湊とレイナーレの少し変わった出会い。
それはほんの少しの偶然であり、それ以降彼等が出会うことはない…………なんてことはなかった。
「あ、レイナーレさん、こんにちわ」
「えぇ、蒼崎君。こんにちわ」
湊が下校している時、あれからほぼ毎日と言ってくらいあの自販機の前で湊とレイナーレは会っていた。
勿論、それが偶然などということはない。
レイナーレはあの後、どうにも湊のことが気になってしまい仕事そっちのけで人間界に遊びに来たのだ。
元々堕天使の仕事というのは特に何かあるわけではないし、レイナーレのような下級堕天使の机仕事など午前中には終わってしまう。午後からは主に自分の地位向上のために何かしらの企みを考えているのが堕天使というものだが、そんなことを考えなければ地位が向上しない代わりに時間がかなり余るというわけだ。
それもレイナーレのような『変わり者』ならば尚のこと。
『至高の堕天使』について考える彼女にとって、力だけが全てと言い張る周りの者達のことなど正直どうでも良い。
そこまで上昇志向がないのであった。
そんなことより、湊と会話した時に感じた楽しさが忘れられず、こうして毎日暇な午後には湊に会いに来たというわけだ。
堕天使っていうのは案外暇なんだな、などと突っ込んではいけない。悪魔の様に欲望を対価にして何かを得るわけでもなく、天使のように信仰を糧にしているわけでもない。案外三大勢力の中で一番暇なのかも知れないが、それを言ったら堕天使は皆怠け者のようにしか見えなくなる。彼等の体面のためにも突っ込んではいけない。
レイナーレが毎日会いに来ていることに、湊自身はそこまで感づいてはいなかった。堕天使というのがどのような存在なのかしらない彼にとって、まさか仕事をさぼって来ているとは思わないだろう。
湊からすれば、この時間は空いている時間で良く寄るのだろうと言う程度。
だが、彼自身レイナーレと会うことに喜びを感じていた。
お互いに少しだが意識し合っていることに二人は気付かない。だが、明らかに好意を抱いていることには気付いていた。
だからなのか、お互い約束したわけでもないのにこの自販機の前で合うようになっていた。
「今日も学校に行ってたの? ご苦労様ね」
レイナーレは湊の制服姿を見て労いの言葉をかける。そう言うが、勿論湊が学校に行っていたことは知っている。ただ、最初の会話の出だしとしてはやはり身近な話題になるものだ。
そう言われた湊は笑みを浮かべながらレイナーレに返す。
「レイナーレさんはどうしたんですか? いつもこの時間にここにいますけど」
「私はこの時間、開いてるのよ。堕天使といっても様々でね。私はそこまで忙しく無いの」
「そうなんですか」
「えぇ、そうなのよ」
そう言って互いに笑い合う。傍から見れば学生服の青年と真っ白いワンピースを着た美少女が語らっているようにしか見えない。
他愛ない会話。だが、それが楽しかった。
二人は会う度に色々なこと話していく。
「蒼崎君、学校はどう? 私はそういうのに行ったことが無いからわからないけど、楽しい?」
「えぇ、楽しいですよ。僕は知らないことが多いですから、それを学ぶことが出来るのは嬉しいです」
「そっか……。目が見えないけど大丈夫なの? 歩くだけでも大変でしょ」
「もう慣れちゃいましたね。これが当たり前になってくると普通に過ごせますよ。確かに壁や物には注意しないとぶつかってしまいますけど、人とかは何となくですけど分かるので。気配っていうのか、そんな感じなのが」
「あぁ、だから私が声をかける前に気付くのね。ちなみに私って蒼崎君にはどんな風に感じられるの? 他の人と違って区別出来てるみたいだけど」
そうレイナーレが聞くと、湊は顔を少し赤くしながら苦笑を浮かべる。
その照れた顔がレイナーレには可愛く見えた。
「レイナーレさんは何だか不思議な感じがするんですよ。どこがどう違うっていうのかは分かりませんけど、何となくそれを感じると『あ、レイナーレさんがいる』ってわかって」
「そ、そうなの(何かそう言われると照れちゃうわね。私だけ特別みたいで……)」
そんな学校の話題や、湊が感じる世界のこと。
レイナーレは主に湊の事を聞く。彼女にとってまったく違う世界に生きる彼の事は興味が尽きない。正直、彼の事を少しでも知りたかった。
「レイナーレさん、堕天使ってどんな感じなんですか?」
「どんなって言われると少し困るわね。そうね……会社員みたいな感じかな」
少し悩んだ後に難しそうな顔で答えたレイナーレ。それを聞いて湊は不思議そうに首を傾げる。
「会社員ですか?」
「そう。一応堕天使にも組織があるんだけど、そこに私は所属してるの。そこの平社員みたいなものでね。組織としての仕事をやったりしてるのよ。ただ周りの同僚は上昇志向が凄くてギスギスしてて、あまり一緒には居たくないわね。正直、こうして蒼崎君と話してる方が余程楽しいもの。何ていうのか、癒されるわね」
そうレイナーレに言われた途端、湊の顔は真っ赤になり始める。だが、それはレイナーレも同じであり、恥ずかしくなって顔が赤く染まっていく。
「そう言われると、その……嬉しいですね。僕とこうして会ってくれて、喜んで貰えるから」
「う、うん……」
ここ数日ですっかりお互い気心が知れつつある仲になっていく。
そのため、不用意に本音が漏れてしまい、お互いに恥ずかしくなることが多くなっていった。
そんな風に湊はレイナーレのことを聞いていく。
彼女と、彼女がいう堕天使というものを知ろうと彼は熱心に聞く。今までに無い未知に触れ、また彼女の事が知れることに喜びを感じながら。
こういったように、二人は互いのこと、互いの感じる世界の事を話し合っていく。
気心が知れる程度の仲になった二人は、言わば友人と言える関係だろう。
その割には直ぐに恥じらって赤くなる様は傍から見れば初々しい友達以上、恋人未満の関係に見えるだろうが。
だからだろうか。ここで湊はあることをレイナーレにお願いした。
「あの、レイナーレさん……実はお願いがあるんですけど……」
「お願い? どんなの?」
珍しくお願いをしてきた湊にレイナーレは少し期待したような声で答える。
湊がどんなことを言うのかが気になったからだ。
特に彼女の興味をそそったのは、みるみる内に顔が真っ赤になっていく湊の顔が面白かったから。
そして恥ずかしがりつつも、湊はレイナーレに言う。
「その……顔を触らせてもらえませんか……」
「顔? 何で?」
レイナーレの期待通りなのかは分からないが、彼女の興味を充分惹くお願いに彼女は不思議そうな声で聞きつつも内心楽しみでワクワクし始める。
そんな彼女の笑みを見えないためわからない湊は、少し必死な様子で理由を明かした。
「その……目が見えないと殆ど分からないんです。ですが、人の顔や物の形なんかは触ることで分かるようになるんです。だから、その……レイナーレさんがどんな顔をしているのか、知りたくて………。あ、勿論こんな気持ち悪いお願い、断ってくれても良いんです。女性の顔を触らせろ、なんて失礼なことですし……」
慌てた様子でそういう湊。
そんな湊を見て、レイナーレは何故か顔を赤くしてしまった。
それは彼が自分のことをより知ろうとしてくれていることへの喜び。そして気になり始めている異性から出た大胆なお願いへの驚きと恥じらい。そして必死な様子でそう説明する湊が何故か可愛らしく見えたことでの母性。
それらが入り交じり、レイナーレの顔は真っ赤に染まった。
そしてその答えを彼女は口にする、勿論、その口元は笑みが浮かべられていた。
「わかった。いいわよ、触っても。それで蒼崎君がもっと私のことを知ってくれるのなら……嬉しいもの」
「へ? あ、その……ありがとうございます……」
まさかOKが出ると思わなかったのか、湊は驚いてしまう。
そんな湊の反応がまた面白かったのか、クスクスと笑ってしまうレイナーレ。その笑い声を聞いて湊は更に恥ずかしくなってしまう。
「で、では……いきます」
「え、えぇ、どうぞ!」
その恥ずかしさを紛らすように、湊はレイナーレの顔に手を伸ばす。
そしてレイナーレは近づいてくる手にドキドキしながら目を細めた。
ゆっくりと近づく手は、レイナーレの頬に触れてから周りを調べるように動き始めた。
「っ、んくぅ……んはぁ、くふぅ……」
「凄くきめ細やかで柔らかい………」
レイナーレの顔をまるで壊れ物を扱うかのように触る湊。
その優しい手付きはまるで愛撫されているようで、レイナーレは顔を真っ赤にして艶めかしい声が出そうになるのを堪えた。だが、漏れ出した声は湊に伝わり、度々彼をドギマギとさせる。
勿論、触られているレイナーレの心臓は破裂しそうなくらいドキドキと高鳴っていた。
気になっている異性に顔を撫でられる。
そんなことをされて、冷静で居られる女の子などいないのだ。堕天使だろうが悪魔だろうが、そういった感情は人間と変わらない。
湊はレイナーレの声にドキドキしつつ、それでも彼女の顔の形を覚えていく。
(凄く綺麗な形だ。声もそうだけど、レイナーレさんって凄い美人さんなんだなぁ。そんな人の顔を触ってると思うと……うぁ、恥ずかしくなってきた)
湊がそう思ってると同時に、レイナーレも優しく撫でていく手の感触に真っ赤になりつつ思う。
(蒼崎君の手、やっぱり私と違って少し硬くて大きい。これが男の人の手なんだ……。そんな手に優しく撫でられて……正直少し気持ちいいかも……て、何考えてるのよ、私は!)
そしてそれは湊がレイナーレの顔の形を完璧に覚えるまで続いた。
この後、いつもの様に別れた二人はお互いの家でモヤモヤとするハメに遭う。
湊は初めて触れた年頃の女性の肌の感触にドキドキしてしまい、レイナーレは自分がOKしたとは言え随分と大胆な行動をしたこと、それにより湊に顔を触られて少し感じてしまい艶声を洩らしてしまったこと恥ずかしさから悶えていた。
(僕はなんてことをしてしまったんだ! きっとレイナーレさん、我慢していたんだろうなぁ。明日もきっと会えると思うし、謝らないと!)
(うぁわぁああぁあああぁああぁあああぁああ!! 私、蒼崎君になんて事させてるのよ。いくら何でも、目が見えない相手に顔を触らせてその感触で感じるなんて、ただの変態じゃない! どうしよう、明日も蒼崎君に会おうと思ってるけど、彼の顔がちゃんと見れるか分からない! あぁ、私の馬鹿……でも、その……本当に気持ち良かったし、それに触ってるときの蒼崎君の顔、恥ずかしがってるのに一生懸命で……可愛かったなぁ……)
二人とも、更にお互いを意識する事となった。