そしてお気に入りが減った行く………。
シャワーを浴び終わり、レイナーレは風呂場から出てきた。
その肌は温まったことにより桜色になり、リラックスしたと共に出た吐息が艶めかしく、下着が見えるんじゃないかというくらいにギリギリ隠されている足が見る者の劣情を誘うだろう。
レイナーレ自身、こんな恰好で湊の前に出ることが恥ずかしい事もあって顔は真っ赤になっている。
「あ、蒼崎君、シャワーありがとう………」
「いえ、狭いお風呂で申し訳無いです」
「そんなことないわ! 本当に助かったもの。御蔭で身体も温まったから、風邪も引かないと思うし……蒼崎君の御蔭よ」
「そんな………(そう言われると、嬉しいけど恥ずかしいかな)」
湊はレイナーレの感謝を受けて気恥ずかしそうにする。だが、その顔は何処か嬉しそうだ。
「私がこんなことを言うのはなんだけど、今度は蒼崎君が温まって来て」
レイナーレは未だに濡れそぼった身体でいる湊に心配そうな顔でそう言う。
彼の優しさに甘えて先に浴びさせて貰ったが、レイナーレがずぶ濡れになったのなら湊だって同様ずぶ濡れになっているのだ。当然湊の身体も冷え切っている。
急いで身体を温めないと風邪を引く可能性があるのである。
湊はそう言われるが、苦笑を浮かべながらそれまで身体を拭いていたであろうタオルをレイナーレの前にかざす。
「大丈夫ですよ。レイナーレさんが温まっている間に此方も身体を拭かせて貰いましたので」
顔を若干赤くしつつそう答える湊。
だが、身体を拭いた程度で温まることなどないということは誰だって分かること。
レイナーレはそう答える湊に、顔があと少しでくっつくくらいにずいっと近づけると、強めの口調で母親が我が子を叱るように湊に言う。
その表情は本当に湊を心配しているようだ。
「駄目! 身体は拭いた程度で温まるわけないじゃない。蒼崎君、顔が赤いのよ。急いで温まって来て。私のせいで蒼崎君が風邪をひいてしまうなんて、嫌だから。蒼崎君は優しいから……私を心配してくれたのは嬉しいけど、私だって心配なんだから。だから……ね」
真剣に言うレイナーレだが、聞いてる側としては気恥ずかしい台詞の勢揃い。
湊はそれを言われ、申し訳無い気持ちと感謝の気持ちで一杯になり嬉しいと思うが、その傍ら別の事を考えてしまっていた。
それというのも、実の所レイナーレが風呂場から出てきてからずっと、湊は落ち着かずそわそわとしていたのだ。
理由は女の子と一緒にいるということもそうなのだが、それ以上にレイナーレから香った薫りに心を動揺させられたからだ。
(うぅ~……何だろう、この甘い香り。レイナーレさんから香ってくるけど、これが偶に兵藤君が言ってる『女の子の香り』っていう奴なんだろうか……。なんだか落ち着かない。それもレイナーレさんがより近くにいると思うと、尚更に。嫌じゃないんだけど、なんかこう……気恥ずかしい)
湊はレイナーレから香る甘い香りに落ち着かないのであった。
これが何の香りなのかというのは諸説あるが、共通して言える事は一つのみ。総じて男はこの香りに異性を意識させられる。
それは目が見えない湊とて例外ではなく、彼の心臓の鼓動は高まっていた。
だからこそ、湊はドキドキとしている自分を戒めるべく、軽く気合いを込めて己を律しようと思いながらレイナーレに返事を返した。
「す、すみませんでした、そこまで心配させてしまって。急いで浴びてきますね」
「ゆっくりでいいから、ちゃんと温まってね。いってらっしゃい」
優しくレイナーレにそう言われ、少し嬉しく思いながら湊は身体を温めるべく着替えなどを用意して風呂場へと向かっていった。
その背を見てレイナーレは満足そうに微笑み、扉が閉まるまで見送った。
湊の姿が見えなくなるまで見送った後、改めてレイナーレはさっきまでの湊とのやり取りを思い出し、顔が沸騰するかのように真っ赤になった。
「っ~~~~~~~~~~!? 私、何てこと言ってるのよ~~~~~~~!」
いくら湊の事が心配だからとはいえ、あまりにも先程のやり取りはアレだった。
湊の顔がはっきりと見えるくらいまで顔を近づけた上に、その上彼を叱りつけるような真似までして。しかも家の主に断りもなく此方から勝手に勧めたのだ。とてもじゃないが、何様だろ言われてもおかしくない。助けて貰っておいて、そんな恥知らずな真似をしてしまった彼女はあまりの後悔に内心悶える。
それだけならまだ良いのだが、その上に少し前のやり取り。
湊の少し困ったような、喜んでいるような笑みにレイナーレも優しく微笑みながら風呂場へと送り出した。
それはさながら夫婦のようで………。
その考えが頭に充満し、レイナーレは更に顔から蒸気を出しながら恥ずかしがる。
恋する乙女にその先である夫婦の光景を思い浮かべるような行動は、激甘な猛毒だ。
(さっきの、いってらっしゃいっていうの……夫婦みたいでよかったなぁ…………。はっ!? 私ったら何てこと考えてるのよ! まだ告白だってしてないんだし、知り合ってからそんな経ってないんだからまだ早いわよ! でも、将来は………って、だから……)
つい妄想に浸りがちなレイナーレ。
それだけ今のこの状況は彼女にとって魅力的であり、同時に緊急事態だということでもあった。
恋心を暴走させがちなレイナーレは、何とか落ち着こうと部屋を見回す。
やはり何度見ても物が少ない部屋。
だが、それが逆に彼女の心を落ち着かせる………わけがなかった。
壁に掛けられている制服を見て、テーブルに置かれている小道具を見て、部屋の端に畳まれている布団を見て………。
それらがより湊の部屋に来た実感をレイナーレに感じさせる。
顔がかぁっと熱くなるのを感じ、妙に気恥ずかしさと居心地の悪さを感じるレイナーレ。だが、寧ろそれが心地良く彼女の心を満たす。
色々と見てみたいという衝動に駆られはするが、流石にそこまではしたない真似は出来ない。だから辺りを見回す程度に留めるレイナーレ。
湊のプライベートな空間を見て、どことなく嬉しいと感じた。
意識しなくても分かるくらい心臓は早鐘を打ち、部屋に何気なく香る湊の香りに頭がのぼせていくかのようにポーっとする。
(何だかドキドキしてきちゃうなぁ……。蒼崎君の部屋で二人っきりだなんて。その上さっきみたいなやり取りまでしちゃって……うぅ~、恥ずかしい。でも、嬉しいかも………将来そうなったらいいなぁ………って、いい加減何を考えてるのよ、私は!? もう、いつもと違う場所だからって落ち着きなさ過ぎよ)
暴走している乙女思考にレイナーレは突っ込みをいれるが、それでも胸の鼓動は収まらない。
だって仕方ないだろう。それまで異性と接点がなかった初心な彼女が初めて意識した男の部屋に二人っきりなのだから。
恋する少女にこれ程刺激的なシチュエーションはそうはない。
そして耳を澄ませば、風呂場から流れる水の音が聞こえてくる。湊がシャワーを使っていることがそれでわかり、レイナーレはさらに顔を真っ赤にするのであった。
そして待つこと約十分。
湊が風呂場から出てきたが、レイナーレには一時間以上に長く感じられた。
「すみません、お客様を待たせてしまって」
「うぅん、別にいい………わ……」
笑顔で話しかける湊に返事を返すレイナーレだが、その言葉は途中で途切れてしまう。
何故なら、彼女は湊の姿に見入ってしまったから。
服装は散歩前よりラフなものだが、基本的なTシャツにジーパン。しかし、その火照った肌は男のわりに妙な艶気をレイナーレに感じさせたのだ。
湯上がりの湊にレイナーレはドキドキしてしまう。
普通、こういうのは逆じゃないのかと誰もが思うだろう。
だが、湊が目が見えない以上、レイナーレにその役が回ってくる。男がそうであるように、女だって相手の姿にドキドキするのだ。
湊の姿から目が離せないレイナーレ。それをはしたないことだと分かっていても、目が離せない。
そのため言葉がなくなってしまい、その様子を感じてか湊がレイナーレに心配そうな声で話しかける。
「あの、どうかしましたか?」
「っ!? い、いえ、なんでもないのよ!(まさか蒼崎君に見とれてたなんて、絶対に言えない!)」
湊の声に慌てて答えるレイナーレ。そのドキドキが湊に伝わらないか心配で仕方なかった。
そして二人とも身体が温まったところで、湊はレイナーレにこれからのことを話し始める。
「取りあえず服は今洗濯してますので、この後脱水して乾燥します。二時間くらいあれば終わると思うので、それまでは申し訳にないですけど我慢してもらえませんか」
「そんな、我慢だなんて! 寧ろ此方がお礼を言う方よ。ありがとう、蒼崎君、そこまでしてもらっちゃって」
湊の親切にレイナーレは喜びながら頬を染める。
その感謝の言葉を受けた湊もまた、感謝されたことが嬉しい様で笑顔を浮かべた。
だが、その後彼の顔は赤くなりつつ気まずそうな物に変わる。
「それで……申し訳無いのですが、乾燥を終えた服はレイナーレさんが回収してもらえませんか。流石に女性の服を触るわけには……」
その言葉に顔を真っ赤にするレイナーレ。
いくら好きな相手でも自分の服を触らせるというのは、流石に恥ずかしい。それは湊も同じであり、見えないからと言っても女性の服を触るというのは気まずい物がある。
レイナーレはそう言われて湊に慌てて返事を返した。
「そ、そうね、わかったわ! 服は私が回収するわ」
「す、すみません………」
レイナーレは恥ずかしさから顔を真っ赤にし、湊は気まずさから申し訳なさそうにする。
それを話し終えると湊は少し待つようレイナーレに言い台所に向かう。
そして電子レンジの音が鳴ると、湊は手にマグカップを持って戻って来た。
「元からお客様を迎えるような用意はしてないのでこんなものですみません。どうぞ、ホットミルクです」
湊が持ってきたマグカップの中に入っているのは、熱々の湯気を立てている牛乳であった。
家の中の物はどこに何があるのか良く分かっているので、その動作に淀みはない。
「あ、ありがとう………」
湊が差しだしてきたマグカップを受け取ろうと手を伸ばしながらお礼を言うレイナーレ。湊の優しさに嬉しくて頬を染めつつも笑顔になってしまう。
そして受け取ろうとした瞬間、湊の手とレイナーレの手が触れあってしまい、互いに驚いた。
「っ!?」
「キャッ!?」
その結果、両者とも手を引っ込めそうになる。
手が離れかけたマグカップはバランスを崩して床に落ちそうになるが、レイナーレは慌ててそれをキャッチした。
手に掛かってしまった牛乳の熱に痛みを感じたが、これで堕天使。その程度で火傷に成る程柔ではない。
「す、すみません、レイナーレさん!? 大丈夫ですか!」
「大丈夫。それよりごめんなさい、その……手が触れちゃったからビックリして」
「こちらこそ、その……すみません」
互いに真っ赤になって俯いてしまう。
手が触れただけでより意識してしまい、その感触が妙に思い出されてしまう。
(蒼崎君の手、やっぱり私と違って硬かった。『男の子』って感じがして……)
(レイナーレさんの手、柔らかくてスベスベしてたなぁ……あれが女の人の手、なんだ……)
二人ともドキドキしてしまい、口が減る。
だが、いつまでも気まずいままでいるわけにもいかず、レイナーレは渡されたホットミルクを息を吹きかけて冷ますと一口飲んだ。
「あ、美味しい……」
別に何てことの無い普通の牛乳を温めただけのもの。しかし、少量の砂糖が加えられており、精神的とは言え疲れているレイナーレにはとても美味しく感じられた。
そのちょっとした心遣いにドキドキするレイナーレ。
(蒼崎君、やっぱり……優しい………)
その優しさを嬉しく思いながら、彼女はちょっとした行動に出た。
普段なら考えられないような派手な行動、と言う程では無い。だが、確かに今の彼女にとってはとても大胆とも言えた。
だが、今この時、彼女は凄くそれがしたかった。
湊の側までゆっくりと近づくと、彼の肩に軽く寄りかかったのだ。
「れ、レイナーレさん!?」
流石の湊もこの行動には驚いた。
肩越しに感じるレイナーレの柔らかな感触と暖かみに顔が真っ赤になっていく。
レイナーレもそれは同じであり、此方はそれこそポストよりも真っ赤になっていた。
「そ、その……しばらくこうさせて……。せっかく温まったのに、このままじゃ湯冷めしちゃうから……」
明らかなまでの言い訳。
本当はこの二人っきりという状況と湊の優しさに酔い、もう少しアピールしたいというのが本音。湊に少しでも意識してもらいたいと、また自分自身湊の触れあいたいと、そう思ってしまったから。
素ならばこんなことは出来ない。誰も見ていないこの状況だからこそ出来る事。
恥ずかしいが、それでも湊と一緒にいたいと甘えるレイナーレ。そんなレイナーレに湊は、此方も恥ずかしいが内心で嬉しく思いながら返事を返した。
「それも……そうですね。確かにせっかく温まったのに、あのままじゃ湯冷めしちゃいますし……」
そして二人は互いに身を寄せ合うようにしながら二時間を過ごすことに。
時たまレイナーレが、
「蒼崎君って、暖かいね」
と言う度に湊はドキドキして仕方なかった。
それにイタズラ心でお返しとばかりにレイナーレに、
「レイナーレさんも、その……暖かいですよ」
と湊が言ってはレイナーレもまた顔を真っ赤に染めてドキドキとしていた。
互いのそんなやり取りは、洗濯機の乾燥が終わったことを知らせる音が鳴るまで、何度も続いた。
恥ずかしいが、二人の心はとても満たされていた。