やっと見えた希望の光。それも他の手段よりも格段に成功率が高い、堕天使が思うにはどうかと思うが神の思し召しのように彼女は感じた。
本当、何で堕天使なんてしてるのか不思議に思うくらい、彼女はこの幸運に感謝した。
そしてアザゼルの提案に即座に返事を返した彼女は、詳しい話をアザゼルから聞いて意気揚々に部屋を出て行く。
その背中を満足そうに見て笑うアザゼル。それまで黙っていたシェハムザは彼女が部屋から出て行ったのを見送った後にアザゼルに向き合った。その顔は少し怒っているようにも感じられる。
「良いのですか、あの子を危険な目にさらして」
今回の任務が楽なものでなく、危険なことを知っているからこそ彼は許可したアザゼルに問いかける。娘同然に可愛がっている彼女を危険な目に遭わせたいのかと。
その問いに対し、アザゼルは真面目な顔で答えた。
「お前が言いたいことも分かる。オレだって本当なら行かしたくないんだからなぁ。でも………あの目を見てると駄目だなんて言えねぇんだよ。あそこまで真剣な目でお願いされたことなんて初めてだからな。アイツ、昔から良く出来た子供でな、あまり大人にお願いをしたことなんて無かったんだ。良くある手が掛からない子供って奴だ。親としては甘えてもらいたいんだが、中々に上手くいかないってアイツ等と良く話し合ったもんだよ。そんなアイツがあそこまで真剣にお願いしてきたんだ。聞いてやりたいのが親心ってもんだろ」
その答えを聞いてシェハムザは軽く溜息を吐いた。
別にアザゼルのことを否定したいわけではない。彼にしては珍しくまともなことを答えたからこそ、その答えに疲れを感じたのだ。
「まったく、娘には甘いのですから………あなたの言い分はわかりました。ですが、それでも危険なのは変わりませんよ。どうするつもりですか?」
シェハムザもアザゼルが言いたいことは分かっている。
そんな手の掛からない子供だった彼女がああも真剣にお願いしてきたのだ。確かに叶えたくもなる。それがまだ己の欲だけなのなら呆れはするが、目が見えるように恋人の目を治してあげたいという献身的な願いだというのだから。呆れを通り越して驚かされる。アザゼルからすれば、少し見ない間に娘が急激に成長していることが嬉しかったのだろう。だからこそ、許可したのだと。
だが、それでも危険であることに変わりは無い。
思いは賛成しても、現実問題は変わらない。
その対応はどうするのかとシェハムザはアザゼルに問いたいのだ。
その答えに対し、アザゼルは………少し気まずい感じに頬を掻いていた。
「まぁ、何とかなるだろ。アイツはあまり出世欲とかないから下級だけど、実力だけなら上級に引けはとらねぇんだし、それにアイツの部下も変わり者が多いけどその腕は確かだしな」
それを聞いてシェハムザの顔は変わらない………少しばかり目がジト目になっていること以外は。
既に彼は見抜いていた……目の前に総督が何も考えていないことに。
「成る程、まったく考えていなかったわけですか」
「いや、そんなことねぇだろ! ちゃんと案は言ったんだし」
「その割には随分と動揺しているようですがね。知ってますか? あなたは嘘を付くときに左眉だけが上がるんですよ」
「嘘、マジ!」
シェハムザに指摘され慌てて眉を隠そうとするアザゼル。
勿論これはシェハムザの引っ掛けであった。
「嘘ですよ。やはり考えてなかったのですね」
「ちっ!? 総督を謀って良いと思ってんのか!」
引っ掛けられたアザゼルはシェハムザに喰ってかかるが、既にどちらが上なのかなど非を見る明らかである。
「ちゃんと仕事をしてくれる総督なら畏れ多いですが、思いっきりサボる廚二病総督に払う敬意など微塵もありません」
「ぐほっ!?」
痛いところを突かれたアザゼルは派手なリアクションで沈み、シェハムザはそんな総督に呆れる。
そしてアザゼルは逆キレ気味に咆え始めた。
「大丈夫だって言ってんだろ! もしアイツに何か傷一つでも負うような事態になったら、そん時はオレが出てアイツに概なす奴等全員ぶちのめしてやる!」
「何勝手に総督が前線に出ようとしてるんですか! それでは組織として疑われますよ!」
あまりの馬鹿らしい案に突っ込むシェハムザ。
しかし、アザゼルは止まらない。
「疑われたって結構だ! アイツはオレの可愛い可愛い、それこそ目に入れても痛くないくらい可愛がってる娘同然の奴だぞ! そんな可愛い奴を危険な目に遭わせられる訳ねぇだろ。だからオレが直々に出向けば大体の奴は退くだろうさ」
「どれだけ親馬鹿なんですか、アンタは! 息子同然の方は放っときぱなしだというのに」
「いいんだよ、アイツは。オレが何かしなくても彼奴一人でどうにも出来ちまうんだから。可愛げも何もないんだしよ! それにアイツは男でレイナーレはか弱い女だ。どっちが大事にすべきかなんて一目瞭然だろ!」
実に大人げない会話の応酬。流石のシェハムザも少しばかり自棄気味になっている。
そして言いたいことを言いまくったアザゼルは息をぜぇぜぇと吐きつつも、佇まいを直してシェハムザに向き合う。
「取りあえずだ……アイツが危険になりそうなら、その時は援軍でも何でも送るつもりだ」
「はぁ……結局そうなりますか」
行き着く先は既に決まっていることは分かっていたし、この親馬鹿気味な総督なら自分で乗り込みに行きそうなことも予想はしていた。それを何とかしたかったが、それでもやはり無理らしい。
それを悟り、呆れるしかないシェハムザ。
そしてアザゼルはただ、レイナーレが危ない目に遭わないように内心で祈り、もしもの時は自分の手で敵を殲滅しようと考えていた。
実の親以上に彼は子煩悩なのであった。
レイナーレがアーシアの保護作戦に参加を決め、そのまま湊が待つ部屋へと戻った。
「ただいま、湊君」
少し長く離れていたせいで心細く寂しさを感じさせてしまったのかもしれないと思い、レイナーレは湊に声をかける。勿論、彼だって男だ。面と向かってそう言われれば、きっとそうではないと言い張るだろう。
だが、それを察しても尚、湊の笑みは変わらない。
レイナーレが帰ってきたことで、彼は凄く嬉しそうに微笑んだ。
「お帰りなさい、レイナーレさん」
「うん、湊君」
その微笑みを見て頬が紅くなるレイナーレ。
少し張っていた気が緩み、湊にそう言ってもらえることが嬉しくて此方も笑顔になった。いつもと同じようにしているやり取りなのに、それでも彼女の胸は温かくなる。自分を迎えてくれる人がいる。それも最愛の人が……それが幸せで彼女は嬉しい。
そして湊と少し話をすることにした。
元から目的までは話せないが、湊がいるこの部屋に数日間は帰れないかも知れないのだ。その所の事情はちゃんと話しておいた方が良い。
それに彼女としても、湊と数日とは言え離れるのは辛いのだ。それを我慢して彼女は湊に話しかけた。
「湊君、そのね……話したいことがあるの……」
その声は少し緊張していたせいか声音が硬い。
それに気付いたのか、湊は彼女の手を軽く握り、彼女の全てを包み込むかのような優しい声で答えた。
「はい、わかりました。ゆっくりで良いから、話して下さい」
「うん……」
いきなり手を握られたことに顔を赤らめるレイナーレ。その心は湊が自分の心情を気遣ってくれていることへの嬉しさで一杯だった。
そのまま手を握られたまま、レイナーレは今回の件を湊に話し始めた。
「実はね、今日の御仕事の時に新しい仕事を任されたの。それをすると数日間はこの家に帰れないかもしれないのよ。だから、それまでの間は湊君とは一緒に……」
そこから先の言葉が彼女の口から出ることはなかった。
別に言うだけで済むはずなのに、それを彼女は出来なかった。事務的な事とは言え、それでも彼女は言いたくなかったのだ。『湊と一緒にいられない』ということを。
それを意識した途端、彼女の瞳から雫が落ち始めた。
「え………?」
急に自分の目から涙が零れ始めたことに唖然としてしまうレイナーレ。
何で涙が流れるのか、彼女自身でも分からないのだ。
しかし、本人ですら気付かないことに湊は気付き、レイナーレをそっと抱きしめた。
「湊君?」
急に抱きしめられ顔が熱くなるのを感じながらも湊に問いかけるレイナーレ。
そんな彼女を胸に抱きしめ、湊は彼女に優しく囁いた。
「僕は大丈夫ですから、だからそんな悲しまないで下さい。確かに僕だってレイナーレさんと会えないのは寂しいです。もっと一緒に居たいのに、それが数日も会えないなんて思うと心が折れそうになりますよ。でも、それでも………」
そこで一旦言葉を切ると、湊は顔を赤らめつつもしっかりと彼女に言う。その想いを込めて。
「レイナーレさんがちゃんと帰ってきてくれるって信じてますから。だから耐えられるんです。だから……ね。そんなに悲しまないで下さい。僕はレイナーレさんに笑顔で居い貰いたいですから」
「…………うん」
湊の言葉を聞いて更に涙が溢れ出てしまうレイナーレ。
しかし、彼女の心は喜びに満ちていた。
こんなにも心配して貰えているのだと、彼も自分と同じように考えてくれているのだと。それが嬉しくてたまらない。
だからこそ、彼女はそんな湊に応えるように、彼の胸に顔を埋めた。
そして翌日には家を出ることを話したレイナーレ。
そんな彼女に湊は少しだけ悲しそうな笑みをしつつもちゃんと話を聞いた。
話を聞き終えて、後はもう寝るのみとなったわけだが、ここでいつもと少しばかり違う事が起こった。
もう寝ようと布団に入り込む湊。
そんな彼にレイナーレが話しかける。
その服装はいつも着ている寝間着であり、顔はトマトのように真っ赤になっている。瞳は潤み、上気した肌には歳以上の艶気を感じさせるだろう。
「ねぇ、湊君……」
「どうかしましたか?」
レイナーレの雰囲気を察して少し真剣になる湊。
そんな湊にレイナーレは静かにそれを口にした。
「そのね……一緒に寝ても………いい?」
その言葉に湊は驚いた。しかし、その言葉に彼はゆっくりと帰した。
「えぇ、どうぞ……」
「う、うん……」
それを見てレイナーレは少し笑うと、湊が入っている布団にお邪魔しますと言ってゆっくりと入って行った。
狭い布団に愛おしい彼の温もりを感じ心音が跳ね上がるレイナーレ。
そんな彼女の様子に気を向けながら湊はただ静かに待つ。
そしてレイナーレは湊の腕に少し触れ、彼にお願いをした。
「その……少しでいいから、腕を握っても良い?」
「えぇ、いいですよ」
その願いに湊は笑顔で頷くと、レイナーレに腕を貸した。
差し出された腕をきゅっと抱きしめるように握るレイナーレ。
そして互いの心音が聞こえそうなほど近い距離で二人は横になる。
当然そんな状況で寝れるわけもないが、レイナーレは必死に眠ろうと目を瞑る。
だからこそ、その後湊がしたことに驚き言葉を失った。
きっと彼にはレイナーレが眠ったと思ったのだろう。だからこそ、彼を大胆にさせた。
「レイナーレさん?………もう眠ったみたいかな」
軽く確認を取る湊。そしてレイナーレから反応がないことを調べると、湊は温もりを頼りにレイナーレの身体を抱きしめた。
急にぎゅっと抱きしめられたレイナーレ。しかし、それだけではなかった。
湊はレイナーレの顔をそっと触れると、その唇にキスをした。
「眠ってる時にするなんて卑怯ですけど、まだ恥ずかしいから見逃して下さい。御仕事、頑張って下さい。これはその………ちゃんと帰ってこれるようにと願いを込めて……だから………」
そこから言葉はなく、湊は自分の心臓がバクンバクンと鳴り響いているのを聞くのみ。
そしてそれはレイナーレも同じであり、二人の気持ちはこの時完璧に重なっていた。
((どうしよう、ドキドキして眠れないっ!?))
こんな時でも変わらない二人であった。