人間界……それは天界と冥界の間にあるとでも言うべき世界。
文字通り人間が世界を支配しているのだが、そのことを人間達自身はそこまで意識していない。
だからなのか、冥界に比べて断然温かである。
その世界に今、レイナーレはお忍びで遊びに来ていた。
基本、人間界を自由に出入りすることは出来ない。それは各種族が牽制しあっていると言うことが大きいのだが、そんなことを気にしていては遊びになど来れないものだ。どうせ冷戦状態になっていて、互いに無駄な戦力を回す余力などないのだから、ちょっと出歩くくらい問題はない。
何より、ここは人間が支配する世界。他の勢力がそう易々とちょっかいはかけられない世界でもある。一種の中立地帯と言ってもいい。
だからこそ、こうしてのんびりと街中を歩いていられるとレイナーレは思う。
今の彼女の恰好はいつもの際どい衣装ではなく、年頃の少女が着ているような服装だ。少し暑いということもあり白いワンピースである。
普通、堕天使なんだからそんな清楚な色はどうなのだと突っ込まれるかもしれないが、それは種族と全く関係無い。黒色は好きな色ではあるが、暑い日に黒い服を着るなんて暑さが増すだけだ。
変な意地を張って拘る者達もいるが、そこは合理的に行くべきだと彼女は思う。我慢するべきはそんな下らない事ではない。
街中を歩き、色々な人間達を見るのが彼女は嫌いではなかった。
通常、人間以外の種族は自分達を上だと言い張り、人間を下等だと見下す。
天界では無いらしいが冥界、取り分け悪魔と堕天使はその気が強い。
それは偏に、その性質によるものも含まれている。
悪魔は人間の欲望を糧とし、堕天使は人間を堕落させ、天使は人間の崇拝を力に変える。
この言葉は文字通りに取るのなら、悪魔や堕天使は人間を家畜か作物のように扱っている。そして天界は神への崇拝がそのまま彼等天使達の力へと変わるということだ。
天界からしたら人間は自分達に力を分け与えてくれる存在であり、悪魔や堕天使は搾取の対象。
だからこそ、悪魔や堕天使は人間達を見下す。種として弱い存在だと。
だが、レイナーレはそうは思わない。
寧ろ、自分達こそ劣っているとすら思っていた。
確かに種としての能力は此方の方が上だ。
寿命、身体能力、光の力や魔力。個の性能は断然此方の方が上だ。それなら人間は確かに自分達より劣っているだろう。
だが、ならば逆に問おう。
『ならば何故、こうも自分達は種の存亡の危機に瀕しているのか?』
優れていると言い張っているはずなのに、現に自分達は今衰退の一途を辿っている。自分達でないにしろ、人間達だって戦争は幾度となく行ってきた。
だが、それでも全体的な種の数は寧ろ増加しているのだ。
個としては劣っていても、種としては寧ろ優れていると言えよう。
それだけではない。冥界の生活基盤を考えると、酷い話だが人間達に劣っていると言っていい。
高度な政治経済の御蔭で基本的先進国は豊かな生活が送れる上に、平等の元にある程度の自由が確約されている。その上冥界と違い、娯楽にも溢れているときた。
まさに人間の生活はそれこそ、悪魔や堕天使よりも上だろう。
そんな生活を実現でき、言わば栄華を極めている人間の何処が自分達より劣っていると言うのだろう。
レイナーレはそう思う。町を歩けば様々なビルが建ち、本屋や料理店、ゲームセンターに服屋など、様々な物がある。
彼女が知る限り、冥界にこんな物が溢れた都市はそうはない。
それが平然とあるのだから、改めて人間の優れている点を見せつけられる。
その点で言えば、個の能力が優れていれば全てが優れているというわけではないということになる。これは彼女の求める『至高』にも少しは関係しているかもしれない。
と、軽く考えたところで彼女はそれ以上気にしなかった。
せっかくの人間界、小難しいことは考えずに散策を楽しもうとする。手持ちは少ないが、冥界の紫がかった空の元で水を飲むより、蒼い清々しい人間界の空の下で缶ジュースを飲む方が断然気分が良いから。
本音で言えば、正直レイナーレは人間界に移住したかった。
冥界は正直つまらないし、周りは殺気立ってて息が詰まる。
その点、人間界が娯楽に溢れ自由に温かでのんびりと過ごせる。どっちが住みやすいなど目に見えていた。
堕天使だからなのか、レイナーレはすっかりと人間界に堕ちていた。
そのまま彼女は町を歩き、店を見ては人間界のことを学び、ゲームセンターなどで楽しく遊ぶ。
冥界では考えられないような『娯楽』を感じ、胸を楽しい気持ちで一杯にしながら歩くが、そこでふと喉の渇きを覚えた。
それで近くを見回せば、公園の近くに自販機が置かれているのを見つけ其方に歩いて行く。
これも冥界では無い、まさに人間界だけの美点と彼女は思う。
そして彼女は欲しい飲み物を探し、それを見つけて財布から小銭を取り出す。
この小銭を入れるまでのドキドキが、何となくだがレイナーレは好きだったりする。冥界ではまず味わえない新鮮な気持ちだからだ。
だが、ここで彼女はあるミスをした。
何と、取り出した小銭が指から滑ってしまい、自販機の下へと落ちて言ってしまったのだ。
「あぁっ!?」
これには流石に声も出る。
レイナーレは驚き声を出しながらも、直ぐにしゃがみ込んで自販機の下を覗く。
だが、下は暗く何も見えない。いくら堕天使の視力を用いても、そこは暗く何も見えなかった。
だからだろうか。彼女はそれがまるで自販機に馬鹿にされたような気がして苛立ちを感じ始めた。
そしてむくっと立ち上がると、その手に光の槍を作り出し始めた。
そのまま八つ当たりで叫ぶ。
「この、自販機如きが! 私の百円をっ……返せぇえぇええぇ!!」
そのまま槍をぶつけようとするレイナーレ。
勿論自販機は悪くない。寧ろ悪いのは小銭を落としたレイナーレだ。
だが、それでも、喉が渇いたレイナーレは苛立たずにはいられなかった。
だが、その槍は投げられることはなかった。
「あの……どうかしましたか? 随分と苛立っているようですけど?」
槍がレイナーレの手から離れる前にそんな声がかけられ、レイナーレは慌てて槍を消した。
そして声の方に急いで振り向くと、そこには……。
杖を突いた少年が立っていた。
やっと主人公が出ましたよ(笑)