蒼崎 湊の今までの人生は平凡とは言いがたかった。
別に過酷な宿命を背負ったのでもなく、壮大な何かがあるわけでもない。
ただ彼は被害者なだけであった。
彼は普通の家庭に生まれ育った。会社員の父と主婦の母の間に産まれ、普通に不自由すること無く健やかに育っていた。
別段裕福というわけでもなく、だが貧困に困るほどでも無い。それなりに幸せな生活を送ってきたと言えよう。
そのまま行けば普通に小学校にあがり、友人を作って楽しい学園生活を謳歌するはずだった。
だが、そうはならなかった。
それは小学校に上がる前、彼が両親と一緒にとある施設に遊びに行ったときに起こった。
それ自体はよくある交通事故だ。
偶々運悪く対向車の大型トラックと激突し、彼等の乗る車は見事に弾き飛ばされた。
両親は即死。彼は激突の際に粉砕されたガラスが目に入り眼球に深い損傷を受けて失明した。ただ、運良くなのか死ぬことはなかった。重体なことは変わらなかったが。
彼がその事実を知ったのは病院のベットの上。暗闇しか見えない視界の中、担当医が話してくれた。
光を失った目、そして失った家族。
その二つの事実が幼い彼にのしかかり、彼の心は壊れかけた。
当然だ。まだ小学校にも上がらない子供にはこの事実はあまりにも酷だ。
だが、それでも……彼は壊れなかった。
確かに一杯苦しんだし、泣き続けた。子供でなくてもそうなるのだから当たり前の行動だ。
それでも、彼は前に進むことを決めた。
それは彼が生まれ持った資質。前に進むためには必ず必要な物。
如何に困難であろうとも、事実を真正面から受け止めどうするのか考える思考。
確かに両親は死にもう会えない。光を失った目は何も移すことはない。
だが、それでも自分は生きている。ならば、死んでしまった両親のためにも、自分は生き続けるべきだと。助けて貰った命に報いなければと。
幼い彼はそう心に決め、そして前へと進み始めた。
これが彼が被害者たる由縁。何もしていない罪も無い少年に襲い掛かった過酷な事故。それにより、家族と両目を失った。
その後も困難は続いていくことになる。
事故により、彼の生活は瞬く間に変わった。
母方の祖父母に引き取られ、視覚障害者としての生活が始まったのだ。
何も見えないことに最初は戸惑ってばかりで苦労ばかりした。
杖が無ければ歩くことも出来ず、人などに至っては何度もぶつかったりしてしまう。幼心からくる無邪気な悪意によってイジメにもあった。
だが、それでも彼は前向きに頑張る。
持ち前の気質に努力を重ね、目が見えない生活に慣れるように頑張った。
イジメは確かに心に来るものがあったが、目が見えない所為で何をやられているのか分からないこともあって無視した。それがあまりにも面白くなかったこともあってイジメも時期に沈静化していく。
そんな生活を三年ほど続けていれば、嫌でも慣れてくる。
彼はすっかりと馴染み、杖を使えば外でも平然と出歩けるようになった。
そして目が見えない代わりに他の感覚がより発達し、人の気配とでも言うべきもを察せるようになり、ぶつかるといったこともなくなった。
自分の自我がはっきりとしたころにはそれが常態となり、当たり前の事となっていく。彼の日常がその常態に収まっていった。
そこから今まで、特にそれらしい出来事は無い。
何も見えない日常が続き、多少不便はあれど困らない日々。
見えないことで問題はあったが、努力もあって解決していった。特に点字の習得と聞いた声からそれを点字でノートに写すといった技能はある種天才に近い才能を発揮した。
その御蔭で彼は視覚障害者にしては珍しく、普通の学校に通えるようになった。体育は流石に欠席だったが、それ以外の座学でなら内容を話しさえすれば問題無く学ぶことが出来る。
そして普通に小学校を卒業し中学を卒業。
高校に上がる際、祖父母の家から出ることを決意し一人暮らしを始めることにした。
祖父母は当然反対したが、もう歳ということもあって彼は迷惑をかけたく無かったのだ。幸いと言うべきか皮肉と言うべきか、障害者ということもあって国の支援を受けていてお金にはそこまで困らない。
だからこそ、必死の説得により彼は許しを得て一人暮らしを始める。条件として祖父母の家の近くというのがついたが。
その許しをもって彼は地元にある駒王学園に入学した。
この学園は元女子校だったのだが、ここ数年前に共学となった学校であり男子生徒は多くない。そのため男子生徒の扱いに慣れていないこともあって、様々な男子に紹介がされたのだ。
その中には勿論彼も含まれており、彼は紹介を聞いて行くことに決めた。
そして高校に入学したが、その生活はそれまでのものとそこまで変わらない。
毎日何も見えない日々。もう慣れきってしまい人に当たることもなく、杖も軽く使う程度で転ぶことも無い。
周りから気遣いを受けて苦笑しつつも学園生活を楽しんでいた。
目が見えない分、他の感覚が鋭くなり彼を取り巻く環境を視覚以外で色々と知る。クラスメイトのとある男子3人があまりにもスケベなせいで問題を起こしていることや、あんな男子になってはいけないと周りの女子から言い聞かされたりすること。また学園でも有名な先輩や同学年に格好いいと言われている男子がいること。
そして……そういった有名人にだけだが、普通とは違う気配を感じること。
それが何なのか彼にはわからないが、きっと何か在るのだろうと思う。少なくても、彼にとっては良く分かりやすい気配だった。そこまで深くは考えずなかったのは、人それぞれに事情があることを分かっているから。
そんな気配を感じつつも一年間学校生活を過ごして来たわけだが、最近になって不思議な女性と出会った。
それは学園の帰り道に聞こえてきた声。自販機の近くにいるらしく、お金を落としたらしく苛立っているようだった。
その声を聞いて彼はそこに近づいた。自分自身、目が見えないことで落とし物をしたときの苦労を知っていたから。それもあるが、それ以上に気になったのだ。
その女性が発する不思議な気配が。
学園で時々感じる気配とはまた違った、何やら不思議な感じがして妙に気になってしまう気配。それに引き寄せられていくようだった。
気配もそうだが、その女性が心の底から困っていることが声を伝って伝わって来て助けてあげたいと思ったのだ。
そして彼女に声をかけ、彼は彼女のために自販機の小銭を取って上げた。
そこから始まったお礼と会話。
正直親しい友人がいない彼にとって、久々にした楽しい会話だった。
あまりの楽しさに時間を忘れるくらい、彼にとって彼女との会話は嬉しかったのだ。
だが、楽しい時間はあっという間に終わる。
彼女からそろそろ帰ると言われ、彼は少し寂しい気持ちになりつつもそれに応じた。
そして別れる。
とても楽しい時間を過ごせた事への感謝を言いながら。
きっともう会うことも無い。会っても気付かれずにすれ違うだけだ。
そう思っていた。だからだろうか……彼女に背中から話しかけられた言葉に驚いたのは。
「ねぇ、今更何だけど……貴方、名前は?」
それを聞いた時、彼は内心驚きのあまり言葉が詰まった。
何せ自分のような何もない存在にそんな声をかけるのだから。
それと同時に嬉しくなった。
自分の事を聞いてくれたことが嬉しかったから。
だからこそ、彼は嬉しさに笑みを浮かべながら彼女に答える……自分の名を。
そしてその名を聞いた彼女は彼に向かって名を名乗った。
「私の名はレイナーレ。名字は無いわ。レイナーレというの。強いていうのなら……人間好きの堕天使……何てね」
それを聞いた彼は何となくだが笑みを浮かべた。
実際に堕天使がいるのかどうかなど知らない。だけど、『不思議な気配』がする彼女は、普通の人とは何かが違うのだろう。
だからこそ、その言葉はどことなく信じられた。
そして再び再会できることを祈りつつ、互いに帰路に付いた。
「レイナーレさん、かぁ……とっても不思議な感じだったけど、良い人だったなぁ。きっと凄い美人さんなんだろうね。だってあんなにも声が綺麗なんだから」
彼、蒼崎 湊は自宅の机で手に持ったペットボトルを弄くり回しながら思い返す。彼女、レイナーレと会って会話した楽しい時間を。
彼自身は気付かなかったが、レイナーレのことを思い出す彼の顔は何やら幸せそうだった。
きっと彼はこの『感情』を理解していないだろう。それは彼が初めてした『初恋』なのだから。
次回はもっと甘酸っぱい話にしたいと思います。
レイナーレと主人公の事が紹介出来たので、次回から説明する必要もなくなりますから。