『――先日は父が無理を言った。感謝する、亜門一等。私もラボに足を運んでなければ、付いていったが……』
真戸さんの娘さん、アキラと言ったか。篠原さんの見舞を終えた翌日、真戸さんの番号から連絡が入った。どうもまた車椅子を「まだるっこい」と言って松葉杖と義足で抜け出しているらしく、声には多少の疲れが見え隠れした。
俺はと言えば、それには普通に頷き返す程度だ。……普通に。多少しどろもどろというか、真戸さんの血筋なのか独特のやり辛さのようなものも感じはするが(例えばミートソースだと言って出されたスパゲッティにタバスコが大量に振りかけられているかのような)、それでも恩師の娘さんである彼女に、出来る限り丁寧な対応を心がける。
彼女は、自嘲げに言った。
『ああ言えば迷惑をかけないため諦めると思ったが、そうでもなかったらしい。……存外、貴方は信頼されているらしい』
少し羨ましいと言ってから、彼女は電話を切った。
ああ言った、というのは車椅子を使っていけということだろう。
真戸さんの言なら彼女もまもなく捜査官だ。そのうち顔を合わせることもあるだろう。その時に精々、幻滅されないように、俺は俺の信念を貫こう。
だが……、わずかに、俺はその信念に、綻びのようなものを感じていた。
まるで作り上げた壁の向こうから、別な世界が見え隠れしているような――。
脳裏を過ぎる人物は二人。
この揺らぎが何処から来るのかと考えれば、間違いなくこの二人。あるいは、確信的に揺らがせたのは眼帯だと言うべきか。
眼帯の喰種――ハイセ。
奴が言った言葉と、今にも泣きだしそうな目――。
どこかそれは、俺の記憶の底にある”奴”の顔と、重なるものだった。
※
後日病院で、篠原さんから受けた依頼。そのため、俺は8区に居た。
喰種集団”アオギリの樹”により、23区の捜査官たちは軒並み大打撃を受けていた。20区のような場所はまた別であるが、喰種収容所”コクリア”に攻め入られたのが大きい。
監獄長の御坂さんも長時間粘ったが、結局は足止め程度にしかならなかったというのが恐ろしい。
結果的に現在、その穴を埋めるため精鋭たちが23区に投入されている。そのせいで周辺が手薄になっているため、余裕のある区から周辺に加勢に回ってくれ、というのが依頼だった。
『ですが、パートナーなしの俺が向かって大丈夫なんでしょうか』
『なーに、この間の11区侵攻の時に、亜門の実力は知れ渡ったろう? いわっちょのところの、五里ちゃんだったっけ? だいぶ絶賛してたらしいぜ?
ま、それはともかく。形式に拘ってられるほど何処も余裕ないんだろうさ。8区の後任が決まるまでの残手処置だから、一ヶ月あるかないかさ。
お前行ったら、色々感謝されると思うぜ? クレームがすごいらしくてさ……。あ、そうそう。”アラタ”についてだけど、近日中に――』
そういう運びで着いた8区だが……。いかんせん、道がわからないでいた。
区役所を目印に運行表を確認はしたのだが、どうも20区の感覚に慣れすぎていたのか、方向感覚がてんで分からない。通勤通学の人だかりの中でいつまでも駅内部に居るのは邪魔だと判断して、急いで出てきたのがまた致命的だった。
そうこうして地図の前で唸っていると、背後から声を掛けられた。
「あの、どこかお探しですか?」
品の良い女性だった。同年代くらいだろうか。傍には母親だろうか、年配の女性もいる。
CCGの支部だと言えば、微笑みながらざっくりとだが、わかりやすく道筋を教えてもらえた。その通りに進んで特に迷うこともなかったのが、酷く感慨深い。
……こうした小さな民間人との触れあいでも、何か来るものがあるのは普段から人と話さなすぎということだろうか。真戸さんのからかうような笑みが脳裏に浮かび、俺は頭を左右に振った。
ネクタイを締めなおして自動ドアを潜ると、会議室に通され二人の男性捜査官が歓迎してくれた。何度か顔を合わせた事のある柳上等、それから東條さん。どちらも過去に面識のある二人だ。
「亜門一等! アオギリ戦でのご活躍、お聞きしていますよ! アカデミー首席はやっぱ違いますねぇ」
「いえ、上位捜査官たちや周りの捜査官たちの戦いっぷり、意識を見れば俺などまだまだ……。
毎度言ってますが東條さん、俺より年上なんですから普通に話してもらえれば――」
「いえいえ、敬語の方がなんか話しやすいというのもあるんで。
それに、参戦できただけ凄いと思いますけどネ。俺なんてほら、腕細いから特殊なタイプのクインケも触れないって柳さんが。変なクセつくしって。あ、それから三等で唯一参加したっていう鈴屋捜査官とか、どうで――」
「そのくらいにしておけ。さて、もう俺達が君の応対までしてる時点でお察しだが、現在ここでまともに活動できる捜査官は俺達だけだ」
篠原さんからも聞き及んでいたが、どうやら状況はより酷いものらしい。
「23区のコクリアから出た輩が一人、こっちに逃れてきてな。だいぶ人をやられた」
「……その喰種は?」
「俺達で押さえて再送還だ。まあ、前前からこっちでも活動してたことがあったから、23区からの逃走ルートにこっちがあるんじゃないかと予想して、少し張ったんだ」
「上からは23区行けって言われてたんですけどね」
「俺達より強い連中はそっちに行くだろうから、一人二人くらいじゃ何ともないだろうとね。で、こっちに来たら知り合いの奴から案の定連絡が入って。……駆けつけた時点で、もう腕しか残ってなかったんだが」
唇をかみ締める柳さんからは、そこはかとない慙愧の念が見えた。
その流れで8区の担当になったと東條さんが続けた。22区、7区、8区の三つが23区の隣接区であり、それぞれに捜査官は割かれる。が、通常ルートとしての22区、喰種レストランの調査が続けられている7区はともかく、8区は脱走者関連の事件がないからと放置されているらしい。
「上位捜査官派遣するって言ったのに、お陰で隣接区だってのに大して強くもない俺等みたいな――あいたっ」
「話を戻すが、まあ今回は事が事だ。レートSクラスがガンガンに出てる状況で、あまり割けないのも分かるといえば分かる。
で、まあ今日だが一緒に区を見て回ろう。捜査自体は後回しになってはしまうが、コクリアの修繕もまだできてない以上、パトロールも無駄じゃないだろう」
「わかりました。よろしくお願いします」
会議室を出た後、俺は篠原さんから聞いていた「苦情」について確認をとった。
「ああー、多分今日も来てるだろうから、すぐ分かる。ほら――」
「だから! 何度も言ってるじゃねーの! 何で俺らがそっちの都合だけに付き合わなきゃなんねーんだって! 責任者と話し合いさせてくれって! アポ? そもそもアポ自体取り次いでくれてねーじゃん! この間よ!
そっちが捜査結果出さないから、こっちの調査も全然進まないんだって! 協力してくれるっつー話も全然――」
ロビーに響き渡る男の声。柳さん達は時間が止まったようにピタリと動きを止めた。
ちらりと覗けば、くたびれたスーツを羽織る30代の男。明らかに態度が悪く、受付を困らせてはいるが……。
彼の言った、こっちの調査というフレーズが気になり、柳さんに確認をとった。
「彼は一体?」
「あー、亜門君は今日来たばかりだからなぁ……。一応、刑事さんだ」
「刑事?」
何故刑事がCCGの方に来て、調査について話をしているのだろうか。
疑問を抱くよりも先に、俺は彼の方に足を踏み出していた。背後で二人が「しまった」みたいなうめき声を出していたが、気にも留めない。
「あン? なんだぁ?」
受付嬢と彼との間に割り込み、俺は言った。
「話なら、こちらで伺わせて下さい。俺は、一等捜査官です」
それと同時に、目の前の彼は「へぇ」と言って、先ほどまでとは違うように視線を鋭くし、俺の全身を観察した。
※
「守峰恭平警部補です。よろしくお願いします」
先ほどまでの態度とは大きく変じ、彼は慣れたようにキビキビと敬礼をした。CCG式のものと異なる普通の敬礼だが、明らかにその動きは年月を感じさせる所作だった。
「で、亜門一等だっけ? 何、東條より若いの? なのに一等? そっち二等だったよな。
ああ、そりゃ……」
「ちょ、やめてください! 結構デリケートな問題なんですからァ!?」
「……亜門鋼太朗です。それで、協力と言うのは?」
柳さんから、急遽応援に呼ばれたと言う説明をされ、守峰刑事は「ざっくり省略するぜ」と言った。
「三ヶ月前に起きた『女子高校生行方不明事件』の件で来てんのよ」
「……喰種の仕業ということですか?」
「馬鹿言っちゃいけねぇ! こいつぁ人間の仕業だッ!
……簡単に言うと、事件の被害者の髪留めが見つかって、そこから喰種らしき体液が出たって話だ。そのまま警察はこっちに応援要請したんだが、返答は『担当捜査官が軒並み戦闘不能状態ゆえ、捜査協力の目処立てられず』!」
言われて理解した。これはアオギリ戦後の人員不足が招いた結果だろう。
「柳さん、相手の特定は?」
「過去のプロファイルには居なかった。”初めまして”の相手だな。で、まぁ……それの捜査中に例のアレが来て、軒並み病院送りか死亡だ」
「それで手付かずですか。確かに情報共有は無理ですし……」
守峰刑事は、気が立っている。先ほど受付でも見せていた苛立ちだが、しかし根底にはやりきれない感情が渦巻いているのだろう。
「犯人が喰種だって可能性が出てきちまった以上、上はこっちにまともに動かせちゃくれねぇ! なのに捜査手付かずじゃ、被害者がもし生きてても本当に死んじまうかもしれねぇだろ! 早い所、結論づけるなり何なりして権限戻してくれや!」
「そ、そうは言われても。……俺だって妻子持ちだ。被害者の気持ちも、捜査側の気持ちも痛いほどわかる。でも俺達二人が動くわけにもいかないし、亜門君も、今日来たばかりだから――」
「わかりました」
俺の言葉に、柳さんと守峰刑事は顔を揃ってこちらに向けた。
「柳上等。この件、俺が調査して宜しいでしょうか?」
「あ、亜門君!?」「っひゃー! 男に二言はねぇよなアモンサン!!?」
困惑する柳さんと東條さんに、俺は自分の考えを言う。不慣れな自分よりも二人の方が、より広い視点で警戒することができるだろうこと。そして何より、みすみすこんな状況を放置しておけないこと。
「……守峰君、捜査資料の共有や引継ぎする時間くらいは大丈夫か?」
「ばっちオッケーよ! じゃ、頼むぜ亜門一等」
差し出された手を、俺は握り返す。
守峰刑事の手先は細かったが、しかし同時に強い握力と、意志とを感じた。
『女子高校生行方不明事件』。経緯をまとめれば次のようになる。
今から三ヶ月前、帰宅途中だった平野舞が忽然と失踪した。聞き込み、目撃情報など周辺情報から不審な点がみられず、ようやく見つかった手がかりが彼女のしていた髪留め。
「捜査の決定打になるようなモンが見当らなかったんだよ。で、そいつが落ちていたのが――」
「……8区の警察署前?」
資料を読みながら歩く俺に、守峰刑事は「そうだ」と返す。捜査資料なら後日警察に返却すると言ったが、不慣れだろうから案内くらいはすると笑って返された。
「かなり目立つところに置いてあったからな。直接渡しに来ない時点で、十中八九関係者とか、後ろ暗いところのある奴なんだろうな」
「喰種が届けた? いや、人間が届けたにしても……」
「……」
結局この日の調査、といっても警察の捜査の足取りを追う程度だったが、大きな成果は得られなかった。
日が段々伸びてきているが、まだまだ夕暮れに入る時間は早い。今日の分を切り上げると言うと、敬礼をした後「明日も行きますから」と守峰刑事は言った。
人物としてまだそこまで信用できるか、いまいち読めないところはあるが。しかし捜査する分に関しての情熱や、責任感は十二分だろう。
支部に戻れば東條さんから飲みに誘われる。情報共有以上に歓迎会的な色も強いのだろう。
以前なら断っては居たが、不意に中島さんや草場さん、篠原さんの顔が脳裏を過ぎり、俺は頷いた。
連れられた先は小さい料理店。家族や仕事、武器について話しながら食事をとっていると、意外なつながりを俺は知った。
「クラ? って、ああ真戸上等のね」
「……柳さんは、真戸さんと交流が?」
「大したもんはないよ。でもまあ、俺も東條に言えるほど扱いが上手いわけじゃないから、盗めるもんは盗んじまえと軽く話したことがあったんだよ。その時に聞いたな」
柳さんと東條さんは、その結果として尾赫と羽赫のチームとなったらしい。
「でも真戸上等が引退したって聞いた時は、そりゃもうびっくりしたなぁ。ご息女もCCG入りが確定してるらしいし、親子そろってってなるかって思ってたけど」
「いやいやでも、命あっての物だねでしょ柳さぁん。助かったってだけでかなり幸運だったんじゃないですかね」
「……」
助かった、というフレーズに、俺は妙なひっかかりを覚えた。
眼帯の喰種は言った。自分を「人間のまま居させてくれ」と。殺したくないと、その全身で物語っていた。
そして、この間のアオギリ侵攻の際――眼帯と、梟との戦死者は共にゼロ。眼帯はゼロの可能性が高い、程度だが、しかし――。
「しっかしまー、喰種が捕まえたんなら捕食されてるんじゃないですか? だったら遺体が出てきても良いと思うんですけど……。髪留め関係なく、実は家でだったなんてオチじゃ……」
「それ守峰君に言ったら頭スマッシュされるぞ」
「怖ッ!? 亜門さんはどうですか?」
俺は、いつもの様に断言した。
「確定的なことは現時点で言えませんが――喰種なら、駆除するまでです」
二件目に行く前に柳さんが止めて解散となった後、俺は考察を続けながら駅に向かう。「クラ」のアタッシュケースを弄りつつ、俺は呟く。
「目撃証言もなし。遺体が見つからないとなると……、俊敏さから考えて羽赫だろうか。その場で殺してない、という可能性を含めても、移動に時間はかかるから――。
……?」
守峰刑事に教えられた路地裏の近道を辿っていると、どこかから怒鳴り声が。耳を澄ましてその先を辿ると、若い男女が言い争いをしていた。
「何言ってるんだ、後ちょっとで全部――」
「ごめん、兄さん。これでもう最後にしたいの……」
「……ったく、コイツは」
彼女がバッグから札束を取り出したのを見て、俺は走る。恐喝であったにしろなかったにしろ、見捨てて行けるような状況でもなかった。
「――おい何をしてる!」
取り押さようとするが、女性の方が「違うんです!」と男の方を庇った。そのまま舌打ちと共に走る相手を追いかけようとしても、彼女が腕にすがり付いて違うと続けるばかり。
「何が違うというんだ、君は」
「あの人、兄さんなんです! だから――」
「兄妹だろうが何だろうが、ゆすられていたんじゃないのか? ……ん?」
「……あっ」
そして顔を合わせれば、お互いに驚いた声を上げる。駅前で道筋を教えてくれた、上品な女性こそ彼女だ。
一体どんな事情があって、あんな兄が? と疑問にかられるも、俺は言葉が続かない。
「お恥ずかしいところをお見せしましたね。本当に、すみませ……っ」
立ち去ろうと歩きだす彼女の足取りがゆれ、倒れ掛るのを俺は抱き止めた。見れば顔色が一層悪い。元々病弱なのだろうか、なんとなくアカデミーで教鞭をとった時の生徒のことを思い出す。
「駅まで歩けば、家のものが迎えに来るので、大丈夫です、あの……」
「……一緒に行きましょう。俺も駅に向かう途中ですから」
でも、と首を振ろうとする彼女に、今朝道を教わったからと、出来る限り微笑んで言った。
彼女はそれを受けて、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑み返した。
「では、お願いします」
結論から言えば、やはり着いて行って正解だった。本来なら三、四分ほどで付けそうな距離だったが、ゆらゆら揺れながら彼女は十分ほどかけて歩いた。
ようやく到着した駅前にて、年配の女性が駆けて来る。今朝方見た彼女は、小春お嬢様と叫んでこちらに来た。
「オトカゼさん、待たせてごめんなさい……」
「いえ、構いません。それよりこちらの方は……?」
道中よろめいたところを助けてもらって、こちらまで付き添ってくれたと説明。それでも彼女の、俺に対する探るような目は外れない。
小春と言うらしい彼女。何某か事情があるのだろうが、注意も込めて俺は言った。
「事件性のあることなら警察に連絡した方が良いですよ。周囲にまで被害が及ぶこともあります」
「他の人に……、ああ、そうですよね、本当……。
お優しいんですね?」
「そういう訳ではありません」
ごくごく全うな社会人としての意見だと思ったが、しかし彼女は頬に赤みをさして微笑んだ。それほど無関係の人間に心配されたことがないのだろうか。
「あの、宜しければお名前、伺っても?」
「亜門です。亜門鋼太朗。……何かあれば、あちらに連絡を」
喰種関係のことなら俺の手でまかなえるだろうし、警察関係でも守峰刑事経由で何らかの手助けは出来るだろう。そう考えての言葉に、彼女は「ありがとうございました」と深々頭を下げた。
・・・ラボラトリ・・・
地行「ふむふむ、で、ここのデザインを――」
アキラ「いや、もっとここをグレートな感じに――」
地行「ェェエキサイティィィンッ! 流石のセンスだねぇ、このデザイン――」