オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています。
注)この回の最後のP.S.は、食事中に読まないことをお勧めします(汗)


STAGE32. 支配者失望する/遠征ト新依頼ト会談ト(6)

 城塞都市エ・ランテルの翌朝は、まだ空が暗い中でいつもより早く訪れていた。

 日が昇る前より、多くの者が起き出しており、この都市とそして王国の存亡が掛かると言える竜軍団の討伐へ向かう冒険者達の雄姿を見送り、少しでも鼓舞出来ればと門までの都市内の沿道に人々が徐々に溢れ始めていく。

 鼻が詰まり「ぷひーぷひー」といつもの如く鼻を鳴らして佇む、都市長のパナソレイもその一人である。

 夏の季節の早い日の出を1時間程過ぎた午前6時前頃、冒険者組合前の石畳の広がる広場に集結した冒険者達の出陣式へ護衛を伴い彼も現れていた。

 パナソレイも市民らと同じく王国民として、冒険者達へ厳しくとも大きい望みを託さずにはいられない。

 リ・エスティーゼ王国建国史上最大となるはずの竜軍団との大戦に、この都市でも現在一般兵に関しても緊急招集を周辺地域へ掛けている。だが、準備を整え第一陣予定の3万の軍を送り出すには1週間は掛かると思われる。その後、残りの1万5000は第一陣の2週間後の出陣を予定しているが、それまでに定数を揃えられるかは不明だ。この都市の守りを空にする訳にはいかず、守りの1万余を引いた上での出陣となるだろう。

 都市長も現実を分かっている。送り出す一般兵計4万5000の兵力が、世界最強種と言われる(ドラゴン)に対してどれほど無力であるのかを……。

 一般兵の彼等では、冒険者達に比べただただ焼かれ踏み潰されるのみ。難度の水準で考えれば正直――殺される事による時間稼ぎしか出来ないだろう。

 それでも今は送り出す準備をするのみである。

 王都には、これから20万余の一般兵達の他に王国内でも優秀な冒険者達が3000を超えて集結する。リ・エスティーゼの武力の多くが集結し決戦が始まるのだ。

 そこには王国が誇る英雄達、強さで名を馳せる近衛の王国戦士騎馬隊やアダマンタイト級冒険者達も集うだろう。国王陛下の許に集結した戦力は強大のはず。そこで何とか手を打ってもらえると期待するのみ。

 

 

 そうでなければ王国は、民の大部分が殺戮された上で確実に終わる――。

 

 

 同時にパナソレイは思った。

 

(今の王国の終焉的事態にも、届けられた書簡の文面上ではエ・ランテルを割譲してのスレイン法国や帝国への助力要請案は全く検討されていない様子。いや、陛下を含めた貴族会議で出せる議題ではないか……。誰が発言しても権威失墜につながる言動になりかねないのだから。……完全に我が国政は行き詰まり腐っておるな)

 

 忠臣的貴族ながら一都市長に過ぎない彼では、どうにもならない事が多すぎた。

 国王と王家は、懇意にしていた六大貴族のぺスペア侯爵家を、数年前の第一王女の輿入れで完全に国王派閥の中心へ組み込み貴族派と十分拮抗した状態へ移ったが、それだけに留めた。

 自領の益のみを優先する貴族達の前に、基本的に保守層中心の王政は長年停滞が続いている。

 更に近年、ラナー王女の発案である『奴隷制度廃止』を国王が賛同して押し進めた結果、超派閥で多くの貴族の間に小さい不満が溜まってきているのを感じている。

 そう、実際には派閥に関係なく多くの腐った王国貴族達が、奴隷制度によって陰で少なくない収益をあげていたのだから。

 『奴隷制度廃止』は民を思う美しい行動にも思えるが、王家に対しては最終的にプラスとなるかどうかについて、パナソレイは個人的に疑問が残る気もしている。

 民達も、更に酷い奴隷地位の者達がいればこそ耐えられた思いもあるはずで、それが今は無くなっているのである。また奴隷から解放された者達の多くも職はやはり劣悪の上に限られており、経済が下降線を続けるのなら遠くない先に、民衆全体の不満は徐々に貴族達や国王へと高まっていくかもしれない。

 反王派閥を初め、いずれ内部から崩壊するそんな要因の多さに頭を抱えつつも、今、外患により王国の完全消滅の危機に目を向けるべきと、パナソレイは思考をこれから始まる冒険者達の出陣式へと切り替えた。

 

 

 

 あと40分ほどで王都遠征へ出発する冒険者達を広場で見送る側に、白金(プラチナ)級冒険者チーム『漆黒』のモモン達はいた。彼らはまだ今日の午前中に、この都市での護衛の仕事が残っているためだ。

 広場を囲み見送る群衆の数は、既に万を優に越している。

 現在、宿部屋のメンバーでこの場に居るのは、モモンとマーベロ、そして不可視化したパンドラズ・アクターの3名。

 クレマンティーヌは今朝、都市外西方にある表面上は農園を営む法国の秘密支部へ一旦戻っている。漆黒聖典のセドラン一行の到着と、クレマンティーヌ自身のモモン達との接触について漏れていないかを確認する為であった。

 

 アインズは昨晩、カルネ村のゴウン邸でのんびりと一夜を過ごした。

 その中で、エンリとアインズは良い雰囲気に成り掛けるが、たまたま暇でその近くに居たルプスレギナの存在がそれを打ち砕いていた……。

 さらに、ルプスレギナが去った直後に――ネムが目を覚ましてしまう。ネムは昼寝を長めにしていた事と、一旦眠って15分程で眠気を飛ばす形でルプスレギナの「はいっ!」という声に起きたため、その後1時間に渡り起きてアインズと話をすることになった。

 そのためにエンリの方が先に、圧倒的力の雰囲気を持つ旦那様の傍ということで安心感が広がり、すやすやと寝落ちしてしまったのだ……。

 東の空が白む頃に、いつの間にか部屋へ居たキョウと起きたエンリへ向かいアインズは「そろそろ私は行かねば」と告げ、眠っているネムの頭を撫でるとゴウン邸を後にする。そしてナザリックへ30分程、白金(プラチナ)級のプレート複製と中位アンデッド作成のために寄ってからエ・ランテルの宿屋の方へ戻って来ていた。

 なお、法国に関しての情報報告はマーレの例もあるため、冷静なデミウルゴスへだけ概要のみ簡単に伝え、まだ支配者預かりとしている。

 一方、昨夜のエ・ランテルの宿部屋内では、常識的に考えると『モモン』が鎧のままでベッドに入る訳にはいかず、指示を受けていたパンドラズ・アクター扮する偽モモンは、御方が去った一時間ほど後に膝枕からクレマンティーヌを普通の枕へと移し横たえさせ布団を掛けると漆黒の鎧を外し、事前に用意されていたグレーのシャツにラフで黒紫のズボンという鎧を脱いだ服装姿で、仰向けにベッドの上へ寝転んだ状態で朝を迎えている。マーベロも、ローブを外し隣のベッドへ目を閉じた状態でじっと横になっていた。

 クレマンティーヌは、もちろん身体を動かされた事で目が覚めるも細目で鎧を外すモモンの姿を『あざとく』ウフフッと堪能した後、布団の上へ寝転んだモモンへと体を可能な限り摺り寄せて再び幸福の中、眠りについていた……。

 問題は朝、鎧を再装備したパンドラズ・アクター扮する偽モモンとの入れ替わりであったが、結局マーレによる1秒無い程度の〈時間停止〉を使い上手く平和に切り抜けている。

 その後、一緒に宿屋を出た所でクレマンティーヌとは別れていた。

 

 広場には、エ・ランテルの冒険者組合(ギルド)に所属する本日出発予定である(シルバー)級以上の冒険者チームが、使い慣れた装備を身に付け自前の食料等の入った荷物を持って集まってきていた。その数約100チーム弱、470名程。この都市の冒険者数の半分強だ。移送と移動に軍馬や馬車を用意している上級チームも幾つか見える。

 今日集まった冒険者達は、先日の様に上位であるミスリル級冒険者チームらを其々囲むような形にはなっていない。挨拶は短く終わらせ、皆が装備や荷物の最終確認を行なっている。

 冒険者達の命懸けの戦いは、もう始まっていると言えた。

 今朝は見送る側であるモモン達だが冒険者達の輪の中へ入っていく。一応ミスリル級と白金級の冒険者チームへの挨拶を手短に済ませながら歩を進める。なぜならチーム『漆黒』は組合でも新参者に加え、異例の昇級をしたことで十分有名となったチーム。ここは常識的に考えられる範囲で、王都到着の前に上位チームへこちらから面通しをしておく必要があると、リアル世界で営業マンだったアインズは考えたのだ。

 それ以外にも、見覚えのある金級、銀級冒険者チームへも通りがてら幾つか挨拶して回る。そして、最後に『漆黒の剣』の所を訪れた。

 ペテルらは(シルバー)級冒険者チームであるため、白金級へ昇格したばかりのモモンチームの立場はよく理解している。一気に追い越され後回しにされたことは少し寂しいが、それがこの世界での常識でもある。

 また、数段格上になったにも拘らず、わざわざ挨拶に来てくれた事は彼らにとって素直に嬉しい。

 特にニニャは僅かに頬を染めつつ、『モモンの女』として彼氏の来訪を心待ちにしていた……。

 彼女としてはメンバーに()()を話した後でしか知らせる事が出来ない事実でもある。なので、彼女は『まだ』前に出てはこない。

 ふとニニャは、モモンの傍にあの美人だが『殺気漂う淫靡な女』が居ない事に気付く。しかし、あの淫靡さの濃い女はチームの外で動いているという事を聞いていたので、不自然に感じることはなかった。そして少しホッとする。

 

「“漆黒の剣”の皆さん、おはよう。準備は大丈夫?」

 

 モモンもニニャの状況を理解しており、特に気負うことなくペテル達へといつも通りに声を掛けた。マーベロもいつも通りに「お、おはようございます」と手を繋ぐモモンの横から挨拶する。

 『漆黒の剣』のメンバーらも笑顔で「おはようー」と返してくれ、ペテルが代表して返事をくれる。

 

「ええ、万全……とは行きませんが、必要なものは何とか揃えられました。モモンさん達はどうですか?」

 

 まだ銀級である彼等は蓄えが余りない状況と言える。冒険者は報酬を得るまでは、あくまでも自己負担なのが辛いところである。王国の兵達のように寝床や食料が準備されたり配られる事もないのだ。すべてを自分達で用意し報酬を得るまで凌ぐことになる。

 一方金銭には全く困っていないモモンとマーベロであるが、ダミー用に僅かな着替えや食料を数食分用意した程度だ。彼等にとって、荷物は見せ掛けに過ぎない。はっきり言って装備があれば荷物など無くてもよい。

 

「俺達も大丈夫です。今すぐ出立でも問題ないかな」

「そうですか、それはよかった。しかし、恐らく王都を初め途中の都市や街では、戦時下で物価が上がってると思うので、これからの道中、我々は結構キツそうです」

 

 ペテルはチームのリーダーとして、少し渋い表情だ。

 確かに戦時下といえば、商人達が食料や生活消耗品を買い占めるのは良くある行為だと思われる。一応このエ・ランテルも都市長の名で買い占め禁止の布告もされてはいるが、完全に無くすことは不可能だし、庶民達も大きく膨らんでいく不安から買い溜めに走るのはあるだろう。

 

「ほんと、ひでぇ話だよなー。俺達は皆を守る為に今、なけなしの金を使って準備してるってのによー。(ドラゴン)の一匹でも倒さねぇと割に合わねぇって」

「確かに今回は、色々勘弁して欲しいところであるな!」

「でも……(ドラゴン)なんて、わたし達に倒せるのでしょうか……」

 

 ニニャの呟く本音の言葉に、ルクルットが両肘を曲げ両掌を上へ向け、『さぁねー』という表情で無言のゼスチャーを見せる。

 幸い周りはガヤガヤとしていたのでニニャの言動へ周りは気付かずにいるが、この場では相応しくない言葉に、『漆黒の剣』のメンバーで続きを答える者はいない。

 その彼らの視線は、その可能性を持つ目の前の漆黒の戦士へと向かう。

 

「まあ、結局戦いはやってみないと分からないものだと思うけど」

「――ですね」

 

 相手は(ドラゴン)なのだ、それも大集団の。しかし。

 本当に何気ない感じのモモンの言葉とそれにコクコク頷くマーベロに、ペテルは即、相槌を打つ。ダインやルクルット、そしてニニャの表情にも笑みが戻る。

 彼等は安心する。

 やはり、目の前に立つ漆黒の戦士モモン達は頼りになる――いや、この都市の『希望』かもしれないと。

 現時点では王都に到着後、どういう流れの戦いになるのか全くもって想像さえ難しいが、可能ならモモン達の傍でその戦いぶりを見てみたいと彼らは思う。

 戦ってみないとというのは本当だ。アインズは知っている。ユグドラシルでは彼等レベルの弱者でも、アイテムボックス内にある余り物の中位アイテムを使えば、出合い頭に下位の竜種くらいは楽勝で倒せる。

 ただこの世界にそんなアイテムが手軽にあるかは知らない。

 そして――その中位アイテムの方が、ずっと価値のあることを支配者はまだ気付いていないが。

 それとニニャには、Lv.88の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)1体を付けており、今も広場周りの建物屋上から不可視化で静かに見守っている。かの者に拮抗出来るのは竜王(ドラゴンロード)ぐらいだろう。おもに専守防衛を命じているので、『漆黒の剣』が(ドラゴン)を倒すことに協力するわけではないけれど、結果的に下位の(ドラゴン)達は“なぜか”圧倒的すぎる八連撃を受けて周りで死んでいるかもしれない……。

 モモンはペテルらと数分、『漆黒の剣』の行軍予定を聞いた。彼らは概ね遠征の先頭にそれ程遅れない形で進むと言う。確か1週間後に現地で再点呼ということだが、王都までの距離から1日45キロ程は進む事になる。時速5キロで朝4時間、昼5時間進めばいい距離。冒険者達の体力は一般兵よりもずっと高いので全く無理せず進む距離と言える。まあ、先頭は5日弱ぐらいで着くように動くはずである。

 

「さて、今日はこの辺かな。俺達も護衛の仕事を終らせて、午後か明日の朝には出発するから。また道中で」

「ええ」

「マーベロさんも、またねー」

「は、はい」

「モモン氏とマーベロ女史も良き旅を!」

「……モモンさん達も気を付けて」

「ああ。ニニャ達も――しっかりね」

 

 仲間への独白を秘めるニニャと兜越しのモモンの視線が一瞬交わる。

 術師(スペルキャスター)の二つ名をもつ若き魔法詠唱者は、コクリと小さく頷いた。

 「じゃあ」とモモン達は背を向け冒険者達の集団から、再び外の見送る側の民衆の中へと移る。

 遠征の指示を受けてなお、仕事でこの都市へ数日残るチームはモモン達を含めて僅かに5つである。彼等はチームで受けた依頼について、極力自らの手で終わらせたいという信用を重んじる連中に思える。その中で、白金(プラチナ)級の『漆黒』チームは最も上位であった。他は(ゴールド)級チームが4つだ。(シルバー)級は、この遠征へ遅れる事に不安が大きいということだろう。

 本日モモン達が行う依頼は、(カッパー)級の段階で受けたものだ。白金《プラチナ》級として『漆黒』チームが、今日の昼はまだエ・ランテルに滞在しているとどこから知ったのか、昨日夕方から最後の依頼をねじ込もうと密かに『漆黒』チーム指名で依頼が幾つか来るも組合側で全て断ったと先程知った。

 この都市で上位冒険者と言える白金級冒険者にもなれば、重宝され案外長期的案件も多い。そのため、今回は依頼をキャンセルせざるを得ない既存チームがほとんどであったようだ。更にこの遠征により、銀級以上の冒険者達の受ける予定であった大量の依頼もキャンセルされている。

 その中で処理可能と思える分を、この地に残る(アイアン)級や(カッパー)級が再度受け持つ事になっているのだが、冒険者組合側で強制的に調整され5チーム以上の複数チームで受け持たせる案件も続出しており、手が足りないほどの状況のようだ。

 都市へ残る下位冒険者らも、多くが命を賭ける仕事になるだろう。

 考えるに女一匹狼のブリタは、カルネ村へ移住を選択して正解だったと言える。

 この非常時である。どれほど過酷で長期の組み合わせになるか。まず連日、難度の高いモンスター戦。そしてそれに生き残っても、大人数の荒くれた男達に囲まれて幾夜過ごすことになる事か……モモンと再び笑顔で会えなくなる確率は非常に高かった。

 ただ、そういった過酷である下位冒険者らの境遇が考慮された。急遽、報酬については遠征期間に限り2倍へと増額されている。冒険者組合と魔術師組合に商業組合、そして都市行政からの援助で補填されることになったのだ。実績についても緊急時の貢献度が増えて評価される予定である。

 対して今回の遠征に出る者達も(ドラゴン)を1体屠れば金貨300枚以上を得る。5人のチームで達成しても一人当たり最低で金貨60枚。数年は遊んで暮らせる。

 そしてメンバーには、竜殺し(ドラゴンキラー)の名誉も得られる。それは冒険者の夢であり、英雄に次ぐ二つ名とも言える。

 また1体倒すことで確実に大きく実績へも加算され、冒険者チームとしてもミスリル級までなら最低でも一階級は上がる事だろう。下級であるほど飛び級も有り得る。

 昇格直後のオリハルコン級チームですら、一戦で4、5体も倒せばアダマンタイト級に昇格できる実績となる。

 だが、あくまでも『1チームで倒せれば』の話である……。

 現実にはそれ以上の数の(ドラゴン)が周辺に居る訳で、負傷や疲弊する中、尋常ではない状況を生き延びねばならず、本当に実力が無ければ即、死である。

 複数チームによる撃破も達成となるが、モモンらの盗賊団の件のように実績は報告される情報や内容が考慮され判断される。また実力の伴わない昇級をしても、妬みや仕事で早死にするのが冒険者の世界の常識だという事を皆、良く知っていた。

 モンスターとして、難度以上の高い実力を持つそれほどの強敵(ドラゴン)に彼等はこれから挑むのだ。

 

 さて、今日も2日前の集会と同じ様に、集結した冒険者達の前には小さめの白い舞台が広場の一角へ引き出されていた。

 その壇上に、まず都市長のパナソレイが上がっていった。良く晴れた空へ登り始める角度の低い朝日により、彼の随分と薄くなった頭は光を増し輝く。そしてダレた貴族の見本とも言えるその限りなく丸い体躯と出張ったお腹を揺すりつつ一言述べる。

 

「ぷひーぷひー。としちょうの“ぱなそれい”だ。みな、がんばりたまえ。このとしのめいうんは、きみたちにまかせた。ぷひー。いじょうだ!」

 

 都市長はそれだけ言うと、ヨタヨタしながら舞台を降りて行く。

 周辺からは、ぱらぱらと拍手が聞かれる程度で、全く盛り上がらない……。

 本当のパナソレイは、もっと民衆の事を深く考えしっかりしているのだが、多くの人前ではこういった軽んじられる態度を取っている。今日は特にだ。

 なぜなら、冒険者達へ『貴族達は当てにならない、自分達でやるんだ!』という気概を強く持ってもらうためにである。

 表面上まさに頼りにならないブタ貴族の都市長が下がると、次に正反対とも言える対比の激しい凛とした人物が動き出す。

 灰色で少しアフロ風の髪と口髭を蓄える冒険者組合長のプルトン・アインザックが壇上へゆっくり上がって行く。

 彼の首には漢の宣言通り――煌めくオリハルコン級のプレートが再び掛かっていた。

 そして集った者達と同様、5年ぶりの冒険者姿である。両手にガントレットを付け、深緑色の戦闘衣装で背に一本の大剣を差して装備を固めている。

 遅れてもう一人、同じ階級のプレートを首へと下げた魔術師組合長テオ・ラケシルも、高級感ある黒灰色のローブを羽織った装備姿で壇上にあがった。

 

『おおおおおーーーーーーーーーーっ!』

 

 その気迫満ちる精悍な顔付きをした歴戦さを感じさせる舞台上の男達の姿に、見送りの群衆を含めて広場全体から歓声が広がり大いに湧く。

 アインザックは、集まっている冒険者達を静かに見回すと、軽く右手を上げる。ほどなく周囲の喧噪は鎮まっていく。エ・ランテル最高の冒険者の言葉に皆が静寂をもって傾聴する。

 彼はいつもの組合長とは異なる、気合の籠った冒険者としての口調で語り始める。

 

「いよいよ我らはこれより、王都に向かって移動することになるっ。皆、準備はいいか!」

 

『『『おおーーーーーーーーーーっ!』』』

 

 前方に陣取る5組のミスリル級冒険者チームらを初め、後方の(シルバー)級冒険者達までが拳を握って声を上げ応えた。

 それを受けてアインザックは告げる。

 

「この都市に住む、多くの同胞と友人達よ。我々は(ドラゴン)の軍団をこの国から撃退するまで―――この場所へは戻らないっ。だから、見事生きて再び戻って来た者達を街の皆で大いに称えてやって欲しい! そして、遠征に出る冒険者の諸君―――皆、栄誉と富を手に生きて帰って来るぞ! さあ、ミスリル級の者達から全員この私、オリハルコン級冒険者アインザックへと順に続けいっ!」

『『『『うおおーーーーーーーーーーっ!』』』』

 

 大きく広がる喧噪の中でアインザックが鋭く口笛を吹くと、背に荷物を載せた一頭の灰色の軍馬が白い舞台の前へと走り込んで来る。彼は40代とは思えない身軽さで、壇上から愛馬へと華麗に飛び乗り手綱を取ると叫ぶ。

 

 

「エ・ランテル冒険者組合王都遠征隊、出発ーーーっ!!」

 

 

 アインザックの騎乗する馬が先頭として進み始める。

 次に続く形で舞台上のテオ・ラケシルは、〈飛行(フライ)〉を使って軽やかに宙へと舞い上がる。

 それに続き、イグヴァルジ率いるミスリル級冒険者チーム『クラルグラ』、ベロテ率いる『天狼』、モックナック率いる『虹』ら以下、白金(プラチナ)級、(ゴールド)級冒険者チームらと続いた。最後に(シルバー)級冒険者達が続く。

 アインザックは広場から南側へ向かう大通りを抜け、一度第二城壁門へ入り、一般民衆の多く住む第二城壁内の大通りを半周以上北上する形で回り、数キロに渡り沿道に並んだ民衆達へ冒険者組合遠征隊の雄姿を目に焼き付かせる。

 おそらく最善を尽くしても――このうち多くの者は自分を含め、ここへ戻らないだろうという思いを秘めて……。

 

(……やはり美しいな。我が故郷、エ・ランテルの城壁と街並みは。しかし――これで見納めか……)

 

 アインザックは、沿道に愛しい妻や子供達身内らの並ぶ通りを過ぎると、その掛け替えのない姿を記憶へ刻むように一度目を閉じた。

 オリハルコン級冒険者まで(のぼ)った彼の経験からして、300体もの竜軍団は余りにも強大過ぎる。50体ぐらいまでなら、王国内の2組のアダマンタイト級冒険者チームと全冒険者達でなんとか出来ると計算も立つが、300体は余りにも多すぎる数と言えた。

 彼のチームは嘗てカッツェ平野で、難度で80を超える死者の大魔法使い(エルダー・リッチ)さえも倒した事があるが、(ドラゴン)達の実力はそれを軽く凌ぐはず。なにせ、たった1体でも伝説に上がるほどの存在なのだ。

 それにアインザックはまだ知らない。その竜軍団を率いる余りにもこの世界では規格外の『竜王(ドラゴンロード)』という存在を――。

 エ・ランテルで最高位の冒険者を先頭に、勇壮なる500名弱のエ・ランテル冒険者組合王都遠征隊は、第二城壁内を北側の門から抜けると1キロ程第三城壁内を進んでモモン達が良く通る第三城壁の北西門を潜り街道へ出ると、王都までの遠征を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モモンとマーベロは、引き受けていた最後となる5つ目の護衛の仕事を無事に終える。

 その仕事は銅級冒険者の時に引き受けたものである為、そもそも難易度は低かった。

 内容は、馬車1台の荷と依頼主である商人1名について、大都市エ・ランテルから南南東へ15キロほど離れたカッツェ平野に少し近い街までの往復の護衛である。偶に草原の狼(グラスランドウルフ)の群れやゴブリンの小集団が出る事もあり、報酬は金貨3枚銀貨5枚。

 結局、馬車による移動もあり、また途中でモンスターや盗賊達に遭遇することもなく往復5時間半ほどで滞り無く完遂出来た。

 帰還し第二城壁内にある依頼主の店から去るモモンとマーベロは、相変わらず仲睦まじく手を繋ぎつつ、完了報告をするため真っ直ぐに冒険者組合へと向かう。

 ちなみに別行動中のクレマンティーヌと再び落ち合う場所は、モモン達の宿部屋となっている。もしセドラン達との合流が早い場合は、漆黒聖典の合流場所となっている王都北東部にある森林まで、もう連絡は取らない予定だ。途中で無理に連絡を取る危険を冒すよりも、分かっている到着地点で落ち合う方が確実である。

 その場合は一気に『兄暗殺ステージ』に突入することになるが、あの豪胆なクレマンティーヌのこと、「分かったー。じゃあモモンちゃん、一緒に()ろうねっ」という感じの流れとなるだろう。

 あとは、漆黒聖典の合流場所が急に変わった場合だが、一応セドラン達の戦車の動向はナザリック第九階層の統合管制室にて『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』でも追い掛けているので何とかなる。

 最悪、第五階層にいるニグレドの探知能力を利用する手もある。耐寒装備かアイテムを持たせたネムを同行させれば何も問題はない……きっと。

 冒険者組合へ着くと二人は、受付で依頼内容の無事完了をいつもの受付嬢へ申告した。

 彼女は、慣れた手順で台帳を確認すると終了処理をしながら頷き答える。

 

「はい、問題ありません。依頼内容は無事に完了です。お疲れさまでした。モモンさん、マーベロさん」

「どうも。すんなり終われてよかった」

「は、はい」

「モモンさん達は、これから遠征ですよね? すぐに出発するのですか?」

「んー」

 

 遠征隊の見送りもそこそこに朝7時からの依頼であったため、今の時刻は昼を30分ほど過ぎたぐらいである。

 モモンは少し『人間らしく』気楽に答えた。

 

「そうだなぁ。とりあえず、マーベロと昼食を取りながら考えるかな」

「そうですか……。あの……気休めかもしれませんが、大盗賊団を討伐したモモンさん達なら、(ドラゴン)でもきっと倒せると信じてますから……そ、その、頑張って下さいっ」

 

 いつもの曇りのない笑顔と違う彼女の表情と、胸元で力が入って握り合わせる両手から、何かに縋りたい思いが十分伝わってくる。この受付嬢の娘も不安なのだ。

 冒険者達が敗北すれば、王国は終焉だろう事をこの組合で働く彼女も知っているから。

 そう言われたモモンだが、戦いに対して素直に気合を入れる程ではない。

 単にナザリックの戦力水準で考えれば、竜王を含めたあの300体の竜軍団ですら、アインズやルベド、アルベドら階層守護者達なら一人か二人いればほぼ確実に圧倒出来る。特に今のルベドなら単騎で、半分も力を出さずに短時間で片付けてしまえると思う。全力装備のシャルティアでも同様の結果となるだろう。

 正直――全然大したことはない。ただし、油断は危険だ。

 未知の世界級(ワールド)水準のアイテムを保有している可能性は十分ある。心配はその一点に尽きる。

 一方で、その脅威が無いとしても、現状で大した戦力が見当たらず怯える王国は、まさに何かへ縋らざるを得ないだろう。

 アインズはすでに、王国内でたった2組しかおらず最後の希望と言えるアダマンタイト級冒険者チーム、『朱の雫』『蒼の薔薇』が揃って、竜軍団長である煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)へ対し全く歯が立たない事を知っている。

 国王や王家の者、貴族達や一般兵力も戦力で考えると押しなべて脆弱でしかない。

 アインズが待ち望む『一大人類国家の苦戦によるユグドラシルプレイヤーの参戦と邂逅』という劇の舞台(ステージ)は順調に整いつつある。

 ただ、現在集結中であるスレイン法国の漆黒聖典と至宝を使う老婆は、竜軍団に対しても抗力が十分にあるとクレマンティーヌは言っていた。

 そのため、スレイン法国の奴らは、明らかに邪魔である。

 まず今回の大事な『舞台(ステージ)』を守る意味で、モモンは受付嬢へ自信を持って答える。

 

「ありがとう。出来る限りの〝最善〟を尽くすつもりだから――祈っていてください」

 

 漆黒の戦士の返事に、受付嬢の表情が僅かに柔らかいものに変わる。気休め程度ではあるが。

 彼女へ違う意味で告げるも、モモンの言葉は『本当』でもある。

 絶対的支配者アインズ・ウール・ゴウンとしては、王国に人的資源と王都周辺へは少なくない被害を出させてしまうが、この国が偶然ながらもこういう機会を提供してくれている事実とアインズの名誉向上の好機というメリットの面、そしてカルネ村やエ・ランテルを現状で当分維持する為に加え一応王国戦士長の故郷でも有る事から、最終的に王国側で参戦し助けるつもりではいる。

 

 

 

 冒険者組合を後にしたモモンとマーベロだが、昼食は取らず宿屋へと向かう。

 その道程で手を繋ぐマーベロは、昼食を取らないのかなと幾度かモモンを可愛く見上げるも、途中で飲食街へは寄らない経路から、受付嬢への言葉はブラフだったのだと気付く。

 モモンもその可愛い仕草に気付き教えてあげる。

 

「ああ、そうか。このまま宿屋へ戻るよ」

「は、はい、モモンさん」

 

 もちろんマーベロは御方の行動を支持し、主の受付嬢への言葉について今後の参考とする。

 モモン達は、このあと宿屋に置いてある遠征用の荷物を持ってチェックアウトする予定だ。

 宿屋へ戻ると、1階カウンターにいた宿屋の主人からは何も告げられなかった。

 

(……クレマンティーヌは〝やっぱり〟戻らずか……)

 

 階段を上がる途中でマーベロが「あ、あの、部屋には誰もいません」と教えてくれた。

 そのまま3階の借り部屋の扉を開けて、彼女が戻って来ていない事を最終的に確認する。

 ただし、これは想定済である。

 アインズは、今朝ナザリックに戻った時にセドラン達の戦車の位置についてすでに統合管制室責任者のエクレアへ確認し報告させていた。それは昨晩の内に、エ・ランテル近郊へ到達し移動を数時間停止しているとの事で、この状況は予想出来た。

 ただ、クレマンティーヌにはナザリックの存在を打ち明けておらず、戦車の到着に関して事前に知らせることは出来なかったが。

 

「あ、あのモモンさん。クレマンティーヌさんの状況が気になる様でしたら、僕が見てきましょうか?」

「いや、いいよ。まあ大丈夫じゃないかな」

 

 マーレは、モモンガ様直属の配下でズーラーノーンとの窓口や御方が欲する漆黒聖典の最新情報を得るために必要な人材のクレマンティーヌが、不手際で法国側に捕まりいなくなれば、モモンガ様が御不快になるのではと気を利かせる。

 しかし、今まで事を上手く運んでいるクレマンティーヌである。あと、マーレがしくじるとも思わないが、正確な位置を知らない秘密支部の周辺にとんだ罠が無いとも限らない。

 王都の北東にある森林で落ち合うことは、今朝の別れ際に『もしかの場合に』と告げてあり問題ないはずだ。

 

「さて、マーベロ。ここを出る前に少し王城側の確認をするから待ってくれる? それが済んだら出発しよう」

「は、はい」

 

 昨日の夕方に王都を離れてから、王城駐在メンバーから緊急の連絡は来ていない。定時連絡制ではないので上手くいっていると思われる。

 モモンは左側のベッドへ腰かけると、一応小声で語り掛ける。

 

「〈伝言(メッセージ)〉。……ソリュシャン・イプシロンよ、私だ。今、エ・ランテルの宿部屋にいる。そちらの様子はどうか?」

 

 本来ならばプレアデス副リーダーのユリ・アルファへ繋ぐのが筋だ。しかしここは、至急ということで盗聴も出来ているソリュシャンに確認する方が、短時間でより情報を得られると考えた。

 

『これは…………。失礼いたしました、アインズ様。昼食の片付けでツアレが傍におりましたのでバルコニーへ移動しました。こちらの状況ですが、特に問題はございません。本日も、城内は慌ただしいようですが、特にめぼしい動きは見受けられません。これから、食後のティータイムの後、昨日出来なかった姉妹共々馬車で王都内の回遊を行う予定です』

「そうか。……ラナー王女はあれからどうしている」

 

 今、王城内で要注意なのは、あの者ぐらいである。

 戦力としては非力だが、王族であり智者。油断すれば、国王や王子、力のある大貴族達を結果的に動かし、アインズ一行の名誉を失墜させた上で王城から叩き出す事もしてくるかもしれない。

 何と言っても王城の一室から余り動かずに、アインズ一行の力を推し量った上で、竜王の前へ使者の護衛として引き出そうとした、多局面を見通し動かす遠謀には一目置いておくべくだと考えている。

 すると、ソリュシャンは伝えてきた。

 

『あの戦略会議の後ですが、盗聴した会話から蒼の薔薇のリーダーに付き添われ、自室へと戻っています。慰めの言葉を掛けていた蒼の薔薇のリーダーが退出したのち、蒼の薔薇との会見の場にいたクライムという少年を呼ぶとしばらく話をしたくらいですね。ただ、その内容が――アインズ様との歩み寄りを望んでいる感じでありました』

「ほう……」

 

 支配者の眼窩(がんか)に収まる紅き輝きが幾分細まったかのように見えた。

 しかし、凡人のアインズとしては、まだ参考的部分の多い話と捉えている。相手は智謀の要注意人物である。こちらの盗聴すら見越し、何かへの布石かもしれないのだ。

 

『今朝も蒼の薔薇のリーダーと少年剣士は部屋へ来ていました。あとは使用人2名が出入りしております。今のところは竜軍団への戦術面の話や、お茶会の中での天気等の雑談事ぐらいでしょうか』

「そうか……分かった。引き続き頼む、以上だ。ではな」

『はい、畏まりました』

 

 ソリュシャンの返事を聞くと、モモンは〈伝言(メッセージ)〉を切った。

 どうやら状況はクリアである。

 モモンはベッドから立ち上がる。すでに、マーベロは壁際に置いていた遠征の旅への荷物を背負っていた。

 

「じゃあ、そろそろ行こうかな」

「は、はい、モモンさん」

 

 モモンが偶然とは言え、今日の護衛仕事をキャンセルせず残したのには幾つか理由がある。

 まず大きい理由として、遠征団に対しかなり遅れて都市を出るので、同行する冒険者達はほぼおらず、とりあえず王都までの道程をショートカットし易い。その為に、モモンはニニャと再会の約束もあるので『漆黒の剣』の予定を確認している。

 次に、冒険者組合で組合長のアインザックとの会見の場で動じない雰囲気をより見せられると考えた。

 もちろん、新生白金級冒険者『漆黒』チームの一度請け負った仕事への責任感の高さも十分に演出できるメリットが付いていた事も気付いている。

 加えて――今回はゆっくりと動いた方が多局面を見渡せて動けると読んだからだ。

 混乱した渦中だと、周辺の突発的流れに押され、急かされて付いて行ってしまう場合が多い。少し距離を置き、事態の状況を外から冷静に判断出来る位置にいたいと絶対的支配者は考えた。

 

 モモン達は、宿屋1階のカウンターで部屋の鍵を返してあっさりチェックアウトの手続きを終える。

 カウンターへ着いた冒頭で宿屋の主人は、「あの怖いねーちゃんはいないんだな?」と聞いてきた。「ああ。急ぎの用事でこの街も出てるんじゃないかな」とモモンが返すと「ふぅ、そうか」と安堵やコリゴリという雰囲気を一瞬させた。

 最後に宿屋の主人がモモンらへ申し送る。

 

「本当のところ、あんたら二人にはずっとこの宿屋へ居て欲しかったが――白金(プラチナ)級の冒険者が泊まるには、やはりここは手狭だと儂も思う。今日まで泊まってくれてありがとよ。竜退治、頑張ってくれ。あんたらなら竜殺し(ドラゴンキラー)の二つ名を引っ提げて凱旋してくると信じてるぜ」

 

 都市でも、その名が通り始めたモモン達の滞在は、この宿屋の満室率アップにも繋がっていた。そして、街の存続の為にとの願いも添えられている。

 

「世話になったね。吉報がここにも流れるように願ってて欲しいかな」

 

 モモンはそう無難に告げると、マーベロを連れて宿屋の扉を出て行った。

 不可視化したパンドラズ・アクターも伴い、彼らはいつもの経路を進むと毎回通る第三城壁の北西門を潜る。

 白金級に昇格したモモン達へ、「頑張ってくださいよっ!」「夜は程々にお願いしますぜっ」と言葉遣いが幾分丁寧になるも、明るくいつものように衛兵の皆が親指を立てて見送ってくれた。漆黒の戦士の顔には思わず「ふっ」と微笑みが浮かぶ。

 顔なじみの居る場所は、やはり居心地が良い。それも零から自分達で築いて来た関係であればこそと思える。

 顔なじみの小動物が増えてきたという感じではあるが、悪くない気分であった。

 その街を後にする――と、門を出て50メートル程のところで、道の脇に止められていた2頭立ての6人乗り程でブラウン系色の箱型馬車に気が付いた。王国では見慣れない緑系の色彩をした装備姿の衛兵が2名ほど脇へ立っている。

 マーベロと手を繋ぐモモンが、歩いてその横を通り過ぎようとした時だ。

 

「もし、あなた方は冒険者の方ですね?」

 

 馬車の窓越しから突然、美しくもそんな声が掛けられ、そして側面の扉がゆっくり開く。すると、モモンでも綺麗だなと思える優しい表情と上品な緑系のどことなくアラビアンの踊子風衣装を身に付けた、薄緑色の長い髪の若い女性が降りて来た。身長は165センチ程だ。

 彼女は両側へ屈強然とした衛士を従えて、立ち止まっているモモン達の横まで来る。

 

(ん、なんだ? ……どこか近郊の貴族の娘かな?)

 

 まず彼は、普通にそう考えた。

 しかし、続く彼女の力の入った真剣さ籠る一言で御方の思考は一瞬混乱する。

 

 

 

「助けてくださいっ、――――我が竜王国をっ!!」

 

 

 

「……はあ?」

 

 モモンは話の前後が全く無いため思わず首を傾げて、そう返してしまった。しかし、すぐに思い返し言い直す。相手は貴族かも知れず、この後予定が立て込む中、無礼で罰せられては堪らない。

 

「あ……えっと、確かに俺はエ・ランテルの冒険者組合に所属している白金級冒険者“漆黒”チームのモモンと言います。こっちの彼女は相棒のマーベロ。無礼ながら唐突過ぎて話が全く見えないので、まず聞かせてもらえますか。貴方はどなたで、ここで何をしているのかを」

 

 するとその女性は、僅かに悲しさを目許に浮かべ「白金級……ですか」と呟く。彼女はモモン達のとても立派な装備と巨躯の戦士の体躯に大剣等装備の重さを感じさせない身のこなしから、もっと上の階級だと思ったのだ。一度少し視線を下方へ落とすが、選り好み出来る状況に有らずと、後方にそびえ立つ巨大なエ・ランテルの城壁と強固に構えられた門を一通り眺め何かを決意する。視線を戻し、目の前の冒険者達を見つめながら静かに、そして手短に話し出す。

 

「私は、ザクソラディオネ・オーリウクルスという者です。この国の南東に位置する竜王国から急ぎ、このリ・エスティーゼ王国の勇敢と信じる冒険者の方々への依頼主として来ました。我が国は現在、東方側に隣接するビーストマンの国からこれまでに無い度重なる大規模な侵略を受けています。我が国の兵達も冒険者達も、精一杯戦っているのですが食い止める事で精一杯の状態です。敵は強い上に数が余りに多すぎて……。このままでは、我が竜王国の民達はそう遠くない内に皆、かの者らの胃袋に入ってしまいます。ですから、なにとぞ協力を頂きたいのです」

「なるほど……」

 

 話は分かり易く、良く理解出来た。

 しかし――聞かせろと要求はしたものの、この内容を一介の冒険者の自分に言われても困るというのが、モモンの率直な感想だ。

 この聡明に見える女性は、なぜエ・ランテルの冒険者組合へ伝えないのか……と考えたところで、既に昼を優に越えた時刻とこの馬車の現状にモモンの思考は戻ってくる。

 また人を勧誘する場合、マイナス事項は余り先に出したくないものだ。

 

(すでに伝えたが、断られたということかな……)

 

 まあ当然だろう。現在王国も城塞都市エ・ランテルも、他国どころではないのだから。

 そして残っているエ・ランテルの冒険者達も、鉄級と銅級のみで彼等もすでに仕事量が一杯一杯である。

 加えて、この後の大戦で大きく目減りするだろう冒険者達だ。先を見ても竜王国への遠征は実現されないだろう。

 そう考えて、モモンは提案する。

 

「……あの、組合で聞かれた通り今の王国に一切余力は無いかと。恐らくバハルス帝国やスレイン法国へ救援を依頼する方が現実的だと思いますけど?」

 

 それを聞いた目の前の女性の顔は、ハッキリと渋い表情になる。

 聞きたくない言葉を伝えられたという感じだ。

 

 『それはもう残った選択肢にないです』と彼女の雰囲気から伝わってきた。

 

 なぜなら竜王国はスレイン法国へ、毎年結構な額の国費を寄進した上ですでに救援を依頼済みも音沙汰がない。そして法国には冒険者組合が無いので頼みようもない。またバハルス帝国とは昨年、一度だけ小規模で救援を受けた際、最短の進撃路に飛竜を操る『蛮族』の地があるため、カッツェ平野を迂回し南下して来る必要があり、費用が嵩んでしまった。さらに国家予算における軍事費の増大で長年火の車である竜王国は、一方的に値切り倒すという金銭トラブルを起こしており再度の要請にどれだけ応えて貰えるだろうか。そして、受けて貰えたとしてもどれほどの代償を吹っかけられるか、国の財務部が怯えることになるだろう……。また、帝国の冒険者達は前述の事から報酬を値切られそうな竜王国への関心はない上に、王国に比べると低質だとも聞いている。

 そのため、すでに行き場がなくザクソラディオネは、寂しくこの場に残っていたのだ。

 

 実は、先日竜王国の宰相が女王へ突拍子も無い「いっそ他国の冒険者にも募集を掛けてみては?」との案を述べた数時間後に、ビーストマンどもの大規模な総攻撃が始まりだしたと東方の3つの都市から続けて順に早馬が飛ばされてきたのだ。

 そのため、この募集案が急遽真剣に検討され、そして交渉が円滑となるべく使者として、異例とも言える王族の者が抜擢され、リ・エスティーゼ王国へと非公式で送り込まれて来ていた。

 ザクソラディオネは、竜王国女王ドラウディロン・オーリウクルスの少し歳の離れた妹であり、王女殿下である。

 でも、竜王国の女王の名前まで知らないモモンには、彼女は只の文官の使者に見えていた。

 そんな、国の命運を急遽託された高貴である彼女だが、組合での結果はなんと――門前払い……。

 このままでは女王の姉や宰相を初め、多くの臣達に合わす顔が無いと、彼女はもはや個人的にでも王国の優秀で力のある冒険者を多く引き込めないものかと考えて今を迎えている。

 年若く綺麗で王宮にて箱入りで、男性経験の無い未婚の彼女が使者へと選ばれたのには、それなりの理由がある。

 女王ですら、報酬替わりとして自国のアダマンタイト級冒険者リーダーからの、度重ねて徐々にエスカレートする恥辱的要望(謁見)について飲まざるを得ない程の逼迫した国家予算状況である。

 当然、今回の依頼も――宰相の計画通りに格安まで値切った上で、組合には長期分割払いが提案される予定であった。

 そして、その酷い交渉を纏める為に、彼女は幾夜かに渡り関係各所の男達へとその美しい肢体を活用せざるを得ないと考えていた。姉や祖国の民達のために……。

 まあ結局は、そこまでの交渉にすら辿り着けなかったのだが。

 そういう時に出会った一組の白金級冒険者チームである。逃すわけにはいかない。

 でもこの時、ザクソラディオネ一行の所持金は交金貨で僅かに3枚。限界まで切り詰めても帰路の旅費を考えれば余剰金は交金貨でたったの2枚だ。

 王国でなくても常識的なギルドの相場だと、竜王国までの旅費を考えた時点で(カッパー)級の冒険者チームを1組雇う事すら無理だろう予算と言える。

 ザクソラディオネは、その貧困的情けなさに顔を赤くするも、正直に告げる。

 

「今は、我が国の戦費が嵩みすぎて十分な支度金すら用意出来ません。しかし、そこをなんとか、無理を承知でどうか何とぞ、お力をお貸しください。そして、お知り合いの方々も出来る限り呼んで頂ければと。もし――」

 

 この時、ここは城壁門から見える位置であったため、モモン達が見慣れぬ者達に呼び止められているのを見て「なにやら揉め事か?」と門の衛兵らが数人様子を確認しに近付いて来ていたが、彼女は構わずチームリーダのモモンへと頭を下げながら告げる。

 

「――それが叶えられるのなら、私個人で今日出来る事なら何なりとして差し上げますから――」

 

 彼女が鮮烈に口走った意味深な内容に、両脇を守る衛士達が目を見開きギョッとする。

 城壁門から来た衛兵達も、立ち止まり固まる……。

 周辺にいる者達は、マーベロを除き全員が男であった。

 門の衛兵の若者が、目の前に立つ清楚で若く美しいザクソラディオネの女性らしい身体を見ながら『ゴクリ』と一つ唾を飲む。

 その音が周りにも小さく聞こえ、彼女を護衛する衛士達の目すら幾分泳がせた。

 対して、そこまでの覚悟で願いを告げられたアインズ扮するモモンであったが――。

 

(うーん。初見の知らない子だし、そこまでする義理なんて全然無いよなぁ)

 

 この場を表現するなら、『見慣れぬ小動物に纏いつかれてエサをねだられた気分』が一番近いと思う。

 そして、ねだってきた小動物は『綺麗』である。

 ここで気になるポイントは『可愛い』とは少し違うということだ……。

 それに至高の御方には今は先にやっておくべき大切な事が山ほどあった。

 なので、アインズは『漆黒の戦士』として『まず』こう答える。

 

「ざくそら……でぃおねさんでしたっけ? 貴方の大変さ真剣さは十分伝わりましたよ。しかし――俺達はこれからエ・ランテル冒険者組合の一員として竜軍団討伐への遠征に赴かなければならないんです。エ・ランテルへ残って守る友人達のためにもね。だから、力を貸すことは出来ないかな」

 

 顔なじみのモモンが語る漢の言葉に、目の前の女へ少し欲情し掛けていた城壁門からこの場へ来ている衛兵達は、「おおっ」と皆正気に戻る。

 対する依頼側のザクソラディオネは、たった一筋残っていた光明が消えた事で、目に見えてガッカリした表情へと変わる。これからどうすればいいのかと。

 しかし、モモンの思考の中へは、まだ彼女に残されている手立てが浮かんできていた。

 

(確かに、エ・ランテルの冒険者達は残っていないけど――まだワーカー達は残っているはず。でも、王国のワーカー達は元々かなり少数だし、質も低いんだけどな……)

 

 ワーカーらの質が低いと言うのは腕前もあるが、人間性もである。

 竜軍団の噂を聞いて恐れをなし、即日帝国内へ逃げた者らも多い。彼等は当然の如く、金と女に飢えている。

 彼等へ依頼したとすれば、この目の前の美しい女性は間違いなく数日間、そんな荒くれの男達に散々散らされることだろう。

 まあでもそれは、あくまでもギブアンドテイクだ。

 ただ、この彼女の依頼について良く考えると、今のリ・エスティーゼ王国の状況に酷似しており『国家存亡の危機』と言える状況である。救えば確実に周辺へ名が轟き名声は上がることだろう。

 

(……うーん。案外悪くない依頼なのかな……)

 

 ナザリックの本気で少し考えれば、敵の数だけは多そうなので、マーレに広域単位で敵の駐屯地を夜間にでも一気に埋めてもらう手や、作った中位アンデッドの軍団300程の兵団をプレアデスやセクステット達辺りの誰か数名に指揮させるのも悪くない。

 

(……でもそれじゃあ、王都にいるアインズ・ウール・ゴウンの名は上がらないか……。それに依頼を受けたのは冒険者のモモンだよな。アインズとの関連性を感付かれる訳にはいかないしなぁ……んっ?!)

 

 ここでモモンは内心で大雑把ながら良い案を閃く。

 結果的にアインズ・ウール・ゴウンの名が上がればいいのなら、手はあると。

 だが、それには幾つか小細工が必要である。アルベドやデミウルゴスの考えを借りた方が良い気がする。

 またそのために――竜王国には袋叩きの現状でまだ当分耐えて貰う必要もある。

 随分『鬼』と言える案だが、結果的に国が救われるならいいんじゃないだろうかと、モモンは消沈しているザクソラディオネへ声を掛けた。

 

「あの……ザクソラディオネさん」

「……はい」

「これも何かの縁。近日中の対応は確かに無理だけれど、俺が――王都でエ・ランテルの冒険者組合長へ掛け合ってみますよ。これでも組合長のアインザックさんにはそれなりに実力を買ってもらっているはずなので、話を聞いてくれると思いますから。ですから、そちらは現状で何とか3、4週間程凌いでくれれば、俺も含めて何組か“強い”冒険者達を連れて貴方の守ろうとしている竜王国へ駆けつけましょう。報酬もビーストマンの侵攻が止まれば払えるでしょうし。ここは俺を信じてくれないかな?」

「まぁ……」

 

 諦めかけていたザクソラディオネは、出会って間もないモモンの男気のある真摯さも感じる提案に心が動く。さらに、漆黒のモモンは(一般的な)心を伝える。

 

「あと、この地にはまだ若干のワーカー達も残っているはずだけど、実力が伴わない上に気質は貪欲で余りお勧め出来ないので依頼は止めた方がいいかな。その……貴方の身が心配だから」

 

 結構きわどく聞こえる内容に、マーベロは若干羨ましく感じ、口許が少しへの字に歪む。

 城門兵達は、モモンの言葉に「そうだな」や「あいつら女にも強欲だからなぁ」と相槌を打ってくれる。

 絶対的に追い詰められた自分へと暖かい手を差し伸べ、身も案じてくれる目の前の戦士の言葉が好ましく頬が染まり素直に嬉しい。

 

「ありがとうございます。モモン――さま」

 

 重大な使命を帯びた旅の途中の思わぬロマンスに、彼女の口からは自然に敬称が出てきていた……。この彼の言葉を信じてみたいと思う。

 ザクソラディオネは、最終結論を白金級冒険者モモンへと伝える。

 

「……分かりました。この希望の知らせを竜王国の皆に伝えて一丸となって奮起し、防衛に徹してモモン様の率いる援軍の到着をお待ちしています」

 

 彼女はモモンへと、非公式ながら国の使者としての重大であった使命を果たせた事へ、本当に感謝の気持ちを添えて頭を下げた。

 漆黒の戦士は、話が一応まとまった事で一つだけ質問する。敵味方の規模について事前に知りたかったからだ。

 

「あの、ちなみに防衛側と、敵のビーストマン側の兵数は大体どれぐらいです?」

「今防衛に当たっているのは総勢で約12万程です。そして、ビーストマン側ですが、えっと……あの……その……」

 

 問われた彼女だが、敵の数は言い難そうである。それほどの数らしい。

 

「……およそ――――5万です」

「……(ビーストマンが5万ね)」

 

 それを聞いたアインズは、その場で僅かの時間考える。

 確かビーストマンの難度は30ぐらいはあるはず。対して一般の人間の兵士は凄く良くてもせいぜい難度15程度。分隊長や小隊長水準はまた違って来るが、通常兵力12万では強固な防御陣による絶対防衛線を引いていても守るので手一杯だろう。幸いビーストマンには突出した個体が少ないとはいえ、確かに急ぐ必要はありそうだ。

 敵の数を告げたザクソラディオネは、その一瞬動かない戦士の姿を見て少し不安になった。白金級の彼では、やはり流石に尻込みをするのではないかと考えてしまう。

 しかし、間もなくそれに反してモモンは平然と答える。

 

「良く分かったよ、ありがとう。――では、一旦お別れかな。俺達も先を急がないといけないから」

「えっ。ぁ、は、はいっ……」

 

 彼女は、漆黒の戦士の怯えの無い返事に驚きながらも、出会った彼との別れの時を迎えて寂しく感じる。

 そして少しずつ高まる気持ちが彼女を動かしモモンへと向けられる。

 

「あの、ここで一つだけお願いが」

「ん、なんですか?」

「是非、その……お顔を見せていただけませんか?」

「ああ、これは失礼」

 

 そう言って、モモンはマーベロと繋いでいた手を放すと両手で面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を徐に外す。

 彼のその表情は決して美形ではないが……いや平均以下の●サ……イヤいや意外な事に、ザクソラディオネには、とてもキリリと精悍で勇ましく見えた。

 満足した彼女の心はキュンとし、頬が赤く染まっていく。

 

(モモン様……)

 

 兜を再び付けたモモンは、マーベロと再び手を繋ぐとこの場の皆に告げる。

 

「じゃあ、みんなまた!」

 

 そうして、背を向けて街道を悠々と進んで行く。

 やがて、都市西方に広がる大森林に埋もれるように姿は小さくなり見え辛くなった。

 そんな冒険者達の姿を見ながら門の衛兵達が呟く。

 

「やっぱ、モモンさんは違うなぁ」

「俺達のことも友人だって……嬉しいぜっ」

「大盗賊団を討って4階級も一気に上がったってのに、以前と変わらず偉ぶらないところが凄くカッコイイよな」

「ええっ?!」

 

 その話に、ザクソラディオネ側は衛士達共々驚愕する。3階級もの飛び越え昇級は竜王国でも聞いたことが無い。

 

「あ、あの……、今の彼が冒険者として4階級一気に上がったというのは本当ですか?」

「ええ、本当ですとも。モモンさん達は本当に凄いんですぜっ」

 

 そこから、主に『漆黒』のモモンについての武勇伝が暫しの間熱く語られた。

 背に差す二本のグレートソードを抜き放つと二刀流で自在に振るい、その一撃は人食い大鬼(オーガ)の分厚い巨体をあっさりと真っ二つに切り裂くという。また50名以上の元冒険者崩れと聞く盗賊達の内、40名程をたった一人で対処した等々。

 初めてその話を聞くザクソラディオネ達は目を丸くする。

 聞いた内容は、明らかに白金(プラチナ)級冒険者の力を大きく超えるものであった。

 彼女は思う……この出会いは『当たり』であったと。

 もしかすると竜王国のアダマンタイト級冒険者の『閃烈』の二つ名を持つセラブレイトに匹敵するかもしれない。

 ザクソラディオネが一点だけ気になったのは――モモンが相棒と紹介してきた、歳若く見える小柄で美少女だった魔法詠唱者(マジック・キャスター)マーベロの存在だ。

 竜王国にいるアダマンタイト級冒険者は、性格というか性的嗜好に些か難があった。

 

 救国の勇者で有りながら、なんと幼年の姿の少女を閨で激しく愛する事が大好きなのだ……。

 

 ザクソラディオネは、セラブレイトが女王の前で跪きながらも、欲望の血走った目で舐めるように姉の身体を見詰めハァハァしている姿を謁見の場で見ている。

 なのでモモンがマーベロを連れている点が気になった。

 彼について門を守る衛兵達の話では、マーベロとはやっぱり男女の関係ではとの話がある一方で、共通しているのは二人の関係に『イヤラしさ』を感じないとも聞いた。

 普通の男女関係の有るペアなら、偶に腰や尻などにベタベタとおさわり的な過剰といえるスキンシップがあるはずだが、これまでに全く目撃されておらず噂にも上がってこないようだ。

 二人については、漆黒の戦士がただ少女を守るかのように優しく仲良く手を繋ぐ微笑ましい姿が、目撃されているのみという。

 衛兵の一人が呟く。

 

「やっぱり、ほんとは知人の娘を大事に預かってる感じとかじゃないのか?」

「だよなぁ。俺もそんな気がしてるわ」

 

 普段の何気ない様子を見ている者らから真実っぽい事を聞き、ザクソラディオネは少し安心する。

 

 

 

(モモン様は――――変態じゃなくてよかった!)

 

 

 

 話を聞き終えたザクソラディオネは、この地での使命を完了したとして、間もなくエ・ランテルの門の衛兵達に馬車を見送られつつリ・エスティーゼ王国を後にし、竜王国へと戻って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 城塞都市エ・ランテルを出発した漆黒の戦士モモンと白き魔法詠唱者マーベロは、20分程街道を進み道が続く森林の中へ入る。

 そして、先日マーレが仕掛けを施した、ナザリックからの〈転移門(ゲート)〉での出現場所として適した人目の無い木々茂る場所の近くまで来る。

 前後の街道に人影が見えない事を確認すると、二人は森の繁みの中へと進んでいく。

 マーレが設定した仕掛けは、生物を自然と遠ざける『遠近感を変化させる』ものだ。

 そのため、ナザリックの者以外は、中々その場へたどり着けない。

 その広さは15メートル四方程ある安全地帯だが、たどり着いたモモン達がこの場で冒険者の姿を解くことはない。

 アインズは、今朝ナザリック地下大墳墓へ30分ほど滞在した時に幾つか命じていたので、その様子を確認するため一度ナザリックへ戻ろうと〈転移門(ゲート)〉を開いた。

 するとその時、彼の思考へ例の電子音が鳴り鮮明で美しい声が流れる。

 

『アインズ様、ソリュシャンでございます』

 

 先程、宿部屋より繋いでから1時間弱というところ。馬車で王都回遊へ出る直前というところだろうか。

 

「うむ。ああ、今こちらは大丈夫だが。なんだ?」

『はっ。実は今、宮殿内の使用人から、アインズ様宛の筒に入った書簡を受け取りました。差出人は偽名ですが、恐らく――反国王派の貴族の人間からかと』

 

 差出人を聞き、アインズの目の赤い光点が僅かに小さく細まる。

 

「ほう」

『急ぎの件かもしれませんので、中を確認させて頂いてもよろしいでしょうか?』

「……いや、私がこれからそちらへ行くとしよう。彼女(ツアレ)を別部屋へ誘導してくれ」

『はい。――大丈夫です。ユリ姉様が、私の視線で即対応してくれましたので』

「よし。では、そちらで会おう」

『畏まりました』

 

 ここで〈伝言(メッセージ)〉は一旦切れる。

 アインズは、マーレへと指示を出す。

 

「マーベロは、ここ(〈転移門(ゲート)〉)を通って一旦拠点へ戻ってて。数日振りのはずだし、姉と話でもして休んでていいよ」

「は、はい、モモンさん。報告書は僕が纏めておきます。では、お気を付けて」

 

 余計な時間を取らせないため、マーベロは指示通り先に〈転移門〉を通らせてもらった。

 モモンガ様直々に指示された通りの行動が取れるだけで、マーレは幸せを感じている。

 その彼女が〈転移門(ゲート)〉を抜けると、中央霊廟正面出入口前であった。

 

 

 そこには―――アルベドがにこやかに立ち、腰の黒い翼と右手を可愛く振っていた。

 

 

 その振りは止む様子が無い。間もなくマーレ後方の〈転移門〉の闇の影が消えるはずである。

 マーレは目の前の守護者統括の可愛い行動を理解し、恐る恐る近付きつつも告げる。

 

「あ、あの、アルベド様……アインズ様は王都の王城へ向かわれましたが」

 

 するとアルベドの動きがピタリと止まり、目が―――カッとホラー形式に見開かれた。

 

「な、なんですって……」

 

 マーレ後方の〈転移門〉の闇の影が徐々に消えてゆく。

 アルベドはマーレの言葉が本当だと理解し、ガックリとその場へ崩れる。

 彼女の左手には、アインズへ渡す為の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)が握られていた。

 今朝アルベドは、第三階層で日課の中位アンデッド作成をしているアインズの姿を後方から見ていただけで、先客があり余り話をさせて貰えずにいた。

 なので、アルベドはその後ずっと第九階層の統合管制室から愛しい御方の姿を、攻勢防御に反応しない随分遠方の位置から『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』で食い入るように最大望遠ですら点ほどの姿を追っていたのだ。もちろん、並行して事務書類はその場で両サイドに積み上げて片付けている。

 そして、絶対的支配者様がマーレを連れて〈転移門(ゲート)〉を開いたことで、王都では無くナザリックへ戻って来ると分かり、ここで待っていたのである。

 それが……振られてしまった。

 

「ああ、アインズ様……今日は、私だけへの御命令の言葉をまだ頂いていませんわ」

 

 朝からずっとアインズの傍にベッタリいたマーレは、流石に気の毒と思いアルベドに付き添って地下へと降りて行った……。

 

 

 

 そういった事が並行していたとは知らず、アインズはロ・レンテ城内ヴァランシア宮殿の滞在部屋に開いた〈転移門〉より〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉を解除した漆黒のローブ姿で現れる。

 この場に居るルベド、ソリュシャン、シズが整列しており、絶対的支配者を出迎える。替え玉のアインズはいつもの椅子から立ち上り、ナーベラルの姿に戻り三歩下がって礼の姿勢を取ると即座に不可視化した。皆、ツアレが奥にいるため挨拶は礼のみに留めている。

 今は午後の1時半前。

 ソリュシャンは、筒から封蝋された書簡をアインズへと手渡しながら知らせてくれる。

 

「ツアレはユリ姉様と、奥の家事室でカップ等食後のティータイムの片付けを行なっています」

「そうか。………………ふむ、やはりな」

 

 アインズは巻かれた書簡の羊皮紙を開き翻訳眼鏡(モノクル)片手に文章の前半を斜め読みし、予想通りだという言葉を漏らした。

 そこには、リットン伯を思わせる人物から『竜軍団が大都市リ・ボウロロールへ襲来するまでに、それを全面撤退させるよう最善を尽くせと盟主様が某伯爵に厳しく通達された』とボカして書かれている。

 竜軍団の侵攻当日の朝は、直接部屋まで来た六大貴族からの使者を「状況が分からないので動きようがない」と断っていたが、敵の詳細と現地の状況はある程度掴めた事で、再度催促してきたようだ。この事は、反国王派へ接触した件を相談した時のガゼフも予想し言っていた。

 まあ、国家の悪漢らがアインズへ金と屋敷と若いメイド達まで与えてきたのだから、その分働かせようと考えるのは当然だろう。

 

「さて……」

 

 どうするかと考えつつ、アインズは文章の後半を読み進む。

 そこには、とある場所が記号的に提示されており、更に一つの決定事項が書かれていた。

 

 『御身が屋敷の所持や今の生活を続けたいのであれば、共闘組織の戦力と協力し事に当たられよ。本日の夜中24時に指定の場所へ行かれ会談されることを願う』

 

 常套手段的で『従わなければ今の生活は今後無い』と軽い脅しを匂わせ動かそうという、お決まり的流れの考えを「ふん」と鼻で笑いながら御方の目は、自信がある風に書かれている『共闘組織の戦力』の部分で一瞬止まっていた。

 

「貴族達との“共闘組織”……なんだ?」

 

 文面から私設軍ではない力のある別組織で、配下に大きい戦力を持っている事は分かる。

 そして、リットン伯らとつるむことから、真っ当な組織ではないだろうことも。

 すると主の呟きを聞いたソリュシャンが補足してくれる。

 

「“共闘組織”とは恐らく、この国の裏社会の大組織の“八本指”だと思われます。ここ数日でも、城内にいた貴族達が各所の小部屋でコッソリとその組織名称を持ち出して熱心に密談しているのを何度も聞いております。話の内容からですが大麻等の禁止薬物取引、娼婦や奴隷取引、賭博、暗殺などですね」

「ほう……(カジットの言っていた地下組織みたいなものか。同じ反社会的だがあの秘密結社と異なり、権力にもすがりつつ甘い汁を啜り貪る連中だな)なるほど」

 

 我の強い腐っている貴族達が気の長い連中とは思えない。今晩、この指定の場に行かなければ、早速なにか工作してきそうである。

 この時、奥でテキパキと仕事を終えてユリとツアレが部屋側へと戻って来た。

 アインズ自身を含め、ルべドやプレアデス達は問題ないがツアレや、王都内の屋敷にいるメイド達――リッセンバッハ姉妹達は危ないかもしれないと考える。それでは、ナザリックの平和に影響が出てしまう……。

 この時、不意にルベドと視線が重なった。コクコクと可愛く頷いてもいる。これは偶然だろうか……。

 あとその会談の場は、出席して座っていればいいというものでもないだろう。面々からして普通の会話で終わるはずもなく、微妙となる判断の必要性も出てくるはず。ここは、自身で動くべきだとアインズは決めて、手紙の概要と指示を皆へ伝える。

 

「どうやら、領地の大都市が危なくなった六大貴族が、慌てて私に協力を“要請”して来た。ここは信用させるために一度軽く受けるつもりだ。今夜その会合があるので、ルベド達を連れ(本物の)私自身が出ようと思う。確か今日はこの後、馬車で王都の回遊だったな? それに対して幾分加えて、今夜は王都内の屋敷で一泊ということにしよう。この王城から夜に外へ出入りして動くのは少し目立つからな。それと、屋敷へ持ち込む食料も忘れるな。王城にある物を少し融通してもらえないか確認しておけ」

「畏まりました。一泊と食料手配の件は後ほど大臣補佐へ伝えておきます」

「そうしてくれ」

 

 王宮対応担当のユリがそう話し、主は頷いた。

 ここでソリュシャンが具申する。

 

「ではまた、この場へは私が残りましょうか?」

「ではアインズ様、わたくしも」

 

 それへと続き、連日幸福に過ごすツアレも『ここはお役に』と胸元へ手を当てて申し出た。

 彼女は、ご主人様の話からあの憎い貴族達への反撃が始まろうとしていることにも内心ウキウキしている。

 

「いや、今回は全員で行くとしよう。夜に――お前達目当てに愚か者が忍んでくるかもしれんからな」

 

 それは兎に角もう、王城内で旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の連れている女達の美しさは有名なのである。

 ツアレが、元高級娼婦であったことも当然どこからか噂が広がっていた。

 高級娼婦という存在は『女として素晴らしい』という事であり、貴族らの愛人や後妻に迎えられることも割とあるので、実は上流階級では傍に置いていても全く恥ずかしい事ではない。寧ろ色好みの貴族の男達にしては羨ましい限りである。

 一説には城内でも、隙があれば関係を持ちたいという絶倫者が、美人の使用人や滞在者の許へ恥を忍んででも夜中に徘徊して来ることが多々あると聞いている。

 なので全員移動は、様様の問題も引き起こすことに繋がる面倒を避ける意味もあった。

 

「わ、分かりました、アインズ様」

 

 ツアレは、ご主人様がこの身を大切にしてくれている事への嬉しさで思わず上気し、顔と身体が熱くなってくる。

 

「畏まりました。それでは私も同行させて頂きます」

 

 しっかりとした口調で回答するソリュシャンであるが、想いはツアレと同じである。体内へ溶解液等が急激に多く分泌されていた……。

 

 このあとすぐにユリが、大臣補佐の所へと『馬車回遊のあと王都内の屋敷へ外泊する』事を伝え、問題なく了承される。食材も十分量調達でき、ついでに回遊用として軍事的に閲覧可の王都内の地図も1枚分けて貰う。

 その際、口の堅い40歳過ぎの大臣補佐の彼は思わず「実に羨ましい」と呟いていた。

 ヴァランシア宮殿内ではさすがに自前の側近らとはいえ、朝から晩まで美女達に抱き付いての肉欲三昧は出来ないが、個人の屋敷内ならこのあと明日の朝までくんずほぐれつ思うがままである。それを脳内で想像しての彼の言葉だ。

 この時、大臣補佐とユリが話していた近くに、数名の衛兵や使用人の娘が居た。

 基本、王城内の者達はゴシップ好きである。

 その約1時間後――。

 城内の広い範囲でいつの間にか、単に屋敷への外泊のはずが、勝手に大幅のアレンジが加わった好色話に変わり、囁かれ流れる。

 しかし結論的に、すべては旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の『権利物』であり、「羨ましい」という表現以外に形容のしようがなかった。

 また、使用人である小貴族の娘達からもゴウン氏は『乙女達の敵』とはなっていない。

 それには、あの八足馬(スレイプニール)が牽引する異様に立派である漆黒の馬車がひと役買っていた。玉の輿的憧れから城内の女性陣からも「羨ましい」という声が多く聞かれたのだ。

 王城においては『持てる者』はモテるということだろうか。

 そして大多数の者は、今は非常時という事もあり、いつものたわいない噂話だと軽く聞き流していた。日頃より堕落した生活を送る貴族が多い王国では、彼らの好色混じる噂話は日常会話と変わらない……とすら言われている。

 だが、そんなゴシップ話を耳にした意外なイカツイ人物が、部屋を出るアインズの前に現れていた。

 

「出発の直前、急に失礼する、ゴウン殿。今日は馬車で外を回られるとか」

 

 彼の名は――もちろん、ガゼフ・ストロノーフ。王国戦士長である。

 普通なら剣の道と忠臣一筋の男が、練習を中座してここに来ていた。

 平時、若い戦士達が話す青臭い恋愛や好色話など笑って聞き流すのだが、それがゴウン一行に関するものであれば――いや、眼鏡の表情が最高のユリに関するものならば話が違ってくる。

 

 聞けば馬車で『美人配下全員』を連れたゴウン氏が、王都内の屋敷で朝まで『酒池肉林外泊』と言うではないか。

 

(バ、バカな。俺の嫁が……いや、これは噂話に過ぎないのだっ。……し、しかし、眼鏡の似合うユリ殿はゴウン殿を慕っているのは事実で、当然これまでも良き主従で熱い男女の行為が幾度かあったはず……そして、こ、今夜も眼鏡顔で……うぉおおおっ!)

 

 そんな、胸の中の狂おしいまでの想いがこの場まで王国戦士長を突き動かしていた。

 彼は、当然『俺の妻候補No.1』の眼鏡美人であるユリ・アルファが心配になったのだ。

 カルネ村での行動や、今日までの城内での様子などを考えると、ゴウン氏の事を信用していないわけではない。

 しかし、王都へ来て多額の金貨も手に入り、場所が変われば人も変わるという話も聞く。

 

 

 

 だから、本人に直接男らしく聞きに来たのだ――『やっぱり、酒池肉林なのか?』と。

 

 

 

 もしそうなら、「貴殿程の人物が煩悩に(まみ)れるな」と忠告するつもりでいる。

 部屋の中の席へ招かれ座りつつガゼフは、直ちに本題へ入ろうとした。

 

「ゴウン殿、悪いが少し話がある」

「丁度いい。実は私もお話ししておきたいことが出来たのです。今日(の夜中に予定されている共闘組織との会合)が終わってからにしようと思ったのですが――」

 

「なにっ……(今晩の情事が済んでからだとっ。や、やはり狙いは眼鏡のユリ殿かっ)?!」

 

 ガゼフの表情が険しくなり、拳が握られ思考に戦慄が走る。

 先ほどから、戦場で瀕死の状態でも出来た冷静であるべき判断が、もはや難しくなっていた……。

 彼はいつも恋に盲目なのだ。

 ゴウン氏の普段と変わらない落ち着いた態度は、ガゼフに大きく『権利者の強み』を感じさせている。

 ガゼフにとって、他家配下のユリを『俺の妻』とするためには、家主のゴウン氏の許可は不可欠といえた。ここで、憤慨して場を崩すわけにはいかない。

 荒くなった鼻息を、戦士長はなんとか深呼吸で整える。

 そんなガゼフの様子に、アインズはこう感じていた。

 

(やはり出来るなぁ……王国戦士長殿は。――反王国派の動きだと即、気付いたみたいだな)

 

 カルネ村でのアインズ一行の実力を直ぐに見極めての行動や、王都から気遣いの手紙に、昨日の会議でも絶妙の助け舟の言葉もあり、支配者は友人的位置でガゼフの評価を高くしていた。

 だから今も国王への忠義から、反国王派らへの怒りが、その表情と呼吸や態度に表れたのだと考えている。

 一方ガゼフは、まず眼鏡の美人ユリ・アルファの『権利者』であるゴウン氏の話を聞くのが先決だと考え促す。

 

「で、では、ゴウン殿の話を先に聞かせてくれないか?」

 

 そう言い送ったものの戦士長はゴウン氏から、突然「私のモノである最高の女達は絶対誰にも渡さないっ。特に眼鏡の似合う女は!」などと宣言されるのではと額の脇に汗を滲ませ内心で恐怖していた……。

 悠然と座るアインズは、ガゼフの言に『やはり分かってるな』と頷く。

 ガゼフの話も気になったが、それは恐らく先日の『近い内に彼の家へお邪魔する』約束の件ではと予想する。戦いも近付いてきており、王都の回遊と屋敷への外泊をするなら、是非今度は我が家へもということだろう。今日の途中で寄って欲しいという話かもしれないなとも考えた。

 なのでそれらについては、これからアインズ自身の話す内容が返答にもなるはずだと確信している。

 

「実は――つい先程、反国王派のリットン伯から書簡が来たのです」

「――――っ!?」

 

 この瞬間、ガゼフは思った。

 一体何の話で、酒池肉林で眼鏡嫁の件は何処へ行ったんだと。

 しかし更に話が進むと、桃色思考だったガゼフは冷静で凛々しい『王国戦士長』へと戻ってくる。

 アインズの話は進む。

 

「あの方と盟主のボウロロープ侯は、竜軍団が大都市リ・ボウロロールへ襲来するまでに、何としてもそれを全面撤退させたいと命じてきました。まあ当然でしょうか、ボウロロープ侯の主領地ですからね。それで今夜ですが、反国王派と利害関係で一致した大きい裏組織の戦力と会談し、事に当たる事になりそうなのです」

「………そ、そうか……」

 

 気が付けば、ガゼフは眉間に皺を寄せ、目を強く閉じ膝へ両手を突き静かに肩を落としていた。

 その様子は旅の魔法詠唱者の目には、丁度『ゴウン殿にそんなことまでさせて申し訳ない』と言う態度に映って見えた。

 アインズは知らない。目の前の哀戦士が今、どれほど自分を卑下しているのかを。

 

(俺は何という不甲斐ない大バカ者なのだっ。あまりに、浅ましく恥ずかしい……。ゴウン殿が、まさに我が主の敵中への会談に臨もうかという相談にもかかわらず、噂に踊らされた上、俺は妻の話ばかりに囚われて……。頭が煩悩に(まみ)れているのは、俺自身ではないのかっ!)

 

 だが王国戦士長は、これ以上引き摺ることこそゴウン氏に失礼だと、頭をきっちり切り替えるところは流石であった。

 ガゼフは、旅人のゴウン氏が知らないと思える役立つ知識を伝える。

 

「……大きい裏組織とは、地下犯罪組織〝八本指〟のはずだ。奴らの組織はこの王国の裏社会で半分以上を握っていると言われている。組織内に警備部門という部署があり、そこには〝六腕〟を名乗る6人組のチームが存在するという。その者達は、アダマンタイト級冒険者に勝るとも言われているな。暗殺部門にもそれなりの手練れはいるようだが、果たして竜相手に通用するかどうか」

「〝八本指〟の警備部門……で〝六腕〟と、暗殺部門ですか」

 

 初めての情報がまた自然と増えていく。嬉しい事である。

 都合よくここで、王都内に詳しいガゼフへ書簡で記号的に提示されている会合場所の特定を頼む。先程貰った1メートル四方程ある王都内の地図が机に広げられると、アインズの屋敷とともに記号的に提示されていた区画を確認した。そこは屋敷から馬車で15分程の位置に建つ、資材置き場が多めの市民居住地帯内の小さめの倉庫が指定されていた。そこは中規模商人の所有らしい。裏で“八本指”の息が掛かっているのかもしれない。

 ガゼフが自分の考えを簡潔に述べる。

 

「〝八本指〟達も王国の都市が全て壊滅しては死活問題だからな。今回は、竜1体に対して多額の報奨金もあるし、利害が一致しているのだろう。それで……ゴウン殿。昨日陛下や王子、貴族達の前で〝王都を動かない〟と言われたあなたはどうされるつもりか?」

 

 当然問題になるだろう件なので、そこはアインズも考えている。その先もだ。

 

「竜軍団侵攻に限っては、王国内において敵も味方も無いという状況です。反国王派の信用を得るには、一度成果を出す為に動く必要があるでしょうし、それは今回王国民の為にもなるのではと考えています。宣言通り極力動かないつもりではいますが、もしも動く場合、私には魔法がありますので、その問題は概ね解決出来ます」

「……確かに、まずこの戦いを終わらせなければ、王国の明日は無い。それに、綺麗ごとだけでは民は救えない。ゴウン殿、その動くという考えには私も一理あると思う。もしゴウン殿らに王城へ残っているかのアリバイが必要になる場合、私も出来る範囲で協力させてもらおう」

「それは、とても助かります」

 

 ガゼフは、嘘が嫌いである。しかし、国民や国王の為となるのなら個人的拘りは後に回すことも出来た。また、それはゴウン氏が事前にこうして相談してくれていることも大きい。

 竜軍団撤退という大きい達成事がハッキリと前に見えており、納得して()く嘘によって強力な戦力が動け、全体の状況が改善すると分かっているのだ。

 『良い嘘』というのはあるのか分からないが、『人々を救う嘘』はあるのかもしれない。

 ゴウン氏一行が、これで動き易いのならとガゼフは思った。

 

 

 

 これには――ガゼフのゴウン氏へ先程の大誤解の詫びも入っていたのは内緒である。

 

 

 

 話は終わったとガゼフは、いつの間にかそっと出されていたユリが脇のワゴンで入れてくれた熱い紅茶を一気に飲む。

 二人は立ち上がり、お互い会談内容に納得出来た良い雰囲気で硬く握手をする。

 

「今晩の会合の内容は、明日にでもまた話し合いましょう」

「お待ちしている。――だが、くれぐれも注意されよ。まあ、あなた方なら大丈夫だとは思うが」

 

 そう言って、ゴウン氏の傍に控えるルベド、ソリュシャン、シズと美しい配下達を見る。

 主人同様に全く臆するという雰囲気は無い。

 見回す過程で、席の脇へ控える元高級娼婦だという綺麗なツアレ、そして――愛しのスラリと高い姿ながら胸の豊かなユリへも視線が向かう。

 すると、何と、眼鏡美人のユリがニッコリと愛を感じさせる優しい笑顔(御方のお客への営業スマイル)をくれたのだっ。

 抑え込んでいた、男の熱い気持ちが心の底から溢れてくる。

 

(なんて眼鏡が似合う美人なんだろうか……やはり欲しい――俺の妻に)

 

 日焼けした厳ついガゼフの顔色はよくわからない。しかし、その時顔全体が耳まで薄らと紅くなっていた。

 ドキドキドキドキドキドキドキドキドキ――――――。

 心臓は再び激しい鼓動を鳴らし始める。

 握手を解く前に、ガゼフは再びゴウン氏へ語り掛ける。

 

「――あと、我が家にて差しで個人的に(嫁についての)相談がある件も実現出来ればと思うが」

「なるほど、では明日か明後日にでも」

「――っ、うむっ。楽しみにしている」

 

 ガゼフの口元は嬉し気に笑む。

 やはりゴウン氏は、配下に慕われる誠実なる人物で、今夜も別件での正当な理由による行動であった。

 つまり、普段のユリ殿の清廉さは間違いない。

 

「それでは失礼する」

 

 そう言ってガゼフが扉へ向かうと、ユリが優しくその扉を開いてくれて部屋の外まで見送ってくれた。

 それは、毎回思う将来の自分の家を出る時の風景の妄想である。

 ガゼフはいつもの台詞を少し変え、緊張気味に伝える。

 

「ぁ……ゅ、ユリ・アルファ殿。紅茶、今日も美味しかったです」

 

 ユリからもおなじみとなった笑顔で「喜んで頂けて嬉しいです。またお越しくださいね」という言葉をもらう。

 その美しい声の言葉を胸に、王国戦士長は背を向けて廊下を去っていった。

 彼は、訓練場まで戻って来たが、またもやどの経路を通ったのか全く覚えていない。

 何故なら――。

 

 

(やった、やったぞ。今日は―――――ユリと呼べたぁぁあぁあーーーーっ!)

 

 

 彼は、ただそれだけを考えていたから……(実は階段から二度足を踏み外して踊り場まで転げ落ちていた……)。

 

 アインズ達一行は、一応部屋の荷物を纏めると午後2時45分ごろに王城ロ・レンテ城を馬車で後にする。

 ヴァランシア宮殿の滞在部屋には、馬車の準備の合間にアインズが暇だろうとナザリックより調査適任者として臨時に呼び寄せた、不可視化したルプスレギナが3時のおやつの袋を手に一人残っていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. あの竜軍団は今……(みんな元気です)

 

 

 今日のこの地の空には、雲が隙間なく広がっていた。曇天である。

 晴れていれば、ほぼ南側に眩しいお日様が輝いている時間。

 完全に焼け落ちた旧大都市エ・アセナルの郊外へ広がる平原の北側1キロほどの位置にある竜軍団の宿営地に、竜王(ドラゴンロード)の不機嫌さを強く帯びた声が響く。

 

「はぁ?! 仲間達の大事な遺体が消えているだと? 何体だ? 二日前、俺自らが〈凍結(フリーズ)〉を掛け、しっかりと衛兵も付けていたはずだぜ……。ドルビオラっ、どういうことだ。状況をきちんと説明しろっ」

 

 煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)のゼザリオルグ=カーマイダリスは、百竜長ドルビオラからの不快満載の報告に、寝床から立ち上がると翼を羽ばたかせ、長い首を振り勇猛に映る竜顔の眉間へ皺を寄せて憤慨している気持ちを面に出していた。

 一族は家族――そんな気持ちの彼女である。

 同胞の遺体は少し落ち着いた後、故郷へ連れ帰りよくよく葬るつもりでいた。しかし、竜種は巨体のため、安眠の屍衣(シュラウド・オブ・スリープ)等で包み切る事はまず難しい。

 そもそも、この新世界の誇り高き竜種は小賢しいそのようなアイテムは持ち合わせていない。彼等の持つアイテムは、種族の誇りから代々武器や鎧などの装備品に限られている。また、最上位種族の竜種は、自然によるアンデッド化が最も起こりにくい。

 なので遺体の一時安置は、共有の大きな墓穴を掘りその底に土を掛けず丁重に並べる形が常識的措置となっている。

 ただゼザリオルグは竜王でも珍しく、冷気系の魔法も使えたため、それを掛けていた。

 そのあとしっかりと竜兵の警備も付けていたはずなのだ。

 竜王の叱責にも怯むことなく、百竜長ドルビオラが堂々と説明する。

 

「それが……、恐れながら忽然と消えたとしか。先程、亡骸達の〈凍結(フリーズ)〉に問題がないかを竜兵が墓穴へ降りて近くで確認したのですが、いつの間にか亡骸が全て〈幻影〉にすり替わっていたのです」

「……っ!?」

 

 ゼザリオルグは絶句する。

 遺体総数は確か、竜兵が9体、十竜長が5体である。

 遺体の安置場所である墓穴は重要であるため、自身の探知範囲内に設けてあったはずなのだ。確かに遺体からは、力等感知出来ないので消失を知ることは出来ないが、その〈幻影〉を施し、持ち去った者らは感知出来ていなければおかしい――。

 これで竜王自身にも過失の責任が出てきており、配下を責められなくなった。

 

(一体何者なのだっ。1体ぐらいならともかく……私の探知能力を掻い潜り、衛兵の誰にも見つからずにそれだけの数を持ち去るなど……)

 

 竜王ゼザリオルグは、思考を巡らせつつ、首を捻り視線を地面へ落とす。

 少し考えても原因や方法がはっきりと分からない。そして、失われた遺体の手掛かりもない。

 

「くそっ……この件の責任は一旦俺が預かるぜ。ドルビオラっ……直ちに目の良い竜兵5体を連れて墓穴の中と周辺に、穴が掘られた跡や地表に異種の足跡が無いかを外側から目で徹底的に探れ。おそらく――ヤツラは地下から来ているはずだ」

「――っなるほど。はっ、直ちに!」

 

 敵はここまで出来る連中である。馬鹿ではないだろう。空から来たというのは無いはずだ。後は最短で遺体に接触できる経路を使うと想定できた。

 離れて行くドルビオラの背を見送りながら竜王の思考には、高位の魔法がいくつか浮かんでいる。

 

(〈転移(テレポーテーション)〉や、〈空間収納(スペースストレージ)〉の使い手か? それに、私に探知されないという特殊技術(スキル)も持っている者すらいる組織……。まさか、この国の人間風情が……?)

 

 人間で、(ドラゴン)の巨体を引きずり動かせる者など、極々一握りに思う。

 だが存在はする。

 もし連中から遺体の引き渡しを条件に、撤退を要求された場合、一考せざるを得ない。

 1体ではなく失った数が14体もあるのだ。戦死させた上に遺体も無いとなれば、遺族達に何と伝えればいいのか。それほど一族の者を竜王は大事に考えていた。

 それは八欲王との戦いの時に、先代の竜王と同行した者達も含めて、千を超えて出撃しながら亡骸すら誰一人として連れて帰ることが出来なかった事への無念さから来ている。

 また、過程でこれほどの至難事をやってのけている相手だ。その実力は底が知れない。

 

「くっ、人間どもめ。先日の闇討ちといい、卑怯な手を考え使いおって……」

 

 だが、大きく戦わずに引かせるのも高等戦略である。

 あの白いジジイの『余り人間を甘く見ない方がいいよ』という言葉がまた浮かんできた。

 ゼザリオルグは渋い顔に変わる。

 このあと、百竜長ドルビオラと竜兵達により綿密に調査がされるも、結果、その実行者らの痕跡は皆無であった。

 

(……直接的に攻撃力のある手では無いようだが、これは油断ならん)

 

 ゼザリオルグは、予想外の静かな大反撃に頭を抱えた。

 これでいよいよ本当に、たかが人類国家と侮れなくなったのである――。

 

 

 

「ねえ、デミウルゴス。アインズ様はなぜ今朝、(ドラゴン)の死体を〝相手に気付かれず確保せよ〟と言われたのに、死体解体の指示まではお出しにならなかったの?」

 

 アウラは可愛い金色の髪を僅かに揺らし小首を傾げ、デミウルゴスへとそう疑問点について尋ねた。

 ここは、ナザリック地下大墳墓の第五階層『氷河』の一角。略奪品の死体がアインズの指示で丁寧に整然と安置されている。

 至高の御方からの直接指示なので、搬入は隠密性の非常に高いアウラ自身が喜んで行った。安置場所の穴が、竜王の寝床から800メートル程離れていたので、先日接近時より遠く全く感知されなかったようだ。

 現地及びナザリック表層から下層まで数回〈転移門(ゲート)〉を実行してくれたシャルティアは、「ここは冷気がお肌に悪いでありんす」と既に第二階層へと引き上げている。

 デミウルゴスは略奪の際、支援的に〈時間停止(タイム・ストップ)〉を実行していた。〈時間停止(タイム・ストップ)〉を掛けたことで、作業過程の露見を防げる上、あらゆるものに傷を付けられなくなるため、その間は地表にも足跡は残らない。縄で縛り地面へ杭固定されていれば少し面倒だったが、今回は持ち上げ動かすだけで済んでいる。

 この、遺体略奪作戦は今朝、デミウルゴスの提言によるものだ。

 ナザリックの資源を確認したところ、将来的に巻物(スクロール)の材料が不足しそうであった。

 それに、ナザリックの戦力強化を考えた場合、第十位階魔法を大量にストックしておけばと考えるのは普通の事である。

 ところが、第十位階魔法の巻物(スクロール)を制作する場合、最高級の皮である(ドラゴン)の皮が必要なのだ。まだ備蓄は結構あるとはいえ、確保できる時に確保したいと考えた。

 デミウルゴスの提言は、直ぐその場で御方から承認され実行に移されて今に至る。

 現在、巨体である(ドラゴン)の遺体を14体も得ている。綺麗に剥いで伸ばせば巻物(スクロール)サイズの皮は優に5000枚以上得られるだろう。

 智者の彼は、アウラの質問に少し考えてから答える。アインズ自身は、デミウルゴスからの提言で指揮もするというので「まあ、いいんじゃないか」と結構おおよそで指示を出したのだが、第七階層守護者的には至高の御方の考えは、連鎖している事が多く意外に奥が深く流石でございますと考えている。

 

 

 

「そうですね、目的の一つは恐らく――――牧場ですね」

 

 

 

 丸眼鏡を僅かに右手で押し上げながら、上位悪魔の彼は嬉しそうにそう言った。

 

「へ? 飼うってこと?」

「このままでは、一度“取って終わり”ということですからね。ただ、アンデッド化するか、生き返らせるかは、竜王と対面してからお決めになられるのでしょう」

「なるほどっ、流石はアインズ様っ!」

 

 アウラは笑顔で、デミウルゴスの言う『御方の考え』に賛同し感心する。

 それを聞く、デミウルゴスの表情にもずっと笑顔が浮かんでいた。

 

(交配させて増やすことも出来ますしね。そう、流石は我らの主様なのですよ)

 

 『牧場』という悪魔的といえる考えが、忠臣デミウルゴスを生き生きとさせていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 王女の心境

 

 

 リ・エスティーゼ王国第三王女のラナーは、あの会議の直後も壁際の長椅子に腰かけて視線を落とし落胆気味の儚げで美しい絵になる姿を見せていたが、内心は困惑した感情で溢れていた。

 彼女は、途轍もない屈辱と絶望を与えられたはずであった。

 しかし。

 

 

 不思議と――旅の魔法詠唱者ゴウンに対し『殺意』や『憎悪』という感情が全く湧かなかったのだ。

 

 

 せいぜい『責任を取って欲しい』という想いぐらいである。

 これには彼女自身が一番驚いている。

 いつもなら、復讐の為に全ての手を使ってあらゆる場所から巧妙に抹殺しようと思考が動くはずなのだ。

 例の『異様な二人の絵』を描かせた王宮お抱えの画家と同様に――。

 昨年の事。三十路で身内が少ないという独身のその画家は、王女から密かに依頼を受けたあと、まず普段のクライムに何気なく会って剣の話をしながら近付くと、練習のあとも会話をしながら鎧を脱いで体の汗を拭う彼の姿を観察。そしてまずクライムの四つん這いの裸体画を描いた。そして次に、首輪の鎖を握るラナーの裸婦画を描き上げるのだが、画家の彼は絵の参考と理由付けし王女の下着姿を彼女の部屋で密かに見せて貰いつつ、その美しい肢体を堪能する為、なるべく時間を掛け数回に分けて実行した。

 さらに最後の仕上げと称し調子に乗り、愚かにも彼は――美しいラナーを脅してきた。

 

『へへへっ、王女様、禁断の恋ですかい? これは動かぬ証拠になりますねぇ。でも、この絵はまだ完成しておりません。なぜなら――肝心の殿下のその下着の下のお美しいご様子が分かりませんので。今晩、このお部屋で私めだけにまず見せて頂けませんかね? さすれば、しっかり、ねっとりとした筆で描かせて頂きますので。ひひひっ』

 

 その日の夕刻、この画家は宮殿の脇で探し物をしていたが、4階から落ちて来た満水の水差しの直撃を頭部に受けて事故死する。

 上の階の窓辺にある花のプランターへ水やりを指示したのと、彼の物を落としたのはラナー王女ではない。

 水やりは日々の日課であり、探し物は彼が〝たまたま〟落とし物をしたのだ。

 ただ、普通落とさない物を落としたことは誰も知らないし、水差しの取っ手が精密な計算により巧妙に数か所削られていたことは、砕け散った欠片からは見当もつかない事象となっている……。

 そして、この水やりをしていた使用人は、とある男爵家の三女で、例の画家はこの男爵家の領内の村出身であった。

 ラナーは、この使用人の娘に「この件はこのままだと、貴方の婚姻の時の傷になるかもしれませんから、男爵である御父上にお願いしてこの画家に関する存在をなるべく無くしてもらう方がいいかもしれませんね。もちろん私もこの〝画家〟の事は知らないと協力しますから、安心しなさいね」と笑顔で申し送る。

 

 ラナー王女は、対象の命だけでなくあらゆる記録や記憶からも可能な限り存在を抹消している。あの画家が生まれた村の半分が今年の春から無事に麦畑へと変わっていた……。

 そんな気配り屋のヤサシイ王女様である。

 国王や兄達、大貴族達の前で、あれほどの屈辱と挫折を感じさせてくれた人物に対してラナーが『殺意』や『憎悪』を抱かないのは奇跡と言える。理由はマダよくワカラナイ。

 ただ、そうこれで二人目だ――異性では。

 

 

 

 もちろん初めての異性は、愛しいクライム。

 

 

 

 剣士の少年が覚えている、幼いころの路地裏でのラナー王女との運命的な初めての邂逅。

 あの日は冷たい雨が降っていた。

 

 しかし――ラナーにとっては路地裏での出会いが初めての邂逅では無かった。

 

 実はその前があったのだ。

 良く考えれば、愚民の子供を王女がいきなり助ける訳がないのである。

 

 それは、ごく平凡的に思える出来事。

 ラナーには子供の時に母から貰った唯一のお気に入りで大事にしていたドレスがあった。

 運命的邂逅の1週間ほど前。その日は王都内で祭りの行事があり、王家の者として大事なドレスを着て街へ出た折に、悪戯で護衛を撒くお遊びをし彼女が一人で居た時の事だ。

 王都の石畳の通りには多くの馬車が走っている。なので当然、幾つか馬の粗相したままの固体が残されていた。

 当時6歳の天才王女のラナーは華麗にそれらを避けていく。避けていたのだ、彼女は。

 とは言え、出合い頭というものは必然的にあるもの――路地から金髪の少年が突然飛び出て来た。

 勿論、ラナーはその手前で足元を注意し、少年とぶつかるのを華麗に避けた。

 だが……金髪の少年は違った。大人に追われていたのか必死であった。そしてラナーの立つ側と逆方向へターンをするために思いっきり足で地を蹴った。しかし、少年が見事に後方へと蹴ったのは馬が道端へ粗相をしていた固体であった。

 

 それは蹴った勢いも有り――激しい火花の様に後方周辺へ飛び散っていく……。

 

 金髪の少年は惨事に気付くことなく、大人から逃げる為に必死で走り去って行った。

 一瞬だけ見せたその顔の記憶だけを残して。

 続く大人もドレスの少女へは目もくれず少年を追ってじきに居なくなる。

 残されたラナー王女は、その場に固まっていた……。

 そして、大事であるはずの衣装に多数コビリ付いているモノの惨状に気付く。

 

「ぁ、ああっ、あああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 

 無論、将来『黄金』とも呼ばれる彼女の可愛く美しい顔にも数滴ハネていた……。

 

 6歳王女は、その時確かに怒りが湧くも、それだけであった。

 そしてすぐに違和感を覚えた。なぜ、愚民の子供一人の蛮行に『殺意』が湧かないのかと。

 取るに足らない低能な平民の、それも最下層の孤児の子供にである。

 間もなくその金髪の少年の所在を見つけ、死にそうで横たわる姿と再会しても、見殺そうとは思わなかった。

 不思議な感覚のまま、その意味を知るため、とりあえず手を差し伸べ引き取り傍へと置き続けた。

 そのうちに母は亡くなり、忙しい国王や歳の離れた兄達、一番上の姉とも距離が出来た。

 金髪の少年と二人きりと言える時を過ごした期間は、人生の半分以上もある。

 一昨年から蒼の薔薇のラキュース達も身近へと来るようになったが、今もずっと心の傍にいるのは金髪の少年剣士クライムだけである。

 時間を掛けて、今はもうクライムに対しての考えや行動への結論は出ている。

 それは『ひとめぼれ』――見返りを求めず引き取った行動や一途の気持ちは『愛』なのだと。

 

 

 

 ――だが、この『クライムのみ』に向けられていたはずの気持ちに異変が起こった。

 思い起こせば、それは王国戦士長のガゼフ・ストロノーフが持ち込んで来た話の中で初めて登場した『旅の魔法詠唱者アインズ・ウール・ゴウン』の強さを聞いた時かも知れない。

 アダマンタイト級冒険者チームである『蒼の薔薇』達の強さを王国戦士長は知っているにも拘らず、それを凌ぐ人物かもしれないと言葉には出さなかったが、ラナーには強く伝わって理解出来た。

 確かに蒼の薔薇達は強いが、それはこの900万もの人口を誇る広く大きいリ・エスティーゼ王国を右から左に動かせる程のものではない。

 そもそも、帝国の大魔法使いのフールーダ・パラダインですら、そんな事は力ずくでもすぐには実行不可能といえることである。スレイン法国には、それが出来る程の力の有る人材がいる様子だが、傍観し帝国に王国を併呑させようと画策しているように感じている。

 そういう状況でゴウンが配下を伴って王城へとやって来た。

 舞踏会の時、彼の傍へと近寄った際に、何か高揚しゾクっと感じてしまっていた。

 そして翌日ラナーは、王城の一室でゴウン一行と会合したのだが、その時に理解出来た。

 

 その力は、圧倒的と聞く竜軍団にも匹敵し、上回ることも有り得ると。

 

 これは、王国どころか、帝国、そしてどれほどの策略を駆使しようと、戦力的に全く手が出せないと思っていたスレイン法国すら、力だけで右から左に動かせる程のものに感じられる。

 もはやこれまでの、チマチマした策謀など必要ない水準なのだ。

 己の天才的頭脳すら超越していると思われる力の出現に、ラナーの心はメモリアル的にときめく。

 

 

 ゴウン一行を駒として……いや、もはや自分が駒でもいいかもと思わせる存在が身近に登場したことが――彼女の天才的思考の幅を無限の高みへと引き上げようとしていた。

 

 

 だが、その強いゴウンと自分の相性はどうなのか。

 ラナーは、クライムという愛しい存在が居たとしても、これは女としてやはり少し気になった。

 それが、今日の『敗北』で何となく分かってきたのだ。

 

(私は焦ったのかしらか……いえ、そんな事はないわ。私は――恐らく自分自身を試したのよ)

 

 ラナーはクライムを愛している。ただ、それは――幼年の初恋の様なものであるのだと。

 そして、感性が叫んでいる。

 

 

 

 少女の時代は終わり、これからまさに―――大人の女の恋が始まるのだと。

 

 

 

(やっぱりキスや身体で仲直りして、ゴウンさまって呼んだ方がいいのかしら……?)

 

 でも、そのために初恋を捨てる必要はないしつもりもないとも考えている。

 なぜなら、ラナーは深謀の天才なのである。バカな愚民どもとは違うのだ。

 

(クライム一人くらい、私の才覚でちゃんと生涯優しく飼ってあげるからね)

 

 一応確認は必要だろうけど、美女の配下を侍らせる大人のゴウンは多分処女には拘らないと思うし、クライムの子をこっそりとでも最低一人は生むつもりでいる。ただクライムは、根が真っ直ぐなのでやはり最後はどれだけタラせるかになるだろうし、特にゴウンの女と確定したあとだと難しく思え、未使用である今からの方がいいはずである。

 そんな生々しい思いに辿り着いた頃、ラナーは自室に戻っており、最も親しい友人だと思って色々気を使ってくれる『価値が下降中の駒』となった、ラキュースが心配そうに「また明日来るわね」と笑顔を作ってくれて、部屋を去っていく。

 

(やっと帰ったわ。さぁて、愛しい(ラバー)クライムの顔でも見て気分転換しましょうか)

 

 

 そう思ったラナーは、ベルを鳴らし使用人を呼んだ。

 

 

 

 ラナーの脳内快進撃はもう止まらない――――――まだ始まってないはずなのに。

 

 

 




捏造)ザクソラディオネ・オーリウクルス
竜王国の王女殿下。女王と少し歳の離れた若き妹。
竜王の血は薄いようで、姉のような原始の魔法や体形変化のスキルはない。
国や姉の為に身体を張って頑張るしっかりした健気な子。
但し箱入りお姫様のため、一部の常識がヘンかも……。



捏造)バハルス帝国と竜王国
王国の収穫期を狙った戦争の時期とはズレています。
そこで本作では、帝国へ救援を頼みにくい理由としまして、金銭トラブルを新たにご用意しました(笑)



補足)酒池肉林
みだらな宴会の例えとして使ってます。
本来は意味は『ぜいたくの限りを尽くした盛大な宴会』でエロはないのですが。



解説)そうこれで二人目だ――異性では。
もちろん同性では黒姉ルトラーです。
ただし愛ではなく、本能的に……。





次回、「不死王」現る……

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