黒磐特等が既に退院したと篠原さんから苦笑いの連絡があった今日は、8区に来てから一週間ほど。
俺は継続して、女子高生行方不明事件の捜査を続けていた。守峰刑事はほぼ毎日、俺の調査に着いて回っていた。
ただし、向こうも向こうで熱意があるせいか、思ったほどソリは合わないようだ。
「女の子が消えた日、アリバイがないのは二人か。聞き込みを行う必要は――」
「いや、シロだと思うぜ? 少なくとも”喰種”被疑者の中に、今回の犯人は居ないはずだ」
「……いちいち捜査意見を叩き潰すのを止めてください。あとそれから、何故断言できるんです? 髪留めには――」
「喰種の体液が付着していようが、だからこそおかしいだろ。少なくとも警察署前に置かれていたって時点でコイツは『喰種として活動している』相手のものじゃないってことだ。
さっさとこっちに主導権を戻してくれねーかねー。そうすりゃ協力形式だろうが何だろうが、ぱぱっと仕事終わりそうなもんなんだが――」
「自分の中ではっきり答えが出るまでは、お渡しする事は出来ません!」
「青いねぇ、あと固い……」
「馬鹿にするんですか」
「いや、褒めてるよ。少しは上にも見習ってもらいてーもんだってくらいには……。
だけど、そこまで猪突猛進だと周りが見えないんじゃねーのか? と老婆心ながらな」
堅物、と軽く言う彼のそれを無視して、俺は足を進める。人に堅物と言うが、守峰刑事も充分堅物だ。彼も彼でおそらく、何某か事件に対する意見は持っているのだろうが、そうならそうときちんと話してもらいたい。
それができないなら、お互い別々に行動する方がよっぽど効率的だ。俺の精神衛生上、乱されては捜査に支障も出る。
頭の中で優先順位を入れ替えた上で、俺は足を進める。
と、そんなタイミングで視界に見覚えのある女性の姿が過ぎった。
「……ん?」
「何だ、知り合いか?」
「ああ、いえ……」
車道を挟んだ反対側。ちらちら周囲を見回し歩く彼女は小春と言ったか。今日も使用人の老婆を連れていた。
「お? ……俺も、見覚えあるぞあのねーちゃん」
「知り合いですか?」
「いんや。聞き込み。世間は狭いって訳じゃないけど、ま同じ区だしな。
美人だし使用人連れてるしで、あと手帳見せたら妙に驚かれたっけ」
「……失礼ですが」
「おう、特に何もねーぞ」
確かに守峰さんの警察手帳は、何ら変哲もないものだった。
「なんか幸薄そーだな、あのねーちゃん」
「……守峰さん、一週間のうちに8区に恐喝等の被害届けなど来てませんか?」
「何、恐喝されてるのあのねーちゃん? 全部把握はしてねーけど、聞いてはいないな」
初日にあった出来事を話すと、彼は「ふぅん」と目を細めて、彼女の足取りをじっと見つめていた。
結局、今日もまた進展のないまま終了。柳さんは7区の方と情報交換のために出ている。
報告書を簡単に仕上げてから、俺は局を出て駅前に向かった。
「そういえば、地行博士から連絡がないな……」
篠原さん曰く、自律走行型クインケ「アラタ3号(仮)」のテスト版がまもなくロールアウトとのことだ。どうも俺は、資格者の最終選考まで残っているらしく、近々テスト装着の機会があるとのことだ。
ラボラトリ主任の地行博士がメインで製作をされているらしいそれ。篠原さんの犬のようなそれと、黒磐特等の鷲のようなそれを思い出し、そしてため息を吐いた。
――もし僕を、僕等や家族を掃討するために使うというのであれば、僕は皆さんを死んでも恨みます。
彼に見せられたそれは、決して気分が良い映像ではなかった。だが見ておく必要がある映像でもあると思った。
クインケの元になる人物。コクリア最下層で拘束されているらしい彼は、いまもって生きていると地行博士は言った。そして赫胞が再生するからこそ、アラタは量産でき、グレードアップできるとも。
どうなっているのか、ということについてまで詳しく聞くことが、俺には出来なかった。
喰種を憎み、奴等の居ない世界の実現を理想としていても、どうしてか――。
「きゃっ」
「! すまない、大丈夫か……」
考え事をしながら歩いていたせいか、周囲の注意がおろそかになっていた。転ぶ女性に手を差し伸べる。
そして、ぶつかった相手は彼女だった。お付の老婆は見当らない。
「こ、こんばんは、亜門さん……。すみません、声をかけるタイミングが、その」
「あ、いえいえ。……どうされました?」
「いえ、大した話じゃないんですけど……。この間のお礼を言いたくて。ここなら会えるかしら、と。
でも、流石にこれじゃ……」
転がっている彼女の荷物の中には、カップケーキのようなものがあった。が、箱が横転した結果そのまま地面に転がってしまっていた。
職務中ならいざしらず、今はオフ。おまけに他人の感謝の意を、無下にすることも出来ないが……。
ぶつかったのは自分のせいということで、俺はケーキを拾って食べた。
「だ、大丈夫なんですか?」
「……美味いです。もっと甘くても大丈夫ですが」
「……結構、野生的なんですね。
あ、じゃあ
頭を下げる彼女に、口の中の砂利をいくつか取りながら俺は聞いた。被害届けが出て居ない事実について、一体どうしてなのかと。
「……まだ迷ってるんです。色々決心がまだ付かなくて」
「……選択肢の中にあるなら、それで良いと思います。ただ、抱えていることがあるなら誰かに打ち明けた方が、楽になれると思いますよ」
そう言ってその場を立ち去る俺を、彼女はじっと見つめたままだった。
※
多少、進展があったと言えばあった。
いや正確には、より事件について謎が深まったと言うべきか。
「亜門君、ここのところ泊まり込み続けてるけど、大じょ――何だいこれは」
缶コーヒーを飲んで気合を入れなおしていると、柳さんが様子を見に来た。ここのところ手がかりを何がなんでもと探しているうち、連続三日は泊まり込みで調査を続けていた。
柳さんはデスクに乗っていた、赤茶けたビラを手に取った。
「『この子見かけたら連絡をください 瀬田はるか』……。十八年前?」
ビラに書かれた日付から逆算して言った彼に、俺は首肯した。
「それも今回のような失踪事件ですが……、十五年ほど前にも、同様の事件が一つ報告されています。新聞に情報が載ってました」
「切り抜きじゃねえか、これ……。
仮に喰種の仕業だったとすると、このニ件だけとは考え辛いな。いや、目立っただけで2件だけとするなら、んん? これって結構根が深いんじゃないのか? ――」
不意に、守峰刑事の鋭い視線が思い起こされた。事件の調査中、何故髪留めが置かれたのかと考える俺に対して向けた、あの視線。
そして、資料整理の最中発見したこのスクラップブックの「製作者」は――。
「なんだ、今日は早めだな」
CCGの8区支部入り口で、煙草を吸っていた守峰刑事。携帯灰皿にそれを仕舞った彼に、俺は十八年前のビラを見せた。
ビラを掴むと、彼は一瞬悲しそうな目をした。
「……随分、懐かしいモン持ってきたな」
「……これが、貴方が掴んでいた事実ですか?」
俺の言葉に、その指し示す意図に気付いているのか、彼はにやりと笑って、こう続けた。
「十八年前に失踪した『瀬田はるか』。丁度その日に花火大会があって、その際に行方不明になっている。
十五年前の女子高生も、その様子じゃ調べてるな。ちなみに俺が掴んでるのは、あと
すらすらと、何一つ詰まる事もなく。
一体どれほど、そのことについて調べて、頭に、身体にたたきこんで来たのか――。
「何で、それだけのことを知っていて黙っていたんだッ」
「こりゃ、俺『が』調べたことだ。ずーっと、それこそずっとな。
だが警察としちゃ、そういうのは『把握してない』し、『把握するつもりもない』だろうな」
一瞬、彼の言葉の意味が理解できなかった。
「わかるか? 亜門サン。この事件の、おそらく最初の事件だと俺も睨んじゃいるが。
瀬田はるか失踪時、警察はロクに調べもしないで家出で片付けた」
他の区の事件も喰種の可能性含めて調べてはいたが、大きな成果もなく捜査が打ち切られた。
「そうした放置状態だが……。間違いなくポイントは『ここ』だ。ここ8区なんだよ。一連の事件が連続的なものであると考えりゃ、周辺に分布している事件のそれを考えれば、自ずと中心が8区だってたどり着く。
俺以外にも、違和感を覚えてる奴は少なからず居るさ。スクラップブックを作ったのは、俺とソイツらだ。
でこのタイミングで例の髪留めが見つかった訳だ。焦るのは十八年前、最初の事件の担当者だ。
で、そいつが今俺等の上にのさばってる」
「まさか――」
自嘲するように、彼は笑った。
「体裁守るために、過去の事件と今回の事件を切り離したものとして解決したいんだろうよ、大方。知ってるか? こっちは上が捜査方針を決めたら、それに外れる調査は職務違反になる」
外堀から固めるんだから、外堀で囲いきれてなかったら解決しねーだろ、と守峰刑事は拳を握った。
「……瀬田はるかの母親は、警察から家庭に問題がなかったかって延々非難されて、自殺しちまったからな。そりゃ明るみになれば世間体は悪いわな」
「――っ」
「仮に喰種が犯人だとしたら、駆除されれば全部うやむやで解消できるだろ? そうすりゃほら、昔のことは遡及できないし『本当の犯人じゃなかったとしても』、それで事件は終わりって片付けられる。
ま、そういう上の思惑も? どこかのやたら熱心な捜査官が地道に調べていったお陰で、足跡を見つけ出してくれたみたいだが」
全く懐かしいぜオイと、彼は俺の手渡したビラを見て言った。
「……守峰さん、あなたは何度も、これは人間の仕業だと言った。それにも理由があるのか?」
「人間だ、とは言ったが実際のところは分かんねぇよ。
ただ『人間社会』を基盤に生きているヤツなことには違いねぇ。もう一度言うぞ。『警察署の前に髪留めが落ちていた』というのが決定打だ。
十八年前を起点として考えて、ここまで証拠が挙がらないというのは絶対に何か裏がある。相当用意周到か、あるいは誰かしらが背後についているか。
だってのにこんな、わかりやすい形で証拠になりうるものが、まるで何かのサインみたいに置かれてたんだ。……受け取れるだろ、誰かこれを使って、捕まえてくれっていうSOSが」
痛いほど、彼の悔恨の念が伝わってきた。痛いほど、彼の怒りが伝わってきた。
だが同時に、俺も俺で譲れない領分がある。しかし――果たしてそれらは、対立するものだろうか?
俺は拳を握り、彼に向ける。
「……俺は、それでもこの事件は、やはり喰種が何らかの形で関わってると思う。だから、警察に事件を返すことはできない」
言葉の意味を咀嚼した上で、彼は俺の拳の意味を理解したのか、ふっと笑いながら同じく向けて。
「ホント固ぇな。なら……、せいぜい俺もとことん付き合わせてもらうぜ」
拳をぶつけ合い、俺達は事件解決を誓った。
※
守峰
例えば他の支部の情報を回してもらおうにも、俺が現在応援に来ているのは8区だ。だからこそ持ち場を離れての行動は難しく、かといって彼以外の相手と情報共有などすんなり行くわけでもない。守秘義務などもあり、俺達の前に立ちはだかる壁は存外大きかった。
「ウダウダ言い合ってても埒が明かない」
「……とりあえず、CCGの会議室を借りましょう」
「助かるぜ。っと――お?」
大分歩き慣れた道を進んでいると、小春さんが進路の先に居た。向こうはこちらに気付くと、俺と守峰さん両方に頭を下げた。
「俺、お邪魔かなぁ?」とニヤニヤ笑いながら彼は一歩引く。
俺は俺で、何故またこうして来ているのかということに違和感を覚えた。
「何の用でしょうか」
「えっと、あの……、これ」
出された紙袋の中には、甘い香りのカップケーキ。以前のものより大分甘い臭いがしており、確かに俺好みそうではあるが……。
「何度も言いましたが、大したことはしていません。それに何度もこういったことがあると、立場上少し困ります」
「あ、そうですよね、すみません……。でも、やっぱりあの状態でじゃ申し訳なくって……」
顔を赤らめて俯く彼女。守峰さんがちゃちゃを入れるが、職務中に私的なことで話かけられるのも色々困りものではあった。
ホント堅物だなと言う彼の言葉に、俺は閉口した。
「ま、いいや。それにしてもお姉さん、肌白いよね。病気かい?」
「いえ、養父が倒れて入院してるもので……。看病疲れが出てるかもしれません」
「養子、ね。前ちょっと聞いたっけか――」
そうこう話していると、柳さんたちが帰ってきていたらしい。そして驚いたことに。
「富良上等!? どうしてこちらに」
鋭い目にオールバックの髪型は、以前有馬さんに「同級生」と紹介された富良上等だった。
彼はこちらを見て、表情はともかくおう、と軽く応じた。
「ひっさしぶり。レストランの方はともかく、こっちも一応見回り。そっちは……」
「ああ、えっと、捜査協力して頂いてる守峰警部補と……、民間人の方です」
「了解。じゃ、また後でな。会議室居るから」
「……鋼太朗さんは、本当にCCGで働いてるんですね」
彼等の背中が見えなくなってから、小春さんはそんなことを言った。
恐ろしくはないのですか? と。身の危険について問われ、俺は普段通りに答えた。
「確かに仲間を……、多くの仲間を失い、奴等の恐ろしさは身をもって味わって居ます。
しかし、それでもこれは誰かがやらなくてはならないことです」
「……」
「何の罪もない人々が、喰種に襲われ死んで行くのを黙って見ている事等、俺にはできない。
もうこれ以上、大事な人間を失って嘆き哀しむのは沢山だ。だから――そのためにも、俺は奴等の居ない”正しい世界”を目指します」
「いつか……、」
頭を左右に振り、彼女は言った。
「親を亡くして拾ってくれた人が、今の養父です。その父も、余命は長くない。だから、そういう気持ちは痛いくらい……、痛いくらいよくわかります。
だから、いつか――いつか、貴方の目指す未来が、来ると良いですね」
引きとめてしまい、申し訳有りませんと彼女は頭を下げてその場を後にした。
「亜門サンも罪な男だねェ」
「?」
「そんなんだと、いつか女で痛い目見るぞ? じゃ、また後でな」
「へ? あ、ちょっと――」
守峰さんは、そう言ってCCGに戻るのを止めて、どこかへと走って行った。
何なんだ一体、これからの行動計画を立てるんじゃなかったのか……?
※
会議終了後、富良上等や柳さん達を見送り、俺は残業を続けていた。
ミーティング中、彼女の差し入れてくれたカップケーキを食べた。味は以前より甘みがあって俺好みになっていたが、だがどこか彼女の言動が、あの去り際の笑顔が気になる。いや、引っ掛かりを覚えると言った方が正解か。
東條さんが「初対面なのにあんなうるんだ目で見られてドキドキした」と言ったのに対して、富良上等が「ああいう手合いは別な一面持っていたりするからわからんぞ?」と言ったのが、たまたまであるがより引っ掛かりを覚えさせた。
喰種だって、人前では良い顔もする。だが、同時にいくらそうであっても平気で人を食い荒らすのだから――。
そう思って居ると、電話が鳴った。守峰さんからだ。
こんな時間帯にかけてくること自体今までになく、それだけに、会議に参加するでもなく足早に立ち去った彼が、何かを掴んだのではという思いが涌いて来た。
図らずも、それが正解だったと知らされる。
『亜門サン、まだCCGか?』
「ええ、残ってますが……」
『今、入り口の裏手のところに居るんだ。車ン中だが、出来れば急いで来ちゃくれねーか!』
アキラ「父から貰った番号からして、GPS追跡はと……」