キンコの情報を得るにはどうしたら良いか。焦燥感に身を焼かれているからか、僕はカネキさん達に相談せず、ひたすらに走った。
何故走っているかと言えば、この間僕に話しかけてきた捜査官の後ろ姿を見かけたからだ。ニット帽を深く被り、僕はその後を付ける。幸い向こうは気づいていないらしく、そのまま彼が、ファンシーなお店の中に入るのを目撃した。
入り口で、メニューを見ながら悩んでいる風を装いながら彼の席をちらりと盗み見る。
なにやら店内で、ノートを取り出してさらさらと書きながらデザートを食べたりしている……? 好きなんだろうか、ちょっと意外だった。
この時点で僕が思い付いたことはと言えば、捜査官が喰種を探すのを遠くから見ていれば、いつかはキンコに当るだろうということだ。あるいは捜査官側がキンコについてあらかじめ知っていて、その資料を持っているだろうかというくらいか。
イトリさんは所在不明とは言ったけど、でもあのタイミングで僕に言ってくるのだから、おおよそ20区付近には居るのだろう。
でも……、果たして僕のような記憶喪失の喰種が、尾行して気付かれずに居られるだろうか。考えながら、僕はしばらく様子を見ることにした。
あの捜査官の人は口一杯にパウンドケーキを頬張っていた。……顔はすごく凛々しいのに、その動作だけは妙に子供のようだった。そうこうして食べていると、短く髪を刈り上げた、ちょっと変わったヘアスタイルの人が現れた。服の隙間から包帯が見え隠れする。体格は男性と同じ喰らいで、年は彼の方が上に見えた。彼も捜査官なんだろうか……?
そんな時、遠くから刃物の音のようなものが聞こえた。路地の裏側、ここからそこまで遠くはないはずだ……、そして聞こえる悲鳴と、うねる筋肉のような音は、たぶん赫子。
思わず反射的に、僕はその場から離れて音の方へと向かった。
「弱すぎです」
あっという間だった。
白い髪、中性的な容姿。ほっそりとした首筋には縫い目に、サスペンダーのかかったズボンからはシャツが適当にはみ出していた。
そんな彼が、目の前にいた喰種をバラバラにするのが、一体どれほど短時間だったろうか。ナイフのようなクインケを持っていたことからして、おそらく彼も捜査官なんだろう。
しばらくじっと見つめた後、少年は「あ、まずいです」と携帯電話を取り出して、どこかに連絡を入れる。
「篠原さーん、ちょっとやっちゃいました――」
陽気に笑う彼の身体には、返り血がびっしりと跳ねていて、それが見ているだけで恐ろしく、同時に胸の奥の焦燥を搔き立てた。
もし、仮にこんなのにキンコが見つかってしまった、奴がジェイルかどうかさえ判別する前に――。
音を立てないようにしながら、僕は背を向け急いでその場を後にしようと――。
「ばぁ」
「うあああああああああ!?」
思わず倒れる僕に、少年はけらけらと背後で笑っていた。
「どうして逃げるんですか? せっかく見たんだし、最後まで見ましょうですよー」
「い、いや、あの――」
「あ! 血がついちゃいましたですねー。いけません、いけません」
どこまでが本気でどこまでが冗談なのか、僕の肩を叩いたから、そこに血が染みてしまった、と言いたいのだろう彼は。
でも、正直なことを言えば僕の心臓はあらん限りの警戒信号を発していた。
「で、あなたは捜査官ですか?」
ぼうっとしているように見えて、彼の全身からは力は抜けていない。構えも解いていない。
答え方一つで、僕の首が飛ぶ事は確定していた――。
僕は、ない頭を総動員して、答えた。
「……捜査官、に、なりたいが正解です」
「ほぇ、そうですか」
この答えが正解だったのか、彼はクインケを仕舞い、腰のポーチについている目玉のような装置のボタンを押した。光が消えて、電子音が鳴る。電源でも落としたのだろうか。
「僕は鈴屋什造です。君は?」
「りー―リンタロウです」
脳裏に、かつてカネキさんがトーカさんに却下されていた呼び名が浮かんだ。
「僕、これから行く所があるんで、えーっと……、危ない危ない、大きな喰種を殺しに行くんですよ。傷ある。
だから、ファンでも連れてはいけないです確か」
「た、確か?」
「はい。キジマさんが言ってましたです。
なんで、夜道には気を付けて帰ってくださいね」
そう言いながら彼は喰種の死体からもナイフを抜き、腰一帯に巻いたポーチ? のようなそれに収納していった。一通り終わると「じゃ」と笑って走る。
その背中を、僕は茫然と見送っていた。……いや、それどころじゃない。
キジマという名前が出たのにも驚かされたけど、それ以上に。
倒れた喰種の、その近くに写真が一枚。たぶん戦闘中に落としたものなんだろうけど、それを拾い、僕は愕然とした。
長い髪に、大柄なことが人目でわかる肩幅。
表情は憮然としていて――何より、顔には横方向に三つの大きな傷痕。
写真の裏には「KINKO」と走り書きしたように書かれていて、僕はそれが、今日探していた相手だと知った。
そしてその瞬間――僕は背後に、猛烈な威圧感を覚えた。
なんだ、この気配は――。
猛烈な威圧感に、咄嗟に僕は振り向く。
「……
路地の向こう、大通りの電柱の上。丁度こちらを見下ろす形で、屈強な男が立っていた。全身をまるで鋼で磨き上げたような、立ち姿は武人と言うべきだろうか。作務衣のような服に、立派なヒゲを携えている。
こちらに向けて飛び降りて、彼は音もなくこちらに近づいてきた。
「我が名は――
「え、ええ!?」
そっくりそのままお返しします。
「その練武……、内に秘めし、
主、儂と勝負せい!!」
「しょ、勝負?! あ、あの――」
「例え
低く腕を構えると、彼はそのままこちらに突進をかけてきた。それは僕がやるような突進とは訳が違う。明らかに、特定の思想に基づいた、相手の身体を破壊する理屈が働いたもので――。
「……
「が――」
肘打ち一発を腕で庇っても、ミシミシという音が、腕の中で響いた。
そのまま壁に打ち付けられる僕。鯱と名乗った喰種は、こっちの様子を伺いつつ構えを解かない。
そのまま僕は力が抜け、一度その場に倒れる。顔にこびりつく、捜査官の少年に殺された喰種の血。
無理やり立ち上がって特攻をかけても、しかしそれも往なされ、殴られ、弾き飛ばされる。とてもじゃないけど、これは一方的な蹂躙だ。あの少年を追わないといけないというのに、これじゃ――。
「超! 未熟!」
足腰に力が入らず、倒れ伏す僕。鯱はそんな僕に、叫ぶ。
目の前には、たぶん落ちたんだろう、転がる僕のクインケドライバー。
それを見つめていると――ふと脳裏に、何かが過ぎった。
――誇って良いんだよ? 君は明らかに、人より多くのものを授かった存在なんだから。
眼窩の奥に響く、聞き覚えのあるような、ないような、そんな女性の声。それを聞いている僕は、四肢の自由が利かなくて――。猛烈な左目の奥の痛みに声を上げる僕。
――それでも怖いって言うのなら、私が背中を押してあげる。
「あ、ああ……」
恐怖が、込み上げてくる。痛みと、彼女に聞かされた、全てを失うイメージとが。
軽く微笑む彼女の穏やかさが、それを嘲笑うように僕に与える苦痛の凄まじさと比例して。
力の抜けた僕の左手に、込み上げ、動かし。
――何も出来ない
映っては消える記憶の中の僕は、壊れた。
「あああああああああああああ――ッ!」
ドライバーを手に取り、勢い良く立ち上がった。鯱が「
脳裏にフラッシュバックするよう点滅するのは、シルエット。青年のような、少年のような。腰にドライバーを巻いた。そのシルエットは、右手でレバーを押し、左手をその腕に添えるように構えていた。
僕はその動作に一部習い、右手を左側にもっていって、握り。
嗚呼、たしかこう言うのだろうか――。
「――変身!」
『ー―
レバーを落としたその瞬間、左と右から交互に電子音が鳴り、バックルになる直前の赫子と同じ色の何かが全身から噴き出し、僕の胴体を被う。
袖の長いロングパーカーのような、紫色のそれを翻し、僕は再びドライバーを操作した。
『――
使い慣れた尾が冷気を放ちながら出現。それを振り回し、僕は鯱の胴体を凪いだ。
カネキさんが以前言っていた通り、僕はかつてもこうして変身していたのかもしれない。少なくとも今、ドライバーを使った戦い方に何一つ違和感を抱いていないのだから。
「小癪……!
鯱の背中から出た赫子に、反射的に僕はまたドライバーを操作した。
『――
ドライバーが呼称するそれに果てしない違和感を覚える――そんな赫子を、僕は出せなかったはずだ。でも、頭で考えていることと違い体はまるで『そうするのが当たり前のように』、背部から光沢を持つ、裏側が橙色の赫子を出した。
そのまま僕は鯱の胴体に数発喰らわせて――ベルトのレバーを、二度落とす。
『――ゲット3!『
その状態のまま、僕は地面に蹴りを入れる。すると、僕の身体はたちまち重力の枷から解放された。背中を見れば、そこには赫子で出来た大きな翼。
呆気にとられたような鯱をはるか地上に置いていき、僕は上空で、東京を見下ろす。
光に包まれる街。様々な人や、喰種が一望できる。
耳をすませば、小さな会話も――。
『――大きいですねぇ。ママ以外、喰種の中でも始めてみるくらいです』
「!」
わずかに聞き取れた、什造というらしいあの捜査官の声。
思わず僕はマスクを付け、そちらの方へ向けて羽ばたいた。
※
巨体のキンコを前に、あの少年捜査官は何一つ動じていなかった。
いや、むしろナイフ状のクインケだけで、どうしてこれほど闘えるのか。
「大きいのまだまだ出来ないですからねー……? おや、一人増えましたか」
倒れて腕を抱えるキンコを見つつ、少年は僕の方を見る。既に帽子はどこかへ飛ばされ、あの時とは印象が違っているはずだ。そのお陰か、どうやら気付かれてはいないようだ。
「いたい……、いてぇよおおおおおおッ」
僕は、キンコと少年との間に割って入るように、上空から降り立った。少年の隣には、もう一人、少し前に見た、特徴的なヒゲの男の捜査官。
痛みに叫び声を上げるキンコ。赫子を出してはいるけど、その片手は既に存在していない。
一歩遅かった。もう少し早く来れれば、もしかしたら逃げることが出来たかもしれないのに――。
キンコを庇うように前に出て、ドライバーのレバーに手をかける僕。と、そんな背後から、絶叫しながらキンコが走り出して、彼等に激突した。
「おまえら、花、おで、いじめる――許さ、ないぃぃぃぃッ!!!」
「おぉ――」
「什造!」
大きな鉈のようなクインケを使って、大柄な捜査官は什造を庇った。
みしみし、と音を立てるクインケに、その背後から「まずりましたか、篠原さん」という声が聞こえた。
キンコが腕力任せで弾き飛ばした瞬間、僕はレバーを操作して、背後から尾赫を出す。
「はあああああ――」
そのまま冷気をまとった尾を振り回し、少し離れた二人にブチ当てた。
驚きながら吹き飛ばされる男性と、ひょいひょいとそれでも体勢を立て直す少年捜査官。
「まったく、分が悪いねぇ。キンコだけならともかく、何だいあの喰種は」
「篠原さん、クインケが――」
『――オニヤマ・・・、オニヤ・・・、オニ、オ――』
「嗚呼ダメだこりゃ、制御系がイカれちまってる。
一旦引くぞ、什造。どの道、サソリだけじゃあの巨体には押し勝てない」
「……むぅ、はいです」
不服そうにしながらも、二人は急いでこの場から走り去って行った。
マスクを外して僕は、改めて彼を――キンコを振り返る。
巨体の彼は、失った腕を押さえながらも、でも地面のある場所を庇うようにして泣いていた。
写真で見るよりもあまりに大きな身体に、思わず畏縮しかかるけど、でも腕を失ったことよりも、何か別なことに哀しんでいる様子が気になった。
「えっと……、キンコ、さん?」
「ナ……、ナ……ハナ、誰か折られた」
まるで小さな子供のように、キンコはそれを、とても悲しそうに言う。巨体に反して、どこか優しげでさえある彼……。
見て居られず僕はそのまましゃがみ込み、カネキさんに前に読ませてもらった本の知識を使った。
簡単に言えば、小枝を使って添え木をしたのだった。
「……ナニやってる?」
「こうすると、花も治るんだよ。人間も骨折を、こんな感じで治すらしいんだ」
「ニンゲン……、ほね、オれたらそれやってた?
ニンゲン、かしこい。花、なおる――オマエ、イイヤツ!」
「わ!」
突如立ち上がると、キンコは僕を抱えて抱き上げた。まるで高い高いされているような感じなのだけど、彼くらいの大きさ(2メートル行ってるんじゃないだろうか)からすれば、もうそれは怖いの領域にいってる。
「僕は、リオ」
「リオ? オデ、キンコ」
「うん、知ってる。
あの、出来ればでいいんだけど、少し頼みを聞いてくれないか」
「? オマエ、ナニスル?」
花を助けたせいか、キンコは僕の話をすんなり聞いてくれた。悪い奴を追ってる、とか、オレ悪いやつじゃない、といったようなことを言いながら、写真をとった。
確かにキンコは強い。見るからにあの少年よりも強そうな捜査官を往なしたことからしても、間違いなく。でも僕の中で、ジェイルのイメージと一致はしない。このキンコは、確かに話すのが少し難しいけれど、でも根は優しい喰種そのものである気がしていた。
しばらく待ってもらうように言ってから、僕はキジマさんにメールを送った。カネキさんが居ないので、文面は作らなかった。
やはりこれも、数分とかからず返信が返って来た。
『R様
度々の情報提供、感謝致します。キジマ式と申します。
受け取った写真についてですが、今回も残念ながらジェイルではありませんでした。
くれぐれも、無理はなされませぬよう
from キジマ式』
相変わらず、文面は丁寧だ。今回は以前よりも簡素になっているのは、少し距離を置いて撮影させてもらったからだろう。
帰って良いか、と尋ねるキンコに大丈夫だと言って、僕らは別れた。どうしてか、正直に言えばあの喰種がジェイルじゃなくて、どこかほっとしている自分が居た。
でも、それは必然ジェイルが誰かまたわからなくなったということでしかなくて、きっと兄さんのタイムリミットは、刻一刻と迫っていて――。
ニ、三日後、あんていくに置いてあった新聞で、キンコがバラバラ死体になって発見されたという話を見た。
リオ「……」
トーカ「ヒナミには見せられねぇな、これ……。って、どうした?」
リオ「……何でもありません」
リオは変身して、ようやくパーカー羽織ってる状態になるイメージです。変身して上着が現れるイメージです