応援の捜査官、キジマ准特等からの連絡がなかったこを受け、俺と什造とは現場に向かっていた。
キジマ准特等曰く「一人で居た方がおびき出す餌になるだろう」と自分の腹を叩いて笑っていたのが、俺には笑えなかった。かつての部下達と最後まで戦いきれず、生き恥を晒していると、初対面の時に激情の乗った声で言われたからだ。飄々とした物腰に、現在の姿。その内にいか程の情念を抱えているかは、真戸さんを見るまでもなく明らかだった。
「五分おきにGPSで現在位置のデータを送る。送られなくなったら、その近辺で交戦中だろう」という指示があったため、それに従って俺達はそこに向かっていた。
そして発見した路地裏で、両足の義足が叩き折られ、片腕から血を流している准特等の姿を発見して、俺はクラを手に取った。転がる准特等は、とてもじゃないが既に立てるような状況ではない。
准特等の前に立つのは、冷気を放つ尾赫を持つ少年のような喰種。喰種も喰種で、まるでトドメでも刺そうとしているような立ち姿だった。
『――クラ・スマッシャー!』
「おおおおおお――」
こちらを一瞬振り向く喰種。その顔面には格子を思わせる痣がある。なるほど、コイツがジェイルか……。顔もよく見れば、書類かとこかで覚えがある顔だった。
喰種はそんな俺の足元に向け、冷気を放つ。尾赫を振ることによって放たれた猛烈なそれは、吹雪のごとく俺の足や胴体、顔を撫ぜる。水蒸気を伴うそれは、たちどころに俺の足を凍らせた。
「亜門さん、僕やるですよー」
『――サソリ・レギオン!』
ポーチ状のクインケに取り付けられている制御装置を起動させると、什造の服の下に入れてあった持ち手全てから刃が生える。それを数本手に取り、什造は難なく投げた。
喰種はそれを叩き落とす。が、什造はそんなこと全く意に介さず、笑いながら走って接近した。
准特等の身体を起しながら、俺は戦況を見守る。
「――遊びましょうよリンタロオオオオオッ!」
「――ッ!? 什造くんッ」
ジェイルは什造の介入に動揺する。理由までは分からないが、その隙を見逃す什造ではない。軽くスナップを聞かせて、再びサソリの刃を投げる。
「同じ手を――」
だが、ジェイルが赫子で弾こうとしたが今回のそれは少々違った。
投げられた刃同士が空中でぶつかり、方向が変わる。
ジェイルの尾赫による一閃をさけるサソリのナイフ。冷気をともなう水蒸気のそれさえ計算に入れての投擲なのだから、才能というものをこれでもかと思い知らされる。
そして什造本人はと言えば、准特等の持っていたクインケの丸ノコ部分を軽く掴み、フリスビーのようにこれもまた投げた。赫子に刺さったのと同時に、その傷口目掛けてサソリの刃をこれでもかと投げ続ける。
痛みがあるのか顔を歪め、ジェイルはその場から一歩後退。既にその腕は片方は失われており、全身が満身創痍といったところだ。
「そいさー」
そして、後退したその瞬間に什造はまたサソリを投擲した。驚いたことに、これの速度が一番速かった。おそらく今までのそれは、相手に投擲の速度の最大値を錯覚させるためのものだったのだろう。瞬間的なそれに対応できないジェイル。
そしてそれが――奴の左の眼窩に刺さった。
「――ああああああああああ!!!」
絶叫を上げながら、ジェイルはサソリの刃を抜く。息も絶え絶え、目からは血を噴き出しながら、奴は腰に手を――! 何故、奴がドライバーを付けている!?
『――羽・赫!』『ゲット3!』
鳴り響く電子音。そのままジェイルは目を押さえ、巨大な赫子を展開してその場を飛び去る。
什造の投擲も、冷気ではなく強烈な風圧には流石に耐えられず地面に打ち返されていた。
「人間だと思ってたです。喰種だったんですねー」
「……知り合いだったのか?」
微笑みながらも無感情にそう言う什造に、俺は思わず確認をとった。もっとも返答は「ちょいの間に会いました」といった要領を得ないものだったが。
「……飛んだか。だが、そう遠くへは行かないはずだ……っ」
「准特等、しゃべらないで下さい」
「そうも行かないだろう。ふむ……」
キジマ准特等が、苦しそうにそう言った。俺の制止を無視して、彼は近場に落ちていた彼のクインケを手に取り、俺に手渡した。
「このクインケは、奴の兄のものを使って作られたものだ。『四種類全部の赫胞を持つ』奴相手に種別はあまり意味を成さない。ならば必要なものはやり辛さだろう」
「准特等?」
「頼む。ジェイルを討ち取ってくれ。今の私では、とても出来ない」
「ッ! な、何を――」
「頼む、亜門上等。この期を逃せば、次はいつになるか。己の能力不足ゆえの失態だが、このままでは合わせる顔がないのだ。
什造くんでは、リッパーの扱いが難しいだろう。『レッドエッジドライバー』対応型のクインケだ、真戸の娘さんから聞いた話ならば君が適任だ。頼む――」
「……」
俺は、少しの間だけ彼の顔をじっと見た。大きく変貌し、既に原型を留めないその顔に浮かぶ苦悩。苦悶。怒り。それらを見て取り、すぐさま俺は彼のクインケを握った。
スイッチ操作で一度クラ共々トランクに戻し。
「お借りします」
什造にキジマさんのことを任せた上で、ジェイルの飛び去った方角にまずは走った。
※
「そっか。リオお兄ちゃん、出て行っちゃったんだね」
そう言いながら、ヒナミちゃんは珈琲を一杯飲んでいた。トーカちゃんからリオくんが出て行ったという話を聞きながら、少し寂しそうに見える。家に行けばアヤトくんが構ってあげているみたいだけど、お店にいる時は結構リオくんが遊んであげていたみたいだったから、そう言う意味で寂しいのだろう。
そのうち戻って来るだろ、と西尾先輩が言う。ちなみにトーカちゃんは、話し終わった後に着替えに向かっていた。僕はと言えば丁度表の掃除に出るところ。転がっている缶が目に付いたので、とりあえず手持ちのゴミ袋の中に入れて路地裏に回ると――。
ふらふらと、リオくんが歩いて来た。
「……リオ、くん?」
「カネキさん」
今のリオくんを見て、こんな反応を返せる自分が恐ろしい。慣れてしまった、ということなのだろうか。
リオくんの姿は、それはもう酷いものだった。欠損した腕と、手がなくなった左腕。その左の残ってる肘のあたりで自分の左目を押さえている。たぶんだけど、そこも欠損しているのだろう。
ふらふらと歩く足は既にズタズタで、箇所によっては骨が露出しかかっている。
変身した結果発生したパーカーも、その下の衣服も、全部が赤黒く染まっていた。
「カネキ、さん……、ごめんなさい」
リオくんは泣きながら、その場に崩れ落ちた。慌てて駆け寄る僕に、彼はひたすら謝っていた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。兄さん、兄さん――ごめんなさい」
「何が――」
「僕のせいで、兄さんが死んだんだ」
震える声で、目を見開きながら。呼吸を大きく乱しながら、リオくんはそれでも懸命に言葉を紡ぐ。
その結果が、僕も想像していた中で最悪の部類のものであっても。
「カネキさん……、ジェイルは、僕だったんです。僕がジェイル、なんです。
キジマと戦ってた時、僕は……、僕は――」
リオくんの顔面、両目の上下に亀裂のように、格子状のアザが走った。
「僕が追ってたのは……、僕自身だったんだ。馬鹿みたいだ、僕はずっと、逃げてただけだったんだ。兄さんを犠牲にして――自分の過去から!」
「……」
「僕は、助けたかった……。兄さんを、兄さんを助けたかった。
兄さんに、僕が淹れた珈琲を飲んでもらいたかった……、あんていくの皆のことを、話したかった」
「……」
嗚咽を漏らし、血の涙を流すリオくんに、僕は言葉を続けられなかった。
リオくん本人がジェイルである可能性も、僕はわずかに捨て切れなかった。彼が指していたバケモノのような相手というのを、僕がリオくんが暴走した姿だと誤認していたのが理由だ。実際にリオくんが覚えいたその相手がキジマだったと考えれば、そこから数えられる可能性に「リオくんがジェイルである、が誤解ではなかった」という可能性が出てくる。
だけれど、物証には乏しかった。そしてそれが、最後まで僕が彼にその可能性を伝えることが出来なかった理由の一つだ。
もう一つは――今のリオくんの姿が全てだ。肉体的にボロボロになった、ということではない。
自分がしてきたことが全部、自分自身の首を締めるような――自分の大切なものを奪うような結果になったという事実。
それが、もし本当だったら、とてもじゃないけれど耐えられない。
「……つらかったね」
だってそんなの、あんまりじゃないか。
記憶を失っていたかもしれない。でもお兄さんを守る為に、彼は一生懸命だった。そのことは間違いない。
こちらを驚いたように見上げるリオくん。気が付けば、僕の目からも涙が零れていた。
リオくんは泣きながら、でも少しだけ笑って。
「カネキさん」
「……?」
「僕を――止めてください」
何を、言ってるんだ君は。
次の瞬間、彼の失われた左目から出現した「口が複数付いてる」赫子のようなもので、僕の右頬が切られた。
「――ああああああああああッ」
「! リオくん――」
絶叫しながら僕から離れるリオくん。左目から出たそれは、わしゃわしゃと口を動かし、言葉を紡いだ。
『悲しいことも』『苦しいことも』『忘れはしないけど』『お兄さんも』『憎んだ相手も』『全部全部意味はなかった』『だったら壊れれば良い』『みんななくなってしまえば良いー―』
『『『『『寂しくないよ、いずれは箱の中で会えるから』』』』』
「ああああああああああああああああアアアアアア――」
絶叫の途中で、リオくんはドライバーの赤い装置を外して放り投げた。
瞬間、起こった変化を何と表現したら良いだろう。
例えるなら悪魔のようなそれだ。顔面があの悪魔のような仮面に被い尽くされ、変身していたパーカー状のそれが解除され。
全身にストライプが入った、鎧のような姿。上下全ての赫子が外に出て、身体を覆って行く――。筋組織に覆われた悪魔という形容が、一番適確かもしれない。
『なるほど。押さえきれなかったのねぇ、彼の赫子は通常のドライバーじゃ』
「リゼさん?」
『拾っておきなさい、研くん。これから使うことになるだろうから――』
茫然とその変化を見ていた僕を一瞥し、リオくんは――もはやリオくんと形容することも難しいほど変化した彼は、仮面の口を開き、走り出した。
いけない、あの方向はまずい。表通りはまだヒトが結構いる。明らかに理性のなくなっている喰種を放置しておいたら――
脳裏に聞こえるリゼさんの言葉通り、転がった赤い装置を手に取り、僕は彼の後を追う。
『――』
声にならない叫びを上げ、リオくんは、あんていくが面している通りに出て、赫子を振るった。尻尾のようなそれは普段は冷気を発しているはずだけど、今回は熱気を発していた。
地面に叩き付けて振り回すだけで、えぐれたコンクリートが弾丸のようにヒトに襲いかかる。
「ひ、ひィ!?」
「ッ、変身!」
『ー―
ドライバーを腰に巻き、そのままレバーを落として僕はその男性の前に飛び出た。赫子が全身に巻き付きながら変身する。カツラを収納し自動的に”手”が仮面を僕に装着させる間、猛烈な痛みを覚えながらも僕は男性を庇うように両手を広げて、リオくんの攻撃から庇った。
「あ、貴方は、」
「逃げてください、早く!」
既に逃げてるヒトは多く、悲鳴が聞こえる。
あんていくまでの距離は、まだそれなりに開いている。無差別に攻撃するリオくん。近場のビルの壁面に刃のような爪で一閃し、バランスを崩して粉々に。倒れるビルに対して羽赫を打ち込み、更に粉々にして振り落とす――。落下するビルの中、落ちてくるヒトの「助けてくれ!」という叫びが聞こえ、走り手を伸ばそうとして、しかしそれらが一気にガレキとビルの残骸に押しつぶされた。
「リオくん……」
『研くん、どうするの?』
リゼさんの囁きを聞きながら、僕はリオくんの前に立ちはだかる。それさえも叫び声を上げて、尾赫の一閃で弾き飛ばされる。強弱関係の問題だろうか、左肩から脇腹にかけて斜めに傷が出来た。
そしてそこ目掛けて、彼の羽赫による射撃が襲う――。
刺さった痛みで起き上がるのが一瞬遅れる。そしてそれを見逃さず、リオくんは路上を走る。既にその姿は赫子により膨張し、2メートルはゆうに超えていた。
『――彼はもう、死んでるんじゃないかしら。いえ、ああなってしまった以上もう初めから死んでいたようなものじゃない?』
「……僕は、」
『誰も彼もが強い訳じゃない。だからこそ強くあろうとする。勿論、出来る出来ないは別だし、一歩間違えれば誰だって「壊れる」。あの壊れ方には何か「作為」みたいなのがありそうだけど……。
全部失って、怒りや憎悪が自分に向けば、後はもうね。よく分かるでしょ? 無力感とは長い付き合いだし♪』
「……」
楽しそうに言いながら、彼女は僕に囁く。
『――だったら、研くんの手で楽にしてあげれば良いじゃない。奇しくも彼、研くんにお兄さんを重ねていたみたいだし』
「……そういう、問題じゃないですよ」
そうかしら、とだけ言ってリゼさんは黙った。
僕は、無理やり足に力を入れて立ち上がり、レバーを操作する。背面から今一度、赫子の"手"を四つ出して、そのまま走り出した。