「Rc細胞過剰分泌症?」
「そ、急性のね」
CCG関係ではないが、業務協力をしている総合病院に安浦は運ばれた。20区の外に出てしばらく時間が経ち、既に夕方だ。
医師の芝さんが、俺や雨止に状態を話す。安浦特等に連絡は回ったが、彼女は彼女で1区の案件を中心に、今しばらく来る事が出来ず、俺達が代理の保護者という扱いになった。
だからこそ、教えられたその情報に困惑した。
「さっき調べてもらって、かかりつけの病院でもそれっぽいのがあったからね。さっきCTとってみて、はっきりしたよ」
白い鼻の下のひげを撫でながら、彼は興味深そうに、呼吸器を付けた安浦を見る。
「先天性でもない限り、極端なことがなければ回復するだろう病気だけれど、侵攻度合いによっちゃやばいよ、これ。特に彼、喉の奥から出てたみたいだし」
「声が小さかったのや、血を吐いたのはそれが理由か」
「悪いんですか?」
「結構ね。生えてきた異物で喉が傷ついて、そこからまた異物ができるって言う酷いサイクルだよ。今さっき抑制剤を打って、吸引機で少し吸いだしたけどね。ああいう感じになっちゃうと、入院と手術が必要だよ。前の症状よりだいぶ悪化してるみたいだしね。
回復力もRc値がちょっと上がるせいか高くなって、喉の傷は短時間で治っちゃうんだけど、それでも流石に呼吸器はまずいって。
まぁもっとも、手術しても再発しないとは限らないのが世知辛いところだけどね」
とりあえず麻酔が切れる前に再検査して、病院送りだねと。彼はそう言って、内線の電話に出た。
「……雨止、Rc細胞過剰分泌症とは何か、知ってるか?」
「……私も生憎、詳しくは――」
「――簡単に言えば、人体から赫子のようなものが生える病気だ」
アキラが、診療室の戸を開けてこちらにやって来た。手には複数の資料ファイルが握られている。
そこから何枚か紙をピックアップし、俺達に見せた。
「おおむねだが、あんなことを言い出した理由に検討が付いたぞ」
「早いな。もう集めてきたか」
「こればかりは、父に感謝だな。あまり感謝する類の話ではないが……。
安浦は、まず先々月からRc細胞過剰分泌症の兆候が出始めた。この病気は、体内のRc値が異常に上昇し、身体の一部からまるで赫子のごとく、Rc細胞の瘤が形成され排出される病気だ。
そしてこの発症と同時に、不登校が何度か報告されていた」
「不登校……」
「元々は、肩のあたりから出ていたらしい。だが治療中の状況といえど、通っているのはCCGだ」
「……居心地は悪いか。いや、ひょっとしたらそれ以上の」
俺達の推測に、雨止が悲痛そうな表情を浮かべる。
そう、アカデミーのジュニアといえど、一応は学校である。そんな症状が出てしまえば、おそらくクラス内での扱われ方も酷いものになったことだろう。真戸さん程過激でなかったとしても、急激にヒトから避けられたはずだ。
それこそ、喰種の側に同情をする程には、そう思うだけの何かがあったかもしれない。
「まぁ、結局詳しいところは本人に事情聴取を取る必要がある訳だがな。
ちなみに丸手特等が、現在もみ消しに回っているそうだ」
「頭が下がるな」
「普段からあれくらい無口になっていれば、煩くないものを」
アキラの感想はともかく、問題は俺達の間で、安浦の処置をどういう風にするべきか、ということか。
「……申し訳ありませんが、私は、捜査に戻りたいと思います。一刻も早く、クロノテイルの足跡を掴みたい」
「「……」」
俺とアキラは雨止を見てから、顔を見合わせた。現状、彼女を一人切りにするのはまずい。精神的な苛立ちだけではなく、おそらく体力的な面でも。意見の一致を見たところで、しかしてどう動くべきか。俺が考えるよりも先に、アキラが提案した。
「……私が残ろう。現状、アマツの修復も終わっていない」
「……済まない、頼む。
雨止、行くなら俺が同伴だ。それで構わないな」
「了解しました」
「あー、お取り込み中のところ悪いんだけど、僕、行って良いかな? 患者が新しく来てるって話だから」
芝先生に頭を下げ、俺達は診療室を出た。
去り際、俺はガラス越しに安浦の寝顔を見た。……声をあげこそしないが、酷い夢にうなされているような、そんな顔を。
そして病院を出た時点で、丁度連絡が入った。
「はい、亜門です」
『亜門さん、お久しぶりです』
「……中島さん? お久しぶりです」
『最近、ちょっと忙しくなりましたからね。……世間話はともかく、例の喰種に襲われている捜査関係者、共通点らしきものが見つかりましたよ』
「共通点?」
『襲われた人間は、皆、一週間以内に一度「1区」に立ち入りしているんです』
その情報は、少なからず俺たちにとって、次の事件の糸口につながっていった。
※
「保険証はなしと。
「あ、これ嘉納先生の紹介状です」
僕の渡した紹介状を見て、それを開いて彼は僕とクロナちゃんを見比べた。背後の看護師さんをを下がらせて、ヒゲを撫でる。
「ふむ……、なるほど。君が金木研クン、か」
その反応に、僕は事前の予想がある程度外れてなかったろう事を理解した。
「お金は嘉納クンの紹介だし、安くしておくけれど。さて、で今日は?」
「えっと……、リジェクションだっけ? クロナちゃん」
「う、ん」
「それが仕事中に起きちゃうのは、流石にまずいかな、というか」
「仕事?」
「給仕のアルバイトです」
「確かにまずいだろうね。うん、じゃあちょっと、二人とも血液採取させてもらって良いかな?」
クロナちゃんは分かるけれども、僕もですか? と確認をとると、芝先生は「基準値がわからないからね」と言った。
「生憎、話しか聞いていないものだから詳細は知らないんだよ。『君達みたいな』ののカルテなんて、一枚もないしね」
「……嘉納と、知り合いなの?」
「そりゃ、CCGで嘉納君に解剖技術を教えたの、僕だからね」
「!?」
「まぁ、CCGで接点があったのは調べてありました」
「!!?」
「研究のアプローチについてアドバイスしたのも、ちなみに僕」
戸惑うクロナちゃん。首が僕と芝先生との間を行ったり来たりしている。
確かに思ったより深い関係だった、というのは衝撃だったけれど、そもそも嘉納先生が紹介するという以上は、両者に面識があるものだろうと、考えてしかるべきだ。そこのところ、クロナちゃんもまだ本調子じゃないということだろうか。
「僕としては、採血で判断できるというのが不思議なところなんですけどね」
「ん? 嗚呼、普通は知りえないか、そこのところは。
君達は、赫子とはそもそも何なのか知っているかね?」
僕とクロナちゃんは顔を見合わせ、首を左右に振った。
「学名的に略称はRcc-F。Red Child Cell―Fang。Rc細胞の牙、という意味だね。
Rc細胞そのものは血中に含まれる、体内を循環している『丸まった胎児のような』細胞群だ。喰種は人肉の他に、これを吸収しているのさ。
このRc細胞そのものはまだよく分かってないところも多いんだけど、喰種には、体内の一部に生成したRc細胞を貯蓄しておく臓器があるんだよ。ないと喰種にとっちゃビタミン不足も良いところだからね。貯蓄しておくって考え方は脂肪みたいだけど。
ともかくその臓器が、赫胞」
「かくほう……」
「この赫胞に特定のホルモンと電気信号を送る事で、内部のRc細胞そのものを脳波で操ることができるようになる、というのが今の公式見解。その操られたRc細胞は、流動的で、しかし持ち主の意思や個性に合わせ、時に金属のように硬くなり、時に筋肉のように活動する。
一定の形を常に持って居ないというのは、それが原因だね。
昔、コクリアで使ってたドライバーって道具があるんだけど、それはこの脳波を強制的にジャックして、身体の外に無理やりRc細胞を排出させるってものさ」
看護師を呼ばず、一人で注射器の準備をしている芝先生。僕もクロナちゃんも、おそらく初めて聞く話に黙っていた。
「人間でもたまーに、この赫胞なしにRc細胞が瘤みたいになるっていうのがあるんだけど、あれは可愛そうだね。本来なら身体の免疫機能とかの助けになるそれが、物理的に宿主を傷つけるわけだからさ。
……じゃ、注射しようか」
ほれ、と手を差し伸べる芝先生に、クロナちゃんは身体を庇った。
「……いや、あんのね。腕出してくれないと、血、とれないんだけど」
「……ちゅうしゃ、きらい」
いやいや。そんな小さい子供みたいな……。
嫌がるクロナちゃんをなんとか宥めて血をとって、僕も注射をしてもらった。
「……あれ、そういえば注射器の色、違いますね」
「そりゃ喰種用のだもの。道具からして違うでしょ」
言われてみれば、確かにそうだった。
むしろ嘉納先生のところは、一般人向けも含めて偽造していたということか。
「僕からも聞きたいんだけど、良い?」
「何でしょうか」
「君達、入り口ちゃんと通って入ってきたよね? だったら、ちゃんと『白いアーチ』みたいなのを通過してきたんだよね」
「? はい、そうですけど」
「あれおっかしぃな。……あれ、Rcゲートって言って、人間と喰種を識別するものなんだよね」
「「!」」
「本来なら通った時点でこっちに連絡入るはずなんだけど、機械の調子が悪いのかな……?」
僕とクロナちゃんの声が詰まる。
情報不足だったのは否めない。どうやら想像以上に、危ない橋を渡っていたらしい。
そのまま検査結果が出るまで待ってくれと言う話になり、僕らは待ちあいスペースまで戻って行った。
椅子に座ると、憔悴した様子のクロナちゃんが僕に寄りかかってくる。……なんとなく、心の中で「あ゛?」と言ってくるトーカちゃんに頭を下げた。
「……」
「……だ、大丈夫?」
「……注射嫌い」
「まだそれ引きずるのか……」
「シロと一緒だったら、そんなの、全然怖くなかったけど。でも、一人だとすごく、怖い」
前にもそういえば、クロナちゃんは「一人は嫌」だと叫んでいたような記憶がある。
それは言うなれば、失ってしまった己の半身が恋しいということの裏返しなのかもしれない。
しかし、いつまでもくっついている訳にはいかない。物理的に暑いし、精神的にもちょっと、何というか。どうしたものか考えていると、僕の耳がこんな言葉を拾った。
――なんで俺は、喰種じゃないんだ。
――どいつもこいつも、死ねば良いんだ。
僕だけではなく、クロナちゃんも聞いたらしい。
そろって顔を声のした方に向けると、ふらふらとした足取りの少年? と、スーツ姿の女性がこちらに来た。
「手続きが終わるまで十分もかからん。しばらくここで待っていろ。……逃げようとは考えるなよ」
彼女はそれだけ言って、彼を僕らの隣に座らせる。ヒト一人分、僕らと彼との間には隙間が出来た。もっとも一つの長いすに座っていて、他の椅子の込み具合からするとこの間に誰も座らないだろう。
「……えっと、こんにちは」
「?」
恐る恐るだけれども、それでも僕は彼に話しかけた。
「一つ、聞いて良いですか?」
「……」
「何で、あんなことを言ったんですか?」
僕は、ああは思いたくないですけれどと、彼に少しだけ笑いかけた。
お前に分かるかよ、と彼は低い声で返した。
「お前だけじゃない。俺の気持ちが分かる人間なんて、誰も居ないんだ」
「そりゃ……、誰も、事情は知りませんからね」
「知ってたらわかるのか?」
「想像するくらいなら。それが出来るから、人間は会話が出来るんじゃないですかね」
僕の言葉に、彼は一瞬だけこちらを睨み。でもため息をついて、話し始めた。
少しトーカちゃんのそれに似てるような気がした。それはひょっとすると、誰かに話を聞いてもらいたかったと言うサインだったかもしれない。
※
突然お兄ちゃんは、変な事を呟いた男に話しかけた。
さっき、捜査官の女に連れられていた男だった。お兄ちゃんは気づいてないみたいだけど、きっとCCGの関係者だ。
そんな男に話しかけるお兄ちゃん。止めるべきか、と思ったけれど、そんなこと関係なしに男は話し始めた。
「高校で……」
……男というか、男の子だった。
というより、ひょっとして私の後輩にあたったりする? もしかして。
「高校で?」
「……病気になって、それで、皆、俺のこと喰種だって言って」
「ひょっとして、それで?」
「……それもあるけど、それだけじゃない。
元々、クラスの連中なんか、全然好きじゃなかった。ネットとかで、電子工作とかやってる掲示板とか、そっちの方が心許せてたくらいだし。
でも……、そうじゃないんだ」
言葉がぐだぐだしていて、考えがまとまっていないみたい。
お兄ちゃんは、何もいわずじっと、相手の顔を見ていた。
「……みんな、信じられなくなった」
ようやく搾り出した声に、お兄ちゃんは悲しそうな顔になった。
「嫌だって言っても、自分達の尺度だけで楽しんだりしてる連中が。
そんな奴らがヒト助けのために生きたいって言って。先生がそれを褒めて、みんなで賞賛して、拍手して。
そういう一連のが、全部、全部寒い茶番にしか見えなくなった」
「……思考の回転が速いみたいだね。君は。
そんな少ないことだけでも、ある意味、そういう考えにたどり着くんだから」
お兄ちゃんは、そう言って自分の手元を見つめた。
「確かにそうなんだよね。……自分がどれだけ辛くたって、周りにはそんなこと、わかりっこない。わかってくれと言ったって、分かる気もない。だから、そんな人間が自分と同じ尺度で生きてるって言い張るのが、すごく信じられなくて。だから、そんな中で友達が出来たりすると、その相手だけが信じられるって風になって。だから、相手のために生きたいって、そう思って」
「友達なんて居ない」
「それでも。それでも、生きるための論理は必要なんだよ。少なくとも僕はそう思う。それが思えないと、死んじゃうしかないから。愛するヒトが死んでいなくても」
何の話だ? と言う男の子に、中原中也知らない? と聞いた。
「まぁそれは大した話じゃないからいいけど。
……古い哲学者が言うにはさ。人間が絶望するっていうのは、絶望的な状況に居る自分に絶望している、というのがあるらしい」
「絶望的な状況……」
「だから僕は、こう考える。自分にとって絶望的な状況って、一体何なんだろうなって。
僕は――誰からも愛されないことかな」
お兄ちゃんは十分、愛されてると思う。
私が思うのに対して、「愛されてても分からないと思うけれどね」とお兄ちゃんは苦笑いをした。
「結局、僕って結構自分勝手だからさ。
でも、誰にも愛されないのが嫌なら、誰かから愛されるように生きないと。
そう思って、僕は頑張ってるつもり」
「……そんなものに、意味はない」
「でも、やってる間は自分のことだって、忘れられるから。自分の周りのことも忘れて、一瞬でも忘れて、一心不乱になれるから。
そうすればいつか、意味のないそれに意味がつくかもしれないから――」
相手を思いやれば、例え最初はそれが嘘であったとしても、いつか、いつか本当になるかもしれないから。
「そうやって愛されてさ。みんなから愛されて、そして何か大きなことしてさ。
……かっこよく死にたいよねぇ、やっぱり」
「……」
「でも、最近ちょっと変わってきてるかな。……守りたい場所があったり、一緒に居たい人達が居たり。
そういうのが出てきて、やっぱり、僕も変わってきてるんだと思う」
良いのか悪いのかは知らないけれど、と、お兄ちゃんは続ける。
「君は、どうかな?」
「……俺は……」
「生きてるんならさ。どうせ意味がないんだからさ。
だったら……、自分で胸を張れる、そういう意味を見つけた方が、楽しいと思うけれどな」
私は……、私はどうなんだろう。
お兄ちゃんの言葉は、そのまま私にもやってくる。自分で胸を張れる意味を見つけた方が、楽しいというそれが。
楽しいなんて……、でも、お兄ちゃんだって楽しんで生きているの?
その疑問を、私は口に出せず。
男の子も押し黙ったまま、それっきり一言も言葉を発さなかった。
カネキさん、誰と一緒に居たいというんでしょうかねぇ(すっとぼけ)