提督が鎮守府にイーグルダイブしたようです。 作:たかすあばた
「深雪ー、川内さーん、訓練の時間だよー」
敷波が開け放たれた扉の前に立ち、部屋の住人に声をかける。が、その返事は気力のないもの。
「ん」
「…あのさー、まだウチにはいないけど、初雪じゃないんだからもっとやる気のある返事してくんない?」
「わかってるけどー、なんかやる気出ないんだよねー。ね、川内さん」
その部屋にはもう一人、川内型一番艦、川内が遊びに来ていた。深雪と同部屋の吹雪は、食事当番で現在、後片付けの際中でここにはいない。
「てーとく、夜戦に付き合ってくれる約束だったのになー…」
「しょうがないじゃん、提督にだって仕事があるんだから」
二人の不機嫌の理由はわかっている。というか現在、鎮守府全体がこんなテンションだ。リンヒルが急遽、本営からの仕事で鎮守府をしばらく空けることになったのだ。その間出撃や遠征はなし。予定されていた今回の演習だけを済ませて、待機ということになる。その演習に出る予定の深雪と川内を同じく出撃予定の敷波が呼びに来たのだが、ご覧の有様である。
「それにしても何なんだろうね、急な仕事なんて」
提督になって日の浅いリンヒルにわざわざ本営から仕事がくるなどそうそうあることではない。そこまで思い至った敷波は、川内のやる気を奮い起こす魔法の呪文に辿り着く。
「もしかすると、提督としてじゃなくて、『アサシン』として仕事を頼まれてるのかも…」
ガバッと川内が体を起こす。
「提督が帰ってきたときに、いつでも胸を張って迎えてあげられるようにしなくちゃ!行くよ、深雪!」
「え!?あ、ちょ、腕引っ張んないで!」
「よし!不知火さんももう待ってるよ!」
「マジ!?ヤバッ…それ先に言ってよ!」
門の前に立つ憲兵が、正面から歩いてきた男に気づく。男は軽い調子で、憲兵に話しかける。
「そこの君、ちょっといいかな」
「なんでしょうか」
男は懐から本営の判が押された封筒を取り出し、憲兵に見せる。
「ここの大将殿に呼ばれてきたんだけど」
憲兵は封筒をペラペラ、裏表を見返して男に付き返す。
「そんな話は聞いていない。お引き取り願おう」
「お、おいちょっと!」
憲兵はもう聞く耳を持たなくなってしまった。
「ふうん、そうかい」
男――リンヒル・フィリプスは一度建物から遠ざかり、去り際に全体を見渡した。建物上空に、瑞雲が4機。死角が無いように隙間なく巡回を続ける。
否。ほんの一瞬に過ぎないが、死角は存在する。リンヒルは憲兵や瑞雲の視線が自分からそれた一瞬を見逃さず、足元の海岸の崖に隠れた。少ない足場を伝い、焦らず、しかし急いで本営麓までたどり着く。鼠返しになった崖が、上空の瑞雲から死角を生む。瑞雲が旋回するほんの一瞬、自分から完全に視線を逸らしたタイミングでリンヒルは崖を上り、目星をつけていた開け放たれた窓――今日は気温が高く、風を通していたのだろう、そこに飛び込んだ。その時、廊下を歩いていた一人の職員と目が合う。当然、この可能性は想定済み。そして好都合。職員が悲鳴を上げる間もなく、リンヒルは腕をひねりあげ、首を絞め、気絶させた。しばらくは起きないだろう。トイレに連れ込み、服を奪った。職員になりすましたリンヒルは、難なく巌−−−−大将の部屋に辿り着いた。ノックをしてすぐに、返事が返ってくる。
「入れ」
扉を開け、部屋に入り、違和感にすぐさま気づいた。
窓の方を見て椅子に座っているのは、巌ではない。
椅子を回してこちらを見たのは、成人しているかも怪しいような少年だった。少年が微笑むのを合図にしたように、リンヒルが入った扉から憲兵が雪崩れ込んできて、リンヒルを取り囲んだ。数拍生まれた沈黙を破るように、憲兵がリンヒルに襲いかかる。後ろから襲い掛かってきた憲兵の警棒をカウンターで奪い取って組み伏せる。さりげに憲兵を盾にしたことで動きが一瞬固まった隣の憲兵の関節を取って押さえつける。リンヒルは、部屋にいた6人の憲兵をあっという間にねじ伏せて見せた。腹や肘を抱えて憲兵が転がる部屋に、気の抜けたような拍手の音が転がる。先ほどの少年だった。
「凄い凄い!参りました、降参です!」
「どうでしょうか、元帥殿」
扉から再び人が入ってくる。それこそが、今回リンヒルに仕事を依頼した巌だった。
「すまないね。私自身、君の戦いは見たことがなかったからね。少し試させてもらった」
巌の謝罪よりも、リンヒルは気になっている疑問をぶつける。
「元帥って、どいつのことだ?」
「僕です」
「あ?」
「フィル提督、君は初めて会うんだったな。そこにいる彼が、我らが海軍を取り仕切る、玲元帥だ」
リンヒルは丸い目で玲を見、そしてもう一度巌を見る。
「こんなチンチクリンが!?」
「彼は、若くして突出した指揮や運営の才能をもつ最年少の元帥だ」
「話は聞いていたし、実力は今見せてもらったよ。よろしく、フィル提督」
「ああ…ま、まぁ、仲良くしましょうや」
二人は固い握手を交わす。
「さて、フィル提督。気づいていると思うけど、着任して日の浅いあなたに何故こうして面と向かって仕事を頼むのか。それはあなたの持つその技術を見込んでのことだ」
「俺に『アサシン』として仕事をしろってことか」
どうやらこの宿命からは逃れられないようだ。フィルは思わず苦笑いを零す。
「で?俺は誰を殺せばいい」
そこに巌が焦った様子で割り込んでくる。
「いや、別に殺すことは目的ではないんだ」
「あなたは、『艦娘矯正所』という場所をしっているか?」
「いや。…胡散臭そうな名前だがな」
フィルの言葉を聞いてか、玲と巌は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「本来なら、素行に問題のある艦娘がそこに運ばれて、教育を受けるという場所なのだが」
「少し前から…いや、本当はもっと以前から噂されていたのかもしれない」
そこで、玲は押し黙ってしまう。
「なんだ?続きを言え」
「フィル提督。わかっていると思うが、ここは海軍で、彼はその元帥だ。言葉使いをわきまえろ」
「いや、いいよ。すでに兄さんの例もあるんだし、今更だよ。すまないね、フィル提督」
「いや、こちらこそ失礼した。して、その『噂』というのは?」
玲は少しためらい、口を開く。
「どうも、教育と称して艦娘を慰みに使っているらしい」
「…なこったろうと思っ…いましたよ」
どの世界や国にも、似たようなクズはいるようだ。
「提督には、その矯正所に潜入して、もし規定を外れた処遇を受けている艦娘を見つけたら保護し、見つからなくてもなんらかの証拠を掴んで…」
激昂しそうな感情を押し殺し、あくまで元帥として指示を出そうとしているのが見て取れた。
「なあ、玲元帥」
言葉を遮ったリンヒルに、二人は怪訝な目を向ける。
「もっとわかりやすく指示を出してくれ。あんたは俺にどうして欲しいんだ?」
ハッとして、玲はリンヒルの顔を見た。「この人も」、すごい。僕の心の底を、既に理解している。
「艦娘を…救い出してやってくれ!」
「承った」
夜道を、一台のトラックが走っている。ヘッドライト照らす先に人影を見つけ、ドライバーはトラックを一旦停止させて窓から顔を出し、叫ぶ。
「おい、なに車道に突っ立ってんだよ」
人影は返事をせず、ただ歩み寄ってきた。そして運転席のドアの前に立つ。
「何…」
問いかける間も無く扉は開け放たれ、ドライバーは車外に放り出されると襟元を絞められ、眼前に刃を突き立てられる。
「…言え。お前、今なにを運んでる?」
「し、知らねえよ…」
体を大きく揺さぶられ、更に間近に刃が迫る。
「ほ、本当に知らねえよ!いつも運転席で待ってる間に積荷のやり取りが行われてんだ!なに積んでるかなんて知りやしねえよ!」
「…積荷を確認するぞ、一緒に来い」
「わ、わかった…」
目の前の男は刃を引っ込め、積荷の方へ歩き出す。ドライバーの男も、僅かに震える足で男の後を歩いていく。
ガコン、という音で扉のロックが解除される。勢いよく扉を開くとそこには…
手足を縛られた、下着姿の10数名の少女の姿があった。
「な、なんだこりゃ!?」
「これがお前が今まで運んでいた荷物の正体だ」
リンヒルは荷台の中の一番手前にいる少女に近づく。
「ひ、い、いやっ…!」
見知らぬ人間に怯えているのか、それとも「男」に怯えているのか。リンヒルはアサシンブレードで少女の手を縛る縄を切った。
「あ…」
「残りの奴らの縄も解いてやれ」
リンヒルは荷台から降り、ドライバーの男に向き直る。
「なにも知らなかったとはいえ、犯罪の片棒を担ごうとしていた自分を咎める心はあるか?」
「当たり前だ!俺は今まで、純粋にトラック転がして飯食って来たつもりだったんだ!」
「なら、このまま彼女たちを乗せて大本営に向かえ。話は俺が通しておく」
リンヒルはもう一度少女たちを見る。
「悪いな、もう少しここに乗っていてくれ」
ドライバーは荷台の扉を閉めると、運転席に戻ってトラックを再び走らせた。それを見送り、リンヒルはスマホを取り出す。そもそも電話というものを知らなかった自分に、鎮守府の皆が寄ってたかってスマホの使い方を教えてくれたことを思い出しながら、リンヒルは元帥に電話をつなげる。
「…ああ、夜分遅くに申し訳ない。今、そちらにトラックが一台向かった。ナンバーは◯◯◯◯、積荷は…」
伝えるべきことを伝え、リンヒルはスマホをポケットに戻す。パーカーのフードを被ると、再び獣の巣窟へと歩み始めた。
元帥の言う「兄さん」が誰なのかは、私のもう一つの小説「超平和主義鎮守府」の第10話を読んでいただけるとわかるかと思います。