オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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注)モモンの声色と口調については、鈴木悟の素の声口調になっています


STAGE29. 支配者失望する/王女ノ狂計ト深淵ノ主(3)

 『黄金』と呼ばれるリ・エスティーゼ王国第三王女のラナーは、この竜軍団への緊急対策会議を黙して終わるわけにはいかない状況に立たされていた。

 それは、王家直轄領地のエ・アセナルを失った事による王家の権力低下を補うため、父である国王ランポッサIII世が手段を選ばず動く必要に迫られている事を想定し理解しているからだ。

 自身の縁談話も、残された手段の一つとして大きく急浮上するであろうと。

 予想通り、会議を前に父より「ラナーよ、すまんな……」と言われつつも、幾つか持ち込まれた男達に劣情を促す際どいデザインの入るドレスから、どれかを選んで着るようにと告げられる。

 

(そういった動きは断固阻止しましょう。――首輪を付けたクライムとの、鎖で繋がった二人っきりの全裸で甘い生活を実現するためにっ)

 

 王女の部屋の壁へ隠されたあの絵に描かれた異常溢れる情景は、比喩でも強調でもなんでもなかった。森奥に建つ絶界の薄暗い小屋で、禁断の欲に塗れて静かに二人きりで少年を飼って暮らす事を以前より切望している。

 結果的に、どうやって平穏に追手等のないその状況へ持ち込むか、また堅物のクライムをどう納得させるかと難題だらけではある。

 

 冷静でありながら、今日も彼女の『志向』は淫獣の如く完全に狂っていた――。

 

 彼女は、その目的へ他の全て、国や身内、国民を犠牲にしようとも、ただひたすら邁進するだけである。邪魔な者は殺害を含めて人知れず排除するのみだ。

 ラナーは、体力的に見るとあくまでも普通の人間である。しかし彼女の誇るべきは、その脅威の思考能力。

 記憶力に始まり、知識力、高速演算能力、想像力、発想力、構成力、判断力、理解力、そして圧倒的である洞察力も――。

 特に彼女は、顔を合わせる相手の表情、態度、その雰囲気からおおよそながら、相手の考えが的確に推測出来た。これは生まれながらの異能(タレント)とは違い、あくまでも自然の思考の一つである。

 更に、それらを組み合わせて導き出す、全ての未来が見えているが如き先読みの深さと多様さを有していた。

 

 だからラナーは幼少の頃から思っている。周りの者は――何と愚かで馬鹿な連中だろうと。

 

 その彼女が、対策会議冒頭から進行の様子を見守る。

 大貴族達の中には、息子達だけに限らず彼ら自身の中にも王女の肢体に欲情する者らが幾人もいるようだ。だが、それはあくまで、ただの女体としてだ。妻もいれば、王家に肩入れするデメリット等を考えれば、明らかに現実的ではない。

 また現状を悲観的に考え、王国を見限って金銀財宝を持って逃亡し帝国や法国を頼ろうかと考えている者も少なからずいる。

 兄達に目を向ければ、第一王子のバルブロはラキュースに欲情している模様。第二王子のザナックは横の兄をチラチラ見つつこの兄をどう蹴落とすかを考えていた。

 冒険者達では、ラキュースが真剣に竜との戦いをどうするか一生懸命思案している風。ラキュースの叔父アズスの隊長であるルイセンベルグは、『蒼の薔薇』らが手柄を挙げてきた事で風下に立ち、自分達も竜兵を二、三体討つべきだったと後悔している思いが伺える。

 父国王は、ラキュース達の示した戦い方の延長に光が有ると信じて、彼是と思案している。

 その近くに立つ王国戦士長は悠揚としていた。ただ国王を守るのだと。それと横の旅の魔法詠唱者ゴウンへ、かなりの信頼と期待を寄せているようだ。あの武人の戦士長が時折国王に向く時、ゴウンへとその背を平然と向けていた。国王以外へ余り見せた事の無い姿だ。

 そして――旅の魔法詠唱者ゴウン。

 何故か、仮面の下に自らの意志を感じない。いや否定されつつ、なにか指示された事を守っている風。どうも以前の会合で会ったゴウンとは違う、ただ強烈に周囲を見下す意志を感じる。

 

(見下すところはまるで私みたい……別人?)

 

 先の会合で同席した際の、旅の魔法詠唱者ゴウンは他者を見下すのではなく、大きく悠然とそこにあった。そして、とても裕福である身形や装備に馬車でも分かるが、何か規模の大きい組織を率いている雰囲気が有る。加えて、すでに竜軍団等有事の状況の全てを掴んているという思考の感覚を受けた。

 その事に王女は、仮面の彼がこれまで出会ったことのない、圧倒的と感じる存在だとすぐに理解した。同時に彼の横へ居並ぶ綺麗な女達が全て、前に座るラキュース達やラナー達のおおよその力量を一瞬で掴み「弱すぎる」と見下していることも分かった。

 それによりラナーの思考は、クライムから仕入れた『戦士長らを敵特殊部隊から無傷で救った』という事前情報を裏付ける形で、魔法詠唱者ゴウン一行が次元の違う強さと存在なのだという事実へ、あの会合の場へ入って僅か30秒程で自然に到達していた。

 さて、それに対して、この会議の目の前の人物。

 声口調に姿は旅の魔法詠唱者と同じであるが、その思考は似ず完全に非なる者。この者は先日の会合に居なかったとも感じる。

 まあ、ラナーとしては――誰が演じていようとどうでもいい話であった。彼女の目的は変わらない。逆に目的へは好都合でありバラす必要は皆無。

 あの会合の時のゴウン本人は、力が有りながらも慎重である男の様に見えていた。ラナーは途中、ゴウンが自分の事とラキュースの事を欲情の目ではなく、純粋に綺麗な姿の人間だと見ていた事まで気付いていた。しかし淫欲なくば、色仕掛けも容易に効かないという事。有効的手段は限られてくる。

 また、王国内を広く見てきて、謙虚で驕らない人物は非常に少数であったが、旅の魔法詠唱者はこれに含まれそうだ。調子に乗せる手も使えない。

 おまけに、もっとも困った事はゴウンが――ラナー自身の能力に、薄々気が付いて警戒している風なのだ。舞踏会で会った時、すでにそう感じていた。

 これではラキュース達のように、リーダーを上手く丸め込んで仲間達も、とはいかない。本当に厄介な相手だと表情へおくびにも出さず、あの会合の場で内心そう思っていた。

 

 そのゴウンが今、別人になっている。

 

 偽りのこの役者からは、周りの者らを軽蔑嫌悪し凝り固まった思考が感じ取れる――挑発に弱い人物の典型だ。

 

(これは、願ってもない好機のよう。ゴウンは高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)。恐らくここに居る者は、魔法で外部から指示を受けていますね。さて――)

 

 ラナー王女の未来計画はハッキリしている。

 元々は、まず『蒼の薔薇』を上手く利用して、王国の裏社会を制しつつ強大と聞く地下犯罪組織の八本指らを一年程で弱体化させて己の策謀力を示す。そして、王位継承を狙う第二王子ザナックに認められ彼を手伝って半年ほどで貴族支持層を増やし王位へと近付ける。同時に第一王子のバルブロを失墜させ、王女が嫁に出される数か月前に国王は何故か急逝し、ザナックが王位に就く。その見返りとして彼女は不治の病を理由に縁談が破断し、王家直轄地の森奥へクライムと隠遁するという既定路線の筋書きだ。

 クライムについては隠遁してから二人きりになって、ネットリと誘い言葉に若い身体を使い日々甘く蕩かせばいい。それから全裸首輪への調教だっ。

 若い青年のクライムにすれば、まさに蟻地獄といえる予定である……。

 

 でもそれが……竜軍団の侵攻により大きく狂ってきた。

 巨大で重要だった直轄地を失い、戦火は広がりを見せ貴族達に対して王家の権威が急下降し危ない。更に王都自体も標的に挙がる状況。早急に戦いを終わらせる必要がある。

 ただこうなると、単に戦いが終わっても第二王子ザナックも権力地盤の強化に、ラナーを政略結婚へ出そうとするだろう。

 つまりこのままでは『王家に頼れない』ということになる。

 他国へ逃げても重要人物として二十年間は追手が掛かるはず。その状況では恐らく二人きりでも、姫を守ることを信条とする堅物のクライムを篭絡しきれない。平和だから、ラナーを受け入れさせることが可能になるのだ。

 だから、彼女のすることは明確である。

 まず竜軍団の進攻を現状で止め、王家の力をこれ以上喪失させないことが急務なのは同じだ。

 ただその際に、高位の魔法詠唱者ゴウン一行を上手く手駒……は無理でも協力者に加えておく。どうやら戦士長を死なせたくないらしい様子。これを活用してだ。

 先の会合の時から、怯えることの無いゴウンは竜軍団へかなり対抗出来る水準だと、ラナーには既に分かっている。その力を傍に置く者となれば、王家もしばらくはラナーを嫁へ出せなくなる。

 時間を作ったところで次に、国王健在の内に六大貴族の一つを――密かに失墜させるのだ。帝国と繋がるブルムラシュー候爵辺りは国家反逆罪に追い込み易い。なにげにもう、ブルムラシュー候爵と帝国との密書が二通ほど手元に有ったりする。

 大都市を失ったのなら、どれか一つを手に入れればいい。王家の力が落ちたなら、ある所から奪い取り補填するまで。

 これで、爛れた隠遁計画は路線へ元通りだ。持てる知識を総動員したラナーの計画に容赦と抜かりはない。

 この対策会議の場は『上手くゴウンを協力者にする』為の第一段階となるのだ。

 

 会議の冒頭で、出た和平交渉の代表者について、先程からそれを誰にするかの話が始まり出した。

 ラナーには、交渉役が大臣になるだろう事は、ウロヴァーナ辺境伯が和平交渉を口にした瞬間に到達していた。これは父国王がいつもの消去法で選ぶと、到達する答えであった。

 そして、この交渉の場自体が大きいポイントである。

 『黄金』と言われる王女の戦略は『王家の権威を落とさずに終戦させる』ことだ。

 しかし、レエブン侯の計画で戦闘が始まれば勝ったとしても、優に半数の戦力は失っている。これではいけない。

 また、王女の考えもレエブン侯の意見と同じで、竜王は和平交渉など受けない。向こうから戦いを仕掛け、低い脅威の者らを相手に圧倒的有利な状況であり、侵攻をやめる訳が無い。

 では、どうやれば止まるのか。

 

 それは、王国側にも竜王らと同等の力をもつ脅威が有る事を早く教えてやることだ。

 

 つまりは高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)ゴウンとその一行を、交渉役の護衛ででも竜王に見せればいい。

 その際、交渉の場で竜王が交渉役以下を殺しに来るのが、最良かもしれない。

 実際に戦えば竜王も思い知り易いし、ゴウン達の本当の実力も白日の下に晒されるだろうし。

 そして()()()()()()に竜王達を驚かせ勝つのは、ゴウン一行なのだと。

 『持てる知識』の中でラナー王女は、ここまで読み切っていた――。

 

 

 

 ただその先読みは、あくまでもまだラナー王女の『この新世界の現代に生きる人間としての知識と思考力の範囲内』であった。

 ラナーは、目の前の『別人のゴウン』を交渉役の護衛として、引きずり出す位置へ確実に追い込んでいた。少なくともそう思っていた。

 実に扱いやすいこの場に居る別人のゴウンへ、内心ほくそ笑む。もうここまで発言させれば巻き返すのは容易ではない。第一、目の前の冷静では無い者では対応出来ないと。

 そして絶対的なのは、この状況で本人と入れ替わることは、不可能だと。

 今、ここに本人が来ていないのは厳然とした理由があり、更にここへ今慌てて現れズレが生じた場合、別人をこの重大である場所に立たせていたとなり、ゴウンはその瞬間に万事休すであるからだ。

 

 

 ――しかし、その不可能が起こっていた。

 

 

 ラナー自身がいち早くその異変に気付く。

 『別人のゴウン』が「私の敵ではないわっ!」と言い放ち、周囲がどよめく中で立ち尽くす事、僅か7、8秒。

 かの人物の空気が、瞬きもしていない間で手品の様に忽然と変わっていた。

 

 ――ありえない状況。

 

 そして巨躯の仮面姿の彼は、話を『冷静に』朗々と続けてきたのだ。

 

「―――こう()()()()言えば満足でしょうか、ラナー王女殿下? 私に爵位はありませんが、自身の力に誇りを持つ者。そして、今は国王陛下の客人としてここに居ます。皆の前で貶める様にからかわれては困りますし、いけませんよ?」

 

(!?―――っ、うそっ……馬鹿な……)

 

 ラナーは表情を全く変えずにいたが、内心では目を見開いていた。手段不明だが、あのゴウン本人に入れ替わっているのだけは把握する。

 『黄金』と言われる王女も、伝説的大魔法の深淵の奥までは覗き込めて居なかった。

 彼女は届かない。不可能を可能にする恐るべき神々しい第十位階魔法群の存在には――。

 それに加え、ラナーは痛い所を突かれてもいた。会場の皆が冷静になった時にだけ、浮き上がってくる盲点。完全に逆撃を返された形になる。

 先程王女は、高位の魔法詠唱者である客人を公式の場で、こき下ろす風に挑発したのである。巧みな入れ替わりを見せられた上で、低マナーを窘められてしまう形へ一気に抑え込まれていた――。

 

「ラナー様。ゴウン殿は本日朝より体調の悪い中、この席へ立ってくれております。お気遣いを頂ければと思います」

 

 ここで、すかさず王国戦士長がゴウンの先程の行動をフォローするように、口添えしてくれる。

 

「そうであったか……ゴウン殿、我が娘の非礼、許されよ」

 

 国王ランポッサIII世が、先にアインズへ一言詫びを入れてきた。

 自然ながら、もはや完全に王女は畳み掛けられていた。

 

「"アメーバー"とは何かな……?」

「さあ……何でしょうなぁ」

「少し騒がしいと思ったが、誇りを傷付けられれば仕方ないな……」

「ふん、ラナーめ。発言権のない分際で恥を晒すな」

 

 顕微鏡が普及しておらず新世界には馴染みの無い名称や、反国王派の六大貴族リットン伯の何気ない声に加え、最後の王女を鬱陶しく思っている第一王子バルブロの言葉が決定的となる。

 もはやアインズの、先程のパフォーマンスを責める者は誰もいない。

 この時になって、ラナーの艶のあるピンクの口元へ少し悔し気に力が入ったのが見えた。

 しかしアインズの動きは、ここで止まらなかった。周囲の者にも釘を刺す。

 

「有事の際に備え、友人と共に王都へ居る事が、今、私に出来る最大の行動かと」

 

 そう言って、王国民でない事を裏の盾にゴウンは王都から動かない事を周囲に告げた。

 当然だ。アインズの狙いはこの戦いに際し、高名であるアダマンタイト級冒険者達の窮地を待ち、代わって名声を上げる事。

 そしてもう一つ。

 人類国家のこの窮地を前に、絶対的支配者は静かに、密かに待っている。

 

 

 

 人類種のユグドラシルプレイヤー達が集結し、救援に現れるのではないかと――。

 

 

 

 ここは静観あるのみなのだ。天才王女だろうと、邪魔はさせない。

 

「……ゴウン殿、すみませんでした」

 

 ラナー第三王女は、言い訳することなく謝罪の言葉を述べた。

 国家で大事にされてはいるが、彼女自身に大きい権限は存在しない。

 未知の力を持つゴウン一行が動かねば、ラナーの交渉役就任に対し、国王の賛同は絶対に得られないだろう。竜王は、アダマンタイト級冒険者達ですら全く寄せ付けない強さであるためだ。

 僅かに穴があったとは言え、本来想定外のありえない逆転劇。

 生涯に仕掛けた数多の計略の中で初めての完全と言える『敗北』だろう。彼女の鮮明に残る記憶へ、全く新しい二文字が追加された。

 そのあと「くっ」と極小で呟きつつ、力なく壁際のソファーへ座り、ガゼフ達から顔を背ける。

 王女の掲げる爛れた隠遁計画は、旅の魔法詠唱者により夢の如く打ち砕かれようとしていた。

 

 

(初めて味わった今回の屈辱、忘れません。この責任は取ってもらいますからっ――アインズ・ウール・ゴウンっ)

 

 

 そして彼女にはもう一つ、気付かない初めての熱い感情も小さく広がり始める……。

 

 その後の会議は淡々と進んだ。

 我慢していたが目元へ僅かに小さく涙の粒を浮かべ――大臣は、役目を了承していた。彼が、和平交渉役へと国王の口より正式に任命される。

 だが慈悲深い国王は、続けて彼の若い息子を明日から大臣補佐の配下に加えると通達し、子孫を厚遇すると行動で伝えている。

 そうして和平交渉のアポイントと、護衛を騎士8名と第三位階魔法詠唱者1名を付ける使節10数名を決定し、その前に話をしていた交渉決裂後の戦いへの工程と手順や準備も再確認され、延べ三時間ほどで緊急対策会議は終わった。

 

 

 

 

 

 アインズは、国王や王子、大貴族達の多くが退場した後の会議会場を後にする。

 まだ壁際のソファーへ座り、目線を落とし落胆気味の儚げで美しいラナーの傍には、ラキュースが寄り添っているのを横目で見つつ。

 アインズをフォローし、国王の意向に沿い王女を危険度の高い交渉役にさせないという意味でも、最善の行動を起こしたガゼフであるが、王女を悲しませていることに内心は複雑である。

 

「はぁ……、少しヒヤりとしましたぞ」

「気分が優れず、僅かに苛立ってしまい、気を使わせましたね」

 

 アインズは嬉しかった。王国戦士長の友に対する気遣いへ――素直に感謝していた。

 アインズの言葉で、少し嬉しそうに変わったガゼフの表情と雰囲気が、気にするなと伝えてくる。

 彼は、ナザリックとは距離を置く人間種であるが、現在保護地区となったカルネ村を命懸けで助けようとし、今も自分を庇ってくれた。

 ガゼフ・ストロノーフはアインズにとって、心情的にもうただのレアな武技使いでは無くなりつつある。

 

「だが、ラナー様はどうされたのか。客人を貶め煽るとは少しらしくなかったが……」

「姫君もこの国家の窮地に焦っておられたのでは?」

「そうか。そうかもしれんな」

 

 アインズの言葉に彼は、平穏時と存亡危機時では、幾ら国を思い優秀であろうと若い王女に焦りが有っても不思議では無いと納得する。

 苦笑を浮かべ王国戦士長と並んで歩く支配者は、会話をしながら内心で「ふぅーーーーーーーーーーーっ」と盛大に安堵の溜息を付いていた。

 あの刹那的と言える修羅場を思い出しつつ――。

 

 

 

 アインズはナーベラルの『宣言』を聞いて一瞬頭を抱えてしまうが、その間は2秒ほど。そんな場合ではなかったのだ。

 彼は〈伝言〉を繋げ小声で素早く呟き出す。

 

「(デミウルゴス、緊急だっ! 今、王城へ飛び、ナーベラルの居る部屋へ―――時間保持魔法を掛けろ)」

『はっ、直ちに』

 

 アインズが、咄嗟に取った措置は、ユグドラシルの戦闘で鍛えた時間稼ぎをする合理的な方法でもある。

 防衛に関する話し合いで、シャルティアの居室のある第二階層を訪れていたデミウルゴスは急に席から立ち上がり、「えっ、なに?!」というシャルティアの声を置き去りにすると、主への一切の反論や確認無く直ちに行動する。

 指示の内容と状況から、一瞬でアインズ本人からだと確信済だ。

 連続〈転移(テレポーテーション)〉と階層の転移門を通過し、ナザリック地下大墳墓の地上中央霊廟の正面出入り口付近から一気に王城へ飛ぶと、瞬時にナーベラルの立つ部屋を特定し第十位階魔法である〈時間保持(タイム・ホールド)〉を放った。

 ――その間約5秒。

 その間にアインズはマーレへも〈伝言〉で前下方の馬車に念のため一瞬だけ〈時間保持(タイム・ホールド)〉を掛けさせ、パンドラズ・アクターと入れ替わった。

 そして、モモンの姿を解除した絶対的支配者も王城へと〈転移〉で飛び、時間停止対策をしてデミウルゴスと共にナーベラルの居る会議会場へと入った。アインズに扮したLv.63のナーベラルもこの場で固まった様に静止している。いつもの白いメイド衣装の装備なら、時間停止対策のアイテムもあったのだが。

 ここで初めて、デミウルゴスが至高の御方に確認する。

 

「アインズ様、ナーベラルが……何か?」

 

 彼は「失態を」とは聞かない。しかし、眼鏡の下の表情は無表情。アインズは配下の危険漂う兆候を察知する。

 だから支配者は穏やかにこう伝える。それは自然に浮かんだ気持ちでもある。無理をしているわけではない。

 

「私は、ナーベラルの行動に対し――満足している。私は十分満足しているぞ、デミウルゴス」

 

 それを聞いたデミウルゴスは漸く口許を緩める。彼の思考は非常に柔軟であった。

 絶対的支配者で至高の御方が優し気にそう告げるのだ。圧倒的忠誠心を持つデミウルゴスは、全面的に主の意見を尊重する。

 

「左様でございますか。分かりました。このあと、ナーベラルが何を口にしても結果は十分であると」

「そうだ」

 

 今回の状況は、そもそもアインズが不安のある事を知っていて、NPCの可能性を求めてナーベラルを指名している。彼女はそれへ懸命に応えてくれていた。そして、最も大事とする主人を侮辱された事に憤慨して反論してくれたのだ。

 アインズ自身、仲間やギルドを侮辱されれば、決して黙ってはいられないだろう。

 

 主として、配下の考えが自分にも通じていることが嬉しく、なんと可愛い事ではないか。

 

 このような配下に対し、「流石はナーベラルである」と褒めること以外に何があるというのか。彼女は命懸けの覚悟であの宣言に臨んでいた。それで十分。叱る要素など無い……平和の為にも。

 あとの事は、彼女の信頼する主人で絶対的支配者、このアインズ・ウール・ゴウンに任せればいいのだ。

 

(リアルで何度もギリギリの逆境を跳ね返し、超過(オーバー)労働で鍛え抜いた社畜の営業職をなめるなよ、箱入りの王女様っ)

 

 ここでデミウルゴスが、ナーベラルと向かい合う視線上に立つ人間の女が、ラナー王女だという事に気付く。

 

「この危険指定の人間が相手で?」

「そうだ。ラナー第三王女。確かに危険で凄い才能の娘だ」

「早急に排除しますか、アインズ様?」

 

 デミウルゴスの淡々とした進言に、支配者は直ぐに答えない。

 

「……所詮は一人の人間。キングやナイトは自在に動かせても――ゲーム盤までは動かせまい」

「チェスですか?」

「ふん。我々はチェックメイトの直前にゲーム盤を反転させて楽しめばいい。そして何時でも、ゲーム盤自体を壊すのも自由だ」

 

 最上位悪魔は、アインズの崇高な考えを理解しほくそ笑む。

 アインズは内心でナザリックが暴走しないよう時間を稼ぐ為に、以前から長い寿命だから急がずこの世界の攻略を楽しもうという意向を配下達へ伝えている。それを尊重するのはナザリックの総意である。

 

「左様でございますね」

「だが、この者が有能であることに変わりはない。もし傍に置ければ使い道は有るだろう。しばらく様子を見よう」

「畏まりました」

 

 デミウルゴスは笑顔で、曲げた右腕を身体に沿え恭しくアインズへと礼を取った。

 その後、アインズはナーベラルの立ち位置と魔法で寸分違わず入れ替わり、ナーベラルを抱え不可視化し部屋より退出したデミウルゴスが、アインズからの〈伝言〉で〈時間保持〉を解除したという流れである。

 後で気を利かせたデミウルゴスが、会議会場の大時計の針だけは数分の停止時間分をこっそり修正していたが、それは秘密だ。

 

 

 

 

 

 アインズ姿のナーベラルは、不可視化したデミウルゴスに隠されたまま、室内から〈転移〉で連れ出されると時間停止が解け動き出す。

 

「――っ?! ここは……えっ、デミウルゴス様っ!?」

 

 そこが、何故か会議会場では無く、王城内の上空でデミウルゴスに腰を抱えられておりナーベラルは驚いた。同時に彼女は憤慨していた興奮から覚める。

 

「悪いが、アインズ様の命で外へ運ばせて貰いました。とりあえず、自身で不可視化して〈飛行〉しなさい。話はそれからです」

「はい……」

 

 次にデミウルゴスは、アインズからの指示で〈時間保持〉を解除する。

 その姿を見ながら、ナーベラルは守護者の指示へ素直に従う。覚悟はもう出来ている。

 第七階層守護者様が来ているというのは、やはり尋常でないということだ。

 至高の御方の身代わりという誉れ高い期待に応えられず、敬愛する御方の再三の命令も聞かずに、大事であった会議の場をも壊してしまうという失態。

 

 

 ――間違いなく極刑が妥当である……。

 

 

 ナーベラルはそう考えるも、少し寂しく感じた。

 

(最後は、敬愛するアインズ様のお手で介錯をして頂きたかった……でも、それは過ぎた贅沢な罰というもの)

 

 デミウルゴスは移動を始める。

 

「ついて来なさい」

「はい」

 

 場所を変えるようだ。確かに空中では下へ遺体が落ちてしまうと思い、彼女はオレンジ縦縞スーツの守護者のあとを続く。

 行き先は……どうやらヴァランシア宮殿にあるいつもの部屋の方角。

 

「あの、デミウルゴス様」

「なにかね?」

「この先の宮殿の宿泊部屋で、私は――処刑されるのでしょうか?」

 

 姉妹達の前という、やはり中々に厳しい措置と感じていた。

 それを聞いたデミウルゴスは、先程の主とのやり取りを思い出す。それは、部分的ではなく「全体として十分満足している」と伝えられていた。

 デミウルゴスはナーベラルへと告げる。

 

「勘違いをしているようですね。アインズ様から、そのような事は指示されていませんよ」

「えっ? でも私は――」

「ナーベラル、貴方は今回の件について過程を誰にも話してはいけません」

「しかし」

「いいですか、アインズ様は貴方の行動について内容を言われず私へ、"十分満足した"と仰られた。それ以外の事実は必要ありません」

「そんな。し、しかし、私は――」

「アインズ様の評価が気に入りませんか?」

 

 論戦でデミウルゴスに勝てる訳もなく。アインズの名を出されそこまで言われれば、彼女に是非もない。反論は完全に途切れる。

 だが、ナーベラルには極刑級の罪状が並ぶ行為の後で信じられなかった。

 そして今、誰が自分の失態の尻拭いをしてくれているかという事も――。

 

 それゆえに、自分自身を許せない。生きていては至高の御方へ申し訳ないのだ。

 

 その彼女の横前方でデミウルゴスは、穏やかに言葉を続ける。

 

「我らナザリックの者達は幸せです。本来我々は、仕えるべき方を選べません。しかし今、素晴らしい主を仰いでいます。そんな我々が、崇高であられるアインズ様の最終決定に対しあれこれ考えるのは失礼です。我々は、ただひたすら至高の御方へ最後の瞬間まで生きて、全力で尽くすべきなのです」

「!――っ、はいっ!」

 

 デミウルゴスの完璧なる言葉は、自決に傾いていたナーベラルの心を引き戻す。

 ナーベラルはこう解釈する。

 多くの大きい失態もアインズ様は「十分満足した」と言ってくれている。でもこれは間違いなく庇ってくれているのだ。それは――『純愛』以外に何があるだろうか。

 愛されているとなれば、このまま役立たずで自ら死ぬ訳にはいかない。そうなれば、アインズ様がこの私の全てをお楽しみいただけなくなる。悲しませてしまうだろう。限りないお詫びの為に、せめてこの身も心も全て最後の瞬間まで、主に尽くさなければならない。

 何か違うが、これもまた一つの正論である。

 ナーベラルの愛情と忠誠心は、一気に軽くMAXを振り切っていた……。

 

 

 

 デミウルゴス達は、ヴァランシア宮殿のいつもの部屋にベランダより入る。

 シズとソリュシャンにルベドがそこへいた。予定変更で馬車でのお出掛けも無くなっている。ツアレについては、隣の家事室へユリにより急遽掃除をすると引っ張って行かれて居ない。

 ナーベラル達は不可視化しているが、職業レベルでアサシンを持つ二人と最上位天使はすぐに気付く。

 

「これはデミウルゴス様」

 

 ソリュシャンの声でシズも上位者へ頭を下げる。だが、ルベドは目を合わすと僅かに会釈のみ。あくまでも今、ルベドが従っているのは同志アインズ個人である。あとは二人の姉達のみだ。

 デミウルゴスも良く分かっている。そして改めて思う。守護者達すら超越する『一騎当軍』の化け物をも、一途にスリスリされるほど従わせてしまうとは、流石アインズ様だと。

 武技が使え、神器級(ゴッズ)アイテムの聖剣シュトレト・ペインを持つ今のルベドが敵に回るようなことになれば、世界征服すら釣り合わず天秤が傾くほどの難題となろう。

 ナザリックの……いや世界平和の為だと言いつつ、御方が大事に保護しているエモット姉妹やツアレの姉妹、最近加わった王都屋敷のリッセンバッハ三姉妹へ割く余力は、非常に僅かで済んでいる。まだ正式ではないが、ニンジャの双子姉妹もいる様子。

 あと姉妹といえば、ニグレド達とアウラにマーレ、そして、プレアデス姉妹……。

 ここで、デミウルゴスは宝石の目を見開きハッとする。

 ナーベラルの処遇を間違えば――平和の危機であった。

 

(わ、私は僅かに判断を誤るところでした。改めて忠誠をっ、アインズ様は素晴らしいっ)

 

 この思考は一瞬の間であり、表情を戻したデミウルゴスはソリュシャンらへ尋ねる。

 

「状況は分かっていますね?」

「はい」

 

 ソリュシャンにより、この部屋でも会議室内の状況はある程度理解出来ている。ナーベラルの宣言により、会議の場はアインズ自身でなければ巻き返せない事態になってしまったことも。

 そして、その状況に対して驚異の逆転劇を主様がしてみせた模様。

 ソリュシャンは、盗聴によりリアルタイムでそれ聞きスカッとした上、姉妹の引き起こした事態にも拘らず、御自ら挽回してくれた支配者へ感謝と敬愛で興奮し、捕食型スライムの体内に液体が溢れゾクゾクしていた……。

 

(流石は私達が仕えし、お慕いするアインズ様ですわ~)

 

 盗聴する彼女も、ナーベラルとアインズのやり取りまでは分からない。

 とは言えナーベラルの行なった発言は、彼女の気持ちの入った言葉であった。あの場では、明らかに主へ不利になる内容と行為だと言えるだろう。

 しかし、ナザリックの者であれば、反論せざるを得なかった。

 アインズのように、当初より冷静に周りが見えて正面から論破出来れば良かったのだが、それが出来るとすれば、守護者ではデミウルゴスとパンドラズ・アクターだけだろう。アルベドやマーレらでは怒りが先行し、相手の頭部を破壊する形で殺しに行っているはずだ……。

 だから妹としてソリュシャンは、姉に罪があれば、軽減を上位者やアインズへ申し出るつもりでいる。シズも同じ様子。

 その空気を感じつつ、デミウルゴスが伝えてくる。

 

「安心しなさい。アインズ様は、ナーベラルの行為について"結果に十分満足している"と言われたよ」

「えっ?」

「……ビックリ」

 

 ナーベラルの妹達は、まさかの――いや、アインズ様らしい評価に驚き、顔を見合わせると笑顔を浮かべた。そして不可視化の状態でメイド服姿に戻っているナーベラルのもとへと向かい、手を取ったり抱き付いたりして喜び合う。すべて、アインズ様の愛ある優しさだと。

 その三姉妹の楽し気で穏やかに戯れる様子を、ルベドは近くでニヤニヤしながらチラチラと眺めて楽しんでいる。

 デミウルゴスは再度感じていた。

 この難物揃いであるナザリックを丸く回すアインズ様は、本当に至高で偉大なる方だと。

 

「この件は、これで終わりです。さぁ、我らの主であるアインズ様のお帰りを皆でお待ちしましょう」

「「はい」」

「……了解」

「分かった」

 

 部屋の中は無事に普段へと戻った。

 ツアレも家事室から戻って来ると、想いを寄せるご主人様がいつでも気分よくこの部屋で過ごせるようにと、いつも彼が座っている椅子回りを丁寧に再確認している。

 ソリュシャンとシズもユリの指示に従い、埃や不備が無いかを今一度丁寧に確かめていた。

 そして、メイドではなく用心棒というべきルベドは窓際へ座り――仲良し姿のプレアデス姉妹を見てニヤニヤしている。あと時折ツアレには妹の事を尋ねていた……。彼女は、ただそれだけだ。

 デミウルゴスとナーベラルは不可視化した姿で、部屋の壁際へ並び立ち静かに平和な室内の様子を眺めて待っている。

 第七階層守護者の彼は主から、まだナザリックへ帰還の指示が出ていない。これは恐らく主自身が戻るまで、ナーベラルの万が一の行動を阻止し、説得する事まで期待しての待機状態なのだ。

 デミウルゴスは、ナザリックで最上位に位置する階層守護者であるが、今は決して席へ座ろうとしなかった。至高の御方が戻って来るまで、直立のまま動かない。それは、主人であるアインズ御自らが、まだ事態収拾に当たっていたからである。

 ただただ、一人の配下として忠臣の彼は静かに待っている。

 

 デミウルゴスが〈時間保持(タイム・ホールド)〉を解除して40分程経った頃、アインズがこの部屋へと戻って来た。

 王国戦士長は仕事が有ると言い、支配者と少し手前の階段で別れていた。

 

「お戻りなさいませ、アインズ様」

 

 ユリの声に、その横へ綺麗に並んだルベド、シズ、ソリュシャン、ツアレが礼にて出迎える。

 壁際で、デミウルゴスとナーベラルも礼をする。

 特にナーベラルは最敬礼である。

 ツアレがお茶セットのワゴンを取りに行っている間に、二人がアインズの所へと来る。シズ達はそれをじっと見守った。

 

「アインズ様……ありがとうございます」

 

 ナーベラルは、もう謝ることは出来ない。すでに主から満足と評価されているからだ。彼女はせめてと、心を込めてまずお礼を伝えた。ツアレが家事室に居るので少し小声である。

 申し訳ない顔のまま最敬礼のそんなナーベラルへ、絶対的支配者は告げてやる。

 

「流石はナーベラルだ。あの反論、(主として)嬉しかったぞ」

 

 そして、アインズは優しく――彼女の頭を優しく撫でる。

 

「!!?――っ」

 

 頬を赤くし驚くナーベラルを他所に、支配者は言葉を紡ぐ。

 

「あの時は、あれで良かったのだ。私が全て問題なく片付けてきた。すでに、この件で気にすることは何もない。少し油断した利口な王女へ、そのまま返すことも出来たしな。詳細はソリュシャンから聞いておけ。ただ、もう無茶はほどほどにな。では、私はまた冒険者へ戻る。――さあナーベラル、このあとはまた任せたぞ」

 

 ナーベラルは、ゆっくりと頭を上げると目尻へ僅かに嬉し涙を浮かべ、小声ながら凛々しく美しい笑顔で答えた。

 

「はい、アインズ様。畏まりました!」

 

 アインズが不可視化すると、入れ替わる様に再びアインズの装備姿へ変わったナーベラルが不可視化を解きその場へ現れる。

 彼女は何事も無かった雰囲気で、アインズがいつも座るソファーの席へ着いた。

 その様子を静かに見届けるアインズとデミウルゴス。

 ツアレが部屋へ入って来たため、二人は開いている窓扉からベランダへと出る。

 時刻は午後四時前である。

 雲は多めだが穏やかな空を眺めつつ、アインズがゆっくりと話し出す。

 

「デミウルゴスよ。今日は急での対応、本当にご苦労であった。あの後のナーベラルへの対処等、随分助かったぞ」

「はっ、お役に立てて光栄にございます」

「これは何か、褒美を与えなければな」

「本日はアインズ様の旗下として、誇らしく素晴らしいものを見せて頂きました。直々に労いの御言葉まで頂きもう十分でございます」

 

 礼の姿勢を取るデミウルゴスの、嬉し気な言葉と様子に嘘は無い。

 これがナザリックの、絶対的支配者だという包容力と行動力と存在力とでも言おうか、そういった水準の事象を確認出来て、忠臣である彼の気分は高揚している。

 充実気分である素晴らしき配下の気持ちを汲み、アインズは言葉を伝える。

 

「そうか。だが、近い内にその功へ必ず報いよう」

「はっ。では、日々更にアインズ様とナザリックへ貢献出来るよう努力しつつ楽しみにさせて頂きます」

「うむ。今日は大儀であった。ナザリックへ戻ってくれ」

「それでは、失礼いたします」

 

 そう告げ、この場を〈転移(テレポーテーション)〉で後にすると、デミウルゴスは密かにあの会議室へ一時寄ったあと、ナザリックへと戻って行った。

 

 そのデミウルゴスを第一階層の墳墓で待っていたのは、打ち合わせを途中ですっぽかされた形となった、いつもの赤紫調のボールガウン姿に日傘を石床へ突き立てる仁王立ちのシャルティアであった。

 単純で飽きっぽい彼女にしては珍しいと思いつつも、己の立場での役目と今回の打ち合わせの重要度を認識している動きは良い兆候だと、デミウルゴスは考えた。

 対してすぐさま「ちょっとデミウルゴスっ、打ち合わせをいきなり放って何処に消えたでありんすよっ!」と食って掛かられる。

 だが有事の際のNPC総司令官は、眼鏡の位置を直しながら「ナザリック(の平和)にとって大事な急用ですよ」としか伝えず、「では、打ち合わせの続きを始めましょう」と、渋い不満顔のシャルティアを促していた。

 アインズの名を出せば、「なんで私も呼ばないでありんすか!」と更に吠えられるだけであると。

 万事そつなく熟す――流石、デミウルゴスである。

 

 

 

 

 

 

 アインズは、有能で頼りになる眼鏡姿の階層守護者を見送った後、再び冒険者モモンの仕事へと戻る。

 とは言え、マーベロに〈伝言(メッセージ)〉で位置を確認すると、もうカルネ村の傍まで来ているという事で、〈転移(テレポーテーション)〉で先にカルネ村側へ飛び、不可視化のまま〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で冒険者モモンに変わると、見覚えのある道を辿り前方から出迎えるようにンフィーレアの荷馬車の所まで戻った。

 ただ、入れ替わりの良い機会が無く、モモンはそのまま入れ替わらずに村へ着くまで並進する。

 マーベロによると、アインズが離れていた1時間程の間もモンスターに襲われる事は無かったという。結局、無事にカルネ村が見えてくる。

 だが、ンフィーレアは村の直前で荷馬車を止めた。そして、先日訪れたカルネ村との変わり様に驚く。

 

「こ、これは……一体?」

 

 以前は無かった60センチ角程の太い柱で造られた門が、広場への入口から少し手前に出来ている。それから続く空堀と土を固めた土塁上に板塀が左右に少しずつ伸びる。板を張る前段階だろう途切れた部分から村をずっと囲う形で、土塁の上へ太い木材で頑丈に組まれた柵が作られている様子が確認出来た。堀と掘った土で作られた土塁の高低差は約1メートル、そこから板塀が2・5メートルある。門は開かれた形であった。

 そして、村人の老人が門の傍で呑気に煙草を(くゆ)らし、門近くに建つ鐘の付いた見張り台には子供の男の子が腰かけている。

 明らかに村は頑強に砦化されつつあった。

 以前来てからたった2週間ほどである。この土塁等、一体労働力はどうしたのか……。

 しかしよく見ると、柵の中であの黒くゴツい巨体のモンスターが何本もの木材を軽々と運んでいるのが見えた。さらに――緑の肌をした屈強そうで、しっかりとした装備を身に付けた者達の姿もある。

 

「えっ? な、なんで、ゴブリンまで……?! 大変だっ、エンリィィ――――!」

 

 ンフィーレアは、村がモンスター達に襲われたのか、それにしては前にいる老人はのんびりしているしと、訳が分からず御者台に座ったまま最愛の少女の名前を思わず叫んでいた。

 ブリタも剣の柄を握り「な、なに、この村はっ?!」と身構える。

 だが少年の大きい声に対し直ぐ、馴染みの応答が来た。

 

「はーーい、って……ンフィーレア!? 今日だったのね引越は」

 

 呼ばれる声を聞いてやって来たのは、麦わら帽子を被った笑顔を浮かべる村娘姿のエンリ本人である。

 勿論演技が入っていた。少し前に畑から出迎えに村へと戻ってきている。ただ元々、半月ほどで引越してくると少年からは告げられており、その辺りも上手く言葉に込めていた。

 昨晩、キョウと共にアインズから夕方前に到着するという話は聞いている。その際、ゴブリン軍団をどうするかも少し話をしたが、村に移住してくるなら隠してもしょうがなく事情を説明するということで、特に変わらずいつも通りで過ごしている形だ。

 行商人が来た時は、とりあえずモンスター達は『森で病気の仲間を抱え食い詰めていたのをたまたま救った、義に厚く話の分かる気の良い傭兵団』という事にしている。気の利くジュゲム達も、その時は話を合わせて振る舞ってくれるので助かっていた。エ・ランテルからの徴税官は、収穫の終わった後にしか来ないので当分は大丈夫だ。

 そして何気に、エンリは今朝だが村長より正式に村の防衛責任者に任命されていた……小さい村にしては、配下として19体いるゴブリン軍団と手伝いのデス・ナイト1体だけでも圧倒的戦力であり当然と言える。野伏(レンジャー)のラッチモンも指揮下に入っていた。他のデス・ナイト2体は、エンリへ協力するキョウの指揮下で砦構築に絶賛活躍中だ。

 村での立場と状況も、着実に職業レベルと連動するようにレベルアップを果たしながら、旦那様の期待へ応えようと懸命に尽くす村娘エンリ。

 

 

「あっ、エンリ?!」

「カルネ村へようこそっ、ンフィーレア」

「う、うん。今日からよろしく」

 

 彼女の可愛い声にいつもの笑顔での登場と、周りのモンスターの居る光景へ特に気にする風も無い様子に、ンフィーレアはまだ驚きつつもそのトーンを下げて言葉を返した。

 

「驚いたでしょ? 凄く村が変わってて」

「う、うん」

「自分達の村は、自分達できちんと自衛しようって事になったの」

 

 門だけを見ても素人とは思えず、とてもしっかりと合理的に造られていた。板塀も火に非常に強い燃えにくい丈夫な木材が分厚く使われている。陣地構築に、エンリのもつ職業レベルが遺憾なく発揮されていた。

 

「あと、ゴブリン達に占領されたのかと思っちゃったよ」

「あははっ。そんなこと起こらないわよ。ゴブリンのみんなも、アインズ様のアイテムで来てくれたし」

「そ、そうだよね」

 

 ここは、恐ろしく屈強の黒い騎士達を操るあの偉大な御仁が居る村なのだから。

 エンリは、荷馬車後方へ空中から降りて来た護衛の冒険者達であるマーベロとそして愛しの旦那様が演じている漆黒の戦士モモンだと思っているパンドラズ・アクターへも目を一瞬向ける。

 でも今はまだ、ほぼ面識が無い形なので、彼女はその振りをして再びンフィーレアの座る御者席の方へとすぐ目を戻した。

 

「ンフィーレア、こちらの人は?」

 

 エンリは昨夜、現役の(アイアン)級冒険者ながら移住希望の女性がもう一人来るかもと聞かされてもいたので、内心で驚きは無い。

 自然である少女の問い掛けに薬師の少年は答える。

 

「こちらは、エ・ランテル冒険者組合所属で(アイアン)級冒険者のブリタさん。この村への移住希望の人だよ」

「どうもー。ブリタと言います。今日の護衛のモモンさんからこの村の事を勧められて、住む事にしました。森への護衛や、体力もあるから色々手伝えると思うわ」

「そうですか。ブリタさん、カルネ村へようこそ。歓迎します」

 

 エンリは、にっこりと答えた。しかし、内心ではブリタの行動に少し疑問が湧く。

 普通は小さい村へと引っ込まず、大都市で冒険者を続ける者が多いはずだけどと。

 とは言え、村民が一人でも増えるのは貴重だし良い事である。

 

「ンフィーレア、一昨日、隣の家の吹き掃除はしておいたから、まだそんなに汚れてないと思うけど」

「ほんと? 助かるよ」

「ブリタさんも、村長さんに挨拶をして、どこかいい空き家を探しましょう。案内しますから」

「ありがとう、助かるわ」

 

 門の前での話がまとまった感じのところで、モモンに扮したパンドラズ・アクターが声を掛ける。

 

「バレアレさん。カルネ村へは無事にお連れ出来た事だし、俺達は日が沈む前にこの辺りでエ・ランテルへ帰ります」

 

 引越の荷卸しは、冒険者の仕事では無いのだ。おそらくエンリがゴブリン達を2、3人手伝わせるはずである。

 

「そ、そうですね、ではここで渡さないと。ちょっと待ってください」

 

 後ろへ振り向いたンフィーレアは御者台から降りると馬車の横を通り、後方でマーベロと並んで立つモモンだと思っている人物の所まで来ると、少し色を付けた代金の金貨3枚を笑顔で手渡した。

 

「ありがとうございました。無事に送ってもらって感謝しています。今回はモンスターも出ず本当に安全でした。また是非お願いします」

 

 ブリタも傍にやって来る。

 

「じゃあ、モモンさん、マーベロさん、またね」

「ええ。ブリタさんも頑張って下さい。では」

「し、失礼します」

 

 冒険者モモン役のパンドラズ・アクターと、鮮やかに魔法を展開した純白のローブ姿のマーベロは、速やかに空中へと来た道の上を空高く飛び去って行った。

 ンフィーレアとブリタはその姿を見送る。エンリも離れた後方で見ていた。

 エンリは、内心かなり寂しい。こんなに傍へいたのに旦那様と直接会話が出来なかったのだ。

 しかしここで、切ない彼女の頭の中に聞き慣れない音が響くと、今度は小声が流れる。

 

『エンリ、私だ。これは〈伝言(メッセージ)〉という魔法でな、聞こえていれば小さく頷け』

「!?――っ」

 

 エンリは、立ち尽くしたまま小さくコクリと頷く。聞き違えるはずの無い愛しい旦那様の声。

 

『先程の漆黒の戦士は、私の替え玉だ』

「(えっ?!)」

 

 口調や声は兎も角、以前家の中で見た姿と寸分たがわぬ容姿で、完全に騙されていた。

 声が出そうになり、彼女は右手で口元を押さえる。

 

『私は、お前のすぐ横に居る』

 

 エンリは、無言で思わず左右や後ろを向く。挙動不審だが、ンフィーレア達はマーベロ達を見送っており、荷馬車も間にあって気付かない。

 しかし、不可視化しているため冒険者モモンの姿は、やはり彼女に見えなかった。

 

「そうか、今は魔法で見えなくしているからな。ほら」

 

 更に真横へ寄って来たモモンの微かな声が少し聞こえて、エンリは――その頭を撫でられていた……。

 

「あ、アインズ様……」

 

 久々に、旦那様から直接触れて貰えてエンリは嬉しく、頬が染まる。思わずギュッと抱き付きたくなるがこの場は我慢する。

 

「この状況だと、冒険者として残っても夜まで話も出来まい。落ち着いたらまた戻って来る」

「(は、はい)」

 

 エンリは、囁くように返事をした。

 アインズの言う通りである。ンフィーレアとブリタが見送りを止め、こちらに振り向いて歩き始めたからだ。ンフィーレアの荷卸しやブリタを村長へ引き合わせたり空き家を回ったりと、一段落するまで不用意に接触しない方がいいだろう。

 間もなく頭から愛しい彼の手が離れた。

 

「あとでな」

 

 旦那様の、自分を気に掛けてくれる優しい何気ない言葉。

 しかし、エンリには大きい。それは――夜の御訪問かもしれないと、思いは一気に飛躍する。

 その事へ心の弾むエンリは、見えない旦那様へと小さく小さく頷いた。

 

 

 

 アインズが去ったあと、ンフィーレア達は二頭立ての荷馬車を門の中へと進めゴウン邸の隣まで着く。

 ここで、「あれっ姐さん?」と出来過ぎた芝居の様に、ゴブリン軍団からカイジャリら二人が助っ人に現れる。

 Lv.8のゴブリン兵士の筋力は常人を遥かに上回る。一人でも重量が50キロを超える製薬機材を軽々と倉庫へと丁寧に仮置きしてくれていく。荷卸しはわずかに20分程であった。

 その間にブリタは、エンリに付き添われ村長宅へと伺い、挨拶を済ませる。村長も新しい住人を夫婦で歓迎する。

 それが終わるととりあえず空家を回り、状態が良い感じで村に一軒だけあったイメージカラーと同じの赤っぽい屋根の家を気に入り、新居として決める。

 ついでに近所への挨拶も済ませ、その家に残されていた掃除道具を使い、エンリも手伝って寝床にする部屋だけでもと掃除する。夕暮れが近い午後5時半を過ぎた頃、一段落着いた。

 幸い、まだ数日は使えそうな蝋燭や薪等も残されていて、夜も何とかなりそうである。

 後で食事を何か持ってくると告げ、エンリは一旦ゴウン邸へと道を戻る。

 その帰り道で、彼女は先程まで一緒にいた女戦士ブリタとの会話を思い出す。

 

「さっきね、護衛で送ってくれた漆黒の戦士、モモンさんっていうんだけれど、本当にスゴイのよっ」

 

 そんな感じで始まったが――。

 

 明らかに偏った比率で、冒険者モモンの話が多かったのだ。

 

 偶然ではないだろう。

 エンリよりも年上だが、ブリタもまだ若い乙女。それが何を意味するのかは明白だ。

 女戦士の終始笑顔だった表情からも、熱い好意の気持ちが伝わってくる。彼女も結果的だが、少なくとも二度はモモンに命を助けられたという話だ。

 最近のブリタの身の上話を聞くと、漆黒の戦士と出会う少し前、仕事で盗賊団に襲われ仲間の多くを失い結果的にチームは解散状態で1人になったらしい。モモンと出会ってからも、冒険者を続けたい気持ちは有ったが、新しい良い仲間と出会う機会が少なく上手く見つけられず、彼の勧めも有り誇りと自立を考えこの村へ来たという。

 兎に角、彼女が強調するのは冒険者モモンが紳士だという事。

 その圧倒的剣技と経験の豊富さ。恵まれた相棒は美しくて可愛い従順な魔法使い。普通なら、強引気味の自信家で、女は組み伏す感じの荒くれ冒険者でもおかしくない。というかそんな連中が殆どだと。

 しかし、漆黒の戦士には傲慢さや粗暴さは皆無――知的に冷静且つ謙虚で優しく、欲深くもなく気前がとてもいい、これまでに会った事のない人物だという。チーム『漆黒の剣』の面々も非常に友好的だが、実は彼らも少数側の部類だ。

 エンリにしてみれば当然である。モモンは、良く知る偉大な神に近しいアインズ様なのだから。

 国家を代表するレベルの大きな部隊すら、平然と無傷で完封してのける水準の強さ。一般的に出没するモンスターや盗賊団では、何百名いても恐らく全く勝てないだろう。

 そして、国王すら足元にも及ばないだろう財力と戦力と美女群を持ちながら、驕り溺れることなく冷静に悠然とこの世界を見ているのだ。

 

 まさに人物の格が違う。

 

 とはいえ、憧れる気持ちは共感出来るし、同じ人物に通じていれば価値観が近いと思え、親近感が湧いてくるものだ。

 元々エンリはあれほど至高である旦那様を、一人で独占などおこがましいと考えている。またカルネ村の防衛責任者として、新戦力の戦士ブリタとは仲良く出来そうだと笑顔で家の傍まで戻ってくる。

 

「ンフィーレア、片付けは終わった?」

 

 明かりが灯り隣家となったンフィーレアの新バレアレ家へ声を掛けると、すでにお邪魔していた妹ネムの出迎えを玄関前にて受けた。

 そして、ネムの後に続き外へと出てきた笑顔の薬師少年は礼を述べる。

 

「う、うん。大丈夫、問題ないよ。カイジャリさんとゴコウさんだっけ? ビックリしたけど、凄く力持ちで親切だし助かったよ、色々ありがとう。ブリタさんの方は?」

「家も決まったし、少し一緒に掃除して寝床も確保してきたよ」

「そう、よかった」

「今日はブリタさんの分もあるから、後で何か食事を持ってくね」

「ほんとっ?! 待ってる」

 

 思わぬ手料理の話に、とても嬉しそうなンフィーレア。

 

「じゃあ、あとでね、ンフィーレアっ」

 

 対して、アインズが夜に来るかもと思い、足取り軽くエンリもネムを連れて、踊るようにゴウン邸へと入って行った。

 

 

 

 

 

 アインズは大都市エ・ランテルへの帰路の途中で、無事にパンドラズ・アクターと入れ替わり城壁門まで戻って来る。マーベロが〈飛行(フライ)〉で相当飛ばしたため約30分程での帰還だ。午後5時へ近い。

 パンドラズ・アクターの化けた冒険者モモンは、ンフィーレアやブリタ、エンリにも十分通用する事が分かり、非常時には当てになりそうだ。

 ただ少し注意点がある。パンドラズ・アクターが扮する場合、素でレベルが80程になる。なので攻撃については、デス・ナイトを少し上回る程度まで力を押さえろと通達している。

 『漆黒』のモモン達は、カルネ村への護衛任務終了を伝えに、いつもの第三城壁門を通過し冒険者組合へとやって来た。

 明日も、先日引き受けた五つ目である最後の護衛案件が控えている。都市外へ出られるかについても一応確認しておくかと、組合の扉を開く。

 ロビーには掲示板に貼り出されている仕事を見ていたり、軽く情報を交換している冒険者達が10名以上いた。

 

 そんなロビーのソファーに―――ニニャは一人座っていた……。

 

 モモンは気付かなかった。『漆黒の剣』はいつも四人で行動すると思っていたからだ。

 入口の扉を開けて入って来たのが、先程から1時間ほど待ち続けた淡い想いを寄せる漆黒の戦士だと気付き、ハッとするように『術師(スペルキャスター)』の二つ名を持つ彼女は立ち上がる。

 

(モモンさん……これで会えるのが最後かも知れないから、今日お話をしておきたいっ)

 

 ニニャには、秘めた決意があった。

 

「ぁ、あの、モ――」

「――モモンさんっ、丁度いいところにっ!」

 

 ニニャがモモンへ正に声を掛けようとした時に、それを完全にかき消す形で受付の女性から大きい声が掛かった。

 ロビーにいた10名以上の冒険者達が、一斉に受付嬢を見る。隠す事ではない祝い的な意味も込めて、彼女は続けて叫んだ。

 

「先日の盗賊団討伐の実績が大きく評価されたのと、今、非常事態という事もあって急遽――モモンさんとマーベロさんのチームは白金(プラチナ)級へ認定されたんですよっ!」

 

 すると、本人達よりも周囲に偶々いた冒険者達の方が驚きと歓声の声を上げた。

 

「おぉーーーーっ、凄いなっ、加入して半月だぞ!」

「信じられないぜ、(カッパー)が一気に白金(プラチナ)級って。やるぅーっ」

「ええっ? すごい飛び級っ!?」

 

 ニニャもその場で唖然となる。彼女も聞いたことが無い驚愕の昇級内容。

 目立つ立派な漆黒の鎧や純白のローブに紅い杖を装備するモモンとマーベロが、まだ(カッパー)級という事実は有名であった。

 冒険者達の階級は本来、試験によって上がっていく。概ね期限内に基準の戦果を上げることで強さと能力を証明する形だ。

 だがこのように、大きな功績の場合は達成チームの水準が再評価される場合がある。

 今回の対象は特に、(ゴールド)級を含む冒険者チームまでもがいくつも犠牲になっており、相手が数十人である上に相当の難度を持つ者達で構成され、達成難易度はかなり高い内容であったと評価されていた。

 するとここで、受付嬢の声とロビーの騒ぎが届いていたのか、事務所奥から扉を開けて冒険者組合長のアインザックが出てきた。

 

「おお、噂のモモン殿とマーベロ殿か。丁度いい、少し奥で話をしたいが時間はいいかな?」

「ええ、大丈夫ですが」

「は、はい」

「では奥で話そう」

 

 そう言って通路を通り、モモンとマーベロは事務所奥の広めの会議室へ、アインザックに従い入室する。

 

「まあ、掛け給え」

 

 8人掛けのテーブルの手前側へモモンら二人は並んで着席すると、窓際の上座の席に組合長のアインザックが座る。

 そこで受付の女性が、お茶と林檎より一回り大きい袋を二つ乗せたトレーを持って入って来た。彼女はお茶を配り、袋を組合長の傍へ置くと礼をして出て行く。

 

「さて、少し話を聞いたと思うが、君達は今日から白金(プラチナ)級冒険者だ。先日の盗賊団討伐については人を送ってアジトも検証した結果、別の都市だろうが元冒険者崩れの連中だという事も分かった」

「そうですか……」

「手強い相手だったと思うが、本当によくやってくれた」

「いえ。皆さんの安全を守れてよかったです」

 

 街の多くの商人や旅人達を襲撃していたのが、元冒険者崩れの一団と分かれば、エ・ランテル冒険者組合の信用や面目的にも大きい問題となる。また、これに対処することは当然であり、急務になったと思われる。それをモモン達は結果的だが事前に処理してくれていた。

 アインザックは、そういった面も考慮して総合的に判断する人物であった。

 

「まず、白金(プラチナ)のプレートを渡しておこう。おめでとう、これからもよろしく頼む」

「ありがとうございます」

 

 大した労力を使っておらず、余り期待していなかった人質救出と盗賊団討伐が思いのほか好評で、モモン達の名声上昇と実績に随分貢献していた。街の中の人々、また冒険者達も、余所者で新参だったモモン達への見る目が大きく変わった。明らかにもう街の一員として、隣人的扱いで親近感を抱いてくれているのだ。この立派で友好性溢れる実績がそうさせていた。

 元々はシャルティアが失態を挽回しようとして、頑張って捻り出してくれた案であるのだけれど。彼女は、いい仕事をしたと言える。

 

「そして、これは功労金だ。アジトから回収した財貨は金貨で1150枚ほどにもなった。今回は色々と貢献度を評価して本来の1割ではなく1割5分としている。金貨――173枚だ、さあ受け取ってくれ。遠慮はいらんぞ」

「あ、はい、では遠慮なく」

 

 すでに、アインズ側でも金貨1200枚と400枚。モモン側でもこれで200枚程受け取っている。他、陽光聖典らから得たスレイン法国の金貨も80枚程あった。

 一般世帯の年収は金貨10枚程度。

 何気にアイテムボックスへどんどん貯まっているが、これはまだほんの始まりに過ぎない……。

 また、モモンは良い事ばかりに思考を向けていなかった。

 (カッパー)から白金(プラチナ)級へ変わった事で、大きく変わることがあった。

 それは続けてアインザックの口から伝えられる。

 

「ついては、分かっていると思うが今は非常事態だ。少しでも力があり戦力となる冒険者を必要としている。君達も――竜軍団討伐の為、急遽だが王都遠征に参加してもらいたい」

「……少しだけ質問が」

 

 その静かなる問いは急に遠征を振られた事で、この『漆黒』チームも(ドラゴン)を相手にする事へ内心動揺しているのかと思い、そういった関連の質問だと組合長は考えていた。

 

「何かね?」

「実は――明日、護衛の仕事を受けているんですけど、それが終わってからでも良いですか? それと、仕事は都市外に出てなんですけど、問題ないですよね」

「……そ、それだけかね?」

「はい」

「ふっ、ははははーっ。いいとも。いや、大事な事だな、うん。都市外に出ても大丈夫だ。王都で明日から一週間後に遠征した組合員の再点呼をするから、それまでに来てもらえれば問題ない。また急での病気なども考え、数日の遅れぐらいは大目に見るつもりだ。話は以上だよ」

 

 そう語るアインザックは内心で驚く。急であったはずのこの場での状況変化の後も、モモン達の雰囲気は横に座るマーベロも含めて微塵も変わらない事に。

 今日の昼間に会ったが、この都市で最上位クラスとなるミスリル級冒険者チームを数年率いるイグヴァルジですら、期待と恐怖の入り混じった複雑な雰囲気を漂わせていたから。

 先の集会でも王都での再点呼の話は伝えられている。そこに居なければ厳罰になると。(カッパー)級のモモン達は関係ないと、その場では軽く聞き流していたが。

 モモンは、新しいプレートを首へ掛け、金貨袋をとりあえず懐へしまうと席を立つ。

 

「では、明日の仕事を終わらせた後、王都にて合流しますので」

 

 続いて新しいプレートのマーベロも立ち上がった。最後にアインザックも立ち上がり、モモンとマーベロへ順に握手する。

 

「よろしく頼む。『漆黒』の君達には――大いに期待している」

 

 装備と貫録、そして実績と力量。アインザックはモモン達を最低でもミスリル級以上、恐らくオリハルコン級並みの実力だと推測し始めている。

 背負うグレートソードの二刀流と紅く高位の杖……噂通り人食い大鬼(オーガ)を一閃する威力で自在に振れる戦士と、第三位階魔法を無尽蔵に速射連発出来ると聞く詠唱者ならアダマンタイト級も有り得ると。

 正直、今回の盗賊団の規模を考えると、白金(プラチナ)級一組では難しい水準だと思えた。しかし、流石にいきなりミスリル級へは、実力よりもまだ実績が不足と言える。

 今回は実力とかなりの実績から、白金(プラチナ)級が落としどころだと組合長は判断していた。

 予想通り、街の安全に随分貢献したモモン達の異例の昇級をこのあと批判する者は殆どいなかった。実力があってこその冒険者である。同じことが自分に出来るかを考えれば、荒くれ達も自然と言葉を選ぶ。

 15分ほどで奥から出て来たモモン達は、いつの間にかロビーへ先程より集まって来た冒険者達から、祝福の言葉を受ける。

 

「昇級おめでとうっ!」

「快挙だぞ、王都でも殆ど聞かないぜ」

「ほんとに白金(プラチナ)へ上がったのねー」

 

 モモン達の首に掛けられたプレートは紛れもない白金(プラチナ)の輝きを放っている。

 ここへ来た冒険者達は(ドラゴン)と戦う事が不安なのだ。そんな状況の中で、モモンの様に突出した強者の出現は多くの者の希望となる。だから、出発前日の今、少しでもあやかりたいと集っていた。

 対してモモンは、とりあえず手早く礼を述べる。そして知り合いでもないのに、いつまでも付き合う気もなくお引き取りを願う。

 

「皆さん、ありがとうございます。俺達はまだこちらへ来て間もないので、これからもよろしくお願いします。すみませんがまだ仕事の途中ですので、この辺りで失礼します」

 

 そもそもまだ、ここへ来た目的であるバレアレ家依頼の『カルネ村への護衛』に関する終了報告が終わっていなかった。冒険者達も、仕事の邪魔は出来ないとロビーから引きあげ始める。

 モモン達はすぐに受付へ向かうと、手順通り受付嬢へと仕事完了の報告を行なった。今回はモンスターを討つ機会に遭遇せず、それによる功績と報奨金はゼロという形だ。

 ロビーから人は減ったが、まだ掲示板を確認する者もおり10人程の冒険者達が残っていた。

 ようやくモモン達が受付での報告を終えると、その残った冒険者の中で先端に輪の部品がある杖を持った一人の人物が後ろから近付いて来た。

 

「モモンさん、マーベロさん」

 

 結構聞き覚えのある声に、モモン達は振り向く。

 そこには――ニニャが立っていた。

 モモン達も遠征するという事で状況は変わったが、彼女の決意は固く変わらず、まだこの場へ残っていた。彼女は決めた事から逃げるタイプではない。

 モモンとしては、ツアレの妹と確信していて僅かに複雑である。一体どういう形で会わせれば自然かと。アインズとモモンの繋がりは余り感付かれずにいたいのだ。一番無難と思うのは、最終的にツアレをカルネ村へ連れていく事だと考えている。現状、それ以外に自然性の高い接点は皆無。モモンが村でツアレの事を一度でも聞ければ、「カルネ村にツアレを名乗る金髪の娘がいる」と一言報告するだけで良いし。

 

「見てましたよ。白金(プラチナ)級への昇級、おめでとうございます。流石ですね」

 

 ニニャは自分の事の様に、本当に嬉しそうである。

 今まで彼女も一階級の飛び級すら聞いたことが無い。しかし、モモンとマーベロの圧倒的だったあの戦いを見れば十分納得できる結果だと思う。ニニャは魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしく、あの盗賊団との戦いで見せたマーベロの連続魔法発動数に驚いていた。正に速連射である。自分もリキャストタイムギリギリで頑張れば二連射、稀に三連射ぐらいまでは出来ると思うが、それ以上となると普通は続かないのだ。マーベロの十連射を受ければ第四位階の魔法詠唱者も普通に危ないだろう。

 そんなことを考えているニニャという戦友的知り合いからの祝福に、モモンは素直になれた。

 人であった頃の感情や精神は、随分薄れていたが無くならずに残っている。先程、面識のない人間達に祝福されても感慨はなかったが、『漆黒の剣』のメンバーに言われると心に届いていた。

 

「ありがとう。知り合いに言われるとやっぱり嬉しいかな」

「あ、ありがとうございます」

 

 マーベロも、モモンが喜んでいる様子に合わせてニニャへとお礼を言う。相手を判断してここでも自然に動いてくれる。

 ふとここで、モモンは気付いて尋ねた。

 

「あれ、今日はニニャ一人?」

「え、ええ。……ちょっと外に出ませんか?」

 

 彼女の苦笑する表情と雰囲気から、なにやら訳が有りそうだ。ここでは他の者に聞かれそうで話し難い内容なのだろう。姉の話かもしれない。

 

「分かりました。じゃあ外へ行きますか」

 

 そうして三人は受付や、残っている冒険者らに挨拶や会釈する形で冒険者組合の建物から外へ出る。

 パンドラズ・アクターは不可視化のまま、邪魔にならない様に〈飛行〉や〈転移〉を使って会議室等へもずっと傍に付いて来ていた。

 

(そういえば、新しく貰った白金(プラチナ)級のプレートのコピーを急ぎ作らないといけないか)

 

 今日の件でもそうだが、(カッパー)級のプレートは複製品を用意しており、パンドラズ・アクターはそれを持っている。今入れ替わる場合は、白金(プラチナ)級のプレートを渡す必要があった。手渡せない場合も考えて、複製品はやはり必要だろう。

 時刻は午後5時半頃。夕暮れは近いがまだ明るい。

 組合前に広がる広場の中へと進む。植栽や噴水もある場所だが人通りは多い。まだモモン達に挨拶をくれる冒険者達も結構いて、ここで立ち話をするという訳にもいかない感じだ。

 

(さて、どうするかな……)

 

 そう思った時であった。

 

「モモン……ちゃん?」

 

 また、聞き覚えのある()()()()()()()()()に、漆黒の戦士とマーベロ、そして釣られる形でニニャは振り向いた。

 

 

 

 そこには――前を緩く開けた紺碧色のローブを纏って、以前とは違う騎士風の衣装装備に腰へ左右1本ずつ握り手の細工も立派であるスティレットを下げ、フードで美しい金髪や表情を隠したクレマンティーヌがひっそりと立っていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――P.S. シャルティアと配下達。

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第二階層の一角を占めるシャルティアの自室区画から少し歩いたところにある一室。

 デミウルゴスは、トブの大森林への侵攻時にコキュートスと変わりナザリックの防衛を担当する際の注意点等を洗い出す目的で、シャルティアとの打ち合わせの為、ここを訪れていた。

 その打ち合わせが始まって10分程過ぎた頃、デミウルゴスは急に立ち上がり「はっ、直ちに」と言葉を残し〈転移〉していった。

 

「えっ、なに?!」

 

 寝耳に水というか、残されたシャルティアは状況がサッパリである。

 デミウルゴスがあれほど畏まるのは、至高の御方の我が君に対してだけだ。

 

「なんて羨ましいっ、ズルいでありんすっ」

 

 確かに駆け引きが入る役目をシャルティアは余り得意としていない。彼女は、単に豪快なパワー勝負という戦いが向いていた。

 それでも、連れてけと思う。彼女も絶対的支配者のお役に立ちたいのだ。

 難しい駆け引きなど無視していっそのこと、全部倒してしまえばいいのだと。

 デミウルゴスには無理でも、全力装備のシャルティアになら可能である。

 相手が世界級(ワールド)アイテムを持っていなければ、相当強い敵に加え2、3体連戦でも圧倒して勝てる自信も持っていた。

 そのためにナザリックの門番とも言える、第一から第三階層の守護者を任されているつもりでいる。

 

 だから――シャルティアは機嫌が悪くなった。

 

 今回も駆け引きの難しい急務の依頼なのだろう。でも行けば、何か出来るはず。

 それが今ここで、お留守番である……。

 この時、側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が守護者を慰めようと声を掛けた。

 

「シャルティア様は、お強いですわ」

「デミウルゴス様は御忙しいですわね」

 

 それを聞いたシャルティアが、ジロリと側近らを睨むように目を向け口を開く。

 

「あ? 強いのに何故、残されてるんだ私は? そうだな、私はどうせ暇だよ」

「「……」」

 

 どうも、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達の向けてくる言葉や行動は、シャルティアの思いから逸れていてチグハグなのだ。

 

「……もういい、お前達、下がれ」

「「は、はい……」」

 

 シャルティアが、配下へ手荒くよくイライラしているのには原因があった。

 彼女は、このナザリックのNPC達の中で僅か9体しかいない最高のLv.100を誇る。

 それに対して、見た目を重視したシモベである側近達の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)のレベルは20台後半と低かった。

 Lv.80を超える最高位のアンデッド達も階層配下にいるのだが、戦闘に特化した者達で会話がかなり微妙といえる連中であり普段は遠ざけている。

 そのため、平時は要求に対して十分に期待へ応える者がいなかったのだ。

 

 そんな彼女の現状を見ている者がいた。

 ギルドのAIマスターであったヘロヘロ作の新参NPC『同誕の六人衆(セクステット)』の一人、謎スライムのエヴァである。ちなみにボディー色は高貴な紫だ。

 

「……………(イケマセンネ)」

 

 エヴァは物腰と話は静かでも、気はよく利く方であった。

 先日より、この謎スライムは自らの意志でシャルティアの配下に加わっている。

 紫色であるスライム状の粘体の身体で這うように近付くと、上司に向かい話し掛けた。

 

「……………(エヴァデス、シャルティア様。焦ラズトモ、竜王トノ戦イニハアインズ様ヨリ必ズ呼バレマスカラ)」

 

 シャルティアとしては動死体(ゾンビ)で可愛いフランチェスカに来て欲しかったのだが、我が君が決めた自主選択に異議を唱えるつもりはない。

 それにこの者はシモベでは無く、至高の41人の方の創造物。上下関係はあるが、会話には廓言葉を使っている。

 

「……そうか、そうでありんすね」

 

 だがエヴァの言葉も彼女には、気休めのように思え軽く返した。ところがそれを上書きする語りが続く。

 

「……………(先日ノ宴会デ、アインズ様ヘソレトナク再度確認シテオキマシタ。必ズ呼ブト仰セデシタヨ)」

「!――そうでありんすかっ、とっても嬉しいでありんすよ!」

 

 胸元で両手を合わせて喜び、シャルティアの機嫌は一気に直った。堂々と活躍出来るとニコニコしている。

 そして、エヴァは加えて前向きに提案する。

 

「……………(デミウルゴス様ヘ、次ハ呼ンデ頂ケルヨウニ、気持チヲ示サレテハドウデスカ?)」

「うーん、……どういう感じででありんすか?」

「……………(マズハ常ニ真剣ダト言ウ、意気込ミヲ見セテオクベキデス)」

「ふむ、ふむ。悪くないでありんすね」

「……………(コノ後、打チ合ワセガ大事ダト意思表示スルタメ、デミウルゴス様ノ帰リヲ出迎エラレテハ?)」

「そうね、積極性は大事よね。今回は特に大事なナザリック防衛の打ち合わせだし。待つのは性に合わないけど、いいでしょう。今日は待つでありんすよ」

 

 そう言って、彼女は第一階層へと単身で上がっていった。

 このときの積極的に取り組む彼女の姿勢をデミウルゴスは、細かい所ではあるが重要点として、しっかり評価している。

 

 デミウルゴスとの打ち合わせを終えたシャルティアへ、側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達が労う。

 

「今回の防衛の大役はシャルティア様へピッタリです」

「きっとアインズ様も、シャルティア様の働きに期待されておりますよ」

 

 シャルティアは彼女達へゆっくり顔を向けると――ニッコリ微笑んだ。

 

「そうよね。きっとそうだわ……お前達もたまには良い事を言うじゃない。褒めてやる」

 

 側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達も守護者に褒められ笑顔を浮かべる。

 単純に直感で動くタイプのシャルティアは、独りよがりの考えかと少し不安だった部分を配下に同意され、やっぱりそうかもと思い直しているのだ。

 階層守護者の真祖は、このあと気分良く過ごした。

 デミウルゴスとの打ち合わせ中に、エヴァが側近の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)達へ何度も問答をし守護者の考えや希望する言葉と意味を丁寧にレクチャーしていたという……。

 

 守護者序列一位であるシャルティアの率いる軍団が、高速回転で順調に回り始める。

 

 

 

 

 

 

――P.S. 王城にて。

 

 

 王都リ・エスティーゼにあるロ・レンテ城内のヴァランシア宮殿には、大理石で造られたそれなりに立派といえる浴槽のある入浴場があった。

 王家の客人であるアインズ達もその使用が許されている。

 ただし、水を薪で沸かす形なので、毎日とはいかず二日に一度という事である。

 宮殿の一階の一角にあり、男性用、女性用と分れていた。

 また王族の入る時間は決まっており、お湯の綺麗な午前、その10時までは客人も使用禁止である。

 それでも、ルベドやユリら乙女達は十分サッパリと出来る。

 いや――そんな甘いものではない。

 客人という名目上、アインズ達の一行もしっかり入浴しなければならない。

 『不潔なお客人』という不名誉的汚名が、至高の御方へ付かないように……これは正に課された義務なのであるっ。

 

 

 ルベド、シズ、ソリュシャンは客人という立場であり、王家の入る時間以外は自由に入浴出来る。彼女達は、日が沈んだ後で入浴する事にしている。

 水晶が放つ〈永続光(コンティニュアルライト)〉により浴室は幻想的空間になる。

 これは、昼間よりも視界が悪いという状況を利用できる時間帯でもあった。

 

 ルベドは腰から生えた白く優雅でモフモフな翼を持つので、人が多いと不可視化していてもマズイ点がある。浴槽に入ると当然、湯が翼の部分を避けるのだ。

 他の客と言っても貴族の婦人と召使い程度なので、本来気にするほどの人数ではない。ところが、色白で天使の彼女は美しすぎて視線を集めてしまっていた。

 ルベドは姉達であるアルベドらよりも少し背は低いが、コンパクトグラマラスで僅かも見劣りしない綺麗な肢体を披露している。なので、他に人が来るとルベドは浴槽には入らず、身体を丹念に洗っていた……。

 

 シズは、自動人形(オートマトン)だが、しっかり防水加工されているので入浴も()()可能だ。また、服は脱いでも眼帯はやはり外さない。

 着やせするタイプで、小ぶりながらも美しい形の胸はしっかりと存在している。

 そんなシズにも難点があった。浴槽へ横になると――比量で底に沈み続けるということだ。

 なので、浴槽内で横になることだけは禁じられている……。

 

 そしてソリュシャンである。

 プレアデス姉妹でも屈指の美しさ。それは髪や顔だけではなく、そのスタイルも絶世の女性体と言えるだろう。

 その彼女の難点は――入浴場で全裸の人間を見ると、絶好の餌に見えることだ……。

 入浴時は気分がいいので、思わずパクリと食べたい捕食衝動が激しくなるという。

 このため、人間の入浴者が他にいた場合は、背を向けて離れていなければならない。

 

 彼女達は入浴時、一切体を隠す形の湯浴み着や布などは身に当てずに入っている。

 いわゆる全裸である。

 そんなシズ達は、偶々3人でのんびりと浴槽に浸かり入浴していた。

 すると、ソリュシャンが不意にトンデモナイ質問を繰り出す。

 

「ルベドは――()()()()最初に洗うんですの?」

 

 すると、最上位天使はアッサリ答える。

 

「羽。元々敏感で大事な所だけれど、アインズ様が気に入って最近触ってくれるから」

「あら、そういえばそうですわね。アインズ様はモフモフなのがお好みみたいですわ。羨ましいですわね。私もソレ狙いで髪から丁寧に洗ってますわ。私の髪も艶々で触り心地良くロールも増し増しにしてますから、もっとナデナデして頂きたいところですけれど……姉様は?」

「……ナデナデ狙い。髪は……大事」

 

 少し頬を赤らめつつ、シズも答える。どうやら、姉妹の狙いは同じようだ。

 

「そうですわね。アインズ様に私達の髪をもっと堪能して頂かないといけませんわ。……でも、姉妹の中で姉様の撫で回数が多すぎるように思いますけど。少し私にも回して下さいな」

「……無理……譲れない」

「そ、そんな……」

 

 すでにナデナデは、シズの『らいふわーく』ルーチンに組み込まれている模様だ。

 ソリュシャンはこの時、要望を拒否されたと思った。シズとしてはナデナデを譲れないと。

 

「……ソリュシャン……それ……譲れるモノ……違う」

 

 だが先の『譲れない』は、拒否ではなく否定であった。

 

「うっ、確かにナデナデはアインズ様の御厚意でご褒美。失礼でしたわね……分かりましたわ、このソリュシャンも全力でナデナデを貰えるように励みますわっ」

「……シズ……負けない」

 

 ルベドは、姉妹の温かいやり取りをお湯にゆったり浸かりながら、ニヤニヤとご機嫌で眺めていた――。

 

 

 

 ユリとツアレは使用人という立ち位置。暗黙の了解で入浴は一番遅めの時間帯となる。

 ユリは首のチョーカーに白い布をスカーフの様に巻く形で、誤魔化して入っている。もちろん眼鏡は外さない。

 二人は色が透き通る様に白い。特にユリは胸も大きくスタイルは完璧で美しい。

 

「ユリ様は本当にお綺麗ですね」

「ありがとう。でもツアレ、貴方もとても綺麗だと思うけど?」

 

 ユリから見ても、ツアレは左右での差が比較的小さく、それを除いても艶の輝く金髪を初め、人間にしては顔立ちや体形の整った明らかに美人の容姿を持っていた。

 妹達も、まあ人間にしてはと、口を揃える。

 ツアレは、ルベドからユリがシズ達の長姉だという事を知らされ、このメンバー内で使用人という立場は仮初めであることを聞いて、それ以来敬称を付けている。

 彼女は底辺から救って貰った身で、ご主人様と共にゴウン家を支えている風に見えるユリやソリュシャン達とは立場が全然違うからだ。

 小都市エ・リットルにて、宿泊する高級宿屋でアインズより、貴族達への反撃の意志を聞いた後の就寝前に「これからは一個の人物として新たに誇りを持ち、過去の事は余り気にするな」と伝えられていた。

 もちろん、ツアレはそれ以来誇りを持っているつもりでいる。もう、ご主人様以外にこの身体で尽くすつもりはない。ユリ達ゴウン家の者への敬称は、救って貰った者のけじめでもある。

 それにしても、ここでは食事も三食あり豪華、寝床も立派で暖か、ご主人様は最高で、ソリュシャン達からも隷属的扱いは一切ない。おまけに、こうしてゆっくりのんびりできる入浴まであるという。

 ツアレは、こんなに幸せでいいのかと毎日思っている。

 

「ありがとうございます、ユリ様」

 

 褒められるもこの容姿の所為で、弄ばれる身分になり人生が狂ったと言える。しかし同時に、このご主人様へ引き合わせて貰える引き金になったのも事実。今は過去に囚われず、これで良かったのだと思える人生にしようと考えている。

 

「……ここ数日は夢みたいな生活です。ほんの一瞬で、ほんの小さいきっかけで、人は死んだり生きたりするのですね」

 

 ツアレに人生とは、本当に紙一重で難しいものに思えた。

 そんな彼女の言葉へ、あの出会いの時を思い出しユリが自分の考えで語り掛ける。

 

「でもツアレ。君はあの時、ちゃんと自分の力で手を伸ばしてきたのでは? 努力をしない者に、手を差し伸べる者は少ないと思うよ」

「……はい」

 

 確かに。

 ツアレはそう思った。あれは間違いなく毎日、屈辱に耐えて準備をしてきた結果だったと。そしてこれからは、アインズ様の為に日々尽くす努力をしていこうと思っている。

 ユリは、人間に対しても真摯に接する事から、このコンビは非常に良い自然の関係であった。

 

 午後9時を超えるこの時間、宮殿の召使い達の利用は多く、今も二十人近くが入浴場に現れている。

 宮殿の召使いは、下級貴族達の娘でも容姿の整った者らが寄越されていたが、その者らが集っているこの場の中にあって、ユリはズバ抜けて美人であった。そして次がツアレである。ツアレだけでも、貴族の娘達を凌ぐ美しさを持っていた。

 ユリとツアレは数回ここを利用しているが、二人に入浴場で遭遇すると、召使い達の女子からは密かに自身へのため息が漏れていた。

 

 

 

 アインズ一行の中で入浴に際し――ただ一人、微妙な立場の人物がいる。

 

 至高の御方の代役を務めるナーベラルである。

 

 影武者である以上、支配者の『入浴する清潔なお客人』という名誉を守る為……男湯に入る必要があった。しかも全裸でだ……。

 ナーベラルとしての存在は、この宮殿内にあってはならない。女湯ではダメなのだ。

 とは言え乙女であるナーベラルは、下等動物である上に全裸のオスと同じ浴槽に入るなど、絶対に御免被りたい。

 しかしそれは我儘というもの。凛々しい目付きで口をもごもごしつつも黙して悩むナーベラル。

 そんな、乙女の配下を不憫に思ったアインズが取った作戦は――誰も入らない夜中に男湯へ入るという手である。

 入浴場の掃除は、入浴の無い翌日に行われるため、お湯は夜中もまだ抜かれておらず使うことが出来た。

 だが、ナーベラルによる夜中の入浴が実行されたのは二回目の入浴時以降であった。

 王城に来て初めての入浴は、晩餐会の行われた夜の事である。

 しかしその時はアインズがいたため、ナーベラルはもしもの時のため不可視化で同行するに留まる。

 アインズは自身の周囲へ準備していた幻影魔法を展開することで、離れて見る分には人間の体に見えるようにした。

 もちろんソリュシャンにより、他に入浴者の居ない事は確認済である。

 ナーベラルは主へ失礼の無いよう、ドキドキしながら目を閉じ終始跪いて脇で控えていた。

 そうやって、アインズは入浴を無事に終える。

 さて、入浴場から引き揚げようと出入口を出た時だ。時刻は夜中の0時頃。

 この朝、竜軍団の知らせが来るのだが、この時間はまだ静寂が宮殿を包んでいた。

 男性用と女性用の入浴場は湯を沸かす等、構造上一部薪釜部屋を挟んで隣り合っていた。それゆえ、互いの入り口前を通る事もある。

 とはいえ遅い時間にも拘らずアインズは、四人の召使いの女性達に椅子を担がれ、それに座る一人の人物とすれ違った。

 正確には男湯の入口前を通過していた時に、アインズ達が出てきたという形。

 ソリュシャンは接近に気付いて一応〈伝言〉で知らせるも、入浴は終わっており、客人ゴウンの入浴を目撃している人物がいた方が良いと判断したアインズはそのまま出る。

 

「ん?」

 

 少し薄暗い廊下の中でアインズは、〈闇視(ダークヴィジョン)〉で鮮明に視界へ捉えるその人物を見て、少し驚く。

 その人物は、真っ白い肌で青緑の瞳の少女。身に纏うは真っ黒いドレス。

 

 ――そして、その美しい金髪と顔はラナーに似ていた。

 

 少女は、無言だったが軽く会釈をくれた。

 アインズも小さく返す。

 この時、彼の目に映った少女の姿に、脛の下の素足も見えていたが、退化した風に少し細かった。

 四人の召使い達と椅子に乗る少女は止まることなく、ゆっくりだが(じき)に入浴場の女性用入口へと消えて行く。

 アインズは、その場に立ち止まり見送っていた。

 

(足が不自由で、王女に似た少女……?)

 

 絶対的支配者の思考には自然と、その存在が空白の第二王女のことが浮かんだ。

 だがその価値は、王家でも存在を隠す様に入浴させられている状況と同じく見い出せず、アインズの記憶の奥へと今は仕舞われていた――。

 

 

 




捏造)第十位階魔法〈時間保持〉(タイム・ホールド)
止めた時間の中で動く〈時間停止〉(タイム・ストップ)とは少し違い、一定の範囲に〈時間停止〉を掛ける。中に入れば〈時間停止〉と近い状態になるが外の時間は流れているという形。
〈時間凍結〉(タイム・フリーズ)もあり、それは〈時間保持〉が長期的なもの。
消費するMPやデータ量に差がある。またユグドラシルでは、制限時間が存在した。
ただ、いずれも其々対策されれば無効化される。



捏造)ラナーの頭の中
あくまで普通の人間種として頑張ってみました(汗
さすがに普通の人間では、ナザリックの圧倒的な力を相手に限界はあると思います。

ちなみに元々は、うまく戦士長を先に和平交渉団の護衛に加える予定でした。そうすれば自動的にゴウン一行は付いて来るので。
それをゴウンが別人と見て容易だと、前後逆にしてしまった……策士策に溺れた感もあり。



捏造)王国第二王女
つまりラナーの姉。
そして、また登場する姉妹が密かに増えた……(笑



補足)ニンジャな双子姉妹
18話にて神視点で頭領三姉妹と出ていますが、この部分ではナザリックに伝わる情報とデミウルゴス思考の箇所なので。



誤字報告の方)機能に気付かず…サンクスです
Bow and scrapeほど格式ばっていないのもあり、ウィキの写真ですと曲げてるのはやはり右手で左手は伸ばし水平や下方に出すみたいなので、左手に関しては割愛する感じで表現を少し修正しました。
もう一か所は、一応補足に追加しました。
※なお、誤字報告と内容訂正は違う気がしますので、感想でお願いします~。

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