オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

30 / 49
注)本作のモモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


STAGE30. 支配者失望する/箱のヒトツは開かれた(4)

 ここは、バハルス帝国並びにスレイン法国と国境が間近いリ・エスティーゼ王国王家直轄領都市エ・ランテル。その冒険者組合前に広がる広場前。

 王国北西の隣国、アーグランド評議国より国境を越えて、4日前に突如侵攻してきた竜軍団300余に対し、王都からの要請により招集される一般兵団に先立ち、ここエ・ランテルを拠点とする冒険者達の竜軍団討伐遠征隊の出発を明朝に控える前日の午後5時半を迎えた頃。

 広場には不思議な――いや、予想外の4人が揃い、顔を合わせていた。

 それは、完全不可知化でモモンらと同行中のパンドラズ・アクターと、アインズの命でニニャを遠巻きに護衛している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)1体を除いて。

 

 まず必死の戦いを前にし、モモンへ最後の相談をしようと組合事務所で1時間以上待っていた、『漆黒の剣』のメンバーである男装の少女、魔法詠唱者(マジック・キャスター)ニニャ。

 次に絶対的支配者ながら冒険者に扮し、先程急に白金(プラチナ)級へと昇級と遠征参加を言い渡された、漆黒の戦士モモン。

 その愛しい〝モモンちゃん〟との5日後に控えた定例報告での再会が、在籍部隊の緊急な竜軍団討伐遠征で出撃になり、神都不在で無理となってしまう事を考え前倒しで会いに来た、スレイン法国特殊部隊漆黒聖典所属第九席次『疾風走破』の二つ名を持つ全力装備姿のクレマンティーヌ。

 そして。

 

(えっと、クレマンティーヌ……モモンガさま配下の人間の女。近付いて来てたけれど、敵対的素振りは無し、っと)

 

 その女騎士の接近に当然気が付いていた、冒険者モモン――いやモモンガ様に対し永遠の忠誠を誓う配下マーレ扮する、純白のローブに紅き杖を控えめに右手で持つマーベロ。

 紺碧色のローブの前を緩く開ける形で纏い、フードを顔の覗く程で浅く被った姿のクレマンティーヌは人間として究極の強さと警戒能力を持つと言えるが、それを目の前で見詰めているマーベロは遥かに上回る水準で不意を打たれない。

 ナザリックを離れ、今もさり気なくモモンと手を繋ぎ、微笑ましい2人きりのチームであるが、逆に言えばこの冒険者でいる間において、主人である『モモンガさま』の護衛はマーレしかいない。

 彼女はマーベロとして第三位階魔法詠唱者の立場であるが、主へ危険が及ぶ場合は何時でもそのLv.100の力を全解放するつもりで常にいる。

 どうやら今のところ、クレマンティーヌという女は、過度の心情が甚だ行動へ顕現するも冒険者モモンに対しての忠誠心だけは絶対的である様子。ナザリック所属となれば、その一点だけは決して揺らいではならない。モモン以外には容赦なく残虐に牙を剥くという点も、実はナザリック内においてかなり高評価だ。

 クレマンティーヌに対してマーベロは、モモン依存で弱い立場の少女として振る舞い、チームにて『新参だが上位者である女騎士』の行動を許容している立ち位置。

 人間であるクレマンティーヌの積極的行動に不満もあるが、主へ溢れ出る愛情については……タイプとして受け身メインで違うマーレだが想いは同様なので、とやかくは言わない。

 あとは、モモンガ様が判断される事である。

 一方ニニャに対しても今の所は、冒険者モモンの対応に合わせている形だ。

 マーレとしては本来、ナザリック以外の者などどうでも良かったのだが、モモンのパートナー『マーベロ』として、下手な行動は主が扮する『モモン』の名声や立場に影響する。それは細やかであろうと、絶対的支配者の意向にかかわる事象であり、勝手や失態は避けたい。加えて、先日の盗賊団からの夜襲に接して以降、ニニャらに関してはモモンの『武勇伝を広めてくれる存在で、協力者達でもあるからなるべく死なせるな』という指示により、余力があれば保護する対象になっていた。

 マーベロ自身も、冒険者は知り合いの多い方が、名声への反響や行動がスムーズだと実感出来ており、利点があるとして対面した人物らに対し無関心ではなく円満な会話や行動を組合入り当初から心掛けている。

 そして昨晩よりニニャは、姉のツアレの件によって、正式にアインズの名で保護対象となったこともあり、今のマーレはクレマンティーヌ共々ナザリックに関わる個体として、二人を認識している。

 

 

 

「モモン……ちゃん?」

 

 さて、クレマンティーヌの掛けた言葉に振り向き、顔を合わせる4人の面々。

 しかし当然という形でその場面は進行する。

 

「モモンちゃーーーーーんっ!」

 

 クレマンティーヌは、愛しの漆黒の戦士モモンへとまるで武技を使ったが如く、真っ直ぐに一瞬で距離を詰めて抱き付いていく。彼女は、モモンのマーベロと繋いだ右手をさり気なく引き剥がしつつ、身体を預ける形で腕も彼の巨躯の背へと回し強く抱き締め、そしてモモンの鎖骨から肩辺りの鎧へと頬を優しくスリスリする。また豊かで柔らかく形の良い双胸もギュッとサービスで押し付けていた。ただ装備が互いに丈夫で硬いため直接は伝わらないのだが。

 彼女は、今この時間に都市内へスレイン法国の密偵がいない事を知っていて、熱情のままに行動していた。クレマンティーヌにとって、横に居るマーベロは女として自分より格下の存在。そして随分若く顔立ちの綺麗な少年の魔法詠唱者には、単に熱いモモンとの関係を見せ付けるのみと思っている。

 

「ク、クレマンティーヌ!?(うおっ……ストレートな表現行動だなぁ)」

 

 漆黒の戦士は困惑する。

 しかしモモンとしては、この場でクレマンティーヌからの熱い抱擁を受けざるを得ない。

 躱すという手もあったが、クレマンティーヌの性格から理由を聞かれ言い訳するのもひと手間に思え、不機嫌からイラついてマーベロらに八つ当たりされても面倒だ。

 なので優しく受け止めてはいたが外からよく見ると、モモンからクレマンティーヌの背中までは手を回しておらず、彼の掌は彼女の肩に置かれていた。

 ただ、懐いてくるネコは可愛いものである。だからそこから彼女の頭を自然と撫でていた。

 一方で意外な事に、クレマンティーヌも自身の行動に驚いている。

 これまで兄の抹殺へと注視注力してきて、他者に関心のなかった自分の身体が、モモンとの再会に際し歓喜の想いで勝手に動いていたのだ。

 クレマンティーヌは、大きい心の安らぎと今も自然と熱くなってきている身体で再認識する。

 

 自分には、絶対にモモンというこの男の存在が必要なのだと――もうそれだけでいいのだと。

 

 そして、身体を合わせる熱い抱擁に優しいナデナデ。その事実で彼女は、伴侶的存在からの十分に大きな愛を個人的にヒシヒシと感じていた。

 

(んふっ、モモンちゃーんっ。相思相愛って最高ーーっ! 早く密室で二人っきりになりたいなー)

 

 先日、兄に対した時ですら冷静になれたクレマンティーヌは、相変わらずモモンへの愛では完全にデレデレの盲目となっていた……。

 

 見知らぬ騎士風の女といきなり目前で熱い抱擁を交わす『漆黒』のモモンの姿に、初めの瞬間はニニャもショックを受ける。

 しかし、気付くとモモンの手はフードを被った女の肩部を掴み、何か女からの一方的行為に見えていた。彼の圧倒的といえる強さに加え、仁徳も備えるモモンへ人気があるのは当然の事。自分もそうなのであるから。

 そして、フード越しながらふんわりしたナチュラルボブ系の艶のある金髪に、とても綺麗で男受けしそうな発情し淫靡さを含む表情を浮かべた女の顔が見えた。

 だからモモンの控えめに見える態度は、ニニャの心へ余計に響く。

 

(やっぱりモモンさんは、女に飢えた普通の冒険者の男達とは違う)

 

 仕事を数日共にした結構美人である女戦士ブリタや、常に連れ歩く美少女マーベロへいつも優しく、時には的確にアドバイスをし、今も目の前のこれほど器量良しの女にガッ付く事も無い。

 ニニャは、目の奥を輝かせ改めて感じ確信する。

 

(……自分の身の上を教えて、今後チームの仲間達へどう対すればいいのかを安心して相談出来るのは、やはりこのモモンさんしかいない。そして自分の、この乙女としての熱い気持ちも受け止めて貰えたら……)

 

 ニニャは、まだこの場に少年として立ちながらも、それへ終止符を打つように結構思い切った行動を始める。

 

「モモンさん。あの、こちらの方は?」

 

 抱擁を早めに終わらせる事を促す意味で、彼女はモモンと見知らぬ女へそう投げ掛ける。

 そもそも組合から広場へ出て来たのは、自分の用件を聞いて貰うためであったのだ。女騎士とモモンの再会はすでに果たされている。先約は自分で、これ以上は後にしてもらいたい。いや、この後、明日の朝までは渡さないぐらいの気持ちを、見知らぬ女へ密かに込めてである。

 ニニャは漆黒の戦士へ親しく抱き付く女騎士が、一応彼から撫でられた様子とモモンが『クレマン何某』という名を呼んだ事で、彼の関係者だとそれなりに予想は出来ている。

 当初、ニニャとしては戦友であり女の子のマーベロも、モモンと共に自身の話を聞いてもらってもよかったのだが、今は可能ならマーベロにこの女を連れて宿屋へ先に戻ってもらえればと思い始めていた。

 ここで、モモンは『漆黒の剣』の若き魔法詠唱者へ言葉を返す。

 

「……実は非公式だけど、この子……クレマンティーヌには助っ人として組合の外から情報集めを手伝ってもらっているんだ」

「そうですか。初めましてクレマンティーヌさん。わたしは冒険者チーム〝漆黒の剣〟のメンバーでニニャと言います」

 

 余り公には出来ないし珍しい形だが、稀に冒険者がワーカー等と組むこともある。紹介された形のクレマンティーヌを、この冒険者組合では見たことの無い顔から、ニニャはそう判断する。

 この目の前のドラ猫のような雰囲気の有る女性は、性質が良いモモンチームとは少し空気が合ってないように思えた。普段は別行動なのだろう。

 ここでクレマンティーヌは、愛しいモモンとの熱い再会に声を挟まれた事で、彼の鎧胸の中から鋭い眼光を少年へと向ける。

 死を感じさせる程の、ゾッとする殺気の籠る視線であった。思わずニニャは実際に一歩下がっていた。

 まだ未熟とはいえニニャも、才能豊かな魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。相手の女の視線と雰囲気から漏れる力量が尋常では無い事を感じた。モモン達の仲間であれば、とんでもない使い手であっても理解は出来る。そして、女騎士からの威嚇もそれ以上はなかった。

 クレマンティーヌは、やはりモモンに会う前と少し変わっていた。

 以前なら当たり前のように、この割り込んできた可愛らしい未来ある少年の――耳か指か眼球を一つずつ順に抉っての小一時間の拷問に及んでいるはずだが、流石にモモンの知り合いを傷付けるというのは躊躇われた。

 モモンから嫌われるかもというリスクを考えると、割に合わなすぎると。

 この後でこっそり危害を加えても、モモンの実力から何れ知られてしまうと感じ逡巡していた。

 少し前なら考えられない事だが、モモンの知り合いである少年への残虐行為を――諦める。

 愛するモモンの胸へと二往復スリスリしながら。それで怒りは落ち着いた。

 そうして、クレマンティーヌはモモンの胸を離れると、ニニャへと振り向く。

 

「ごめんねー。私の視線に少しビックリしちゃったかなー? 私はクレマンティーヌよー。商売上、変な男が多くてさ。ニニャくんだっけ? よろしくー」

 

 歪んだ笑顔でそう告げた。彼女が純粋に優しい微笑みを向けるのは、モモンだけのようである……。

 

「こちらこそ……(なんでモモンさん程の人が、こんな怖い雰囲気の女の人と組んでいるの?)」

 

 ニニャは少し不思議な感じがした。同時に彼の知り合いでなければ、ただでは済まなかったかもしれないという思いも、僅かな震えと共に湧く。

 よく考えれば、冒険者の世界は綺麗事だけではない。

 そして、モモンの兜の下の顔から、彼とは年齢を経た絶対的といえる経験の差がある事を思い出す。あの強さを得る過程で、何があってもおかしくないだろうと。クレマンティーヌとの関係は、その一つなのだと思えた。

 

(いや、立派であるモモンさんだからこそ、これほど危険な雰囲気の女騎士もあれほど親密に接する味方として加わっているんだ、きっと)

 

 そう考える方が自然であった。

 ドラ猫的女騎士について、とりあえず自己完結の形で理解出来たニニャは、本題へ話を進める。クレマンティーヌの後ろに立つ形のモモンを真剣度の増した顔で見詰め、告げる。

 

「モモンさん。先日モンスター狩りの夜にお尋ねした通り、個人的にいくつか相談したい大事な事があるのですが。遠征の前に是非とも聞いて欲しいんです。時間はそれほど取らせませんので」

 

 時間については誘いの方便である。短く済ませるつもりはない。

 モモンは、先日のニニャの言葉通り、話や相談についてOKした事を思い出す。

 ここで、ニニャの言葉を聞いたクレマンティーヌも、モモンへと告げる。彼女も、定例報告をしに態々ここまで来ているのだ。

 

「モモンちゃん、悪いけど私も知らせたいことが山ほどあるんだけどー。今日は、早く宿に行こうよー。話を手短に済ませてさ、その後、イイ事も一杯したいしー、ねっ」

 

 クレマンティーヌは、再びモモンへ向き直りつつニッコリネットリとした表情で女の子の甘い良い香りと共に、若干潤んだ感じの上目遣いの瞳で見上げてくる。「今日は」などといつもの行動のように告げているし、ニニャ少年の存在すらどこ吹く風だ。

 そして内容も内容である。男女の熱い絡みが透けて見えてくるような言い様である。

 未経験のアインズだが仮にも歴戦の冒険者モモンとして、男としても底の浅い態度や発言は出来ない。

 一瞬冷静に「ふむ」と考えるポースをしつつも、内心ではかなり混乱していた。

 

(うわっ、イイ事って……マーレもいるんだよなぁ。うう、クレマンティーヌはエッチに関しても百戦錬磨っぽいけれど、大丈夫か俺っ。イヤイヤ、この鎧の下は骸骨だし今はニニャ側に上手く話を持っていくしかないなぁ)

 

 状況は明らかにクレマンティーヌの持ち込んで来た情報の方を優先すべきなのだが、ニニャとの約束を放りモモンの骸骨である正体を男女の流れの延長でバラしてもいいのかと迷う。また今、すこぶる形で発情している彼女が、冷静になる間を少し置く必要もあるだろうと考える。

 クレマンティーヌが現状、モモンに従っているのは『兄を殺害してやる』という契約があるためだが、モモンが異形種だということを彼女に伝えた場合、モモンへ従う事が継続されるかは不明なのだ。

 ここはまず、自軍の持っていない重要な漆黒聖典関係の人物や装備群を初めとするスレイン法国最深部の極秘情報の詳細を先に上手くマーレに聞き出してもらい、欲しいものをもらったあとなら反旗によるクレマンティーヌの損失も小さくなるだろう。貴重である武技使いを失うことは勿体ないが、ナザリックを裏切る場合は死んでもらうしかない。また、彼女の水準における死体の利用価値も捨てがたいものがある。

 それと、貰った情報が有益で且つ、彼女の兄の情報があるなら、のちに兄を殺せば契約を破ったことにはならないだろう。約束は彼女の身も魂までもくれるというものだったのだから。もたらされた情報がナザリックの為に役立つものであれば、その時に恩は恩で返すべきなのだ。

 とはいえ、これらは一番悪い展開の想定だろう。

 今、モモンの胸に再び愛猫の様に可愛くしがみ付いてきたクレマンティーヌの、あの時の気概は「兄を殺せればあとは大した問題じゃない」という重い究極の雰囲気があった。

 モモンの正体を伝えたとして、人間に向けていた発情的行動は無くなるかもしれないが、少なくともナザリック勢からの離反はない気がする。

 

「あの、クレマンティーヌ」

「なーに、モモンちゃん?」

 

 モモンにメロメロといえるクレマンティーヌの、彼を微塵も疑っていない表情と言葉を向けてきている気持ちが、声のウキウキな弾み方で分かる。

 

「このニニャとの話し合いは――先日、約束していたことなんだよ。だから、俺は少しの時間行かないとダメなんだ」

 

 モモンの向けてきた見えない兜の越しの表情に、クレマンティーヌのデレて甘かった視線が真剣になる。

 

「………わかったー。じゃあ、宿で待ってるねー」

 

 自分は、約束を守る男だと伝えてきている事に、敏感系の猫的感覚で彼女は直ぐに気が付いたのだ。

 そんな彼の気持ちをクレマンティーヌは無下に出来るはずもない。すでにモモンを信頼している彼女であるから。

 そうと決まったと同時にクレマンティーヌの思考は切り替わる。

 彼女は、すっとモモンの胸から静かに離れる。そして用のあるマーベロの手を掴むと宿街の方へとテクテク歩き出す。モモンの傍から引き離されることに「えっ、え?」となっているマーベロを引きずるように広場の石畳を進みつつクレマンティーヌは振り返る。

 

「早く帰ってきてねー、モモンちゃん」

「ああ。 そうだ、マーベロ。先に少し聞いておいて。頼んだよ」

「わ、分かりました」

 

 実は、クレマンティーヌにも結構大きめの不安があった。これまで操を守り、最後までの経験がないクレマンティーヌは、モモンの『以前の女』であるマーベロに聞いておきたいことが一杯あるのだ。どうすれば、モモンが一番喜んでくれるのかというとっても重要である知識についてだ。

 一方マーベロは、モモンの言葉の意味を素直に理解する。モモンから指示されたので、クレマンティーヌも断り難いだろうし、このあとの行動は取りやすい。そして、情報が聞き出せれば、後は何があってもおおよそ『問題ない』と。

 おどおどしているように見えるがあくまでも『振り』であり、モモンガと姉のアウラが絡まなければマーレは十分に高い判断力を有し、まさに沈着冷静である。加えてシャルティアに次ぐナザリックでは最高水準の身体能力と、ずば抜けた魔法力を持ち後衛だけでなく前衛も熟せる万能NPCなのだ。

 ただ、そのキラキラとした瞳の輝きが無くなった時の感情の底は、暗黒へ繋がっているとしか思えない……その奥を垣間見た者は間違いなく『物理的衝撃』により死へと到達するだろう。

 ナザリックの一部(アウラとシャルティア辺り)で密かに噂している。優しいマーレを真に怒らせてはいけないと――。

 

 マーベロ達を見送った、モモンとニニャも動き出す。

 モモンに時間を作らせたのはニニャである。少年の振りをしている彼女から決意を思わせる感じで動く。

 

「モモンさん、少し付いて来ていただけますか?」

「ああ。いいけど」

「こっちです」

 

 姉のツアレは良く働いてくれている事や、髪色と声音は違うが表情の良く似ている妹のニニャの言葉に抵抗は全くなく後に続く。

 まるで、事前に準備していたかのような、迷いない道程でニニャが東の方角へと広場からの脇へ入る小道を進んでいく。

 広場から5、6分歩いただろうか、周辺は各種資材置き場が多い感じだ。そして、大きめの空樽が沢山置かれた置き場の端にある、小さい小屋の前へとやって来た。

 「この時間からは翌日の朝まで人気がかなり少ない場所です」と、ニニャは己へも意味を込めつつ何気ない形に呟く。都市に結構長くいる者らしく、周辺のこういった状況に明るいのだろう。

 彼女はその小屋の扉を静かに開ける。

 

「大丈夫です。以前仕事で知っている方に、今日使うかもしれない事は伝えているので」

「……そうなんだ」

 

 予備の手だったのだろうが、すでに場所も根回しされているようだ。手をいくつか持っているという、中々有能なところが垣間見える。

 アインズとしては戦友でもあるニニャといる事に不安はないし、ツアレの件があり情報の漏れへ用心に越したことは無い。

 薄暗い小屋の中へと進むニニャにモモンも続く。モモンが扉を閉めると、光の少ない小屋の中で、ニニャはまず自身の魔法で明かりを付けた。

 戦士のモモンにはもう魔法詠唱者(マジック・キャスター)のマーベロが傍にいるとはいえ、少年を騙ってきた少女はやはり、想いを寄せる彼に出来ないことがこうして出来るという自分をきちんとアピールしておきたいと考えていた。私も役に立つのだと。

 温かい雰囲気の光が、床から2メートル程のところから二人に降り注ぐ。

 小屋内の窓際にあった4人掛けの木のテーブルへ二人は向い合う形で腰掛ける。

 座ってから30秒ほど、ニニャの視線は、モモンの机の上に腕を組んで置かれたガントレットとその左方向の空虚に薄暗い空間とを僅かに行き来する。

 どこから話そうかという少しの迷いがニニャにそうさせた。

 モモンは静かに彼女の言葉を待つ。ただ、内容にどう反応するか彼も迷っているところはある。例えばもし「昨日の私への質問で分かりました。貴方は姉ツアレニーニャの事を知っていながら、ずっと黙っていましたね?」などと突然に言われたらどう対処しようかと。ラナー王女相手の時の様な急展開は御免被る。

 

(いやいや、ありえないだろ。そもそも、今のニニャは終始落ち着いているし、一秒を争う性急な内容では無いはず)

 

「実は相談事は2つ、いえっ3つあるのですが」

「今回の遠征の前に片付けたいことなのかな?」

 

 モモンは、営業マンの経験からアドバイスする。一度に全部片付けようとすれば一部に荒が出るのだ。一つずつしっかり片付ける事の方が最終的に効率はいい。結局、全部やる必要があるなら特にだ。

 今回は3つというが、間近に迫った遠征(死の可能性)という事を受けて、時間的に可能なのかという線切りと、重要性をまず確認させる言葉を送る。

 ニニャはモモンの言葉から、それに気付いた。

 

「(……そうだ、姉の件については、今話してどうなるという訳じゃないよね……でも、死ぬかも知れない前に、世話になった仲間とモモンさんには伝えたい事がある)……では、2つですね」

「そうか。何かな、力になれる事ならいいんだけど」

 

 そう話の先を勧められたニニャであったが、モモンを見詰めていた視線を落とす。

 そして口を開いた。

 

「モモンさん。……()()()ってどう見えていますか?」

「えっと? ニニャはニニャに見えるけど」

 

 モモンには何となく聞かれた事が分かった。本当は女の子だという事なのだと。

 ニニャは微笑しながら再びモモンへと話し出す。

 

「何れ必ず気付かれる自分の秘密があります。それを事前に仲間へ知らせたいのです。でも今の良き関係が壊れてしまうかもしれない。それが怖くて出来ていません。世話になった仲間達です。これだけは遠征の前に知らせておきたい秘密なのですが、考えが袋小路に入ってしまって」

「なるほどね」

 

 最後の戦いになるかもしれず、隠し事は打ち明けたい。でも告白の所為で、戦いの前にチームの関係が瓦解するかもしれない。非常に微妙で難しい話だとは思う。

 しかし経験上で結論的に言えば、これは彼女の口から信頼する仲間に告げるしかない事なのだ。信頼している相手だからこそ、考えを自分の言葉で告げて欲しい場合は多い。

 モモンは、優しく落ち着いた言葉で一つの例を返してあげる。

 

「ニニャ」

「はい」

「例えばあのペテルが、個人的に非常に悩んでいる()()()()()を君達仲間に隠しているとする。それをある日、他のチームの者から回り回って知ることになったとしたら、君はどう思う?」

 

 彼女は、目を見開きはっとする。その結果に悩んでいたが、それよりも大切なものが前にある事を瞬時に感じた。そのアプローチは一つしかないことに気付かされる。そして視線を落とし難しい表情になった。しかし、間もなくモモンを見詰めて微笑みを浮かべる。

 モモンは告げてあげる。

 

「王都までの遠征の途中、四人で食事をしている時にも、少し畏まるかもしれないけど信用する仲間達に堂々と正面から相談するように知らせるのがいいんじゃないかな? 俺は今日はここで本当に詳細は何も聞いてないし、現時点で問題は何もないだろう? その後に何かあれば改めて話を聞くよ。マーベロと俺も遠征に行くしね」

「は、はいっ、ありがとうございます。自分の口からきちんと話をみんなへ伝えます!」

 

 ニニャは、決意したように明るい表情ではっきりと答える。ゆっくり頷く目の前のモモンを見ながら、彼女は思う。

 

(やっぱり、モモンさんは優しくて凄い! 危ないところだった。ここは大事な仲間達を信用して勇気を出すところなんだ。そう――今わたしは、直接伝える勇気を出す時なんだ――)

 

 ニニャは逃げない。

 彼女は席から静かに立ち上がった。モモンは、ツアレの妹ニニャとの関係を繋いでおく大任が果たせたかなと思えてホッとする。そして、あと一つと聞いていたが、てっきりこれで話は終わりかと考えるのは自然の事。

 しかしそれはここから、一つの始まりとなる……。

 

「モモンさん、今、あなたに、貴方だけに告げたいことがあります。私の秘密と――気持ちです」

「えっ?」

 

 表情の見えない面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中で呆け顔のモモンに対し、彼女のその雰囲気と表情は真剣そのものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、少し前にクレマンティーヌとマーベロはモモンの宿泊する宿屋へ到着する。

 クレマンティーヌは今朝の到着時に場所をしっかりと確認しているので、マーベロを引き連れて真っ直ぐに辿り着いていた。

 笑顔のクレマンティーヌが足音を立てて、明かりが灯る宿屋の扉の中に現れると、聞き慣れない足音に受付の親父が振り向きざま「おう、いらっしゃ――」と言いかけて固まる。

 彼の頭の中に朝の衝撃的であった死の恐怖が蘇ったのだ。断末魔で脳へ焼き付くように、鋭い刃物の様な恐るべき殺気の籠っていたあの視線を鮮明に思い出していた。

 

 ――死視線の女騎士。

 

 だが、すぐに連れられてマーベロが入ってくる。そして先程から視線と共に終始柔らかい表情のクレマンティーヌが催促する。

 

「どもー、モモンさんトコの部屋の鍵をくーださい。朝はゴメンねー、急いでたから」

 

 そう優しく言われたが厳つい宿屋の親仁は完全に引きつった笑顔を浮かべ、クレマンティーヌへ目を殆ど合わせることなく「い、いや……」と言いつつ素直に鍵を渡した。3人になるなら料金が違うはずなのだが、それすらも言いそびれて……。

 

「あ、これ。同じ部屋の私の分ねー。余りは取っといてー」

 

 そう言って、自分から多めに追加料金として銀貨を1枚カウンターへ置き、胸横で可愛く手を振りつつ受付を後にする。

 階段を上りながらマーベロが少し心配そうに尋ねる。

 

「あ、あの、クレマンティーヌさん、今朝一体何を?」

「分かってるって。ちょっと朝に視線を送って挨拶しただけだしー」

 

 クレマンティーヌもここでモモンに余計な迷惑を掛けるのはマズイと思ったのだ。だから朝の事を思い出し、料金も自主的に多めに払い普段は殆どしない()()()()()()()をしていた。

 最近、これほど気を使う事はしたことがないし、神官長に言われようともまずしない事である。だが、モモンの為だったらなんということは無いのだ。

 そうして、クレマンティーヌ達は3階にあったモモンチームの宿泊部屋へと入る。

 そこは、レンガ調の石壁と板張り床の10平米程の小部屋で、鎧戸の窓辺へ花の飾られた台を挟みベッドが窮屈そうに二つ並ぶ。

 

「狭っ。まあ、ずっと身を寄せ合ってくっ付けるからいいけどねー。んふっ、モモンちゃんと私はこっちねー」

 

 満更では無いクレマンティーヌはそう言って、頬を僅かに染めてイヤラシイさ満点の表情で唇を少し舐めながら艶めかしくニヤリとしつつ左側のベッドへと倒れ込む。そうして、仰向けで部屋を見回し、依然立ったままのマーベロを改めて見た彼女は、ふと気付く。

 

「んー? ねぇ、今気付いたけどー、マーベロちゃん。いつの間に首に下げるプレートが(カッパー)から白金(プラチナ)になったのよー、凄くない? 私も一杯冒険者を知ってるけどー、(カッパー)級からこんな短期間でここまで昇級したヤツらって記憶にないよー」

「あ、あの、さっき、組合で組合長さんから直接貰ったんです」

「へぇー、流石はモモンちゃんね」

「は、はい」

 

 クレマンティーヌは自分の事の様に本当に嬉しい。自然に浮かぶ笑顔でニッコリ微笑む。

 愛する者が前人未到の事をしたことがとても誇らしいのだ。これまでに感じたことの無いこの感情も心地良く感じていた。

 ここで、マーベロは忠実にモモンからの依頼を遂行する。

 

「あ、あの、クレマンティーヌさん?」

「んー?」

「モ、モモンさんにも言われてますし、僕に例の事を先に聞かせてください」

「えーーっ」

 

 モモン達がなぜ、スレイン法国の奥の情報を調べているのかは知らない。彼等が他国の密偵で有る可能性は高い。しかし、王国や帝国でこれほどの使い手の話はずっと聞いたことがない。可能性があるとすれば、カルサナス都市国家連合辺りに、大陸中央の死地を生き抜いて流れてきた叩き上げの戦士ではないかということだ。

 しかし、クレマンティーヌは彼が憎い兄を殺して、あとは自分を伴侶的に可愛がってくれるなら他の事はどうでもいいのだ。ただ彼に尽くしてついて行くだけである。

 そのモモンに教える為に調べ上げてきた情報群である。

 だからイヤそうに返事をしたが、クレマンティーヌは考える。マーベロには彼について聞きたい事が一杯あるのだ。それに、トロそうなマーベロには二回聞かせるぐらいがいいのかもしれないとも思った。

 

「(交換条件でいこうかしらね)……じゃあさー、話すからー、そっちもモモンちゃんの夜に喜ぶこと事を教えてよ。(私もよく分かんないんだけど)特にー、体勢は前か後ろのどっちが好みとか、上か下かとかさぁー。右横か左横とかもあるのかなぁー? 胸でとかもどうなのー? あとはー、出すの中か外のどっちが好きなのかは重要だよねー。でも多分ー、何度も中だと持ってきてる薬を飲まないとー、まだ目的に差し障りがあるしー。でも、私はさぁー出来ちゃっても全然良いんだけどねっ。嬉しいしぃー、んふっ」

「(えっ、えぇっ?)は、はぁ……」

 

 色々想像した上で、すっかり赤面し可愛く俯きつつ曖昧に返事をするマーベロ。

 だがそれを、了解と取ったクレマンティーヌは話し出す。

 

「よーし、じゃあ話しちゃうから。んー、依頼されたのは、基本的なところで国家の総人口、総兵力、各都市群について、山脈等の地形、各地の産物、隣接する周辺国かなー。そしてー、中央組織と六色聖典ー? 最後に、それらの装備群と秘宝類に関しての詳細かなー?」

「そ、そうですね。そんな感じかと思います」

「まずは、総人口から言うとー、おおよそだけど戸籍とかの総数で1500万ぐらいかなー。通常兵力は総勢で約30万でー、歩兵が――」

 

 クレマンティーヌの調査についての話は進んでいく。

 某陽光聖典隊長らから得た内容も、整合性を確認する意味でもモモンから再依頼されている。意外に六色聖典ではない表の通常兵力側にも魔法詠唱者の纏まった部隊が有る事が判明。一方、裏の特殊工作部隊である六色聖典については、漆黒聖典、陽光聖典の他に、六という数だけ風花聖典、水明聖典等が存在するというのは某隊長らの情報通り。

 そして神官長、司法・立法・行政の三機関長らの中央組織の話を過ぎ――。

 ついに某陽光聖典隊長も情報を余り持たない、最精鋭と言える漆黒聖典のメンバーの話へ移る。「私はまあいいよね?」と自分を軽く飛ばす形で言うと、各員について名前や特徴、その装備と共に強さが『難度』という単位で一人、二人と女騎士の口から告げられていく。

 ここでまず『難度』という単位についてマーベロは正確に知ることが出来た。

 

「あ、あの、すみません。クレマンティーヌさんは、今のその状態で難度で言うとどれぐらいですか?」

「んー、120ぐらいかな。本気出せばもっと高いだろうけどねー」

「そ、そうですか(今で、Lv.40ぐらい……だから、表現として難度は約3倍ぐらいかな?)」

「でも、モモンちゃんだとぉー、絶対200は超えてるよねー」

 

 クレマンティーヌはニコニコしながら話す。己の愛しい人が自分を遥かに超えている事が誇らしく喜ばしいのだ。

 

「(難度200は、レベルで言えば67程……モモンガ様は、難度で言えば遥かに高い300かな)は、はい」

 

 クレマンティーヌが再び漆黒聖典のメンバーについて情報を並べていく。

 彼女はメンバーとして、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアについて名前までを挙げる。憎い兄である。ここで、クレマンティーヌはマーベロへ静かに尋ねた。

 

「マーベロちゃん、この人物についてモモンちゃんから何か聞いてる?」

 

 一応、あの小川を橋で越えた向こう側でのモモン達の話は聞いてはいた。しかし実は、マーベロはマーレとしても、クレマンティーヌについて資料を見て事情は知っているが、主から直接には何も聞いていないのだ。なので、ここでどう答えるかは、少し重要に思えた。

 マーベロは一瞬考えた上で、事実の方を伝える。

 

「い、いえ、特には何も……」

「ふーん、そうなんだー」

 

 クレマンティーヌは、愛しのモモンについて――信用度がMAX以上まで上がっていく。

 

(モモンちゃんたらー。私の事が大事でー、ずっと一緒のマーベロちゃんにも殆ど教えてないんだー。んふっ。でもこのあとー、きっとお互いのすべてを見せ合う仲だしー、この子だけ知らないのはちょっと可哀想かな。だけどー、モモンちゃんとの秘密だしー、このままの方が今はいいのかもー)

 

 僅かな時間で結論を出すと、クレマンティーヌは淡々と兄、クアイエッセについてのデータをマーベロへと伝えた。

 第五席次で難度80以上(デス・ナイトの攻撃力に匹敵)の魔獣ギガントバジリスクを5体以上も召喚し操れるため、『一人師団』と呼ばれ圧倒的といえる強さを誇る。他の国家戦力と彼のみの単身で戦える人物だという。

 彼自身も難度が140程度あると告げられた。

 クレマンティーヌが単身で倒せるなら殺しているのだが、彼女は年下でもありいつも二歩も三歩も強さで先を行く兄をこれまで全く捉えることは出来なかった。

 しかし、今は違うと彼女は考えている。特に先日の遭遇では、狭い空間と不意を突ける状況でもあり十分に倒せる機会があった。まさに『見逃してやった』という心境。

 彼を倒すのは、約束をした伴侶で愛しのモモンちゃんと『一緒に』なのである。その想いが今、宿敵の事を話しても、クレマンティーヌを冷静で普段通りに居させた。

 

 そのあと11人までメンバーを告げられるも、マーベロは淡々と聞いていた。

 ところが、12人目の『隊長』以降については初めて顔色に変化が出てくる事になる。

 

「モモンちゃんは本当に強いけど、ウチの〝隊長〟はちょっと注意した方がいいわよー。彼は―― 〝神人〟だからねー」

「神人……ですか?」

「ええ。神人っていうのはねー―――」

 

 そう言って初聞きのふりのマーベロへとクレマンティーヌは説明するも、『神人』についてもナザリックの戦略会議での資料に、陽光聖典の隊長ニグンからの情報としてすでに登場しており、『以前に存在した神達の子孫で特に力の能力の一部を受け継ぐ者だ』という内容が記されていた。

 そして、神達は高位の身体能力や魔法を使ったと伝わっていることから、アインズはこれらがプレイヤーの可能性があるのではとの考えが一瞬思考を過っていた。しかし、存在した時期が随分昔という受け入れられない要素があり、今のところ一切言葉にはしてはいない――。

 クレマンティーヌは、その〝隊長〟の情報の最後になって客観的な強さの難度について数値を告げる。

 

「――騎士風の最上級衣装装備で、難度だけど間違いなく200以上あるはずー」

 

 難度で200以上。これは250など、より詳細なデータはないのだろうか?

 そう、マーベロはふと疑問に思う。

 

「あ、あの、先程から聞いていると、難度200以上についてが曖昧という気がするのですが」

「えー? だって、そんなの―――誰も計測出来ないでしょー?」

「……そうですよね」

 

 マーベロは深入りしない。純白のローブを纏う少女は、モモンの計画に波紋を起こすかもしれない余計な事には足を踏み込まない。

 しかし、感覚的に感じるものがあるのだろう、クレマンティーヌが告げる。

 

「でも、同じ難度200以上でも、強弱の差は確実に存在するのは確かよねー」

「――!」

「〝隊長〟は難度200以上の中でも―――多分桁違いに強いわよ。そしてもう一人の〝神人〟、漆黒聖典十二席の外に居る〝番外席次〟は更に一段強いけどね。ほんとに強いから、あの〝絶死絶命〟はっ!」

 

 クレマンティーヌの口調と表情が、忌々しいという感じで険しくなる。まるでその身へ強さに関する経験でもあるかのように。

 難度200でLv.67程度。それに対して桁違いと考えればLv.85から90ぐらいか。それより一段上だとLv.100にかなり近付きそうだ。

 マーベロは直感でそう想像する。その者らにモモンガ様を近付けるのは少し危険だという思いと共に。

 今すぐ、モモンガ様にはルベドの居る王都へお戻り頂き、パンドラズ・アクター等早急に動ける守護者5名ほどで、漆黒聖典は地上から速やかに殲滅すべきではないかと考えていた。

 おそらくシャルティアと自分だけで何とかなるとは思っているが、強力である武器アイテムが登場するなどすれば油断出来ないだろう。

 そういえば、漆黒聖典らの装備アイテムもはっきりした階級は不明で、クレマンティーヌの話から今のところはあくまでもマーレの推測でしかない。

 至高の御方の知識から判断してもらう方がより正確なはずで、モモンガ様の宿への帰着が待たれる。

 

「ああ、そうそう。あと秘宝と至宝が其々幾つかあるんだけどー、私が知っている至宝は一応2つだけかなー。秘宝の内4つは〝絶死絶命〟の装備なんだけどー、見たことは無いんだー」

「秘宝と至宝……」

 

 マーベロの表情は再度硬くなった。彼女も知識としては持っている。ユグドラシルで最高峰のアイテム――世界級(ワールド)アイテムの存在については。

 これらの攻撃を防げるのは、同級の世界級(ワールド)アイテムを所持するか、ワールドチャンピオンが持つ特殊技術(スキル)をタイミングよく発動した場合のみだ。

 10万を超すプレイヤーがいたと聞くユグドラシルだが、世界級(ワールド)アイテムについては僅か二百種しかなく、またそのほとんどが1点ものであった。

 つまり、世界級(ワールド)アイテムを使われた場合、防げる者は少なく、殆ど不可能な代物と言える。しかし、一応ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』にはそれが11点も存在する。

 でも良く考えると、それほどのアイテムが、そうごろごろあるとは思えない。

 クレマンティーヌより秘宝の内の4つと言うのは、装備する事からせいぜい神器級(ゴッズ)アイテムまでに留まると思う。そして、いくつか至宝があると聞いたが、これも全てが世界級(ワールド)アイテムでない可能性もあるとマーベロは考える。

 とりあえず何れにしても、重要度から入手後に全てをアインズ様に確認してもらう必要があるだろう。

 クレマンティーヌが至宝の、一つ目のアイテムについて性能を語る。

 

「まずはー、〝双滅の腕輪〟ねー。広範囲に強力な重力魔法を掛けられる腕輪みたい。むかーし、屈強といわれた奴が試しに使ったらしいけどー、自分で耐えきれず多くの敵と一緒に死んじゃってさー。その辺一帯は陥没して一時期広い湖になったって話だよー。発動者が死んだから、重力魔法は切れたらしくて腕輪自体は後で回収出来たみたいだけど。それ以来誰も使っていないって話」

「……そうですか(重力系攻撃完全無効化のスキルじゃ無効化しきれなくて、単純に高い体力が必要って事なのかな……だから、ずっと人間で使える者がいないとか、でも神人なら使えそうだけど、他にも条件があるのかも)」

 

 現状では聞いたことの無い何とも言えない至宝である。ただ、守護者クラスですら動けず脱出不能で長時間の負荷ダメージにより死滅させる程の威力を持つ可能性もある。実は元々自爆アイテムかもしれず、油断は出来ない。

 クレマンティーヌは二つ目の至宝について話し出す。

 

「そしてーやっぱり、〝ケイ・セケ・コゥク〟かなー。能力は〝耐性を持つ相手すら精神支配する〟ものでー、変わったデザインの装備服ね。これの効果は1対1でしか出ないんだけど、実際に結構どんな強い相手にも使えてるしー、効果抜群みたいよー。でも使用者は条件が厳しいみたい。女でないと無理みたいだし、使用すると生命力の水準が下がる上に、使用前には一定水準の高い生命力に加え、突出した〝魔法量〟がないと無理みたい。なのでウチではずっと、以前は連続発動も出来たっていうカイレの婆さんぐらいしか使ってないからー」

 

「―――――っ」

 

 再びその名称に覚えの無いものだったが、マーベロは能力を聞いたとたんに絶句した。

 危険すぎる能力を人間でも使えるという、実に恐るべきアイテムである。

 もしもそれが、自分や守護者達に使われたらと思うと――マーレは震える程、全身で戦慄を覚えた。もし攻撃を受ければ、モモンガ様を裏切った上で、平然とナザリックへ攻撃をさせられるかもしれないのだ。

 更にだ―――。

 一応、ナザリックの絶対的支配者はその御身に世界級(ワールド)アイテムはお持ちなのだが、安心は出来ない。万が一、その至宝が世界級(ワールド)アイテムでない場合は、モモンガ様も防げないかもしれないのだ……。

 精神作用無効のアンデッドの基本特殊能力があるはずだが、まだよく分かっていないこの新世界の中で、極限に特化したアイテムが無いとは言い切れないだろう。

 しかし、それは余りにもマズイ。絶対にあってはならない事なのだ。他の何を犠牲にしても。

 マーベロは正に精神的に究極の恐怖を覚えていた。

 

 

 

 あの、敬愛する優しいモモンガ様が――――守護者マーレとして認識してくれる事も無くなり無慈悲に襲って来るかもしれない。

 ナザリックのすべては、至高の御方の為にだけあるものにすぎない。

 ――もはや自分を初め、ナザリック全軍がただ無抵抗に殺されるしかない光景が浮かぶ。

 

 

 

 まさに最悪の展開に発展する能力を持つアイテムの可能性があると言える。

 

(……どうしよう。これは、なんとしてもすぐに破壊するか強奪しなければっ。モモンガ様ーっ)

 

 マーベロは、暫し沈黙していた。

 丁度、スレイン法国に関するかなりの情報は得た。相手戦力や地理的に神都の位置も分かる。

 お叱り覚悟で支配者からの指示を此処で一時中断し、独断で法国の二体の神人らと刺し違えてでも、問題のアイテムを今すぐ破壊する必要性を感じていた―――ひとえにモモンガ様のために。

 そんな命を賭ける真剣に悩み俯く少女へ、クレマンティーヌは呑気で淫靡な言葉を掛ける。

 

「ねぇー、こっちはもう話したんだしさー、そろそろそっちのモモンちゃんの熱く喜ぶことを一杯教えてよー」

「――うるさい」

 

 もう全くそんな状況じゃないんだと、狭い部屋にその小さく微かな声が発せられた。

 仰向けで天井を眺め、この後のモモンとの濃厚なエロい(一部マーベロも参加の)ことを色々考え、すっかり舞い上がって、鋭くなった周辺空気の変化に気付いていないクレマンティーヌは、か弱いマーベロの言葉を何か聞き違えたかなと思い、聞き直す。

 

「えっ、何ー?」

 

 すでにマーベロへ異変が起こっていた。

 彼女におどおどする感はもはや失せ、両手を拳状に強く握っている。

 加えて、クレマンティーヌへとゆっくり向けられた小柄である最狂守護者の目に、普段あるあのキラキラの輝きはもはや完全に失われていた。

 

 

 その右眼が紫、左眼が緑で美しいはずのオッドアイの瞳には闇色が広がり―――眉下から伸びる翳りがあらゆるものを飲み込むように顔全体を暗く暗く覆い尽くし始めていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 席から立ち上がっている真剣な表情のニニャを僅かに見上げる形で、モモンは告げる。

 

「分かった。じゃあ、聞かせて貰おうかな」

 

 どうやら今日、姉についての相談は無いようだ。

 それは良いのだが、この状況で気持ちと言われたら、間違いなく『好意』についてだろう。

 

(そうだったのか……うーん)

 

 表面上余裕で、堂々とした態度ながらモモンは、アインズとして内心少し複雑である。

 ニニャは、胸に手を当てると一つ深呼吸をする。そしてモモンの兜のスリット付近をしっかりと見詰める。

 その様子は、明らかに単に秘密を告げてくるということではなく、その後の気持ちの事の方に重きがあるように感じられた。まさに―――告白という雰囲気。

 モモンは、貫禄ある歴戦の男戦士として、また真剣にアドバイスをした者として、そして当事者として正面よりニニャからのアクションを受け止めざるを得ない。

 リアル世界において、社会人へ成り立てのころに一応告白の経験がある鈴木悟は、その心の中のせめぎ合いについて、今でも少しは理解出来る。

 決意有る想いの場合、告白には本当に勇気がいるのだ。

 克明に思い出す。前日の晩から明日本当に告げるかの葛藤が続き、当日は告げるその瞬間まで成功と失敗の両方の物語が思考の大部分を占めていた事を。

 そして――想いを否定され有職者の自信を打ち砕かれ、敗れ去った後の挫折感。現在でもトラウマ化している……。DMMOーRPGユグドラシルにのめり込んだ原因の一つと言えるかもしれない。

 正直、真っ向勝負な恋愛は苦手なのだ。

 対して、彼女はしっかりとした言葉で語り始める。

 

「モモンさん、実はわたし――――女の子なんです。生きていくためにそうして来ました。でも遠征に行く前にきちんと貴方に知っていて欲しかったので、今、伝えています」

 

 それを聞いたモモンは無言で、これまで守ってきている落ち着いた貫録を前面に出すような形で、纏った重厚である漆黒の鎧の上体を些か起こす様にする。僅かに驚いたようにだ。

 兜のスリット越しのニニャはそれで納得出来た様子。

 しかし、ここではまだ彼女の語りは終わらない。迫る竜軍団との決戦に遠い先の日々は見ていない。彼女の今日の決意は失うものは何もない、捨て身の心情。

 ニニャは、一気に熱く告げてきた。

 

「そして女の子としてこの想いも伝えます―――好きです。私はモモンさんの事を敬愛しています!」

 

 状況的にはエンリが一番近いかもしれないが、単にここまで純粋でストレートに告げられるのは初めての展開。冒険者同士というほぼ対等である相手。これまではいずれの場合も、権力的に制約ともいえる立場の差があった感じがする。

 この後、モモンとして、どういう返事をすれば正解なのか、アインズは一瞬で答えを出す必要に迫られていた。

 とはいえ、ツアレの件が有ることから、ニニャを上手く身近に繋ぎ止めておく必要がある――ナザリックの良き平和のためにも。

 そして、小動物的には慈しんでもいいかもしれない。結構貴重な、『魔法倍速習得』の生まれながらの異能(タレント)持ちでもあるのは評価出来るポイントだ。

 また、最後の恋かもと決意する戦友でもある顔見知りの少女の淡い想いを、この場でモモンはどうするかを決まる。

 

(……総合的にここで拒むという選択肢はナシかな)

 

 やはり大きな必要性、加えて少しの利点、そしてまあ無下にはできないかという点がそう結論付ける。これは、決して彼女を騙すということはない。モモンとしてもアインズとしても嫌う要素はないのだから。

 

 しかし更にニニャは、今の人気の無い状況を画策した上で大胆にも踏み込んできた……。

 

「明日から遠征が始まれば、こちらへまだ残られるモモンさんとは、しばらく傍に居られません。だから……今夜は……」

 

 ニニャは、頬と言わず顔と言わず耳までも真っ赤にして、良く見れば艶のある瑞々しい唇に、少し俯き加減で潤む青く澄んだ綺麗な瞳を向けてくる。そして、彼女の右手は胸の位置にある、ローブを留めるように閉じている紅い紐を掴んでいた。これから外装を外す準備なのだろう。

 

「……っ」

 

 モモンは、面頬付き兜(クローズド・ヘルム)の中で骸骨の口を僅かに開けたまま固まる。

 

 何という事でしょう……この瞬間、アインズはある意味、少女に追い詰められていた。

 

 このまま「分かった」と単に認めると、当然の流れで漆黒の鎧を脱ぐ羽目になってしまう。

 彼としては、付き合いだけをまず認めて、遠征等も利用し関係をなるべく引き延ばして徐々に対応しようと考えていたが、展開が思いのほか前のめりに早すぎである。

 骸骨の身体である以上、漆黒の鎧装備は外せない。

 また、ニニャが先程見知った好色だろうクレマンティーヌとの男女の関係も歴戦の男戦士として否定できないので、『俺の居た村の掟では、エッチは結婚するまで出来ないんだ』等の好都合的言い訳も既に言えない。

 今、周りには不可視化したニニャ護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)と、モモンの行動等を把握する為にパンドラズ・アクターは居る。とは言え、良策がなければ絶対的支配者の面子として作戦的行動を指示することは出来ない。おまけに差し向かいでニニャと二人切りの状態では〈伝言(メッセージ)〉すら使えない。

 

(な、何かこの状況を回避する手は無いのかよ。モモンの次の動きとして……そ、そうだ、まずマーベロを筆頭にクレマンティーヌを初め、何人も他に女の子がいてもいいのかと聞けば……イヤこれじゃ全然駄目だ。諦められたりでもすればニニャとの良好な関係すら危うくなる。そもそもニニャもそんなことは承知の上で告白してきてるはずだし。強者に何人彼女がいても構わないと。これは……上手くないなぁ。うぅぁっ、モモンとしてもう何か言わなければ、何か――)

 

 その時、アインズの脳裏に「モモンとして」という部分に一瞬の閃きを見て――自力での行動に出る。

 彼は、ずっと演じて作り上げてきたモモンという、漆黒の戦士の人物像に賭けた。

 モモンは堂々と落ち着いて、内容は別にしていつもの(鈴木悟)口調で話し出す。

 

「――――ありがとう。ニニャという一人の女の子として寄せてくれた気持ちを、男として嬉しく思うよ。でも――」

 

 ここから、モモンは凛々しい雰囲気を残しつつも、僅かに申し訳なさそうな態度でニニャに語り掛ける。

 

「君も、昨日の酒場での飲み会で聞いて知っていると思うけれど、俺達『漆黒』は明日の朝に遠征前の仕事があって、これから後で少しその準備をする必要があるんだ」

「――っ!」

「今夜の君の魅力的な誘いは忘れないし、遠征中にでも会う時間を作るから。どうかな?」

 

 ニニャは、少し残念そうに思う表情を一瞬浮かべるも、敬愛する漆黒の戦士モモンの邪魔は不本意以外の何物でもない。こういう状況で、態々口に出した事からも重要度は高いはず。ニニャは普段の『責任感の強い』モモンの人柄から、そう判断する。そして、今の自分の精一杯の誘惑を『魅力的な誘い』と言って貰えて、想いは互いに十分通じていると確信する。加えて遠征中の逢引の約束まで告げてくれたのだ。ここで今日は引かなければ、モモンの『女』とは言えないだろう。

 

「す、すみません、私、明日の予定を考慮してなくて――」

「いや、謝るのは俺の方だよ。一生懸命頑張って誘ってくれたのに」

 

 アインズには分かっている。告白は本当に大変なのだと。

 ニニャは、真っ赤になりつつもコクンと一つ頷く。

 

「あのモモンさん、一つお願いが――」

 

 二人は小屋を後にして、殆ど人気の無い来た道を早速――『手を繋ぎながら』ゆっくりと恥ずかしさに無言で戻る。ニニャは、マーベロを見ていてずっと羨ましいと思っていたから。

 そうしてニニャ達は、冒険者組合の傍の広場に出た所で別れる。既に手は少し手前で離している。彼女はまだ一般には少年ニニャなのだから。

 

「じゃあ。必ず連絡するから」

「はい、モモンさん。明日のお仕事、気を付けて頑張ってください」

「君も、道中気を付けて。そして、みんなに良い形で知らせられるといいね。上手く行くように俺も願ってるよ」

「はいっ」

 

 ニニャはニッコリとして手を振る。その姿はもう完全な少年ではなく、少し女の子になっていた。

 漆黒の戦士モモンは、慕われる側として先に背を向けて男らしく石畳の広場を堂々と歩いて去る。

 しかし――モモンとしてだが、余りに歯が浮きまくった台詞を連発したアインズは、またしても兜の中で、一つ大きく「ふぅーーーーーー(助かった……)」と長い安堵の息を吐いていた……。

 

 

 だが、彼の偶然的緊急回避能力は、このあとの宿屋でこそ絶対に必要になるのだっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌには、マーベロの言葉が()()()「うるさい」と聞こえた。

 彼女は自分が完全に聞き違えたと思っている。なぜなら、この部屋で一緒に居るのは、格下でとても気弱いはずの小娘マーベロであるから。

 だから彼女は、左側のベッドで仰向けのまま、ベッド手前に立つマーベロへ「えっ、何ー?」と聞き返す。

 すると。

 

「うるさい、と言った」

 

 これは、クレマンティーヌにもはっきり聞こえた。

 マーレとしては当然である。今は()()ナザリック勢にとって非常事態に突入したといってもいい情報が入ってきているのだ。

 モモンガ様の直属の配下であろうと、この大事な時に思案中である階層守護者の邪魔するのは許せない行為といえる。でもマーレは、至高の御方に倣って下位の者に優しかった。また、目の前の配下によって持ち込まれた情報は、有益なものがかなり多い。

 だから、「うるさい」なのだ。シャルティアなら既に手や足が出ている。

 だが、「うるさい」と言われたクレマンティーヌは、マーベロに対して自分は上位と思っているので当然顔色を変える。

 ドラ猫の彼女は、鋭い眼光の歪んだ表情を浮かべ、低く唸るトーンで口早の声を部屋へ響かせた。

 

「何? ……ちょっとマーベロちゃん、分かってるの?」

 

 その鋭い眼光が、マーベロの暗黒に満ちる視線とぶつかるかというその瞬間――。

 

 

 コンコンコンコン。

 

 

 扉をノックする音がやけに大きく聞こえて鳴る。

 クレマンティーヌの鋭い眼光は一瞬で先に扉へと動いた。

 それは、今まで気配が無いと思っていた扉の外からノックされたからだ。

 しかしここで、サッと動き扉を開けたのはマーベロであった。

 

「……モモンさん」

 

 彼女の声は少し低め。

 マーベロは当然気が付いていた。そこに居るのが、()()()()()()()()()パンドラズ・アクターだと。

 だが、ベッドの上で飛び起きたクレマンティーヌは気が付かない。

 

「あーー、モモンちゃん! ちょっと、聞いてよ、マーベロちゃんがー」

 

 どうやら相手が超人的強さのモモンの場合、気配ぐらい容易く消せると思っているらしい。

 だが、ここで、偽モモンが右手を前に少し出す形で待ったの合図を送り告げる。

 

「クレマンティーヌ、悪いがちょっとここで待ってて欲しいんだ。急ぎ仕事関係の確認話があって、マーベロと少しだけ先に話がしたくて」

「えーーっ。……分かった。じゃあその後で、マーベロちゃんを叱ってよねっ。この私に、うるさいなんて言うんだもん」

「あ、うん、そうだね、じゃあちょっと」

 

 そう言って言葉を濁しつつ、早めに扉を閉める。

 マーベロらは急ぎ階段を下り、周辺に誰もいない2階の踊り場に移ると、パンドラズ・アクターは非常時として〈伝言(メッセージ)〉を使って兜の中、囁き声でマーレへ話し掛ける。クレマンティーヌは一部盗聴も可能で、普通には話せないのだ。

 

「ダメじゃないですか、マーレ様。マーベロさんの役を続けないと困ります。もうすぐ創造主様がこちらへ戻られます。先に戻って様子を確認せよと言われ――」

「え、モモン――さんが帰って来る?!」

 

 「モモン」まで言ってしまうと「ガ」は言えない。主様との二人切りでとの約束なのだ。

 そして温かく優しい主の事を思い出し、可愛いオッドアイにキラキラの輝きが戻って来る。彼女を闇の淵から容易く引き戻せるのは〝モモンガさま〟しかいない。

 また、すでにパンドラズ・アクターに見られ話を聞いてしまった以上、モモンガ様と会わずにここを離れる訳にはいかなくなった。

 

「うぅぅーーーん」

 

 マーレは視線を落とし、垂れ耳をさらに下げて可愛く唸る。そしてパンドラズ・アクター扮するモモンを見上げながら、口に手を当てつつ小声で呟き〈伝言(メッセージ)〉を返す。

 

「わ、分かりました。仕方ないです。冒険者を続けます。でも――このあとモモンさんの方が大変じゃないですか?」

 

 どうやって二人のモモンの辻褄を合わせるのかという事だろう。

 すると、頭の回るパンドラズ・アクターはあっさりと答える。

 

「それは大丈夫ですので、この場で暫く創造主様をお待ちください」

 

 そう言うとパンドラズ・アクターは、この場から――消えた。

 それから、長く感じる3分ほどすると、普通に階段下から上へと昇って2階踊り場に本物のモモンが現れた。先ほどと同じように〈伝言(メッセージ)〉経由で小声での会話が始まる。

 

「待たせたかな。話はあれ(パンドラズ・アクター)から聞いたよ。大丈夫。上の部屋では、先程からクレマンティーヌに〈ジュデッカの凍結〉(対象の時間を停止)を掛けている。間もなく解除するらしいけど。彼女は一瞬だけ気配を見失ったかもしれないけど、言われたら辻褄は俺が合わせるから。でも、どうしたんだマーベロ。らしくないだろ?」

「は、はい、ごめんなさい、本当にすみません。でもそれは、実は法国の至宝アイテムの中に〝耐性を持つ相手すら精神支配する〟ものが有ると聞いて、世界級(ワールド)アイテムかも知れないと」

 

 それを聞いたモモンも、流石に思わず兜に手を当てつつ、かなりの困惑さを感じさせる言葉を普通に発していた。マーベロのことは言えない。

 

「な、なんだと……。くっ。やはり最大級の警戒は常に必要ということかよ」

「は、はい」

 

 一大人類国家の一つであるリ・エスティーゼ王国の、今までの脆弱でしかない戦力や人材、装備を見てきて、新世界への脅威感と警戒心が下がってしまっていたと反省する。そして、この世界にプレイヤーの存在を熱望しながら、彼らが世界級(ワールド)アイテムを所持する可能性を失念していた愚か者の自分を猛省する。

 モモンは数秒間、視線を落とし左右の床へ彷徨わせるように、今後どうするか考えた。ただ、ここで焦って動くのは愚者のすることである。

 法国に加え、今後はあの竜軍団についても、もはや過小評価や油断は出来ない。竜王以外にも何か特別といえる力を持つ竜兵やアイテムが存在する可能性がある。正面から行く場合は、やはりかなりの危険が付きまとうということ。

 ユグドラシルにおける高レベルでの心理戦の駆け引きや緊張感を思い出し、常に意識して注意深く戦いを進めたいところである。

 この後は、情報の内容を再度確認する上でも初めからクレマンティーヌに話を聞くのが正解だろう。

 知識を仕入れ、対抗する準備をすればかなり危険度は減らせるはずなのだ。

 単純な話、その危険な能力のアイテムが世界級(ワールド)アイテムであれば、こちらも宝物庫に眠る世界級(ワールド)アイテムを出して持たせればいい。違うか不明なら、さらに対抗出来る魔法かアイテムで武装すればいい。

 とりあえず残念な事に、聞いた能力の世界級(ワールド)アイテムについてはアインズ自身の知識で思い当たらなかった。

 ユグドラシルにおいて情報は力であった。そのため結局、世界級(ワールド)アイテムについても能力は、使われて周知された物だけしか知られていない。その数は40種程。つまり、ナザリックの11個も含めて、正確な能力が分かっているのは50種程という事だ。残りの150種は全く不明な能力である。ただ、ユグドラシルでは世界級(ワールド)アイテム全体200種の内、発見されたと分かっている物も約半数に留まる。名をあげたいということで保有事実とアイテム名を出したりするが、その能力は非公開の場合も多い。おそらく有名ギルドの中には、発見と保有事実そのものを隠蔽しているアイテムも有るだろう。なので、今回の至宝も不明な中の一つかもしれない。

 世界級(ワールド)アイテムは、『運営は頭がオカシイ』とまで言われたほどの、中にはゲームシステム全体に影響する能力もいくつかあったりした。また『光輪の善神(アフラマズダー)』のように、たった一撃でカルマ値がマイナスの者に致命的なダメージを与えるという世界広域攻撃アイテムもあった。

 そして、ナザリック地下大墳墓は玉座の間にある世界級(ワールド)アイテム『諸王の玉座』で守られているため、外部からナザリック全域に世界級(ワールド)アイテムの攻撃を受けたとしても内部では無効化される。

 このように、世界級(ワールド)アイテムは、いずれもプレイヤー個人の力を超えた強大で破格の力を持ち、本当に全く油断できない能力ばかりなのである。

 一方、例の至宝が世界級(ワールド)アイテムではない可能性も残る。とは言え、アインズも『耐性を持つ相手すら精神支配する』という強力で危険すぎる能力について、一般的に手に入るアイテムでは聞いたことが無い。

 ならば、これまでの情報からそれは――かなりのレアアイテムということ。

 レアアイテムも、同じ物が五つも六つも見つかるのは稀だ。

 つまり、何れにしても一つ現物を抑えればかなり安心出来る事は確かである。

 

(しかしユグドラシルでは、プレイヤーを現実には洗脳なんて出来ないから、魔法やスキルの『精神支配』は攻撃先の敵キャラやNPCを乗っ取って操作出来る形で存在してたけど。うーん、耐性をも突き破るというのは、やっぱり今までに知らないアイテムだよなぁ。しかし、そんなのもあったんだ。ははっ)

 

 ゲームは終了してしまったようだが、ここで新しいアイテムについて知ることが出来るなんてと、アインズは一瞬だけ面白く感じた。

 しかし――今はすでにゲームとは違う。

 組織を率いる者として、情報を持たない、知らない事の怖さを改めて感じる局面であった。再度気を引き締める。

 そして、思う。

 あの頼もしい守護者達の誰かが『精神支配』を受け、その実行者に媚びへつらわされ好きに弄ばれた揚げ句に、敵として向かってくるという悪夢の可能性の存在を。

 正に冗談では無い。これこそ、決してあってはならない事態だ。

 

(………最悪だな)

 

 ここでふと、宿屋に戻る直前にあったパンドラズ・アクターからの報告と、目の前のマーレの雰囲気に感じる物があった。

 恐るべき能力が引き起こす可能性の脅威に、危険を顧みずこれから単身で動いてくれようとしたのだろう。

 気持ちは嬉しい事だが、余りにもリスクがありすぎる行動。

 それに可愛いマーレが捕まった場合、アウラに何と言えばいいのか、どうすればいいのか。もちろん相手は絶対に許さないが、洗脳されたマーレをどう救えばいいというのか。

 それは仲間が魂を込めて作った、どのNPCに対しても言えること――。

 加えて、更にナザリックの多くの情報が洩れる可能性すらある。敵が強大であった場合、実質的損失はそちらの方がずっと大きい。

 支配者として、苦渋の状況に陥る事になると容易に想像出来る。

 

(…………くっ。いや、まだ何も起こってはいない)

 

 兎に角、今は冷静で周りをしっかり見て的確に判断した行動あるのみ。

 偶然だが事前に、大切なNPC(家族)を守れて良かったとしよう。アインズとして口から、自然と言葉が出てきた。

 

「今回は不問だが、絶対に一人で動くなよ。お前の姿が見られなくなると――とても寂しくなるからな」

 

 モモンの重厚なガントレットが、可愛く左手を口元に当てているマーベロの金色の美しくサラサラで柔らかい髪を、優しく優しく撫でた。

 

「うっ、……は、はい……」

 

 気遣ってくれる支配者を見上げつつ、マーレは改めて思う。

 こうなれば、絶対にお優しいモモンガさまだけは守ると。出来るだけお傍にベッタリくっ付いて居ようと――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌは宿の部屋で、再びベッドへ横になっていた。

 不思議と、モモンの気配を一瞬見失った気もしたが、今は変わらず階下に感じるので気の所為かとも思う。ただ先程、扉の外の気配に気付けなかった事を思い出した。

 

(モモンちゃんだから仕方ないけど。……まあこの二日、移動しっぱなしで余り寝てないし、私も流石に少し疲れてるのかも)

 

 その所為とも少し考えたが、先からずっとモモン達二人の会話がよく聞こえない。

 これは、明らかに自分対策されているようだ。少し寂しい。

 何か冒険者として聞かれては不味い事があるのだろうか?

 

「もーー、モモンちゃん。私、誰にも言わないよ?」

 

 なにか、冒険者モモンチームの中で疎外感を覚えてしまい少し面白くない。

 だがここで、ふと正解と思われる理由が浮かんだ。

 

(あっ、も、もしかして! モモンちゃん、私に関してのエッチなことなんじゃ……。ふふっ。でも、もうすぐ全部隅々まで分かっちゃうのになぁ。相手がモモンちゃんなら、強引とか、大きさとか、痛みとか多少難があっても全然気にしないのに。でも、やっぱり彼も漢としての立場があるよね。うんうん)

 

 もはや思考がこの後の桃色行為で一杯のクレマンティーヌは、変に斜め上の発想で全てに納得していた……。

 また、クレマンティーヌはここで重大な事に気が付く。

 

(そうだ、身体をキレイ綺麗にしておかないと。あ、でもっ。……モモンちゃんって、どっちが好みなのかな。聞いてからにしーよぉっと。んー、でも、最初ぐらいは綺麗な方がいいよね、やっぱり)

 

 もはや手に負えない感じに盛り上がっていた……。

 それと彼女は、マーベロの「うるさい」と向けてきた言葉にも結論を出している。それは、トロい感じのマーベロへあれだけ一度に色々と情報を伝えたため、覚える事へ必死になってしまったと判断したのである。

 あとでモモンへと伝える為に、一生懸命覚えようとしていたのだろう。カワイイではないか。

 個人的な無礼であったなら許さないが、彼へ尽くそうと努力する気持ちは良く理解出来た。同じ男への愛ゆえなのだ。ここは、上の者として大目に見てやるのもいいだろうと。

 とにかくクレマンティーヌは、愛しのモモンが絡むと『べらぼー』に弱かった……。

 そんな形で勝手に色々不問になったところで、モモン達が階段を上がり始め、3階のこの部屋の扉前まで来る。

 まるで猫が玩具を見つけたように、感知するクレマンティーヌは再び上体を素早くベッドから起こした。

 室内がすでに桃色で充満している空気の中、扉は開く。

 

「モモンちゃん、モモンちゃん、早く、早くーー」

 

 モモンがマーベロを引き連れて入って来ると、もはや餌をねだる小動物と化しているクレマンティーヌがモモンに可愛く甘く抱き付いてきた。すでに、ローブや両腰の剣に鎧もベッド脇へ脱ぎ置き、綺麗な刺繍の入る胸の強調された白のブラウスに、白いフリルのあるこげ茶生地のホットパンツ姿であった。

 一方、モモンは現在それでどころでは無い。人間のままであれば美人の彼女の色香にグラっと来ただろうが、今の彼は純粋なアンデッド。性欲は二の次どころか、五の次ぐらいに落ちていた。

 胸へ飛び込んできて収まる色欲の令嬢の両肩を掴むと、モモンは容赦なく告げる。そしてその言葉には、先程ニニャが居て聞けなかった第一声を含んでいた。

 

「待ってくれないかな、クレマンティーヌ。まず――君はなぜ今日、ここにいるのかな?」

 

 そうである。

 本来は、その理由をまず確認すべきなのだ。

 予定では、定例報告は五日後にスレイン法国の神都で行うつもりであった。もちろんこちらは遠征地から転移系で最上位の〈転移門(ゲート)〉を使っての移動である。

 二週間程前、彼女との別れ際に聞いており、特に監視対策されていないと教えられた神都の外れの建物が疎らである会合場所は、すでに第九階層の統合管制室から『遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)』により確認済である。

 モモンは真剣な言葉を続ける。

 

「それと持ってきてくれた情報を改めて先に聞きたい。マーベロから少し聞かせて貰ったけど、途中にとても大事な情報があって、漏れが無いかもう一度確認したいんだ」

 

 一人盛っていたクレマンティーヌは、またお預けをくらい切ない顔をするも、モモンの凄く緊迫感のある雰囲気に折れた。

 

「うー、わかったー。モモンちゃんのお願いじゃしょうがないよね。それに、モモンちゃんが来てから話そうと思ってたことも結構あるしー、んふっ」

 

 モモンは、クレマンティーヌの顔をまじまじと眺めて思う。マーレからは依頼した項目の情報を、ほぼ得られたのではと伝え聞く。なので、まだ他にも驚く事実があるのではと、その情報に不安と期待が入り混じる。

 それと、よくこれだけの機密情報が持ち出せたものである。

 猫っぽい彼女はモモンの胸から離れると、さっきまで寝転んでいた左側のベッドへ腰掛けるように座る。そうして、その右隣をぽんぽんと叩きつつモモンを招く。

 

「モモンちゃん、ここに座ろ座ろうー」

「ああ」

 

 こうなれば、気分良く全部話してもらうため、そこにモモンは素直に腰かける。

 すると――クレマンティーヌは、ごろんと彼の膝の上へと横に左側から倒れてきた。

 せめて、愛しの伴侶の膝枕で甘えたいという作戦のようである。

 その態度にマーベロが、思わず怒り気味に声を掛け、モモンも続く。

 

「あ、あの、クレマンティーヌさんっ!」

「お、おい」

「分かってるってー」

 

 相変わらずひんやりと、そしてまるで肉質を感じない程堅いモモンの心地よい鎧膝へ、久しぶりにスリスリしながら、クレマンティーヌは話し始める。

 

「私がここに来れたのは、漆黒聖典の全員が竜軍団の退治に出陣したからなのよねー」

「――えっ」「なっ」

「あと、法国の至宝“ケイ・セケ・コゥク“を着たカイレの婆さんも一緒に出陣してるわよー」

「「――っ!!」」

 

 サラっと流すその言葉に、モモンとマーベロは衝撃を受け固まっていた。今猛烈に、ナザリックにとって一番の脅威が動いているというのだから当然だろう。

 

 だが、逆に言えば――これは鹵獲の絶好の機会とも言える。

 

 同時にアインズとマーレはそう考えるが、マーレは、絶対にモモンガさま抜きで作戦を行うべきだと考える。一方、アインズは、ここは世界級(ワールド)アイテムを常時所持し、多くの超位魔法も使える自分が最前線に立つべきだなと思考していた。

 しかし、今回は慎重に進めるべきだという考えは共に同じで、どちらも口にはしない。

 モモンは、己の膝上へ横になってその右膝に頭を置き、意図して女体の柔らかさをスリスリと直に伝えてくるクレマンティーヌへ尋ねる。

 

「漆黒聖典の部隊が動いているのは分かったよ。それで、君は1人でここにいていいのかな? それに俺とマーベロは1週間ほど前の夜に、この都市に近い郊外で漆黒聖典と思われる大きい盾を持った奴らと会っているんだけど?」

 

 モモンは、アルベドに奴らの追跡指示を出しているが、そういえば数日前にまだ王国内を随時移動中だとしか報告を受けていない。

 彼の言葉を聞き、ニンマリしなから背を反らし胸の双丘を強調しつつ色っぽく仰向けになった彼女は答える。

 

「ああー、そうなんだ。えーっとね。その連中が評議国との国境付近で、確か煉獄の竜王(プルガトリウム・ドラゴンロード)だったかな、それを見つけて、その後から竜軍団は王国への攻撃に向かったみたいよー?」

「それって、奴らが引き金ってこと?」

「知らなーい。でも、違うんじゃないかな。あの盾を持った奴――セドラン……って言うんだけどー、バカ正直な奴だから、そうなら報告してくると思うんだよねー。それが無かったから、元々侵攻するつもりだったんじゃないかなー」

 

 クレマンティーヌは、セドランのことを『~のオッサン』と言いそうになったが、先日のモモンの顔も結構相応の年齢に見えたので口にしていない。モモンちゃんは違うもん、と。

 

「なるほどね」

 

 彼女は予想以上に冷静で、詳細に物事を捉えている。やはりかなり使えるとモモンは判断する。

 クレマンティーヌは、まだモモンには知らせていない情報を補完しつつ話を続ける。

 馬車で移動するセドラン達は、その後、本国へ直接帰らず王国の大都市リ・ボウロロールの秘密支部に情報を知らせ、本国の本部内の遠距離から六色聖典の一つである風花聖典の一部隊によって『支部の庭に示されていた情報』が取得されたという。

 どうやら間違いなく、法国は人間個人では足らない力を部隊で実現しているようだ。だが、その能力も限られてはいる様子。

 それからセドラン達は、今、このエ・ランテルを目指していて、ここで本国の指示を受け取る手筈。その指示役をクレマンティーヌが担っており、この場から王都の北にある森まで取って返す形で進み、漆黒聖典の全員が合流することになっているという。

 ここでクレマンティーヌは、更にモモンらが少しドキリとすることを告げてきた。

 

「そういえばー、元々竜王出現の予想が出ててー、それに対して部隊全員で出る予定だったのよ。その出撃の直前にさー、急に〝アインズ・ウール・ゴウン〟? ――っていう凄く強いらしい魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一行が襲って来る話が、機密作戦で生き残って帰還した兵達から上がってきてねー、私らの部隊の多くは神都でその迎撃待機することになっちゃったんだ。結局その魔法詠唱者(マジック・キャスター)達は現れず、1週間ほど前に王都へ向かったみたいだけどー、それでセドラン達3人だけで竜王の確認に行ったんだよね。初めの予定通りにウチの〝神人〟の隊長を含めてさ、漆黒聖典の全員と至宝使いのカイレの婆さんも一緒に出てればー、竜軍団の都市を滅ぼす大暴れは防げたと思うけど」

「(神人の隊長……)……そうか」

 

 クレマンティーヌは自信があるように語った。例の至宝がある為だろうか。それとも、実際に聞いた、神の血を引きその一部の能力を発現させる『神人』である隊長の想像以上の強さなのか――。

 そして、少しのことでも歴史は変わる。

 カルネ村を襲った騎士を全て殺していれば、大都市エ・アセナルが消えなかったかもしれないと。

 モモンは王国で、大都市エ・アセナル壊滅の話を聞いた時も感慨は特に湧いてこなかった。鈴木悟だった時にニュースで聞いた、住宅街の一角で大量に発生した白アリの大群がすべて駆除された程度の感覚。

 

 

 ――邪魔者や弱者は単に消え去るのみ。

 

 

 それが自然の法則であるし、この新世界に生きる者の宿命であり現実だ。

 『たられば』はもう済んだ過去の話。状況はもう戻らない。それに、Lv.89の竜王率いる軍団300となれば、漆黒聖典も敗れる可能性はある。神人も至宝も上空の竜王には射程的に届かない事もありえるからだ。

 すべては、実際にその状況にならなければ分からない。

 さて、とりあえずクレマンティーヌが今、この場に居る理由と漆黒聖典の動きは把握出来た。

 

「クレマンティーヌ」

「んー? ――ぇっ!」

 

 クレマンティーヌは仰向けの艶っぽい姿勢のままで、モモンに頭を撫でられていた。

 

「よく知らせに来てくれたね。ありがとう」

 

 クレマンティーヌは伴侶からの撫でに頬を染め、ゆっくり目を閉じて悦楽の表情で受けていた。

 これは、アインズとして正直な気持ちである。持ち込まれた情報は値千金。ナザリックに多くの対策や安全をもたらすだろう。

 

「悪いけれど、マーベロに話した内容を確認がてらもう一度話してくれるかな?」

「んふっ。もちろん、いいよー。じゃあ、モモンちゃん聞いてね」

 

 膝枕に待ち望んだ優しいナデナデを貰い、表情がニコニコのクレマンティーヌの語りは絶好調で全ての情報を吐き出していった。

 30分ほどで、マーベロにも話した一通りの語りが済む。時折、マーベロから囁き調の〈伝言〉により彼の頭へ補足報告が入る。難度についてや、先程聞いた内容と言い回しは違うが同じである等々。

 淡々と語るクレマンティーヌの兄の情報もあったが、実のところ死の騎士(デス・ナイト)水準のモンスターを数体召喚出来たところで問題は無い。

 あと、周辺国についてだが、東には竜王の女王が居ながら小国である竜王国。西には数多の亜人部族らが紛争しているというアベリオン丘陵があるとの情報を聞くも、それらの存在は某陽光聖典隊長の調書情報ですでに知ってはいた。

 さてクレマンティーヌの情報で、気になったのはやはり秘宝と至宝、神人が3人いること、それに出撃中の隊長の装備。

 加えて更なる恐るべき情報があった。

 

 スレイン法国を随分南に、戦争中のエルフ王国を飛び越え、更に広大な砂漠を南奥へ進むと空中都市があるという――。

 

 3人目の神人と空中都市の話は、マーベロの時に漏れていたという追加の情報だ。ただ3人目の神人は、脅威度は低そうなので、アインズ的には流した感じである。

 対して、空中都市についての話を聞く雰囲気は一変し緊張する。

 都市の周辺は空中都市から流れ落ちる豊富な水で地上には豊かに緑が広がり、それを含めて広大な結界が張られた上、屈強である衛士達が居て入れないという。

 空中都市周辺の物理的規模は、ナザリック以上の大きさの可能性もある。立ったままのマーベロとベッドに座るモモンは、『これは、一つのアイテムの脅威どころじゃない』と、暫く目を合わせて沈黙していた。

 それだけ巨大である物体を永続的に浮遊させる点と、随分広い領域に対しての結界持続の其々で、世界級(ワールド)アイテム級の能力が使われている可能性が高い。いずれも長期的に個人で展開するには限界のある能力と言える。拠点に有用な世界級(ワールド)アイテムはナザリックでも使用していたりするのだ。

 

(相手は大ギルド規模……これは、プレイヤーがいる可能性が凄く高いかも。早めに直接行ってみたいけど、実態が分かるまで危険だよな。いきなりPK(プレイヤーキル)される可能性も十分あるし。まあどう対応するかは、例のレアアイテムを入手して、周辺が落ち着いてからかな)

 

 今は、目の前の問題が結構山積みである。ここは順番に片付けるべきだと絶対的支配者は判断する。

 モモンはここで、空中都市の件を一旦おき、漆黒聖典について考えていた重要点を確認する。一瞬、クレマンティーヌに『ユグドラシル』という単語について仲間内で聞いたことが無いかを尋ねそうになった。しかし不用意でもある気がして、彼は人口管理に戸籍が使われている事を思い出し、別の質問を期待を込めて投げてみる。

 

「一つ聞きたいんだけど、漆黒聖典のメンバーは全員、スレイン法国の生まれなのかな?」

「んー? ……えーと、そうだけどー、それが?」

「……そうか(近年突然に、他所から来た奴はメンバーにいないのか)いや、単によそ者は居ないのかと気になっただけだよ」

 

 精々Lv.40程度だろうが――人間である。もしかすると、プレイヤーがいる可能性があるのではと思ったのだ。

 これでまた手掛かりが一つ無くなった。近隣国にプレイヤーは誰も居ないんじゃという不安が僅かに広がる。一方で、周りの者のレベルが低いと、面倒な仕事ばかりが回ってきて鬱陶しいと思うプレイヤーもいたはずで、各地に隠遁している可能性はまだあると考えていた。その点で、近代では類を見ないという、今回の竜軍団との一大決戦には結構期待している。

 クレマンティーヌは、先のモモンの考えへ丁寧に説明してくれる。

 

「私の部隊の漆黒聖典はねー、人類の繁栄を願って他種族から守ったり亜人種らを排除するためにー、全国民から選りすぐった切り札的部隊だからねー。基本的に法国の思想を小さいころから学んでてさ、実践する者しかいないんだよねー。私は、まあ珍しく違うけど」

 

 色々捻くれていた彼女の場合、傍に潜み隙を突いて兄を殺せれば、他はどうでも良かったのだ。そして彼女の話から、メンバーの誰かに頼むという手段で兄を抹殺出来なかった理由が分かったように思う。だから、秘密結社ズーラーノーンとも繋がろうとしていたのだろう。

 

 さてアインズの願望であるプレイヤー探しだが、クレマンティーヌの話からどうも表社会に彼等は中々居そうに無いので、やはり王国の国難に際し、当面傍観して登場を気長に待つことになりそうである。

 ただここで、強力そうな漆黒聖典が出てきたことで、少々ややこしくなってきた。

 アインズとしては、王国が竜軍団により、更なる甚大な被害を出して苦境に立ち、その期間があと半月も過ぎれば、おそらくプレイヤーらにも状況が伝わって、流石に助けようかという気運が高まり腰を上げるはずだと考えている。

 一方で、アインズは漆黒聖典達の実力を見させてもらい、そのあと側面からの奇襲で問題のアイテムを鹵獲したいところ。

 だが、漆黒聖典の動きは人類側の被害の最小化を目指して時間稼ぎすらせず、さっさと竜軍団に挑みそうである。

 

「クレマンティーヌ、漆黒聖典は王都の北東にある森で合流完了のあと、すぐに竜軍団へ戦いを仕掛けるのかな?」

「おそらくねー。だってノロノロしてると、対抗手段の殆ど無い王国の人間は皆、丸焼きか奴隷になっちゃうでしょ?」

「まあ、そうだよなぁ」

 

 つまり、アインズの考えるプレイヤーの件と、漆黒聖典らの行動は、待ち時間として『長め』と『短め』が反目する形になっているのだ。

 

(どうすべきかなぁ……)

 

 仮にこのまま放置し、漆黒聖典らが先攻して竜軍団を倒したとする。公式には機密部隊であるが、法国が動いたことが伝わると王国に法国の大きな影響力が発生し残るだろう。

 そして脅威のアイテムも漆黒聖典傍に依然存在し、更に名声も法国側が全部持って行ってしまい、プレイヤーの存在も不明のままだ。

 

 つまりこの場合、ナザリックにとっての利点は全くない。

 それどころか、法国の影響が伸びてくると、王国の王都周辺で堂々と『アインズ・ウール・ゴウン』を名乗る魔法詠唱者(マジック・キャスター)一行の身が危なくなりそうだ。

 

 次に、ナザリック勢の暗躍等も含めて、竜軍団が漆黒聖典に完勝した場合(クレマンティーヌは離脱か救助)は、貴重だと考えるアイテムの一部が竜軍団へ移ることになる。

 竜軍団は相応の被害を受けるだろうが、竜王が無事なら総戦力はほぼ変わらないはず。いや、脅威度は更に増すはずだ。

 それに向かって、王国軍は戦わねばならない。王国軍の主力の敗北は計画通りだが、その状況から続いてアインズ達も動く事を強いられる。

 これだと王国軍は、より早期敗退が濃厚で、プレイヤーの存在有無の確認は期間的に微妙であろう。もしプレイヤーが加勢にこなかった場合、漆黒聖典のアイテムを引き継いだ竜軍団を正面から相手にする件や、法国の軍事力が下がり周辺のパワーバランスが不安定になる恐れを考えると、高確率で下策になりそうだ。

 

 あとは、アインズ達が先に漆黒聖典を闇討ち的に襲い、レアアイテムを一部取得した上で彼等を法国へ撤収させ、王国軍の主力(蒼の薔薇含む)が竜軍団に負けてから、アインズ達が再度動くという従来に近い作戦に至る。

 これなら、各状況で一番有利に戦えるだろう。

 特に今は――漆黒聖典達がバラけているという好条件付きでもある。

 

 モモンが途中でも考えた気になる事は、今、法国が最強部隊である漆黒聖典を全て失った場合、その勢力圏が早期に崩壊する恐れはないかということ。

 その疑問を解消すべく、モモンは口を開いた。

 

「漆黒聖典のメンバーが1人……例えば君が引退した場合、後釜はいたりするのかな?」

「えぇっ、もしかしてー寿引退とかー? まあ、そんなの無いんだけどー。メンバー交代は、死ぬか、大きく貢献してきて年齢的にか、それか失踪(トンズラ)するかなんだよねー。んーと、確かねー、難度100ぐらいの奴らが数人いたはずー。だから私の場合はー、そのうちトンズラしてモモンちゃんとこでコッソリ世話になるつもりだよー」

 

 ナザリック的に言えば彼女の強さは低レベル域だが、この人間達の支配する近隣での戦闘水準なら強者。仮に追われても、魔法も使える誰か……仮にハムスケ辺りと組ませれば、粛清に来るだろう格の落ちた聖典の後輩達に早々負けることは無いはずだ。

 

「なるほど(補欠も少しはいるんだな)、今5人ぐらい代わっても大丈夫ってこと?」

「んーまあ、兄や隊長、“番外席次“がいる間は総戦力的には問題ないかなー」

 

 彼女の兄クアイエッセは兎も角、特に〝神人〟の『隊長』と『番外席次』は、戦力的に代えがきかないということのようだ。

 またアインズとしては、老婆が装備するという至宝と、神人とその装備ぐらいにしか興味が無い。あと、約束であるクレマンティーヌの兄を殺せれば十分である。

 法国の南にあるという謎の多い空中都市の件もある。その近隣へのこちらの過剰な動きは、藪蛇になる恐れが考えられる。

 漆黒聖典全てを討たなくても、今は本国へ撤退させるのが最良に思える。

 

(今回、おそらく脅威順と戦力期待としては隊長、老婆で其々半分近くと三分の一を担い、その他で残りかな。隊長と老婆が十分機能しなくなれば、戦力不足から普通に撤退するはず)

 

 アインズとしては、ナザリックにとって単に短期的な影響と現実的実利を考えれば、身近な脅威排除として法国の漆黒聖典の全排除やレアアイテム群取得が優先である。

 しかし広域に、そして長期を見る場合、個人的理由と共にナザリックにとっても、空中都市の様なプレイヤー関連と思える存在は、なるべく早期に確認すべき事象なのだ。

 それは、世界征服計画が進行する前に、この新世界におけるプレイヤー達の存在規模の把握と同時に手を組んでおきたいためである。

 

 なぜなら、もし予想以上に多くの高レベルプレイヤー勢が隠れている場合、ナザリック戦略会議でも考えていた事だが、世界征服計画は―――暴挙に他ならない。

 

 現実がそうなら、アルベドやデミウルゴスらの守護者達への計画変更も説得しやすいだろう。彼等もナザリックの存続が大事であって、世界征服がそれより優先という訳は無いのだから。

 概ね予定通り、亜人達を配下にした建国辺りで止めれば、人間種のプレイヤー達とも大きく問題にならないだろう。

 アインズとしては、世界征服について、守護者達の希望を汲んでいるところが大きい。

 しかしプレイヤー達と交流出来て、ナザリックが守れるなら、それ以外は大きく譲ってもいいと彼はずっと考えている。

 

 とはいえ、これは世界征服を目論む絶対的支配者に比して、『弱さ、恐れ』の部分であり、既に一度は守護者達に伝えているが彼等に多くは見せられない姿。現実がそうであった時までは、極力秘めるべき『妥協思想』である。

 それまでは、最強の指導者として『覇者』を演じ続けなければならない。

 

 今、新しい脅威や未確認事項がナザリックの持つ新世界の情報に続々と増えつつある以上、可能な限り蛮勇的で愚かしい手は避けたいと思うのは統率者として当然と言える。

 情報はまだまだ不十分であり、今回の漆黒聖典についての対応は至宝アイテムの一つと、可能なら隊長の装備取得と、拘束か一時無力化で十分だろう。

 これなら、クレマンティーヌに関しても情報源としてそのまま生還させられるし、現状維持もできる。

 

(……全てに悪くないかな。さてしかし、作戦はどうしようか……)

 

 ここで改めて考えると、セドラン率いる別働隊を個別で撤退させるのは、()()()()()と中々難しいように感じた。半殺しにしても治療薬で復活するし、撤退後を考えると装備を奪う訳にもいかない。すると、一旦は止められるがやはり『隊長』らと合流しようとするだろう。なので、合流させた上で『隊長』に遠征を断念してもらう方が、流れ的には面倒が無さそうに思える。

 その場合は――。

 クレマンティーヌから目線をゆっくりと上げたモモンことアインズは、まずこの作戦に最適な人材を閃く。

 

 

 それは――――一度、彼らの一部に吸血鬼の姿を目撃されているシャルティアである。

 

 

 既に、強さと存在を知られているため、急に登場し襲われても不自然さがもっとも少ないと思われる。

 絶対的支配者もマーレ同様、隊長の推定レベルは85から90と判断している。そして、至宝を持っている老婆。だが戦闘力的にはいずれもシャルティアの敵では無い。

 階層守護者の彼女へ創造主ペロロンチーノより与えられた真剣な戦闘職と魔法職の構成は、最高に近いバランスで配分調整され、守護者最強という凄まじいポテンシャルを発揮している。

 また、シャルティアには豊富で強力なスキルの中に切り札の『死せる勇者の魂(エインヘリヤル)』がある。これは、魔法は使えないが、戦闘力はそのままの白い光体姿のシャルティアの分身である。

 圧倒的である近接攻撃力をそのままに、最悪乗っ取られても短時間で、自動消滅するという後腐れの無さは最適と言える。〈転移門(ゲート)〉で突入前に、ナザリック内から出しておけば危険度は更に下がるだろう。

 これを森へ集結待機した連中へ遠隔(シャルティアも完全不可知化等探知されない距離で森には居る)で突っ込ませ、最高速状態で対象を絞って近場の側面から不意で非直線的に攻められれば、低レベルである人間の老婆に的として捉えられる訳がない。

 5秒もあれば勝負は付くはずである。

 例の至宝が無力化出来れば、シャルティア本体も合流出来る。その後は生かすも殺すも余裕だろう。まあ、吸血鬼の姿でという制約があり、相手には若干のハンデは与えるが、ほぼ完璧なプランと言える。

 だが――とここで、支配者はそれを取りやめ思い直す。

 

 

 

 万が一がある。

 

 

 

 もし、慕ってくれている可愛いシャルティアが法国に奪われた場合、他守護者達やナザリックの者達に凄く辛い思いをさせることになるだろう。恐らく一番は当人だ。

 そして、丹精込めてその彼女を作っていたペロロンチーノさんに本当に申し訳が立たない。

 これは、自分の計画が甘かったで済む話でも納得出来る事でも無い。

 失敗は許されない。

 今回は、ユグドラシルですら経験したことのないぐらい危険度の高いレアアイテムなのだ。

 ナザリック地下大墳墓内で、最も装備や使用魔法が充実していて経験の豊富な自分が、やはりここは矢面に立つべきだと考える。

 支配者は、別の案を考えることに決めた。

 

 

「――――ンちゃん、モモンちゃん?」

「――ん? あ……」

「もう、どうしたのー?」

「い、いや。大丈夫」

 

 モモンは一瞬、思考の袋小路に入ってしまっていたようだ。

 クレマンティーヌは彼のそんな様子にも不機嫌になることは無くニッコリと微笑む。それは歪みの無い純粋に恋する乙女の可愛い笑顔。

 

「モモンちゃん、えっとねー」

 

 どうやら、クレマンティーヌの話にはまだ続きが存在する様である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. アダマンタイト級冒険者チーム『朱の雫』の戦いは終わらない。

 

 

 廃虚が一面に広がる旧大都市エ・アセナルには、いまだ薄らと煙が数本立ち上っている。

 現地側に残っているアズス・アインドラら三名は、竜軍団宿営地に隣接する劣悪な捕虜キャンプから少し距離を取った林に潜み、継続して現地状況を確認中であった。

 あの全てが燃え落ちる、本当に絶望的であった戦いから早くも丸4日。

 体力に自信があった彼等にも疲れが見え始めている。

 いや、出合い頭の渾身の大魔法が完全に反射され、それ以降は混乱する中、竜兵を数体倒した程度で鱗を剥ぐ暇も無く、ほぼ何も出来ず数十万人の丸焼きを見せられた事から、体力以上に開戦当初から精神面で大きくダメージを受けていた。

 しかし、家や財産、家族達を失った上で、竜達に今なお拘束されている多くの一般市民達の事を考えると、人々の期待に応えられなかったアダマンタイト級冒険者が弱音を吐いている場合ではない。

 地上の大部分が焼き払われたため、食料が十分に無い現状。潜んでいる『朱の雫』等ですら中々確保が難しい有様に、人口過密に加え治安も崩壊した捕虜キャンプ内は更に深刻だ。精神の狂った者達が些細な事で無意味に殺戮を繰り返し、その者らも道端で普通に白昼、集団撲殺される異常と化した領域。

 建物は焼け残った柱を地面に突き差し、ボロボロの布切れを紐で繋いで雨を僅かに凌ぐ程度。吹きさらしとほぼ変わらない。そういった生活の場に加え、食料も初めから在庫確保が微妙である上に管理も酷く、一部として大量に焼けて残った家畜や●●の肉も多く混ぜられ、水を足されつつ腐らないように、キャンプの端へ大量に並ぶのが見える大釜で延々煮詰められているモノと聞く。

 そのスープが大き目のカップに半分と、パンの切れ端が少し。すでにそれほどの水準にまで落ちている。

 このままだと、あッという間に食す物は無くなり半月で死人が出る程干上がってしまうだろう。

 生存する推定9万人もの食料は尋常な量ではない。1日2食にしても18万食。1食少なめに250グラムとしても、毎日45トンもの食事量になるのだ。

 竜族としては家畜程度に思っている人間達に、どこまで施しが続くか不安が広がる。

 『朱の雫』で残留組3名の食料については、メンバーで一番身軽であるアズス自身が時々自慢の走力と〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)〉で、ここから70キロ以上離れた周辺の街や村々から、割高に銀貨で譲ってもらったものを充てていた。

 

 今回の戦いでは伝説と言われていた竜族が、実に賢く同難度と比べ圧倒的強さだという事実をまざまざと思い知らせてくれている。

 1000人程もいた大都市エ・アセナルの冒険者達は、竜兵達10体程度の死と引き換えに――完全に敗れ去った。生き残ったのは逃げ切れる技術を持った上位階級を中心に僅か100名程度。壊滅と言える水準の被害である。

 夜目も完全な彼等竜族には隙が殆どなく、隠れて逃げ切る事も難しい状況であった。現に、捕虜の脱獄者らも100%見つかり、見せしめとして罰則的に引き裂かれて吊るされており、2日前からは捕虜達の脱走は無くなっている。

 ただ、それは直ぐに殺されないという可能性を知ったからというのもありそうだ。

 どうやら捕虜達は評議国本国へ奴隷として送られる事が周知され始めたらしく、ここから逃げて潔く殺されるか、他国で奴隷として生きて死ぬまでこき使われるかの二択を考えることになっている模様。

 あとは――密かに淡いが王国の底力を信じて三択目となる救援を待っている者達もいるだろう。

 しかし世界にも少ない『逸脱者』クラス以上の魔法を放ち、かなりの知識があるアズスにしてみれば、今の王国にあの驚異的である竜王を上回る戦力は王家の宝物庫を漁っても無いと思えた。

 わずかだが、姪の持つ魔剣キリネイラム。これを制御不能とした完全暴走時の超破壊力に竜王を巻き込んでどうかというぐらいしか考えが及ばない。

 おまけに、魔剣キリネイラムを暴走水準で起動させるには恐らく膨大な魔法量が必要で、実現は到底無理だと今は考えている。

 つまり――上手い手は、現状全く浮かんでこない。

 2日程前に、何故か竜王が夜中に都市部跡で大暴れしていたが、王城から何か動きがあったと思いたい。

 さて、現地情報の伝達についてだが、王城に居る『朱の雫』リーダーのルイセンベルグと一緒のセテオラクスが遠視特殊能力(スキル)生まれながらの異能(タレント)持ちなので、彼の力を利用予定だ。

 しかし、その距離は110キロぐらいが限界らしく、王都からその限界域近くの大地に文字を書く形で知らせる手筈。アズスは食料買い出し地から足を延ばす形で、今からその地へ向かう。

 

「では、行ってくる」

「頼んだぜ」

 

 残る側も出る側も、互いに今はこれ以上何も出来ない自分達の非力さへの歯痒さが表情に出ている。アズスは隠れ家である狭いテントの中に座る仲間二人に向かい、これだけを言っておく。

 

「くれぐれも油断するなよ」

「分かってるさ」

 

 あの時、何も出来なかった――。

 百竜長ですら怪物過ぎた。アズスの使う魔法以外では避けようともしない。結局、百竜長を1度としてダウンさせる事すらかなわなかったのだ。

 リーダーのルイセンベルグの振るう聖遺物級(レリック)アイテムの『疾風の双剣』は流石に有効であるが、百竜長の難度は実に180程。

 強力な魔法の殆どと物理攻撃が通じないその強靭さは、どう考えても異常であった。

 多少その頑強である鱗の一部を砕き割り、鋼鉄以上の筋肉を薄くは切り裂けても、その下にある1メートルは優にあるだろう分厚い胸筋や背筋を断裂させるには双剣を使う人間のルイセンベルグが非力過ぎた。

 ガゼフ以上かと比較される剣技を持つ彼でも、精々難度で110程度しかない。加えてアズスの魔法力の大半が失われていた『朱の雫』では押し切れなかった。

 難度で実に150というイビルアイもいる同じアダマンタイト級の『蒼の薔薇』達に比べると、突出したエースと、平均的な地力で劣っていたのだ。

 さらに乱戦が特定の指揮官を討ち取る難しさに拍車を掛ける。

 結局、早々に戦線が崩壊し惨敗の形で、無勢で逃げ回るしかなかったのである。圧倒的存在の怪物らに殺されるかも知れない死の恐怖と戦いながら――。

 

 気が付くと、アズスの見下ろす仲間の一人の手にいつの間にか震えが来ていた。

 彼はその手を握り締め、苦笑いをしながら呟く。

 

「……分かってるさ」

 

 今は、恐怖や全てに耐える時なのだと。

 アズスは無言で目を閉じ背を向けると、報告のため潜む林を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. 黒の王女様

 

 

 王都リ・エスティーゼのロ・レンテ城城内のヴァランシア宮殿に王族と特別使用人数名のみしか入れない場所がある。その一角に昼間、出入り口が閉ざされた部屋が一つあった。

 その部屋の主である彼女の名は、ルトラー。

 フルネームは、ルトラー・ペシェール・ラドネリス・ライル・ヴァイセルフ。黄金と呼ばれし、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフの姉であり、リ・エスティーゼ王国第二王女である。

 普段から彼女の衣装は、美しい金髪が良く映えるほぼ真っ黒であった。綺麗なレースのフリルが付いた王女仕様のドレスの、上から下までが真っ黒なのだ。お風呂に行く時以外では脱がない薄めの長靴下も靴も当然黒である。

 彼女は黒い色が大好きであった。

 なので、部屋の白い壁を除くと絨毯も机も椅子もカーテンもベッドも基調は黒色になっている。

 その黒い椅子へお淑やかに腰掛けるその美貌は、第三王女のラナーと似ており遜色がないほどの美しさである。いや、似ているというか、そっくりというか――。

 その瞳、ラナーの青よりもより緑に輝き、またその胸の双丘は一回り程豊かにも見える。

 しかし彼女は生まれつき足が不自由であった。

 勿論、父である王のランポッサIII世は彼女が幼少の頃、高名な信仰系等の魔法詠唱者を幾人も招き彼女の脚の治療を行わせたが、何故かその効果は皆無であった。

 

 

「陛下、恐れながら申し上げます。これは――強力な呪いだと思われます」

 

 

 ある日、王城を訪れ治療を行った高名な神官が、人払いのされた部屋の中で王へそう告げてきた。

 

「の、呪いじゃと?」

 

 ランポッサIII世は、腰が抜けそうに驚く。意味が分からない。

 人口が150万に迫る王都でもそんな不幸を持つ子供の話は昔も含めて聞いたことが無い。

 

「大変に申し上げにくいことですが、これは一生治りますまい」

「あぁ、なんということじゃ……」

 

 今も少し離れた椅子から、幼いながらも成長すれば美人になることを想像するのが難しくない、整った愛らしい笑顔をこちらへ向けてくる。

 しかし王女と言えば、全王国民皆の憧れの存在と言える。

 そういった立場の人物が『呪われている』など知られる訳にはいかない。診察した神官へ固く口止めし、この事実は王家の中でも封印された。

 そして――彼女は僅か4才にして表舞台から姿を消すことになった。

 彼女は重い不治の病ということになったのである。それから、時が10年を超えて過ぎた。

 だが、ルトラーは足以外は凄く健康であり、頭もすこぶる良かった。

 ある日、兄のバルブロはこっそりラナーの解いたのと同じ難解極まる計算問題を見せたところ、妹とほぼ同じ速度で解いてみせた……。

 兄のバルブロは一瞬寒気がした。

 妹と違い秘匿の面もあって、ルトラーには――教師が誰一人付いて居なかったのである。

 ただ、部屋へ知識になる本は沢山置かれているし、おそらく偶に来るラナーから教わっていると思われた。

 

 彼女が今日も黒い椅子に座って本を読んでいると、扉がノックされた。

 そして、使用人の『婆や』が扉を開けると兄のバルブロが部屋を訪れる。反王国派のボウロロープ侯爵の娘を妻に迎えている彼だが、妹のルトラーを不憫に思い、彼女が幼少の頃からほぼ毎朝顔を見せてくれていた。

 そのためルトラーは、とても自分に優しい兄を尊敬している。なので、彼女は次男のザナックでは無く、やはり長男であるバルブロが王位を継ぐべきだと考えていた。

 妹のラナーは頭が回るからと兄のザナックを押しているようだが、ルトラーとしては優秀な兄ならばなおさら家族としての愛を示し長兄を支えるべきだとの考えを持っていた。

 家が割れる元になるとして――。

 だが、無用である自分は手厚く幽閉され、単に王族というだけで生かされているモノに過ぎない。

 体に不自由がある為、王家を強化するための政略結婚にも使われないのだ。

 今の我が身は王家に僅かも貢献出来ず、価値の無い全くのごくつぶしである。

 自分はこのまま何も成さず、この部屋で静かに年老いて朽ちていくのだろう。

 その価値の無いモノに意見を言う資格はないと、彼女は自分の考えを述べる事は殆どなかった。

 

 だが先日、一つの気になる出会いに遭遇する。

 それは舞踏会も行われた夜中であった。こっそりと、邪魔にならない時間に残り湯の風呂を頂くつもりだったが、まさか家族以外の男性に直接出会うとは思ってもいなかったのだ。

 その彼は仮面を被った変わった人物であった。

 兄よりも体格が良さそうな、どっしりとした落ち着いた感じの殿方。

 だが、最も気になったのは別の点である。

 随分薄暗い通路で出会ったが、見慣れていた彼女にはハッキリと見えていた。

 

 

 

 その彼のとても立派な衣装には、『黒』がふんだんに使われていたのだ。

 いや、全身漆黒と言っていい。

 

 

 

 ルトラーは、偶に車椅子でこっそりと王城に少し伸びる隠し通路の隙間から、殿方の姿を見る機会があるのだが、普段は『黒』という衣装は殆ど着られることが無く、黒色が大好きな彼女は密かに寂しい思いをしていた。

 なので――彼女は兄へこう尋ねる。

 

「あの漆黒のローブを纏われた、仮面のお方はどちら様ですか?」

「ん? あの客人の変わった仮面の男か?」

 

 バルブロは、妹がこっそり隠し通路を使う事を知っている。だが、とやかく言うことは無い。妹にも楽しみの一つぐらいあってもいいだろうと。

 第一王子にとって、仮面の客人は胡散臭い平民に見えていたが、ルトラーが外に興味を持ち、自分に質問をするのがとても珍しいので素直に答えてやる。

 

「確か、旅の魔法詠唱者(マジック・キャスター)で、名を――アインズ・ウール・ゴウンと言ったか」

 

 その名を聞いた可愛く美しい彼女は、単純に思った事を口に出していた。

 

 

 

「あのお方と――趣味がとっても合いそうですわ」

 

 

 

 ここでも、波乱のフタは開きそうである……。

 

 

 




考察)『ケイ・セケ・コゥク(傾城傾国)』とカイレ
原作で老婆なカイレがまだ戦場に立ってることから、使用者条件が相当厳しいなと。
じゃあ、どんな条件かと考えました。
まず、神人らも使えないとなると、高いHPだけじゃ無理という事。
次に、法国には第五位階以上の魔法の使い手が数名いるのに、使用してない点。
一方で、パンドラズ・アクターのようにMP(魔法量)は凄く高くても、魔法攻撃が低い(書籍版3-429の表より)者もいることから可能性はあるように感じました。
この事から、『カイレは魔法攻撃(才能)は低いが、MPは(人間にしては異常に)高い』人物と想定しました。
シャルティアに当てる事が出来たのだから、カイレは魔法詠唱者ではなく武闘派っぽい気がします。なので、昔はバッチリとチャイナ服が似合っていたのかも。
でもカイレですら最盛期も、表のグラフで言えば半分も無いとは思います。それでも人類の中では逸脱者級に突出していると考えられます。
なお使用時のレベルダウンは1を想定。
あ、そうそうイビルアイ(Lv.50に対して魔法位階が結構低い)は使えるかもしれませんね。

パンドラの場合は、魔法攻撃以外に重点が置かれていますから特殊だとは思います。
それと、魔法攻撃の低さもアイテムや巻物を使えば補えるとは思うし、魔法戦でも高度な戦術を組み立てられるであろう彼が弱いという事には全然ならないと考えます。



補足)世界級(ワールド)アイテム所持について
現在、本作でナザリック内にて世界級(ワールド)アイテムを常時個人所持しているのはアインズ様だけです。(モモンガ玉)
タブラさんはルベドを起動して満足したようで、アルベドは『真なる無(ギンヌンガガプ)』を当初から所持していません。でも、彼女には似合いのアイテムですよね……。
本作第一話にて、原作であったタブラさんが勝手に持たせた事に、モモンガ様がムカッとするシーンを書いてないのは、それがなかったためです。
お気付きになっていない方がいるかもしれないので、一応ここで書いておきますね。

ちなみに直接関係ないですけれど、本作ではまだ指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)は、アルベドのみ所持となってます。「他の何を放っても、駆け付けますからっ!」



捏造)世界級(ワールド)アイテムの能力判明数について
使用されて能力が判明しているのは40種程というのが捏造。
原作では、随所に名や能力が登場していますが、ナザリックの分も含めてまだ30個分も書かれていないかと。



捏造)第二王女 ルトラー
ルトラー・ペシェール・ラドネリス・ライル・ヴァイセルフ。
完全に捏造です。





今回は戦闘も入れたかったのですが、延々と書き続けそうなので次回に。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。