そして評価が下がってきたことに少しショックだったりする今日この頃です。
レイナーレが駒王学園への留学準備や挨拶を行っている間、湊は一人で待ち合わせの場所である自販機の前のベンチにいつも座り続けていた。
別にレイナーレが来ないことに不安を感じているわけではない。彼女が此処に来れないということは彼女の部下にして妹分であるミッテルトから直に伝えられた。
「あ、申し訳無いっすけど、レイナーレ様はここ数日ちょっと大きな仕事を任されたんでここに来れそうにないっす」
とのこと。
そのことに少し寂しさを感じなくもないが、レイナーレは湊と同じ歳ぐらいだとしても堕天使として働いている身。謂わば社会人のようなものであり、仕事を任されればそれを全力でするのは当然のこと。だから彼女が来れないくらい忙しいのも仕方ないだろう。
そう考え、湊は納得するとミッテルトに教えてくれたことにお礼を言い感謝した。
それから数日、レイナーレが来ない日々が続いていく。
いつ来るのかは聞いていないが、それでも湊は毎日ここに来ては彼女を待ち続けていた。
別にここに来る理由などない。
既にレイナーレには自宅のことは教えてあるのだし、家に帰っていても彼女なら家に来るだろう。だが、それよりも湊はここで待っている方が良いと思ったのだ。
彼女と初めて会い、それからずっと彼女と過ごしたこの場所こそ、待つのにふさわしい場所だと思ったから。
それに一人になると、改めて考えては笑ってしまう。
彼女と出会ってからの自分とそれまでの自分、その違いに湊は素直に驚いていた。
レイナーレと会う前は毎日が普通だった。
目が見えないということは周りから見れば凄く大変なことだろうが、慣れてそれが普通となった湊にとっては特に気になるようなことでもない。
確かに生活では苦労もあるが、それでもその程度。誰でも苦労はあるのだから、比較するのも烏滸がましい。湊はただ、毎日をそれなりに一生懸命に生きてきた。
周りから俊才だの何だのと言われることもあるが、彼からしたらそれは才能でも何でも無い。『普通』に生きるのに必要だったからそうしただけ。
だからレイナーレに会う前の蒼崎 湊という少年は、普通に一生懸命生きるだけの男だった。
だが、それはレイナーレと出会ってから変わった。
毎日の生活その物は変わらないが、彼女と会うことに喜びを感じて少しづつだが楽しくなっていった。
レイナーレから教えて貰うことや彼女のことを知り、もっと仲良くなりたい、もっと彼女のことを知りたい、もっと………。
気が付けば彼女のことを常に考えている。
そんな自分が可笑しくて、でも嬉しくて、とても満たされていた。
恋愛事に疎すぎる彼でもこの感情は知っている。したことはないし、初めて抱く感情だった。
だが、世間一般で言われているそれと比較すれば、その正体ははっきりと姿を現す。
湊はレイナーレに恋をしたということを。
だから湊は今のこの感情がとても大切で尊く、彼女を想うと胸が温かくなった。
レイナーレとあって、湊の日々は楽しさと安らぎが加わったのだ。
だからこそ、湊は彼女と会いたいと思いながら待ち続ける。
そんな日々が数日続いたある日。
湊が待ち合わせ場所であるベンチへと向かっていると、ある気配に気付いた。
ベンチに人が座っている。
別にそれだけならよくある話。ベンチなのだから人が座っていても可笑しくはない。だが、その座っている人物は湊が来た途端、その様子を少しばかり変えたのだ。
まるで湊を待っていたかのように。
そしてその予想は正しく、ベンチに座っていた人物は湊の姿を見るなり、手を軽く上に上げて湊に声をかけてきた。
「よぉ、少年。少し話があるんだが、いいか?」
声を聞く限り三十代前半くらいの男だろう。湊はいきなり話しかけられたことに少し驚くも、取り乱さずに冷静に対処する。
「僕に話……ですか?」
警戒すると言うよりも、寧ろ何で男が湊に話しかけてきたのかが気になると言った様子で返事を返す。
その反応を見た『黄色と黒の二色の髪をした中年の少しワルそうな男』は面白そうに笑った。
男は湊にその笑いを押し殺しながら自分の自己紹介をし始める。
「オレはその…何だ? あぁ、そうそう、駒王学園の非常勤講師なんだが、お前さんにちっとばかし話があってね」
「? 何で先生がこんなこ所に?」
学園の講師なら普通は学園にいるはずだし、湊に用があるのなら学園で聞くはずだ。それなのに何故この場所で待っていたのか湊には分からなかった。それにこの場所に湊が来るということを知っていることも不思議だ。
そう考えていたことが顔に出ていたのか、男は湊の顔を見ながら笑いかける。
「今学園は忙しくて教員に暇が無いらしい。それで空いているオレにある案件のお鉢が回ってきたってわけだ。それとこの場所にいるのは、お前さんが良く居る場所を他の生徒に聞き回った結果だよ。本当は学園で話しかけようと思ったんだが、もう既にいねぇときたんでね。だからこうしてこっちから来たんだ」
「あ、それはどうも。お手数をおかけしてすみませんでした」
素直に謝り頭を下げる湊。
そんな湊を男は観察するように見つつ話を続ける。
「それで話っていうのが何なのかってことなんだが…………実は駒王学園に新しく留学生が来るんだ。その留学生のホームステイ先なんだが、お前さんの家はどうかと職員会議で上がってな」
「え、何でですか?」
まさか留学生のホームステイ先に選ばれると思わなかった湊は普通に驚いた。
通常、ホームステイ先にしていされるのは安全が確保出来ているちゃんとした家だ。その点で言えば湊は寧ろ不合格。視覚障害者が安全の確保など出来るものではないだから選ばれるわけがないのだ、普通は。
それに対しての答えも既に用意してあるらしく、驚く湊に男は話しかける。
「その留学生は介護に感心があってな、向こうで色々と学んできたらしい。だからそれを活かすのに、実際の障害者であるお前さんはうってつけってわけだ。実際、その目で一人暮らしは大変だろ? お手伝いが出来たと思えばいいさ」
留学生に対して随分と大雑把で失礼なことを言う男。そんな男に湊は随分と砕けた人だと思ったが、意外に嫌いではないようで話していた面白いと感じた。
こう思いっきり開けっぴろげな意見を言う人は湊の周りでは極端に少ないので、少しばかり新鮮に感じる。
「まぁ、学園ではもうお前さんの家に決定ってところだが、後はお前さんの了承次第だな。嫌なら断っても問題はねぇと思うしよ」
男の物言いから大体を察する湊。
多分教員の間では湊の家にすることは決定済みなのだろう。それも湊の境遇を慮ってのことだ。
ならば、湊は断る訳にもいかない。教員の人達のご厚意を無下にするわけにはいかないし、その留学生も本当に介護について学びたいから障害者である自分のような存在の家にホームステイしたいと言ってきてくれたのだから。
結局の所、蒼崎 湊というのはどうしようもないお人好しであった。
だから湊は男に向かって笑顔で返事を返した。
「えぇ、わかりました。その話、お受けします。留学生の方にはご迷惑をおかけしますと伝えてもらえますか」
「おぉ、そうかい。わかった、そう伝えておくぜ。だが、迷惑をかけるのは寧ろ『此方側』なんでな。逆に頼らせて貰いな。そっちの方が向こうも介護がいってもんがあんだろうさ」
男は湊にそう言ってベンチから立ち上がり湊に別れを告げる。
湊は話をして貰ったことに感謝しつつ、男に向かってあることを言った。
「あ、でも驚きましたね。まさか堕天使の人が非常勤講師をしてるなんて思いませんでしたよ」
「っ!? あ、あぁ、普段は学園に呼ばれないんでな。だから会う機会もなかったんだろ。それに堕天使だなんて、何言ってるんだ? 中二病か?」
男は湊にそうカラカラと笑いながら去って行ったが、その顔には冷や汗が流れていた。
(まさか一発で見抜くとは思わなかったぜ。こりゃぁ、アイツの想い人ってだけじゃなくても気になるなぁ)
そして湊もまた、男からされた話を思い返し、レイナーレにどんなふうに話そうかと楽しそうにしていた。
まさかその留学生が彼が知っている人だと知らずに。