの輝き、それへの憧れがブレインの中で完全にヘシ折れた瞬間であった。

 もはや、ブレインに人生の目的は無くなっている。

 最強を目指す為に、人間性すら退け全てを掛けて来たからこその絶望的といえる喪失感なのだ。

 

 まるで燃え尽きたかのように、彼の心も思考も白くなっていた。

 

 

(――――これからどうしようか……)

 

 それが率直なブレインのここ数日の漠然とした気持ちだ。

 やり残したという感慨が湧かないので、もう死ぬことは特に怖くない。

 また、すでに数多の罪もない者達を剣の腕を上げるために斬ってきた身である。罪人として断頭台も上等――そういう思いで彼はいる。

 ある意味、悟りを開く者達の心境に彼は立っていた。

 

 今、夏が近づく快晴の空のもと植生の木々は緑鮮やかながら、少し薄汚れ気味な闇の漂う街並みを普通に歩いている。

 共に歩く横へは、足音を全くさせない変わった娘も一人いるが。

 建物を出る時に、心配なのか爺と呼ばれる老偉丈夫が何人か他にも同行させようとしたが、この頭領と呼ばれるティラという娘は断っていた。

 

「大丈夫。(チャーリー)がいるから」

 

 そう言ってさっさとレンガ畳の道を歩き出していた。

 ブレイン自身、帝国や法国で偽名を名乗っていても、疑う者は少ないと考えている。

 何故なら彼は帝国や法国へ行った事が無く、顔を知る者はほとんどいないからだ。

 なお、帝国の通貨を持っているのは、手持ちの金に盗賊団の餌食になった商人達のものが混じっているからだ。法国の通貨すら持っていた。

 ブレインはあくまで貨幣は貨幣だとして使っている。綺麗も汚いも無い。

 もちろん彼は、自分を正当化する気はない。

 しかし、ここは弱肉強食の世界。

 商人達もピンキリである。底辺の弱者から巻き上げた分も当然混じっているのだ。

 それが自然と世界で回っているだけのことなのだと。

 

 ティラが、無口に半歩遅れで横を付いて歩く紺の髪の男(チャーリー)へ話しかける。

 

「あんた、強いでしょ?」

 

 ブレインは、娘からのいきなりの会話に無言を通そうと考えたが、その内容に思わず答えてしまう。

 

「俺は――弱い」

 

 男の重い口調にも、ティラはさっくりと反論する。

 

「ウソだね。私の目は節穴じゃない。歩くアンタの身の熟しは普通じゃないから」

 

 青年と言える風貌ながらも、彼は全方位から幾人で襲われても、即反応出来る感じの経験深い雰囲気がしてみえ、少女はそのまま伝えた。

 

「……俺の主観論だ。君の考えに文句を言う気はない」

「ふーん。随分謙虚なんだ」

「……俺は弱いさ。上には上がいる。この世には人間じゃ到底届かない信じられない化け物がいるのを知っているだけだ」

 

 『信じられない化け物』という言葉に、今度はティラが反応する。

 

「強力なモンスターか……。ひとつ、帝国との辺境に在る王国内の小村に強力なモンスターが居るって話、知らないか?」

 

(辺境の……小村?)

 

 ブレインの足が止まる。一瞬あの化け物(ブラッドフォールン)を連想したからだ。

 しかし、()()が小村に居座り続けるとは思えない。小村などまさに一瞬で血の海の地獄と化すはず。

 別のモンスターだろう。

 

「……いや、聞いたことはないな」

 

 立ち止まったチャーリーを名乗る男へティラが振り返る。

 

「そうか。難度で60以上って事だけど、もっと強いのがそこには居るのではとな」

「難度60?(かなり強いが、次元が違う圧倒的なあの吸血鬼(シャルティア・ブラッドフォールン)なら、難度でいえば200はあるはずだ)……」

「そんなに強ければ、王国のワーカーのあんたなら聞いた事もあるかと思ったんだけど」

 

 そう告げられたが、ブレインは聞き流すしかない。

 盗賊団内に入って来る情報は、主に獲物の商隊関係の情報がほとんどで、知識は兎も角、テリトリー外でのモンスター出現の噂話まではよく知らなかった。

 

「うーん」

 

 ティラは唸りながら、チャーリーへ背を向け再び前へ歩き出す。

 仕方ないので、チャーリーを装う男(ブレイン)も歩き出し彼女へと追いつく。

 するとティラはここで、スッパリと抜けていた重大な事に気が付く。

 

「っ! そんな強いモンスターなのに――なぜ、王国の冒険者達は動いていないんだ?」

「ん……そうだな。でも、それはやはり単なる噂話だからじゃないのか?」

 

 普通ならそう考えるのが自然。

 しかし、ティラは帝国中央から、ある程度特定された者達にのみ撒かれた依頼案件を見ている。裏が取れているからの依頼のはずなのだ。

 

(なんなんだ、この違和感のある案件は。何かが普通と違うのは確かだ……本当に危機の潜む案件であったのだな)

 

 難しい顔をしているティラに、チャーリーを名乗る男は一つの可能性を伝える。

 

「もしかすると――モンスターと共存している可能性はあるな」

「んんっ?! 村では暴れていないという話か。……遭遇の多いゴブリン達とも一応会話は通じる。難度が上がれば知能も上がる。人の少ない辺境だし状況次第では確かに考えられる。そうか、しかし――」

 

 彼女は、チャーリーを名乗る男の気晴らしにと外へ出てきたはずであったが、気が付けば道のすぐ先に見えた街中の小さな噴水の傍へと腰を下ろしていた。

 その脇へ立つブレインが、ふと思い出した王国の強力なモンスターの名を彼女に伝える。

 

「あのな。アゼルリシア山脈の南側に広がるトブの大森林の南端一帯に住み、森を静かに守っている1体の強大なモンスターがいる。通り名を“森の賢王”という。これまで百年以上その名は周辺へ響いていて、森にいる他のモンスター達や幾多の冒険者達も全て退け無敗と伝わっているんだが。強さからして、恐らく難度で100を超えるだろうな」

 

 ティラはそれを聞くと意見を返す。

 

「へぇ。私は知らないけど、難度100に無敗……確かに凄い。そいつが小村に時折現れるとか?」

「森を長年静かに守っているなら、近隣の村人達から大事に崇められていても不思議じゃないからな」

「ふーん。……そういう事なのか。(難度100以上のモンスター討伐なら、ワーカーらへの報酬として金貨150枚はかなり少なすぎる。敵モンスターは冒険者のアダマンタイト級以上だろうしな。それに加えて、極秘に村人の確保か……)」

 

 ティラはここまでの状況内容から一つの結論を閃く。

 

(考えられる事として、強大なモンスターである“森の賢王”と親交を深めた村人がいて、“森の賢王”を戦力として動かすことが可能なのではないのか。だからその村人を帝国に招けば“森の賢王”を帝国の傘下に組み入れられると――)

 

 彼女の想像が、近いようで遠い気もする話に落ち着いていた。

 現実には、確かにその村人である司令官エンリ・エモットが頼めば“森の賢王”ハムスケは『同期の同僚』として全力で支援に動いてくれる。敵が王国だろうが帝国だろうが森のモンスター達だろうが関係無くだ。この“森の賢王”は忠実な配下(ペット)として至高の死の支配者(オーバーロード)に飼われていたりするのだが、そんな想定外のことは知る由もない……。

 更にここでティラは頭領として再度の思考が起こる。

 

(難度100以上のモンスターは確かに脅威。しかし――この目の前のチャーリーも相当の腕前。私も難度81程度はある。あとウチの何人か使えば村人の確保は難しく――ない?)

 

 暗殺者集団『イジャニーヤ』は、先の帝国での『血の粛清劇』の際に中央へ協力し、反皇帝派の貴族や反攻軍の司令武官を少なからず屠ってきており、代々の埋蔵金も合わせ金貨で50万枚以上の蓄えを残している裕福な集団といえる。

 そのため、いずれの仕事も無理に動くことはない。

 今回も少し気になる案件だが、ティラは結論を急がない。

 

「……(すべては爺にも話してから。それに――(チャーリー)が協力してくれないと)……」

 

 結構長い沈黙のティラへチャーリーを名乗る男は尋ねる。

 

「……何かする気なのか?」

 

 ブレインは当然、ティラ達が何らかの裏組織を形成している事に気が付いている。

 周囲の雰囲気に薄暗さの混じるこの裏業界独特の街並みは、王国も帝国も変わらない。

 嘗てブレインが居た『死を撒く剣団』。戦時は傭兵団なのだが、平時は大きな盗賊団として活動し、支部をエ・ランテルにあった同じ雰囲気のスラム街へ置いていた。

 だから彼はよく理解している。

 それにティラ達の組織は相当な凄腕揃いだと感じている。

 この娘とあの老偉丈夫をみても、同時に相手となると全力が必要だろうと考えていた。

 

(こいつらは普通じゃない)

 

 ブレインの率直に思った感想である。

 近頃は大抵の集団を見ても、剣豪のブレインは自分と相手集団全体で比較していた。

 だが、ティラ達の組織は格が違う。

 配下の数人を見ても、各人が相当な腕の猛者達なのが窺えた。

 

(この組織の上位メンバー5、6人を同時で相手にするようならば――殺られるかもな)

 

 そんな可能性を久々に感じた。

 実は、それと同じ感覚の事を支部の建物の中にいた暗殺者集団『イジャニーヤ』の者達も感じていた。

 

「ヤロウ、お嬢を連れて行きやがって……。だがあの男、俺の殺気を軽く流しやがったぜ」

「だよな。俺のもそうだ。普通のやつなら飛び退くんだがなぁ」

「儂の気も流しよるからな。タダ者じゃないぞ」

 

 『爺』とティラから呼ばれていた老戦士が語った。

 

「えぇっ!」

「本当ですか?」

「ああ。だから単独で手は出すなよ――儂でも奴の放つ剣の数撃の間に死ぬと思うからな」

「「「……」」」

 

 若いが主力級の者達が沈黙した。それほどの青年の男と、可愛い頭領が一緒という事実。

 しかも、結構男前のヤツでもある。

 

「……お嬢、大丈夫ですかねぇ。あっさり惚れちまうとか」

 

 思わず配下の一人がそう不安そうに言葉を零した。しかし『爺』は言い切る。

 

「それは―――問題ない」

 

 

 

 

 噴水を囲う石に座っていたティラは、立ち上がりながらチャーリーを名乗る男へと言葉を返す。

 

「……アンタがどうするか決めてみる?」

「なんで俺がだ?」

 

 関係ないし、冗談じゃないと考えブレインは答えた。

 するとティラは、計画的皮算用等、色々込みで口許を緩ませる。

 

「ふっ。1週間も世話になったら、普通は何か返すものでしょう?」

「……あのな。それなら金貨で――」

「――そこは、何か仕事で返して欲しいわね」

 

 少し身長差のある二人の視線がぶつかる。

 ブレインが見下ろす少女の表情は、ニヤリと『したり顔』である。

 

(くっ、この(アマ)。……俺に行き場や当面の目的が無い事を見透かして誘ってやがるな)

 

 男として非常に悔しくあり、ブレインは免疫のなさそうな若い娘にと『特別な言葉』を浴びせる。

 

「そんな誘いをするってことは、君は――俺が好きなのか?」

 

 するとティラは……即答した。

 それも、『マジで何言ってんだコイツ』という怒りの表情で。

 

 

 

「はぁ? 伴侶としてはアンタなんかに全然興味ないから。少なくともあと7、8年経ってから言いなっ。ふんっ。

 ――――ええいっ。どこかに凄く強くて、“顔に味のあるおっさん”はいないのかっ!」

 

 

 

 ティラも他の姉妹同様、男の趣味が少し変わっていた……。

 

 それでも、彼女からの虚を突かれた言葉にブレインは、この直後に大笑い。

 ひとまず彼は、この少し変で可愛い娘の傍で暇を潰すことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新世界のこの大陸西方で人類が治める主な国家と人口は以下。

 人類三大国家の筆頭であるスレイン法国の人口は1500万人。

 同じく三大国家の一つリ・エスティーゼ王国は900万人。

 ローブル聖王国は約600万人。

 カルサナス都市国家連合280万人。

 竜王国の120万人――。

 

 そして、人口850万余を誇るのが人類三大国家の一つ、バハルス帝国。

 皇帝は有名な『鮮血帝』ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 さて、帝国の誇る人材でこの皇帝以外に最も有名な人物を挙げるならば、それは間違いなく主席宮廷魔法使いのフールーダ・パラダインである。

 では「その次は誰か?」と850万人の帝国民に尋ねたとする。

 帝都アーウィンタールにおいてならばその答えは、大闘技場で最強を誇る武王ゴ・ギンかもしれない。この時代の人々は戦いへの憧れや救いを求めて『強さ』に大きく惹かれるのであるから。彼は強い。恐らく冒険者の水準でいうのであればアダマンタイト級だろう。

 だが、帝都を含め帝国内全体になると最も多くの者から名が挙げられるのは、やはり種族がトロールの武王ではなく同じ人類である『帝国四騎士』の者達となるはずだ。

 

 他国から見ても『帝国四騎士』は有名である。

 

 それはもちろんバハルス帝国内において、四騎士の各人が個で最強戦力と呼ばれており、皇帝陛下直属で常に傍へ控える騎士達だからだ。そのため、有する権限は帝国八騎士団の軍団長である将軍達と同格でもある。

 彼等四人の強さは、分かりやすい基準で伝えると個々が冒険者のオリハルコン級以上の水準と評されている。

 ならば冒険者のオリハルコン級以上がその扱いを受けるのかといえば、全然次元が違う話である。

 確かに強さは評価されるが、冒険者はあくまでも一個人に過ぎない。

 人類国家間の戦争になった場合、冒険者組合に所属する者は規則上基本的に戦闘には参加できない事情もある。

 それに指揮系統を持った組織の代表である将軍級の者は、数多の部下の命を左右する大きな責任を負っている立場にも居るのだ。

 極論だが将軍が倒れるような有事の際、帝国四騎士が代わりに率いる可能性も含んでいる。

 また軍団指揮官級の者は国家を代表する立場の一人であり、一個人とでは扱いが異なるのは当然と言えよう。

 とにかく、帝国四騎士は帝国内外で名の知れた偉大なる重要人物達なのである。

 そんな4人の騎士達なのだが――。

 

「はー、やってられんぜ」

「……帝都まで来たら逃げてもいいかしら」

「とんでもなく大変なことになってしまったな……」

「………むぅ」

 

 四騎士のリーダーであるが平民からの叩き上げの騎士、〝雷光〟の二つ名を持つバジウッド・ペシュメルの投げやり気味である言葉に始まり、紅一点の〝重爆〟レイナース・ロックブルズの『逃げ』の言葉に、貴族出身の〝激風〟ニンブル・アーク・デイル・アノックの難しい表情の声が続き、言葉を押し殺して悩む表情の〝不動〟ナザミ・エネックから漏れた重い息が僅かに聞こえて。

 帝都アーウィンタール中央に建つ皇城の一室で、彼らは渋い顔を突き合わせていた。

 発端は、数時間前に帝都へ届いた『(ドラゴン)300体の軍団、アーグランド評議国よりリ・エスティーゼ王国へ侵攻す』の急報である。

 

「1体で伝説にもなるモンスターが300体とか……マジか……」

「嘘で冗談だったとしても、笑えるのは50体までよね……逃げるから」

「まだ、そんなに固まって残って居たんだな……それだけで伝説だ」

「………ふぅ」

 

 自らの力量と、モンスターとしての圧倒的存在である(ドラゴン)の強さを知るが故の帝国四騎士達の言葉であった。

 ハッキリ言って、帝国八騎士団の精鋭8万騎も竜の軍団を相手にどこまで戦えるか。

 弱い小鬼(ゴブリン)などのモンスター群との集団戦ならば問題は小さい。しかし業火を吐く空の雄である竜軍団と戦う場合、地上戦主体の帝国兵団としては全く違う相手となる。

 帝国の総力戦で臨むと考えても相当厳しいと言わざるを得ない。

 その理由の一つが冒険者組合の力だ。

 モンスターの群れと戦うならば、大きな戦力となるのが国内の冒険者達である。

 ところが、だ。

 帝国の冒険者組合の総力は、王国の冒険者組合の総力よりもかなり落ちる。

 それは、総数の規模とアダマンタイト級の実力の差といってもいい。大きな原因に、帝国の騎士団が組織的にモンスター狩りの一部を行なってしまっている部分があがる。

 また、一応帝国にも2組のアダマンタイト級冒険者チームが存在するものの、その力を比べると相当の違いがあると言っていいだろう。彼等の攻撃力の最高点に大きな差があった。

 王国の『蒼の薔薇』は難度で150にも達するイビルアイに、魔剣使いのラキュースを擁している。

 また『朱の雫』には、秘めた大魔法を使うと聞くアズス・アインドラに、最強の剣使いと名高いルイセンベルグ・アルベリオンの二人。

 対して帝国の『銀糸鳥』と『漣八連』はチームで戦う冒険者達だ。彼らの個々で薄い攻撃力では多数の竜を同時に相手をする戦いは相当キツイはずだ。

 つまり、竜軍団に王国が敗れ蹂躙されれば、帝国も同様の目に遭う可能性が高くなる。

 ただし――。

 帝国には、王国に存在しない帝国魔法省と300名程を擁する強力な魔法詠唱者部隊がある。

 そしてこれを率いるのは、脅威の第6位階魔法を行使する『逸脱者』で世界有数の魔法使いフールーダ・パラダイン。

 また、彼の高弟として30名程の精強である第4位階魔法の使い手達が揃っている。

 更に帝国四騎士が率いる対魔法装備の皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)の近衛軍も最後方に控える。

 ゆえに王国の総力よりも帝国の総力が随分勝ると考えてはいる。

 

 しかし、300体もの竜軍団と比較した場合、勝てると断言できるだろうか。

 

 おそらく相当厳しい『望み』であろう。

 勝敗が付くころには、最低でも帝国領土の半分以上が灰燼に帰すはずだ。

 それでも帝国民の為に、騎士らはその前へ出て「勝てる」と言わねばならない。

 

「相変わらずだな、レイナースは」

 

 軽い口調で、ミスリル製の全身鎧に〝雷光〟の二つ名へ由来する剣を腰に差したバジウッドが弄る。

 リーダーである彼は、皇帝と帝国に対して忠誠心の厚い男だが、他人へ自分の考え等を無理強いや押し付けはしない。なので本来は叱責すべき同僚のレイナースへも呆れる程度である。

 そんな彼だから、帝国四騎士はうまく回っていると言える。

 しかしリーダーの声に続き、アダマンタイトの鎧で身を包む、金髪で碧眼の貴族然とした美男子のニンブルが釘を刺す。

 

「レイナース。とりあえず兵達の前では、逃げると言葉に出すのだけはやめてくれよ。軍団全体の士気に関わる」

「でも、結局兵達の前から逃げれば一緒でしょ? 私は負けるとなれば逃げるから」

 

 レイナースも元貴族のお嬢様なのだが、そういったシガラミはとっくの昔に捨てている。

 いや、四騎士への加入段階で、既に皇帝の手により取り除かれていたと言うべきか。

 とにかく、勝てない相手からは帝国を裏切ってでも逃げる気満々であった。

 ただし決して彼女が弱い訳では無く〝重爆〟の名の通りその攻撃の全てが強烈で重い。烈火となったときの彼女の攻撃と姿を見れば、逆に皆が逃げ出すだろう。

 『自分』と『目的』が大事という自己中心的なのがこのレイナースである。

 容姿端麗ながら、金色の髪をかなり長く伸ばし腰の辺りで括っていた。そして顔の右側半分を先が胸まで届きかけの長い前髪が隠す形で覆う。

 綺麗であったその右側の表情は、実は今、モンスターの呪いで醜く膿んでいた。

 そのとても正視出来ない顔の崩れ方にレイナースは『女性』という立場と幸せを失っている。

 ――それも呪いに含まれているのかも知れない。

 なので、ここにいる他の3名の男性騎士達からも可憐な扱いは一切されない。

 顔に刻まれた呪いから抜け出すことが、今の彼女の最重要目的で生きがいとなっている。

 現在の他の全てを捨ててもだ。

 

「せめて……直前までは最善を尽くせ」

 

 そんなレイナースへ、重い言葉が〝不動〟のナザミから漏れ出す様に呟かれた。

 彼は、防御重視で盾を両手に装備する『壁』タイプの戦士。多種のエネルギー系攻撃をも防御出来る。またその盾はそのまま攻撃として殴りつけることも可能だ。

 帝国で唯一、短時間ならあのパラダイン老の攻撃を凌げるかもしれないと言われている騎士である。

 しかし、この一流の彼が窘める言葉も、四人の騎士に突き付けられた竜軍団というこれまでに類をみない難題の前には虚しく聞こえる。

 冷静に考えて、竜300体に対しレイナース一人の増減で、どうにかなるのかという現実。

 

「「「「…………はぁ……」」」」

 

 改めて漏れるのは、全員が視線を落とした帝国四騎士のため息となる。

 

 

 

「陛下やパラダイン様からは、この件についてなんと?」

 

 20秒ほど沈黙が続くも、真面目であるニンブルが話を再度起こした。

 彼等は帝国四騎士。この大問題から逃げる事など出来ないのだ。

 ニンブルの質問に対し、先程まで皇帝の執務室の場に同席したリーダーのバジウッドが語り始める――。

 

 

 

 『竜300体の軍団、アーグランド評議国よりリ・エスティーゼ王国へ侵攻す』

 

 その一報がバハルス帝国へ(もたら)される直前、フールーダは帝国との辺境にあるカルネ村の村娘から貴重な情報を聴取すべく、彼女本人の確保へと四方へ手を回しつつあった。

 あの強大なモンスターである死の騎士(デス・ナイト)を本当に操っているのか、その方法は、如何なる魔法にようものなのか――その熱い思いは尽きない。

 一番期待値が高いのは、ゴウンなる旅の魔法詠唱者から教えられたであろう、小娘にも操れるほどの素晴らしい魔法の存在。

 その原理が究明出来れば、第6位階魔法の更に上の世界への扉を開く足掛かりになるかもしれないのだ。

 また魔法が事実であれば、フールーダ自身が王都に赴き、偉大なる旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を帝都へ招くつもりである。

 

(そうなれば……我が生涯の大願も)

 

 調度品は控えめだが、高額の魔法書が所狭しと置かれた帝国魔法省の自室。彼はそこでその事を考えているだけで、気が付けば口から涎が垂れている程である。

 大願のためにもまず、少女を最高の待遇で丁重に迎えなければならない。

 既に200年以上生きてきたフールーダだが、魔法を自分へ教えてくれる存在に出会うのはどれほど振りだろうか。

 相手が小村の小娘であったとしても構わない。頭を下げる事など造作もない。

 

(靴を舐めろというなら底であろうが敬意を以って舐めようではないか、――ペロペロと)

 

 姉弟子になるかも知れない者であり、魔法の深淵に近付くことが出来るのなら容易い事である。

 だが村娘確保に、王国の領土内まで表立って帝国の精鋭を送り込むのは最終的にマズイと判断された。

 当初は、こっそりフールーダ自らが現地まで動こうと考え、仮名の非常に優秀な隊員を擁した実行案を協議。

 帰りは第6位階魔法の〈転移(テレポーテーション)〉が使え、一瞬で済むからでもある。

 しかし、実行者がフールーダだとバレた時点で、彼の高弟達に「師よ、なりません」と止められていた……。

 

(くっ、非常にじれったいが致し方なし。焦っては事を仕損じるというもの)

 

 大いに熱くなったが、我慢も心得ている老人である。

 そして先日漸く、ダミーの商会を通じた捨て石の陽動者連中と、凄腕の傭兵団や暗殺集団へ誘拐案件をぼかした内容での呼びかけを始めている。

 経費は多少掛かるが、魔法省の年間予算からすれば微々たるものである。

 

(ふははは、あと少し待てば~)

 

 年甲斐もなくワクワク状態であった。

 そんな楽しい思いの時に、フールーダの自室へと帝国情報局に届いたばかりの緊急情報を伝えるべく、高弟の一人が駆け込んで来た。

 

「師よっ、一大事にこざいます!!」

「ん。慌ててどうしたのか?」

「そ、それが――」

 

 その青ざめた表情の高弟の話す内容が進んで行くと、フールーダの表情が見るからに『なんということだ』というものになっていった。

 

「にわかには信じられん、(ドラゴン)どもが300もだと……。このことを陛下は?」

「この時間だとまだかと、しかしあと10分もすれば伝わりましょう」

 

 フールーダは太い白眉下奥からの視線を床に落とし、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

(おのれぇ、もうすぐ魔法の深淵に近付ける手掛かりが手に入ろうかという時に……。ゴウンなる者は己で何とかしようが、王国辺境の村娘だけは断じて守らねばならぬぅっ)

 

 だが、出現した脅威は過去最大で強大。

 大事な計画を前に、大賢者自身の存在意義他、帝国も含めた全てへと風雲急を告げてきた。

 

 それから間もなく信頼厚い『爺』であるフールーダは、当然の成り行きとして皇帝ジルクニフからの呼び出しを受ける。そして直ちに、主のいる皇城宮廷内の巨大な机が置かれた皇帝執務室へ帝国主席宮廷魔術師として参上した。

 扉の外には増員された近衛騎士が6名おり、すでに厳重警戒態勢で警備に当たっている。

 執務室内には、各種資料と書類の山がそびえ立つ大机の椅子へ深く座り静かに頭を抱えている皇帝の姿と、帝国四騎士のリーダーのバジウッド。そして、信頼できる側近で四十代のベテラン秘書官ロウネ・ヴァミリオンの計四人だけが集っていた。

 状況からみて、ここへ伝えに来たのは秘書官のロウネと思われる。

 すでに状況について知っているはずのバジウッドは、武人らしくあっさり気持ちを切り替えている模様。

 

「あー、陛下。全員揃いましたが?」

 

 騎士の彼が、いつもの気安さでジルクニフへ声を掛けると、皇帝は気が重そうにその顔を上げる。

 ジルクニフは、この場に揃った者達の顔を一通り眺めると、静かに口を開いた。

 

「なぜだ、クソっ。……帝国にとって未曽有の局面が迫ろうとしている。大規模な竜軍団が隣国のリ・エスティーゼ王国へ攻め入った。今、矢面に王国が立っているが、これは決して他人事ではない。我々は何としても王国を脅威への防壁として生き残らさねばならないぞ」

「……左様ですな。止むを得ませんが」

 

 皇帝の発言は、これまでの王国疲弊併呑計画への見直しとなる重大発言であるが、近々の重大である野望(村娘保護)を最優先するフールーダはさり気なく即同意した。

 フールーダにしてみれば、王国北西部や中央部は灰になっても構わない。帝国との辺境が守れればそれでいい。

 

 いや――帝国さえも多大に消耗しようと構わないという気でいた。

 

 完全なる裏切り行為的思考である。

 しかし、それこそが生涯を魔法習得に掛けるフールーダ・パラダインの真意。

 ここで皇帝の考えに、一応秘書官ロウネが確認の意味で発言する。

 

「それですと、これまでのわが帝国の戦略方針と反する部分もあると思いますが、方針の転換ということでよろしいのですね?」

「ああ。もはや王国北西の情勢が大きく変わったと見るべきだろう。亜人達の国と国境を接するというリスクを私は、いや我々人類は軽視しすぎていた。なにせここ200年間で小競り合いしかなく、これほどの規模での侵攻は一切なかったからな。“起こらない”と決めつけていたのだ」

「そうですねー。王国もきっと、不意を突かれた感じでしょうね。経過の続報が怖いですね」

 

 皇帝の発言に、バジウッドは軍人として敵の進撃度合いでの戦力実状が気になる内容の言葉で相槌を打った。

 秘書官ロウネが、帝国情報局に入っている最新の情報を再度伝える。

 

「今から8日前の夕刻頃に、総数で300余体の竜軍団がアーグランド評議国南西部山岳地より越境し、リ・エスティーゼ王国北東山岳部を越え平野内まで侵攻。村々を焼き払い、西に移動しつつ大都市エ・アセナルを目指して侵攻中と伝えてきています。おそらく既に、王国の大都市エ・アセナルは大被害を受けているかと」

 

 竜軍団の北から西へ回り込む侵攻経路や攻撃目標がエ・アセナルという情報を、フールーダはこの時に知る。

 

(エ・アセナルといえば確か、亜人の国の近隣という立地のため、中央へは切り立った丘に建設された要害の城と都市全体を分厚く高い外郭璧に護らせた堅固に出来た大都市であったはずだが……)

 

 それがまさか、たった数時間で燃え落ちて廃墟になるとは、この時点では『逸脱者』すらも想像していない。

 加えて竜軍団には難度150を超える個体が実に7体も含まれている。

 その詳細が帝国へと伝わるのは当分先であるが、豊富な経験を持つフールーダだけは顎の白鬚を扱きつつここで予言する。

 

(ドラゴン)が纏まり300体という数。間違いなく率いているのは、大いなる力を持つ竜王(ドラゴンロード)のはずですぞ」

 

「「「――っ!」」」

 

 竜王(ドラゴンロード)――それは完全に物語の中でも最後の存在。

 伝説のモンスターの(ドラゴン)の中にあって、それらの群れを統べる者。

 モンスターとしての括りには入るが、まさに逸脱した存在。

 皇帝と秘書官ロウネはほぼ同時の結論に達する。

 それについて、背もたれから前へと身を起こし、片肘を突いたジルクニフの方が口に出すのが早かった。

 

「――和平案を何か考えられないか? 今後、相互不可侵であれば我が帝国だけも構わん」

「陛下。彼らが何故急に侵攻を開始し始めたのか、その部分に交渉の余地が隠されていると思います。その辺りへ関し早急に調査が必要かと」

 

 ロウネは、主の言葉へいち早く対応策を具申した。

 しかしすぐ、フールーダが俯瞰した意見を主へ述べる。

 

「まずそんな時間はありますまい。あと、(ドラゴン)という種族性です。誇り高い彼等は対等と考える者の意見しか尊重しませんぞ」

 

 つまり、軍団を率いる竜王(ドラゴンロード)に対し、同程度の力を示さないと約束事は進められないということ。

 軍人のバジウッドも真っ直ぐと思える意見を続ける。

 

「いやー、私が敵だったとしても、バカや弱いヤツの言う事なんて単なる軽い戯言でしょうね。少なくとも一度は大反撃を見せて、一目置かせないと交渉の余地はないでしょうなぁ」

 

 皇帝も縋るような思いで考えを述べたにすぎない。

 そもそも、『血の粛清劇』で自らも同じことをしてきたのだ。

 

 反皇帝派は勿論、一目置くべき価値すらないものらは――帝国において『不要』であると。

 

 皇帝ジルクニフは、前に乗り出していた身を溜息を洩らしつつその席の背もたれへ深く倒した。

 まもなく、目前の机へ僅かに残った更地の面をジッと見詰めたまま、彼は口を開く。

 

「相手は、竜王に亜人達の群れであるアーグランド評議国……もはや、背に腹は代えられん。スレイン法国やカルサナス都市国家連合らとの人類連合軍を考えるしかあるまい」

 

 現状で立場が同じ国家同士ならば、対等の内容で協議が出来るとの考えで大戦略を述べた。

 ロウネは皇帝の意見へと支持を伝える。

 

「各国の利害は一致すると思います。早期に実現可能となる案かと」

「ふむ。かの大国である法国が、どう動くかは気になりますけれど」

 

 フールーダも、王国辺境の維持に有用と思える案には肯定的に頷く。

 そんな中、戦いの矢面に立つバジウッドが気になる事を数点確認する。

 

「あのー、リ・エスティーゼ王国も人類連合軍ですよね?」

「ああ、勿論だ。しかし――腹を踏まれ泥を被ってもらう国は必要だからな。まずそういう国を退けて話を進める方がスムーズに物事は決まる。そして後でも小は大に従うものだ」

 

 外交の駆け引きに、冷たい瞳でジルクニフは確信をもってそう告げる。

 これほどの大戦の場合、広い戦場が必要。そして王国には、帝国の防壁として疲弊した名ばかりの戦勝国なりにしっかり残って貰わなければならない。

 国益を考えれば、のちに多少の援助ぐらいはしてやるつもりだ。

 

「ですが、あのスレイン法国が話に乗ってきますかね?」

 

 バジウッドの確認はなかなかニガい。

 バハルス帝国は、過去数代に渡り幾度もスレイン法国へ外交の使者を送っている。

 しかし、好意的な合意には一度も至ったことがないのだ。

 それには、六大神のアイテムの共同研究や、『死の霧』の覆うカッツェ平野の共同制圧の話もあった。だが、概ね帝国側に利益が大きい話に思えた。

 ただ今回は、意図や規模、背景状況が大きく異なる。

 すべての人類国家に対しての問題と言えるだろう。

 

「かの国は“人類の守り手”を自負している以上、動くのは間違いないでしょう。密かに竜王国へも毎年援軍を送っているという情報も掴んでおります。今回は、北西の亜人国家発でありますが、大陸中央方面の亜人の大国連合がいつ動き出すとも限りません。その予行演習との考えを伝えればより乗せやすい話のはずですし」

 

 秘書官ロウネはそう返す。

 しかし、バジウッドは武人の勘なのか、こう切り返した。

 

「そんな“人類の守り手”のスレイン法国だからこそ、表立っては組まないんじゃないのか? もし人類側が連合し亜人の国を討ったと大きく伝われば、尚更、亜人達が多く住む大陸中央の列強各国への動きを誘発すると考えないか?」

「そ、それは……」

 

 ロウネを初め、皇帝ジルクニフも目を見開いていた。

 恐るべき話である。

 大陸中央は正に亜人達の巣窟。亜人どもの治める国ながらその列強各国が手を組んだ場合、敵総人口は億を軽く超えてくる。

 スレイン法国がいかに強かろうと、六大神でも復活しない限り人類に勝ち目など無い――。

 

 しばしの沈黙がこの場を支配する。

 

 つまり、表立っての人類連合はマズく、アーグランド評議国を全力で潰すのも危険を孕むという空気が流れていた。

 

「では、各国が、個別で……戦えというのか……?」

 

 目を閉じた皇帝ジルクニフが拳を握りながら小声でボヤく。その声が僅かに震えていた。

 それへフールーダが助言する。

 

「ここは、アーグランド評議国が総力で動く前に、今の竜軍団侵攻の段階で自国へ引き揚げさせるのが上策。それには――密かに各国の精鋭をぶつける以外に手はないかと。私以下、高弟達からも100名の強襲魔法詠唱者部隊を選抜いたします」

「……爺」

 

 続いてバジウッドとロウネも、自らが取るべき行動を仰ぐ主へと伝える。

 

「……ですなぁ。帝国八騎士団や近衛軍から、防御と対空攻撃力の高い5000騎程を早急に選りすぐりましょう」

「では私は、冒険者組合と各国への働きかけ並びに、王国へ対し幾つかの大規模商隊として密かに通行許可を取り付けるよう全力で動きます」

 

 机の前に凛と並び、頼りとする臣下三名の力強い言葉に、若きジルクニフは椅子から立ち上がると皆の顔を眺め、一つ静かに頷くと右手を前に翳し主らしく命じる。

 

「王国に侵攻せし竜軍団を我が帝国の選抜精鋭軍にて撃破し、アーグランド評議国へと叩き返せっ! 手段は選ばず、費用は必要なだけ掛けて良い。これはバハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの厳命である!!」

 

「「「ははっ!」」」

 

 

 

 

 

「――というわけだ」

 

 バジウッドの語りが二十分ほどで終わる。

 皇城内の一室で机を囲んだ、彼の前へ座る三人の騎士の内、ニンブルとナザミが胸へ拳を当てた姿で席から立ち上がる。

 そして、()()()()()()皇帝執務室の方向へ向かうと拝命の姿勢を取る。

 そのあとに遅れて「仕方ない」と、レイナースも立ち上がりその姿勢を取った。

 ニンブルらの気が済んだかという頃にバジウッドは伝える。

 

「このことは、明日夕刻に臨時招集される中央閣議で正式通達される内容だし、まだ口外するなよ」

 

 帝国は、皇帝を中心とした絶対王政の中央集権国家である。

 なので中央閣議では決定事項のみが通達周知される。

 しかし、全てがいきなりその場での通達は、色々不満等の問題が出て来るため根回しが順次事前にされている。

 今は、帝国八騎士団の将軍達数名を集めて、皇帝との意見交換がされている時間。

 

「結局、状況は変わっていないんだがな」

「行けと命じられれば、炎の中へも飛び込むのが帝国の騎士だ」

「……そうだ」

「まあ……私は逃げるけどね」

 

 レイナースだけは変わらない。

 帝国八騎士団は各軍団の将軍達が騎士の選抜を担当するはずだ。

 バジウッドら帝国四騎士は、その手伝いと近衛軍の選抜作業を始めることになる。

 常時厳しく管理調練されている帝国軍の部隊は洗練されており、動き出せば整然と非常に迅速である。

 また、数が絞れれば全軍が騎馬隊として行動も可能だ。

 帝都内では冒険者達への強制的参加要請も通達が始まっているはず。

 帝国から王国内への出撃は、早ければ恐らく数日後より順次始まるであろう。

 

 勅命による彼等帝国四騎士の出陣も間近に迫り始めていた――。

 

 

 

 

 そんな中、フールーダは帝国魔法省の自室で、時はまだ有ると寛ぎつつ小声で静かに呟いていた。

 

「ふははは、これで――自ら堂々と王国領内へ入れるな。辺境の村娘よ、会うのが楽しみでならんっ」

 

 はしゃぐその様子は、圧倒的である規模と強さを誇る竜軍団との戦いを気にする風もない。

 当然だ。

 魔法習得に影響しない戦いの勝敗は余り考えていないのだから。

 それに、彼だけは〈転移(テレポーテーション)〉で大抵の局面で逃げ去る事が可能。

 また一応、竜にも効果の高い攻撃魔法が幾つも使えるのだ。

 まあ、相手に難度170以上の百竜長達やそれ以上の竜王までいるとは想定していないが。

 知らぬが仏という時間である。

 

 魔法狂いの老人は、本当に何も知らない。

 竜軍団すら比較にならない禁断の『ナザリック友好保護対象地域(カルネ村)』へと、彼は満面の笑顔で踏み込もうとしているのだから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兄クアイエッセがモモンによって倒され、妹の復讐劇は終わった。

 同時に秘密結社ズーラーノーンへの借りも達成している。

 念願であった兄の『血みどろな死に様』を間近で見て、身が熱く盛る女騎士クレマンティーヌ。

 

「ねぇ、モモンちゃん……これからどうしようか?」

 

 金色の髪を揺らして彼女は、頬を染め優しく穏やかに甘える表情で尋ねてきた。その猫の如き身体を漆黒の鎧姿のモモンへと預け妖艶に擦り寄りながら。

 その言葉には、数々の想いと事柄が詰まっている風に思われた。

 

 ここは、廃墟エ・アセナル南方に広がる穀倉地帯の麦畑の中。南西へ伸びる大街道に近い場所だ。

 モモンらの前には、未だクレマンティーヌの兄クアイエッセの亡骸が、目を見開いたまま周辺の麦の穂軸を広く押し倒す形で転がっている。

 クレマンティーヌの質問に対して真面目に予定を考えれば、彼女には苦戦中の兄の応援を呼ぶ振りをして一度漆黒聖典の仲間の所へと戻ってもらう。兄はカイレ同様討ち死し連れ去られたとして、彼女はそのまま隊長らと共に順次スレイン法国へ引き上げてもらう事が最良だろう。

 このクアイエッセの亡骸も復活されると色々困るので、デミウルゴスの『至宝奪取(エィメン)作戦』の()()()()()()一応押さえておく必要がある。

 とりあえずそんなところだが、彼女がモモンへと向けてくる僅かに潤みもある視線からは、先日約束した二人の深い関係を熱く期待している雰囲気が感じられた。

 

 つまり彼女の質問は――男女の仲の寿的門出について、なのだっ。

 

 そのためにはまず、二人きりでの逃避行(エスケイプ)で、この場からの即刻離脱も熱望していると思われる。

 そしてどこか遠くの森の暗めになっている木陰で、いきなり男女の熱い交わりを……と。

 

 

 クレマンティーヌに残されている願望は、すでにモモンとの婚活、妊活といえる甘い日常のみである。

 対するモモンは、彼女へと自身の異形種を含む全ての真実を告げた後の、ナザリック残留を願う。

 

 

 支配者としては、ナザリックの地上方面における独立した諜報機関での対人間部門の幹部として、周辺に詳しく交渉力も高い有能なクレマンティーヌの活躍を期待している。

 彼女は人間だが、既にナザリックへの貢献度は相当高く、エンリと変わらない待遇を用意するつもりだ。

 「大願であるその蘇生の秘術を教えて貰えるなら、儂は直ちに貴殿の忠実な配下になろう」と言ってきた、あの律儀で真面目そうなカジット辺りと組ませてもいいだろうと。

 

 このように、クレマンティーヌとモモン両者の思考には大きな隔たりがみられた。

 ただ、彼は可能な限り、弱点と言える素肌接触を伴うハレンチ方面への流れを逸らせたい。

 その考えの中で、ふとモモンの返した返事の言葉は、先の質問から些かズレたものとなった。

 

「……これからが大変かな」

 

 これは真実の暴露や漆黒聖典他の行動誘導に対する、彼の不安や思いを述べたものでもある。

 しかし――()()()クレマンティーヌとの未来をしっかり考えてのものにも聞こえた。

 なので、その言葉に彼の胸で頬をスリスリしていたクレマンティーヌの動きが止まり、感激と共に非常に大きな問題の待つ現実へ気付き、目が大きく開かれる。

 

 そう、大変なのである。円満な家庭を築くという事が、だ。

 

 この後、勢いで連日朝から晩まで、モモンと散々気持ちのイイエッチなコトをし子供が出来たとしても、安住の地が必要。

 今ここから離脱や職務放棄することは、刺客や追手に追われる等、決して幸福には繋がらない気がした。

 まず彼女自身、現在スレイン法国が貴重品として保有する全力装備衣装を着用し武器も帯びている為、回収に追手がくるのは確実。

 またクレマンティーヌは、今回遭遇した(ドラゴン)達の組織的であった行動から、モモンとマーベロ達の素性について思い当っていた。

 

 

(モモンちゃん達って―――アーグランド評議国と繋がってたんだねーっ)

 

 

 とんでもない勘違いである……。

 

 しかし、最近の周辺情勢からと、伝説の(ドラゴン)達を動かせる部分を考えれば自然に湧く思考の流れといえよう。

 アーグランド評議国は亜人達の国。

 かの国で、奴隷階級と伝わる人間達の肩身は狭いはずなのだ。

 その点から『こうに間違いない』とクレマンティーヌが妄想した話――『真・モモン†無双』は以下。

 評議国首都に程近い亜人の治める街。

 両親が南方の国系種の奴隷であったモモンは、闘技場の中で見世物的に日々戦わされていた……。

 だが彼は、その類稀な剣の実力で奴隷人間の強敵を初め、亜人の猛者達をも次々に倒し続け、頂点まで駆けあがる。

 モモンはついに奴隷から解放され、平民階級へと這い上がった。

 彼の驚異的強さは、評議国の対人類国家内部工作隊隊長の目にとまる。声が掛かり公僕として潜伏出撃も近付いた。そんなある日。

 街で褐色小娘のマーベロが、あられもないボロを着せられ奴隷娘として安く売られていた。

 偶然通りかかった人間のモモンの姿に千載一遇と救いを求めるマーベロ。

 

『せ、戦士様にだけ、僕の秘密を教えます。じ、実は僕、魔法が……少しだけ使えるんです。役に立ちますっ。だから、僕を買ってください……そ、その……なんでもしますから……』

 

 おどおどしつつ恥じらう少女は、モモンに僅か金貨3枚で救われる。

 

『これからは、モモンでいいから』

『は、はいっ。モモンさん……』

 

 そしてそれから各国へ潜伏しながら数年の日々、役に立とうと必死に修練しヘボながらも魔法を上達させるマーベロは、同時に恩人の彼へ感謝を込めて自ら献身的に熱い昼夜の奉仕もしているのだと……。

 クレマンティーヌの見たところ、年齢差のあるマーベロは一切の不満なくモモンへと喜んで仕えており、忠実な下僕の如く見える。

 また、二人は冒険者として新人であったにもかかわらず、その手にしていた立派である装備品の数々。後方の組織力の影が見える。

 情報を総合すれば、全てが女騎士の考えの中で明瞭かつ完璧に繋がった。

 

(モモンちゃんは、強くて優しいんだもんねー)

 

 クレマンティーヌ自身も優しく救われた身。疑う余地はない。

 さて、そんな評議国の関係者であるモモンちゃん。

 もしここで、彼がクレマンティーヌの意見を飲み共に公職から逃げ出せば、二人は強い亜人達と揉めたり追われることになるだろう。

 いかに彼が強くても、自分達の愛しい子供らはか弱いかもしれない。

 執拗となるだろう法国と評議国からの逃亡では、円満で甘い夫婦生活を維持する事は難しく思う。

 そんなのは誰でもイヤに決まっている。

 だから、一時的感情での爛れた愛欲に身を任せるのは、夢見つつもマズイという思いが、彼女の心の中に燦然と芽生える。

 

 エッチは、竜軍団他、この一連の件が片付くまで、状況に余裕が出来るまでの我慢だと。

 

(う~ん。でも、仕方ないよねー)

 

 クレマンティーヌは、竜軍団ら評議国側が勝つか、漆黒聖典他の人類側が勝つか動向を最後まで見守る事にする。

 万全を期し、それからモモンとの眩しく甘い生活場所を決めるべきだと。

 真剣に考えたクレマンティーヌが自分でモモンから身体を離すと、元気いっぱいの笑顔で彼へと告げる。

 

「モモンちゃん、ごめんねー。私――一杯エッチのことばっかり考えてたー。でも、今はもっと大事にする事があるよねっ」

 

 相手は夫婦となる約束を交わしている愛しい男である。言葉への取り繕いはない。

 気持ちのまま彼女は可愛く伝えた。

 

「ぁ、ああ、そうだね」

 

 異様にテンションの高い乙女色の女剣士の勢いに、モモンは少し押され気味だ。

 クレマンティーヌは「ねー、モモンちゃん。私はどう動けばいい?」と、モモンへこの場からの指示を仰いだ。

 彼女の突然の方針転換した問いに対して、モモンは内心で大いにホッとしながら、当初通りの真面目な指示を伝える。

 

「トリックを仕掛ける。君は一度応援を呼ぶフリで、漆黒聖典のもとへ戻ってくれないかな。で、誘導場所はココじゃなくて、先のギガントバジリスクの死体がある場所でよろしくね。あとは、何とか他の隊員達と法国に引き上げてくれれば――」

 

 途中、モモンは一点気になる事を考えた。

 今回は隊員の死であり、それを同じ場に居た『不仲な兄妹』の妹が伝えに来た。これまでのクレマンティーヌの行動が無事であった事から、『嘘を見破る』という魔法も特殊能力(スキル)も仲間から掛けられていないようだが、流石に今回はそれが無いとは考えにくい。

 常に油断は禁物である。

 

(対抗出来るアイテムを渡しておくべきか)

 

 一瞬考えるモモンが答えを出す前に、ここでクレマンティーヌが尋ねてきた。

 

「でもさーモモンちゃん、コレはどうするのー? 装備類は確実にウチらの誰かが回収に来ると思うけど」

 

 『コレ』という代名詞と化した、兄であった亡骸に対しての当然の質問。

 モモンとしては、出来る限り容疑者をクレマンティーヌ以外で確定させなければならない。

 

(先の(ドラゴン)に命じてギガントバジリスクの死体周辺へ、火炎砲を何発か吐いてもらおうかな。それから3体と合流してもらえば。向こう側やこの地も含めて、アウラ達に上手く隠ぺいしてもらおう)

 

 盗賊娘で毒耐性のフランチェスカもおり、隠ぺいのエキスパートは揃っている。

 モモンは大丈夫だと確信をもって、クレマンティーヌへと告げる。

 

「こっちで処理しておくよ」

「……分かったー。モモンちゃんにおまかせー」

 

 優しく笑う彼女は「どうやってー?」と詳しく尋ねない。

 恐らく、先程の(ドラゴン)を上手く使うのだろうと薄々予想出来る。

 ――彼からは『必要が有れば知らされる』と思うべきだと。

 

(近いうちに全部話してくれるよね? モモンちゃん……)

 

 可愛い女は慎ましくそうあるべきなのだと、乙女モードであるクレマンティーヌは思った。

 

 この時、モモンは返事へ一拍置いてきた笑顔のクレマンティーヌが、何も聞いてこなかったことで、逆に後ろめたさを感じていた。

 彼女にしてみれば正直、この状況のあとに漆黒聖典の所へ戻るのは怖いと思う行為である。

 モモンの様に圧倒的ではなく、彼女と互角の技量者達が何人もいるのだから。

 バレればどうなるか。

 逃げ切れず捕まり――待つのは拷問死だろう。

 

(クレマンティーヌは、モモンを好きで信用しているんだなぁ)

 

 それが確かに伝わって来たのだ。

 対して自身が彼女へ、多くの裏切りとも取れる重大な秘密の山を抱えているという事実――。

 恩には恩で返すのがアインズの流儀。信頼には信頼――とは少し違うものではある。

 

「じゃあ、私行くねー」

 

 伝説級(レジェンド)アイテムである立派な二本のスティレットを腰へ下げる金髪の美人女剣士は、モモンに最愛の者へ向ける優しい微笑みを送ると背を向け走り出す。

 

「―――ぁ、待ってくれ!」

 

 数歩駆けたところで、それを漆黒の戦士が呼び止めた。

 クレマンティーヌがその急である叫び声に反応し足を止め振り返る。

 

「えっ? 何ー、モモンちゃーん!」

 

 モモンがゆっくりと歩いて、50メートル弱麦畑を進んでいた彼女へと近付いてゆく。

 近付きながら彼は、色々と湧く葛藤事を考えていた。

 

(真実を告げたいけど……。でも、ここは戦場。いいのかそれで――)

 

 今は機会が悪いようにも感じる。

 もっと落ち着いた時に話を伝えるべきだと、モモンの頭では思っている。

 しかし、口から言葉が流れ始めていた。

 

「クレマンティーヌには伝えておかないといけない、とても大事な事があるんだ」

「………なぁに、モモンちゃん……?」

 

 呟くと彼女は静かに彼の言葉を待っていた。

 雲が多いながら日の差す空の下へ一面広がる黄金の麦畑には、向かいあう二人だけが立ち尽くし、そこを緩やかに風が音も無く抜けていく。

 モモンは目を閉じ、内心で眉間に皺を寄せる思いで語る。

 

 

 

「……驚かないで聞いて欲しい。――実は、俺は――――人間じゃないんだ……」

 

 

 

 ついに話してしまった。明確に最大の真実を伝えたのである。

 そして、それを聞いてしまったクレマンティーヌの反応は――――。

 

 

「えっーーー!?

 ぁ……でも(やっぱり人類に抗する亜人の国だし、()()()()()()()を捨てるのは)、しょうがないよね。(私も捨ててたしー)うん、大丈夫ー」

 

 

「(笑顔で、大丈夫って)……あれ(齟齬なく伝わったよね)?」

 

 何故か返って来た言葉が、アインズの想像していた「この嘘つき」「人間じゃないのに結婚とか信じられない」「恨んでヤル」「殺してヤル」「バラしてヤル」など終末的なものと違う上に、意外に反応も小さく平静を保っていた。これでいいのだろうか?

 双方気付くことなく豪快に空振っていた……。

 

「え、なにー? それだけ?」

 

 クレマンティーヌの中では、モモンが反人類の為に、妻となる女の兄で『人類の守り手』である漆黒聖典のNo.2を平然と討ち、暗黒の秘密結社ズーラーノーンと手を組もうとした事も『人間じゃない』という言葉を十分に裏付けるものだと、理解が理路整然と進んでいた。

 

「ぁあ、今は……それだけ……かな」

「うん、分かったー。じゃあまたねー」

 

 彼女の反応は軽かった。

 今のクレマンティーヌには、自分や下僕のマーベロ、そして今後生まれてくる我が子に優しい(モモンちゃん)ならそれで充分だと。

 彼女の見せた余りの変化の少なさに意表を突かれた事で、モモンはナザリックに関する話を伝えるのが思考から()()()()()()と共に飛んでしまっていた。

 

 

 二人の真の相互理解は、まだ少し遠くに有るように思えた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前中、この地の広い空へは雲が広がり、風が穏やかに流れていた。

 先程からその雲は薄くなり、時折日の光が差す空模様。今日一日、雨は降らないだろう。

 アーグランド評議国国境からの距離、およそ40キロ。

 廃墟となった旧エ・アセナル市街上空では、難度200オーバー水準同士の二者、『竜王(ゼザリオルグ)』と『神人(隊長)』による激しい一騎打ちの死闘が繰り広げられていた。

 

 『八欲王と共に皆を殺した人間(ゴミ)どもめ死ね』VS『人類の敵はただ倒すのみ』。

 

 両者の強き思いは相手の排除へと収束する。

 この世界で、圧倒的といえる力同士の戦いが新局面を迎えつつあった。

 

 槍を竜王に掴まれた漆黒聖典の『隊長』は、逃げ場のない近距離からの火炎攻撃を危惧。

 その『隊長』が、ついに秘蔵の力を全解放したのである。

 

 

「行くぞ、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)……

 ――スキル(奥義)発動、〈上 限 超 越(オーバー) ・ 全 能 力 強 化(フルポテンシャル)〉っ!」

 

 

 余り類をみない〈上限超越・全能力強化(オーバー・フルポテンシャル)〉の効力により、この時点で『隊長』の総合力はなんと、レベル換算で煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)をも上回っていた……。

 

 実にLv.91相当である。

 

 これはレベルそのものが上がった訳ではなく、一時的にその水準の強さの力が出せるというもの。

 なので例えば『Lv.90以上の者には無効化される攻撃』は普通に通って来るのだ。

 隊長の本来のレベルは80程度に留まる。それを武技と特殊技術(スキル)で底上げに下駄を履かせた形。

 だが、その体はエクストラモードを示す様に、美しい淡い光に包まれていた。

 そして己に湧き上がる大いなるパワーをもって、『隊長』は強靭である竜王の前足の爪に握り止められていた主武装の槍を引き抜いていった。

 この予想外の変化には、ゼザリオルグも気が付いた。

 

(なにっ?!)

 

 先程までは引き抜かれる気配は全く感じなかったが、(ほの)かに光り始めた人間側へ、いきなり槍の穂先が流れ始めたのだ。

 ただ、そもそも穂先と持ち手部分である柄とは有利不利の差がある。

 まだ剛力で劣っている訳ではない。竜種とはそういう化け物なのだから。

 槍を引き抜いた『隊長』は、翼を羽ばたかせる竜王と空中で一度40メートル程の距離を取りにらみ合った。

 しかし、それは一瞬。

 なぜなら『隊長』側の能力に制限時間が存在するからだ。

 1秒も無駄には出来ない。早急にこの目の前にいる巨大である人類の脅威を倒す必要があった。

 槍を構えた『隊長』は、間を置かず動き出し仕掛けていった。積極的に弾丸の如く進み敵の火炎砲撃の間合いへと入って行く。

 でも、その竜王側から火炎での迎撃は無かった。直線的だが飛び込んで来た敵のスピードが先程より各段に上がっていたためだ。

 踏み込みといってよい感覚。

 『隊長』は正面から挑む形で、口を開き威嚇して来る竜王へと近付き、そして――槍の柄でそのゴツい顔面を殴りつけた。

 

「ぐっ」

 

 強烈に受けた不意討つ一撃の痛みで、ゼザリオルグの頑丈な顔が歪み後退する。

 竜王は、『隊長』の空中にもかかわらず素早い接近に加え、穂先の方へ気が向いていたのだ。

 

(くそっ、予想外の動きだぜ。なんだ今の空中での急転換の連続と速さは)

 

 移動には〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉以外にも〈足場(フッティング)〉を連続展開しているように見えた。

 〈足場〉を連続展開出来れば空中においても、踏むことで方向転換や加速が地上と同程度に行えるのだ。もっとも5回も10回も連続展開出来る魔法詠唱者がいればの話であるが。

 これも『隊長』の纏う、最高峰という騎士風の衣装装備の能力の一つ。

 そのため、人間側の急転換する動きに、竜王側の火炎砲での迎撃は間に合わなくなっていた。

 だが、竜王も最小限に受ける攻撃を抑える。

 振り下ろされた柄の攻撃は食らったが、高速で来た返しの刃の一撃は後退しつつ首をひねって避けていた。

 

「……躱したか」

 

 『隊長』は躱された体勢のまま竜王を睨む。

 そうして、彼は再び素早く槍を構え直すと竜王へと飛び込んで行く。

 敵の人間が〈足場〉を使い急転換とその速さにより、竜王は得意とする空中での戦いにもかかわらず火炎を撃つタイミングすら取れず、受けに回ることが増え反撃の場が最早無くなりつつあった。

 明らかな相手の変貌に、ゼザリオルグは思わず舌打ちする。

 

「チッ……(この急激と思える伸び。コイツ、どんだけ能力強化しやがったっ)」

 

 『隊長』の身体能力の全てが強化されているため、接近戦中心にその攻撃も多彩だ。

 槍術に加えて、鋭い肘打ちや蹴り技も加える。ここまで温存していた彼の全攻撃力が存分に披露されていく。

 

 

 空中ならではの全方向からによる連撃の滅多打ちである。

 

 

 ピンボールの様でもあり、槍と爪からスパークも舞い散り花火の様でもある光景。

 

(クソォッ、捌ききれんっ)

 

 そのため竜王は飛びながらの防戦一方となった。動体視力では捉えていてもだ。

 穂先は爪を使い、肘打ちや蹴りも可能である限り俊敏な両前足で丁寧に受けていたが、弱点となったのは結局、頭から尾まで20メートルを優に超える体の大きさである。

 人間の小ささと高機動に対して、どうしても死角が出来やすいという事を意味していた。

 そのため『隊長』の鋭い攻撃が、ゼザリオルグへ少なからずモロに当たり始める。

 また、体格的には竜王の方が圧倒的だが、現状のように力が拮抗すれば、竜より随分小柄である『隊長』の方が密度が上がり強い事になる。その放つ一撃は必然的に強烈さが増していた。

 一方の『隊長』にとって、的はデカく心掛けるのは一撃の威力のみ。

 だがそれでも――流石は煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)

 

 

 兎に角、硬く頑丈なのである。

 

 

 『隊長』の放つ鋭い槍が、確実に幾筋も竜王の身体にヒットしているが、おかしい。

 僅かに鱗を削るのが精いっぱいであった。

 一向に突き破る事が出来ない。

 信じられないが、恐らく槍の丈夫さと攻撃性能が竜王の外殻に対し拮抗しているのだろう。

 目や口の中なら通ると考えられるも、当然完全にガードされていた。

 肘打ちや蹴りも積極的に放つが、正直打った『隊長』の手足側部分が逆にシビれる程の鱗の硬さで突破出来ずにいる。

 

 恐らく今、人類最強水準の『隊長』が放つ槍や蹴りの一撃一撃は、小山が軽く吹き飛ぶだけの威力があるはずなのだが……。

 

 それでも渾身のパワーで攻撃を打てば、竜王も「グゥッ」と呻き体を軋ませ巨体が後退するほどのダメージがあり、それは確実に蓄積しているように見えた。

 とはいえ、打撃系では打つ『隊長』のダメージと消耗も小さくないのが事実。

 なので試しに彼は浸透波導系の攻撃も混ぜてみた。

 それは剄に近い技で、槍の突きの力を突いた点に集中させ貫くのではなく、通す形で奥に届ける技だ。上手く放てば、硬く分厚い外殻を浸透しその内部の対象に攻撃する事ことが出来る。

 周囲の空中を高速で移動しながら放った『隊長』の鋭い槍九連撃の一つが、竜王の受け手数を上回る。

 そして確かに肩口へ当たった槍の先を通して、攻撃が鱗の内部へと通ったはずであった。

 

 だが、煉獄の竜王の体内は超剛筋肉の塊。

 

 見た目、竜王の動きに変化は感じられなかった。

 ――凄いとしか言いようがない。

 分厚い外殻を持つ難度130程度のモンスターであれば、これを正面から食らうと、背中側だけが爆発したように後方へ背骨の破片や内臓をまき散らし吹き飛ぶ程の威力がある。

 勿論、即死する。

 その後も十数回叩き込んだが、攻撃は思うように効かなかった……。

 竜の通説からすれば、これに加えて上位魔法攻撃も殆ど受け付けないと思われた。

 正に世界最強の種族でその王に相応しい強靭的身体と言える。

 クールな『隊長』が槍を握り直すと、小声ながら思わず唸った。

 

「ふぅ、本当に化け物だな……」

 

 それは、弱音ではなく相手への称賛と――覚悟の言葉である。

 『隊長』は自分の身体を庇うのをやめた。

 直後――。

 彼渾身の最速全力での閃光のように鋭い三連撃―――突き、殴打、蹴撃が竜王へと炸裂する。

 

「グッ。ガハッ、ウッ」

 

 あの頑強さを見せていた竜王が、苦しみの声と共に空中でよろめいた。

 ついに、左上腕、右腹部、左足の3箇所の鱗を突き抜き、割り、砕いて破ったのだ。

 その傷口からは血が滴っていく。

 

「………」

 

 『隊長』は無言。

 若く凛々しい表情を変えず、依然美しい淡い光に包まれた体で空中に立ちながら、30メートル程の距離で、呻いて僅かに高度を下げた竜王を見下ろす。

 だが、こちらも只では済んでいない。

 握り持つ槍の穂先が欠けていた。右肘の防具は軋みその下の皮膚が酷く捲れ、左足首近くの骨にはヒビが入っているように感じていた。

 隊長は騎士風の衣装装備の内ポケットから、二本の小ぶりな短杖(ワンド)を取り出す。

 そして素早く唱える。

 

「――〈治療(ヒーリング)〉、〈復旧(リカバリー)〉っ」

 

 自身の身体と、手に握る武器へと魔法を施した。

 それぞれ10秒ほど淡い光に包まれる。

 

 

 

 そう―――壊れれば直せばいいのである。

 

 

 

 これは一騎打ちの試合ではなく、戦争なのだ。

 手段には最善を選べばよい。

 

 加えて、誇りある竜種はアイテムを殆ど持たない……。

 

 彼等が持つアイテムは、殆どが武器か衣装装備品に限られていた。

 煉獄の竜王ゼザリオルグも例外ではない。

 そして『隊長』にはまだ、10分程の制限時間も残されている。

 つまり。

 

(……勝負の終わりが見え始めたか)

 

 

 『隊長』の思考へ僅かにその考えが浮かんだ時に、『竜王』が口を開いた。

 

「おのれぇ、やるではないか人間。……俺を殺す気か。そうなんだろうなぁ」

 

 この時点に於いて、両者に対し明らかといえる優劣が付いていた。

 決して楽ではないが『隊長』の肉を切らせて骨を断つ風の攻撃が、巨体を持て余す『竜王』へと炸裂し始めている。

 今の『隊長』の超絶な三連撃の攻撃があと20回も続けば、確実に『竜王』は倒せる。

 それは、負傷した箇所が以前ほどの防御力を持たないからだ。

 分厚い超剛筋肉の胸部や腹部でも、渾身の槍が同じ所へ3度当たれば背中側へ貫通出来る。

 その手ごたえを彼は感じていた――。

 

「二度目の敗北死とかなっちまうともう、妹のビルデーや仲間らに笑われちまうかもしれねぇなぁ。それは嫌だなぁ」

「……」

 

 竜王の言葉に対して、依然として『隊長』は無言で見下ろす。

 今更交わす言葉など無いのだから。

 だが、良く聞いてみると竜王は『隊長』へ語り掛けているのではなかった。

 それは自身に対して、決意を促しているように聞こえた。

 

「なら、やっぱり――殺される訳にはいかねえよな。……絶対に使いたくなかったが仕方がねぇ」

 

 奴の雰囲気が変化した。

 竜王ゼザリオルグは、これから行う事へ気が進まないのもあるためか、長い首に乗る厳つい頭を些か振りつつ、両目を静かに閉じる。

 直後に眉間へ皺を見せながら小さく呟いた。

 

 

特殊技術(スキル)発動、――〈竜    の    闘    気(ドラゴニック・オーラ)〉」

 

 

 ここは上空900メートル程の位置。先程まで穏やかに流れていた風が渦巻き始める。

 その中心に竜王が居た。

 同時に、昼間にもかかわらずそれ以上に竜王の身体が白く輝き出し、徐々にその輝きを増してゆく。やがて眩しさで巨体の輪郭すら見えないほどになった。

 だが、眩しい輝きは間もなく――萎むように縮んでいく。

 合わせて周りの風も急速に収まってきた。

 そしてその輝きは、姿を現した者の体を包むように薄く残る状態で落ち着く。

 同様に美しい淡い光に包まれている『隊長』の目が、驚きで見開かれていた。

 視線の先に浮かぶ者は、なんと最早禍々しい巨大な(ドラゴン)の形をしていなかったのだ……。

 彼の口から思わず言葉が漏れる。

 

 

「……こ、子供? 人間だと……!?」

 

 

 今まで怨敵として激闘を繰り広げてきたはずの、『人類に仇成す(ドラゴン)』が身長150センチは無い人の姿となっていたのだ。

 それはまだ12、3歳にしか見えない姿。真っ赤な瞳の釣り目でムッとした表情と、復活時にバッサリ切り落とした黒紅色のワイルドな髪型。少しハレンチっぽい黒緑色のビキニ系の衣装装備を纏う白肌美少女であった。ただ、胸は……スプーンのさじ部程度に膨らんではいるっ。背に残る小さな黒紅色の羽だけが人との僅かな差だ。

 ちなみに巨体に隠れ目立たなかったが、両耳傍へ羽根飾りの付く冠も付属する彼女の衣装装備は、竜体の段階でも身に着けていた伸縮型の優れモノである。

 ここで「人間」の、おまけで「ガキ」と言われた当の本人が激昂する。

 

「あぁっ!? 失礼な事をぬかすな。俺は――竜人、しかも成体だっ!」

 

 先程までと異なる可愛い声ながら竜王自ら即、下等生物(人間)呼ばわりほかを否定してきた。

 当然である。

 人間が大嫌いである彼女、ゼザリオルグ=カーマイダリスはこの姿になるのも当然猛烈に嫌なのであった。些か小柄過ぎる身体の所為も多少ある。

 だから、弱点を克服できると知っていても、人の姿になってしまう〈竜の闘気(ドラゴニック・オーラ)〉の使用を今まで避け我慢していたのである。

 それでもついに、『猛烈に嫌だが死ぬよりかはマシ』と決意したのだ。

 

 その意味は、この目の前の人間には『ぜーってー(絶対)に勝つ!!』という事。

 

 すでに、闘気での身体強化と巨体からコンパクトな人型化で『隊長』との形勢は逆転済。

 だが、竜王は高らかにもう一つ吠える。

 

 

 

「俺が偉大な竜種なのだというその証拠をこれから見せてやるぜ。

 ――〈竜     の     進     化(ドラゴニック・エヴォリューション)〉っ!!」

 

 

 『隊長』は予感を覚える――人類が危ないと……。

 

 ゼザリオルグは、この人型形態からしか使えない生まれながらの異能(タレント)で自身の最終形態へと徐々に進化し始めた。

 彼女の姿は身長が少し伸び、頭から二本の可愛い角がハッキリ見え、鋭い爪の両腕と両足に背部の小翼が少し大きくなり、見えなかった尻尾が伸びる。白肌全体が以前の黒紅の鱗色へ変化し模様を再現していく。

 そして、何と言っても胸が十分に膨らんで、口からは可愛く炎がチロチロと見えていた。

 

 先程の巨体の『竜王』とは、姿と共に分かり辛いが強ささえも別物に変わっている。

 対峙する『隊長』は、いつの間にか顔を引きつらせ、少しずつ自然と距離を取っていく。

 そんな彼に、ゼザリオルグは余裕の薄笑いを浮かべて尋ねてきた。

 

「おい。これが人間か? ゴミ(人間)はこれほど強くねぇよなぁ?」

「…………」

「――お前も含めてな」

 

 弱いと言われながらも『隊長』から反論の言葉が出ない。

 とても危険と思える雰囲気が漂っていた。

 スレイン法国の至宝を纏うカイレが傍にいれば、『隊長』は迷わず叫んでいただろう「使えっ!」と。

 少女ゼザリオルグの目立つ赤く美しい瞳の眼光が『隊長』を鋭く射抜いてきた。

 デス・オア・ライブのへの最終ステージが始まる。

 

 

 

 

 その口火はすぐに切られた。

 時間も後もない『隊長』は自らが仕掛けるしかない。

 彼は、槍を強く強く気持ちと共に握り込んで構え直す。

 先手必勝。先に大きなダメージを『敵』へ与える事に賭ける。

 

「うおぉぉぉぉぉぉーーーーーー!」

 

 自身を鼓舞するように咆哮しつつ、最高速で一直線に両者の距離である30メートル程を刹那の時間で突貫する。

 

 これは、体ごと体重も乗せ渾身での全力全開、人類最強水準に高められ、あらゆるものを吹き飛ばす槍による凄まじい突きの雷光の如き一撃。

 

 槍は『竜王』の胸部奥深くまで真っ直ぐに突き刺さり、ついに―――。

 そんな優勢予想だった、はず。

 されど気が付けば、放った槍の穂先は少女ゼザリオルグの両手の爪でしっかりと握り止められていた。

 

「――――なっ?!」

 

 『隊長』の困惑の声が思わず上がる。

 断じて見たくない光景がほんの目の前にあった。

 特に槍先の尖った先端は、受け止めた『竜王』の右掌へ垂直に当たっていた。

 しかし切っ先は――貫通どころか、粉々に砕け散りへし折れて欠けていたのである。

 

「いってぇな、おい」

「………」

 

 『隊長』の攻撃に対するゼザリオルグの反応はそれだけ。

 気持ち的には、全人類の未来を掛ける程の思いと願いを込めた一撃であったというのに。

 その槍の破損面の接する、彼女のきめの細かそうに見える黒紅色肌の掌が、手傷を負ったようには見えない。

 

 

 先制は見事に失敗――無常である。

 

 

 人サイズの竜王は細腕で柔肌に見えているが、超剛筋肉と超硬化鱗の皮膚は先程以上の化け物ということだ。

 

「さて……これ、いらねぇな」

 

 そう口から火の粉混じりにつぶやいた少女は、両手の爪で受け止めていた槍の穂先部分を――握り砕く。

 残った柄の部分を持ったまま、固まった表情の『隊長』は10メートルほど離れた。

 そんな人間の行動をゆるりと眺めつつ、竜王が首や手を交互にボキボキと鳴らしてほぐしながら告げる。

 

「そろそろいいよなぁ? 刺され殴られ蹴られまくった先の分も、きちんと返さねぇとな」

 

 次の瞬間。

 『隊長』が見ていたはずの、竜人少女の姿が一瞬で掻き消える。

 ふと、ソレはもう眼前にいた――更なる別物の怪物らしく。

 

(――しまった!)

 

 躱す暇もない。

 

(おせ)ぇ」

「っ!――――ガッ」

 

 恐らく、竜王の放った打ち下ろしの左ストレート。

 『隊長』は、右頬にまるで彗星でも食らったほどの強烈な衝撃を受けて、撃ち出された弾丸の様に一瞬で地面まで到達しめり込み、瓦礫と土砂を押しのけ一直線に100メートルほど地上を抉り派手に目立つ線を残して止まった。

 左手にまだ槍の柄を握ったまま、押しのけた瓦礫混じりの土砂を背に、体で削った溝といえる場所で倒れて空を見上げる形だ。

 軽い脳震盪を起こしている『隊長』は、口から見事に折れた奥歯数本を吐き出しつつ、右手で二本の小ぶりな短杖(ワンド)を取り出すと息絶え絶えに魔法を唱える。

 

「……っ……〈治……療(ひ…ぃ……りん…ぐ)〉……、……〈復旧(リカバリー)〉っ」

 

 そして、全快した体と武器を手にすっくとその場へと立ち上がる。

 その姿を500メートル上空まで降りて来たゼザリオルグが眺めながら叫ぶ。

 

「そうそう、精々足掻いてよねーー! ゴミらしくさっ!」

「……」

 

 そう見下され告げられるも『隊長』は冷静だ。

 直ちに、受けた敵の攻撃力から今の竜王ゼザリオルグの強さを判断する。

 でもそれは最低でも――『絶死絶命』である番外席次の水準。

 いや、恐らくそれ以上に感じていた。

 少なくとも、番外席次にはこの槍の切っ先を握り砕く程の剛力はない。

 加えて、竜王の空中での動きだ。

 まだ全て見ていないが、『隊長』自身が使う〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉〈足場(フッティング)〉を駆使する動きよりも、竜王の純粋な翼のみによる動きの方が変幻自在で速いと思われた。

 それはまるで、小鳥達が高速で森の中の枝木の茂る中を自由に飛び交う姿そのもの。

 身体の一部である翼と、魔法補助の連続では速度や微調整に差が出てくるのは当然と言えた。

 空中戦はすでにかなり不利と言える。

 それでも竜王の持つ圧倒的といえる長距離火炎砲撃力を考えれば、接近戦に持ち込まざるを得なかった。

 彼は、空に居る全空の猛者へ再び挑まなくてはならない。

 

 ――この槍の一撃に掛けて。

 

 『隊長』は勝利をまだ諦めてはいなかった。

 すなわち依然として、この竜王を『倒せる』と考えている。

 弱点は――目だ。

 『隊長』は、ヤツの眼球部分を槍で抜ければ、脳を必ず破壊出来るとの結論に達していた。

 竜王の人間体に近い現状で内部構造を考えれば、眼球の後方に脳があるはず。

 外皮の鱗と超剛筋肉は強靭で硬いが、それでも眼球には鱗程の強度は考えられない。

 

(そこを抜けば、脳までの筋肉等の障害物は多くないはず)

 

 ただここで問題なのが――機会と速度である。

 今の竜王へそう易々と接近は出来ないだろう。だが、彼の終局案では()()()()()()()必要があった。

 同時に先程、仕掛けた最速の攻撃が手で掴まれてしまっている。

 『隊長』に残された時間は、あと6分程度。

 この短時間で何とかしなくてはならない。彼は残った策をかき集める。

 しかし二撃はいらない。たった一撃だけでいい。

 

 ――必殺の一撃を――あの竜人の(まなこ)に叩き込む。

 

 地上に立つ『隊長』は槍の柄を地面へ突いて右手に持ち、上空のゼザリオルグを見据え正々堂々と伝える。

 

「竜王よ、勝負だっ! 次の一撃で雌雄を決しよう!!」

 

 瓦礫の地に、空の雲の切れ目から神々しく光が零れ差し込む中。

 槍を携え騎士風の衣装装備を纏う凛々しい表情の青年が、竜王へと名句を述べる。

 まさに物語の中のクライマックス的一コマの情景。

 ところが。

 

「ふざけんな、下郎っ! 一撃だとぉ? 俺がどんだけの数、攻撃を受けたか……。忘れたとは言わさんぞっ! 乙女の柔肌を散々突いたり切ったりぶったたきやがって。すげー痛かったんだからなっ!」

「………」

 

 どうやら竜王様は酷くお怒りの御様子。

 目を瞑り右拳を震わせながらの彼女の発言に、『隊長』も困惑し言葉が続かなくなる。

 ゼザリオルグは竜王として、人間からぶたれた頻度に怒りが収まらない。

 少し別だが『隊長』の行なった内容を少女が告げるとアブナイ感じも漂う……。

 僅かに場が、和んだというか白んだというか。

 しかしそれも一瞬。

 

「やはり人間共は、卑劣で身勝手な連中だよなぁ……。和平などありえないぜ。簡単には殺さねぇぞ。奴隷種族として徹底的に使い潰してやる。特に仲間を殺しアーガードを半殺しにした頑丈そうなお前は……手足を千切りボロ雑巾の様にしてやる。覚悟しとけ」

 

 人間という下等種族に対して殺気を漲らせ、炎の如く赤い瞳をギラギラさせながら竜王は、『隊長』を上空から見下ろした。

 そして、いきなりのお返しをあっさりと放つ。

 

「―――〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉。……まずは身を炙ってやる」

 

 少女の口から放たれた巨大で太い火炎の火柱が、一直線に『隊長』へ向けて放たれる。

 彼は地面から即時離れるしかない。地上では威力と熱が溜まってしまうのだ。

 

 つまり、空へ――。

 

 それでも今は敢えて敵の土俵へ上がるしかない。

 『隊長』は〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉〈足場(フッティング)〉を駆使して空へと注意深く上がって行く。

 竜王の思うツボという形。

 

(万事休すか……果たしてそうかな?)

 

 確かに敵地だが、逆転への要素は空にしか無い。彼は死中に活を求めているのだから。

 

 『隊長』はその後も竜王から連射される〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉を避けつつ、高度500メートルまで上がって来た。

 両者は、竜王と300メートル程の距離で対峙する。

 この距離は明らかに竜王の距離。

 そして『隊長』の残り時間はあと4分程となっていた。

 一応〈上限超越・全能力強化(オーバー・フルポテンシャル)〉の効力が切れたとしても、まだ武技で底上げされたLv.85相当の力が10分程度は残る。

 だが『隊長』は、この敵を相手に考えるとそれでは勝算は全く無いと判断していた。

 今しかないのである。

 最初で最後の機会へのアプローチとして、『隊長』は竜王へと接近を始めた。

 

 一方、ゼザリオルグは〈全力火炎砲(フルフレイムバスター)〉の攻撃が不発に終わるも想定内である。

 

「チッ、やはり〈耐熱〉の能力もあるようだし、簡単にも当たらんか」

 

 もともと、いたぶるのは『熱さ』ではなく、『痛み』で思い知らせるつもりでいた。

 自分はあれだけボコられたのである。打撃で返さなければ気が済むはずがない。

 

「じゃあ、行くかぁ――」

 

 小ぶりの翼を可愛く羽ばたかせると、竜王の少女が動き出す。

 彼女の飛行は、飛ぶというよりも空を滑るように滑らかで軽快な動き。

 そして何より速い。

 直線ではもう、空を進む弾丸の如き勢いである……。

 人間までの距離である300メートルを、一気に余裕のトルネード飛行で縮めてきた。

 『隊長』も前へ出て来ていたため、両者の空中での激突は直ぐに起こり始める。

 勿論、今回はゼザリオルグが全方向からのラッシュを仕掛けて派手に幕が上がった。

 左右からの怒涛の連続フックに、蹴り、蹴り、蹴りである。

 ガードもへったくれも無く、上からガンガンに攻めていた。

 まさに嵐か暴風かという勢い。

 一方の『隊長』は先程のように棒立ちではなく、磨き上げた槍技で上手く完全防御に徹する。

 長い柄を含む槍は、体の後方すら守り切る変幻自在といえる円の防御陣を敷ける。

 そして激烈な威力を誇る竜王の拳や蹴りの一撃一撃を、その柔軟が生み出す撓りで流し逸らし分散していた。

 まともに受ければ、一撃で砕ける程の攻撃であろうとも……見事に全て受け切ってみせる。

 

 本来、上位の強者と戦う(すべ)――それこそが『技』なのである。

 

 この異様と思える状況に、ゼザリオルグが驚く。

 

「クソッ、これは……一体どうなってやがるっ?!」

 

 連撃を続ける彼女は、すでにこの時点でこの人間をタコ殴りでボコボコに圧倒出来ていると考えていた。

 それが全く出来ない。

 どう見ても自身の方が、この人間よりも速く、ハイパワーで攻撃しているにもかかわらずである。

 この時、受ける『隊長』は遅れながらも半分以下の動線と動作で、力も打撃も受け流しているため拮抗していた。

 しかし、残り時間はあと3分を切る。

 ただすでに、彼の狙いはまんまと遂げつつある。

 『今一度肉薄する』という状況は、間もなく起こる。

 短気であろう彼女に、あと3分も我慢できるわけがない。

 恐らく、攻めあぐねた竜王は業を煮やし、渾身の一撃を放ってくる――人間に直接当てるために。

 

 

 『隊長』が狙うはカウンターだ。

 

 

 これで、槍の速度も威力も竜王自身のお陰で実質『倍』以上になる―――。

 それとこれはパンチに対する反撃が望ましい。

 なぜなら、それにより槍の握り止めをさせにくいからだ。また雑にパンチを打つゼザリオルグの姿を見ると殆どガードもしていない。

 だから――『隊長』は、竜王の拳への防御は甘めにし、蹴り足攻撃を一層完全に封じていた……。

 人類の守護者を自負する、クールな『隊長』に抜かりはない。

 

(こんなところで死ぬわけにはいかない)

 

 漆黒聖典の隊長に相応しい不屈の精神。

 蜥蜴の発展形に過ぎない亜人に、負けるわけにはいかないのだ。

 

 そして――時は、やはり訪れる。

 残り、あと2分に差し掛かった辺りの事。

 つまり……僅か1分で彼女の怒りは我慢の限界に達した。

 

「……ぐぬぬぅぅぅ。防御、防御、防御、防御、防御、だとぉ。許さねぇ。ならばこの渾身の一撃で防御ごとぶっ飛ばしてやるぜっ!!」

 

 その一撃は、明らかに右肩の振りが大きかった。

 彼女は頭に来ており、もはや攻撃にしか気が向いていないのが手に取るように分かった。

 『竜王少女』ゼザリオルグの可愛く綺麗な顔が、炎の虹彩を光らせ阿修羅の如き怒りの表情で歪む。

 そして、その強靭である右肩を起点に、『隊長』の待ち望んでいた彼女渾身の打ち下ろす右ストレートが伸びて来た。

 超剛拳と呼ぶに相応しい、まさに防御する槍をへし折り、目の前の人間をも打ち砕く勢いであった。

 『隊長』は仕掛ける――ついに槍の防御を解いて。

 竜王の右肩の振りを見た時点の一瞬で、素早く槍の穂先側を左手に持ち替えていた。

 敵が右ストレートなら、もちろん『隊長』が狙うは全力全開での『左クロス』である。

 彼の左手のその先には、本命の槍がしっかりと握られた。目を狙った完全なる凶器攻撃。

 そうして『隊長』の放つ左クロスは、しなやかに打ち出される。これは、竜王の圧倒的スピードと威力の乗った右ストレートの、その肩のラインに沿って外角から彼女の顔面へ飛んでくる一撃となる。

 そのため、竜王からはかなり見えにくくもある。

 竜王の右ストレートと『隊長』の左手が交錯する瞬間に、竜王は右手での防御が難しくなった。

 この段階で、流石にゼザリオルグも人間の『攻撃』に気が付いた。しかし左手のガードは大きく下がっていて明らかにもう間に合わない……。

 彼は一つ一つ狙い通りに状況を進め、自然と竜王側の手も封じていた。

 『隊長』は、ただあとは左腕を勢いよく全力で振り込む。竜王の顔面へと目掛けて。

 

 ――狙うは竜王の『右目』。

 

 

「勝つのは、我々人類だぁぁぁぁぁーーーーーーーっ!」

 

 『隊長』の雄叫びが響く。

 そして、彼の槍はめり込んでいった――。

 

 

 

 クロスカウンターには相討ちもあり得た。

 しかし、竜王の強大である右ストレートが『隊長』に届く事は無かった。

 『隊長』の身長は、そもそも175センチほどあり竜王よりも腕のリーチが長い。

 更に槍の長さ分も加わって速度の差を補っており、打ち負ける要素は無かった。

 

 

 ――無かったはずだった…………。

 

 

 

あはひは(甘いわ)っ! ほんはほほはほうほ(そんな事だろうと)おほへひはへ(思っていたぜ)!っ」

 

 

 

「ッ――――?!!」

 

 穂先がめり込んでいたのは――なんと竜王少女の口の中。

 いや、その頑丈で綺麗な並びの歯がガッチリと槍を噛み止めていた―――。

 竜王ゼザリオルグは、嬉しそうに歯を見せたままニヤリと笑う。

 

ふははへはへ(捕まえたぜ)! ここほひへくはへ(心して食らえ)あがいはひほいひへきほ(我が怒りの一撃を)――」

 

 『隊長』は竜王の口の付近から圧倒的で強大としか言えない熱量を感じた。

 噛み止めていた竜王の口が開く。

 無論、槍ごと人間(ゴミ)を吹き飛ばすためである。

 

 

 

「〈獄   陽   紅   炎   砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉ーーーーっ!!!」

 

 

 

 かつて八欲王らとも矛を交えた古の雄、煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)ゼザリオルグ=カーマイダリスの誇る究極の一撃。

 尋常では無い威力の予感に『隊長』は寸前に槍を手放し、〈飛行(フライ)〉〈加速(ヘイスト)〉〈足場(フッティング)〉を駆使して空へ逃げようとした。

 しかし僅かに遅れ、左肩から先が直撃を受けて彼は吹き飛ばされていく。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーー――――――――」

 

 空へ水平に一直線で伸びていったその美しい火炎の一撃は、火柱周辺の広い範囲で空気中の水分を一瞬のうちに蒸発させるほどの温度を放った。

 そしてその威力も凄まじく、旧エ・アセナルから9キロ程の所にある北側の山岳地へと命中し周辺600メートル以上が吹き飛ぶ大爆発を起こしていた……。

 遅れて届いた弱い衝撃波と、そのキノコ雲が上空へと高く上がって行く様子が、ここからもハッキリと見えた。

 

「ふん。思い知ったかよ」

 

 少し遠くで一瞬、空中をゴミの様に舞って、旧市街の外郭璧傍近くの地面へと落ちていく物体があったように見えた。

 竜王は、翼を可愛くパタパタと羽ばたかせそれを追い掛ける。

 

(息はまだあるだろうから、手足を千切っとかねぇとな。――あの人間)

 

 人間ながら、竜王自身の猛攻をこれだけ受け切った者である。油断は出来ない。

 ただ、彼女はすぐに殺そうとは考えていなかった。

 アレは中々の『強者』であるからだ。軍門に下るか選ばせようと考えていた。

 生き残った弱者はただ死ねばいいが、強者には選ぶ権利がある。たとえ人間であっても。

 復活して間もないゼザリオルグは、神人についての扱いを良く知らなかった。

 それに、聞きたいことがあったのだ。

 

(恐らく、仲間の遺体を持ち去ったのは、あいつの仲間のはずだ。それだけの力があった……人間風情の癖に。ふん。とりあえず、話と名を聞いておくか)

 

 そんな事を考えながら、瓦礫の広がる地上へと降りて来た。

 

「アーガードの奴も連れて帰って、羽もくっ付けて早く治してやらねぇとな……。……えーと、確かこの辺だったぜ。…………ん? ……え。……あれ?」

 

 しかし、落ちた痕跡もなく、自慢の周辺感知にも引っかからず。

 

 

 

 なぜかあの人間は、どこにも見つからなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 『隊長』の護衛者

 

 

 『隊長』は完全に気を失っていた。

 彼は、夢を見ていたのかもしれない。そう思った。

 

 白き鎧を纏い、綺麗で純白の翼を持ち、光の輪を頭に浮かべる美しい天使様の後ろ姿を見たような気がした――。

 

 

 

 竜王の放った〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉を受けた『隊長』の左手は、指無し手袋(オープンフィンガーグローブ)から出ていた5本の指の第二関節より先が全て炭化していた。

 そして、左腕自体は火が綺麗に筋肉へ通った状態に仕上がり、至近距離にいた彼自体も、衣装装備の耐久限界を超える熱量に大やけどを負っていた。

 鉄が焼ける程の熱風を、大量に吸い込んだ両肺も大半が焼き付き、呼吸がほとんど出来ない状態。

 それほどの威力が、あの竜王の最後に放った火炎砲にはあった……。

 

 そのため、飛ばされた火炎砲の周囲から離れて間もなく、彼の意識は混濁する。

 そうしてまともに飛べず、やがて瓦礫が残る地面へと落下していった。

 だが、『隊長』は地面へと激突することはなかった。

 彼の首根っこを掴んで受け止めた者がいたからだ。

 

 その者は〈完全不可知化〉中であった。

 ちなみに、地上への接地直前で首根っこを掴んだのには理由がある。

 〈獄陽紅炎砲(ヘル・プロミネンス・バスター)〉で遠くへと飛ばされた男の槍を取りに行っていて遅れたのだ。

 ()()は、同志で好意を寄せる大切な主から、この男を「死なせないようにな。スレイン法国へ帰ってもらわないと困る」と直々に頼まれていた。

 これまでに優しい主には、いくつも頼み事を叶えて貰っている。

 また、普段もスリスリと甘えさせてもらったり、ゆっくりとさせてもらっている事もある。

 こういった役に立てる機会があれば、僅かでも感謝の想いを返しておきたいところなのだ。

 

「これで、準備よし」

 

 そう彼女は美しく可愛い声で呟くと、手へぶら下げる男と共に廃墟の地から姿を消した。

 

 

 

 

 大都市エ・アセナルの廃墟から北へ約7キロ少し。

 北東方向へ山々が連なる南側のすそ野近くの森の中に二人は〈転移(テレポーテーション)〉して来た。強烈だったあの砲撃に、体を飛ばされて来ても不思議ではない軸線に近い位置だ。

 騎士風の衣装装備の男を、ワザと枝を派手に折った木へともたれ掛けさせると、彼の衣装装備の中から二本の短杖(ワンド)を取り出す。

 竜王と男の戦いは、全部見ていたので持っているのは知っている。

 その治療用の1本を男の傷を治すために、彼の体へ翳すと素早く唱える。

 

「〈魔法位階上昇化(ブーステッドマジック)〉、〈治療(ヒーリング)〉っ!」

 

 魔法の発動と共に神々しい光が男を包んだ。

 残念ながら天使とはいえ近接戦闘に特化している彼女は、大きな治癒魔法が使えない。

 しかし、第10位階まで〈治療〉の威力を引き上げて発動した。

 〈大治療(ヒール)〉以上の十分強力な治癒魔法である。

 この短杖本来の〈治療〉25回分よりも遥かに強力なものだろう。

 その証拠に、魔法が重傷であったこの男の怪我も見る見るうちに完治させた。

 ただ、神人は放っておいてもこの程度の重傷では死なない。それほど彼らの生命力は高い。放置しても数日で完治するはずだ。

 彼女は彼の傷は治ったので、あとは勝手に帰るだろうと判断する。

 倒れている男の顔色は良くなり、呼吸も穏やかに戻っていた。

 槍を周辺へ適当に放置し、最後に二本の短杖を彼の軽傷であった右手へと握らせて。

 

「よし、終わり」

 

 仕事を終えた彼女は、彼を見下ろしながらそう呟くと、この場より〈転移〉を使い退散する。

 その時、騎士風の衣装装備を纏った男がゆっくりと目を覚ました。

 

 

 

 

 アインズは、アルベドから『隊長』の単独行動の知らせを受け、『至宝奪取作戦』を前倒しで行わせる指示を出す際に変更手順を伝えている。

 実はその中で『隊長』の突発行動に対し急遽切り札として、ルベドの現地投入に踏み切る事も含まれていた。

 本来ルベドは王城の宮殿にて〈千里眼(クレアボヤンス)〉のみの監視のはずが、『隊長』の単独行動ということで、『彼のその自信』にアインズが警戒したのだ。

 『隊長』が勝ちそうな場合には竜王を支援するよう、また竜王が勝った場合は『隊長』をそっと助け出すようにと。

 少なくとも竜王が倒されると、プレーヤーを呼び寄せる大舞台が維持出来なくなるので、優先順位は相当高いものとなった。そのためのルベド投入である。

 

 その際、宮殿の宿泊部屋では結構大変であった。

 急に入った話で、ユリは間もなくガゼフとの昼食の約束があるので動けず、ソリュシャンとともに「馬車庫で、馬車の手入れをしてきますわ」とメイドではないのに、ルベドを手伝いとして連れて行かせる無茶をしている。

 使用人としてツアレが気を利かせて、「ルベド様の代わりに私が行きましょうか?」と言ってくれたが、『そうじゃない』という状況。

 偽アインズ様は、人間のメイドの名前が出てこないので無言に徹する。

 「大丈夫よ、大丈夫。この子も偶には働きたいって言うから」「……問題……ない」とユリとシズが、働き者のツアレへ告げてなんとか誤魔化す。

 そして馬車庫へ着いた二人は、ソリュシャンが馬車の外側で車体や車輪、金具を実際に確認しながら見張り、ルベドは馬車の車内から〈転移〉で消えていた。

 

 およそ1時間10分後、仕事を終えて悠々とルベドは馬車内へ戻って来た。

 この王城の側近メンバーでは、唯一Lv.100を誇り圧倒的戦闘力を持つ完全攻撃型の彼女にしか出来ない仕事であった。

 武技も使える今のルベドならば、強者が支配するこの世界の多くの状況を打破出来る。

 

 だから――敵に回しちゃいけない。ご希望の姉妹達は守らなくてはならないのだっ。

 

 漆黒の馬車の中から扉を開け、輪や翼等を不可視化し、白い鎧を纏う美しい聖女が降りて来る。

 

「竜王が勝った。漆黒聖典の隊長が殺されそうなので助けて、治療したあと周囲に誰もいない森へ置いてきた。アインズ様へそう伝えて」

 

 一応用心のため、ルベドの〈千里眼(クレアボヤンス)〉での監視は竜王と『隊長』へ交互に継続中である。

 

「わかりましたわ。上で連絡をお待ちしましょう」

 

 至高の御方以下、アルベドらの多くが未だ作戦行動中であり、ソリュシャンはそう答える。

 時折なぜかニヤニヤしながらルベドは、戦闘メイドが宮殿傍の馬車庫の扉をメイドらしく丁寧に閉めるのを待つと、宮殿の宿泊部屋へと共に戻っていく。

 

 

 

 優しい天使の彼女は、アインズへ必ず伝えなくてはいけない。

 

 同好会のメンバーとして、竜王は――――『姉妹』なのだという重大事項を!

 

 彼女は護らなければならない。いや、主で同志のアインズ様に護って欲しいのだっ。

 ルベドは、竜王少女の発言にあった「妹のビルデー」という言葉を決して聞き逃さなかった……。

 

(きっと、笑顔で喜んでくれるっ)

 

 ホットな話題を知った時のアインズの行動に、ルベドは今からとてもワクワクしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 昼食会のガゼフに何が起こったか

 

 

 ガゼフとユリの昼食会――遂にその日がやって来た。

 待ち望んだ朝に彼、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは、王国戦士騎馬隊屯所内の固い寝床で日が昇る前の早朝から目が覚め切っていた。

 日が地平線から昇ったところで、戦士長が行った事は――行水である。

 幸い季節は夏。気持ちもシャキッとスッキリし体もサッパリする。

 

「ふぅ。やはり、気持ちが良いな」

 

 普段は、武人で野郎ばかりのこの場所。もちろん国王達との謁見や王城にいるため身綺麗にはしている。行水は一日おきで、あとは絞った布で拭うという形だ。

 しかし本日の彼は、そうはいかない。昨日に続き連日の行水である。

 これは相手への気持ちなのだ。手抜かりがあってはいけない。

 ユリ・アルファの仕え魅かれる主のゴウン氏は、常に磨かれた立派な装備といい、身嗜みへの気配りといい、華やかに行われる宮殿での晩餐会や舞踏会へいつ出ても恥ずかしくない身形をしている。

 同じことは出来ないが、ガゼフは出来る事を彼女のためにしておきたかった。

 天気は、早朝から雲の少ない日差しの強い晴れた空が広がっている。

 暑くなりそうだが、足元が悪くなる雨よりか余程良いと思われた。

 服を綺麗なものへと着替え、手慣れた手つきでバスタードソード等の装備を身に着ける。

 現在王国は未曽有の戦時下であるため、今日の午前中も王都へ集結し始めた王家周辺領からの民兵の状況確認や、周辺都市からの兵達の駐屯地割り振りについての会議など目白押しだ。

 王の忠臣の彼としては私用にかまけて、些かも今の公務を疎かには出来ない。

 王国戦士長は、騎馬隊の兵達と同じ朝食の少し硬めのパンをかじりジョッキの牛乳を飲み干すと、各所への確認や会議の時間が延びない事を祈りつつ颯爽と屯所を後にしていく。

 

「では行ってくる。留守中は頼んだぞ」

「はっ。お任せください、戦士長」

 

 副長の返事を聞くと馬止めから馬に乗り、ガゼフは王城正面門を出ていく。

 各所への移動途中も時折、夜会巻きの髪も印象的に残る美しいユリの眼鏡顔や、その愛しいスタイルを思い出すが、公務の事で概ね思考は埋まる。

 なのでガゼフは、今日の早朝の寝床から起き上がるまでの時間に、会食で話す事やその目的を考えて確認していた。

 今日の第一目標は、悪い雰囲気にしない事。

 焦りだけは禁物。相手は憧れの君なのだ。目標は少し控えめで始める。

 極力ユリの知っている内容の話にすべきだろうと考えていた。また戦争の話はゴウン氏に悪い為、自分で振ることはしない予定だ。

 第二目標は次回の交流の場を用意し約束する事。

 周囲の状況は良くない。だからこそだ。ガゼフには、少しでも心が温まる希望が欲しかった。

 

 第三目標は――手を繋ぎたい。

 

(こ、小指でもいいが……)

 

 もはや、彼の男の欲望が漏れ出していた……。

 

(贅沢はいけないな……しかし……しかしだ、やはり少しあの身に触れてみたい)

 

 これまで、ゴウン氏の宿泊部屋の扉から見送られる際も笑顔とお辞儀のみ。お茶のカップも手前に置かれたのみ。そのきめの細かい肌なのは肉眼にて確認しているが触れる機会はゼロ。

 すでに女の良さを知る彼として、涙がにじむ内容だ。

 だが恋愛とは身体だけでなく、気持ち同士の交わりであり繋がりでもある。

 付き合い毎にリセットが掛かる。開始時は初心に帰らなければならない。

 特に今回は――垂涎といえる眼鏡美人で良家メイドのユリなのだ。

 戦士長が彼女のこれまでを見て来て、まずどう互いの気持ちの繋がりを持つかで悩まざるを得ない。

 青年期に付き合った相手は正直、言葉は悪くなるが……入れ食い状態であった。

 道は一本道で、好意を寄せた女性に想いを伝えると、剣の強さと名声もあり、始めは迷っていても身体へ触れ交わせて直に傾いてくる。

 まあ確かに結婚までは至らなかったが。

 その理由としては、互いに若く最後の段階で問題がまだ埋め切れなかった為だ。

 気持ちの問題に、家の問題や、生死の掛かる仕事の問題、身体の不一致の問題もあった……。

 しかし概ねガゼフ主導であった。

 対してユリは、まずこれまでの女性よりも格段に美人。次に格段に身体能力が高い。加えて有能で優秀。つまりユリ自身の女性としてのスペックが各段に高い。その為、自分の個に対し固く自信が強い。

 ガゼフと以前に関係のあった女性は、彼の能力の高さへ魅かれ傾いたが、ユリはそのタイプでは無い。いや多分、その逆が起こっていて、ガゼフがユリに惹かれて、さらに好意が募ってきている状態だ。

 また、ユリには想っているゴウン氏なる立派な(あるじ)がいるという事。

 その主が、ガゼフ自身よりも圧倒的だという現実。

 すでに、超高級馬車に巨万の富と独立自治領の約定までも持っている資産家であり、個での能力も、ガゼフを全て上回るだろう人物。

 これらの点からガゼフは依然、ユリへの明確な攻め処が見つけられないでいる。

 ただ経験則から、これまでの女性達も小さな事や何気ない行動から心を開いてくれた場合が少なからずあった。

 あとは……彼女が王城へ来てそろそろ2週間。

 その間に主との熱い夜の関係は――無さそうである。

 彼女が、すでに夜な夜な火照った若い女の身体を持て余しているとか……あれば好機(チャンス)っ。

 

(何かユリ殿のそんな事象を掴みたいが……。本人と会って話し雰囲気で掴むほかにない)

 

 突破口は、恐らく多くない。

 超絶眼鏡美人ながら、ユリは主を敬愛し大切にする才女で淑女。

 正面からでは無理だろう相手だと分かっているつもりのガゼフである。

 

(だが、無理強いや焦りはいけないな)

 

 ゴウン氏の、あの容赦のない婚姻の条件の話はよく覚えている。

 

(ゴウン殿は恐らく――友人として公平な機会をくれているのだから)

 

 ほぼその通りである。

 王国戦士長は、正々堂々とした男らしい彼に感謝していた。

 また、もちろんガゼフも己の分は弁えているつもりだ。

 王国の現状打破のためにも、絶対に機嫌を害してはいけない人物であるということを。

 

 そんな思考を頭の端へ置いていたが、王国戦士長は仕事対応で一杯一杯。会議などを熟しているうちに、あっという間で午前中は過ぎ去った。

 

 

 

 

 対するユリだが――食事会とは全く別の案件へ思考が全力で向いていた。

 何と言っても本日は、ナザリックにとって危険である特殊アイテムの鹵獲を行う作戦が予定されている。

 

 作戦名は、『至宝奪取(エィメン)作戦』。

 

 重要であるため、投入される戦力は階層守護者や守護者統括にまで及ぶ思い切った規模。

 また、それと並行して主人であり敬愛するアインズ様自らも別の作戦に出られるとの事なのだ。

 本来六連星(プレアデス)長姉のユリ・アルファも、支援や遊撃戦力としてこの部屋での待機が最良であると考えている。

 だが彼女は、作戦行動を起こす前の至高の御方から直々に言葉を掛けられていた。

 

「こちらは大丈夫だ。ここにはルベドやお前の妹達が残る。ユリよ、今日は予定通り戦士長殿と昼食を取ってくるがいい」

「……畏まりました」

 

 絶対的支配者からのお勧めである。反論は出来ない。

 この場に自分しかいなければ個人的意見として進言するが、ルベドやナーベラルにシズ、ソリュシャンがまだいてくれる。

 なので今、意見するという事は彼女達をも信用していないことになる。

 

 アインズとしては、ガゼフの『勝負ステージ』を用意してやるだけしか出来ない。

 ユリの気持ちを純粋に引き寄せられるかは彼次第だと。

 またそうするのは、NPCのユリにとって、新世界での新しい幸せの道への可能性を否定出来ない部分もある。

 すでに、NPC達は各自の設定を超える個性を持つに至っているのだ。

 押し付けは出来ないが、色々選ばせたいという親心でもある。

 あと、これはもちろん、これまでアインズへ協力的であるガゼフ・ストロノーフゆえの施しといえる。たとえ相手がリ・エスティーゼ王国国王のランポッサIII世であろうと、ほかの者からの要望なら却下していた。

 なお先の他家との婚姻否定の件と、ナザリックのほかの者の目があることから、アインズは今回のガゼフとの食事会を『王国戦士長護衛の予行的仕事』だとしている。

 竜王軍団の動きは不明である。王都まで迫った場合を考えるということだ。

 これでガゼフは、正式にナザリックからの保護対象となった。男ではカルネ村の村人以来の存在となる。        

 絶対的支配者から直々の仕事ゆえに、姉妹達からは『羨ましい』という状況。

 ユリを怪しいと思う視線は皆無である。

 一応、ユリとしては食事会へ行く理由が出来た事にはなる。

 

 彼女の心は不思議とホッとしていた……。

 

 それは何を意味したのか、ユリは薄々気が付いてはいるが。

 

 さて、アインズが王城をナーベラルの『替え玉アインズ』に任せ、離れてから暫く時間が経ち、昼が近付いて来た頃。

 ユリの思考の中へ〈伝言(メッセージ)〉の接続するアラームが鳴り、主の声が聞こえてきた。

 

「ユリ、私だが今は大丈夫か?」

「はい。ツアレは雑務でニ階へ行っていますので」

 

 この時ツアレは、シーツ類の交換のためワゴンを動かしこの部屋を出て階下にいた。

 ソリュシャンの探知能力範囲内であり、変質的に動く貴族達への対応は十分出来るので、現在宮殿内での彼女の単独作業を容認している。

 

「そうか。実はな、先程――」

 

 アインズの説明で始まったそれは、漆黒聖典隊長の始めた単独行動に対し、抑止力部分での監視へルベドを投入する話であった。

 ルベドは、ナザリック地下大墳墓に9体しか存在しないLv.100NPCであり、王城側近メンバーの切り札。それは近接戦闘では、ナザリックNo.1の存在。

 彼女の投入に、緊急事態を考慮しないユリではなかった。

 しかし、ルベドへと〈伝言〉指示の終わったアインズは、再度のユリへの〈伝言〉で伝える。

 

「ユリ、お前はもう出掛けるだろうから、シズかソリュシャンを上手く使ってくれ。……ぁああ、ソリュシャンに……そうだ、馬車をルベドと整備するとして連れ出させよ。ルベドは馬車内から出撃すればよい、以上だ」

 

 アインズは一瞬、ユリへ全部任せようとしたが、これから外に出る彼女に時間を取らせられないと、苦し紛れに思い付いた考えを告げていた。

 

「……承知いたしました」

「ではな。食事会はゆっくりしてくるがいい。今日、我々は大規模戦をやる訳ではない。余裕を持って計画を立てている。ルベドも……大丈夫だ」

「はい……」

 

 支配者は最後のルベドへ不思議と急に不安を覚えるも、ここは気持ちで自然に押し切る。

 ユリにのんびりと過ごしてもらうために――。

 

 通信終了のあと、ユリはナーベラルとシズも同席する中で手短に用件を伝え、御方からの手順をソリュシャンとルベドへ説明する。

 間もなくツアレが新しいシーツ類をカートに乗せて部屋に戻って来ると、いざソリュシャンが説明を実行。しかし……。

 悪気はない働き者であるツアレに、一瞬邪魔されそうになり少しバタバタしつつも主人の指示通りにユリは、ソリュシャンとルベドを宮殿傍の馬車庫へと送り出した。

 そして、ロ・レンテ城内のヴァランシア宮殿は間もなく正午を迎える。

 

 なお今回の食事会は、城外でという話だ。

 ガゼフ・ストロノーフからは、封緘された正式な招待状もユリ・アルファ宛てで届いていた。ゴウン家に対しての筋を通す形である。

 文面には、この部屋へガゼフが迎えに来ると記されていた。

 正式の招きということでユリも――メイド服以外へ着替える事になっている。

 それを部屋へ衝立を立てて、ツアレとシズが手伝っていた。

 先日街で注文した衣装は舞踏会用であるため、今回はアインズの保有していたデータから提供されている。

 恐れ多い事である。当初は下賜されると主から告げられるも、ユリは固辞した。

 先日のゴウン屋敷への襲撃を見事撃退し報告した功という事だが、現在御方から品を賜ったのはアルベドのみ。

 階層守護者のデミウルゴスでさえも貰っていないのだ。序列と順序というものがある。

 結局アインズが「その辺りはきちんと考えねばな」と今回は貸出と言う事で落ち着いた。

 衣装は、この世界に合ったもので、舞踏会等で使う上流社会向けではない程度の物ということで、胸元から上は白地で肩の膨らんだ袖口の広い半袖に、腰下からは僅かに明るいマリンブルー地のドレス。裾は靴までも隠す少しだけふわりと膨らみのある淑女らしいデザイン。両腰の部分へ縦に白紐で閉じられた形の意匠もある。

 胸の部分には縦にレースの装飾と襟口には紺の細めのリボンが付いている。

 眼鏡と夜会巻きの髪はそのままに、足元はネイビーブルー色のヒール。右手首に金のブレスレットと耳へイヤリングのアクセサリーも身に付けた。

 手には白いレースの手袋と扇も持って。

 

 大人の女性の雰囲気漂う装いに、ユリの美しさがより際立って見えた。

 

 あとは、エスコートの人物を待つだけ。

 ユリとしては、この姿をアインズ様に見て貰えないのがかなり残念であった。

 

 

 

 

 ところが……ガゼフの到着が遅れる。

 会議というものは、時代や場所に限らず延びる事が発生する場である。

 更に彼自身も時間が必要であったのだ。

 逸る思いで奥歯を噛みしめ眉間へ皺を寄せる。前かがみに着席していたが、両手の握力で握る膝の防具を壊しかねない状況。

 

「……(なんということだ)」

 

 口にも出せず、公私重大という精神の板挟みで胃までキリリとし始める。

 ただ、遅れる可能性については招待状にも書いてはいた。

 この戦時下である。非常時なのだ。公務が優先されるのは当然ではある。

 

 しかし、ガゼフとしては――痛恨。

 

 遅れること30分。

 ヴァランシア宮殿3階のゴウン一行の宿泊部屋の扉がノックされた。

 ツアレが扉を開けて応対に出ると、そこにはバスタードソードを背負わず、そして甲冑も付けていないガゼフが立っていた。

 

 紳士ストロノーフは、少しどことなく貴族風の正装をしていた。

 明るいベージュ地へ凝った刺繍のされた詰襟シャツへ洒落たボルドー色の上等な上着を羽織り、ズボンにもスカーレット色の上等で厚い生地の太ももへ膨らみがある形のものを身に着けていた。靴には膝まで金属外装のあるダークブラウン系のブーツを履いている。

 ツアレに通され、部屋へと入るとまず彼は詫びる。

 

「遅れて申し訳ない、ユリ・ア――るふぁ……殿」

 

 しかしガゼフには、もうそれ以上言葉が続けられなかった。

 前頭葉が単語を送り出してこなかった。脳の能力が視覚側と性欲側へ奪われたかのように立ち止まっていた。ある意味棒立ち。

 それほど彼は、目の前のユリのドレス姿に食い入ってしまう。

 

「大丈夫です、ストロノーフ様」

 

 遅れに対するユリの行動は自然。

 彼は主から客人待遇され保護対象の人物である。

 また事前に、遅れについては告知されており、たとえ階層守護者であってもこの男を無下には扱えない。

 現在ナザリックにおいてガゼフの扱いは、内内ながらリ・エスティーゼ王国国王よりもずっと高いのだ。

 ユリの声に、ガゼフはハッとなる。

 呆けている場合ではない。男としての重大である嗜みを怠るところであった。

 

「これは……今日の衣装、本当によくお似合いだ。ユリ・アルファ殿」

 

 これを伝えなければ全てが始まらない程の言葉を、ガゼフは彼女へと無事に贈った。

 無論彼本心からだ。おべっかなどはない。

 そして改めて彼は思う。――『彼女こそ妻に相応しい』と。

 「ありがとうございます。ストロノーフ様も」と言うユリからの言葉のやり取りが行われるも、既に時間は押している。

 「では早速行きましょう」ということで、部屋からエスコートされてユリはガゼフと共にシズとツアレから見送られ部屋を後にする。

 宮殿の階段を降りた先の館の出口には、二頭立ての馬車が待っていた。

 程度の良い箱型4人乗りの車体である。

 本日の食事会は『話』をしたいというお膳立てなのだ。まだ流石に並んでの2人乗りは、露骨だと節度を持っての選択となっていた。

 ガタイの大きいガゼフである。並んで座るということは、もはやユリの肩と腕……豊満な胸もあるのかという激しい密着を意味する。

 

(むう、それはいい……いやっ、ならん、ならん)

 

 僅かに芽生える欲望に抗い、斜めに向かい合う形で馬車へユリの後に乗り込むと、ガゼフが御者へ「行ってくれ」と指示した。

 颯爽と宮殿周辺の石畳みの道を抜けて進み、程なく王城正面門を出て街の通りへと向かっていく。

 食事をする場所であるが、王都でも珍しい手入れのされた庭を窓から眺めながらという上流階級者へ向けたレストラン風の食事店だ。

 ガゼフは騎士ではないが、国王直属の有名な騎馬隊隊長であり、ユリも国王の客人の連れということで予約が通っていた。

 お値段も随分張るが、ガゼフには趣味の貯金が少なからずある。今日着ている洋服一式もケチることなく新調していた。

 本日の諸経費には、彼の給金の半月分程の金貨で20枚以上掛かっていた。

 その分もあり、自然にガゼフの鼻息は強め。

 移動の馬車の中では、まず晴れた天気の話で平凡に始まり、そこからどの天気が好きか、そして雨の日はどう過ごすかなどなど。

 和やかに話が交わされる中、移動時間は20分ほどで到着する。

 

「こちらの席でございます、ストロノーフ様」

 

 髭を生やした品のよいウエイターにより、二人が案内されたのは大きい窓へ面した席であった。

 窓の外には庇があるので直接日光は入ってこない。そうして、その日差しでコントラストが鮮やかな庭が描き出されていた。

 席に着いた二人へ前菜と飲み物の白ワインが出され食事会は始まる。

 しかしこの時、ナザリックの作戦は動き出しており、前線からソリュシャンの方へ送られてきた連絡が、ユリの頭へも作戦開始について〈伝言(メッセージ)〉で一瞬だけ入ってきていた。

 それはつまり――。

 

(ん?)

 

 ガゼフは、ふと気が付いた。

 何となくだが、前へと静かに腰掛ける理想的で絶世の眼鏡顔の令嬢ユリが、そわそわしていないかと。

 ユリは、アインズから直々にゆっくり食事会をと告げられてはいるが、気にならない訳がない。

 そもそもプレアデスの存在意義は、至高の御方の盾となり散る事なのだ。

 ここで、男と向かい合い食事をすることでは断じてない。

 ただ、これもれっきとした保護対象を守る中での『お勧め』事項である。

 独断で離れることは主の意志に反すると思われた。

 ゆえに、彼女はそわそわするのである。

 その雰囲気にガゼフは色々と勘違いする。

 

(……花摘み(トイレ)……だろうか?)

 

 まずはコレだ。レディーとして中々言い出せないだろう事。

 とはいえガゼフから「どうぞ」とはマナー的に問題がある。

 第一我慢しきれる事象ではなく、指摘が違う場合に被る己のイメージダウンの方がハイリスクといえよう。

 また昨日の午後4時頃、ゴウン氏に会って第二回深夜会談の報告を聞きに行ったが、その折、今日の事について特に何も言われなかった事実が頭に浮かんだ。

 逆方向への不安が急速に募る。

 ユリの方から、決裂的発言が飛び出す前兆なのではないか……と。

 フォークで前菜を口へと突っ込むも、ガゼフの味覚は何も思考へは伝えてこない状況に陥る。

 

(そうなのか、ユリ殿……そんなはずは――)

 

 彼の早朝時に考えていた『悪い雰囲気にしない』という、第一目標自体に暗雲が立ち込める。

 しかしそんな状況の中、口火を切ったのがユリだ。

 

「――ところで、今日のお話なのですが」

「――っっ(やはり、ダメなのかっ)!」

 

 ユリの問いかけにガゼフは、緊張と恐怖思考で背中の背筋が一気に攣りそうになる。

 対して彼女は正直、手短にガゼフとの話し合いを終わらせて作戦側に復帰したいとの考えに向かって舵を切り、尋ねる。

 

「アインズ様の事でしょうか?」

「……(ふうぅ、どうやら先程から彼女は、今日の内容で色々考えをしていたが、中々言い出せなくて……ということなのか)」

 

 半信半疑ながら安堵しつつ、状況を少し掴んだガゼフが話し始める。

 慎重に。

 

「それもあります。ただ、まずユリ・アルファ殿と色々と話をしたいと思いまして」

 

 ユリとしては、今日のこの人選から戦士長の今後の護衛も自分が務める形の流れを感じる。ならば、目標のことを行動把握の意味でもより知っておく必要はあると考えられた。

 

「……そうですか。では、よろしければ……ストロノーフ様はどのような経緯で今の王国戦士長になられたのですか? 話して頂ける範囲で構いませんけど」

「おお。(おお、おお、おおぉぉぉぉーーーっ)で、ではまず、私が初めて剣で――」

 

 ガゼフはまるで丘に打ち上げられていた魚が、水を得たように生き返り話を始めた。

 食事会の時間は前後の移動も含めれば1時間半少し程。

 それから話せる時間を割り出し、省けるところは省いて語ろうと『王国戦士長誕生伝』を語った。

 ただ、ナイフとフォークを休めて話す時間も限られている。

 なので彼は、幼少期を省き、若き日の剣での初めての挫折、師ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンとの出会いに国王との邂逅、そして御前試合、優勝により王国戦士騎馬隊の創設へ――を自分の想いを寄せる女へと熱く熱く語り伝えた。

 ユリはそれを黙って熱心に――は聞いていなかった。

 それよりも、途中で入って来たソリュシャンからの一言伝言『作戦継続中ですわ』の報にそわそわが増していた。

 

(あぁもう、アインズ様。御無事かなっ? ボクも早く……。アルベド様の指揮する作戦もどうか上手く……)

 

 ガゼフの時折求める相槌や、「私がその時、どうしたと思いますか?」などの質問へも、頷きや「そうですね」「うーん」とうわの空で返事を連発。

 そして時間は流れ、遂に――。

 

「――のように、今の私があるのは陛下のお陰。私は今後も王国戦士騎馬隊隊長であり続けるでしょう。これが私、ガゼフ・ストロノーフです」

 

 その締め言葉でグラスのワインを口にすると、無事にガゼフの語りが終った。

 食事そのものはデザートも出され終わっている。

 まさに今。

 丁度時を同じくして、ソリュシャンからの一言伝言が再びユリの思考に届く。

 それは、『ユリ姉様、作戦はほぼ無事終了ですわ』と端的に流れて途切れた。

 この報に思わず目を閉じるユリが胸の前で手を強く握り合わせ、心からの言葉を口から溢してしまっていた……。

 

 

「――本当に良かったっ! ぁ(っ……しまった)」

 

 

 ガゼフは、ユリからの力の籠ったこの真剣な言葉に目を見開く。

 

「そ、そう……ですか(おおっ、おおおぉぉぉぉぉぉーーーーっ?!)」

 

 彼は動揺したと言っていい。

 過去話がユリの心への突破口になったのかは不明だが、そこに何かがあったように彼はこの大きな反応の手ごたえをそう分析した。

 だが、そんな細かい事は後という思い。

 彼は機会はココだと考えた。

 

「あ、あの、ユリ・アルファ殿。よろしければ、また今日のように食事会で話を聞いてもらえないだろうか?」

 

 戦士長の申し出に際し、この時まだユリも「無事終了」の報に少し浮かれていた。それに護衛の話もある。

 自然と彼女は、彼待望の言葉を微笑みと共に返す。

 

「はい、是非また」

「……(うおおぉぉぉぉぉぉーーっ!)」

 

 彼はこの瞬間を逃さない。

 彼女のその表情を目にして――ガゼフはもう一つ踏み込む。

 すべては流れ。決して、調子に乗っていたのではないと思いたい。

 

 

「あの、約束の握手をしていただけまいか?」

 

 

 そうして、ガゼフは席から立ち上がると分厚いグローブのように大きい右手を、遠慮気味にユリへ差し出した。

 良く見れば僅かに彼の手は震えている……。

 ユリは一瞬、首を傾げたが無下に出来ず、彼女も立ち上がると――優しく彼の手を握った。

 

(………――――!!)

 

 なんと……冷ややかに感じる手だろうか。しかし――やはり滑らかな肌で柔らかい。

 

(この()()()夏に……抱いて眠れれば最高かもしれない……)

 

 完全に放心状態へ一瞬引き込まれかけたガゼフ。

 彼が早朝に考えていた『ユリ計画』を完全制覇した瞬間であった。

 しかし、ユリはさっさと手を離すと、戦士長へ余韻に浸る間を与えず告げる。

 

「そろそろ帰りましょう。よい時間ですし」

「………え……っええ。ですね。そ、それでは……待たせてある馬車を呼んでこよう。入口で待っていてもらえれば」

 

 完全にフワフワと舞い上がっていたガゼフは、近くへ停めさせていた馬車を呼びに、街の石畳の続く大通りへと軽やかな足取りで躍り出る。

 そして、無意識にスキップも交える彼は――。

 

 

 いきなり通りかかった多くの子牛を乗せる荷馬車に轢かれていた。

 

 

 急に飛び出すから……。

 左右の確認は必要である。

 

 

 

 ガゼフが気付くと見慣れた天井が見え、自分の固めのベッドへ寝かされていた。すでに夕日の差し込むそこは、城内の王国戦士騎馬隊の屯所であった。

 街の大通りは一時『王国戦士長さまが轢かれたぁぁ』と大騒ぎになったが、王都の街の者に慕われるガゼフは馬車へと丁重に乗せられ王城まで送られて来たという。

 そして、それを指揮したのが、なんとあのユリ・アルファだったと。

 おまけに屯所前からこのベッドへは軽々と彼女自らが大事そうに運んできたと聞く。

 ガゼフは屈強で大柄の身体。100キロは優に超えた体重であったが。

 

(さすがはユリ殿……)

 

 ユリとすれば護衛任務のハズが、とんだ事になってしまい慌てていた。本気で心配する表情を浮かべ、何度も「ストロノーフ様、ストロノーフ様ぁ!」と叫んでいた話を聞いた。

 だが、体を調べてみると4頭立ての荷馬車で完全に踏まれ轢かれながらも掠り傷程度であり、安心し落ち着いて暫く見守っていたユリには、先程宮殿の部屋へと戻ってもらったとの事。

 

「な、なんと。そうであったか……」

 

 副長達からの話を聞き、彼は一瞬、もう少し怪我が酷かった方が看病してもらえたかもと思ってしまった。

 

(……何を俺は幸せで甘い思いをしようとしているんだっ。今は戦時中……しかし)

 

 最愛のユリへの想いは尽きない。

 全治1日の擦り傷程度で済んだのは流石、王国戦士長であるっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 裏切りのクレマンティーヌ

 

 

 クレマンティーヌを除く、漆黒聖典の残りの隊員達9名は少なからず動揺していた。

 昼前の『隊長』の単独攻撃出陣以後、想定外である一連の騒動と陰鬱な結末に。

 (ドラゴン)達の偵察隊に見つかった事に始まり、流されるままに戦闘へと突入する。

 竜兵達の強さに翻弄され、後続の登場に分断され、こちらは個で足止めと撃破された形だ。

 

 まず、法国の切り札と言える至宝衣装を装備したカイレが敗れ、連れ去られた上に生死不明。護衛の陽光聖典隊員5名も全員殺されていた。

 次いで1体の竜を、妹のクレマンティーヌと共に追って行った第五席次『一人師団』クアイエッセ・ハゼイア・クインティアまでもが、妹に応援を頼んだ後で、シモベのギガントバジリスク他が全て倒された上で消息不明。

 (とど)めに、帰還宣言時間を2時間近く過ぎても未だ、あの無敵の『隊長』が帰って来ていない――。

 

 連続する異常事態に何かがおかしいと皆が感じ始める。

 特に(ドラゴン)兵達には、強さと動きに今一つ納得できない雰囲気が漂う。

 結局、8体の竜兵達のうち1体も倒せなかったのだ。攻撃が殆ど通らなかったのが理由。

 それはまだ理解出来た。

 おかしいのは、対する竜兵達側からこちらへの攻撃が今一つ薄かったように感じた。

 その必要性が理解出来ない。

 漆黒聖典の隊員が、全力ではないと警戒した事も可能性としては残る。

 でも、敵ならば積極的に倒そうとしても良いはずなのだ。

 そうしなかった理由として考えられる点は確かにある。

 

 『陽動』と『偵察任務重視』だ。

 

 結局クアイエッセは、シモベのギガントバジリスクとクリムゾンオウルを、全て召喚した上で竜兵に敗れたと思われる。

 彼は、この地へ残ったカイレの次に力がある隊員。

 つまり、現在不明である者は、この地に居た、No.1とNo.2である。

 ここから竜軍団は計画的に二人を屠ったと考えられる。

 カイレの連れ去られた現場、ギガントバジリスクらの死体があったクアイエッセの戦っていたであろう場所。激戦が繰り広げられたのは間違いないだろう。

 しかし何か、偶然と片付けられない状況に思えた。

 漆黒聖典の現状を正確に把握されたタイミングでの動きに、その情報元はどこから来たのだろうかと。

 

 現在、副長のクアイエッセもいない事から、小隊長筆頭のセドランが隊を纏めている。

 警戒のため、先程の漆黒聖典の戦車隊が留まっていた場所、廃墟都市エ・アセナルの南側約50キロの穀倉地帯を通る細めの裏街道脇にあった林の中からは移動していた。

 ここは、西へ3キロほど離れた森の小道。森へ僅かに入った道の脇へ戦車隊を一列で停車させている。

 非常時のため、装備品を回収された陽光聖典隊員達の遺体は全てあの場で放置された。

 今は隊長を待ちながら戦車列脇で円陣を組み、反省会的にこの後も考慮した意見交換がされている。

 応援が必要でクアイエッセの苦戦を伝え、戦っていたという場所を知らせてきた、兄が行方不明のクレマンティーヌは――終始視線を落とし、もちろん悲しい表情芸に徹している。

 しかしここで。

 

「確かにあの場には火炎の跡が周囲へ広がり、モンスター達は全部死んでいましたけど……。クレマンティーヌ。貴方、何か嘘を吐いていませんか? そもそもなぜ応援が必要だったのです? 私はその場に居ませんでしたが、貴方達は二人で倒すと言ってセドラン隊長達から別れたのですよね? 本当はお兄さんを死なせたのでは? そして、都合の悪い死体はどこか地面にでも埋めた――」

 

 彼女の小隊長である『神聖呪歌』から厳しく追及される。

 

 ――『嘘を()いていないか』

 

 この場では、モモン扮するアインズが危惧していた通りの状況が展開を見せ始めていた。

 それに対して、クレマンティーヌは「違いますー」とふて腐れるように、『大きくは反論せず』を貫いている。

 

「やめろ。“今はまだ”証拠が何もないのだからな」

 

 女性陣のやり取りを見ていたセドランが止める。

 だが、まるで『証拠』が、もうすぐ何か手に入ると思わす雰囲気が漂っていた……。

 ここには第5位階魔法の使い手が数名いる。

 彼等には、『嘘を吐いていないか』を確かめる(すべ)が幾つかあるのだ。

 それをセドランが告げてくる。

 

「クレマンティーヌよ、悪いな。 一応だが――直接確認させてもらうぞ」

 

 それは恐らく、クレマンティーヌ自身も武器アイテムを用いて良く使っていた〈人間種魅了(チャームパーソン)〉だろう。

 

「鎧や武器、アイテム類は外してくれるか? 分かっていると思うが、妙な真似はするなよ?」

 

 座っていた周囲の仲間達が立ち上がり、腕組みをしたり剣を肩へ乗せたりと、彼女をジッと睨んで来ていた。

 逃げようかと考えても、一人か二人ならともかく、この全力装備のメンバーで同時に三人以上の相手は無理があった。8対1ではお手上げだ。

 もう完全に部屋の角へと追い込まれた上で袋のネズミの状況。

 クレマンティーヌは表情を変えないが――内心で凄くヤバイという感情が心に広がっていた。

 

(ど、どうしよう、モモンちゃんっ。バレる。バレちゃうよ。魔法が来たら終わりだよー)

 

 剣士のクレマンティーヌ自身には〈人間種魅了(チャームパーソン)〉へ抗う方法が無い。

 彼女の女騎士風で聖遺物級(レリック)アイテムの衣装装備には、その効果もあったはずだが、外すよう告げられた以上どうしようもない。

 いつもはドラ猫で図太い彼女も、表情が固まった状態に一瞬なる。

 

(最早、これまでなの? もう会えないのー? ああ、モモンちゃん。―――助けて……)

 

 でも、評議国公僕の任務中であるモモンが、ここへ助けに来られる訳がない。

 クレマンティーヌの目が、最後を悟り僅かに細まる。

 兄を討つという生涯の願いを叶えてくれた優しく愛しい人……モモン。

 その彼に迷惑だけは掛けられない。

 彼の女として、モモンに関係する事を口走る前に、二本のスティレットを抜いて仲間へ斬り掛かり、派手にこの場で散ろうと「くっ」と唇を噛み両手へ力が入り、凄まじい殺気を放ちかけた瞬間。

 

『――――――』

 

 聞き覚えのある音と共に、馴染みの声がクレマンティーヌの頭の中に流れた――。

 

 

 

 クレマンティーヌは指示通りに武器と装備類を外し、綺麗な刺繍の入る胸の強調された白のブラウスに白いフリルのあるこげ茶生地のホットパンツ姿となった。

 フードを被る老齢の第三席次の魔法詠唱者(マジック・キャスター)が、仲間の円陣の中央に座ったクレマンティーヌへ手を翳すと魔法を唱える。

 

「〈人間種魅了(チャームパーソン)〉。さあ、話してもらえるかな? 君が第五席次を置いて帰って来る時の理由を」

 

 霧と似た雰囲気にのまれると、親しい者へ対する様に接し、問われれば歯止めなく殆どの事を話してしまうだろう。

 今のクレマンティーヌなら、モモンに問われた時と同じ対応を取るはずと彼女自身は考えていた。

 だからヤバイのだ。それはもう隠すのは到底無理なのだと。

 そのクレマンティーヌが静かに話し出す。

 しかし、その答えは先程と同じ「兄から応援を呼んでくるようにーって頼まれましたー」である。

 円陣の一同は、第三席次へと真偽の確認で見るが「これが本当なのだろう」と彼は告げた。

 そうして、クレマンティーヌへの魔法は即時解除される。

 これは――仲間との信頼関係に一石を投じた尋問であるからだ。

 これ以上の質問は、今後の隊員の士気と戦闘指揮に影響するだろう。

 さっと雰囲気を変える為、セドランの意見でクレマンティーヌも加え、この後も考慮した前向きの意見交換が活発にされた。

 今回の敵の行動で、色々と納得出来ない件については、やはり不明である事も多い竜種で、知能の高い竜王の率いる竜軍団が一枚上手なのだという結論に収束し始める。

 (ドラゴン)という相手をナメずに、もっと慎重に情報を収集しつつ優勢に対応しようという結論へたどり着く。今回は接近速度を重視しすぎたのだと。

 場は随分と落ち着いた雰囲気へ変わった。

 ここで満を持して、クレマンティーヌは『兄からの指示』に対して、決定的といえる()()()()()()()を口にする。

 もちろん、芸を極めたといっていい寂しく悲しい仮面の表情でだ。

 

「……きっとねー、兄はあの場所で……私を死なせたくなかったのかもー」

 

 対峙する竜の強さを把握したクアイエッセは、意図的に妹を生かす目的で仲間のもとへ戻した――という話なら無理はない。

 

「……ぁ」

「――ぅっ」

「「「「「………」」」」」

「……っ」

「だなぁ……」

「……そうやねぇ」

 

 隊員の多くの者が納得し、兄から妹への命懸けである『家族の愛の絆』に胸を打たれた。

 

『普段、中々仲良く出来ないですが――(私好みのそそる慢性苦悶の表情をしてくれる)可愛い妹なんですよ』

 

 セドランも、確かにクアイエッセが妹の事を大事にしていた発言を思い出していた。

 

「本当に悪かったな、クレマンティーヌ。お前の兄はそういう(良い)人だった」

「本当にごめんなさい。私は見る目がありませんね……」

 

 尋問を指示したセドラン、先の行き過ぎた発言をした『神聖呪歌』、そして仲間達も。

 

「悪い」

「すまなかった」

「あいすまない」

「すみません」

「……すまん」

「ホントすんまへんなぁ」

「御免」

 

 隊員全員がクレマンティーヌへ謝罪した。

 クレマンティーヌは、いつも以上の歪み切った顔で『ニヤリ』とする。

 ついにもう誰も、この件を訝しがるものはいなくなった……。

 

 さて、あの救いの手は誰なのか。

 クレマンティーヌが覚悟の瞬間に聞いたのは、あのおどおどした魔法少女の声。

 勿論、モモンから「クレマンティーヌへ言い忘れていた件」として、『至宝奪取作戦』を終えたマーベロが主より〈伝言〉経由で応援指示を受けたのだ。

 場所についても、随時追跡しているナザリック第九階層の統合管制室より入手。

 

『―――だ、大丈夫です、クレマンティーヌさん。モモンさんから頼まれたので。そのまま周りの指示に従ってもらえれば』

 

 『小さな彫刻像』も無いため〈伝言(メッセージ)〉である。

 信用出来ないと言われている〈伝言〉であったが、女騎士はモモンという名の方を信じた。

 時置かず、周辺で〈完全不可知化〉したマーベロが、クレマンティーヌへ〈偽りの情報(フェイクカバー)〉と〈幻影(ミラージュ)〉により魔法探知及び魔法発動時に対する偽装と〈上位精神防御(グレーター・マインド・プロテクション)〉を施してくれていた。

 クレマンティーヌはマーベロへひとつ借りが出来た。

 ――という事である。

 

 

 

 

「ふう、やっと見つけたぞ」

 

 隊員全員がクレマンティーヌへ謝罪を終えた直後、()()()が聞こえてきた。

 漆黒聖典の隊員へいつも指示を告げていた馴染みの声に、円陣で座る隊員全員が振り返る。

 そして、多くの者が大きく叫ぶ――「隊長っ!」と。

 騎士風の衣装装備に愛用の槍を右手に持った『隊長』は、立ち上がった隊員達から掛かる声にいつもと違う切羽詰まった響きに気が付き眉を顰める。

 

「遅くなったが……どうした?」

 

 ざわめく皆を手で制したセドランが隊長へと近付き、この時間までの戦闘及び総損失、不自然と思えた状況に対するクレマンティーヌの尋問と解決、その後の皆での意見交換での結論。

 そこまでの全ての概要を5分ほどで端的に纏めて伝えた。

 『隊長』は自由な左手を握ると額へこつんと軽く押し付ける。

 

「そうか、カイレ様が。……至宝が所在不明とは、うーむ。甚大過ぎる損失だな。それと(妹へ歪んた欲情感を持って楽しんでいた変態の)副長(あいつ)までも……戦力がズタズタだな」

 

 『隊長』は、旧エ・アセナルの廃墟を時計回りで大きく迂回し帰還してきた。また、出発時と戦車隊の位置が違っており、途切れる(わだち)を地道に追って来たことにより時間を食ったのだ。

 スレイン法国から秘密裏に派遣された漆黒聖典を率いる隊長として、状況を確認した彼は総合的に今後の行動を判断する。

 

「……ふーっ。結論を明確にする意味でも、初めに伝えておこう」

 

 度重なる多大の戦力喪失を抱えた現隊への『隊長』の発言に、隊員を初め御者ら補助兵員達も含めた全員が傾注する。

 

「旧エ・アセナルの上空にて、私は竜兵5体と百竜長1体、並びに竜王と戦った。そして、竜兵5体は屠ったが、百竜長1体は重傷に留まった。竜王に邪魔されたのだ。そしてその竜王に対して――私は完敗した」

 

『『『――――!?』』』

 

 彼の答えに周囲の一同、クレマンティーヌさえもが大いに驚く。

 人類の守り手である、スレイン法国神官長直轄特殊工作部隊群『六色聖典』の誇る漆黒聖典第一席次『隊長』は、無敵。それほど圧倒的に強かったはずなのである。

 クレマンティーヌとしては、「モモンちゃんとどっちかなー」と判断が付かない程の考えであった。

 彼女は、両者の全力を見ていない。単純に機会が無かった。

 

 そんな『隊長』が、完全に負けたと告げた……。

 

 皆の場を沈黙が支配する。

 そこへ『隊長』の落ち着いた言葉ながら、驚異的内容が再び流れる。

 

「竜王の力は想像以上だ。私の所感だが、カイレ様の力か、もしくは私と番外席次が二人掛かりでないと勝利への確証が持てない強さと見た。あの竜王は間違いなく――古竜(エインシャント)の化け者だ」

『『『――――っ!』』』

 

 竜王はまだまだ青いはずなのに、そんな評価をされていた……。

 恐らくこの場で『隊長』の話を即、完全に納得し理解出来た者はいないようにみえる。

 その強さが正確に掴めない程の高水準の存在の話だからだ。

 それは――他の漆黒聖典隊員では全く歯が立たない事を意味している。

 対抗出来るのは3名のみ。

 しかし今、その力の一翼を担うはずのカイレが至宝装備と共に所在不明となっている状況。

 この状況は、人類側の酷い苦戦以外を示す意味はない。

 『隊長』は静かに告げた。

 

「至宝装備だけでも探したいところである。だが――正直、我々だけではかなり厳しい。それにアレは誰にでも使える物ではない」

 

 ここでセドランが重々しく尋ねた。

 

「隊長が万全を期し、再度竜王と戦ってもどうにもなりませんか?」

 

「負ける。信じられないだろうが、私の渾身の打撃がまともに当たってもダメージを殆ど与えられない……あれは我々の使う並みの魔法も通用しないと思う。叡者の額冠を使った究極の大魔法がどこまで通用するか。この広い大陸でも最強の竜王の1体だと私は思う」

 

 『隊長』の言葉を聞いた全員が口を開け絶句していた。

 クレマンティーヌも同様に。

 

(モ、モモンちゃん……)

 

 それをまず伝えた『隊長』は、漆黒聖典戦車隊の行動を示す。

 

「以上の話から、現有戦力での戦闘続行は停止する。一旦、セドランの小隊はリ・ボウロロールの秘密支部へ移動し本国へ現状を伝えてくれ。そして、エ・ランテルで指示を聞いてきてほしい。我々は移動し王都リ・エスティーゼ北東の大森林で待つ」

「了解しました。直ちに移動します」

「よろしく頼む」

 

 『隊長』の言葉に、屈強で重装巨体のセドランが頭を下げると彼は一つだけ質問をしてきた。

 

「隊長、ひとつだけ宜しいですか?」

「なにか?」

「竜王に敗れたと聞きましたが、御無事だったのですか?」

 

 よく考えれば、負けたにもかかわらず無事帰還し、ここへ無傷で居る事に対するセドランの疑問であろう。

 『隊長』は隠さずに伝える。

 

「竜王に敗れた最後の一撃は壮絶な威力の火炎砲だった。まともに左腕へ食らい、どうやら派手に高速で数キロの距離を飛ばされたようだ。その後、私は森の中で木の根元にいた。だからあの竜王から逃げられたんだろう。記憶にないのだが、自力で短杖(ワンド)を使って〈治療(ヒーリング)〉したようで気が付いた時には完治していたんだ」

「おお、それは正に奇跡ですなぁ」

 

 

 

「ああ。これは天使――――いや、神の御加護だ」

 

 

 

 漆黒聖典の戦車隊は、間もなく二手へと分かれて速やかに移動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 復活の鉄拳

 

 

 シャルティアは既に全力装備の真紅の鎧から、いつもの可愛く似合う紫系のボールガウン姿に戻っている。

 そんな階層守護者の前へ、一人の()()()が目を閉じて膝を突く。

 一つの儀式が終ろうとしていた。

 

「顔をあげろ。新しい我が忠実なる配下として名を名乗れ」

 

 シャルティアは、場所や相手で適当に廓言葉を使い分けている。この下僕へは使わない。

 鼻筋の通る細い眉の新入り娘は、主の命令に従い恭しくゆっくりと顔を上げ、目を開く。

 彼女の涼やかな目の瞳は、朝までの濃い灰色ではなく、今は妖しく赤い輝きを放っていた。

 娘はその若々しい声で告げる。

 

 

 

「――カイレにございます。本日只今より可憐で美しき我が主、シャルティア・ブラッドフォールン様へ生涯に渡り厚き忠誠を捧げます」

 

 

 

 彼女こそ、至宝『ケイ・セケ・コゥク』を着用装備していた元老婆カイレである。

 至宝のアイテムの詳細情報を得る為、作戦通りに吸血鬼(ヴァンパイア)化を施すと、何故か時間が巻き戻るように皺が消えてゆき、この若い姿で固定された。

 すでに、新しい血により忠誠を捧げるべき尊い主を得て、スレイン法国への思いはない。

 今は至宝の模造型で、柄を変えた黒地に金色の華刺繍の入った超金属も織り込んだ衣装装備を着ている。また、その艶やかである金髪は後頭部へ一つ団子の形ではなく、両側へ長く垂らしたツインテールに変えた。

 カイレの身長はそれほど大きくない。……胸も同様。

 シャルティアの口許は『うん、悪くないでありんすね』と緩んでいる。

 

「よい。 カイレよ、言っておくがわたしの主は、いと愛しく尊き至高の御方。この栄光のナザリック地下大墳墓を唯一絶対支配されているアインズ・ウール・ゴウン様だ。無礼は絶対に許さん。その我より分け与えた魂へ命じるぞ。今後我が君へも私以上に心して仕えよ。いいな」

「はっ、心得ました。アインズ・ウール・ゴウン様へも同様の忠誠を」

 

 若き娘カイレは赤く輝く目を閉じ、恭しく主へと(こうべ)を垂れる。

 これにより、配下への儀式は終了する。

 

 その様子を脇でマーレを除くアルベドとエヴァ達支援組――『至宝奪取(エィメン)作戦』に参加した者達が見守る。

 ここはナザリック地下大墳墓第二階層の墳墓。その一区画で広い石室内。

 アルベド達は、作戦を無事に終えると速やかにナザリック地下大墳墓へと帰還してきた。

 まずは最重要目標であった危険アイテムを完全に確保するためである。

 今、カイレは“耐性を持つ相手すら精神支配する”という至宝『ケイ・セケ・コゥク』を着用装備していない。

 

 

 非常に危険であるこのアイテムは、もちろん――守護者統括のアルベドが手にしている。

 もう安心である。

 ()()()()さまを深く愛しているアルベドが、シッカリと手にしているのだからっ。

 

 

 裏は無い。

 ()()()()()()()()()今は動かない。

 彼女がこの重要アイテムを隠匿し、『アインズ様、体内にお持ちのその美しい世界級(ワールド)アイテムを、是非少し私めにお見せいただけませんか?』などとお願いするはずもない。

 なぜならば、今回の作戦は絶対的支配者へ懇願してわざわざ任せてもらった任務である。

 御方からの大きく強い信頼が、些かも揺るいでいない現状も先日再確認している。

 きっちりと終わらせなければ、彼女自身の存在価値は地に落ちる。

 自分で自分を許せなくなる。

 忠誠を捧げる臣下として、『盲目的で浅ましい欲望』には代えられないのだっ。

 

(ああ、アインズ様……。私は我慢します。出来ますともっ)

 

 日々、アインズからの優しい愛を感じている。

 先日の小都市についての打ち合わせも、向かい合わせの節度ある形ながら二人は和やかで良い雰囲気であった。

 また妃の最有力候補でもあるのだ。こんなところで忠義の道を踏み外す事など出来ない。

 

(よっしゃぁぁぁぁーーーー、任務完了っ。もっと頑張るでぇーーーーーーっ)

 

 そんな残念な内心をおくびにも出さず、華麗に振る舞うアルベドは、柔らかく微笑みながらシャルティアへと歩み寄り言葉を送る。

 

「これで終わりかしら? お疲れさま」

「そうでありんすねぇ。今回も一瞬で終わりんしたね。もっと、歯ごたえのある者はいんせんものか」

「シャルティア、今回はこれでよかったのよ。このアイテムは一歩間違えば、同士討ちになったのよ。もしかすれば最悪、アインズ様へも弓を引くようなね」

「それは……そうでありんしたね。失言しんした」

 

 シャルティアも精神の完全支配を受けるのだけは避けたい。

 もちろん、至高の御方からなら構わない。この身が朽ちようと、お役に立つならそれで良い。

 でも、それ以外の者からの攻撃や命令であったならば許せない。

 万が一で、マーレやアルベドら他の守護者に討たれるのはやむを得ないだろう。

 だが、もし御方と直接戦うことになるというのなら、先に自身の消滅を選ぶ。

 至高の御方の忠実なる臣下として、直接対決だけは絶対にあってはならないのだ。

 しかしすでに、その危機と大任は無事に終わっている。

 シャルティアもアルベドの言葉に一瞬大いに緊張したが、ふっと息を吐く。

 そして気晴らしにと目の前に依然膝を折る娘へと命じた。

 

「カイレ。暇だし貴方の闘いをここで見せるでありんすよ」

「畏まりました、シャルティア様」

「そこの花嫁達、3人程前へ出るでありんす」

「「「はい」」」

 

 脇に居た吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)へも命じると、カイレはゆっくりと立ち上がり花嫁達の方を向く。

 シャルティアは相手を見れば大まかに強さを判断できるが、アルベドは動きによって判断するタイプ。

 

吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達は確かLv.26前後ぐらいかしら。元の老婆だった人間は、どのぐらいなの?」

「そうでありんすね……吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)よりも弱かったでありんすよ」

「ふーん。じゃあ、全然大したことはなさそうね」

 

 総合力重視のシャルティアも、パワー&防御力重視のアルベドも、Lv.100のバリバリといえる戦闘(かちこみ)屋NPC。

 この世界で、神話水準のLv.80程度でも――弱々しい雑魚に過ぎない。

 そんな階層守護者と守護者統括の前で、余興は始まる。

 カイレの前に吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が3人並ぶ。明らかにカイレは不利に見える構図。

 

「じゃあ、始め」

 

 シャルティアが目の前の4人へそう声を掛ける。

 カイレは、足を軽く開き膝を少し曲げる緩い構えを即時に取る。深いスリットから僅かに覗く瑞々しい太腿以下の素足が眩しい。

 しかしその思考は、一瞬で彼女の動きにかき消される。

 

 

「はぁーーーっ。 ハイ! ハイ! ハイッ!!」

 

 

 広い石室内へと反響するほど響く若い娘の張りのある掛け声と同時に、武技〈裡門頂肘(リモンチョウチュウ)〉、〈鉄山靠(テツザンコウ)〉、〈崩拳(ホウケン)〉が、速攻で近付いて来た吸血鬼達へ見事に炸裂。

 手加減しながら鮮やかに放たれたその個々の攻撃の威力が、3名の吸血鬼の身体を大きく軽やかに空へ舞わした。

 

「50年早いわね」

 

 掌を前にして技を放った低い震脚の構えを崩さない元老婆は、石床へと転がる吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達へと決め台詞を申し送った。

 そして姿勢を正すと、主シャルティアと格上のアルベドらへと一礼する。

 新参者の一連の動きを見たアルベドが呟く。

 

「変わった攻撃ね。まあ、私には通じないけど」

「武技っていう、この世界の新しい系統の攻撃スキルのようなものでありんすよ。ナザリックでは、もうルベドが剣の技を幾つか身に付けているはず」

 

 シャルティアの情報に守護者統括は軽い返事を返す。

 

「ふーん。……今の動きだと、やっぱり吸血鬼(ヴァンパイア)化すると、大幅に身体能力が上ったみたいね」

 

 アルベドの目で今の攻撃の動きから推定するレベルは、武技も含めてLv.50を少し超えるかという水準であった。

 

「ふーん、て。武技については、我が君がナザリックの戦力強化の柱の一つに挙げられていたでありんすよね?」

「当然知ってるわよ、アインズ様絡みなんですもの。でも――自分で散々やってみて無理そうだと、ガックリくるじゃない」

「あ……そういうことね」

 

 アルベドは部屋に籠って、巨大刃が光る斧頭を持つバルディッシュを「えぃ、えぃっ」とすでに散々振っていたのである……。

 シャルティアは、少し涙目であるアルベドを慰めるように誘う。

 

「今度、みんなで練習するでありんすよ。何か掴めると思いんすし」

「そ、そうね。アインズ様の為に、諦めちゃだめよねっ」

 

 嘗てスレイン法国の亜人多き北西辺境地において、ナイキ・マスター他の職業(クラス)でその姿には炎を見る『鉄拳カイレ』と呼ばれた娘を新しく仲間へと加えつつ、そんな可愛い二人の守護者であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 夢で逢いましょう

 

 

「お姉さま、きらきら見たいーー」

「お姉さまの魔法、きらきらーー」

 

 アルシェは部屋の蝋燭の灯りを落とし、クーデリカとウレイリカの姉妹達をベッドで寝かせようとしたが、可愛い声でリクエストされた。

 

「しょうがない。ちょっとだけね」

「はーい」

「はーい」

 

 アルシェが魔法を発動すると、部屋の昼間白かったが夜の闇に落ちた壁や天井へと明滅する小さな数多の輝きが現れる。

 

「わぁーーーきれい」

「きれい、きれいーー」

 

 それはまるで外の夜空の様に見えた。

 双子の姉妹達は、ベッドの中で布団から僅かにちょこんと顔を出してそれらをじっと眺める。

 笑っている妹達の顔をアルシェは黙って優しく満足そうにただ見ていた。

 すると、クーデリカとウレイリカがぽつりと思いをこぼす。

 

「ねぇ、お姉さま。お父さまとお母さまはいつ来るの?」

「お父さまとお母さまに早く会いたいなーー」

「――っ」

 

 純粋な希望。

 アルシェもこの年頃には同じ様に両親を想っていたと思う。

 だが現実は無情である。両親へ今会わせる訳にはいかない。

 クーデリカとウレイリカは何も悪い訳でないのにだ。

 アルシェは、申し訳ない気持ちを隠し優しく答える。

 

「そうね、今はいろいろと大変だから……良く寝て、元気にしていれば、きっと会える」

「わかったーー」

「ウレイリカ、いっぱい寝るーー」

「二人ともいい子ね」

 

 そう言いながら、アルシェは二人の姉妹の頭を優しく優しく交互に撫でた。

 ――クーデリカとウレイリカが夢の中に落ちるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジャ~イムスぅぅ。お前、分かっていような?」

「は、はいぃ、旦那様。ご指示通りに……」

 

 そこは、暗室。

 ほんの僅かに天井の小窓から星の輝きのみが入ってきている。

 そこで怪しげに相談を纏める二人の男が居た。

 

 ――(まこと)に時間と現実は無慈悲で無常である……。

 

 

 




参考)時系列
28 和平使者出る ガゼフ相談 ニニャ告白 アルベド女子会 ルトラー婚姻話 ラナーと結託
29 夜中クレマンと会話 ナザ緊急会議 ルトラー縁談 帝都混迷 王割譲承認 夜中風呂ラナーVSルトラー
30 アインズ幻影改良済 ガゼフバレた 昼そのガゼフから冒険者数等情報有 夜ニニャとエ・リットルで再会
31 ジャ~イムスぅ 大臣が約定持参 ルトラー面会の要望 ティラ&ブレイン 遠征王都到着 第二回深夜会談
32 ニニャとデート (屋敷から王城へ帰還) ガゼフへ第二報告 『漆黒』の実力の検証 王都組合長と面会 人間捕虜餞別完了
33 竜王国への援軍 気の所為(地方組合と面会) 和平の使者 至宝奪取作戦 隊長と竜王の戦い ガゼフ昼食 守護者ルベド
34 冒険者点呼日(7日後)



捏造)元準男爵
フルト家の借金具合から、家の規模を推測。


捏造)『湖の都市』セギウス
とりあえず(仮)と言う形で名前を付けてます。


捏造)ティア、ティナの姉妹の名
公開当初は姉妹ティア、ティナと母音からなんとなく「ティサ」としてました(汗)が、
19/01/22に原作者様twitterで「ティラ」と判明。ティラへ変更。
30レベル?


補足)依頼主である『法国の一個人』
本作では、ニグンさんです。金掛けてでも恨んでます(笑)



捏造・考察)この大陸西方で人類が治める主な国家と人口
まあそれっぽい数を。
聖王国は領土北部内に都市が6つ以上存在し人口は多いですが、人材はいない国という感じです。隣接する亜人達の犇めくアベリオン丘陵に対し、国家の東側全面に総延長100キロ程の防壁を築ける程の豊富な労働力はあるが弱者の多い国。12巻予告からも強者の不在が伺えますし。
カルサナス都市国家連合は都市国家ということと隣接する帝国がそれほど脅威視していない感じなので、規模は意外と小さいかなと。

あと人類国家としては、大陸南方に黒髪黒目の顔立ちが一般的な国がある(書籍2-079)みたいですね。周辺に強い人類国家がない『単独』ならば、環境的に守られているか、亜人の国と同盟関係なのか、強国なのかというところでしょう。噂から「大きな国」という風でもなさそうな気もします。推定の人口は500万程。第6位階魔法の使い手も恐らく一人は居るかと。幾つか人類国家が固まっている可能性もありますが、大陸で人類国家は少ないという話から単独っぽい。
なお、『大陸南方』とは竜王国の東側、ビーストマンの国より南側に広がっていると思います。法国の南側は恐らく半島になっていて砂漠の南にある空中都市の南側はあまり広くないと考えています。(竜王国の面する海は囲われていないはず。地球の世界地図でいうと丁度トルコがアーグランド評議国の位置でアラビア半島内北部に法国がある感じです。そういう意味ではインドの位置辺りが黒髪黒目の顔立ちの国になりますねぇ。ただ距離感は地球の7割程か)

個人的にこうやって空想で本作の世界を広げてます。

18/06/10 上記へ補足
書籍13-430において、『聖王国より南方には人間主体の国家はない』模様。一応人間が居るにはいるが一方で混血が進んでいるとのこと。王族がいても混血確定。
またアベリオン丘陵の亜人軍が10万超から、丘陵の亜人総人口は乱世ながら産めよ増やせよで30万程は居るのかも。



補足)現在御方から品を賜ったのはアルベドのみ。
アウラとマーレは水。
エンリは3つ目の笛。



補足)カイレ
若返ったのはシャルティアの好みということで……。



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