車に乗り込むと、守峰さんはすぐにアクセルを踏んだ。
移動中じゃないと話せない内容なのかと思って居ると「善は急げだ」と彼はこちらに視線を寄越した。
「何があったんですか?」
「簡単に言えば、あの幸薄そうなねーちゃん、内海小春について調べた。流石に半日足らずは手間だったが、まあバッグ乗ってるだろ? それ開けて見てくれ」
クラを置く関係で後ろの座席に座った俺は、助手席にあるバッグを開けて中からファイルを取り出した。
「なんでこんなことを……」
「勘だ、って言うとどいつもコイツも評判悪いから、言うなれば経験則だ。覚えがあるだろ? そっちも」
コピーされたプロフィールの紙は、要点部分だけ赤いボールペンで線が引かれている。
「内海勇次郎。貿易会社社長――」
「この辺じゃ名前の通った所だ。で、娘28歳。拾われたのは―ー十八年前」
十八年。その言葉に、俺も流石に何かを感じた。
だが、いやそれは……。
「前に聞きこみした時は軽く流してたけど、どうもその時に親が『殺された』らしいんだ。その後に拾われたんだと。で今回、その情報を調べたんだが――なかったんだよ」
「……はい?」
そんな事件の記録などない、と彼は言う。
「俺としては、それが決定的だ。あのねーちゃんは、嘘は付いてない」
「だったら何故―ー」
「なあ、亜門サン」
彼はこちらをちらりと振り返り、皮肉げな笑みを浮かべた。
「警察のデータベースで管理されない『死体』って――警察に保護されない『被害者』なんて、もうこの世界じゃ一つしかねーだろ」
俺は、その言葉に足場が崩れ去るような錯覚を覚えた。
何かを続けようと口を開いた瞬間、携帯が鳴る。柳さんだ。ハンズフリーにして守峰さんにも聞こえるようにする。
『亜門君、遅くに悪いけどちょっと確認したいことが――』
「柳さん、あの……、いえ、先にお願いします」
『そうかい? じゃあ言うけど。あの後東條と飲みに向かったら、前に君と一緒にいた彼女が居てね。で東條が調子にのって彼女と番号交換して――』
小春さんだ。いや、だとすれば何故――。
『でその後、二人で飲んでたら途中で東條の奴に「食事行きませんか」ってメールが入ってな。出会ってすぐそういうことするヤツは信用ならんと教えたんだが、飲み終わったら二件目行くこともなく――』
「もしかして、連絡も?」
『メールも電話もダメだ』
顔を見合わせる、俺と守峰さん。俺が何か言う前に「今向かってる最中だ」と言った。
「柳さん、東條さんが危ないかもしれません!」
『な、何!?』
窓を開けてパトランプを車に装着すると、守峰さんはアクセルを更に強く踏む。
勢い良く揺られながら、俺は柳さんに事情を説明した。
※
内海の家は、河川敷に程近い。加えて離れのようなものまで備えた豪邸だった。
車を降りると潮風が香る。鼻の奥に一瞬痛みを覚えた俺は、押さえてからクラを取り出した。
事は、急を要するかもしれない。万が一何かなくても、俺が処罰を受ければ良い――。
俺に聞いてくる守峰さんを退かせ、クラの起動装置を動かした。
『――クラ・スマッシゃー!』
「うお! すげ……」
クラをそのまま一歩引き、鐘に丸太をぶつけるように、叩く。
一撃で門が大きくひしゃげたのを見て、俺は守峰さんに叫んだ。
「守峰さん、いざとなったら退散してくれ! 人間相手だと危険だ、カバリングできないかもしれない!」
「アンタは人間じゃねーの!?」
「喰種捜査官だ!」
「バケモノってルビふられてねーか、それ!!」
からかうように言っているのは、気が動転してるのか彼なりのエールなのか。
周囲を確認すると、離れの方だけ電気が付いている。ここから走ると、壁がいくつか並んでいて邪魔だ。即決で俺は、制御装置を再度操作し、バットを降るように構えた。
『――リコンストラクション!
クラ・フルスマッシュ!』
「おおおおおおおおおおおおお――ッ!」
「うわぁ……」
一直線ルートを作った俺を、明らかに引いた目で見てくる守峰さん。先ほどまでとは違い、今度は割と本気のようだった。
それを無視して走り、数分で離れの方へ。
そして、彼女は居た。
小春さんの手には、クインケのアタッシュケースが握られていた。制御装置は外されており、見た目は妙な形状の固定具が付いたアタッシュケースそのもの。
「ようこそ。思ったより早かったです」
「……東條さんはどうした」
俺は――今にも泣き出しそうな目をしながら、こちらを伺う彼女に、叫ぶことが出来なかった。
彼女はさっと視線を動かす。大きなテーブルの上には刺繍が被せられており、彼女はそれをさっと開いた。東條さんは、猿轡をされ拘束されて、叫び声を上げていた。
「やっと決心が付いたんです」
彼女は東條さんをこちらに投げる。守峰さんがそれを掴み、彼の拘束を外していった。
「いつか決めなくちゃって思ってた。……どうしても、どうしてもそれでも、やっぱり生きたいって。
でも、生きるためならもっと綺麗な方法だってあった。……綺麗なんかじゃ全然ないけど、でも、それでも『あんなこと』しなくて済んだのに――」
「一体何がしたいんだ、貴女は――ッ」
彼女は目を閉じて、開く。そしてその色は、赤く、黒く染まっていた。
喰種の象徴の一つー―赫眼。
そして背中から、靄のような霧のようなものが噴き出し――まるで、蜻蛉のような羽根を作り出した。
「――だから、もう良いんです」
寂しげに微笑みながら、彼女はこちらに突貫してきた。
俺は、すかさずクラを振る。相性ではこちらの方が優位に立てるはずだ。だが――。彼女は東條さんのクインケを盾に、こちらの直撃を交わし、衝撃を緩める。
だが、それだけだった。彼女は終止、攻撃してくることはない。
最初の特攻、というよりも距離を詰めるそれか。その初動以降、一切攻める姿勢が見受けられない。
羽赫は防御に回られると確かに対応が面倒だが、しかしそれ以上に腑に落ちない。何故スタミナ切れが弱点の羽赫であるにもかかわらず、こんな、こんな回りくどいことをするのか――。
『――リ・ビルド!
クラ・ツインバスター!』
「――ッ!」
クラを分割し、驚く彼女に投げつける。アタッシュケースで守ろうとも、総重量の半分を乗せたこの一撃は、かなり重いはずだ。
そしてアタッシュケースがはじけ飛んだ瞬間、俺は彼女の方へ向かう。
その瞬間――何故か、彼女は立ち上がり、両腕を広げ――。
俺のクラの一撃が、彼女の胴体を薙ぐ。
それを受けながらも、小春さんは、俺を突き飛ばした。
――瞬間、その場に雨のように「赫子」の弾丸が降り注いだ。
「な――」
「あーあ、しくじった」
その声の方角を見れば、刺繍の施されたマスクを付けた喰種ー―。
「足が付く前に殺したかったけど、あーあ面倒。
っていうかそこの馬鹿、俺もハメようとしやがったな?」
羽虫のような赫子を背中から生やしたその男は、降りて肩をすくめる。
その場で倒れ伏した彼女を一瞥して、俺は睨む。
「お前は、何だ――」
「どうせもう金ヅルとして使えねぇし、とっとと諦めるしかねーなこりゃ。
ま、でもムシャクシャすんのは事実だし、お前等――死んどく?」
『――ノヤマ!』
背後で「あ、俺のクインケ!」と叫ぶ東條さんの声が聞こえたが、急いでおれは彼等の前に出て、半分のクラを盾のように構えた。
金ヅル、という言葉からしてコイツは、あの時の兄の方か。
だとすると、嵌めるとはどういうことだ?
ノヤマの狙撃を止め、喰種はそのままこの場を退散しようと踏み出す。
俺はクラを投げ、ヤツにぶつけようと――。
「馬鹿かッ!」
「――っ」
そして、ヤツはそれをひらりと交わし、再び赫子の射撃をした。
逃げる動作ははじめから囮だったか。いや、しかし――。
真戸さんの言葉が不意に脳裏を過ぎる。焦る状況において俺はどうしても、直線的な攻撃しか出来なくなると。守峰さんの言葉が思い起される。猪突猛進で周囲が見えないのではないかと。
だが、俺はこの場で引ける場所もない。引く気もない。
張間――。俺は両腕を交差させ、守峰さんと東條さんの前に立ち―ー。
「――こ、たろ、う、さんッ!!!」
俺の前に、既にボロボロになっていた喰種が――小春さんが、庇うように立ちはだかった。
俺は、訳が分からなかった。
頭が真っ白になると同時に、反射的にこちらに倒れ込んだ彼女を抱き止めた。
「な、にが――」
「よか、た……っ」
わずかに微笑む彼女の考えが、俺にはさっぱり理解できない。
ノヤマのガス欠か、狙撃が止み、ヤツはクインケを放り投げる。「まだ弾は残ってる」と言いながら、背中の赫子を展開しはじめ。
「亜門サン―ーっ!」
しかし、俺は頭が真っ白になったように、どうしてが次の行動が出来なかった。
相手は喰種だというのに。憎むべき怨敵であるはずなのに。どうしてか今この瞬間、彼女に張間の姿がダブった。
――そんなタイミングで、猛烈なエンジン音が鳴り響いた。
「あ゛? これは――」
男が音の正体を探すよう頭を振ると、天井近くのステンドグラスが猛烈な勢いで破壊され。シャンデリアもなんのその、威風堂々無視するように、背後に爆炎を上げてスポーツバイクがこの場に乱入した。
バイクを回転させながら、そのヘルメットにライダースーツの運転手は、空中でバイクを回転させながら狙撃。シャンデリアを落し、喰種の真上に落下させた
これにはたまらず身を捻り、後方に飛ぶ男。だがその瞬間、バイクの上から運転手は再度狙撃。片足を居抜いた弾丸。喰種は叫び、足を押さえた。
「Qバレットはあまり好きじゃないんだが、たまには役立つものだな」
「お、お前は―ーっ!」
運転手は、俺の真横にバイクを止めると、そのままヘルメットを脱ぎ去った。
特徴的な白い髪に、美しい容姿。何より敬愛する師を思わせる目の鋭さは、間違いようもない。
「誰だ乱入者――?」
「――勝利の女神だ」
腰に拳銃を引っさげたライダースーツの彼女は、真戸アキラに違いなかった。
「あ、アキラさ――」
「アキラで構わん。何をしてる、亜門一等? その女性は――」
「……庇われた」
俺の言葉に、彼女は怪訝な表情を浮かべる。小春さんの背中からは明らかに赫子とわかるそれが出ている。
しかしアキラさん――アキラは「変わり者もいるな」とだけ言って、軽く流した。
「ラボから来てみれば仮宿には居ないわ、CCGにも居ないわ、お陰でGPS追跡なんて面倒も行ったが……。まさにナイスタイミングのようだな。
真戸ジャンプを使って乱入した甲斐があったようだ」
ふふっと微笑みつつ訳のわからない単語も呟く彼女は、後ろに固定されていたアタッシュケースを展開し、中から見覚えのあるものを投げて寄越した。
「これは……?」
「レッドエッジドライバーと、”アラタ
篠原さん達がアオギリ侵攻の際に付けていたそれと、普通の制御装置よりもやや横に長いそれだった。
「博士から100エキサイティンッ! を貰った力作だ。せっかくの機会だ、使って試せ」
口ぶりからして、彼女も製作に関わっていたのだろうか? いやしかし――。
混乱の極地で機能停止していた頭が、段々とまた回転を始める。
俺を庇った彼女のことは、一旦置いておく。それを考えるのは後でもできる。まずは目の前の敵を、倒す、これが第一に必要だ――。
小春さんを壁にかけさせ、俺はドライバーを手に取り、腰に当てた。左側から銀色の帯が射出され、腰を一周してバックルの右側に接続。
喰種はよほど痛いのか、足から弾丸を抜くことに忙しいようだ。
「クインケ自体は既に起動してある。後は、お前が変身するだけで良い。
――制御装置のスイッチを押してから、ドライバーに装填しろ」
ドライバーのハンドルの左側に指をかけた状態で、俺は右手で握った制御装置を構える。
『――グロテスク・・・
――グロリアス・・・
――グレア・・・』
不意に思い出す、幼少期の記憶。顔も覚えて居ない誰かが、ベルトを装着して叫んだあの言葉。眼帯と、梟が共に特殊なバックルを装着した上で叫んだ、あの言葉――。
叫びながら、俺はアキラの指示の通りに、ドライバーに装着し、両手でハンドルを閉じた。
「――変、身!」
『――アラタ・
瞬間、アキラの開けた風穴から、赤い飛翔体が舞い下りる。その形は暗がりでハッキリはしなかったが、どこか甲虫的なシルエットを持っていた。
それがバラバラになると、俺の全身に甲冑のように装着され――最後に、顔面が鋭角的に覆われた。
「中々カッコ良いじゃないか、亜門一等」
隣でアキラがふふっと得意げに笑う。背後で二名があんぐりするような声が聞こえた。
これが、”アラタ”?
身体に感じる重さと負担を押して、俺は拳を握る。
クラを取りに行く時間はない。ただ、とにもかくにもまず――。
『――おおおおおおおおおおおッ!』
「――な!? いや、待て、まだ弾丸がッ」
拳を握り、俺は走る。
とにかく、眼前の相手を倒す。その一心で振り被った拳で――殴る。
殴った一撃は、俺の想像をはるかに超えていた。そのまま眼前の喰種の胴体ごと壁をブチ抜き、外まで排出してしまうほど。
あまりの威力に手を握りなおす。このまま追撃せねばと足を踏み出した。
その瞬間、アキラが背後から俺の首筋のあたりを叩いた。
「やれやれ、赫眼二つでも制御できないか。……地行博士も悲鳴を上げそうだ」
瞬間、俺の変身は解除され、同時に猛烈な立ちくらみを覚えた。
何が起こったと自分の腕を見れば、要所要所亀裂のようなものが入り、血を吹きだしていた。
朦朧とする足取り。普段以上に力を発揮したということなのか、身体が最低限しか言うことを聞かなかった。
「亜門一等、柳上等らが来ている。追撃は彼等に任せよう」
「だ、が――」
「……安直に使わせて済まない。だが、とりあえず話してやったらどうだ?」
本来聞く耳など持たんが、因縁もありそうだからな。
そうアキラの言葉を受けて、俺はゆれる足取りのまま小春さんの方へ。
彼女は呼吸が荒れながらも、まだ息をしていた。
俺は、
「貴女は、何がしたかったんだ」
「ごめ、なさい、こ、たろ……、さ……」
そして、彼女は視線だけを守峰さんに向け。
「きょ、へい、お兄さ、も」
「……は? なんで、俺の名前を――」
もはや息が続かないのか、彼女は指だけを指し示す。大広間の奥の扉を示しながら、彼女はゴフと血を噴いた。
赫子が溶け、そこにはもう、ヒトと変わらぬ亡骸ばかり。
そのまま動かなくなった彼女。俺たちは立ち上がり、ゆっくりと扉を開けて――。
その向こうは物置のような部屋になっていた。壁際に二段重ねの棚があり、六十センチ四方の綺麗な箱が重ねられている。
「何だよ、これ――これ、これ! 平野舞!? 髪留めの……。
じゃあ、ひょっとして――」
置かれていた箱を次々開けて行く守峰さん。ぐらつく俺にアキラが肩を貸したまま、歩く。
開かれた箱の中には、丁寧に洗われたのか汚れのない骨と、髪。遺留品と思われるものがいくつか。
そして、守峰さんはある箱の前で域を飲んだ。
「はるか――ッ」
中を除きこみ、遺骨と、生徒手帳のようなそれを確認して、彼は箱を再度閉じ、抱きしめた。
震えながら泣く彼は、どうしてか、痛いほどに涙が止まらず――同時に、笑っていた。
「――やっと、見つけてやれた……っ!
もう、離さないからな? なあ? 嗚呼――――」
「事情は知らんが、なるほどな」
アキラが手帳を拾い上げ、開くと写真が一枚。浴衣姿の少女と、照れたようにそっぽを向く少年の姿。
年月は経っているが、間違いないだろう。今までの、彼のこの事件への執着が次々繋がって行く――。
過去、切り取られた時間の中で。瀬田はるかと守峰恭平は、仲良くそろって写し出されていた。
※
アラタG3(名称はまだ仮決定らしいが)のデチューンが決定したと地行博士から直々に連絡を受けたその日、俺は8区のショッピングモールを目指していた。
守峰さんが待ち合わせに指定した場所がここだった訳だが、彼はこちらに気付くと「おーい」と手を振った。
「そっちは回復、順調そうか? って、まだ身体の方の包帯とれなさそうだけど」
「このくらいは一月もかからずです。それで……」
表の喫茶チェーンでコーヒーを飲む彼の隣には、もう一つカップと、それから、位牌が一つ。
そちらに頭を下げてから、俺は彼の向かいに座り、注文。
お互いに無言の時間が続くが、俺が自分の分の一杯を砂糖まみれにして一口含んでから、彼は肩を竦めた。
「ようやく見つけてられたからな。ま、これから心おきなく持って来れるってもんだ」
「それは、やっぱり……」
「ああ。はるかのだ」
付き合ってたんだよ、と守峰さんは懐かしむように笑った。
「花火大会でさ、あの日は。二人で見て、帰りが遅くなって。
送るって言ったんだけど大丈夫だって笑って、それで……、それっきりだ」
「……」
「お母さんの方も、俺がどうにかする前に首吊っちまってな。だってのに詫びることもなく、開き直った当時の警察に腹が立ったんだ。で、まあ俺も目指したってところだ。
俺もそっち側になれば、今度こそちゃんと調べられるってな。乳臭ぇガキみたいなこと言うが、そんでもって、犯人ぶっ殺してやろうと、燃えてた」
でもよー、と彼の表情は晴れない。
「こっち来て色々なヤツ見てるうちに、ちょっと怖くなったんだ。何かしら犯罪起す奴ってのは、怒りがあんだよ、根底に。本人もわかってないような、そんなパワーが。人間相手だったり物相手だったり、集団相手だったり社会相手だったり、色々だ。
そーゆーもん見てるうちに、ふと思うんだよ。俺のこの憎しみも、いつか無関係な誰か相手に爆発しちまって、また新しい俺みたいなのを量産すんじゃねーかってよ。……そう思ったら、なんか、もうなぁ……」
憎むどころか、むしろ不憫にすら思えてしまうと。
しばらく黙り込んでから、彼は重い口を開いてそう言った。
「捜査官に言うようなことじゃねーかもしれないけど、俺も喰種に生まれてきたら、どうしてたかって思ったりも最近してな」
「……」
「悪い悪い。っと、じゃあコレ、電話で連絡いれてた奴」
そう言って、彼は一枚のA4のコピーを一枚取り出した。
印刷されているのは彼女の、小春さんの「遺書」だ。遺書というよりは、手紙という趣だったと彼は言う。
「ぶっちゃけ検証終わった後に出てきたから、大本はそっちに渡してあんだが、もうこっちから引き上げ中だろ? 手続き面倒だろうし、許可とって先にやってきた。
きっと、アンタ宛だぜ?」
手渡されたそこに綴られた文章は、そこまで長いものではなかった。
――みんな、私が浚いました。私と兄とで、バラバラにしました。
――許されることじゃないと、わかってはいました。でも、私は死ぬ覚悟なんて出来なくって。
――でも、貴方を見ていたら勇気が湧きました。
――貴方みたいな人にだったら、きっと××××××××
――きっと、貴方の夢が叶いますように。もう、悲劇が産み落とされない世界を。
一部、ペンで斜線を引かれ消されている部分はあったが、脳裏で彼女の控え目な声が再生されるようだった。
「ま出歯亀で悪いけど、ちらっと読ませてもらったぜ。で、どうにも『引っ掛かりを覚える』んだ。
あのねーちゃんの、兄ちゃんは悪いっぽいのは確実だけど、あのねーちゃんだけが悪いって気がしねぇ。きっと何か、まだ裏がある」
「……経験則ですか?」
「勘でも良いぜ」
へへっと笑い、彼は名刺を取り出し、番号とアドレスを書き記してこちらに手渡した。
「そっちの番号も聞いて良いか? 何か進展あったら、連絡入れようと思う」
「……ありがとうございます」
「それから、何かあったら力になんぜ? ま、所詮は公僕だから高が知れてるが、話くらいなら聞いてやれるかもしれねぇ」
ぐっと拳を握る彼に、俺も微笑んで拳を合わせた。
それから、簡単な配属先について、仕事や雑談などを多少してから、俺は料金を置いて席を立った。
息を吸い直し、一歩一歩踏み出す。
喰種らしからぬ、喰種が居る。この事実は、少なからず俺の信念に混乱を齎すものである。
そしてまた、俺は彼のように、大事な相手を奪った存在に情をかけることが、どうしても理解できない。ただ、それが決定的に間違っているかと言えば、そうでもない。
正義と悪は、誰が決めるか。
ただ少なくとも――。
「トーカちゃん、あんまり先に行くと迷子になるから――」
「手、繋げば良いでしょ。とりあえず東急」
ちらりと周囲を見回せば、休日だからか多くの人だかり。家族連れも居れば、カップルも多い。
例えば今俺の横を通っていた、高校生くらいの二人。貰いものでもしてるのか、白い眼帯を目に付けた少年と、片目を隠した少女。
お互いどこか照れながらも、楽しげに人だかりの中に消えて行く。
ああいった笑顔を守る為に、俺は戦い続ける。何としても失わせない。それ故に、立ち止まっている暇はない。
その先でいつか、眼帯から話を聞いて――この胸の内に残るわだかまりを、解消できれば。何か今までと違うものが見えてくるかもしれない。
両頬を軽く叩き、俺は足早に進む。
風は冬だというのにわずかに温かみを帯びはじめ、もうすぐ季節が変わると、早すぎる春を小さく知らせていた。
事件の背景、ホリチエちゃん、hysy弟子など興味のあるお方は、ノベライズ「空白」で補完ください;
12/13 一部、独自設定資料集を何話か前に追加しました