僕の腕の中で、クロナちゃんは泣き続けた。
しばらくの間そのまま、僕もトーカちゃんも動くことが出来なかった。ただ顔を見合わせて思ったのは、彼女の行動が、幼児のようになってる気がするということか。
「もしかして、最初からこうだった?」
「目ぇ覚ましてから、ずっとこんなん」
何があったのか、理由を問いただそうにもこの状態だともはやそれどころじゃない。
そういえば、ナシロちゃんはどこに行ったのだろう……。マダムAの警護は交代で番をしていたみたいだけど、今はそういった様子もない。特殊な事情でもない限り、彼女たち二人は常にそろって行動していたように思う。
コンコン、と扉がノックされる。
トーカちゃんが開けると、漂うのは珈琲の匂い。
「店長」
「やぁ、目を覚ましたかな。……どれ、お飲みなさい。そして深呼吸をするんだ」
僕から離れようとしなかったクロナちゃんをあやす様にして、店長は軽く引き離し、珈琲をすすめた。……なんだか、酷く慣れた動きだった。
クロナちゃんはしゃくり上げながらも深呼吸をし、言われた通りに口を付ける。
「落ち着いたかな?」
「……美味し、い?」
「苦いのは嫌いかな」
「甘いの」
「うん。そうか」
僕がよく世話になった、あの角砂糖を解かして彼女はもう一口。しゃくりあげ続けながらも、でも段々とクロナちゃんは落ち着いて行った。
そして一杯飲みほすと、彼女はじっと僕を見上げた。
見上げたと言っても、そこまで身長差もないのだけれど。
「お兄ちゃん?」
「……んー、えっと」
「だから、違ぇだろ。カネキはお前のお兄ちゃんじゃない」
トーカちゃんがそう言いながら、クロナちゃんの隣に座った。僕とトーカちゃんとで、彼女を挟む形になった。
店長が扉を閉め、こちらと対面するように座った。
「……カネキくん、紹介を。察しのついている部分もあるが、知らないこともある」
「あ、はい。……安久黒奈ちゃんです。
家は元々資産家で、でも幼少期、喰種に両親を殺され、妹さんと一緒にCCGに引き取られ……、たんだよね」
僕の言葉にびくりとしながらも、彼女はおずおずと首肯した。
「その後のことは、あんまり。ただ何かがあって――僕と同じく、リゼさんの赫胞を移植されました」
「そうか。……ふむ。
君は自らの意思で、望んで『喰種』になったのかい?」
「……私は、……」
クロナちゃんは、言葉が続かない。
ただ、じっと僕の手を握る。
「……私、席外す?」
すく、と立ち上がるトーカちゃんに、でも僕は「待って」と言った。
「出来れば、居てくれると」
「……なんで? そいつ、ちゃんと話すの? 私居て」
「いや、でも……。駄目かな?」
「……私は、いいけど」
言いながら、トーカちゃんは少しだけ視線を逸らしてから、再び腰を下ろした。
店長が、何故かその様を微笑ましそうに見ていた。
「詳しい事情が知りたいところだが、辛いのなら追々、話なさい。カネキくんにでも構わないからね」
「……あの、店長」
「ん?」
「――クロナちゃんを、あんていくで働かせることは出来ませんか?」
その言葉に、「んん?」店長は驚いたように声を上げた。
「カネキ、何考えてるの?」
「……辛いときってさ、何もしないでいると、そのまま自分が自分でなくなっちゃいそうになるからさ。だから、何かしないとバランスがとれないと思うんです。それに彼女の食事も、どうにかして調達しないといけない。でも、なんでしょう。今の彼女がそういうことを出来ると思えないし、少しだけ似た境遇だからかもしれないですけど、して欲しいとも思わない」
「……」
「単に僕のワガママもあります。でも……」
クロナちゃんを見れば、今にも泣き出しそうなのを堪えながら、こちらの手を握ったまま。僕らの話が届いているかどうかさえ怪しい。
「……やっぱり、性分です。放って置けない」
「……」
トーカちゃんがため息をついて、「コイツはどうなの?」と聞いた。彼女自身の意思はどうなのか、ということだろう。
「クロナちゃん、話、聞いてた?」
「……働くの、ここで?」
どうやら、一応は聞いていたらしい。
僕の言葉にクロナちゃんは頭を傾げながら聞き返した。
「クロナちゃんが良ければ、だけれどね」
「そしたら……、――」
「?」
クロナちゃんが何かを呟いたけど、僕には生憎聞き取れなかった。トーカちゃんは聞き取れたのか「あ゛?」と何故か威圧して、怯えたようにクロナちゃんが僕の腕にしがみついた。
「…………や、り、やります。お願いします」
「……わかった。カネキくん、彼女の面倒を見なさい。トーカちゃんに教わったように、教えてあげるんだ」
「はい」
店長は一度クロナちゃんを見て首肯すると、立ち上がり下の階に戻って行った。
「……教えるって言ってたけど、アンタ今日、シフト終わりじゃん」
「あ、それもそうだね。店長に話とか聞きたかったんだけど……」
とてもじゃないが、そういう状況ではなくなってしまった。最悪、そこの辺りは後日に調整してもらおう。
僕の腕に引っ付いていたクロナちゃんを引き剥がして、トーカちゃんが頭を傾げた。
「っていうか、コイツ、どこ住むの? あんていくで大丈夫? アンタ」
「……」
「えっと、ここの部屋で寝泊りするのは大丈夫?」
「……う、う?」
「なんで私の時は反応しないのよ」と愚痴りながら、トーカちゃんは顔をしかめる。それに「ひっ」と悲鳴を上げながらも、身動きがとれないクロナちゃん。挙動だけ見てると、本当に幼児退行してるように見えた。
「ここに住むってなると、えっと……」
「……リオが持っていかなかったの、残ってるでしょ。タオルケットとか。消耗品じゃなきゃ、洗えば使っても大丈夫じゃないの?」
一瞬、どうしても口にするのをためらってしまったのを、トーカちゃんが拾ってくれた。なんだか申し訳ない。そんな感情が顔に出たのか「別に気にしないでいい」と、彼女は鼻を鳴らした。
リオくん……、未だに彼が寝ていた奥のソファーの窓際には、花瓶が置かれている。月山さんが持ってくる花を生けたり、たまに気が付いてヒナミちゃんとかが取り替えたり、みんなで選んだりと。今でもなんとなく、彼はあんていくの一員のままだった。
店長が持ってきた珈琲も、丁度四つだった。店長本人は飲まずに降りて行ったので、つまりそういうことだろう。
カップを窓際の花瓶の手前に置いてから、僕はトーカちゃんに聞いた。
「えっと、四方さんとかが見回りにくる時間とかは――」
「一応、でっかいのも含めて二、三時じゃない? 基本一人で寝――」
「!? ひ、一人は嫌ッ!」
びくり、としながらもトーカちゃんの言葉に拒否を示したクロナちゃん。
子供かよ、という言葉が聞こえてきそうな、そんな表情で肩をすくめるトーカちゃん。
「なら……仕方ないけど、ウチで預かる。後でヒナにも連絡しないと」
「お、お兄ちゃんの家に――」
「却下」
「えっ」
「あ゛?」
「ひっ!?」
「トーカちゃん、落ち着いて……。あー、でもごめん。流石に僕の家は……」
消去法で言うとトーカちゃんの家になってしまって、また迷惑がかかる形になってるけど、そのことについてはトーカちゃんは気にしてないようだ。むしろ僕の家にクロナちゃんが泊まる、というのを何がなんでも阻止しようとしてるような、そんな感じが……。いや、当たり前と言えば当たり前なんだけど、言葉が威圧に変わる速度が、妙に早いような。
そしてクロナちゃんは、僕がトーカちゃんの威圧を止めた瞬間にぱぁっと顔をほころばせ、続いての拒否に打ちのめされたような表情になった。
流石に「そういうこと」が起こるとは思わないけど、念には念を入れてだ。
……あれ、そういえばこの間、トーカちゃん留めた時に――。
「じゃあ制服の予備で、着れるのないか見てくるから。カネキ、ちょっと待ってて」
しれっと言いながら、トーカちゃんはクロナちゃんを立たせて急ぎ足で部屋を出た。
何というか、慣れてるような感じが……。もしかしたらヒナミちゃんに対して、のそれを荒っぽくした感じなのかもしれない。
いや、でもそれだと僕的には果てしなく違和感があるというか……。だってクロナちゃんって確か覚え違いじゃなければ――。
そんなことを考えていると、不意にスマホが振動する。着信を確認してみれば、ヒデの名前が表示されていた。
「もしもし、ヒデ?」
『おうカネキ。今、家か?』
「あんていくだけど」
『あー、今日朝からだったりしたか? 悪い』
「いや、もう上がりだからいいんだけど、どうしたの?」
『――カネキ、ニュース見たか? さっきのやつ』
ヒデのその言葉に、どうしてか僕は不安を覚えた。
※
「とりあえず軽くサイズ合わせて見るから、下着になって」
「……」
「……あのさ、別にとって食いやしないから、いい加減ちゃんと話せっての」
自分のこらえ性のなさを自覚しながらも、私は目の前の、クロナにそう言った。
クロナはやっぱりなんだか怯えてそうだったけど、女子更衣室で何を今更って感じだ。
無理やり脱がしてやろうとすると、流石にそれは嫌だったのか、しぶしぶといった風にして脱ぎ始めた。
「……」
……意外と着やせしてるっていうか、私より胸あんのに、何でそんな幼児みたいにちんたらしてんのよ。
脱ぎ終わった服をロッカーにしまって、予備のシャツをいくつか手にとり、クロナの肩に合わせる。とりあえず私のとロマのを手渡して、一回着せてみた。
「……ちっ」
「!?」
肩幅は大体私と同じくらいだった。でも服はロマのサイズの方が合ってそうだった。……主に胸のサイズ的な意味で。別にあっちが大きいということじゃなく、ロマの方が背丈が大きいから、シャツも少しゆったりしてて、お陰で丁度という感じだった。
スカートは私のを合わせて、細部を調製していく。
「……って、なんで右のそでだけまくるの?」
「き、気分っ」
肘くらいまでまくるのに何か意味があんのか知らないけど、まぁ私も右の前髪はなんとなく伸ばしてる感じだし、あんまヒトの事言えないか。
一通り着せてみると、意外というか、案外しっくり来ていた。ちょっとだけ「あんて」入りたてのころのカネキを思い出す。眼帯のせいか黒髪のせいか……? いや、黒髪って言っても、前髪一部白くなってるけど。
「なんで白くなってんの、髪」
「しらない。……うらやましい?」
「何?」
「胸」
「……」
「ふっ」
「あ゛?」
「ひぃ!?」
「っていうかアンタ、そーゆーのやるなら威圧されたくらいで怖がんなよ。大体、いくつよアンタ」
「は、二十歳? 十九?」
「ぶっ」
思わず吹いた。カネキと同い年か、一つ下……? っていうか、年上だったのか。別に口調、改めるつもりねーけど。
っていうかもしかして、さっき去り際、カネキが微妙な顔してたのってそれ理由?
「……あー、ん、二十歳か、そっか」
「?」
まぁ知的な感じでもないし、たぶん大丈夫か。リゼみたいなタイプじゃないし。うん。
私の内心の警戒はともかく、改めて私はクロナを見た。
「……ルピナス」
「ん?」
「窓際の花」
「あー、カネキが置いてったやつね」
今窓際においてあんのは私が変えたヤツだけど、カネキが前に入れてた花は、もう少し生きそうだったので私が女子更衣室に持ってきていた。
クロナはそれを見て、頭を傾げた。
「『一人じゃない』」
「?」
「……誰か、死んだの?」
「……半年近く前にね」
それを聞いて、クロナは目を閉じて、ぐっと頷いた。
そして、なんでか私の方を見た。
「…………」
「……な、何?」
「……これから、よろしく」
そう言って頭を下げるクロナ。
私は、なんか困惑した。
「色々、教えてください」
「……まぁ、カネキだけじゃ頼りないか」
「お兄ちゃんのことも」
「あ゛?」
「そ、それ、怖い」
少し落ち着いてきたのか、いきなり怯えることはなかった。なかったけど、まぁ、ビクビクしてんのに代わりない。こういうのは、やっぱり前のカネキを思い出す。
考えると、リオは割と平然としてたっけ……? 何だろう、元人間の共通点?
「ま、負けないから」
しゅっしゅ、とシャドーボクシングみたいな動きをするクロナに、私はなんだか毒気を抜かれた。
たぶんカネキのこと言ってるんだろうけど……。なんだろう、行動とかに嫉妬めいたものはあったけど、勝ち負け、っていうのとは何か違うような、そんな感じが今はしてる。
わざわざ言うほどのことでもないけど。
……後日こいつから、カネキのどこが良かったのか聞いてみるか?
「とりあえず、カネキに見せに行く?」
「うん」
「……あと、店に立つなら丁寧語くらい使えよ」
「う……、はい」
頷いて、クロナは私の後に続く。
更衣室の戸を開けてバックヤードを抜け、階段の隣を歩く私達。と、丁度上からカネキが降りてきていた。
「あ、カネ――」
私が声をかけるよりも早く、カネキはスマホ片手に急ぎ足で店のホールに向かった。
クロナと顔を見合わせて、私たちも後を追う。
あんていく店内。そこそこヒトが居る中で、客層の半数以上は人間って感じで。
そんな中、店に設置されていたテレビ画面に映されていたものは――。
――CCG本部、喰種組織により襲撃――
次回より数話、喰種本編にはない感じのオリエピ入ります(元ネタありますが)