オーバーロード ~ナザリックの華達は戦っている~   作:SUIKAN

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注)モモンの口調について
気分転換の名目でアインズの重々しい感じでは無い、鈴木悟の素の口調になっています。


STAGE15. 薬師少年の焦りは一体どうナルの件(4)

 ンフィーレアを目的地の家まで送ったマーレが、アインズの所に戻って来ると、荷馬車の荷台にとんでもないものを見てしまう。

 あの人間のクレなんとかが、座っているモモンガさまの肩に背を預ける形でベッタリとくっ付いて座り、ニコニコしながら何やら楽しそうに話をしているのだ。

 マーレの元気な可愛い瞳が一瞬、明かりが消えるかのようにスーッと色を失い掛ける。しかし、主様の重々しい声での『冒険者モモンのパートナー、マーベロだという事を常に忘れるな。お前は状況判断も出来る子だ、非常時以外はその力は伏せておけ。いいな、頼んだぞ』とナデナデされながら言われた時の事を思い出し踏み留まる。

 最近の過分といえるご褒美を考えれば、自分だけの感情で敬愛するモモンガさまのご期待を僅かも裏切ることは出来ない。

 なので、パートナーのマーベロとして断固、ワザと名前を間違えて抗議することにした。

 

「あ、あのっ! クリマンティーンさん、モモンさんはとても疲れていると思うんですけどっ。そ、それに、その位置は……僕の席ですっ」

 

 マーレが本当に恐縮するのは至高の御方であるモモンガさまと姉のアウラだけである。それ以外はフリをしているに過ぎない。まあ、ちょっとアルベドも苦手な気はするが……。

 今、マーベロは少し、か弱い女の子なのだ。右手を胸元で握り、強気に頑張ってる風を装っていた。

 その様子を見て、クレマンティーヌは余裕である。これでも、女一人でここまで多くの荒くれた人間達をあしらい渡り歩いて来たのだ。少しモモンから聞いた感じでは、マーベロは預かっている知人の娘という訳でもなく、純粋にパートナーの様である。どこかで拾ったのだろう。そこから感謝の想いが溢れる関係という辺りか。

 クレマンティーヌの見た王国内の冒険者男女二人組は、ほぼ全部が恋人以上の関係だ。二人っきりで行動したい者らが多く、互いに命を預けていることから、無二の存在になるのは当然だろう。体格差はあっても気持ちに差は無い。

 つまり、昨日までの夜は、この小娘がモモンをそれなりに満足させていたのかもしれないが、ハッキリ言ってその方面は自分がいる時に限ればもう用済みだと考える。

 とはいえ魔法が使えるのでメンバーとしては悪くなく、不在時は夜の代役も仕方ないが、立場としては格下な事から一歩下がってもらう必要がある。

 もうモモンは、私のイイ人なんだからという素振りで言葉を返す。

 

「あららー、ご苦労様。お嬢ちゃん……マーベロちゃんだったかなー。これまでそのちっちゃな身体で色々大変だったでしょうー? でも、私が居る時はモモンちゃんの相手は私の方がサイズ的にもピッタリだと思うのよねー。だから、お嬢ちゃんは私のいない時だけ頑張ってモモンちゃんに尽くしてよね。あと、私の名前はクレマンティーヌよー。次も間違えたら――酷いからね」

 

 当初はニコニコしていた顔が、言葉尻ではモモンを背にし、狂気の殺人者としての顔に変わっていた。流石に相手はモモンのパートナーであるため本気ではないが、己の立場を初めにハッキリとさせておく必要があるのが組織というものだ。

 アインズは、マーレの反応が起こる前に、ここは情報収集を優先させるため宥める。

 

「マーベロ……、物事には優先順位があるから。ここはよろしく頼むよ」

 

 マーレはこの冒険者チームが、人間種世界の情報調査という目的が有ることを良く覚えている。確かにこの人間は、モモンガさまの知りたい情報にかなり直結した人物なのは間違いない。気持ち的にはイチモツあるが、モモンガさまの御為なら大したことは無い。

 マーベロはお芝居を続けた。クレマンティーヌが調子に乗る形の感じに。

 

「モモンさん……、うう、分かりました……ク、クレマンティーヌさん、よろしくお願いします」

 

 マーベロが素直に引き下がったのを見て、クレマンティーヌは狂気の殺人者の顔から一転して、口許もニッコリと満足した顔に変わる。モモンが言ってくれた優先順位というのは、『可愛い』クレマンティーヌ自身を大切な者として、また『女』としても上に評価してくれてのことだと考え、フワフワと舞い上がる満足感一杯の気持ちになる。

 マーベロは元々モモンに忠誠を尽くすタイプだろうし、味方は多い方がいい。立場を弁えてくれれば、これから同じ男に尽くす女仲間として長い付き合いになるかもしれない。奥を仕切る年長者として面倒を見てやるのも(やぶさ)かではない。

 

「分かればいいのよー、マーベロちゃん。怖い感じに言ってゴメンねー。これからよろしくー。仲良く二人でモモンちゃんに尽くしましょー」

「は、はい……」

 

 もうすっかりクレマンティーヌは、冒険者モモンチームの中核というノリの発言であった。

 彼女は、立場をハッキリさせたところで、早速だけどと少し頬を赤くしながらモモンへと振り返る。

 

「モ、モモンちゃーん、じ、時間も結構ありそうだしぃ二人で……あっちの牧草小屋でちょっと休憩しない?」

 

 クレマンティーヌは、紺碧色のローブを腰上まで捲る様に持ち上げながら真っ白い肌の太モモにビキニ風である腰の鎧をチラチラさせつつ、柄っぽく自分からモモンを甘い声で誘う。これまで幾十の男らが、あの手この手で自分を誘ったり襲って来ただろうか。全てを切り抜けて来た者として、誘いの知識とレパートリーは非常に豊富なのだ。

 しかし、自分から誘うというのは人生初であった。少し乙女の手が震える。

 でも後悔はない。

 これほどの戦士で、自分を『可愛い』と言ってくれる者は、もう今後出会うことは無いだろう。

 約束はまだ果たされていないが、それは後か先かの事で同じ結果を信じており、気持ちとしては余りそれは関係無くなりつつあった。

 強くこの男と結び付きたい――そんな熱い視線と気持ちでクレマンティーヌは、唖然とするマーベロを荷台より背側に見下ろす形で一瞥し、モモンの答えをじっと待っていた。

 

 

 

 

 

 エモット家の、食卓の上に置かれた蝋燭の炎が静かに揺れた。

 

「えぇーーーっ、ビックリっ!」

 

 エンリの、思わず仰け反った身体が起こした風によるものだ。

 彼女はまさか、華々しい南の大都市で有名な薬師の店を構えるこの友人の少年から求婚されるとは夢にも思っておらず、例のナザリックへ勧誘する相談そっちのけで本当に驚いてしまう。

 今までンフィーレアへ聞いたことは無かったが、彼も良い年頃だ。当然普通なら都会の美人である街娘達のお相手が何人かいるはずと思っていた。もう付き合いの長い婚約者もいるかもしれないと。一年程前までは、この若い少年からも気紛れで一時的には男女の付き合いを迫られる事があるかもと考えていた。エンリはこれでも未来の旦那様へ操はしっかり立てておきたい派である。だから、迫られても断るしかなく、このンフィーレアとはその後の気不味い空気や関係に、僅かでもなりたくないなぁと思っていた。

 これまで村の未婚の青年らからも、偶に男女の仲にと声を掛けられたり、縁談を持ち込まれたりしていたが結局すべて断り、その幾つかを世間話の中でンフィーレアへ伝えたが、「……そうなんだ」と短く返され軽く受け止められていたように思っていた。それはエンリへ関心がなく、もう彼にはきっと誰か相手がいるからだとずっと思ってきたのだ。

 実のところは、少年が毎回混乱と動揺しすぎて言葉がそれしか出なかっただけであったが。

 結局、ンフィーレアとは知り合ってから4年間、そういった男女の問題でのギクシャクとは無縁で、安心して友人関係を送ってこれていた。

 

 それが――今のタイミングでの愛の告白と求婚である。

 

 エンリは探るように考える。

 この少年が凄く優しい友人であることは知っている。一方でこれまで、二人で居た時間は結構一杯あったのだ。しかし、「好きなんだ」や「付き合ってほしい」といったそれっぽい話は一回も無かった。

 

(んー。これはやっぱり、友人として私が両親を失って困っているだろうからという、お金持ちの哀れみや同情の求婚かも……)

 

 冷静に考えるとンフィーレアの財力なら、女性を何人か娶り囲う事も可能だろう。しかし、友達としてそういった情けはゴメン被るのである。ここは友人として、哀れみの真意をきちんと確認し、ビシッと私は大丈夫だと告げるべきだろう。そんな、勘違いの思考に迷い込んでいた。

 一方ンフィーレアは、エンリから「ビックリ」と言われてしまい、思考が混乱していた。

 

(えぇっ?! エンリっ、君は僕を気に入っていたんじゃないのっ? い、いや、そうだ……これはきっと嬉しくてビックリなんだっ。……でも、ちゃんと真意を確認した方がいいよね)

 

 そして二人は――同時に口を開いた。

 

「エ、エンリっ、ビックリって、僕の大好きな気持ちが嬉しくってだよね? だから――」

「その求婚って、私が両親を失って可哀想だからっ? それって――」

「――えぇっ!?」「――えっ、あれ?」

 

 互いの言葉の内容に大きい齟齬があることを認識し、二人とも同時に驚いた。

 エンリから先に核心について確認する。

 

「ちょ、ちょっと、ンフィーレア? もしかすると、前から本当に私の事が好き……だったの?」

「そうだよ、エンリっ。純粋に、きっ、君の事が大好きなんだっ。抱き締めたいんだっ!」

 

 真っ赤な顔で真剣さ溢れる表情のンフィーレアへ、流石に頬が赤くなったエンリは、根源について聞いて見る。

 

「い、いつからよっ?」

「よ、4年前に会ったときからだよっ!」

「――――っ」

 

 気が付けば勢いで、二人とも机に手を突いて椅子から立ち上がっていた。

 ンフィーレアは、ハァハァと少し息が荒くなるほどの緊張感に襲われている。エンリも呼吸は乱れないが、深呼吸をして一旦落ち着く。

 余り良い展開では無い。

 ンフィーレアの告白が少し『熱すぎる』のだ。仲良き友人で、初めて出会った時から想いを秘められていたとは……乙女としてグッと来ない方がおかしい。

 背格好だけは微妙だけど、確かにンフィーレアは年齢といい、財力といい、働き者の所といい、謙虚さ、優しさ、行動力、そしてエンリへの気持ち―――どれを取っても合格点と言える。

 だがンフィーレアは、やはりカルネ村にとって余所者なのだ。恋愛対象にはならない。

 また、少年にとって残念なことに、エンリは最近気が付いたのだ、自分の本当の男性の好みに。

 

 それは―――仕え甲斐のある、まさにすべてが圧倒的な人物。

 

 これが彼女の持つ職業レベルからも来ていることに、エンリは気が付いていない。

 しかし、それも誰でも良いという訳では無かった。大好きなカルネ村自体を救ってくれた恩人。妹や自分、村人を助けてくれたにもかかわらず、威張ることも驕ることもなく、そして人じゃないけど身内に優しい―――旦那(アインズ)様、ただ一人だ。

 

 ンフィーレアは、向き合ったエンリへ熱いまなざしのまま見詰める。

 エンリは、一度目を瞑ると、眼光に力を込めてゆっくり見開き、告白してきたンフィーレア(仲の良い友人)へ答えを告げる。

 

 

「ゴメンね、ンフィーレア。あなたからの求婚、お断りします」

 

 

 少女は、そう目の前の少年へハッキリと言い切った。

 

「――ぇ……」

 

 少年の声は力なく少し掠れるようであった。

 信じたくない。しかし、間違いない。これまでに見てきたエンリの真意籠る瞳の、真面目な表情から告げられた何故か逆らえないその言葉は『現実』。

 ンフィーレアの想いの全てを込めた愛の求婚は断られたのだ。

 だが――少年はそれでも諦め切れない。

 一縷の可能性を探る様に大好きな少女へ問いかけていた。

 

「……な、なぜ?」

 

 エンリは、一度彼から視線を外したが再び彼の目を見る。例の相談は、この少年の心が納得するまでは切り出せないとも感じて。

 

「そこまで想ってくれていたンフィーレアには、きちんと言っておかないといけないかな。元々私は、カルネ村に住む人と結婚するつもりでいたからよ。私はこの村をずっと守っていきたいの。この村は大好きだったお父さんお母さんが、育って暮らしてそして眠る村。私もここで生まれて、ずっとここで生きてきて、ここで次の世代を生み育て、そして――年老いて死んでいくのが本当の希望なの。貴方はもう都会で成功し、立派なお店を構えているから――」

「――じゃあ、僕っ、この村に引っ越すよ! 僕も君と共にこの村に骨を埋める。薬の研究は森に近い此処の方がやり易いと思うんだっ」

「ちょ、ちょっと、ンフィーレア、そんな無茶なこと――」

 

 ンフィーレアはエンリへ真剣な顔で、そして口許は優しく微笑む。

 

「全然無茶じゃないよ。確かにお婆ちゃんは少し渋るかも知れないけど、僕は薬の研究が出来て、エンリが傍に居て微笑んでいてくれればそれでいいんだ。十分満足だよ。作った薬は定期的に冒険者の一行にエ・ランテルから来てもらって一緒に運べばいいから」

 

 エンリは、困ってしまった。

 長年付き合っていると、今のンフィーレアに迷いが全くない事が良く分かる。

 少年はさらに大好きな少女へ告げる。

 

「すぐに、い、一緒になってなんて言わないっ。僕のこの村に来てからの働きを見てくれてからで構わないよ。僕は十年でも二十年でも――き、君だけを待っているよっ」

「――――っ」

 

 もう、自分の身について全てを話すしかない――エンリはそう思った。

 一瞬、このまま黙っていて、彼が勝手にこの村へ移り住み薬を作ってくれれば、村興しにもなるし凄く好都合だという考えも頭の片隅へ浮かんだ。

 しかし、彼がそうしようとするのはエンリがいつか結婚してくれるからだという想いだけで、頑張ろうとしているのが良く伝わってくる。

 恐らく結婚をずっとチラつかせれば、彼の特別な生まれながらの異能(タレント)についてアインズ様へ協力させることも余裕で出来るように思う。

 しかし、彼はカルネ村の住人ではなかったけれど、これまでも薬の原料採取に際して村へ結構な額をもたらしてくれていた。そしてエンリにとっても心優しい仲の良い友人。

 そんな世話になったンフィーレアを――だます事だけは出来ない。

 エンリには、ンフィーレアと結婚する気も、身体を許す気もないのだ。彼女はすでに身も心も、旦那(アインズ)様の物だから。

 もはや、エンリにはンフィーレア(仲の良い友人)へ仲間になるように、一線を引いた向こう側から依頼することしか出来ない。

 加えて、すでに村人達はエンリと旦那(アインズ)様との関係を内縁関係だと周知しているのだ。朝になれば少年もその関係について知るところとなるだろう。

 そうなる前に、誠実に話しておくべきだと心の中で結論を出す。

 

「ンフィーレア、落ち着いて聞いてね」

 

 エンリの改まった言葉にンフィーレアは注目する。何か求婚への新たなきっかけに繋がるのではと。

 しかしその想いと反目する言葉と内容が――淡々と伝えられる。

 

「あなたの求婚を断った理由が、実はもう一つあるの」

「えっ……」

「それは――私、エンリ・エモットが、村を救ってくれた大恩人である、偉大で大切な魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン様のお傍に仕える『女』になったからなの。もう三晩も前になる。……勘違いしないでね、これは私から希望した事だから。私は、妹や自分自身、そしてこの大好きな村を救ってくれた大恩をアインズ様へ、この人生全てをもってお返ししたいの。あの方を敬愛しているから。だから私の事はもう――」

 

 

「何か―――ないの?」

 

 

 少年は、俯いていた。小さく震えながら。

 濃い霧の中で、行き先を完全に見失った者のように。

 

「えっ……」

「君を……エンリ・エモットを取り返す方法は、何かないの? いきなり過ぎる。なにか機会が欲しいよっ。その恩人の人の傍に仕えて『女』になっても結婚する訳じゃないよね? こ、子供とか作る訳じゃないんだよねっ? いや、子供が出来ていたってかまわないっ。き、君がいればっ」

 

 ンフィーレアの振り乱れた前髪からその彼の目が僅かに見えていた。

 少年は―――泣いていた。必死であった。

 エンリは感謝していた。そこまで自分の事を大切に考えてくれている男性が居たことは女冥利に尽きる。でも、彼女は静かに友人へ語り掛ける。

 

「ありがとう、ンフィーレア。でも、あなたの好きな、この私の、エンリ・エモットの気持ちはどうなるの?」

「――くっ……うぅ。エンリィっ……もう、僕の手は届かない……の……」

 

 彼の佇むその足もとに、ぽたり、ぽたぽたと滴が落ちていった。

 流石に、この状況で少年をアインズの味方に付けられるのか。普通なら手は無いはずである。しかし、エンリにはまだ手があった。

 

 ――『強引』に上手く頼むという手が。

 

 この優しい友人を死なせないために、エンリはそれを使う事にした。

 エンリとンフィーレアの関係は普通の友人とは少し違っていたのだ。

 黄金の少し褪せた髪の少女の真剣な瞳と表情から告げられる言葉には、不思議な力が籠っている。

 

「ンフィーレア。私はあなたの奥さんにはなれないけど、ンフィーレアが私の傍に居られる方法が一つだけあるわ?」

「えっ……な、なに?」

「いつもみたいに村へ居る時、私の傍で時々話を聞いてくれればいいのよ」

「それで、いいのっ?」

「忘れたの? 私達は――仲良しでしょ?」

 

 二人は良く、休憩時間の合間に木陰などで世間話をしていた。村の話や街の話、森の話に薬草など薬の話も楽しく。

 全ては満たされないが、確かに笑顔なエンリの傍には居られる。

 

「う……うん」

「でも、少しお願いがあるの。アインズ様が、あなたの持つ『あらゆるマジックアイテムの使用が可能』という生まれながらの異能(タレント)を危惧しているの。だから、必ず私の指示があるときだけそれを使いなさい。それが出来る? うまく行ってアインズ様に褒めて貰えれば、お祝いにほっぺにチューぐらいはしてあげられるわよ?」

「……ほっぺにチュー………?(エ、エンリのチュー。これは……僕がカッコイイところを見せ続ければ、まだ唇にとかの可能性も……そうだ、諦めたらダメだ。そこですべてが終わるっ。十年、二十年あればどこかで夫婦に成れる機会が来るかもしれないっ! 二十年先でもエンリは『まだ』36歳だっ)」

 

 頑張り屋で誠実な若いンフィーレアは、僅かに見い出せた渇望に迷いの全てをのみ込んだ。すでに涙は無い。好きな子へと人生を掛ける場に、そんなものは要らないのだ。

 

「分かったよ、エンリっ。ぼ、僕は、この村に移り住んで、君の傍で話を聞いて、必要な時に君の指示に従うよっ!」

 

 少女は村へ住めとは強制していないが、これはゴールへの必須条件だと聞いたのだ。少年には、もはや必要な行動でしかない。目標があれば、人は頑張れる。たとえ――それが儚くても。

 問題は色々残っているが、こうしてエンリへ自発的に半従属という形を以てンフィーレアの件は丸く収まった形である。そして、この結果は速やかにアインズへ報告されることになる。

 

 

 

 

 

 道の脇に止められた荷馬車の、荷台の柵へもたれて静かに座るモモン。彼は、その荷台で立ち上がり何やら妖艶に染まる雰囲気のクレマンティーヌから、少し離れた所に見える牧草小屋へ甘いご休憩の誘いを受けていた。

 戦士のその表情は漆黒の兜に遮られ、彼の感情を察することは出来ない。

 誘ったクレマンティーヌは、その事を少し残念に思う。自分のこの身体と、熱い想いへの誘いを喜んでくれているだろうか? もしそうだと、嬉しいなと。

 誘った側の彼女自身が実はドッキドキで、彼の前向きな答えを待っていた。

 沈黙は五秒程だと思うが、その感覚はとても新鮮で、乙女としてその場に緊張し佇む。

 その彼女へモモンの――冷静な言葉が返って来た。

 

「あのさ、クレマンティーヌ」

 

 名を呼ばれた彼女は、座り込んでいるモモンの前に、膝を揃えて可愛くしゃがみ込む。

 

「んふ? なぁに、モモンちゃんっ?」

「君の誘いは、その、(今はこう言うしか……)凄く嬉しいんだ。だけど――忘れていることがあるんじゃないかな?」

 

 今はまだ仕事中だという事である。聡い彼女はもちろん忘れていない。

 クレマンティーヌは、そんな事よりも今のモモンの言葉の『凄く嬉しい』という答えが耳から離れない。もはや完全に両想い確定だと興奮していた。

 

「(私も凄く嬉しー。モモンちゃんは、真面目なのね……ここは、もっと私が積極的にっ)だ、だってー、暇じゃん? それにー、仕事はマーベロちゃんがいるじゃない? きっと二時間ぐらい大丈夫よー」

 

 その時間が、牧草小屋の中で彼女の希望する各種行為において、長いのか短いのか経験が無いアインズには分からない。

 しかし、彼にはそれよりも重大な問題が有り過ぎた。幻術を用意しているのは頭だけなのだ。つまり漆黒の鎧の下は骸骨のままなのである。

 牧草小屋へ絶対に行く訳にはいかない。アインズはリアルの職場で培った社会人としてのノウハウをフル活用する。

 

「オッホン……いいかい、今日が俺達の初仕事なんだよ? 最初の仕事ぐらいは、男として最後までキッチリとやり遂げたいんだ。依頼人を無事にエ・ランテルへ連れ帰るまでが仕事だと俺は思っているけど、だめかな?」

 

 そう言いつつ、しゃがみ込んで丁度いい位置にあるクレマンティーヌの頭を優しくナデナデしてあげる。意外にクレマンティーヌの短めに纏まった金髪も、サラサラしていて気持ちいい感じである。

 だが、ナデナデされているクレマンティーヌの方が撫でられる嬉しさと、慕っているモモンから優しく触れられていることで、より恍惚としていた。加えて、モモンの彼女を諌める伴侶らしさに気分が最高潮に達しそうになっていた……。

 

「……あぁ……モモン……ちゃん」

 

 二十秒ほど後、モモンがナデナデし終る。彼女は沈黙のままゆっくり静かに立ちあがると、後ろで手を組み覗き込む感じに上目遣いの猫のような(しな)りを見せる可愛らしいポーズを取り、告げてきた。

 

「モモンちゃん、分かったー。私も一緒に一生懸命頑張るっ」

 

 クレマンティーヌは、モモンへニッコリと満面の笑顔を浮かべる。彼女は基本、他人は利用するだけのモノとしか考えていないが、伴侶にと決めた男性へは意外にも滅法尽くすタイプであったのだ。

 

「ねぇ、モモンちゃん、私は何をやればいい? 何でも言ってね。んふっ」

 

 クレマンティーヌはモモンの前で、ニコニコで嬉々として指示を待つ。

 スレイン法国で六色聖典の関係者がこの場に居れば、非常に驚いたことだろう。彼女は、人に使われることが大嫌いな事の一つであるのだ。漆黒聖典では、いつも狂気に歪んだ口許の笑みか、殺気を漂わせた機嫌の悪い感じの表情をしており、中々指示にも従わない唯我独尊といえる第九席次であった。

 さて、アインズは仕事中だと言った手前、「今は特にない」とは言い出せない。

 

「……じゃあ、俺はこの場を動けないし、クレマンティーヌには村の外側周辺にモンスターがいないか馬で一回りして来てもらうかな。あ、でも一人だと危ないか」

「分かったー。んふっ、私を心配してくれて嬉しー! でも大丈夫だよー、モモンちゃん。私はモンスターになんて負けないからー」

 

 そう言うと、荷台から猫の如き身軽やかさで、先程乗っていた馬へと飛乗り戻った。

 

「じゃー、行って来るー。でも、終わったらご褒美に、また撫でてねっ」

「え? ああ」

 

 クレマンティーヌは、ご褒美の約束に満足した笑顔をモモンへと向けたあと、手綱を操り馬を回頭させると村の外側を周回する道に向かい駆けて行った。

 

「モモンさん、あの人間が……気に入ったのですか?」

 

 クレマンティーヌへのナデナデを羨ましく感じたマーレが、馬が去って行った方向を見詰めながら少し不安そうにモモンガへ尋ねてきた。不満は不遜になるため、表には出ていない。

 至高の御方の意志は尊重されるため、モモンガが認めた個体は人間であっても庇護の対象になる。

 問われたモモンは、実はアインズとして複雑な思いでいた。

 あの女の鎧に付けている冒険者プレートの数から、ただの殺人者だと容易に推察出来る。多くの罪も無い者達を殺してきている事だろう。

 

 嫌悪すべき対象なのだ――以前なら。

 

 しかし今のアインズには人間を止めた所為なのか、ただ殺人者というだけでは彼女へ殆ど怒りや嫌悪感は浮かんでこないのだ。

 現状を例えるなら、虫やネズミを殺すのが得意である少し凶暴な可愛い猫が、尻尾を振って懐いて来たと言えば分かりやすいだろうか。

 自分にだけ無抵抗に人懐っこく、可愛く甘えて来ている猫。おまけに情報を集められる役に立ち、レアである特技も持っているときている。

 愛おしく思いナデナデしてしまう自分に、先程からアインズ自身が困惑していたのだ。

 マーレへは、重々しいアインズの口調で意味深長に回答する。

 

「……今はそういう事なのだろう」

 

 そう告げながら、近寄って来ていたマーレの頭を荷台の柵の上から優しく撫でてあげた。

 

「わ、分かりましたぁ……」

 

 モモンガからの優しいナデナデを受け、マーレは身内の自分への変わらぬ主様のご褒美に、安心から『ほにゃ』顔になっていた。これによりクレマンティーヌは、マーレからゴミではなくナザリックの一つの個体として認識された。

 

 10分程でのんびりとまるで乗馬だけを楽しむように馬の歩を一歩一歩進めるクレマンティーヌが戻って来た。カルネ村は小さく、大回りにとった周回路でも数百メートルしかない。

 

「モモンちゃーん、特に何もなかったよー」

 

 村内の死の騎士(デス・ナイト)3体は別にして、実際には周辺に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)1体が潜み、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)3体が上空に居ると思うのだが、アウラやマーレクラスでなければ流石に気が付かないようだ。

 まあ、見つけられても面倒なんだが。

 

「……そうか、ありがとう。助かったよ」

「んふっ。じゃぁじゃぁー」

 

 モモンのいる荷台へと再び馬からひらりと飛び移ってくると、彼へと肩からすり寄りご褒美を可愛くねだる。

 

「ねーぇー、モモンちゃん、ナデナデしてー」

「そうだね」

 

 金髪の頭頂をポフポフしてからナデナデしてやると、彼女は目を閉じ満足げにモモンからの寵愛を味わっていた。

 その時、アインズの思考内に〈伝言(メッセージ)〉のシグナル音が響く。

 

 

 

 

 

 ここは半ログハウス風に作られているエモット家の二階。

 アインズの寝室に当てられた一番広い部屋とは異なる、プレアデスのシズ達用に当てられた少し手狭な部屋だ。ソリュシャンは少年と少女の結果へ少し物足りなさそうに小声で呟く。

 

「エンリは、女の武器は使わないのですわね、少し残念。でもまあ、至高の御方へ仕える乙女としての気持ちは分かりますわ」

 

 彼女の属性は邪悪。階下において蝋燭の薄明かりの中、その村娘の繕い跡の有る服をハラリと落とし、若い果実を使った甘美でドロリなハニートラップを期待し妄想していた。

 

「……エンリ……ナザリックの脅威……入手」

 

 シズが静かに、エンリの功を語る。『全アイテム使用制限無効化』という前例のない特殊技術(スキル)持ちの人材を、エンリの個人的な縁を元に少年本人の意志で味方側へと引き寄せたのだ。

 この村へ越して来るのは先になるだろうが、薬師少年のエンリへの、のめり込み方を見ていれば時間の問題に思われる。

 ソリュシャンは、巻物(スクロール)を取り出し、〈伝言(メッセージ)〉を使用する。彼女は、体内にのみ特殊といえる魔法が存在するが、殆ど魔法は使えない。しかし、近接格闘戦能力はプレアデス中随一であった。

 

「アインズ様、ソリュシャンです」

『ん』

「例の薬師の少年ンフィーレアがエンリの協力要請に応じ、この村へ移住する意志とエンリに従う決心をしたようです。この村へ移り来るまで監視が必要かもしれませんが、敵対の脅威度は大きく下がったと思われます。ご報告は以上です」

『コ、コホン』

「それでは」

 

 ソリュシャンも、アインズの傍に人間がいる状況を掴んでおり、主の変わった返事は織り込み済みだ。

 通信を終えたソリュシャンは、寝入るネムをそっとだき抱えるシズと並んで椅子に座り階下の監視に戻る。

 そんな、寄り添う姉妹の様子を――ルベドが自分の部屋へは行かずにこの部屋の窓際へ腰かけ、羽根を繕いつつ時々ニヤリとしながらチラチラと見ていた……。

 

 

 

 エンリは、長年の仲の良い友人が自分の意志で納得してくれた事にとりあえず内心ほっとする。

 ンフィーレアの場合、すでにナザリックにとって脅威と判定されており、アインズへ従わない場合、〈支配(ドミネート)〉により自我や意志をはく奪され、上手く機能しない場合は死が待つのみであったのだ。それらについてエンリは詳しく知らなかったが、説得に失敗した場合、以前のンフィーレアには会えなくなるという事だけは感じていた。

 だが、もう形はどうあれ、何とか味方にすることは出来たのだ。アインズ様は身内にはとても優しい。それだけは間違いない。エンリの自慢の旦那様なのだ。ンフィーレアもその偉大さに直ぐ気が付くだろう。

 あとはアインズ様の指示を受けた時に、ンフィーレアへ上手く指示すればいいだけである。彼へ『強引』に上手く頼む点だけには自信があった。でも今日、彼がこれまで従ってくれていたその理由の一部は分かった気がする。

 二人は再び椅子に腰かけ直していた。ンフィーレアは目の前に置かれていた水を一気に飲み干していく。

 

「そういえば、ンフィーレアは一人で村へ来たの? まさかとは思うけど」

「あ、うん。ちゃんと冒険者の人達と来てるよ。最初は組合に誰も冒険者がいなくって、その可能性もあったんだけど、偶然凄い人達が一組いてくれて付いて来てもらってる。今は村の外で待ってもらっているよ」

「じゃあ、どうしようか。ここはもうアインズ様一行が二階にいらっしゃるから、今夜は別の空き家を拝借してそこへでも――っと」

 

 エンリは自然に何気なく現状を口にしてしまう。ンフィーレアに不向きだった内容に気付き、すでに遅い感じだが言葉を濁す。もうそういう内縁関係に何の抵抗も無いという事なのだろう。それほど恩人として旦那様へ心酔しているという事。

 ンフィーレアには結構キツイ話であった。もう三晩目だと聞いた。それだけの期間があれば何でも出来てしまう現実……。エンリ奪還は遥か遠くの様に感じる。

 確かに少年も、偉大な魔法詠唱者(マジック・キャスター)のゴウンという御仁について、エンリやネム、この村の人達を助けてくれたことは凄く尊敬出来るし感謝している。しかしエンリの事だけは別である。

 ――紛れもない恋敵なのだ。

 

「……」

 

 ンフィーレアはその思考により沈黙していた。そんな彼へ諭すようにエンリは伝える。

 

「ここは、エモット家ではあるけど、もう――アインズ・ウール・ゴウン様の家なのよ」

 

 改めて聞くと、ずっしりと来る。愛しいエンリが他人の家の女になってしまっているのだと。目の前に座っているのに、まるで別人がそこに居て、エンリを完全に見失ってしまったかに思える感覚。

 

「……村の人達は……そのことを?」

「もちろんもう、皆知っているわ。でも、みんな温かく見守ってくれてる。それはアインズ様が、本当に優しく立派な方だから。多くの貴族達とは全然違う方なのよ」

 

 貴族――その呼称には、ンフィーレアにも全く良い印象は浮かばない。平民とは住む世界が違い、領地内では何をやっても罰せられることは無い雲の上の権力者達。その所業は酷い話しか聞かない。よく聞くのは、領地内での突然の追加税徴収や村娘の物色だ。

 このカルネ村が、曲がりなりにも王家直轄の辺境領であったことはンフィーレアにとってまさに救いであった。エンリほどの器量があれば、領主達はまず目を付けていただろうから。とっくにどこかの屋敷の密室にでも囲われていたことだろう。

 この時になり、ンフィーレアは気付く。エンリは三晩目だという話だが……彼女の雰囲気は今までと全く変わっていない。

 つまり、強制の類は全く受けていないということ……同意の下の幸せな関係――。

 

(……エンリがひどい目に遭ってないのは良い事だけれど……それはそれで、人物として付け入るスキが全くないよ。いや、僕はこれでも下級の貴族よりも資金の蓄えには自信がある……ってエンリってそういうのに反応薄いんだよな……そこがイイんだけど)

 

 ンフィーレアの心は一瞬の間も複雑に揺れた。

 だが、ゴウンという人物への悪い印象は本当にエンリの件のみになったと言える。確かに、凄い人物かもしれない。それだけの力を持っていながら、傲慢ではないという存在。まさに英雄と言える水準に相応しい仁徳である。

 それでも、少年は目の前に静かに座っているエンリがやはり良いのだ。こうしていつもすぐ傍で微笑んでいてほしい。

 どんな凄い人物が相手でも――いつかきっとこの手に取り戻す、と。

 バツが少し悪くなったが、エンリは少年を促す。

 

「えっと、とりあえず、道を挟んだ隣のお爺さんが住んでた家は、今空いているから――」

「――っ!? ぼ、僕、そこに住むよっ」

 

 ンフィーレアは即決する。こうなれば、エンリの家に近い方が良いだろう。流石に薬の研究や製造場所は臭いもあるし、村外れの方がいいだろうけれど。住む場所ぐらいは、せめてうんと傍にしたい。

 

「そ、そう? じゃあ、村長さんへ朝にでも話に行かないとね」

「うん」

 

 エンリとしても、早めにこの村へンフィーレアを呼んだ方が、彼には良い事だろうと考えてそう勧めた。

 「じゃあ、行きましょうか」と、エンリは立ち上がり、部屋の壁に掛けてあった風除けの有る蝋燭立てへテーブル上の火の付いた蝋燭を移すと、少年を伴って隣の家へと向かった。

 移動途中で少年は、エンリへ広場に立つ如何にも屈強に見えるモンスター達の事を尋ねていた。するとなんとゴウン氏が生み出して使役しているとの話を聞く。さらに驚愕したのが、その一体をエンリが借り受け、農作業を手伝ってもらっているという事実だ。「えぇぇっ!?」と目を白黒させる少年に、エンリは笑いを浮かべていた。

 隣家の中を二人で一通り見て回る。先日、村で亡くなった身内のいない者達の金目のものは、村で管理するためすでに持ち出されている。だがまだ毛布などは何枚も残っている様子だ。

 ンフィーレアは雨漏りや隙間風がなければ、特に住居にはこだわりは無い。寝れれば良いと考える性質だ。ここはお爺さんが一人暮らしで、使われてない部屋がいくつもあり、少し片付ければ直ぐに住めそうである。

 部屋にある蝋燭の1本にも火を移し灯す。

 

「とりあえず今日、ンフィーレアはここを使ってね。冒険者さん達も一緒で構わないわよ」

「うん、ありがとう、エンリ」

「じゃあね、おやすみンフィーレア」

「……おやすみ」

 

 彼には今、愛しいエンリの、別の男と暮らすエモット家へと明るい笑顔で去ってゆくその背中を、ただ見送る事しか出来なかった。

 

 ンフィーレアは、屋内で毛布について手早くモモン達の人数分を確認すると、借りた家から外へ出て村内の道を通り、デス・ナイトの守る広場を抜けて村の入口に止めた荷馬車の所までやって来た。

 時刻はすでに夜の11時を回っているころ。

 しかしンフィーレアは、その荷馬車の荷台の光景に苦笑いをする。モモンはまだ起きている様子だが、その傍にそう、二輪の華の姿が。

 初めは狂っていると思っていたあの女性、確かクレマンティーヌと言っていた彼女が――モモンの胡坐による膝枕で可愛く丸まる様に寝ていた……。頭を撫でられているうちに、不覚にも安心感に包まれて眠ってしまったのだ。

 それに、対抗でもするように、マーベロも目を閉じモモンの胸にくっ付いて寄り添っていた。

 見てしまったから仕方ないが……完全にお邪魔だったかもしれない。

 

「これはバレアレさん、用件は終わりましたか?」

 

 モモンは雇い主へと普通に小声で問いかける。当然起きているマーベロにより、彼が接近する前に知らされていたので心の準備も出来ていた。

 

「あ、はい。それで、皆さんと泊まれる家を貸してもらえたので、どうかと思ったのですが……」

 

 アインズは、先日畑仕事をしているエンリへ聞くと、この地方にも四季があり、今は夏へ向かう途中で夜や朝方はまだ偶に気温の低い日もあるようだ。しかし、魔法による保温を周囲に掛けてあるので問題は無かった。

 

「我々は大丈夫ですよ、慣れてますから。ご覧の様に今から移動するのもなんですし、すみませんけど」

「分かりました。今日は無事にここまで連れて来て頂きありがとうございました。明日の午前中にはエ・ランテルへ向けて出発しましょう。ではおやすみなさい、モモンさん」

「おやすみなさい、バレアレさん」

 

 ンフィーレアはモモンらと別れて一人、借りた家まで戻って来た。

 すると、玄関脇へ家を出る時にはなかったものを見つける。それは、パンとハムが多めにスライスされたものといくつかの皿が入れられた大きめのバスケットと水差しが置かれていた。バスケットの蓋にメモが挟まれているのに気が付き、手に取って目を通す。彼が偶にエンリへ、読み書きを教えていた成果だ。

 

 『ンフィーレアへ。お腹空いてると思うからみんなで食べてね』

 

 変わらない少女の優しさと思い浮かぶ笑顔が、少年の胸を――激しく抉る。

 

(エンリ、僕は堪らない。絶対に君が欲しいよ……諦めるもんかっ。五年でケリを付けてやるっ)

 

 少年は長い時間、メモを優しく抱き締めていた――。

 

 

 

 

 

 翌朝、薬師の少年は、冒険者達と荷馬車で朝食を取る。アインズは幻術の顔で頂く。喉を過ぎたものは、飲食対策に連れていた蟲が密かに飲み込んでいた。クレマンティーヌはアインズの顔を初めて見るが、平均以下である事は余り気にしていないようだ……彼女は終始、ニコニコしていた。

 その後ンフィーレアは、朝の落ち着いた時間になると速やかにエンリより仲介され、村長に面談し村への移住を伝えると共に、エモット家の道を挟んだ向かい隣の空き家を住居として申請した。

 村長としては、知人であり裕福で有能である人材の村への加入を大いに歓迎する。

 しかし、村長は少し気になった。

 少年がここ数年エンリと仲が良かったのは、村人達も皆知っていることである。その少年が、大都市からわざわざこの小さい村へと、それもエモット家の向かいに移り住んでくる意味を少し考えてしまう。エンリは今、アインズ様を自宅に住まわせ……いやもはやあの家はゴウン邸となって彼女は献身的に仕える立場となっている。一応少年には、そのことを確認するも「そ、そう、みたいですね」と微妙な表情の顔で返された。何も無ければ良いがと。

 ンフィーレアは、あと一つの用件が済むと、今は村へ長居無用と急ぎエ・ランテルへ向けて出発した。

 

 クレマンティーヌは馬に乗り、荷馬車の傍を並走する。視界へ荷台に座り外の風景をのんびりと眺めるモモンの姿が目に入る。それだけで、頬は赤くなった。

 彼女は、彼の膝で朝まで熟睡してしまっていたのだ。

 クレマンティーヌは考える。こんなことはいつ以来だろうか。

 強者として殺人に狂いつつも、常にいつも何かに怯えて過ごしていたと思う。そのためここ何年も警戒を解いて寝た事がないのだ。

 それが、モモンのナデナデと膝枕で、警戒心が自然と完全に解けていたのだ。昨晩、モモンが自分を殺す気なら間違いなく無抵抗で死んでいただろう。

 しかし、しかしである。そんな事は朝まで起こらなかった。

 

 クレマンティーヌは――純粋に嬉しかった。

 

 気の全てをモモンに許してなお、安全安心に過ごせたことに。

 

(んふっ。私にはやっぱり、モモンちゃんしかいなーいっ!)

 

 完全に乙女となった彼女は、エ・ランテルまでの道程にて終始、頬を染めたまま自然の笑みを浮かべていた。

 

 荷馬車の御者席でンフィーレアは、出発前のもう一つの用件――ゴウン氏と会見した時のことを思い出す。

 短い時間ではあったが、エモット家の居間で直接会っていた。

 エンリに家の中へ招かれると、その巨躯で泰然とした男が椅子から静かに立ち上がる。

 彼は独特といえる仮面を被っていた。そして、威厳のある重々しい声が掛けられた。

 

「エンリから聞いている。君が、ンフィーレア・バレアレ君か」

「は、はい、ゴウンさ……ま」

 

 『さん』と一般的な敬称ではとても呼べなかった。

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)アインズ・ウール・ゴウン――目の前に立つ男が同じ魔法を使う者として、格が違う事が一目で分かった。

 まず、その身に纏う魔法詠唱者としてのオーラだ。恐らく魔力量に由来するのだろうが果てしなく強大に感じる。

 次に、付けた装備品の数々、見事な細工の施された籠手に始まり、頭部側面と肩周りの巨大な白金細工と朱き宝玉の輝き、首回りと二の腕の装甲は黄金……そして上質で裾回りを金で飾られた黒きローブの光沢。一体何で出来ているのすら分からないが、いずれも桁違いの魔法装備の逸品であるように見える。

 貴族どころじゃない。どれを取っても王室の宝物とどうかという物ではないだろうか。金貨にして百万枚でも、まるで不足かというそんな水準を思わせる。

 少年は一気に恐縮してしまった。

 昨夜、下級の貴族には負けない云々を考えていた自分が全く愚かに思える。

 さらに――エンリから直前に配下と聞いた彼の後ろに控える3名の者達……。一人は前に立つネムの頭を優しく撫でている。いずれも絵物語を思わせる美人であった。肖像画を見たことがある王室の『黄金』の姫、ラナー王女と比肩する眩さであろう。普通なら、エンリやあのクレマンティーヌも十分美人なのだが、超越したものを感じていた。正直、エンリを好きになっていなければ、この場で虜になっていたかもしれない。

 

「君はエンリに従い、彼女に協力してくれると聞いている。私の事はゴウンではなく、アインズの方で構わん」

「で、では、アインズ様。まずはお礼を申し上げます。エンリにネム、そして村の人達を助けていただき、知人としてそして友人として大変感謝しています」

 

 ンフィーレアはまず頭を下げて感謝の意を示した。

 先にこれだけは是非言っておきたかった。この御仁が来てくれなければ、すべてが終わっていたのだ。

 エンリが生きている。そのことは、彼にとってほぼ全てに勝ることであったから。

 

「うむ。ここへ来たのは偶然に因るところが大きいが、私の力で助けることが出来て良かったと思っている。こうして君にも会えたしな」

「そ、そうですね」

 

 直接話すと改めて村や王国戦士達を救った大業への驕りも無く、人として当然のような自然体の雰囲気にも人物のスケールの大きさを感じてしまう。エンリから聞いた通りの、圧倒的で英雄的な仁徳溢れる人間性――それに対する自分の非力さ矮小さを思い知らされる。

 自分は、ただただエンリを求める男に成り下がっているのではないか……そんな思いを抱かせる巨大な存在に見えた。

 エンリが敬愛し、傍でずっと仕えたいと言う気持ちを理解出来てしまう。

 しかし、それでもエンリを諦めることは出来ない。ンフィーレアは口火を切った。

 

「協力するにあたり、一つお願いがありますっ」

「ん? なんだね」

「僕が、大きく貢献出来たときに――エンリを解放してくださいっ!」

「ンフィーレアっ?!」

 

 少年の言葉に、思わずエンリが何を言い出すのと驚く。

 アインズは、特にエンリを縛っている気は無い。人間ではあったがアインズへ付いて行きたいという願いを、村への布石とそのカルネ村第一主義といえる考えから認めただけ。だが、この少年の申し出は、彼自身への『足枷』に丁度いいのではないかと思えた。

 一方で、すでに配下と認めたエンリの気持ちも考えたい。

 そんなエンリは、アインズの傍で不安な表情になっていた。存在価値としてンフィーレアの方がずっと高いのだ。だから、自分はその褒美に引き渡されたり、身体を使っての繋ぎ止めを言い渡される可能性も、組織の脅威に対しては十分あると。今、この身は全てアインズ様のものなのだ。だから、彼女はいかなる指示にも従うつもりではいる。

 

(でも、私が敬愛しているのは旦那(アインズ)様だけなんです……)

 

 少女は、すでに祈るような心境で主の反応を待っていた。

 アインズは静かに答える。

 

「ンフィーレア、君は何か勘違いをしていないか?」

「え?」

「エンリは大切な配下であり、私は強いてはいないつもりだ。今も、彼女の意志で傍に居て働いてくれている。君のその願いは、すでに現状を指している。……君に別の願いがあるのなら――欲しいものがあるなら、自分の力で手に入れることに価値が有るのではないのかな?」

「くっ」

 

 ンフィーレアは、全て見透かされているように感じた。エンリが欲しいのなら、格好イイ所を見せつけて自分で口説き落とせよと。

 

「もちろん、貢献してもらえれば、それに見合ったものを贈らせて貰おう。今は、エンリへの協力をよろしく頼む」

「はい……」

 

 そうして、少年は支配者から差し出された分厚いガントレットと握手を交わして、この場を後にする。少年は結果的にエンリ経由でアインズへと協力する立場となった。

 

 ンフィーレアが去ったエモット家では、アインズが支配者としてソリュシャンへ村内の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を密かに少年の護衛に付けるよう指示する。そして少し慌ただしくアインズは、村の外へと〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で漆黒の戦士の姿に戻った後、〈転移〉しようとしていた。

 用を足すと言って牧草小屋の脇の厠へ逃げ、マーレが「モモンちゃん、私もー」と付いて行こうとしたクレマンティーヌを引き留めているのだ。時間的猶予は余りない。

 この会見は、アインズが〈伝言(メッセージ)〉で両箇所の状況を交互に把握調整して実現している。

 エンリも、アインズがこの場へ漆黒の戦士の姿でいきなり現れた時は驚いた。更に偶然にもンフィーレアをこの村へと連れて来ていた冒険者だという事も。運命的なものがあるのではと強く感じてしまう。

 そんなエンリは、去ろうとした旦那様へ駆け寄り声を掛ける。

 

「アインズ様っ」

「ん? どうしたエンリ」

「ありがとうございました。私を大切だと言って頂いて、とっても……凄く嬉しかったです。私はアインズ様だけを――お慕いしていますから」

 

 エンリは、左手をそっと胸元へ当て、笑顔の中、頬を朱に染めて潤んだ目でアインズを見上げていた。

 

「ネムもアインズ様大好きぃー」

 

 そこに前方からアインズへ、姉を大事にしてくれるネムの感謝のダイブアタックが続く。エンリらの告白にプレアデス達も黙ってはいない。

 

「ネムは兎も角、ちょっとエンリっ。同じく主様を敬愛している私達を差し置いて何を一人、お傍で盛り上がっているんですのっ、こちらへいらっしゃいっ」

「エンリ……ネム……ズルい……」

 

 エンリはソリュシャンに、ネムはシズに抱えられて、アインズから引き剥がされる。

 姉妹&姉妹の展開に、ルベドは至福に浸る感じでニヤニヤと一人盛り上がっていた……。

 時間が無い中での配下達からの熱い展開に、兜の中でドギマギの表情になる支配者。

 

「オ、オッホン。では、また夜にでも戻る」

「「「いってらっしゃいませっ、アインズ様っ」」」

「……了解……アインズ様」

「分かった、アインズ様」

 

 鎧姿のアインズは皆へ頷くと、次の瞬間、エモット家から消えていた。

 

 

 

 

 

 現在の少年の気持ちを表しているかのように、空には地平線まで曇天が広がり続いている。

 エ・ランテルへ向かう荷馬車の手綱を握る少年が今も感じるのは、男としての全面的な敗北感。

 そして――盟主を仰いだような気がする。

 

(あの人物の高みを少しでも追い掛けたい。そこにエンリへの道もあるはずだっ。……三十年、いや五十年掛かるかもしれないけれど……いつか―――)

 

 薬師の少年、ンフィーレア・バレアレ。

 彼はまだ、黄金の褪せた髪の可愛い笑顔の少女を諦めてはいない――。

 

 

 




誰かが言っていた……全ての者を救う事は出来ないと……(震え声
イヤッ、少年の、真の戦いはこ、これからデス!(^^;

前に進めましょうか……次回は戦略会議(多分1話)
その次が王都編?かなと。

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