Infinite Stratos 学園都市最強は蒼空を翔る   作:パラベラム弾

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十話

波乱と激動の学園祭から三日が過ぎた。

 

闘争の爪痕を色濃く残していたアリーナは完全に修復され、壁に空いた大穴や崩れ落ちた天井等も元の姿に戻っていた。実際にあの場に居合わせた者でなければ、ここで文字通りの死闘が繰り広げられていたなどとは夢にも思わないだろう。

 

以前にも一度無人機の襲撃があったおかげで耐性が出来たのか、実質的な被害がアリーナの半壊だけということで生徒たちの混乱もすぐに沈静化した。楽しみにしていた学園祭が台無しになってしまったことに憤りはすれど、それをいつまでも引きずるような輩は片手で数える程しか居なかった。

 

大きく変わったことと言えば新築同然の輝きを放つアリーナくらいで、それもまたすぐに日常へと溶け込んでいくのだろう。

 

IS学園は、学園祭前と変わらぬ様相を取り戻していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――騒動の中心に居た者を除いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休み、喧騒に包まれる食堂の一角。

 

いつもの様に専用機持ち達が集まり食事を摂っているものの、その雰囲気は常のものとはまるで異なっていた。

 

食欲がない訳ではない。

 

料理が不味い訳でもない。

 

ただ一つ、セシリアとラウラの間に出来た空席が、彼女達の食卓から笑顔を奪い去ってしまっていた。一流の料理店にも引けを取らないはずの学食も、今はどこか味気ないものに感じられてならなかった。

 

誰もが無言で箸を動かす中、最初に食事を終えたのは鈴音だった。ラーメンのスープを豪快に飲み干し、空の丼を片手に席を立つ。

 

「ごちそーさま。ところでさぁ、今日の放課後第四アリーナ借りて訓練しようと思ってんだけど、あんた達どうする?」

 

言いながら、集った面子を見渡す鈴音。

 

「御一緒しますわ」

 

「右に同じだ」

 

「僕も行くよ」

 

それに参加の意を示したのは、代表候補生の三人。表情こそ変わらないものの、その瞳には確かな炎が宿っている。が―――

 

「俺、は……いい」

 

誰もが彼女たちのように、強くあれるとは限らない。

 

顔を俯けたまま絞り出すように紡がれたその声は、普段の快活さとは程遠いものだった。隣に座っていた箒も、そんな彼の姿を心配そうに見守っている。それこそ、見るものが見れば解ってしまう。

 

 

 

織斑一夏の心は折れている、と。

 

 

 

元々彼は、情に篤く義を重んじる人間である。友人が困っているなら一も二もなく助けるし、傷付けられたならば遠慮なく怒りを露わにするような、そんな男だ。

 

ただ単に友人が怪我を負わされただけであれば、それこそ彼は義憤と闘志を燃やすであろう。だが今回は、流石にスケールが違いすぎた。直接一方通行の身体を見た訳ではないが、アリーナの地面に広がった夥しい血液を見てしまえばどれだけの惨劇があったのかなど容易に想像がつく。

 

『ISには絶対防御がある』。生命の危機に瀕することは絶対にないという前提の上で戦ってきた彼にとって、『死』というものを濃密に想起させる鮮血の色と臭いは到底耐え切れるものではなかった。福音事件で多少の耐性はついたと思っていたが、そんな考えはとうに消え去っていた。

 

『戦闘』というものが、本来生命のやり取りであることを一夏は身を以て理解し始めていた。ISというフィルターによって、その為の覚悟が出来ていなかったというだけの話だった。

 

とはいえ、それは彼に限った話ではない。選りすぐりの生徒が集うIS学園とて、そこまでの覚悟を持った人間などほんの一握りしか居ないのだから。

 

 

 

そしてその一握りこそが、代表候補生。

 

 

 

大国の旗を背負う素質があると認められた、文字通りのエリートである。彼女らと一夏とでは、その身に背負うものの重さが違うのだ。

 

そして彼女らもまた、それをよく理解していた。

 

「一夏」

 

鈴音が名を呼ぶ。

 

優しい声音だった。

 

「今はそれでもいいわ。それが普通の反応だもの。友達のことを心配するなんて当たり前のことで、全然悪いことなんかじゃないんだから」

 

でもね、と彼女は続ける。

 

「ここでずうっと泣いていたって、それでアイツが戻ってくるわけじゃない。いつかはその気持ちにも折り合いをつけて、前を向かなきゃいけない」

 

「…………、」

 

彼は答えなかった。

 

元より鈴音も、これしきの言葉で彼の傷が癒える訳では無いと知っている。発破をかけて尻を蹴り上げるのは得意でも、言葉を尽くして慰めることは自分では出来ない。少なくともそれは自分の役目ではないと理解しているから。

 

『……箒。アンタが傍に居てあげて。今の一夏には多分、同じ目線で話せる相手が必要だわ』

 

『あ、ああ……分かった』

 

だからこそ、割り切れる。

 

アイコンタクトを取ると共に個人間秘匿回線を開き、箒に彼のことを任せる旨を伝えた。今となっては恋敵だろうと関係ない。想い人が立ち直ることを最優先に、その役目を受け渡した。

 

ふと、今まで黙っていた一夏がぽつりと呟いた。

 

「……強いな。お前らは」

 

それは、一夏の心からの言葉だった。

 

技術的な面もある。精神的な意味合いもある。自分と年の変わらぬ学友に対する感嘆と尊敬の念を込めた、純粋な賛辞であった。常であれば面食らって赤面のひとつでもしそうなものであったが、鈴音は軽く肩を竦めて返事を返す。

 

「別に強かないわよ。表面化してないだけで、結構頭来てんのよこっちも。立場上あたしらが守らなきゃならない一般人に守られて、何も出来ずに退避してただけ。自分で自分が許せない。そう考えると、悲嘆に暮れてるヒマなんて無いってるだけよ」

 

んじゃまたね、と言い残し、今度こそ鈴音は食堂を後にする。その後にセシリア、ラウラ、シャルロットが続き、テーブルに残ったのは箒と一夏だけとなった。

 

思わぬ所で二人きりという状況が出来上がってしまったが、そこに色恋の気配など微塵もない。鈴音にはああ言われたものの、なんと言葉をかけて良いのか分からない箒は困ったように眉尻を下げた。

 

「一夏。……その、だな」

 

 

 

「―――何も、出来なかった」

 

 

 

腹の底から絞り出したような声だった。

 

「何も出来なかったんだ。……あいつを残して行ったら絶対に後悔するって解ってた筈なのに。結局俺は、福音の時から何にも変わっちゃいない。肝心な所で役に立てないまま、ただあいつに守られてるだけだったんだ……ッッ!!」

 

そこで初めて顔を上げた一夏の顔は、今にも泣き出してしまいそうな程くしゃくしゃに歪んでいた。

 

怒り。

 

悲しみ。

 

悔恨。

 

自責。

 

無力感。

 

言葉を紡げば紡ぐほど、胸中に渦巻く感情の奔流が溢れ出しそうになる。自分の弱さを改めて突き付けられているようで、それが堪らなく情けなかった。喉の奥から唸るような声を吐き出す一夏は、己の表情筋が決壊しないよう歯を食い縛って必死に耐えた。

 

入学当初の、ただ周囲に流されて過ごしていた時とは違うのだ。達すべき目標を据え、超えるべき壁を設定し、至るべき場所を見つけた。迸る熱意を鋼鉄の決意で固め、こうあれかしと己を鼓舞して研鑽を重ねてきた。

 

織斑一夏という男は、確かに強くなっていた。

 

だが、果たして。

 

 

 

 

 

―――それに、意味はあったのだろうか(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

幾ら技術を身につけても、それでもまだあの背中には届かなかった。未だに守られているという事実に変わりはなく、言うなれば親の庇護下で育つ子供のようなものだ。安全の保証された環境で幾ら背伸びをしようと、それで何かが変わる訳ではなかった。

 

荒れる幼馴染みの心を感じ取った箒は一度口を開きかけて、やめた。自分が口下手なのはよく理解している。今の彼に安っぽい同情の言葉を掛けたところで、何の解決にもなりはしないと直感でそう思った。

 

だが、役目を任された以上は果たさなくてはならない。

 

(……今の一夏に、必要なこと。下手な慰めは不要。感情の沈静。違う、無理矢理消しては意味が無い。昇華させるのがいい、か。別の何かに。方法は? 言葉では薄い。と、なると……)

 

箒は心理学など全くと言っていいほど分からない。それでも、今まで見てきた『織斑一夏』という男の精神性や人間性から、直感的に的確な処方箋を導き出すことに成功していた。

 

数秒程思考を回した彼女は、弾き出した結論に対して思わず心中で嘆息する。こんな時でさえも行き着く先が『コレ』とは。まあ、一夏も全くの未経験というわけでもなし、お誂え向きと言えば確かにそうではあるが。

 

冷め切ってしまった味噌汁を一息に飲み干すと、箒は空のトレーを持って立ち上がる。それに反応してか、一夏の常より幾分か輝きを失った瞳がこちらを向いた。

 

「一夏。少し付き合ってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飴色に磨き抜かれた板張りの床。静謐な空気に満ちるその空間は、踏み入っただけで心が引き締まるような、ある種の神聖ささえ漂わせていた。

 

「放課後まで部活はないからな。少し貸してもらえるよう部長に頼み込んできた」

 

そう言って箒は己の両脚を包んでいたニーソックスを脱いでいく。よく鍛えられているにも関わらず少女としての柔らかさを感じさせる、シミひとつ無い健康的な柔肌が露になった。思わずそこに吸い寄せられる視線を逸らしつつ、一夏も靴下を脱いで裸足になる。ひんやりとした感触が足裏に伝わり、懐かしむように何度か床を踏み締めた。

 

箒に連れられやって来たのは、本校舎より少し離れた位置に建てられている剣道場だった。理由を訊ねても、曖昧な返しで茶を濁されてしまうので途中から諦めていた一夏だが、いい加減に話してもらわねば困る。

 

「……なあ、箒。そろそろ説明してくれてもいいんじゃないか? 流石に今は剣道なんてする気分じゃないぜ」

 

まるで読めない幼馴染みの考えに苛立っているのか、僅かに棘のある声音で一夏がそう零した。それを敏感に感じ取りつつも、箒はあくまで自然な態度で振る舞い続ける。

 

不安定な今の彼は、何を理由に暴発するか分からない。それがどんな方向に作用するのかまでは読めないが、少なくとも良い影響が出そうにないのは明らかだったから。

 

「ああ、すまない……だが、そうだな。敢えて言うとするならば……これがきっと、今のお前に必要なことなんだと、私は思う」

 

その言葉と共に、箒は一本の竹刀を差し出した。

 

差し出された竹刀の柄と箒の顔とで視線を行き来させ、困惑したような表情を浮かべる一夏。当然だろう、こちらは剣道はしないと言っているのに得物を差し出しているのだから。

 

それでも、箒の瞳にふざけた色は微塵もない。伊達や酔狂で促しているわけではなさそうだと感じた一夏は、渋々ながら柄に手をかけて竹刀を受け取った。

 

それを見届けた箒は薄く微笑むと、一夏に背を向けて歩を進めていく。五歩を数えた所で振り返り、片手に提げていた竹刀を構える。

 

腰を低く落とし、根を張る大樹のように床と己とを縫い付ける―――機動を捨てた代償として、全方位からの攻撃を完全に防ぎ切る為の、徹底的な守りの型。

 

そうした上で、箒は言った。

 

「―――打ってこい。お前が腹の中に抱えている思い全て、ここで吐き出していけ」

 

ピクリと一夏の肩が震えた気がした。

 

しかし箒はそれ以上口を開くことはせず、黙って構えを取り続ける。打ち込んでくるならばただ受け止めるだけだし、立ち去るというのならそれも良し。剣で語れ、などと言うつもりもないが、これで少しでも何かが好転すればと思っていた。

 

沈黙が続く。

 

十秒か、二十秒か。

 

果たして―――動きはあった。

 

長く、引き延ばすような吐息が彼の口から漏れた。肺の空気を全て吐き出し、最後に一息吸い込む。ゆっくりと竹刀を持ち直し、正眼に構える。

 

 

 

「…………悪い。力加減、できそうにない」

 

 

 

直後、疾走。

 

箒が取った間合いを一歩で踏み潰し、大上段から竹刀を振り下ろす。型も何もない、ただ力に任せた荒々しい一閃。空を裂き唸りを上げて迫る剛剣を、箒は真正面から受け止める。

 

それは最早、打撃音というより炸裂音だった。

 

受け止める用意がなくてはたたらを踏みそうな程の衝撃だったが、細やかな体重移動を駆使して衝撃を分散させる。次いで床板を踏み締め、勢いを失った一夏の竹刀を押し返すように跳ね上げた。

 

無防備な胴が晒されるが打ち込むことはせず、即座に構え直して二の太刀への備え。崩された上体を腹筋だけで元に戻した一夏が再度踏み込み、袈裟懸けに一撃を放ってくる。耳を劈くような破裂音が響き渡り、彼の竹刀が弾き返される。

 

弾かれるのを見越して後ろに傾けていた重心を軸に、その場で足を踏み変え真横からの薙ぎ払い。冷静に反応した箒は手首を返し、柄を上に鋒を下に。峰にあたる部分に片手を添え刀身の半ばで受け止めた。

 

鋸を引くように竹刀を抜き去り、その勢いで竹刀を払い除ける。文字通り息つく間もなく飛んできた唐竹割りを真っ向から打ち返し、一夏が繰り出す暴風雨のような剣戟を悉く捌き続けていく。

 

(ああ―――)

 

一層苛烈さを増していく続く打ち合いの最中で、箒は己の胸が締め付けられるのを感じていた。一太刀受け止めるごとに、柄を握る手が熱を帯びていく。まるで、竹刀を通して彼の想いが伝わってきているかのようだった。

 

(これは怒りだ。一夏の怒りだ。自分自身を焼き尽くすような、烈火の如き怒りだ。例え私達が万の言葉を尽くそうとも、お前こそがお前自身を許さないのだろう)

 

言葉は無くとも理解はできる。

 

剣で語るなどという時代錯誤なものではなく、ただ純粋な事実として。箒は、一夏の心を正確に読み取っていた。荒れ狂う激情を振るう竹刀に乗せ、鳴り響く炸裂音こそ己の叫びであるのだと言わんばかりに打ち込んでくる一夏。その瞳に映る色を見れば、それで事足りた。

 

十を数え二十を数え、打ち合いは百を超える。五時限目の開始を告げる鐘が鳴ったが二人の耳には届かない。ただただ剣を振るい続け、やがて三百に届こうかという所で―――終わりは唐突に訪れた。

 

打ち込んだ竹刀を弾かれ、その衝撃に耐えきれず後方へたたらを踏む一夏。歯を食いしばって再度踏み込もうとするが、限界を迎えた脚がガクンと崩れ落ちた。慌てて竹刀を床に突き立て支えにするが、それに縋る力すら己の身体には残っていなかったらしい。

 

蹲るように床へと倒れ伏した一夏。体力の限界だと判断した箒は構えを解き、僅かに額に滲んだ汗を拭う。暫くの間、互いの息遣いだけが道場に響いていた。

 

「はぁッ! はぁッ! はッ、はぁっ……っぐ、く、そォ……っ!」

 

やがて、荒い息に嗚咽が混じる。

 

汗を吸った前髪が垂れ下がって鬱陶しいが、彼にとってはそちらの方が良かったのかもしれない。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を箒に見られずに済んだのだから。

 

「畜生ッ……戦いたかった、あいつと一緒に戦いたかった!! 俺も強くなったって、俺も戦えるんだって証明したかった!! 守られてるばかりはもう嫌なんだッ!! なのに、なんで、なんでッ!! なんであんなに、遠いんだよ……ッッ!!!」

 

皮膚を食い破らんばかりに握り締めた拳を床に叩き付ける。熱い鈍痛が走るが、それすらも臓腑を焼き焦がす怒りに飲み込まれていく。

 

その、魂を削るような彼の叫びを聞いた箒は、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。彼がここまで心乱されている本当の理由は、ただの無力感だけではない。その根底にあるのは別のものだ。彼が置かれている立場故に、嫌という程感じてしまうその感情。

 

(そうか―――劣等感、か)

 

彼自身も、無意識の内に感じていただろう。

 

どこへ行っても付き纏う『世界最強の弟』という肩書きの重さ。例え彼が嫌悪せずとも、その重圧は確実に彼の背に伸し掛っていた。

 

出来て当然。やれて当然。弱いままでは許されない。

 

何せ、世界最強の弟なのだから(・・・・・・・・・・・)

 

だから彼は努力した。背負った看板に泥を塗らぬよう必死に足掻いた。輝かしい姉の栄光に掻き消されぬよう、自分の価値を証明せんがために。彼には強くならなければならない理由があったから。

 

 

 

 

 

 

―――では、もう一人は?(・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

自身の後を追うようにして現れた、二人目。

 

特別な家系でもない。何かを期待されているわけでもない。看板を背負っているわけでもない。努力しなくてはならない理由もない。

 

それでも、彼は強かった。

 

最初は、自分も負けていられないと気炎を巻き上げた。良い目標が出来たと、努力する理由が一つ増えたと喜んだ。

 

そして、一月が経った。

 

―――良いだろう。高い壁こそ超える甲斐がある。

 

 

 

 

更に一月が経った。

 

―――まだまだ努力が必要だ。もっと頑張らなくては。

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――焦るのはよくない。まだ時間はある。

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――果たして、自分は強くなれているのだろうか。あまり実感がない。

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――どうして届かない。何が足りない。これ以上何をすればいい 俺は

 

 

 

 

 

一月が経った。

 

―――あれ なんで また 遠くなって

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしても、比べずにはいられなかった。

 

自分と彼ではきっと、価値観も思想も理念も背負うモノもその重さも違う。それでも、同級生で、同じ男で、IS乗りだ。条件としては殆ど変わらない。なのに何故、こうまで差がついてしまうのだろうか。

 

努力すれば努力した分だけ、彼我の差が浮き彫りになっていく。無様に藻掻く己の遥か先で、彼は自分には出来ないことを平然と成し遂げてしまう。常人ならば足の竦むような自己犠牲すら躊躇わず、己が身を戦火へと投じていく。

 

……考えてしまう。

 

幾ら手を伸ばしても届かないのならば。

 

努力しても追い縋れないのならば。

 

彼一人が居るだけで事足りるならば。

 

今日まで自分が積み重ねてきたものは―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全て、無駄だったのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――大丈夫だ」

 

ふわりと、柔らかいものに包まれる。

 

壊れ物を扱うかのような手つきで、一夏は箒に抱き寄せられていた。様々な液体が彼女の服を汚すが、構うことなく彼の頭を胸元に抱く。そのまま二度、三度と背中を撫で、安心させるように優しく叩いた。ほのかに甘い香りが鼻腔を擽り、ぐちゃぐちゃになっていた頭に暖かく染み込んでいく。

 

彼女の顔を見ることはできなかったが、聞こえてくる声は確かな慈愛に満ち溢れていた。

 

「届かなくても良い。追い付けなくても良い。奴のようになれなくても良い。お前がお前として頑張ってきたからこそ、救われた人間は確かに居るんだ。お前の目に映らなくとも、お前を映しているものは居るんだ。だから、その……なんだ。……あまり、自分を卑下してやるものではない。でなくては、自分自身が報われないだろう?」

 

「…………ほう、き」

 

「それでもまだ自分が許せない、認められないというなら、そうだな……お前の代わりに、私が許し続けよう。私が認め続けよう。織斑一夏が刻んだ轍には確かな価値があったのだと、その研鑽に意味はあったのだと、お前自身が胸を張れるまで声高に叫び続けよう」

 

そう言って、強く強く彼の身体を抱き締めた。

 

 

 

 

 

「―――皆の為に頑張ってくれて、ありがとう」

 

 

 

 

 

「ぁ、あ」

 

限界だった。

 

双眸から熱い液体が溢れ出る。

 

食い縛った歯の隙間から、堪えきれない嗚咽が漏れる。

 

一切の虚飾を省いた純粋なその言葉は、荒んでいた彼の心にこれ以上なく染み渡っていった。最早恥も外聞もなかった。箒に縋り付き、彼女の制服を握り締め、声にならない声を上げてみっともなく咽び泣いた。

 

涙混じりで訴えられるその声に、箒は短く肯定の言葉を返していく。「ああ」「そうだな」「良く頑張ったな」「偉いぞ」―――その一言一言に込められた思いが嘘ではないと証明するかのように、優しく背中を撫で続けた。

 

そうしながら箒は、静かに思う。

 

(……私にはきっと、お前の懊悩を解消してやることはできない。それでも、一時の止まり木となることくらいはできる。辛くなったら止まればいい。動けなくなったら休めばいい。お前が再び羽ばたけるようになるまで、私がお前の背を支えよう―――それが、私に出来る唯一の恩返しだ)

 

儚くも確固たる、不器用な少女の決意。

 

 

 

 

 

それが少年に届くことはなくとも、彼女の優しさは確かに彼の救いとなっていた。

 

 

 

 




箒ちゃんの母性爆発回。

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