いきなり現れたレイナーレに驚くアーシア。当然助けに来たと言われても困惑してしまい返事は返せない。それでもまず聞くべき事があるのなら、それは……。
「あ、あなたは誰ですか?」
そう、まずは目の前に現れた堕天使について聞くことだろう。何せ向こうは自分の事を知っている様子なのだから。
レイナーレはそう問われ、少しだけしまったと言った感じ苦笑するとアーシアに微笑んだ。
「ごめんなさい、急に言われたって驚くわよね。私の名はレイナーレ。見ての通りの堕天使よ」
分かってはいるがやはり聞かされると緊張して警戒してしまうアーシア。教会の教えに於いて、悪魔の次に主の敵とされるのは堕天使である。実際に会ったことはないが、幼い頃からそう教えられてきた身としてはどうも構えてしまうようだ。
そんなアーシアにレイナーレは少しだけクスっと笑いながら話しかけた。
「そんなに構えないで。別に取って食おうってわけじゃないんだから」
「す、すみません……」
身構えてしまったことを気付かれて恥ずかしさから頬を染めるアーシア。
そんなアーシアの考えていることはレイナーレにとって手に取るように分かった。今まで敵だと教えられてきた者が目の前に急に現れて助けると言えば誰だって警戒するだろう。それは普通の対応だ。
まずはそれを少しでも和らげなくてはならない。でないと彼女は此方の話をちゃんと聞いてくれないだろうから。
「驚くのも無理はないわよね。今まで敵だと教わってきた相手がいきなり助けるなんて言い出して。でも、それは本当の事だから。まずはここから離れましょう。部下が今『敵』を押さえてるけど、抜かれる可能性もないわけじゃないから。走れる?」
レイナーレの優しい言葉にアーシアは警戒を少しずつ緩め返事を返す。
「は、はい……」
そう答えたが、その身体はふらついていて見るからに危うい。この年頃の少女が飲まず食わずで二日間も悪路である森の中を彷徨えば体力の消耗も激しく、歩くのも辛いだろう。それは見て分かる通りであり、健気に答えたアーシアにレイナーレは懐から何かを取り出し差しだした。
「まずは何か口にした方が良いわね。これ、あげるわ。イチゴ味だけど大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です! イチゴ味は大好きです」
「そう、良かった。それを舐めながら行きましょうか。歩いて行くから、焦らなくていいわ」
差し出された飴を受け取るアーシア。久しぶりに誰かに優しくして貰えたことが嬉しかったのか、若干涙目になっている。
そんな彼女にレイナーレは微笑みかけると、自分の分の飴玉を舐め始めた。
因みに何故飴など持っているのかは、別にこれといった理由はない。偶に口寂しくなるので舐めているだけだ。
ただし………実はミッテルトに以前吹き込まれた『大人のキス』の練習を無意識化で意識してしまっているからである。きっと彼女に自覚はないが、言えば恥ずかしさのあまり卒倒するだろう。これで本当に堕天使なのか心配になるくらい彼女の初心は治らない。
そして二人は飴を舐めながら歩き出す。傍から見れば随分と暢気なものだが、森の中を移動するのに消耗した者がいるのなら、寧ろ歩く方が良い。追っ手については多分大丈夫だとレイナーレは考える。此方とて堕天使、そう簡単に遅れはとらないし、先程からずっと辺りを探っているが、それらしい反応はない。だから大丈夫。
直ぐに転移すれば良いのに何故しないのかと言えば、アーシアに事情などを説明するためだ。いきなり見つけて転移しましたというのは、拉致しているようにしか思えない。そんな真似は嫌なので、ちゃんとアーシアに納得して貰ってから転移したいのだ。それにまずはちゃんとアーシアに落ち着いて貰いたいというのもある。
そんなわけで歩く二人だが、アーシアはまだ少し緊張していた。
レイナーレの様子から自分のことを慮ってくれていることが良く分かるが、何故敵であるはずの彼女が自分を助けてくれるのかわからない。もしかしたら自分の神器を狙っているのかもしれないと言う疑念もあった。
だがそれよりも何よりも、最初にレイナーレがかけた言葉が気になったのだ。
それは彼女の真の願いだから。それを叶えると行ったレイナーレの真意が知りたいから。
だからこそ、アーシアはレイナーレに問いかけた。
「あの……何で私を助けてくれるのですか? それにさっき言ったことは……」
そう問われたレイナーレは、アーシアの様子を見つつ少し真面目に、それでいて自身の思いを込めてはっきりと答えた。
「私が貴方を助けたのは、はっきり言ってそれが御仕事だから。私が所属する組織のトップが貴方の保護を命じたのよ。私達は神器を持った人間を保護しているの。神器を持っているだけで他の勢力から狙われるから」
「そ、そうですか…………」
善意を無意識に期待してしまったアーシアはその答えに気を落としてしまう。
少しくらい顔になってしまったアーシアを見て、少し申し訳なさそうにしつつレイナーレは笑った。アーシアを励ますように、彼女を安心させるように。
「因みに、保護した人間を戦力として使うようなことはしないから。保護してる目的もトップが神器の研究しているからだし………と、それが建前。それに貴方を崇め奉ってたくせに異端だ何だって騒いで追放する奴等が許せなかったのもある。でも、本当はね………貴方に助けてもらいたいの」
「え……?」
そう言われアーシアはポカンとしてしまう。
堕ちたとはいえ天使である存在が助けて欲しいというとは思わなかったのだ。
レイナーレはそうアーシアに言うと、少し頬を赤く染めつつ改めて彼女に頼み込んだ。
「貴方がその神器のせいで酷い目に遭ってきたのは知ってる。心が疲れてもう嫌だって悲鳴を上げていることも分かってる。でも、それでも……私は……彼を助けてもらいたいの」
「彼?」
レイナーレはそう言うと少し目に涙をにじませつつも、もっとも愛しい彼のことをアーシアに告げた。
「私のね、その……こ、恋人の目を治してもらいたいの。彼、幼い頃に交通事故に遭って以来失明してしまって……。現代医療では治せる可能性は皆無だっていわれてて。それなら私達のような力ならどうかなって思って、それで探してたの……貴方のような能力者を」
そう言うなり、涙を流し始めるレイナーレ。
急に泣き出してしまったレイナーレに驚くアーシア。
「だから……彼の目を治せるのは貴方しかいないのよ。他の手立てを調べても、貴方以上に頼れる物は無かったの。だから、その……こんなこという筋合いがないのは分かってる。でも、それでも………」
そこで一拍おき、彼女ははっきりとアーシアに頭を下げた。
「お願い! 私の一番大切な人の目を治して下さい!」
そのお願いを受けたアーシアは分かった。
目の前に居る堕天使の真意を。それは彼女のとても大切な思い。自分が愛する人の目を治し、世界を見せて上げたいという純粋なまでの愛。
アーシアはそれまで身構えていた自分が恥ずかしくなった。相手が邪念を抱く所か、寧ろ愛おしい人への献身的な愛を抱いているのだから。
それはある意味、彼女以上に純粋だ。自分のため以上に彼のため。
そんな慈愛に満ちた愛を感じ、アーシアは今まで疑っていた自分を恥ながらも、笑顔で答えた。
「わかりました。私でよければ、頑張って治してみますね。その恋人さんの目を……」
その言葉を聞いてさらに泣き出してしまうレイナーレ。
それまで女神のように美しいと思っていたレイナーレが泣いている姿を見て、アーシアは人間と同じなのだと親近感を抱いた。
「ありがとう……ありがとう、アーシア……」
彼女の口から小さくだが出る感謝の言葉。それは小さく聞き取り辛いが、それでもしっかりとアーシアの心に響いた。
尚………。
「あの……レイナーレ様の恋人ってどんな方なのですか?」
少し落ち着いたレイナーレに歩きながらそう問いかけるアーシア。
同じ年頃のようなレイナーレの恋人がどのような人なのか気になったようだ。
そんなアーシアの問いにレイナーレは先程まで泣いていたこともあって赤くしていた頬を更に赤らめつつ答えた。
「そのね………蒼崎 湊君って言って、日本で高校生をしている人間の男の子なの。凄く優しくて、それでいて歳のわりに落ち着いてて、でも焦ったり眠ってる時は子供見たく可愛くて……大好きなの……」
その言葉にアーシアは内心で驚いた。
何せ堕天使の恋人が人間だというのだから。
しかし、それを驚く以上に……羨ましく見えた。
レイナーレの恋する乙女の表情をアーシアは羨望の眼差しで見ていた。