何故かはわからないけど、少し解消された不安感に、僕は少し浮き足立っていたのかもしれない。
だからこそ前向きに、ジェイルを探す為にまたイトリさんのお店まで足を運ぼうという気になったんだと思う。だから、ある程度冷静に対処できた気がした。
具体的に言うと――今、14区の駅前。ヘルタースケルターに向かう途中で、僕は想定外の組み合わせの二人を見た。
一人は、ルチ。以前僕やカネキさんが戦ったジェイルの疑いがあった喰種。
そしてもう一人は――カヤさんだった。
「なんで……、なんでなんスか、姐さん!」
「……もうあの時代は終わったのよ、ルチ」
姐さん、と呼ばれる彼女の目は、どこか遠い所を見つめているようで。彼女に訴えかけるルチが、空回っているのがどうしてか痛々しかった。
少し離れた場所だったので、幸か不幸か気付かれてはいないみたいだ。そのまま隠れて、僕は二人の様子を見ていた。
「姐さんが行っちまってから、みんな荒れに荒れたんスよ。どう生きたら良いか、もうわかんなくなって……。コクリアにぶち込まれたヤツも、”猿”の連中みたいに姐さんの言ってた通り大人しくしてる連中もいる。でも、そうじゃない奴等も沢山居るんスよ!
忘れたんスか!? あの時――姐さんは、最強だった!」
「……そう、かもしれないわね。でもだからこそ、それは罪なのよ」
知らないっていうのは、時にね。そう悲しげに微笑むカヤさん。
「あの時代を、否定するんスか? 姐さん……、あなたが――」
「私は……、私だけじゃなわね。……。
あなたが何を言おうと、戻らないのよ。
「……ッ」
舌打ちをしながら走り去っていくルチに、カヤさんはやっぱり、寂しそうに呟く。
「ごめんなさい、みんな。でも……もう決めたのよ、とっくの昔に」
関係が、読めない。でも、少なからず二人は過去に面識があったっていうことだろうか。
知りたい。確かめたい。あの荒くれのような喰種の彼が、カヤさんを慕っているような、その理由を。
思わず一歩踏み出すと、途端に警戒するカヤさん。でも相手が僕とわかり、驚いた表情になった。
「……そう、あなたやカネキくんも、ルチと顔見知りだったのね……。
驚かせちゃったかしら?」
「い……、いえ。でも、その……」
「女性に過去のことは聞くものじゃないわよ? でも……。
昔ね、私、ものすごく悪い喰種だったの」
そうして語り始めたカヤさんのそれを、僕は黙って聞いていた。
「あるヒトが作った組織を、私が継いで……、たくさんの喰種を率いてた。人間も喰種も、たくさん殺したわ。
当時、古間くんの所との争いで、20区は荒れに荒れてたわ」
「古間さん?」
「彼、よく”魔猿”なんて自称してるでしょ。アレ、事実なのよ。私もまぁ、それなりにね。
……私たちは、そんな通称が通ってしまうくらいには、お互いにお互いが誰かにとっての脅威になっていた」
そうして戦い続けて、沢山のものを失って。
気が付けば、湧き起こる憎悪をどこに向けたら良いかさえもわからなくなっていた。
「私だけじゃなくって、古間くんもなんとなく、ね。お互いがお互いに疲弊してたってことかしら。
そんな時に、芳村さんに出会ってね。……実は古間くんの方が先だったんだけど、それが切っ掛けで私は生き方を変えたの。で、組織は解散。
だけど……、そんな流れを認められない子たちもいる彼はその一人よ」
「……」
「引いちゃった?」
「い、いえ。でも……何だろう、二人とも只者じゃないって感じはしてたので、腑に落ちました」
「どういう意味かしら、それ」
笑いながらこちらを見るカヤさんが怖い……。
でも、確かに腑に落ちた。カネキさんの時折見せる凄みとは違い、二人とも普段は全くそういった素振りを見せていない。でもどこかで、ちょっとした仕草ややりとりで、自分の中で違和感のようなものを感じる時があった。
それが何かと今考えれば、たぶん年季なんだろう。
過酷な状況の中で、身も心も削りきったような、そんな年月が。
だからこそ、それが古間さんやカヤさんの今を形作っているのだとしても。
「僕は、今のカヤさんの方が好きです。例え昔が、どんなに怖くても」
「……ありがとね」
くしゃり、と僕の頭を撫でるカヤさん。その顔は、やっぱりどこか悲しそうなものだった。
ルチ。彼は……、きっと、ずっと前に進めないで居るんだ。カヤさんがあんていくに入った、十年前くらいからずっと。
※
「……閉まってた」
肝心のヘルタースケルターの入り口には「本日貸しきり」という立て札と、ピエロのキャラクターがつけられたマグネットが貼られていた。夕方の時点から準備を始めているのだろうか、だとするとかなり大勢来るんだろうか……?
流石に忙しそうに中で「うぎゃー!」とか「ソイヤッサ!」とか掛け声を出しているイトリさんに話しかけるのも出来ず、扉を叩かず僕は来た道を引き返していた。
「よ!」
そんな時、背後から声をかけられた。人懐っこい感じの笑顔には見覚えがあった。
確か、ヒデさんだったか。あんていくに何度か来ている。
「やーやー。君、あんていくの新人くんだろ? 合ってるよね……、合ってるよね?」
「あ、合ってますけど」違ったらどうするんだろう。
「君、確かリオくんだったっけ? リオでいい?」
「は、はい」
「んなガチガチにならなくても……。今日はどうしたんだ?」
にへら、という風に笑いかけてくる彼に、僕は正直、反応に困った。
記憶喪失ということもあって少し人見知り、加えて「人間」相手ということも、それに拍車をかけていた。
「え、あ、えっと……、あ、遊び?」
「何で疑問系なん……? まあ良いか。
バイトは慣れた?」
「そ、そこそこです。まだまだ研修中で……」
「おお、ファイト! にしてもあそこの珈琲、美味いよなー。こう、隠れ家的なお店?
リオはどうやって、あそこに辿り付いたんだ?」
聞き方に他意はないんだろうけど、思わずドキリとされられる聞き方だった。でも幸いなことに、僕の反応を待つまでもなく彼は話を続けた。
「俺はまあ、ダチが女の子目的で連れてきてくれたのが切っ掛けなんだよなー。で、そこでトーカちゃんという美少女に出会う訳だが……。最近だと、どっちが主目的なのかわかんなくなりつつある」
「ひ、ヒデさん顔が真顔です」
「おっと、悪い悪い。そのダチにもビッグガールってハンバーガーショップで散々ツッコミ入れられてるなー。『ヒデ、女の子と肉とどっち目的なんだい』って。
まあ『両方!』って即答してるけど」
随分と、ヒデさんは楽しそうに話していた。
「ここだけの話、リオ的にはトーカちゃん、どうよ。可愛いくない?」
「え、ええ? ……あの、まあ、可愛いと思いますけど……」
「だよなー。……って、渡さねーぞ!?」
「いやいやいや!?」
突然テンションが上がった彼に、僕も釣られて大声を出した。
いや、確かにトーカさんは可愛いと思うけれど、普段の反応を見てると少しもそういう気は起きないというか……。世話になってる弟分みたいな僕としては、むしろ彼女「の」方を応援してあげたい気もしていた。
会話の途中で、その流れで僕は友達の名前を聞いた。そして驚かされた。
「名前? って、ああ。知ってるだろ、カネキ。金木研。昔っからの馴染みなんだよ」
「カネキさん……?」
「何だ、意外?」
「い、いえ……。でも、タイプが違うなって言うか」
「まー、そりゃあるかもな。でも……、うん、アレだな、とりあえず大丈夫そうだな」
突然、ヒデさんが何かうんうんと頷いたのが、僕は意味がわからなかった。
「アレだよ。カネキにちょっと相談されてたんだよ。最近リオくんの様子がおかしいというか、元気がないっていうか、まあそんなんだって」
「それは……」
僕に向けて言われたその言葉で、逆に僕の方が気付かされてしまった。
確かにここのところ、元気はなかったかもしれない。その原因が取り除きようがないのが、どんどんと僕を落ち込ませていっていた。……心配させてしまっただろうか、カネキさん。
そんな僕に、ヒデさんは一瞬ぽかんとしてから、神妙な顔になって言った。
「リオ、お前ちょっとカネキっぽいよな」
「カネキさん?」
「ああ。――自分が無理してるっていうのを、自分に対して嘘ついてる感じのところが特に」
そう……いったつもりは、ないんですが。っていうより、カネキさんがそういうタイプだというのは、不思議と納得できた。
だから一応、無関係な人間だけど言っておくと前置きしてから、ヒデさんは僕に笑った。
「……死ぬような無茶はすんなよ。お前の周り、絶対お前が大変なことになったら、悲しむ奴が居るだろ。そいつらを泣かせちゃ、いけねーよな。いけねーよ」
「……」
その言葉には、僕は何も返すことが出来なかった。
ヒデさんと別れると、もう既に夕暮れを過ぎて、夜に近い空の明るさだった。
道順自体は覚えているけど、しかしこうして夜道を歩くのは、とても怖い。捜査官に襲われる、という類のそれじゃない。まるで「遭遇しちゃいけない何か得体の知れないもの」に出くわしてしまいそうな、そういった恐怖感があった。
それこそお化けとか。あるいはもっと――。
「うふふ……、うふふふふ! お~っほっほ! 探したわよ?」
「!?」
そして、僕は背後から誰かに抱き付かれた。やわらかい感触と、独特な香り……、人間が付けている香水というやつだろうか。でも、そんな背後の彼女は間違いなく「喰種」だった。
思わず腕を引き剥がして、突き飛ばす。振り返ると、そこには、装飾具を身に付けた、派手な女性が居た。中華系のドレスに身を包んだスタイルは引き締まっていて、うっすら筋肉質。
左目の下には――痣。
「はじめまして。アタクシ、ロウと言うのよ。それにしてもあの『屈辱的な臭い』を辿ってきたら、こんなに可愛い坊やだったなんて……(ぽっ)」
「……お前は、ジェイルか?」
「あら、『前』もそんなこと聞いて来たわね」
「――」
思わず聞いた言葉に対する、彼女の返答に僕は驚かされた。「前」? 前だって?
「僕とお前は、以前に会った事があるのか?」
「さあ、どうかしら。それに……、もし私がその、ジェイルだったとしたら、どうするのかしら?」
「……あなたを、攫います」
「あらあら――坊やのくせに、ロマンチックなこと言ってくれるじゃない。
でも、生憎そんなつもりはなくってよ。もし知りたい事があるなら――
拳で、と手を握り突き出した彼女だったけど、背後には思いっきり赫子が展開していた。まるで剣のようなそれを、文字通り武器のように手に持っている。
周囲を見回すと、人気自体は少ないけど、全くないわけじゃない。
ロウは、そのまま踏み込んで僕に斬りつけてきた。反応は充分間に合った。でも、いかんせん僕は反撃するという発想にすぐになれなかった。
だからこそ、戦闘の主導権を彼女に握られてしまった。
ひたすらに斬りつけてくる彼女のそれをかわしつつ、でも退却する方向は一つしかない。結果として建物に背中をつけることになり、彼女はそんな僕の胴体を薙ぐように振り被る――。
とっさにしゃがんで頭を庇うようにした。すると、彼女の一撃が僕の背後の、ショーウィンドウの窓ガラスを粉々にしてブチ破った。マネキンがはじけ飛ぶ。店内、店外共に悲鳴が上がって、続続とヒトが逃げはじめた。
「あらあら、どうしましょうか」
「――」
やばい、このままだと勝てない。
反射的にそう思った僕は、ドライバーを腰に巻いてレバーを落とした。
『――
「あらあら……、なかなか上等な道具を使うじゃない――!」
赫子のフード状のそれを纏い、背中から二つの赫子を出現させる僕。彼女の振り下ろしに対してそれを交差させて、一撃を受け止めた。……重い。決して彼女自身の体重がという訳じゃないだろう。見た目でわかるくらいにはほんのり筋肉質なその腕と、上空からの打ち下ろしという二段構えにより、威力が上昇しているんだろう。
思わずぐらりと身体が傾きかける。でも、そのままぎりぎりで弾き返した。
「ドライバーが使えるなんて、素晴らしいじゃない……。アタクシ、ムラムラしちゃう。
こんな若い男の子の”アレ”なんて食べたら、さぞ若返るんじゃないかしら。うふふ……」
なんとなく、彼女のそんな言葉にぞわりと嫌な感じがした。……ただ、すぐに彼女は耳を澄まして、肩を竦める。
「あらあら、CCGが近くに来ているみたね。……仕方ない。今日のところは預けるわよ、君」
「預ける……? いや、CCGって」
「これだけ騒いだのだから、仕方ないわね。んー、でも――これくらいはツバつけとかないと」
「へ?」
そう言うと、ロウは僕の身体を引き寄せ、左目の上のあたりの額に、自分の唇を押し付けた。
呆気にとられる僕にウィンクして「じゃあね」と軽々しく、彼女はビルの壁を登って行った。
数秒は僕もそんな状態だったけど、流石に掴まるわけにはいかない。すぐに足早に、僕はその場から立ち去った。
気になることが出来た。
「ロウ……、一体、彼女は――」
以前の僕のことを、果たして知っているのだろうか。
その情報が手に入るだけでも、間違いなく僕はまた一つ、記憶を取り戻すことが出来るだろう。
だとすると……あんていくに着いてから、僕は携帯端末を取り出し、カネキさんにメールを送った。
エト「もうそろそろ、”檻”の積み木は崩れるよ。設定した通りなら」
ナキ「あ? アニキのつむじがどうしたって?」
エト「なんでもないよ。・・・っていうか、君本当それしかないね。君にも多少関係ある話だって言うのに」