買い物を終えて部屋に戻ってきた湊とレイナーレ。
互いに洗面所を使って私服に着替えると、テーブルの前に座り込んだ。
湊は普通にジーンズとTシャツという服装で、レイナーレは動きやすいシャツにチェック柄のプリーツスカートにニーソックスという恰好だ。
湊が見えないということは分かっているが、それでも好きな男の子の前ではオシャレをしたいというレイナーレなりの心構えである。
出来ればその服装を褒めて貰いたいと少し無理なことを思いつつ、レイナーレはあることを思い出した。それは料理を作る者ならば、誰しも必ず聞くことである。
「あ、そう言えば蒼崎君、何か苦手なものとかある? それとアレルギーとかは?」
少し心配そうに問いかける彼女。
好きな人に嫌いな食べ物を食べさせたくないし、アレルギーがあった場合は下手をすれば死の危機に瀕することもあるのだ。そんなことには絶対に遭わせたくない。
そんな彼女の不安そうな声に、湊は心配させてしまっている事を心苦しく思いながら答えた。
「特にはないですよ。アレルギーもありませんし、好き嫌いも今の所はないです」
「そ、そうなの。よかったわ、勝手に作って蒼崎君に苦手なものとか食べさせなくて」
ホッとして胸を撫で降ろすレイナーレ。
そんな彼女に湊は少しだけ頬を赤らめつつ、彼女に爆弾を落とした。
「大丈夫ですよ。だってレイナーレさんが作ってくれたお弁当、凄く美味しかったですから。だから……レイナーレさんが作ってくれた食事なら、きっと凄く美味しいと思います」
「っ~~~~~~~!? そ、そう! そう言ってもらえると嬉しい……」
湊に褒められ、レイナーレの顔が桜色に染まる。
好きな男子に料理の腕を褒められる。それが恋する乙女にとってどれだけ嬉しいことか。レイナーレはその言葉に嬉しさを噛み締めつつ内心で誓う。
(み、湊君に褒められちゃった!だ、だったら、もっと頑張って美味しいご飯を作ってあげなきゃ!)
そして同時にこのやり取りに悶えていた。
(でも、このやり取りってまさに新婚そのものじゃ………湊君が旦那様………キャーーーーーーーーーーーーーーーーー!! そんな、まだ早いわよ! ご飯にします? それともお風呂にします? そ、それとも……わ、わたし? なんて……キャーーーーーーーーーー!! キャーーーーーーーーーーーーーーー!!)
どうやら最近の彼女の思考には幾分かミッテルトから仕入れた情報も混じり始めているようだ。その言葉の先を妄想しかけ、一気に頭が湯立つ彼女。
本当にこれで堕天使だというのだから、驚きを感じ得ない。もし天使がこんな彼女を見たら、本気で堕天使かどうか疑うだろう。
だが、いつまでも妄想に耽っているわけにもいかないとレイナーレは気を取り直し、熱が引かない顔を気にしつつも準備を始める。
前回運び込んで貰った荷物から薄ピンク色の可愛らしいエプロンを身に付けると、今日買い物に行った際に一通り買い揃えた調理器具を取り出し使えるように洗う。蒼崎家には調理器具が殆どないので、この際に大体の料理が出来る様に買ったのだ。湊一人では火を使うことすらおぼつかないのだから仕方ない。
そして材料を取り出しているレイナーレに、湊から声が掛かった。
「そう言えばレイナーレさん。夕飯は何を作るんですか?」
それは誰もが気になること。その日の夕飯が気になるのは誰だってそうだろう。特に作って貰える夕飯というのは。そして湊は久々に誰かに作って貰える食事で、しかもそれが意中の相手だというのだから、気になって仕方ないようだ。
その少しの不安とワクワクがとまらない様子はまるで子犬を連想させ、レイナーレの心をキュンとさせるには十分な威力であった。
そんな湊の姿に可愛いと顔を赤らめるも、レイナーレは少しばかり意地悪を言う。
「それはね……内緒」
その言い方が可愛らしかったせいなのか、今度は湊が顔を赤らめていた。
(何か今の、恋人同士みたいだったかな……何か胸のドキドキが止まらないや)
二人して顔が赤いが、それではこの先が進まない。
レイナーレは湊に直ぐに分かると言って調理をすべく、台所へと立った。
そしてそこから始まるのは、レイナーレが妙に若奥様を意識しては顔を赤らめつつも料理を作る姿と、その様子を気配と音を聞いて妙に懐かしそうにしている湊の姿であった。
レイナーレは上機嫌なのか鼻歌を口ずさみながら食材を切っていく。
まな板を叩く包丁のこぎみ良くリズミカルな音から、それなりに上手なことが窺え、少なくとも不安は感じさせない。
(さぁ、湊君のためにも、頑張って作るわよ~~~~~! そ、それで、『こんな美味しい料理が食べられるなんて、僕は幸せだよ。きっとレイナーレさんが作ってくれたからこんなに美味しいんだね』なんて言って貰ったりしたら…………ぁぅ……が、頑張ろう!)
実に浮かれ上がっているが、その手は止まらずに動き危なっかしさはない。それなりにカワラーナに仕込まれた賜物だろう。
そんな頭が妄想で一杯になっているレイナーレに対し、湊はテーブルに少し上半身を伏せていた。
彼の場合、良くあるテレビを見て待っていてくれというのが出来ないのですることがない。まぁ、それ以外にも単純に少し眠かったりすることもあり、そうしていた。
そんな夢現な中、湊は昔を思い出していた。
(あぁ、この音、懐かしいなぁ………よく母さんもこうして料理を作ってくれたっけ……)
それは幼い頃の記憶。まだ目が見えていた頃の思い出。
母親が料理を作っている時の様子を思い出し、湊は懐かしい気分に浸る。
彼からすれば久しく聞いていない、誰かが料理をする音。それが凄く懐かしく、彼の心を安らかにさせる。
そのため、レイナーレの様に考えはしても悶えたりはしなかった。
(こんなに良い音がするんだから、きっとレイナーレさんは美味しい料理を作ってくれるんだろうなぁ。彼女の料理は美味しいから、きっと将来とても良いお嫁さんなるかもね……できれば、その相手は……僕が……)
そこで意識が完全に途切れる湊。完璧に寝入ってしまったようで、安らかな寝息が聞こえ始めた。
そしてどれだけ時間が経っただろうか。
湊は鼻腔をくすぐる刺激的な香りを感じ、目を覚ました。
「あれ、僕、寝ちゃってたんだ………」
ぼんやりとする意識を覚醒させつつ辺りの様子を探る。
すると、室内に満ちる香りに改めて気付いた。
「あれ、もしかしてこれって……カレー?」
「うん、正解。最初だし、好き嫌いがあまりないカレーにしてみたの。蒼崎君、カレー好き?」
湊の出した答えにレイナーレが答えた。
それは別に良い。湊の言った通り、レイナーレが作っていたのはカレーなのだから。
だが、その声がしたところが問題だ。
それは湊の直ぐ近く。彼の顔の間近であった。
顔が近いということを察して顔を赤らめる湊は少し慌てつつ声を出した。
「カレーは好きだけど、その……もしかして僕の寝てるところを見てた?」
その問いにレイナーレは少しどうしようかと悩むが、赤くなった顔でイタズラをするような笑みを浮かべながら答えることにした。
「うん、見てたわ。その………可愛かった」
「うぁ………」
自分の恥ずかしい姿を見られたと思い羞恥に顔を染める湊。
レイナーレはそれまで湊の安らかな寝顔を見て嬉しそうに微笑んでいただけに、彼のその反応を見て更に心が満たされる。
湊が見れない以上、レイナーレがその分湊のことを見ているようだ。どうやらこのホームステイ、もとい同棲を機にいつもより勇気を出して湊にアタックをかけるらしい。実にいじらしく微笑ましいと言えるだろう。
「その、一応僕も男だから、あんまり可愛いって言われるのは……」
「そう? 私は蒼崎君はとっても格好良くて、それでいて凄く可愛いと思うわ」
「ぐむっ…」
レイナーレの嬉しそうな声を聞いて、否定出来ない湊。ここで無理に否定しても彼女に悪い気がして仕方ないと思った。故に自分の羞恥より彼女の喜びを取ることにした。
そして実に気恥ずかしい話を終え、レイナーレは湊の分と自分の分のカレーライスを装って持ってきた。
その香りに湊の頬が緩む。
「うわぁ、美味しそうな香り」
「では、さっそく」
ここからが本番だと言わんばかりにレイナーレは顔を赤くする。
もうここまでくればお分かりだろう。レイナーレは湊にスプーンを渡さず、自分の持っていたスプーンを使って湊のカレーを掬うと彼の口元に持って行く。
「蒼崎君、あ、あ~ん……」
顔を真っ赤にして瞳を潤ませながらスプーンを差し出すレイナーレ。
こう言っては何だが、あまり過保護なのも如何なものだろうと思われるが、この恋する乙女はそんな自主性は求めない。ただ、彼に意識して貰いたく、そしてまた自分自身がしたいからそうしているのだ。
「その、自分で…」
自分で食べられると言おうとする湊だが、レイナーレはその先を言わせない。
「もし零したら洋服に染みがついちゃうから。カレーって落ち辛いし、だから……ね」
実に甘い声で甘えるようにお願いするレイナーレ。
その言葉を聞いて、もう何も言えなくなった湊はただ頷くことしか出来なかった
そして差し出されたカレーを口の中に入れて貰う湊、
その味を感じた途端、顔が驚きで固まった。
「お、美味しい! 凄く美味しいです、このカレー!」
「そ、そう、よかったぁ~! そんなに褒めて貰えて嬉しいわ」
湊の反応に一瞬不安そうだったレイナーレだが、声を聞いて緊張が解けた。
無邪気に喜ぶ湊に胸を暖かくしつつ、レイナーレはもっと食べてとスプーンを差しだし、湊はそれを恥じらいつつも嬉しそうにいただいていく。
そして気が付けば、あっという間に湊のカレーライスは空になっていた。
「ふぅ~、とっても美味しかったですよ」
「はい、お粗末様でした」
湊からの絶賛を受けて、レイナーレは喜び笑顔を浮かべる。
そんなレイナーレに、やっぱりこの男は爆弾を落としてきた。
「カレー、とても美味しかったです。きっとレイナーレさんが一生懸命作ってくれたからですね。こんなに美味しいカレーが食べられて、僕は幸せ者だ。こんなに料理上手なら、レイナーレさんは良いお嫁さんになれますね。で、出来ればこの先もずっと食べたいかも………」
彼なりのアプローチなのかもしれない。ただの感想だが、レイナーレの心をときめかせるには充分だ。
「そ、そう言ってもらえるのが、一番嬉しいかも。その、蒼崎君のために一生懸命頑張ったから」
「そ、そうですか……」
互いにトマトのように真っ赤になる。
そして気まずくなりつつも、何処か幸せそうな雰囲気に包まれる。
きっと見ている者がいたら何かしら吐いていたかもしれない。
レイナーレはその言葉を言ってから更に湊を見る目に熱が入り瞳が潤む。
だが、いつまでもこうしてはいられないと、今度は自分の分のカレーを食べ始めた。
湊にそう言ってもらえて嬉しくて仕方なく、泣きそうなくらい顔が真っ赤になる。
だからなのか、自分で自爆したことに気付くのが遅れた。
「あ、これって……」
使っていたスプーンを見てやっと気付いた。
それは湊に食べさせるために使っていたスプーン。つまりは……間接キス。
それを理解した途端、ボンッとレイナーレの顔が爆発した。
こうして夕飯のカレーは美味しく頂かれたが、互いにその顔はポストよりも真っ赤になっていた。