「……また死体だ」
20区の外の様子は、特にこの11区は思っていたよりも更に酷いものだった。
人間も、喰種も、殺し殺され。絶対数的には喰種が優勢のように見えるが、リゼくんが引っ越してからさほど過激でなかった11区だ。捜査官たちの傾向を見ても、それが窺い知れた。
もし本局が本気で潰しにかかれば、きっとかなりの数が潰し合うことになるだろう。
今更胸を痛めても遅いが、やはり、私の脳裏には嫌な情景が思い浮かぶ。
「中東の戦場を思い出すな……。
四方くん、彼等の情報は集ったかい?」
「はい。一人捕らえて吐かせました。
奴等はやはり”アオギリの樹”です」
「構成員は?」
「不明ですが、以前よりも爆発的に拡大しているところだと。
それから――率いるは”隻眼の王”だと」
「……そうか」
今は亡き笑顔と後悔。胸を焼くこの炎は、どうしても私を只の喰種として居させてはくれないらしい。
腰に装着しているドライバーを撫でながら、私は気を引き閉めた。
「……どこまで言うことかはわかりませんが、アイツは――」
「――”王”というからには、違うのだろう。あの子は……、いや、それは構わない。
急いで戻ろう、あんていくへ」
今まで集めた情報と、浮かぶ予測が正しければ。
「カネキくんが危ないかもしれない。……まったく、リゼくんも大きな土産を残してくれたものだ」
『――
全身に管のようなものが張り巡らされる感覚も、一体どれほどの回数を重ねたことか。既に痛みという概念を通過して、日常の一部となっている。
そこから私は意図的に、より強く念じて全身を被う赫子を、鳥の形のようにして分け。
愛車のV-MAXにそれを纏わせることで、四方くん曰くの「マシン・バトルオウル」が出来上がる。
「乗りなさい、四方くん」
「失礼します」
私の後ろに腰を下ろし、赫子を用いて固定。
手を回さず、四方くんはバトルオウルの後ろにあるグリップを握った。
「飛ばすから、しっかり掴まってなさい」
そしてバトルオウルをウィリーさせ、背部のショートウィングを展開。
前輪が落ちる勢いに任せて、急加速を付けて夕暮れを疾走した。
※
トーカちゃんと二人きりだ。
……今日のシフトは、トーカちゃんと二人きりだ。何度でも言う、トーカちゃんと二人きりだ。
別にそのことは問題じゃない。些細な話だ。今まで何度かないわけじゃなかったし、あんていくでも付き合いが一番長いのはトーカちゃんな訳で、むしろ睨まれるのにも慣れ親しんだ感じさえする。
なのに、いや、だからこそ。
僕経由であげた貴未さんからのプレゼントの髪留めを付けて、ちらちらと僕の方を見られても困る。
「……、な、何?」
「……別にッ」
今にも舌打ちしそうな、でもそれでいて何かそわそわするような、そんな顔は止めて欲しい。ちょっと、対応に困るというか。西尾先輩経由のせいか、兎をデフォルメしたような髪留めは、トーカちゃん的にストライクなものだったのかもしれないけど。
でも、そわそわしてるのって、ちょっと……。
まさかとは思うけど、僕にに感想を求めてるのだろうか。
「何か一言くらいあっても良いだろ……」
ぼそっと耳に入った一言で、ますます僕は困惑した。いやさ、だって、えっと……。言ったら言ったでまた睨まれそうな予感もするし、仮にここで逆に顔を真っ赤にされたりしたら、もっと困る。
いや、えっと、もう正直に認めようか。
ストライクゾーンからちょっと外れてるし、年齢的に引いてる部分もあるけど、ヒデが言うようにトーカちゃんは普通に可愛いのだ。
そんな彼女が、そんな素直になれない小さな女の子みたいな、情緒溢れるリアクションをされでもしたら、はっきり言って照れる。尋常じゃないくらい照れるし、慌てる。
まぁでも、ここ最近揺れてたのと比べたら、今みたいな感じの方がまだ健全なのかもしれないけど……。
さて、どうしたものか。
そんなことを考えてると、不意にトーカちゃんの口元が。
「……トーカちゃん、涎出てる」
「……ふぇ? あ? え――ッ! わ、わわわッ!」
「あ、慌てると危ないって」
僕の一言に、慌てて口を拭おうとしたトーカちゃん。カップを洗っていたこともあって、手元からぽろりと零れそうになる。
慌てて僕も彼女の手をとり、とりあえず落ち着けた。
ティッシュを胸ポケットから取り出して、羞恥に震える彼女の口元を拭う。
「どうしたの? なんかぼーっとしてたみたいだけど」
「えっと……」
非常に言い辛そうなトーカちゃんだったけど、観念したみたいに彼女は言った。
「……あ、あのさ」
「ん?」
「出来たらでいいんだけど、舐めさせて」
「……………………………………………………………………へ?」
数秒、彼女の言っている言葉の意味が僕は理解できなかった。
トーカちゃんはカップを戻し、手を洗いながら言った。
「変なことじゃないから。だから、その……指とか、舐めてもいい?」
「いや、あの、ごめん言ってることがよく分からないんですが……」
彼女は照れたように少し俯いた。
「……なんか不意に、アンタの味を思い出したら、その……」
「……そんな、月山さんみたいなこと言われましても」
思わず敬語になる僕。味って、アレだよね。月山さんと戦ってた時に、エネルギーを供給する為に僕の肉を一部食べたアレだよね。
冗談抜きで、今でも少し歯型が肩に残ってるのだよね。
「ウマかった」
「……あの、トーカちゃん?」
「死なないんだったら、それこそ骨までしゃぶりつくすくらいウマかった」
「そんなカミングアウトされましても!?」
「す、好きでこんなこと言ってるんじゃねーよ、バーカ!」
うがー、と歯をむき出して叫ぶトーカちゃん。店内に人がいなくてこれほど良かったと思う日も珍しい。
食べなくてもいいから、とトーカちゃんは言う。
「だからその、味? 少しだけでいいから、その……。なんか気になって、仕事になんないのよ」
「えっと、それ傍から見ると大分はしたない行為に見えない?」
「「……」」
しばらく押し黙る僕等。バイト中というか仕事中というか、なのに何をやってるんだろうと思わないでもない。
なんだ、この状況。
最近トーカちゃんはおかしいけど、直のこと今日とか、この間とかはおかしかった。突如カラオケに連れ込まれて悩み相談みたいなことをしたり、ぶらっと一緒に本屋に行くぞと命令されたり。
と、トーカちゃんは逡巡した後、上目遣いに言う。
「だ、駄目?」
「……」
えっと……。何だろう、この、僕が悪いみたいな感じ。無下に断り辛い。
「……指だけだよね」
「……ん」
とりあえず首肯したので、かなりの葛藤の末、僕は躊躇いがちに右手を差し出した。
「最初からこうしてりゃいいんだよ、バカネキ」
なんかいつもと違う罵倒のされ方だ。でも、声に威圧感が全然ない。
半眼のまま、トーカちゃんは僕の手をとって、人差し指を軽く握る。
そしてそのまま目を閉じて、自分の口元へ。
「……」
何なんだこの状況。っていうか、何? 大丈夫か僕!?
いやいや、これってかなり危ない光景なんじゃないかと今更ながらに気付いた。人のこと言ってられない、どうしたんだ僕はッ。
嗚呼そしてトーカちゃんの唇が、このまま行けば僕の爪と指を上下から挟むというか、口内の舌が恐る恐る前に出てくるような――。
そんなタイミングで、丁度あんていくの扉が開かれた。
「うあああああああああああッ!」
「い、いらっしゃいませええッ!」
「あ、あ?」
来店した男性は、トーカちゃんの叫びと慌てた僕の応対とが入り交じった声を聞き、困惑した表情を浮かべた。
大きな身長、渦を巻くような特徴的なヒゲ。見た目は柄の悪そうなイメージこそあるけど、体格はそこまでケンカ慣れしてるというか、顔のイメージよりは細かった。
トーカちゃんは深呼吸を繰り返す。
僕は一足先に立ち直ったので、改めて「いらっしゃいませ」と言い直した。
「……店長はいるか?」
ずい、と彼は一歩踏み出し、僕等を見下ろす。
と、見れば彼の後ろに数人、フードとガスマスクめいた仮面を被った人達が――。
不審に思いながらも、一応僕は応対した。
「店長は、今は留守ですが――」
「何だと? じゃあ話が聞け……!? ア!!?」
彼はトーカちゃんを見て、驚いたような声を上げた。
「あの、用事があんなら珈琲一杯くらい出しますよ、お客さん」
「……い、いや女か……。アイツな訳ねーよな」
「?」
声を聞いて、しかし彼は何か落ち着いたように深呼吸。
用事があるなら店長に伝えましょうか、と聞くと、彼は「いや、いい」と断った。
「……聞きたい事があるんだ、アンタらにも」
そして、彼の言葉にぼくは目を見開いた。
「お前たち――神代リゼって喰種を知ってるか?」
「!」
この人、一体……。まさかこのタイミングでリゼさんの名前を聞くことになるとは。
ちらりとトーカちゃんを見ると、彼女は自分の目元に指をやる。
ということは、目を確認するというジェスチャーをするということは――。
「……奥で話聞くわ。ついてきて」
そう言って彼女は、外の扉を「close」にした。
「とりあえず”眼”を見せて」
2階にて、トーカちゃんの確認に彼は両目を瞑り、深呼吸。
開いた双眸は間違いなく赫眼の色をしていた。
「俺はバンジョーだ。リゼさんとは11区で一緒だった」
「11区――」
ニュースで取り上げられていたところだ。
リゼさんはそこに居たのか――。
「んで、何でリゼ探してんの?」
「! 知ってんのかリゼさん! そうか……」
拳を握りながら、バンジョーさんはほっと一安心といった表情を浮かべる。
この人、ひょっとしてリゼさんの知り合いなのだろうか。でも、それにしては情報が遅いというか……、いや、区を跨ぐとまた事情が違うのだろうか。
歓喜を浮かべる彼は、リゼさんがもう居ないとまるで知らないようで。
「で、リゼさんは今どこに……?」
そして、その視線が僕にロックオンされた。
はい?
「あのー ……」
顔を近づけて来て、バンジョーさんは切羽詰った表情で僕の臭いを嗅ぐ。
月山さんといい、どうして喰種は僕の臭いを嗅ぐのか……。
だけど、そう軽く考えていたのが、ちょっと警戒不足だった。
彼はギロリと僕を睨むと、襟首を掴んで持ち上げた。
「何でテメェから、リゼさんの臭いがすんだ……?」
「へ!?」
リゼさんの臭い? いや、そういえば確かに僕の臭いは喰種のものではなかったか。
いや、しかしそれにしても……、明確にリゼさんの
「ちょっと、店で暴れんな!」「バンジョーさん、落ち着いて落ち着いて!」
トーカちゃんと、彼の仲間の一人が叫ぶ。
それを背に受けながら、どうしてだろう、バンジョーさんはぷるぷると震えた。
「……なのか?」
「は、はい……?」
そして、僕の顔に向けて、思いっきり全力で彼は叫んだ。
「リゼさんの男なのかッ!!」
「へ……?」
「……」「「「……」」」
僕以下、全員の時間が止まった。
えっと、どうしよう。片思いとはいえ恋慕していた僕だ、なんかわかんないけど後ろめたい気持ちが湧きあがる。
「いや、あの、僕、彼女とは全然そんなんじゃ――」
「か、”カノジョ”ォォォォォォォォォォォォォォォォ――ッ!?!?」
バンジョーさん魂の叫び。
違いますと連呼しても、錯乱して拳を振り上げた彼の耳には届いていない。
「あ゛? んな訳ねーだろ」
そこで何でトーカちゃんが忌々しそうに言うのか。
反射的に僕は彼の腕を受けて、回転し、受け流すようにしながらエルボーを首の裏側に一撃。
ぐぇ、みたいな声を上げて倒れる彼に、僕は慌てた。ついトーカちゃんとか、四方さんとかの訓練の感覚が出てきてしまったけど――。
「あ、あの、すみません、大丈夫です……、か?」
そして、床に倒れたバンジョーさん。
微動だにせず、真顔のまま倒れていた。伸びてる……。
『やっぱりかー』『ホント弱いのに……』『すみません、ウチのリーダーが』
「よわ。……いつもこんなん?」
『まあ、大体』
仲間の人達の声も、どこか慣れたような口ぶりだった。
今回打ってて思った。こいつらもう付き合ってるんじゃないかな;