あんていくに来てから、一月も時間が経っていなかったせいか、持ち運べる荷物は少ない。最低限の着替えと、ケータイと、ドライバーと、カネキさんがくれた本が一冊。
僕は決めたのだ。兄さんを助けると。キジマと――戦うと。
ジェイルを見つけられなかった以上、もう僕が出来る事はそれしかない。
こちらから連絡を入れれば、きっと奴は誘いに乗るだろう。でも誘いに乗るだろうが、罠が仕掛けられないとも限らない。狙うなら、奴が一人で捜査をしている時。
でも、どうやって助けたら良いのか。戦って、聞きだすのか? 何を話せばそんなことに応じるのだろうか?
……考えは尽きない。でも、何らかの形で決着をつける。
僕の心は、もうそう決まっていた。
でも、それは無論、僕がキジマに殺されるかもしれない、ということでもあって――脳裏を過ぎる、コクリアに居た頃の僕の記憶。切られて、僕の目の前に放り出された袋の中に入れられていた、兄さんの耳。
どうあってもそうはなりたくない。なりたくないけど……、もしそうなってしまったら、これが最後だ。
あんていくの皆に、挨拶していくべきだろうか……。裏口の前でそう考えていると、ニシキさんが僕の肩を叩いた。振り返れば、トーカさんもそこに居る。
「なーにシケたツラしてんだよ、シマシマ」
「……どーしたの、その顔。そんな感じで接客は出来ないでしょ」
「……僕は、……」
「……辞めるの? あんて」
僕が何かを言う前に、トーカさんがそう言った。
「昔の弟みたいな顔してるから。アンタ。もっとイライラしてたけど、そんな顔してアイツ、家出て行ったから」
「……」
「最近のカネキも、たまに今のアンタみたいな顔してる」
無理してるような顔だ、と言われて、僕は拳が震える。
でも、それを押さえて、僕は笑った。
「……僕は、あんていくの皆が好きです」
不思議と、言葉は意識しないで溢れてきた。
「古間さんも、入見さんも、四方さんもヒナミちゃんも万丈さんも、店長も……。
ニシキさんや、トーカさんや、カネキさん。
皆が、行く当ても、自分が何なのかさえ分からなかった僕を受け入れてくれて……、皆と一緒に居られて、僕は本当に幸せでした」
「お前、ひょっとして記憶が……」
「……」
僕の言葉に、二人はそれ以上、何も言わなかった。ただただ、じっと僕のことを見つめていた。
一瞬、キジマのことを言おうかとも思った。でも、そうだ。何も告げない方が良い。いらない心配をかけたくはない。
「……また、あんていくに戻って来て良いですか?」
なんとかひねり出したその言葉に、ニシキさんはいっそ、悲痛さを跳ね飛ばすくらいに、楽しそうに笑ってくれた。
「……んなもん、お前が決めることだろ? 好きにしろよ。
ただしな! シフトに穴開けた分はきっちり働いてもらうから、テメェ覚悟しとけよ?」
「それは……、ちょっと怖そうですね」
「何嬉しそうなのよ。はぁ……。
カネキとか、店長には言ったのよね。もう」
頷く僕に、彼女一度目を閉じてから、言った。
「約束して。死なないって」
「……」
「生きてさえいれば、また、会えるかもしれないから」
気付いているんだろうか。僕が、これから危険なことをしようとしているのを――。
「答えなくていいよ。守るなら、勝手に守って。
行きなよ」
「……また」
「おう」「……」
裏口を開けて、二人に一度深く頭を下げて、僕はあんていくを出た。
こみ上げてくる涙を堪えながら、僕は今日までの日々に――
※
カネキさんには、会えなかったみんなによろしく言っておいて下さいと既に言ってある。
もう、後戻りする必要はない。
だからこそ、一度情報を整理しよう。
ことの発端は、ジェイルという喰種がキジマの居た部隊と戦ったこと、らしい。仲間を殺され、自分自身でさえあんな酷い姿にされて。それでもなお執念を力に、ジェイルを追いかけている。
僕がコクリアに収監された後、脱走したのはカレンダーからして、おおよそ一月半前後前。アオギリの樹、という組織がコクリア、収容所に襲撃をかけた結果だ。
僕はその時点で、今も持っているクインケドライバーを腰に巻いていた。
そこからしばらく時間が空き、作家の高槻泉を助けた? らしい。そこでドライバーを落とす。
そして約一月前――数週間前にカネキさんに拾われる。カネキさんの言葉が正しければ、その時の僕は暴走して、ロウを襲っていたらしい。この時点で、僕の記憶は既になかった。
あんていくで働きながら、失った記憶を探す。途中でキジマと兄さん、ジェイルについてぼんやりと思い出し、ジェイルを探し出して奴に突き出さなければならないと考えた。
そして先日――キジマと遭遇し、コクリア脱走直後~カネキさんに拾われる間までの記憶以外を全部思い出した。
改めて考えると、僕は結構忙しく、色々やっていたみたいだった。
空白の期間……。推測することしか出来ないけど、状況からすると僕はアオギリに拾われていたのではないだろうか。少なくともコクリアではドライバーの痛みで音を上げていたにもかかわらず、既に変身することさえ出来るようになっている。痛みに鈍くなった、とすればそれは当然、そうなるだけの何かがあったということだろう。
『――尾・赫!』『ゲット3!』
一度深呼吸をしてから変身し、僕はマスクを付ける。
そしてひたすらに耳を研ぎ澄ませ、声を探す――。意識が遠退く。入り交じる雑音でバランスを崩しそうになるけど、でも、それでも集中を途切れさせることはない。
そして――見つけた。
眼前に降り立った僕を見て、キジマは一人、クインケを起動させた。
『――ロッテンフォロウ・チェーン!』
「おやおやリオくん。ついに諦めたのかい?」
「……僕は、決着を付けに来たんだ」
決着? とキジマは首をかしげる。
「どうしたのかな? 私の結論は既に見えているが、さて」
「……このままジェイルを探し続けても意味がない。だから、僕は……あなたを使って、兄さんを助け出す!」
「私を使って? ヒヒっ、CCGでも脅すつもりか! こんなボロ雑巾にそんな価値があるかは知らんがね――」
クインケを構え、キジマは僕に切りかかってくる。赫子に氷を纏わせて防御した。
目の前の相手は――それはもう、楽しそうに笑っていた。もう、堪えられない、押さえられないといわんばかりに、その顔は酷く愉しそうだった。
「思えば君との付き合いも、そう短くはなかったが――今日でお別れだね!!」
「ッ、来い、キジマ――ッ!」
クインケをぶつけたまま、キジマはスイッチを押して形を変化させた。先端部分が分離して丸ノコのように射出され、向こうが引くだけで赫子の隙間を縫うように、僕の胴体に落ちてくる。それをギリギリで交わすも、靴の先端が切り取られた。
赫子を叩き付け、その場を離れる。再び向かってくる丸ノコのようなそれを、僕は赫子で打ち返した――。
跳ね返ってきたその先端を、キジマはクインケの残りの刃の部分で更に打ち返す。もはや回転すらしていないそれを、僕は冷気で凍らせた。
これで攻められる。そう判断して、僕は赫子を振り被りながら襲いかかった。
だけれども。
「残念――!」
『――リ・ビルド!
ロッテンフォロウ・リッパー!』
「ッ!!」
クインケの欠けた先端部分に、まるで内部に収納されていたように別な円盤が出現し、収まる。一瞬の出来事に、赫子を僕は盾に出来ない。後ろに振り被ったそれを戻すより先に、キジマの攻撃の方が速い――。
射出された刃の円盤が、僕の右腕に刺さり――切り飛ばした。
「――ああああああああああッ!」
どんな威力だ。変身しているんだぞ、僕は。その固さは普通の喰種の何倍も高いはずだ。
噴き出す血。痛みに絶叫し、僕は空中でバランスを崩す。でも頭のどこかは冷静に現状を分析し、赫子でキジマの胴体を薙いだ。赫子が腹に刺さる感触。跳ね飛ばされる彼と、地面に倒れる僕。
起き上がりながら赫子を使い、出血する右腕の根元を凍らせた。
「ヒヒヒ……、君の力を甘く見ていたようだ。だが違う。違う、違う違う――ちがぁぁぁぁうッ!」
赫子が腹をいくらか抉ったはずだけど、同時に冷気で凍らされたらしい。腹を押さえながらも、キジマはその場で立ち上がった。
僕は、キジマの言ってる意味がわからなかった。
「何が……、違うんだ……っ」
「違う。違うともさ。君の力はこんなものでは、ない!
リオくん――否、ジェイルよ!」
キジマはそう言うと、何かの装置を腰に装着した。クインケドライバーとは違う。そしてそれは、帯のようなものを出して彼の腰を一周し、装着された。
そのバックル部分のレバーを開き、ロッテンフォロウというらしいクインケの、掌に入るくらいの大きさの装置をとりつけて、閉じた。
『―ーロッテンフォロウ! リンクアップ!』
「さあ、簡単に死んでくれるなよ?」
ロッテンフォロウの先端から、再び円盤が射出。それを交わした瞬間、僕は自分の目を疑った。
紐付きのヨーヨーのような動きをずっとしていたその円盤が、明らかに、慣性とか、そういうのに逆らった動きをしていたからだ。
僕の背後に回った瞬間、その先端は突如ジグザグ空中で動きながら、僕の足を狙ってきた。ぎりぎり交わせば本来はそれで終わりのはずだが、そこから更に変則的な動きをして空中の僕目掛けて飛んできた。
これは一体――いや。明らかに、キジマが腰に巻いたベルトのせいだ。
「くそ――」
『――甲・赫!』『ゲット3!』
ドライバーを操作して、僕は欠損した右腕に纏わせるよう赫子を出現させる。手先が刃になったような、そんな腕を使って飛んできたクインケをガード。
でも、打ち返されることもなくぶつかったまま、その円盤は何度も高速で回転していた。
そしてその中心部――円の中心部にある、目玉のようなそれの色を見て、僕は何かとてつもない違和感を覚えた。
――そして、僕は背後から来る一撃を避けることが出来なかった。
「――へ?」
はじけ飛ぶ、左手。肘から下が、いとも簡単に欠損。
見れば、やってきていたのは円盤。そして、その円盤の中心にも目玉のような何か。
視界に入ったのは、粉々に砕けた氷の塊。ひょっとして、これはさっき凍らせたものか?
「やはり使い慣れないものだねぇ、『遠隔操作モード』というのは」
キジマ。のそんな呟きを聞いたその瞬間――僕の脳裏には、声が聞こえた。
『――リオ、腹減ったか?』
『――リオ……、来るな! 逃げるんだ!』
嗚呼その声は――思えば、その可能性を僕は一番に恐怖していたはずだった。
『――俺が守るよ。父さんたちの代わりに……』
それが、こんな、こんな……、こんなタイミングで。最悪の形で僕に示される。
気付いてしまった事実に身動きがとれなくなる僕。キジマはそんな僕の、四肢を切り刻む。すぐさま切断しないのは、彼が甚振るという考えだからか。
痛みなど、些細な問題でしかない。例え既に手先がなくとも、事はそんな次元の話じゃない。
「兄……、さん……?」
呟いた僕に、キジマは手を止め、笑った。
「……ほぅ、気が付いたみたいだねェ。
君が、いけないのだよ。君のせいで――兄は死んだ」
彼は、僕の言葉を肯定した。
つまり。つまり、つまり、今、僕が戦っているキジマが使っているクインケこそが――。
「――このロッテンフォロウは、君の兄から作られたものだ」
示された事実に、僕の身体から不自然なまでに力が抜けていった。
兄さん。僕のたった一人の家族。兄さん。僕を守ってきてくれていた兄さん。兄さん、兄さん、兄さん兄さん――。
嘘だ、と叫ぶ僕に、キジマは酷く人の良さそうな声音で、話した。表情を変えないままに。
「彼がジェイルでないことくらい、私ははじめから分かっていた。君を割らせるためには丁度良い餌だったが……。実を言うとだね。君がRという名で連絡を寄越した時点で、お兄さんは既にラボで『目玉を刳り貫かれて居た』んだよ。箱になったのを持って来たのは、つい先日、真戸捜査官の娘だったが」
「あ……、ああ……」
「ずいぶんとあっけなかったものだよ。死に方もまぁ情けない。初志貫徹くらいはして欲しかったなぁ戦う者であった私からすれば。
最後の最後は命ごいまでして、君のことなんて頭から完全に抜けていた。苦痛に便を堪えることもできず、それはそれは惨めな死に様だった! とても君には見せられない」
「……あ、あっ……」
「さて、どうしたかね? リオくん――」
ざしゅりと、僕の耳を片方、クインケで削ぎ落とすキジマ。
それと同時にマスクが壊れて――滲んだ血で、クインケが赤く塗られた。
「――君がずっと会いたがっていたお兄さんだ。
喜 ん で く れ?」
僕は、僕は、僕は今まで――記憶を失って、
どくん、と心臓の跳ねる音。
キジマの踏み鳴らす、かつん、かつんという足音が頭の中に響く。
「なんのために……、なんで……」
「いい加減、わかれ。
私が本当にあてずっぽうで君をジェイルだと言ってたと思うかい?
兄が何故、君を庇ってわざわざジェイルだと名乗り出たかを。
じゃあ――おやすみ。せめてもの手向けだ」
兄弟仲良く箱にしてあげるよ。そう言って、キジマは
兄さん。僕は――僕は。
今までの過去と、あんていくで過ごした日々が脳裏を過ぎる。そして改めて、カネキさんと兄さんとが、自分の中で被った。
そう思った瞬間。赦さないと。許さないと。恥もへったくれもない思いが、僕の中で荒れ狂った。
心臓の鼓動の音が、もっと激しく聞こえる。
『ー―尾・赫!』『――ゲット3!』
ドライバーのその音と共に、僕は変化した赫子を振り回し、キジマを跳ね飛ばした。突然の反撃に驚いた顔をしながらも、彼はクインケを手放さない。
既に骨が見えかけている足に無理やり力を入れて、僕は立ち上がる。噴き出す血の痛みも、今や欠片も気にならない。
ひとえに僕の心は――ここで刺し違えても、キジマを殺すという意志に支配されていた。
放たれた冷気で、地面が凍る。そこには夕焼けを反射して、僕の顔が映りこんでいた。
それをちらりと一瞥し――僕は顔を上げて、キジマを睨んだ。
顔面には、左右それぞれ三本ずつ。まるで檻を連想させるような、規則的な痣が浮かび上がっていた。
エト「ウェイクアップ、さぁ解き放て! もう何も、君を縛る枷はない」
現在のリオの損壊状況:右腕は肩から、左腕は肘から下がない。両足はズタズタで尻尾を使って無理やりバランスをとっている。
キジマさんのレッドエッジドライバー装着は、長さ的に結構ギリギリという設定;
ロッテンフォロウ(リッパー)は遠隔操作することで、完全に使用者の考えた通りに丸ノコが飛行するようになってます。