資料室で脱走した喰種の絞込みのため、整理をしていると、ラボラトリから電話が入った。地行博士か? 受付から呼ばれ、俺は急いで向かう。
このタイミングでの連絡、どう考えても「アラタG3(仮)」に関することだろう。何か進展でもあったのだろうかと、急ぎ足になるのも無理はない。
だから、電話の相手には正直に言えば面食らった。
「はい、こちら亜も――」
『私だ、亜門一等』
聞き覚えのある女性の声だ。どこか高圧的でいて、自信に溢れた響きはどこか俺の元上官を彷彿とさせる。
俺は、彼の愛娘たる彼女に
「……確か、アキラだったか」
『ああ、そうだぞ一等。呼び方含めて覚えていてもらえたか。光栄だ。
さて、早速で悪いが仕事の――』
「ちょっと待ってくれ」
ん? と電話口の向こうで不思議そうな声を上げた彼女に、俺は前から気になっていた事を聞いた。
「君の所属は一体どこなんだ? 前々から気になっていたのだが、その……」
『ああ、当然の疑問だな。だが大した話ではない。アカデミー所属で卒業期、既に扱いは捜査官補佐に近い。一度インターンもしているしな。
だが問題はそこではないだろうな。端的に言えば……、趣味だ』
「……は?」
『何を隠そう、G3は私の趣味だ』
いいだろう、と突然笑われて、俺は反応に困った。
『真面目に答えると、レッドエッジ……、クインケの製作実習の選択授業があってだな、数年前。そこでどうやら才能があったらしく、地行博士が「ェェエキサイティングッ!!!」を連発しまくった結果、非常勤の研究者みたいなこともやることになった』
「……すまない、言っている意味がよくわからない」
『ん? 嗚呼、博士のエキサイティングは、性能の良いクインケの製作に成功すると――』
「そこではない」
『まあそこは、今度会った時にでもしよう、時間の無駄だ。
さて一等。一応、ある程度目処の立ったデチューン版が完成に近い。近々そちらに持って行くから、場所が分からなくなると困るからモバイル端末を失くすな』
以上だ、と言って乱暴にがちゃりと切られ、俺は再度反応に困った。
だが、これは大きな収穫であるとも言えた。再び、あの爆発的な力を使うことが出来る――。知らず知らずのうちに、あの日からジャケットの裏側に入れるようにしていた、レッドエッジドライバーを俺は握り締めていた。
※
”あんていく”でリオくんと三番目くらいに話してるのは、たぶん僕だ。一番は古間さん。入見さんには何故か照れたりしていて、トーカちゃんや西尾先輩が様子を見て声をかけていることから考えても、たぶんそうだ。
店長があまり店内に居ないということもあり、そしてリオくん自身が積極的に周囲に自分のことを言わない事も手伝って、ここ数日は彼自身が一人で動いている、と思う。
だからこそ――僕は彼の背中に、お母さんのそれを重ねてしまう。
「様子が変?」
「ええ。何か良い案がないかなって」
閉店間際のあんていく。店が閉まるタイミングなら店長が来てるかと思ったのだけれど、どうやら今日は四方さんが鍵を預かってるらしい。
そんな理由から、僕は現在、バンジョーさんと四方さんに、リオくんのことを相談していた。
「……」
四方さんは無言で、僕とバンジョーさんに珈琲を淹れてくれた。
「様子が変って、どういうことだ?」
「んん……、なんというか、言葉が届いていない感じ、ですかね」
まず一点。ここ数日、リオくんの笑いがどこか固い気がする。トーカちゃんも言っていたけど、明らかにどこか元気がない。次点で上の空というか、話を聞いていてもどこか、少し虚ろな気がする。
何に起因することなのか、ということまでは聞いていないけれど、少し心当たりのようなものはあった。
ただ、それを彼に直接言った所で、きっと無力感を煽るだけにしかならない。
他ならぬ僕自身が、過去にも現在にもそうなのだから。
「……俺は、あいつとはそんなに話してないけどよ」
そう前置きしてから、バンジョーさんは言葉を続けた。
「でもなんとなく、リオは俺と同じ感じがする」
「同じ感じ?」
「嗚呼。何かを焦ってるんじゃないか? 俺は、早く強くならなきゃいけないと思ってる。
リオにも今日、ちょっとだけ練習に付き合ってもらったんだけどよ」
焦ってる、か。やっぱりバンジョーさんから見てもそうなのか。
四方さんの方をちらりと見れば、無言のまま一回頷いた。そのままバンジョーさんに向けて一言。
「……焦る必要はない」
それ以上の言葉が続かないのは、もう仕方ないところなんだろう。疑問符を浮かべてるバンジョーさんに、僕は続けた。
「前に言いましたよね。みんなで強くなれば良いって。だから……、自分を押しつぶしてまで強くなろうと、するのは何か違うと思うんです」
「……」
「強くなろうとするのが、悪いということじゃないです。ただ、そうですね。そんなに自分を、追い詰めないでください」
「……リオにも言われたな、そんなこと」
へ? と頭を傾げる僕に、バンジョーさんは少し照れたように笑いながら言った。
「『強くなくても良いんだ』って言われちまった。……お前と話したり、ついていったり。仲間たちの恩もあるし、何より俺が力になりてぇって思ってるから、だからどうにか強くなりたいって焦ってる。
でも、俺の良いところを忘れないで欲しいってよ」
「そう、ですか……」
「良いヤツだよな、リオ。記憶がなくったって、誰かの痛みに寄り添おうとすることが出来る」
「はい」
きっとリオくんのそれは、本当に自発的なものなんだろう。自分の記憶とお兄さんのことと、ジェイルのことと。多くの板ばさみの中にあって、自然とそういった言葉が出てくるのは、本心から言えるということなんだと僕は思う。それが、なんだかちょっと羨ましかった。
だって僕がもし、そう考えるのだとすればきっとそれは―ー。
「まあでも、やっぱリオのことは力になれそうにない。悪ぃ」
「それは、こっちの方で考えます」
「――研」
四方さんは、苦笑する僕に向けて、ゆっくりと言った。
「お前も、無理はするな」
「……はい」
即答することが出来なかったけど、それでも表面上は、僕は答えることが出来たと思う。なんとなく顎のあたりを軽く引っ掻きながら、僕は店の窓から空を見上げる。
生憎と曇っている夜の空模様が、どうしてか僕には不吉なものに感じられた。
※
「……」
先日、ジェイルじゃないかという疑いのあった喰種、キンコがバラバラにされて殺されたらしい。勿論、捜査官によるものだろう。写真こそ報道されてはいなかったけど、イトリさんの情報によればチェーンソーや丸ノコのような、回転刃のようなクインケで殺されたんじゃないかということだ。
僕は、手が震える。
お店でお客さんに声をかけている時とかにも、頭の片隅にこびり付いて、言いようのない不安感が拭えない。
そんな風に考えながら珈琲を飲んでいると、何か、物が割れるような音が聞こえた。
「あー……、すみません……」
どうやらトーカさんが、手を滑らして割ってしまったらしい。床に珈琲が零れている。カウンター前に居た、ちょっとホームレスっぽい感じの喰種が「うへぇ~手、大丈夫?」と笑っていた。
そしてニシキさんが、半眼になり鼻で笑った。
「なーにやってんだよ色ボケトーカ。ハッ、カネキ居ないからって気、抜けてるんじゃねーのか?」
「あ゛?」
「おいシマシマ、丁度良いから片付け頼むぜ。」
「へ!?」
「ちょっとニシキ、勝手なこと言うなよ。今日コイツだって休みだし、接客とか色々見てるんじゃないの? ……っていうか、大体、何アンタが偉そうに命令してるワケ?」
「あぁ? 偉そうも何も、今日ジィさん居ねぇし、古間さん達は今買出し、つまり今、俺がトップだろ!」
どん、と胸を叩くニシキさんに、店内の視線が生暖かいものになった。
カウンターで踏ん反り返るニシキさんに、トーカさんがカウンターを叩いて食って掛かった。
そして、そんな調子だったから、店内に入ってきたカネキさんには気付いていないみたいだった。
「はぁ!? 何言ってるのよ。私がここで働いて何年なると思ってるよ!! あんてじゃ私の方が上でしょーが、クソ新人!」
「知らねー、知らねー。つーか、お前と違って俺もの覚え良いんで、仕事だってセ・ン・パ・イと変わんねーぐらいこなしてるし、年も俺の方が上だしなァ、クソガキ!」
「んだと弱っちぃくせに、もいっぺん切り刻んでやろうかテメェ、あ゛!?」
「はぁ~? なんで暴力のハナシになるんですかね~センパイ!! やっぱ脳みそ足りねぇから腕力選ぶってことッスかね~? つかテメェなんかに負けるかクソ女!」
店内のお客さん、人数多くはなかったけど、少し困惑する人も居たけど、慣れてるのか生暖かい目で見つめる人も多かった。
そして僕はおろおろする側。
「あ、あの掃除なら僕、しますから――」
「ああ!? 何だそりゃ!!」
ええ~……!?
「邪魔しないでよ、ちょっと!」
「いや、あのそれでもケンカは止めて二人とも、お客さん見てますよ!」
「見せとけんなモン、面白がって余計客来るだろうが! 多少危なっかしい方が店は儲かるんだよ!!」
「ちょっと、二人ともってどういう意味!? 悪いのはクソニシキだけでしょ!」
ケンカを止めようと前に出たけど、もはや掃除のハナシも眼中になくなってしまっているようだ。ヒートアップしていて、静止が全く耳に入っていない……。
「と、とにかくケンカは――ごるぱッ!?」
「っせェ、退ケッ!!」
「テメェ、ニシキ!!」
そしてそれでも仲裁しようとする僕に、取っ組み合いを始めかけた二人のエルボーとかが、僕の顔面にヒット。そのままぐらりと身体が傾く。
瞬間、視界に入ってきたものは。
「……二人とも」
そして途中から見ていたカネキさんは、トーカさんの首根っこを掴んでひょいっと少しだけ引いて、背中を抱き止めた。「ひゃぅ」とか妙に想定外な声がトーカさんから漏れた。反射的なのか、自分の体を抱きしめるトーカさん。
僕の方からは見えなかったけど、その時のカネキさんの顔を見た二人は、ものすごく顔が引き攣って、汗を流していたように見えた。
気が付くと、カネキさんが僕の身体をゆすって、声をかけていた。
「リオくん? リオくん?」
「ホント大丈夫なの?」
「シマシマ、おい」
カネキさんだけじゃなく、ニシキさんやトーカさんたちが一斉に顔を覗いていて、ちょっとびっくりして飛び起きた。咄嗟にカネキさんが手をかざして、額と額の直撃は避けたのだけれど、それでも猛烈な「寒気」を感じて、僕は背後にずざざっと下がった。
僕の無事(?)を確認すると、周囲の人達が元の席に戻っていった。良かった、とカネキさんが笑う。どうやら気絶したらしい。そして、それほど時間は経っていないと。場所は2階らしい。
「大丈夫かよ、シマシマ」
「あ、えっと……、はい」
「アンタが突き飛ばすからでしょ」
「ああ!? 俺だけじゃねーだろ。大体テメェは――」
「はいはい二人とも、仲良く」
カネキさんが二人の脳天に一発ずつチョップを入れた。二人とも、流石に負い目があるのか反撃もしなかった。
「……リオくんごめんね、なんか、荒っぽい先輩ばっかりで」
「「……」」
ばつが悪そうに頭を押さえて、地面とか天井とかを見つめていた。
なんとなく、カネキさんの方が先輩っぽく見えてしまったのは仕方ないと思う。
「その……、悪かったな、大丈夫か?」
「いや、喰種ですし、たぶん大丈夫だと……」
「二人とも、すごく心配してたからね」
「へ?」「「!!」」
「仲裁してすぐ、わたわたしてたし」
「いや、あ、焦るでしょそりゃ……」
「死んだか思ったし……」
少しだけカネキさんの口調に、容赦がない気がした。
でも……、そうか、心配してくれたのか。
傷こそないけど、頭の奥がなんか、少しがんがんと響く感じがしないでもない。それが左目の奥の、いつも痛みを覚えるところと共鳴でもしてるのか、断続的に痛みが走っていた。
そして、ふと気になった。
「あの、お店は……」
「一瞬閉めた」
「一時的にね。リオくんを運ばなきゃいけなかったし、古間さん達にもメール送らなきゃいけなかったからね。
ちなみに、二人とも帰ってきたから下でもうやってるよ。後で顔見せに行こう」
「……あの、迷惑かけちゃって、すみません」
「あ……、いや、まあ、俺らこそ、悪かった」
「……ごめん」
素直に頭を下げた後、照れ隠しなのか「まあ、お前死んだらシフト増えるからな」「そ、そうね、それ困るし」と言っていた。カネキさんがそれを見て、くすくす笑う。
「結構、二人とも似たもの同士だよね。なーんか聞き覚えのあるセリフもあったし」
「……」
「聞き覚え?」
そして、カネキさんのその一言にトーカさんが慌てて顔を逸らして、何とも言えない笑顔を浮かべていた。
そんなやりとりを見ていて、僕は、なんだか不思議とほっとした。
震えていた手も、いつの間にか治まっていた。
まだまだ見習いなんだけど、嗚呼――僕は皆の仲間になれたような気がして、みんなの居場所に居られるような気がして、嬉しくて、安心して。
じんわりと染みたその感覚に、何か込み上げてくるものがあった。
「あの……、ケンカは、しないでくださいね?」
「ん? ……」
「……へいへい、トーカがつっかかって来なけりゃな?」
「あ゛?」
「トーカちゃん、どうどう。……二人とも、いい加減にしないと入見さん呼んでくるよ」
「「すみません……」」
「あはは……」
カヤさん、凄んでもいないのに怒ると結構怖かった。
そういえば、カネキさんはどうしてこっちに来たんだろう。そう思いはしたけど、彼は僕の表情を見て、意味深に頷くだけだった。
カネキ「・・・二人とも」
トーカ「ひゃぅ・・・(へ? 何この状態、って顔近い! いやでも怒ってる? ちょっと待って待って、なんか混乱してきそ、顔熱い)」
ニシキ「(トーカ、今一瞬色ボケたな)」