「――ゆっくりと焦らず。ひらがなの『の』の字を書くようにね」
翌日。僕は喫茶「あんていく」で働くこととなっていた。
霧嶋さんの紹介で、芳村店長はすぐさま承諾してくれた。
いや、正確には紹介とは言えないのだけれども……。
『私達の店に来なさい。君を、歓迎するよ』
驚くまでもなかった。そこに居た喫茶店の壮年の店長は、リゼさんから僕を助けてくれた人の、変身する前の後ろ姿に違いなかった。
僕は聞いた。この身体は何なのかを。
果てしないこの食欲と、どう向き合うべきなのかも。
『詳細を私達は知らない。だが、おそらく君の予想通りのことが起こったのではないかと推察する』
君のその、半分だけ変色する目は、その何よりの証拠だろう。
霧嶋さんは、隠れた前髪を上げて、僕に見せた。
彼女の両目は、赤と黒に染まっていた。
『本来「隻眼」というのは、違った理由から発生するものなのだが……。どちらにせよ、君が我々寄りの存在になってしまったことは、否定のしようもないだろう。
そして、その力とどう向き合って行くかは君自身で考えなさい』
『力……?』
『喰種は、人間よりずば抜けた身体能力を持つ。加えて”赫子”という、特有の捕食器官を発生させることが出来るようになる』
ぷるぷると震える手。こうして珈琲を入れるだけで体力が持って行かれることを見ると、昨日の店長の話が本当なのか、ちょっと疑わしくも思ってしまう。
『それらの代償として、君は喰種のように、ヒトの肉を欲するようになるだろう。それに本能のまま呑まれるか。あるいは我々のように、共存の道を模索するか』
『私達はね。……好きなんだよ、人間が。人間の社会が。そして、同時に我々自身を”ヒト”だと思いたいんだ』
『ヒト……』
その言葉に含まれた意味が、僕にはあまりに多すぎるように感じられた。
ザムザ虫の話が頭の中を空回る中、店長は僕にふっと笑いかけた。
『とりあえず、一杯飲むかい?』
『……飲めるんですか?』
『知っておくと良い。私達は、珈琲も飲む事が出来る』
緊急時、一時的に食欲を紛らわることだって出来ると、店長はにっと、力強く笑った。
「……微妙」
人生初の、専門的な道具を使って煎れた珈琲。味は、まあ、察していた通りというべきか。
「珈琲は、手間をかけることで味が変化していく。気温だったり、速度だったり、挽き方だったりね。
人も同じ。焦る事はないさ」
微笑みかける店長に、僕も笑いを浮かべる。上手に笑えているかは、ちょっと微妙だったけど。
「……大事な話を一つ」
「?」
「ここ”あんていく”は単なる喫茶ではなく、20区の”喰種”が集う場所でもある。身構える必要はないが、覚えて置いてくれ」
「グール……」
「もちろん、人間のお客さんも来るけれどもね。この間までの君のように。
その時も変わらず、普段通りを心がけてくれ」
一通り店長が言った事を聞いて、思わず、僕は知りたくなった。
「よくメディアで報道されている話だと、喰種は人間社会から身を隠していると聞きます。実際そうしないと、人肉を喰らう存在なんてあっという間に捕捉されてるんじゃないかと思うんですけど……。
なのに、えっと……」
「喰種、人間、関係なしに店の門を空けていいのか。あるいは、人間の客も入れるお店にしてある理由は、といったところかな?」
「……大体、そんな感じです」
「ふむ。理由はいくつか、あるかな。人の世で偲び生きる以上、彼等の生活を学ぶ必要がある。
性格、行動、何気ない仕草、その意味、モノの食べ方やこだわりまでね。我々自身は彼等とほとんど同じつもりでも、大小種族の違いというのは、気付かないところで影響するものだ。
それからもう一つ」
「もう一つ?」
「昨日も言ったけれどね。――我々は、人間が大好きなんだよ」
少なくとも、ここに来る多くのお客さんは。
優しく微笑む店長の、その言葉がどれほどのものなのか。僕にはよく分からなかったし、ひょっとしたらこの感情も勘違いなのかもしれないけれど。
それでも、僕は信じてみたい。
笑い返すと、店長は僕の背を叩いて促した。
「あ、それからもう一つ注意事項だ」
大きな手荷物を持った人間が来たら、こっそりと知らせなさい――。
言わんとしている意味はわからなかったけど、やけに真剣そうな店長の表情から、かなり重大なことなんだろうと思った。
店長から今日は帰りなさいの一言。店を裏口から上がりつつ、昨日の店長の言葉を反芻する。
『”あんていく”の喰種のルールは三つ――』
「一つ、生きた人を殺して食べてはならない。二つ、喰種であることを除いて人間社会の中で生活をする。
そして三つ目は――」
「カネキさん」
時間としては、お昼頃。
昨晩からずっと家から出てた事もあって、今日は一日大学休みかなぁという感じだったのだけれど、そんな僕に背後から声がかけられた。
ぎょっとした。
ここ二日間でずっと聞き慣れていた声だけど、この喋り方は二度とされないものだと思っていたこと。
もう一つは、この猫を被ったような敬語の裏に、あの、ちょっと柄の悪い口調が隠れてるのかということ。
実際振りかえった瞬間、僕の鳩尾にナイスパンチが決まったので、実際笑えない。
制服姿の彼女は、いかにも急いでいる風。
「……、えっと、昨日、言ってた通りだね」
「へぇ? 覚えてたんだ。あんな朦朧としてたのに」
そりゃ、ええ、まあ。
思い返して見れば、大分彼女には悪い事をしてしまったというか、させてしまったというか、されてしまったというか。
ヒデに知られたら、正直怖いような感じだ。
なのでここは、彼女の八つ当たり+僕の謝罪と保身も兼ねて、甘んじて一発受けよう。
「人の初めて奪っといて、開き直ったら半殺しにしてやろうかと思ったけど」
どうやら、とんでもないことのレベルが違ったらしい。
ど、どういう風に言葉を続けるのが正解なんだろう。
「ご、ごめん」
「あぁ?」
殴られないけれど、威圧。
しばらく彼女の半眼にさらされる事となったけど、結局、僕は正直な言葉しか思いつかなかった。
「……助けてくれて、ありがとう。何でもするから、情状酌量の余地が欲しいです」
「……チッ、そんなんじゃ当たり所ねーじゃねーか」
舌打ち、ため息と共に、彼女は僕のスネを軽く蹴飛ばした。
軽くなんだけど、ケンカとか全然しないから痛い痛い。
表情からは多少険が取れたので、たぶんもう殴っては来ないだろう。蒸し返しはあるだろうけど。
と思ったら、首の当りを掴まれる。下から見上げるそれは上目遣いとかじゃなくって、軽くカツアゲみたいだ。
「……アンタ、そういえば大学生だっけ。どこ?」
「へ?」
「いいから」
「あ、えっと……、上井大学」
「頭良いの?」
「さ、さぁ……。たまにヒデと教えあったりすることはあるけど」
「そ」
それだけ言って、彼女は僕から手を離す。
と思ったら胸を軽く叩いて言った。
「何でもするって言ったろ。じゃあ……、勉強教えろ」
「……そのくらいなら、喜んで」
どうやら当分、僕は彼女に頭が上がりそうにないらしい。
ただ、これだけは確認。
「ところで学校どうしたの?」
「今、昼休み」
どうやら、わざわざ殴りに来るためだけに学校を抜け出して来たらしかった。
※
「……はぁ」
ため息の理由は一つ。
店を出る時、店長から手渡された「肉パック」だ。
見れば見るほど、この誘惑は喉から手が出るほど欲しいものだ。だけど、倫理観的にそれをすることに、忌避感があるのも事実。
昨晩珈琲を飲みながら、店長は僕に色々と教えてくれた。
『珈琲を飲みながらなら、普通の食事をとることも出来る。もっとも栄養素は全くと言って良いほど吸収はされないがね』
『珈琲で誤魔化しながら、食事を出来るって事ですか?』
『そうでもない。味覚はそう簡単に誤魔化せない。強いて言えば、舌の上に残った不快感などを、珈琲で洗い流すことが出来ると説明した方が適確かな』
もっとも、君の場合は我々より吸収効率は悪くないのかも知れないが、と店長。
『退院してから今日まで一週間か。そこまで一応、人間の食事で食いつないでこれたのなら、やはり多少は人間に近い消化器官なのかもしれない。実際、君からは喰種らしい臭いが、ほとんどしないからね』
『匂い……』
『それもまた、次期に覚えよう。食事の練習もだ。さあ、今日は寝なさい――』
そしてお店で一晩休ませてもらって、翌朝から午前中だけお店で研修。
霧嶋さんや古間さんというらしい人達から色々教わりながら、体験実習。
「……贅沢っぽいよなぁ」
僕がこれを拒否する理由は三つ。一つは倫理観的な忌避感。理性が飛ぶほどの麻薬のような陶酔感。
そして最後の一つは、これが贅沢のように感じてしまうからだ。
喰種の場合は、人肉を食べないと殆ど生存することが出来ないらしい。
逆に僕の場合、普通に大食いすれば、味はともかく生活できてしまうかも知れないのだ。
僕のアイデンティティとして、やはり僕は人間なのだ。そう簡単に、喰種のものに馴染む事は出来ない。
そもそも喰種は、人間の天敵だ。論調の強い新聞とかじゃないけど、ついこの間までは、駆除されてしかるべきという意識が、どこかにあったかもしれない。
だから、試しにナイフを自分の手首に当てて見た。
結果は知れてる。ナイフが「折れた」。
その事実が、ますます僕が人間ではないと明言しているようで、気分が悪い。首筋も熱いし、ひょっとしたら体調不良とかもあるかもしれない。
「……とりあえず、ポカリと珈琲買いに行こう」
今後、絶対大量に必要になってくる。
いつも利用する例のコンビニに行って、予算的に買えるだけ買いに行った。
なんとなく、家に置いておくのも怖かったので、肉パックをかばんに入れながら。
途中、メガネのお兄さんが色々レクチャーしてくれたりもして、せっかくだからそれに合わせてみたりもした。
そんな帰り道だった。
「……何だ、この香りは」
――食欲が、猛烈にそそられる。
例えばそれは、記憶の古い古い先。初めて嗅ぐのにどこか懐かしいような。
母の手料理のような、その匂い。
気が付けば、珈琲片手に僕は探し出していた。
この臭いはどこから来るのか。
――今の僕でも、食べられる何かがある。
その確信こそが、僕の足を進ませる。
でも、結局あったものは、絶望ただ一つ。
「ああ……、嗚呼……」
「……ん、どうしたんだ君?」
路地の奥を潜って、前より更に一目に付かないその場所。
そこに居たのは、喰種。
倒れた人の肉を貪る、喰種。
「う……そ、だ」
認めたくない。
そんな、だって――死体の臭いに釣られてしまったなんて。
僕の記憶にあるハンバーグの香りと、死体の臭いとを完全に混同してしまっただなんて。
あんまりだ。あまりにも、あんまりだ。
膝を付いて倒れる僕に、喰種のおじさんは心配そうな顔を向けた。
「大丈夫か? 腹、減ってんのか?
俺、カズオって言うんだ。俺も久しぶりてあんまりやれねえけど――」
口振りからして、彼は”あんていく”所属の喰種ではないんだろう。
でも、こちらを気遣うその仕草は、完全に人間のそれと遜色ない。
ふと、僕はバッグから店長から貰った肉を取り出した。
「あの、これ……、どうぞ」
「あ、ありがとう! いや、正直この人は好きじゃなかったんだけど、殺すほど嫌いじゃなかったからさ。切羽つまってたのは俺が悪いんだけど、いや、ありがとう――」
これで無闇に、人を殺さないで済む!
彼の一言を聞いて、僕は、完全に思考が真っ白になった。
――次の瞬間にその喰種、カズオさんの首から上が消失していたのだから。
「はいドーン。ったく、人の喰場で食事してんじゃねぇっての。いくら
さーて、後の邪魔者は。
「……なんだ、さっきのコンビニの。何だグールかよ。だから買い溜めてたのか。
優しくして損したなぁ」
「あ、あ……あじは?」何を口走ってるんだ僕は。
「あ? ああ、ブロンディが美味いのは事実っしょ。ホットミルク流し込んで、甘めにするとまた格別」
よくは分からないけれど、どうやらカフェラテは珈琲が混じってるからかイけるらしい。
「って、そんな話じゃねーよなぁ。……ここは俺の餌場なんだよ。入ってくんじゃねぇ」
「がッ!」
霧嶋さんのそれと違い、可愛げが全くない持ち上げをして、僕を壁に叩き付ける彼。
「20区の喰種なら、そんくらい判ってんよなぁ?」
「な、何、を――」
「想像してみろ」
僕が渡した肉パックをとり、齧り付きながら彼は言う。
「自分の恋人が滅茶苦茶にされて倒れてる。そこに知らない男が被いかぶさっていて、そいつは下半身丸出しで言うわけだ。『俺は何もしていない、偶然ここにいた』。
――俺じゃなくても、普通、殺すだろ?」
口調の端々から、苛立っているのがわかる。
そして、彼は拳を振り上げ――。
「――ここはリゼの喰場だったろ、クソニシキ」
「あん?」「!?」
僕等の頭上から、聞き覚えのある声がした。
そちらを向くと、霧嶋さんが居た。制服姿だ。バッグが手元にあるあたり、ちゃんと学校に戻って、その帰り道だったのか。
飛び跳ね、スカートを押さえながら回転して着地する彼女。
こうして見ると、確かに身体能力は人間のそれより上なんだろう。
「知ってんだよ。あの”大食い”女、死んだんだろ?」
「だったら管理が”
「ハァ~~?」
メガネの彼は、酷く不快そうだ。
「日和った管理者連中共に、ゴチャゴチャ言われる筋合いねぇんだよ。
元々ここは、俺の喰場だったんだよ。アイツが死んだら俺のもんだろ」
「リゼが奪った場所は、今まで食い散らかされた分、力の弱い奴に渡す。アンタもそれなりに食うし、目立つだろクソニシキ。あんた一人で決める事じゃない!
第一、そもそもリゼにここ奪われたのだってリゼよりアンタが弱かったからだろ。
恨むなら自分の非力さを恨めよ、バ~~カ!!」
「……クソ生意気なガキにコケにされるのって、俺、超ムカつくんだよなぁ? あぁ!」
もはやメガネの彼は、僕からは興味を失ったらしい。
僕を落して、霧嶋さんの方に近寄る。
彼女はそんな彼を見つつ、ちらっと僕に目を合わせて、ぐいぐと顎をしゃくった。
逃げろ。
言外にそう言われいるのが分かってしまう。でも、同時に僕は首を左右に振る。さっきから、足腰に力が入らない。精神的に揺さぶられているのに加えて、きっと、本来動けるくらいの栄養が足りてないんだろう。
舌打ちをすると、彼女は悪態を続ける。たぶん、彼の意識を僕からそらそうとしているんだろう。
状況は血なまぐさく張り詰めてるのに、僕は、嗚呼、この子優しいんだなぁと、的外れなことを考えていた。
「……あっそ。私もさ。年上ってだけで偉そうにしてる馬鹿見ると、すっげぇムカつくわ――」
「――ほざけ!!!!」
瞬間的に、彼の腰の辺りから「何か」が噴出したのを僕は見た。
それが彼女の体を抉るように動いたことも。
ただ、それ以上の速度で彼女は、彼と僕との間に割り込むような位置に移動していた。
「遅い」
ぷしゃ、とメガネの彼の肩に今出来た、切り傷から血が迸る。
それを余裕そうに鼻で笑う彼だったけど、
「……ッ、浅いんだよこんな――!」
力んだ次の瞬間、体の要所要所、無数に抉られたように傷が出来ていた。たぶん、速度が速くて傷がくっついたままだったのだろう。
まるで古い映画の日本刀の達人のようなそれに、僕は言葉が出ない。
「じゃ、次はもっと強めでいい?」
見れば彼女の首筋から、わずかに黒い、例の羽根のようなものが出て居るような、出て居ないような。
それが、彼女の両手の手刀に絡み付き、切断力を高めていることは明白だった。
「~~~~チッ、このクソ女!」
一気に形成が逆転したように、一瞬蹲ってから彼は逃走した。
「……カズオさんの殺した分はともかく、二つも死体出しやがって。ヨモさんに処理頼むしかないか」
とりあえず片付けるから死体持てるかモヤシ、と、機嫌が悪いのか僕を罵倒する霧嶋さん。
僕は、まだ足腰に力が入らない。
「……何なんだよ、喰種って」
「?」
「ヒトは殺すし、仲間だって殺すし。……道徳や秩序は、どうなってんだよ」
「……少なくとも、店長はどうにかしたいって思ってる。だから”あんていく”がある」
力なく呟く僕に、霧嶋さんは終始、冷淡な声で言う。
「その様子だと、アンタまだ肉、食えてないだろ」
「……踏ん切りが付かなくて。あと、困ってそうだからカズオさんにあげた」
「あん? ……チッ、ニシキのヤロー、そのまま持って帰ってんじゃねぇぞ」
おやつ代わりって量じゃないのに、と彼女はため息一つ。
「じゃ食べな。持たないよ。昨日も言ったけど――店長から言われた事を、判断する力もなくなるから、アンタこのままだと」
「……」
「それでも踏ん切りが付かないって? なら――また、私が手伝ってやろっか」
その言葉の意味が判らなくて、僕は顔を上げる。
途端、半開きだった口に肉を押し込まれた。
瞬間的に、再び駆け巡る感覚。
吐きそうになる僕を、ヘッドロックの要領で顎ごと押さえる彼女。
どうしても、嗚呼、どうしても喰わなければならないのか、僕は。
嗚呼、僕は、どうしても、喰わなければならないというのかこれを。
憔悴しながらも飲み込んだ僕に、彼女は腕を離して言う。
「どうしたの。食えよ」
「……」
「喰えって言ってるんだよ、もやし野郎!」
ドン、と僕の顔面の横を通して、背後の壁を蹴る彼女。
睨む視線は、やっぱり、どこか強い。
「自覚してるんだろ。喰種の飢えは地獄だから。……そんなに人間気取りたいなら、一回、限界まで飢えればいい」
ただ、それでも。
どうしても、僕は彼女の言葉が、痛かった。
痛々しかった。
殴られた痛さとかじゃなくて、ただただ、何と言ったら良いのか。
「……霧嶋さん、優しいよね」
「…………ッ、は、はぁ?」
一瞬、戸惑ったような間のあった霧嶋さん。
自覚はないのかもしれないけれど、でも、普通ここまではしない。
昨日のアレだって、考えて見れば見ず知らずの相手に、ああいうことをするのだ。ある意味、人工呼吸にも通じる精神が必要になってくるはずだ。
だったらば。
「僕は、たぶん、簡単にはこの調子は変えられないと思う。いつか慣れなきゃいけないんだとしても」
「じゃ死ねば?」
「そうじゃなくってさ。……だからさ。”あんていく”の喰種たちのルール。三つあったよね。
人を殺して食べない。人間社会で生きて行く。そして――喰種同士、助け合う」
「……」
「こうも言ってたよね。”あんていく”の喰種は、人間が大好きなんだって」
だったら、きっと。
「それなら……、霧嶋さんたちも、たぶん、僕みたいなことを感じたりする時が、あるんじゃないのかな、と思って。人を食べることが、どうしようもなく辛いというか、感情がうねる時が、あるのかなぁって」
その僕の一言に、彼女は言葉を返さなかった。
彼女は、脚を離して、数歩下がるばかり。
僕が顔を上げると――彼女は、どうしてか目元が震えていた。
「……死ねッ」
僕に背を向けて、目元を腕で拭う霧嶋さん。
「あ、あれ、大丈夫?」
「死ねって言ってんだろ!」
取り付く島もない。
ただ、振りかえって睨むその涙目は、拭ったせいか赤くて、同時に何かを堪えるようにも見えて。
やっぱりそうなのかなと思って、僕は、ふっと全身から力が抜けた。
「……はぁ? ちょ、ちょっと待てよアンタ――何、熱!? 意味わかんない、ああもうッ
ヨモさん来るまで深夜までかかるし――」
霧嶋さんが何かを繰り返して言っていたのが聞こえたけど、段々とそれも薄れて、僕の意識は、熱に浮かされた。
※トーカちゃんが泣いた理由は、金木の思ったのとは多少違う理由です