蒼崎 湊にとって朝と夜と言うものに明確な差はない。
目が見えない彼にとって外が明るかろうが暗かろうが、その目に映るのは漆黒の闇のみ。故に彼には時間という物が感じ取り辛い。
ただそれでも朝か夜かを判断出来るのは、目が見えないかわりにより利くようになった耳と肌の御蔭だ。
朝に小鳥の囀りや活気に溢れた人の歩く音を聞いて朝特有の肌寒さを感じ、夜には鴉の鳴き声や仕事帰りの人の足音を聞いては冷えていく気温を感じ取る。
それが湊が感じ取れる朝と夜。
だからなのか、彼にとって時間感覚というものは希薄だ。目が見えないというのは、ただ視覚だけが無くなっているのではない。目から入る情報が無いというだけで、その人間は時間を感じ取ることが極めて難しくなるのだ。
だからこそ、湊は時間に気をつける。普通の人と同じように生活を送るためには必要なことだから。
と、こんな風に小難しく説明してみたが、結局何が言いたいのかと言えば、詰まるところ湊は普通に生活するために、少しばかり早く目覚ましをセットしているということだ。
目覚ましのセットは買った当初に店員にお願いしてもらい、その時間は六時半になっている。
そのため、この日も湊は目覚ましで目を覚ました。
特に物が多くない室内に人工的な音が鳴り響く。
その音に反応して、布団の盛り上がりが少しだけ動いた。
(あ、もう朝だ………起きて準備しないと………)
湊は眠りから覚め始めた意識でそう思い、動こうと身体に力を入れる。
だが、その身体はまったく動かない。
まるで何かでがっちりと押さえられているかのように動かないのだ。その事に内心驚く湊。まさか金縛りかと思ったが、どうやらそうでないことは次に聞こえた声と覚醒し始めた意識が感じ取った柔らかによって判明した。
「うぅ~ん………みなと……くぅん……えへへへ……むみゅ~……」
「っ!? (れ、レイナーレさん!?)」
意識した途端に湊は現在自分が置かれている状況を理解した。
湊の身体に隣の布団で寝ていたはずのレイナーレが抱きついているのだ。まるで抱き枕のように彼女は湊を抱きしめている。
そしてそれを意識した途端、伝わってくる女の子特有の身体の柔らかさと温もり。その男を魅了して止まない感触に湊の顔は一気に真っ赤になった。
正直に言えば混乱極まって身体が動かなくなる湊。そんな状態だというのに、意識ははっきりと覚醒していた。
(れ、レイナーレさんが何で僕に抱きついてっ…………うぁ、そんな所を触らないで! うぅ……レイナーレさんの柔らかい身体が………)
湊は確かに同年代の男子よりも精神的に成熟している。
だが、それでも彼だって男の子なのだ。年頃の男子が異性にここまで密着されてドキドキしないわけがない。それも好意を抱いている相手なら尚更だ。
湊は胸が張り裂けそうになりつつも、何とか声を出そうとする。
「れ、レイナーレさん、あの、その……」
離れてくれと彼女に言いたくも、この女性の柔らかさとレイナーレから香る何やら甘い香り……謂わば女性の香りを感じてしまい思考がふやけかける湊。
柔らかく暖かい女体は母性を感じさせ、イヤらしい気持ちなどなくても安心感に満たされる。その心地よさについつい身を任せてしまいたい衝動に駆られるが、それでも湊は駄目だと己に言い聞かせ、何とか動く手でレイナーレを揺すろうとする。
「お、起きて下さい、レイナーレさん。その、迷惑ではないのですが、凄く大変なことに……」
だが、湊の願いも虚しく起きる気配を全く見せないレイナーレ。それどころか更に普段の彼女では考えられない大胆な行動をしてきた。
「うぅ~ん………みなとくぅん………しゅきぃ~……ん~~~~~~」
「っ!? な、何!」
レイナーレは湊の頭に手を回すと、彼の頭をたぐり寄せ自分の胸に抱きしめたのだ。
当然豊満な胸に湊の顔は埋まるわけで、見えていない湊には突如として顔を柔らかい物で顔を覆われたことしか分からない。
しかもそれだけでなく、まるで湊を離さないといわんばかりに下半身を湊の身体に絡みつかせてきた。
普段のレイナーレならまず恥じらって速攻で離れるものだが、今は寝ぼけているため自分がやっていることを自覚していない。
相手の意識が曖昧なだけに湊も強く言えず、そのためレイナーレは湊をお気に入りのぬいぐるみのように抱きしめる。
ここで本気で堕天使が力を使えば湊の身体など潰れそうな物だが、そこは無意識ながらに力加減が成されているらしい。
(うぁっ、何だ、この柔らかくてスベスベしてて肌に吸い付くようなの!? それに何か下半身に巻き付いてる! これはもしかして足か? だったらこの顔を覆ってるのって………っ!?)
自分の顔が何に覆われているのかを知識から察した湊。
そして初めて感じる女体の『そこ』の柔らかさに、遂に思考がオーバーヒートを起こした。
顔はまるで茹でダコのように真っ赤になり、蒸気を噴き出しているかのようだ。いつもならレイナーレが良くしている光景だが、湊だって年相応にならないわけではない。
青少年に女体の生々しい感触は甘美な猛毒だ。それもそれが無意識だというのなら尚更に。
思考が停止してしまい為すがままにされる湊。そんな湊に気付かずに、レイナーレは実に幸せそうな笑顔を浮かべながら抱きしめる腕に力を込める。
「んふぅ~~~~~………むみゅ……みなと……くん…………だいたん……うふふ……」
一体どんな夢を見ているのやら。よく見れば顔に朱が入りつつある。
そして身体をもぞもぞと動かすレイナーレ。そのせいなのか、着ていたパジャマが着崩れ、肌が露出し始める。下は完璧にずれて真っ白い下着が顕わになり、上は胸の部分のボタンが外れて大きな胸の谷間が強調されていた。
まさに無邪気が醸し出すエロさ。健全な男子だったらまず生唾物で有り、兵藤 一誠あたりなら間違いなく飛びついていただろう。
ここで唯一幸いしたのか勿体ないのか、湊は目が見えないためにレイナーレの艶姿を見ることはなかった。もし見ていたら如何に彼でも間違いなく鼻血を出していたかも知れない。
だが、衣擦れの音はイヤでも耳に入る。
(な、何にしてるんだ、レイナーレさん!? 何で服が擦れる音がするんだ?)
戻りつつある思考は再び混乱に陥れられる。そして精神的に疲労が溜まりもう駄目だと思ったその時、やっと湊は解放された。
「ん……んぅ~~~~~~……もう朝? あ、早く起きないと………」
やっと目を覚ましたレイナーレ。だが、目の前に広がった……否、自分の胸に埋まっている湊を見て顔が固まった。
まるでトマトが熟していく光景を早送りで見るかの如く、見る見る内に真っ赤になっていく彼女。そして遂に噴火した。
「キャアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!? な、何で蒼崎君がここにっ!? え、ここって、私が寝てた布団じゃない!?」
混乱し戸惑い暴走しかけるレイナーレ。それでも現状を把握しようと努める。
ここで普通の女性なら男子に襲われたなどと言うかも知れないが、レイナーレは湊がそんなことをする人物ではない事を知っている。寧ろ襲って欲しいと心のどこかで思ってしまい赤面するくらいだ。そんな彼女が自分が今いる場所と状況を考えれば、答えは自ずと出てくるもの。
レイナーレは急いで湊から離れると、真っ赤な顔のまま凄い勢いで土下座した。
「ご、ごめんなさい!! 私、寝相が悪いみたいでっ」
「い、いえ、別に………僕の方こそ、レイナーレさんのことをちゃんと起こせなくてすみませんでした」
その後、しばらく顔を真っ赤にした二人の謝罪合戦は続き、それは通学し始めるまで続いたとか。
本当にぶれないほど、王道な彼女であった。