「亜門さん亜門さん、ドマスの新作ドーナッツ買ってきたです、一緒どうですかー?」
「お前、またその格好……、その件はまた別に追求するからな!」
会議室に遅れてやって来た鈴屋は、手元にドーナッツマイスターの小袋を抱えていた。服装はどことなくハロウィンをイメージさせるようなもので、とてもじゃないがスーツとは呼べない。
そんな服装の鈴屋を叱りながら、俺はドーナッツを頬張っていた。
「おいしーですねぇ」
「同意するが、そのネクタイは何だネクタイは!」
「ストールですよネクタイじゃなくてー」
「首に巻いてれば何でもかんでも良いということではないッ!」
俺の叫びを受け流しつつ、鈴屋は指に張り付いたシナモンをなめとり、ふきんで拭いた。
そして遅れてやって来た政道が、とうがらしせんべいを持ってきた。……何だ、みんなひょっとして疲れているのか? 確かにここのところ仕事が続いているから、気が張り詰めているというのはあるかもしれないが。
「亜門さん、どうぞ!」
「いや、済まない。俺は辛いの苦手なんだ」
「んな!?」
顔が絶望に染まる政道に手を合わせる。落ち込んでいる彼に「食べますかー?」とポップリングドーナッツ(小さな球体が集って出来たようなドーナッツ)を差し出す鈴屋と、悔しそうにそれに齧りつく政道。
案外、前線で組ませたら良いコンビになるかもしれないと思いつつ、それを見ていた。
「篠原さんたち遅いですねー」
「確かにそうだな。報告でしたよね?」
「ああ。一週間分のまとめの報告だが……?」
そう思っていると、俺のガラケーに着信が入った。
中身を確認すると、篠原さんからの連絡だった。
他三人にも同じメールが回ったようで、鈴屋はそそくさと上着を脱ぎ捨てていた。
「……鈴屋、行くぞ。政道は後を頼む」
「ああ、わかりました」
「まさみちー、片付けお願いです」
「いや、これくらい道中のダストボックスに捨てて置けッ!」
「えー……」
「鈴屋」
「わかりましたよイットー、ケチだなまさみちもー」
「だから
叫ぶ彼に渋々といった風に、ゴミをまとめて袋に入れる鈴屋(一通り全員で中身は空にしていた)。エレベータの手前のダストシューターに放り込んで、ぱんぱんと適当に手をはたく。
二階で下りると、エレベータ入り口で篠原さんが待ってた。
「おっし、じゃ行こうか」
廊下を歩き、向かう先は小会議室。
「……しかし篠原さん、急に本局から客人とは……。相手はどなたです?」
「11区特別対策班の指揮官さまだ」
「しきかんー?」
「エライんだぞー? だからワンコみたいに噛み付いちゃいかんぞ」
「『お犬』じゃないんだから噛まないですよー」
「『お犬』はむしろ命令しなきゃ噛まないからな。あと、上げ足とって他の事なら良いとも考えちゃ駄目」
えー、と言う鈴屋に、篠原さんはやはり手を焼いているようだ。
しかし、やはり現状は11区に戦力を集めようと考えて居るのか……。20区はそこまで重要視されてはいないのか。
そして開いた扉の先。
「よぅ、待ってたぜ篠原ァ」
へっへと笑うのは、丸出さんに他ならない。
特等、丸出斎。以前”大喰い”の調査の際に、後方で指揮をとっていた方だ。
篠原さんは頭を搔きながら、少し苦笑いを浮かべていた。
「丸ちゃんうれしそーね……」
「現場指揮なんて何年振りだ、大抜擢だぜひゃっほい! うまく事が運べば給料も上がる。
これが喜ばずに居られるかってんだぃ」
正直に言えば、俺はこの人が少し苦手だ。真戸さんとある意味、対極的な思考の下で生きている。
懐かしむように俺の名前を呼び、肩をばしばし叩く丸出さん。
「久しぶりじゃねぇか。真戸の件は残念だったが、まぁ生きてりゃ何かいいこともあんだろ」
「は、はぁ……」
「今回の件で上手くいったら、例のスーパークインケの3号試着者、俺から推薦しといてやんぜぇ?
っと、でこっちのちっこいのが、例の?」
「そそ、例の、鈴屋」
篠原さんの耳打ちを聞き、上機嫌そうだった丸出さんは少しだけ得意げになった。
「始めまして、俺は丸出だ」
「鈴屋でぇす」
「有馬以来の和修直々の推薦ってことだが、まーあっちとはタイプが真逆っつーか……。戦えるか?」
「30秒でバラバラできます」
「頼もしいじゃねぇか。ちなみに、有馬は『一回殺せば死にます』だったか?
しっかし線細ぇな、タマついてんのか?」
「!?」「げっ」
俺と篠原さんが強張る。ギリギリのラインではあったが、この鈴屋はかなり暴力的な性質を持っている。
「丸ちゃんあんまり絡んでやるなよ、なぁ」
篠原さんが丸出さんを押さえつつ、鈴屋の方を見るが。
鈴屋は鈴屋で、きゅっと、股間を押さえていた。
「(とりあえず大丈夫だったか……)。
で、えっと、結局用事は何なん?」
「あ? わかってて言ってんだろ?」
丸出さんは俺達三人を見て、にやりと笑った。
「拒否権ないから先に言っとくぞ。
11区『アオギリの樹』掃討作戦に手ェ貸せ」
※
『やはり中々強引のようだねぇ丸出は。あれで猪突猛進だから、足元を掬われなければ良いが……。うかれっぷりから、私にさえメールを寄越すくらいだ。
――ほら、もっと素早く振り切れ
……では、頑張りたまえ亜門くん。影ながら応援しよう』
「はい!」
真戸さんからの電話を終えて、俺は資料室へ入った。
「お、お疲れ。真戸は何が言ってた?」
「影ながら応援すると。……それから、授業の最中のようでした」
「そうか……。何というか、あれで結構面倒見は良いからねぇ」
捜査官の名簿を並べながら、篠原さんは唸る。
「本局の捜査員入れすぎじゃないか? どれだけマルがこの作戦に気合入れてるかわかるけど、23区手薄になんだろ……」
「これで潰せるなら、問題はないということでしょうか……、いや、それほどアオギリを警戒しているということか」
「11区の状況が状況だからね。喰種研究者だったっけ? 下手にテレビに出られなくなるくらいだから、掃討切羽詰ってるんだよね」
名簿に俺も目を通す。特等以下、名の知れた捜査官が並ぶ中、流石に三等は鈴屋だけだった。
「マルは使えるのは何でも使うからね。有馬だって昔はそんなもんだったし。
しっかし敵さんも厄介だなぁ……」
ほれ、と手渡してきた資料。ジェイソンと呼称に書かれたその喰種の被害状況の酷さに、俺も思わず顔を顰めた。
「13区のジェイソン。ホッケーマスクと13区出身者であること、そして残虐性をまとめてそう呼ばれている」
「食べるっていうより、身体で『遊ぶ』タイプの喰種だ。その中でも飛びきりのサド野郎……。俺も何度かその痕見てるけど、まぁ直にやり合いたくはないね」
「組織の全体像も見えませんし、苦戦は必須でしょう」
「まったくマルのヤツ……。ハゲちゃえばいいんだ」
そう言って、篠原さんが俺の顔を見て、何かを思い出したように手を打った。
「そういえば亜門、お前の、というか張間のクインケ壊れてたよな?」
「え? あ、はぃ……」
――教官! この間のお礼です!
脳裏を過ぎる彼女の顔に、俺は、どこか忘れていた胸の虚を思い出させられた。
「……湿っぽくなるから先は言わないけど、とりあえず今度の作戦用に、真戸が用意してくれてるらしい」
「!」
「影ながら応援って、結構モロにやるよね真戸も。
ま、次は壊すなよ」
以前から真戸さんが言っていた、あのクインケのことだろう。
俺は気を引き締め、背筋を伸ばした。
丁度そんなタイミングで、資料室の扉が叩かれ。
「亜門さん、1区のラボラトリーからお客様がお見えになってます」
「はい……?」
言われた事は、予想もしていなかった方面からの、テレビ通信だった。
「やぁどうも、真戸上等から話は度々。
地行
「あ、はい……」
小会議室に置かれたPC。その手前で話す男性は、長い髪で目元が見えない研究員だ。名前は俺も聞いている。真戸さんのクインケを始め、多くのものを手がけている研究者だ。
そんな彼が何故俺に、という疑問は、彼の方から言ってくれた。
「篠原特等から聞いてなかった? 亜門一等。
君は、自律自走型クインケ”アラタ3号(仮)”の使用者候補なんだよ」
「……話くらいは。でも、失礼ながら自走型というのがよく……」
「ああ、そうだね。じゃあ説明するから、画面を見ていて」
彼がそう言うと、PCの画面には複数の設計図のようなものが映し出された。
一目でそれが、他のクインケと異なることが分かる。
「このクインケは、大本になった喰種の方が特殊で、その性質を「リンクアップシステム」を最大限利用して運用しようと作ってるところなんだ」
「リンクアップシステム、ですか」
「そうそう。赫子に対して「親」たる制御装置と、「子」たる本体。これを電気信号だけでやり取りして、必要に応じて「使用者の意志」だけで変化させたりするって使い方。
今の所これを除けば、IXAとかユキムラくらいしか使ってないんだけどね。
で、話を戻すけど。このクインケの使用者は、必ずあるビデオを見てもらうことになってるんだ」
「ビデオですか?」
「うん。それによって、ちょっとリンクアップシステムとのシンクロに影響が出るらしくてね。ま、要するに相性だよ」
相性? と俺は首を傾げる。
真戸さんに言わせればクインケとの相性は武器との相性と同じ意味だ。だからこそ、俺が候補に選ばれているという時点で改めて相性と言う事の意味が理解できない。
地行博士はあらかじめ分かっている、と言わんばかりに頷く。
「このタイプのクインケは、使用者の脳波と同調するんだよ。だから、その方向性で軽く相性が出るって訳だね。戦闘中に突如動かなくなったりしたら、不良品どころの騒ぎじゃないでしょ」
「な、なるほど」
「と言うわけで、これ付けてください」
ケーブルがいくつも伸びたヘルメットのようなそれを頭に装着させられ、俺はパイプ椅子に座らせられた。PCの横にあるジャックにヘルメットのイヤホンを刺し、彼はPCを操作。
すぐさま彼は別な端末を横に設置し、準備を整えた。
「大丈夫だと思ったら、パソコンのエンターキーを押してください。そこから始まりますので、自分のタイミングで良いので、ちゃんとこちらに言ってから始めましょう」
「わかりました」
と言われても、ここまで仰々しい装置は俺も初めてだ。多少緊張に身体が強張る。
「リラックスしてください。映像は襲いかかってきませんから」
「……」
再度、深呼吸。冷静に、となると俺はなかなか難しいかもしれない。
張間のこと、彼女のドウジマのこと。そして――それを蹴り砕いた「眼帯」のことが脳裏を過ぎった。
あの一件以来、ちらちらと俺の頭の隅に引っかかる影。あの喰種の言葉、表情。
そのいずれもが、俺の記憶の底を呼び覚ます。
――鋼太朗、だれが入って良いと?
――お前は私の、大事な息子だ。
「……お願いします」
冷静になれたかは別にして、気分は落ち込んだ。多少なりともこれで、冷静な判断が出来れば良いだろう。
そう思っていたからこそ、写された映像に俺は言葉が出なかった。
場所は真っ白に隔離された部屋。全体が白い照明で反射しており、いっそ病的でさえあるかもしれない。
その中央にカメラが寄って行く。
白いテーブルと椅子の前に、病人服を身に付けた男が一人。年齢は微妙に判別が難しいが、少なくとも少年とは形容しがたい。
疲れたような、やせこけた頬。
浮かぶ曖昧な笑みに、白い肌。
髪は所々血なのか、赤黒く染まっていた。
『――ん、えっと、これって僕の人生最後の映像になったりするのかな? え? お前次第? んん、難しいところだね』
男は両腕を拘束されており、手足を椅子に縛り付けられていた。
『やあ、どうも。貴方が誰かは知らないけど、まあ僕に対して、見た目通りの感情を抱いてはくれないでしょう』
その喰種は、どこか記憶にある、眼帯のそれと似たような目をしていた。
笑っているはずなのに、目はいまにも泣きだしそうだった。
『ただ、一つだけ言っておくことがあります』
――その男は、酷く悲しそうに笑った。
『もし僕を、僕等や家族を掃討するために使うというのであれば――僕は皆さんを死んでも恨みます』
※
作戦は、驚くほど順調に行っていた。
予定通り瓶兄弟二人のみ。片方が休憩に入るのをみて、僕らは隠れて走り出した。
逃げ始めてから既に数分。建物はまだ背後に見えて森も抜けてないけど、それでも少しずつ、少しずつ僕らは逃げることが出来ていた。
「暢気なもんだぜ瓶兄弟! ビビってる意味なかったかもなぁ」
「……カネキさん、俺、あんた来たときにピンと来るものがあったんだ」
メンバーの一人、二十代後半くらいの人が僕を見て、微笑む。どこかに言いようのない確信のようなものを抱えてるような表情で。
「隻眼の喰種ってのは、俺達と違って特別な力があるって聞いたことがあんだ。
だから、そんなアンタが俺達の味方になってくれるなんて、まさに追い風だ!」
「バンジョーさんも一撃でノしたって言ってるし」
「いや、あれは偶然――」
「いくら赫子が出せないって言っても、強くなんないとなーバンジョーさん」
「おい、どーゆー意味だこら!」
「そのまんまとしか……」
「鍛えた身体と喧嘩殺法で、大体はなんとか出来るんだ!」
「出来ないから今こんなんなんじゃ……」
周囲からの言葉に噛み付くバンジョーさんだけど、僕は聞き逃してない。
赫子が出せない? それは、喰種としてはかなり致命的なものなんじゃ……。
道中、新しい名前をどうしようかとか、静かにくらしたいとか、色々な話が聞こえる。
「お母さんは僕が守るよ!」
「おう、頼りにしてんぜチビ介!」
自由への期待や脱走の緊張が、不思議とみんなを高揚させていた。それは、解放から一歩手前だというものもあったのかもしれない。
だからこそ、油断があった。
「――やぁ、君達」
走っていた僕等の前方に、ヤモリと、ニコが居た。
瞬間、全員の血の気が引いた。
なにせその両手には、人間の生首がぶら下がっていたからだ。
何故いるのか、と誰かが言うより先に手で制して、ヤモリは言う。
「瓶の二人から、なんか変な動きしてるって聞いたんだよね。で、ちょっと張ってたって訳」
「アタシのお鼻、甘くみないで頂戴♪ あと、耳もネ」
得意げに笑うニコと、くつくつ肩を振るわせるヤモリ。
「聞いたよ? ニコから。バンジョーくんと愉快な仲間たちってところかなぁ。
反アオギリ? あっはは、僕らをナメない方が良い」
パンパンと手を叩き、生首を放り出すと。
彼は背中から赫子を出し――僕等に突貫してきた。
「ッ!」「おッ!」
反射的に腕を構える僕と、その隣で一緒に応じるバンジョーさん。でも、ヤモリの一撃は無論「赫子」だ。
僕等の腕が、削れる。
「――ッ」
クインケドライバーがないのが、こんなにもどかしいと思ったこともない。あれがあれば変身できずともこの相手を封じることが出来るかもしれないのに。
弾き飛ばされる僕。ヤモリはバンジョーさんの首を持ち、持ち上げ、こちらに投げた。
「反応は悪くないけど、ちょっと今は邪魔かなぁ?」
そう言って、彼は赫子を振るい、僕に話かけてきた人達の顔面を「落した」。
「あ――」
「どうs――」
「弱いからだよ。この世の不利益は、当人の力不足」
まるで散歩でもするような気軽さで、彼はその場の喰種を一人、また一人と――。
「おおおおおおッ!」
「っ、バンジョーさん!」
僕から立ち上がると、バンジョーさんはヤモリに再度特攻をかける。けど、ヤモリはあえて赫子を振るわず、軽く彼を往なした。足を引っ掻け転ばして、背中からストンピング。血を吐くバンジョーさんを軽く笑い転がして、顎を蹴り飛ばす。
「『穴が開かなかった』頑丈さは認めるよ。
でも弱いね。あとヌルい」
そうこうしている間に、瓶兄弟が僕等の後ろから駆けつける。
形勢は、完全に逆転していた。
「んん、組織の規範にそって言うと、裏切り者は――?」
「審判の後」「処刑!」
即答する仮面の二人に、ヤモリは「ああ面倒」と頭を左右に振る。
「時は金なり、すぐ殺しちゃえばいいのに」
「タタラさんのご指示だ」
「やっぱり何だかんだ言って、身内には甘いねぇ。裏切ったら別だけど……。
さて、じゃあ、こんなのはどうだい?」
ヤモリは僕を指差して、言う。
「――”リゼの赫胞持ち”のカネキくん。
君、僕と手合わせしよう」
何を言ってるんだ、この人は……?
「君が勝ったら、みんな自由。
逆に負けたら、基本通り」
「何を、言ってる――」
「嗚呼、心配しなくてもつまんない嘘は付かないからねぇ。僕、これでも良い上司で通ってるから」
肩を震わせて、ヤモリは笑う。
「僕にドライバーを装着させた時の思い切りの良さ。タタラと手を合わせていた時の反応、何よりこの状況でも、僕が何を考えてるか思考をめぐらす強かさ。部下として申し分ないよ。
……アヤトもタタラも、君の真価には気付いていない。だから、僕は君が欲しいんだ」
にっこり笑いながら僕に手を差し伸べるヤモリ。
そんな彼に、瓶兄弟は叫んだ。
「ヤモリ、黙って聞いていれば貴様!」「何勝手なことぬかしてるんだ。我等の世界を変えるための革命、蜂起――」「王への忠誠がないのか貴様!」
「んー、僕って君等みたいに『自分から』志願したわけじゃないからね。それにほら、最終的にはプラスになるよ?」
優秀なヤツが居た方が楽しいからねぇ、とヤモリは笑う。
「どっちにしても、僕が負けると思ってるのお前ら。何、先死んどく?」
「言わせておけば――」
「あぁん。もう、止め止めっ。
アヤトくんの部下なんだし、本当ならあっちが帰って来てからでしょ? だったらどっちにしても彼の部下を外れるんだし、引き抜き一人くらいだったら別に良いんじゃなくって?」
ニコの仲裁で、瓶兄弟は一旦引き下がる。「今回だけだぞ」と言って立ち去る彼等。
僕を立ち上がらせた痕、二コに耳打ちしてヤモリは「さあ、やろっか」と笑った。
「勝負は三本。先に相手に攻撃を三回当てた方が勝ち、だね。わかった?」
「……はい」
「か、カネキ! 駄目だ、そんなヤツの言う事――」
「バンジョーさん」
僕は、出来る限り笑いながら彼に向かって言った。
「現状、他に手はないみたいです」
「――ッ」
仲間の亡骸を抱えながら、バンジョーさんは拳を地面に叩きつける。
力不足を嘆いているのが、痛いほど伝わってきた。
ヤモリと相対する。彼は手の指を軽く鳴らして、微笑んで佇む。
僕は指先を噛み千切り、血を啜って意識を研ぎ澄ます。
『――あら、何だか久々に見る顔ね』
脳裏で、リゼさんの囁き声が聞こえた。
久々に見る?
『わからない? なら別にいいけど。
でも安受け合いしちゃって、勝てるの?』
「……」
それは分からない。でも、やらなきゃならない。
リゼさんの赫子を使わないといけない。でも、ドライバーのない今、積極的に頼ることは出来ない。
ただ、そうであっても――。
「じゃあ、よーい……はじめ!」
ニコの叫びを聞き、僕はヤモリに接近して突貫。
拳が避けられるのは既に一度見ている。また肉体の強度はスクラッパーほどでなくとも物理攻撃が通らない可能性が高い。
ならどうするか。
第一的に思い付いたのは、まず関節技だ。
それを、巨体に反してかなり俊敏な相手にどう使うか。
「――タタラが向いてるって言うだけある!」
足への蹴り胴体への拳。そして顔面へ赫子と三方向の同時攻撃。
それを笑いながら、ヤモリは交わす。だが残りの赫子二本の内、一本を背面から彼の後頭部に一撃。
打撃のそれだったけど、ニコは「カネキくん、一本!」と声を上げた。
ヤモリは楽しそうに笑いながら、僕から距離をとる。
「頭使う相手は好きだよ、あははは――ッ!」
そして、初撃を受けたヤモリが攻めに転じた。
弾丸のごとく迫ってくる相手。赫子を一本地面に叩き付け、その勢いで更に速度を上げたようだ。
これには流石に反応できず、流石に僕も腕でガードする。
ただガードだけじゃなく、保険も少し張っておいた。
そして激突!
「ヤモリ一本、カネキくんは二本ね」
「二本? ……おお、こりゃすごい」
跳ね飛ばされつつも、僕は腕に赫子を絡め、飛ばされる反動で彼の即頭部に一撃を入れた。
威力が弱かったから気付いていなかったようだけど、ヤモリはかすって血を流すこめかみを見て、舌なめずり。
「ルールがあってなお対応しようっていうのは、嫌いじゃない」
『カネキくん、私に代わる気はない?』
リゼさんの声が聞こえる。これは、以前ヒデの時にも聞こえたそれで。必然それは、食欲による暴走ということだろう。
ドライバーがなくても緊急事態すぎるからか、僕の意識は案外冷静を保っていた。
だからこそ、僕は心の内で首を左右に振る。
リゼさんは、それに少し残念そうな言葉を返した。
『そう。でもカネキくん、それだと貴方――』
『きっと、勝てないわよ?』
そして、僕の腹部に大穴が開いた。
「へ?」
痛みが振り切れすぎているためか、緊張のためか。痛覚が麻痺して、僕はその異常に一瞬気付くことが出来ず。
「流石に動いたから時間かかったね。君に足りないのは想像力だよ」
笑いながら、彼は僕の腹を「背中から」貫通した赫子を動かす。
血を吐きながら、僕はそれがどこから伸びているのかを見た。
「地、面――」
ヤモリと戦っている間、確かに彼の赫子は一本しか見てなかった。でも最初に見た時、確かに彼のそれは二本が中心になって、その周囲に棘のように分散していたことを覚えている。
とすると、この一本はついさっきまで、地面を掘り進めていたということか?
「うん、合格。いいよ君、勝負は引き分けでも――」
赫子を引き抜きつつ、ヤモリは僕の身体を支えて。
スーツのポケットから、肉を取り出して手渡した。
「食べな。カネキくん、君、鱗赫だろ。僕もだからわかるよ。
僕等は再生力が他より高いんだ。さあ食べな、勝負はお預けだ」
「お預け……?」
「勝負は引き分けでいい。だから、お互いの主張を半分ずつモノにする」
俺は君を手に入れて、君は彼等を逃がせる。
双方にとって、win-winじゃないかい?
楽しそうに言うヤモリに、僕は反応を返せない。
僕を抱き上げながら、上機嫌そうにヤモリはバンジョーさんたちから遠ざかる。
ヤモリの肩越し、こちらを見て叫ぶ彼等に――僕は、言葉も何も返せるだけの余裕がなかった。
『ねぇ、カネキくん――』
リゼさんの声が、朦朧とする意識に響く。
『――弱いって、残酷よねぇ』
どこか自嘲が含んでいるようなその幻聴に、僕は、どうしてか胸の奥を締め付けられたような気がした。
「――はい、そこです。嘘かどうかは信じなくてもいいので、上の方にそういう情報もあったって言うだけで結構です。はい……、はい、わかりました」
俺は受話器を置いて、公衆電話を出る。
三晃さんからの情報と、俺の調べた分を総合して、きっとこれだけあれば充分、向こうも信用に足る分だと思うだろう。
「……無事でいてくれよな。さて、と」
そのままさてどう家まで帰ろうかと思案していると、ものすごくシックなデザインの、お金持ちとかが乗ってそうな車がやってくる。
その運転席の窓が開いて、中から見知った相手がこちらを見た。
「……あれ、もしかして後つけられてました?」
「違うわ。ディナー帰りよ」
三晃さんはそう言って、俺に「乗って行く?」と聞いた。
「報酬の話もしたいし。どうかしら?」
「……えっと、良いんですか?」
「むしろ貴方が食べられることを警戒する側だと思うけれど」
「無意味に食べると足がつきますし、やりませんよね、三晃さん」
「……まあ、永近君のことだから自分に何かあった時の対策もあるでしょうし、ね。
ま、いいわ」
助手席に乗り込み、発進。
しかし……、こうして横から見て見ると、学校にいる時とメイクの種類が違って、結構綺麗なことに驚かされた。不躾に、気取られない程度に見つつ、俺は彼女に道中聞いた。
「で、報酬は?」
「今度、スカッシュの練習に付きあって」
スカッシュ? と頭を傾げると、彼女はわずかに口を尖らし。
「……負けたままというのも、少し癪よね。
でも掘さん、あんな特技があったとは」
なにやら言い知れぬ感情が、見え隠れしていた。