アオギリにおいて、バンジョーさんをはじめとした面々の仕事は雑務が主になっていた。朝起きてから夕方六時過ぎくらいまで、ある程度の時間は拘束される。
それでも昼食の時間は一時間とられていたり、トイレ休憩とかはちゃんとしていたり、意外とそこのところはちゃんとしていたのがビックリだった。
「能率を上げる為に士気を上げるのが一番だが、それが出来ないならまず環境だけでも整備した方がいいってのがタタラの意見だ。で、エトが面白がってタイムテーブル制とか言って組んだんだ」
「へぇ……っ」
アヤトくんに踏まれた腕を押さえながら、起き上がる僕。彼は彼でトーカちゃんみたいにストレッチングをしながら、僕を半眼で見ていた。
タタラが教育をしろ、と言ってから、僕からの質問には嫌々ながらも答えてくれるアヤトくん。意外と律儀というか、そういう時の仕草がトーカちゃんを思い起させて不思議な感じだった。
現在僕らは、訓練中。午前中はバンジョーさん達と一緒に工場のごとく人肉を缶に詰める仕事をしているのだけれど、午後は内部の案内をしたり、こうして戦う訓練をしたりということをしていた。
そしてもう一つ意外だったのは、タタラというらしい彼が、数冊本を僕に手渡したことだった。
本は格闘技、戦略や自己啓発など。
渡した理由を僕が聞こうとするより先に「お前トロそうだから、身体だけじゃなくて目でも見て覚えろ」と言われた。
まずは赫子を遣わない打ち込み。速度は遅れてるけど段々反応できるようになってきている僕だけど、やはり初速で絶対に適わない以上、アヤトくんの先攻を許すことが続いている。
トーカちゃんが主に胴体を中心に狙ってくるのに対して、アヤトくんは足とか顔面とかを狙ってくるので、モロに喰らうと危ないこと危ないこと。それでも本を読んで、三日くらい後には対応できるようになってきてる自分にびっくりだった。
「一日開いたのに、意外と動けんじゃん」
「……復習はしたからね」
「あっそ」
そう言いつつ鼻っ柱に膝を叩き込んでくるアヤトくん。行動の傾向は似ていても、一撃一撃に躊躇が欠片もなかった。
折れた鼻を押さえていると、彼は軽く指で捻って骨の位置を調整する。痛い痛いと叫ぶのに、心底面倒そうなため息をついた。
「お前、最前線でそんな声上げてたら死ぬぞ。ってか、今死ぬか?」
「いや、け、結構です……」
「何で俺がこんなもやしの面倒……」
肩をぐりぐり回すアヤトくん。そのまま彼は僕の襟を掴んで持ち上げた。
「今日はエトん所行くぞ」
「エト、さん?」
「……何でテメェ、エトはさん付けで俺はくんなんだよ」
突如そんなことを言われて、僕は一瞬焦った。
「へ? あ、いや……。ごめん、トーカちゃんとダブるというか、話聞かされてたから、なんか他人みたいに思えなくって……」
「あのバカ姉……」
色ボケでも起したか? という彼に、僕は首を傾げた。
「やり辛ぇ……。おら来いハンパ」
僕自身にはそれ以上何も言わず、トーカちゃんがどうのとブツブツつぶやきながら、彼は僕の先を歩いた。道中は多くの喰種たちが、アヤトくんに道を譲りながらも僕に不思議そうな目を向けて来ていた。何がそうさせるのか、ということについて情報が足りない。
タタラは言った。情報が足りないなら集めれば良いと。
ならば、僕はアヤトくんにまず聞いてみよう。
「……周りの視線が変なんだけど、心当たりない?」
「大方、タタラのせいだろ」
「?」
「”隻眼”なんて面倒、普通は捨てるだろうからな。
アイツが探してたのはリゼで、戦力だ。それが、蓋を開けて見れば真逆みたいな感じだったからだろ」
「……」
「な、何だよ」
「いや、何でも」
アヤトくん、意外と律儀に答えてくれた。
不意に、トーカちゃんが「良い奴」だと言っていたのを思い出す。同時に不器用だと言っていたのも。
とすると、ますますアヤトくんの行動がよく分からない。肉親のトーカちゃんに手を上げるような立場になってまで、一体、何をしたいのか――。
いや、逆か?
逆なのか? だとすれば、ひょっとしてアヤトくんは――。
「ほら着いた。行け」
「……アヤトくんは?」
「俺は別な用事、だッ」
「痛ッ!」
とある一室の前で、アヤトくんは僕を部屋の中に向けて、背中を蹴飛ばした。
転がって倒れた僕を、包帯とフードの誰かが楽しそうに笑ってた。
『Hi~、ようこそ。
死神ドクター、エトの臨床ラボへ!』
その死神とかいうフレーズは、身にまとってる赤い裏地の黒マントから着想したのだろうか。
部屋は何というか、凄まじかった。
いたるところに人形や縫いぐるみが転がっていて、そのほとんどがバラバラで。
顔面の口や目を糸で縫い合わせるような風にしてあって、見ているだけで寒気を覚える。
そしてエトと言うらしい彼女は、病院とかにあるバックライトのある机に座っていた。
パソコンをカタカタ叩きながら、エトは僕を見下ろす。
『何何、ほぅら立とうか。君、名前は?』
「……えっと、カネキです。金木研」
『カネキ……、へぇ、うん、よろしくね~』
ひらひらと手を振り、彼(彼女?)は僕を手前の椅子に座らせる。
『じゃあ、自己紹介。
エトだよ、主に弱い喰種を強く「改造」したりしてるよ~』
「改造……?」
『あとはお医者さんみたいなことしたりしてるかな~。ま付け焼刃なんだけど、やらないよりマシでしょくらいの感覚で。
まあ何にしてもヨロシク~』
他は皆自己紹介とかしないだろうけどね~、というその言葉は、皮肉か何かなんだろうか。
『じゃ、とりあえず診察しよっか。腕出して――』
エトは包帯をぐいっと上げて、自分の片目だけを露出させた。何故そっちだけ赫眼を露出させるのかと聞けば、片方瞑ってた方が集中できるからということらしい。
僕の片方の腕を手に取り、指を立てて握ったり、骨を叩いたり。強く握って脈を計ったりする仕草は割と適当に見えたけれど、ブラインドタッチで何かしらのデータを打ち込む様は、どこか慣れたものだった。
『はい吸ってー? はいそのままー……、おっけぃ、吐いてー。
じゃ喉は……、大丈夫そうだね』
そして腕と足と腹筋背筋を見た後は、なんだか普通に風邪の検診みたいなことをしていた。
聴診器を外して、彼女はうんうんと頷いた。
『すんごい人間っぽいね』
「……人間っぽい?」
『うん。なんかすごく、柔? い?
半喰種なんてみんなそんなものなのかなー。それとも、人肉以外も食べられる弊害?』
興味津々という具合に、相手は楽しそうに僕に話を聞いてくる。
「食べられるって言っても、全然美味しくないっていうか……」
『Rc細胞の左様かな、勿体ないねー出来るのに制限されてるって。
じゃ、ここからはメンタルチェックから。何でも「お姉さん」に話してごらん? あるいは質問とかでも聞いてあげるけど』
「……お、おね?」
『あれ、気付いてなかった?』
私女だよ、と言うエトに、僕は少し困惑した。
けたけた笑いながら、彼女は後ろにあった冷蔵庫から瓶を二つ。
『あはは、まあ初見で気付いたら逆にスケベぇすぎるから、別にいいけどね。身体ばっかり注視してない方が変に意識しないで済むしぃ。
はい、トマトジュース』
「と、とま……って、これ」
『うん、ブラッドだよー。大丈夫大丈夫、腐ってないから酔わない酔わない。
単なるジュースだと思って思って。あ、タタラとかアヤトくんには内緒ねー』
そう言いながら口元の包帯も少し緩め、一口。わずかに覗いたほっそりとした、それでいて丸みを帯びた顎元は確かに女性のものだった。
僕も一口飲んでみると、不思議な感覚だ。水じゃないけど、でもジュースのようでもなくて。甘いという感想が強いて言えば強いだろうか。
「じゃ、そうだねぇ……。趣味の話とか?」
「趣味ですか……。本はよく読みますね」
「ほうほうほう。じゃあ流行り所は押さえてる感じぃ?」
「多少は……。あ、でも高槻泉の作品はよく読みます」
「ほほぅ、
意外にも饒舌に話しに乗る彼女に、僕も少しだけ口が回った。
「高槻さんの作品って、やっぱりこう、悲劇的というか。でもそれでいて、主人公とかの心に何がしか、悲劇的だからこその救いみたいなのが、あると思うんです。
大事な人か、主人公自身か。長編になればなるほど、どちらかが失われる傾向が強くなると思うんですけど、洗練された文体や巧みな表現でそれを意識させない」
僕の話を、エトさんは無言で聞く。
「でも、根幹に共通する哀しみとか、怒りとか、空虚さとか……。そういう膨大な穴というか、不条理に対する感情というか。説明が上手くできないんですけど、そんな暗い感情がこちら側を覗いていると、読んでて思うんです。だから、高槻作品を読んでて面白いには面白いんですけど、同時に少し、怖い」
『怖い?』
「僕、あんまりまともな家庭で育ってないんですよね。だからそういう、何かこの世界全てに絶望しているような、だからこそ自棄になってなんでもかんでも壊してしまいたいっていうような衝動とか……。それが、すごく『わかる』んです。
きっと、すごく自分の生まれを呪っていて。
でも同時に、何かそこに価値が欲しいって渇望していて――」
僕の感想に、エトさんは微動だにせず数秒固まった。
「……あの、エトさん?」
「……あ、あ、あ、うん、ありがと」
「はい?」
「いやいや、いやさ、こっちの話……(やばいなんかくっそ照れる)」
なにやらブツブツと呟く彼女に、僕は疑問符を浮かべた。
それからいくらか話をする。珈琲のメーカーだったり、美味しい肉の調理法だったり(これは実践しようとは思わなかったけど)、おすすめのカフェだったり(以前月山さんから勧められた場所の名前が挙がってびっくりした)。
そしてその話の流れで、彼女は言った。
「20区だったら、仮面ライダーって知ってるよねぇ。狂気の喰種」
「狂気?」
「うん。だって、自分で「拷問器具」付けた状態で死地に赴くなんて、正気の沙汰じゃないでしょ」
「……」
「知ってる反応とみたね、君。
そうだねぇ、じゃあ、クインケドライバーっていう道具は知ってるかな? 喰種を拘束するため、Rc細胞を赫胞、赫子が入ってる臓器から血中に流して、毛細血管を伝い体表面に放出させるものなんだけど。赫子を出している状態だと、身動きが完全にとれなくなるって奴ね。
あれって実は、最初はRc細胞の活動抑制だけしか機能がなかったんだよねー」
「抑制だけ?」
「そそ。で、何で後付けされたのかと言えば――ある実験に使われてたからなんだ」
「実験……」
彼女はそう言って、目を細めて嗤った。
「――Rc細胞をどれだけ絞れば、喰種は『死ぬのか』」
「……それは、」
残酷だ、と言おうとして、でも僕の言葉は続かなかった。
「そういった実験の結果、現在のクインケにある『リンクアップシステム』とかが出来上がったらしいからねー。あーヤダヤダ、おめめ刳り貫かれちゃう」
楽しそうにケタケタ笑いながら、エトさんは言う。
「だから、もしそんな経緯のあるものを好き好んで付けているヤツがいたら、そいつはきっとどこか壊れてる。私なんかよりずっと、ずーっと壊れてて、それでいて本人がそのことに気付いてない。
とんだ茶番だねー。あるいは道化か」
「……」
「まあ、だからこそ……。いや、別に言わなくてもいいか」
そしてエトさんは、突然僕の頭に手をおいて、ぽんぽんと叩いた。
「君は、本当の意味で
「……はい?」
困惑する僕を、彼女はさっきまでとはどこか違った、少し寂しそうな目で見て笑った。
※
ここ数日の集りに出席すると、皆が夕食をとっていた。
夕食と言っても肉ではない。骨だ。それも小さな欠片。
「俺らは犬ッコロかよ……。只でさえ食べ辛いのに」
「……」
彼の気持ちもよく分かる。死体詰めの作業は、はっきり言って良い気分じゃない。僕が特に人間が混じっているせいもあるんだろうけど、吐き気がして頭がぐるぐる回って、何かを言い聞かせでもしない限り作業に集中できなかった。
アオギリで殺した人間たちは、狩猟班含む五班に分かれた喰種たちで加工していく。僕等やバンジョーさんたちを含む面々は、食材を食べやすくして詰める係。
そしてその中でも、殺した相手によって全く遺体が違うのも特徴だった。
アヤトくんは綺麗にカットされていて、エトさんが持って来るのは傷一つない(どうやって殺してるのかさえわからない)。それらと対極的に、ヤモリのそれはとても見て居られないくらいズタズタだった。
「バンジョーの兄貴、ごめんなさい今日は、僕のせいで……」
子供の喰種がバンジョーさんにそう言う。何だろうと思ってると、鼻先を撫でながら彼は笑った。
「ガキが身体大きくすんのは当たり前だ。でも、少しでも目をつけられっと計画が失敗するかもしんねぇ。母ちゃん守るんだろ? だったら今は絶対ガマンだ。わかるか?」
「……うん」
作業中に何かトラブルがあって、バンジョーさんが庇ったのだろうか。
頷いた男の子の頭を撫でて、バンジョーさんは自分の骨を渡す。
「え、これ――」
「俺はもうこれ以上デカくなりようがないからな! 痩せないとリゼさんにもモテなさそうだし――」
ぐう、という腹の虫。
「……」
固まるバンジョーさんに、みんなで顔を見合わせて、骨を少し割って手渡す。
「わりぃ」
やっぱりここの人達は、この人あってのものなんだろう。僕も、この真っ直ぐさに幾分救われている。
この場の彼等と一日ずっと一緒に居るって訳ではないのだけれど、それでも重いのだ。種族が違うと言ったって、それは生半可な感覚ではないだろう。
夕食後、たそがれているとバンジョーさんが隣にやって来た。
「何やってたんだ?」
「……友達と、みんなのこと考えてました。
後、トーカちゃん」
「トーカって、アレだろ? アヤトの姉の……」
「いい子ですよ。根っこが優しくて、強くて」
それはきっと、アヤトくんと毎日のように拳を重ねているからだろう。
少し、確信めいた考えが頭を過ぎっている。トーカちゃんの話と、アヤトくんの挙動や口ぶりと。根っこはやっぱり、トーカちゃんとそんなに違いがないだろうことを思えば、たぶん僕の予想も、大きくは外れていないのだろうけど――。
だとすれば、僕はアヤトくんを止めることが難しい。
状況が状況なら、きっと僕だって何かしら行動してしまうだろうから。
僕は、僕の中の善性を信じてはいない。
「……みんな、どうしてるかな」
あんていくのみんなもそうだけど、ヒデ。僕が居ない間に、また変な趣味でも目覚めたりしてないだろうか。
是非とも11区には近寄らないでもらいたいけど、本気で彼が動いたら僕なんて、とてもじゃないがヒデのバイタリティを止める手立てはない。
それが頼もしいのと同時に、僕は心配で、怖かった。
「……俺達、たぶんもうあんまり時間がない」
「?」
「リゼさんを見つけられなかった時点で、アオギリにとって俺の価値なんてほとんどないだろうさ」
バンジョーさんは自嘲しながら、僕と一緒に空を見上げる。
「今でも思うんだ。
リゼさんみたいな強い喰種がリーダーだったら、11区は制圧されずに楽に生きられたんじゃないかって」
「……」
「だから俺が殺されても、皆は逃してやらなきゃいけない。俺、リーダーだし」
僕は、その横顔に母さんのそれをだぶらせて。
「……自分を、諦めないで下さい」
その言葉に、彼は驚いたように僕を見た。
「僕は、たぶん皆も、バンジョーさんがリーダーで良かったって思ってますよ。バンジョーさんだから、ここまでやって来れたんだと思います」
「カネキ……」
「だから、生きようと思ってください。それがないと、きっと、ヒトって簡単に自棄になっちゃいますから」
「……ありがとう、カネキ」
少しだけ嬉しそうに笑って、バンジョーさんは鼻の下を拭った。
僕もつられて笑い、空を見上げる。
そうだ、僕は生きて欲しいんだ。死んでまで何かをなさなきゃいけないなんて――。
そんな風に考えるのは、僕だけで充分だ。
エト「オモチャにするのが何か勿体なく感じてきたなー、あんなに読み込んでくれる読者とかもはや愛じゃね? って思うんだけど、そこのところどー思う? タタラ」
タタラ「……お前、変なものでも食べたか?」