目を閉じれば思い返せる、昔の記憶。
暖かな家族が居たと言う記憶。妹も私も、一緒に笑って居られた記憶。
パパとママと、どっちが先につくか駆けっこして。
『二人は大きくなったら何になりたい?』
自分のお店でお持て成ししたいと、コックさんになりたいと言うと、妹は「じゃあお客さん」と言って。なんとなくずるいと言うと、パパは楽しそうに笑って。
『ハハ、いいじゃないか二人仲良しで』
そしてそんな言葉に、私達は決まって答えるのだ。
『一緒に生まれてきたから、大人になってもずっと一緒』
パパとママもそうだよね、と聞くと、二人は顔を見合わせて笑うのだ。ずっとずっと、そばに居てくれると――。
「――シロ、クロ」
パパはこちらを向いて、ふっと微笑んだ。
「お客さんが沢山だ――おもてなしを。お上品にね?」
「「わかった、パパ」」
二人で一緒にそう答える。答えながら、フードを被る。
パパさえ居れば、大丈夫。心は安定して、揺れる事はない。もう何日も何日も繰り返した動作に、私達の心は磨耗し、慣れていた。
だけど――。ふと、スクリーンに映る映像の一つ。
「……」
その答えを「どうでも良い」と切り捨て、私たちは走った。
※
「……ここが例の物件か。
なにがあるか分からんから、一応備えておけ」
篠原さんの言葉に、俺達は各々、クインケの制御装置を手に取った。もっとも俺の場合はレッドエッジドライバーも装着し、いつでも起動できるように。
足元、俺の背後を付いてくる「ガジェットモード」のアラタG3.車など固定するものがない場合は、大型の旅行カバンめいた形状になっおり、下のローラーで移動するようだった。
物件に立てかけてあった名札は――「安久」。
嫌でも、俺が過去に見た生徒のことを思い出してしまう。
先行する篠原さんが、扉を引いて驚いた顔をした。
「……開いてる? いや開けられてるか、無用心って訳でもないだろうに、どうしたものかね?」
「暗いですー」
「確か手前の奥に地下室への入り口が……、なさそうだな。
分かれて探そう。亜門、アキラは――」
この場に来ているメンバーは総数十六人。それぞれ二人チームに分かれて、手分けして物件の調査に当たった。
俺とアキラは二階。
地図とにらめっこしている俺の横を、アキラはまるで「暗記程度はしている」と言わんばかりに、カツカツと足早に歩いた。
「ここは、客間だな。生活感がない」
「……いや、そうでもなさそうだ。見ろ」
「?」
アキラが首を傾げるが、俺はあるものを発見した。本棚の隣にある窓、そのサッシの一部だけ、何故か埃がついていなかった。まるで誰かが指でなぞり、何かを確認した跡のようだ。
そして、本棚にも似たような埃の跡が――。いや、それは明らかに、立てかけてあった写真を一度手に取り、また戻したといった風であった。
「元の持ち主のものか。……? どうした、亜門上等」
「……安久だ」
「?」
「そこに映ってる少女達だ」
「知り合い……、というには何か、懐かしんでるようだが」
「嗚呼、それは――」
「ジョウトー! アキラちゃーん! 地下室あったですよー!」
什造の声に応じ、俺とアキラは階段を下りる。
どうやら多少改築がされていたらしく、ワインセラーのような地下室への入り口は、少々入り組んだ入り方になっていた。
「広いですね~」
「だね。嘉納自身、ここはどうやって譲ってもらったものか……」
「……特等、それに亜門上等も。二人ともここの元々の持ち主のことを知っているのか?」
「……断片的に、だがな」
俺と篠原さんは、口々に説明をした。
元々は「スフィンクス」という貿易商の社長だった男と、その家族の家だ。彼には美しい妻と、娘二人に恵まれた。誰が見ても幸せな家族だったことだろう。
だが事件が起きた。
家族の幸せは、まず妻の内側を引き剥がし啜ったらしい。父親もなけなしに立ち向かうが、合えなく死んだ。……哀れなのは、その惨劇を目の前で見せ続けられた二人の娘だ。元々その喰種は、捜査官たちがマークしていたのだが、一瞬のスキに姿を消してしまい、結果悲劇は起こった。
「……半分も、残って居なかったらしい。二人とも」
「……酷い話だ」
「で、その後にCCGの方で引き取ったってことよ」
「復讐の螺旋、だな」
「正義の連鎖、だ」
喰種被害者の子供たちは、多くがCCGに引き取られ、アカデミーに入る前から特別な訓練を受ける。そして己の境遇をかてに、何倍も何倍も深く力を付け、優秀な捜査官となる。
そしてその研がれた爪は、必ず次に襲われるはずの誰かを救う。
だからこそ、俺達はその在り方を胸を張って肯定しなければならない。そうでもしなければ……、子供たちは報われることはないのだから。
「安久の二人は、ちょうど亜門が担当してたんよね。何年か前に死んじゃったけど」
「死?」
「詳しくは俺にも。……生きていれば、ちょうど什造と同い年くらいか」
「はいですよ――?」
と、ぐるぐると地下を回っている途中で、什造が足を止めた。
「どうしたん? 什造」
「ここ、何かヘンです――」
『――ジェ・イ・ソ・ン・13!』
「ちょ!?」
突如クインケを起動した什造。篠原さんが止める間もなく、什造は突如壁を破壊した。
だが、その場の全員がそれ以上言葉を続ける前に、目の前の光景に目を疑った。
破壊された壁の奥の「肉の壁」――その蠢く姿に、什造は「なつかしーですね」と笑った。
「……24区の構造に似てるね。まさかRc細胞壁とは」
「なんです?」
「ジュウゾーくん? お前仮にも”モグラ叩き”やってたんだから……。まぁ今更か。
簡単に言えば、赫子を使った壁だ。イメージはクインケに近いが、こっちは24区の喰種の技術。赫子に反応して自己再生、安定化してしまう。色塗っちゃえばぱっと見で判断なんかつかない上に、強度はコンクリート以上ときたもんだ。こいつのせいで24区捜索は困難なんだけど……」
「……例の『嘉納』の仕業だとすると、一体どれほどの技術を持っている?」
「……何にしても先を急ごう。篠原さん」
「わかってるよ亜門。
さっきから俺も、どうにも嫌な感じがしてんのよねぇ」
内部の通路は、ますます24区めいている。円筒状の通路が複数の分岐を持つ構造は、明らかに迷路のようであった。そして壁一つとっても、年季が違う。……ここは、つい最近できたような場所ではあるまい。
「なんか、お化けでも出てきどうですよね」
「おいおい、喰種追いかけにきといてそれは……」
後方の捜査官たちの雑談の通り、この何ともいえない薄暗さはそういったものを想起させる。
そんな時、背後から悲鳴が上がった。
「――はぷっ、も、も、も」
「う、うああああああああ!?」
「車谷!?」
とっさに背後を振り返れば、捜査官の一人に、巨漢……? 酷く形容が難しい。不自然に全身が膨れ上がった人間と言えばいいか。そんな存在が、彼を喰らおうと動いていた。
側溝のような水たまりの中から現れたそれに、対応できなかったのだろう。
「私がやろう。後ろに反ってくれ――」
『――アマツ!』
とっさにアキラがクインケを起動し、その巨体の胸を腕を切断した。
命からがらにその場から逃れる車谷さん。だが、その腕の切断面から、赫子としか言いようのないものが噴出し、巨体自身を喰らい始めた。
「……見ろ」
「!?」
そして視界の先、無数の似たような何かが、ズタズタにされて殺されていた。
「……ひょっとして、これが実験の成果?」
「失敗作じゃないかな。流石にこれじゃ」
「スモウレスラーです」
「こら、国技に失礼!」
什造をたしなめる篠原さん。俺の中に、ちらちらとうつろう嫌な予感が加速していた。
――篠原さん曰く、金木 研への移植はおそらく「成功」している。しかし喰種にはなり得てはいない可能性が高いだろう。
後日Rcゲートを何とかして潜らせるつもりらしいが、十中八九問題はないだろうと予想していた。だからこそむしろ、その金木研を放置している嘉納が気になると言っていた。
そしてたどり着いた広間のような場所で、俺達は目を見張った。
「アオギリか? 何故ここに――?」
状況が読めなかった。なぜならば、アオギリの喰種と”美食家”が戦っていたからだ。
美食家と戦っているのは、Sレート「ナキ」に――”黒”ラビット? ラビットはアオギリの喰種なのか?
何故それと美食家が戦っているのか。一見して状況は読めず、俺は混乱した。
だが、篠原さんはこういう場でも安定している。
「――総員、クインケ展開!」
複数のクインケ起動音に合わせ、俺もクラとアラタG3を起動させた。展開するクラと、飛来してアーマーのように変形するアラタ。
『……チッ、おいキザヤロー、力貸せ!』
「共闘戦線かい?」
『呉越ドウシューだ、ろ! ナキ、捜査官からやるぞ――!』
「あ、アメリカやらねーのか!?」
「アメリカは止めたまえ、僕は美食家だ!」
黒ラビットの射撃に、俺が一歩前線に出る。篠原さんの使っている「アラタ2号」に比べ、こちらの方が消耗が少ないというのも理由の一つだ。
全身とクラでそれを受けていると、背後から什造が軽業師のごとく飛ぶ。
『――ジェ・イ・ソ・ン・13!』
「あ、アニキ!?」
怒りもあるだろうに、アキラは状況を見て冷静に動いていた。
俺は什造と連携して、黒ラビットを追い詰める。俺の左側の薙ぎを右側に避けた瞬間、什造が追撃。しかし赫子をマントのように身にまとい、奴はその攻撃を防いだ。
そこに割り込む美食家。
「ふぅん、また会ったねボーイ・ガトー!」
「あ、うんこです」
「うんこは止したまえッ!!!」
喰種ながら、ふと相手に同情心が沸いた。美食家とナキが什造に当たる。
俺は奥の扉を見て、わずかに歯がゆさを覚えた。
※
安久邸。郊外に位置するその広い建物を、嘉納は安価で入手したらしい。
安久クロナを名乗った彼女は、僕を「待っている」と言った。その時点で裏づけもなく、十中八九この場所に居るのだろうと僕は判断していた。
月山さんがチエさんに頼んでとってもらった裏づけからして、間違えなくここは彼女たちがかつて住んでいた場所なのだろう。客間にあった写真に映る、幸せそうに笑う二人の少女に、どうしてか僕は胸が痛んだ。
この感情豊かな表情が、ああも無感情になるには、一体何があったのだろうかと――。
地下室を通過し、僕のような実験体たちと戦い。……もはや人間としての意識さえ保てて居ない、スクラッパーにさえなれなかったろう彼らを、僕は「殺した」。
もうそうするしか、他になかった。まるで「お前もこうなっていたかもしれない」と見せ付けられているような、そんな暗い感情もあったかもしれない。でも、それ以上に彼らが回復することはできないことも、なんとなく僕には理解できていた。
そんなもの、出来るなら僕だって人間に戻っているはずなのだから。
クインケドライバーの量産型のようなものを、彼らは付けている事もなかった。彼らとスクラッパーとの大きな違い、赫子を出すか出さないかという点から見ても、これは大きな違いかもしれない。
「……嘉納のヤロー、一体何をやってやがんだ? 気味の悪い壁に、レストランで邪魔してきた――」
「ムッシュ、何やら先客のようだ」
そして、広間のような場所に移った瞬間、その場には複数、アオギリの喰種が居た。
「あ、眼帯!
マッドサイエンストは俺らがいただくぜ」
「グゲ」「ガギ」
「マッドサイエンティスト、ね」
「――! エト、さん」
その場には、エトまで居た。ニコは言っていた。隻眼の王は彼女かもしれない、と――。
「眼帯野ヤロオオオオオオオオ――!」
「ッ、変身!」『――鱗・赫ゥ!』
変身しながら、マスクを持った”手”でナキの蹴りをいなしつつ、僕は姿を変える。
そうしている最中、エトが向こうの扉まで一人、走っていくのが見えた。
「っ、月山さん、バンジョーさん――」
「
「あ、ガギ、グゲ!」
「行かせるかよ!」
後方を任せつつ、僕はエトを追って走り出し――。
そんな僕の目の前に、黒いウサギのマスクを付けた喰種が降り立った。
赫子をマントのように翻したその姿。見間違えようもない。
「アヤトくん」
「……ケッ」
今年の三月のある日。いつの間にかトーカちゃんの家から居なくなっていたアヤトくん。その後、彼女を庇うように捜査官殺しを続けているところから見るに、やっぱりそのやり方は不器用極まりない。
彼は毒づきながらも、顔を背けて、そのまま動くことはなかった。
行っても良い、ということだろうか。
「……言いたい事も、言わなきゃいけないことも、場合によっては戦わなきゃならない理由もあるけど、これだけは先に言っておく」
「……」
「死なないでね」
「……アホトーカみたいなこと言いやがって」
毒づくアヤトくんの横を、僕は走り抜けた。
道はさっきまでは複雑そのものだった。でも、今僕が走っている場所は一本道だ。ついに目的地まで場所が絞られたと見るべきだろうか。あるいは、そう錯覚させられているということだろうか。
とにかく、嘉納を探し出さなければ。
アオギリが嘉納を狙ってる理由……、リゼさんを追いまわしている理由。奴らが欲しがっているのは、技術か?
人間を喰種に変える。そんなもの、使って平穏な方法があるとは到底思えない。だとすればリゼさんは何故だ?
どちらにしても、彼も彼女も渡すわけにはいかない。
通路を抜けて、暗い場所に出た。ほのかに灯る明かりの先、下から照らされた円筒が見える。
それを遠めに見た時――。僕は、呆然とするしかなかった。
「リゼ……、さん?」
円筒状のそれに、両腕両足を拘束された女性。僕と同年代くらいに見える、髪の毛の長い彼女。眼鏡も何もないけど、はっきりわかる。
見上げた顔は、焦点が定まって居ないが間違えない。
本当に、生きてたのか――。
一歩、二歩とゆらゆらと歩きながら、彼女の方へ向かう僕。
その両手が、突然両側から「絡め取られた」。
指と指の間に指をからませ、握るそれはたまーにトーカちゃんがしてくるそれと同じで。
冷たいその感触に、動揺しながら両側を見た。
「来てくれた――」
「待ってたよ――」
「「お兄ちゃん」」
「……クロナちゃんに、ナシロちゃん?」
僕に呼ばれて、クロを名乗っていた彼女は特に何も反応せず。
シロを名乗っていた彼女は、何故それを知ってるのかというように目を見開いた。
シロ「・・・」(お姉ちゃん、ひょっとして教えたの? という視線)
クロ「・・・」(目を合わせない)
カネキ「・・・」(双方の顔を見比べて、リアクションに困っている)