仮面ライダーハイセ   作:黒兎可

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※ライダーとは言っても、恋愛描写がないとは言ってない


#002 変異/災厄

 

 

 

 カフカの有名な小説に、青年が大きな毒虫になってしまう話がある。

 僕はそれを小学校五年生の頃に読んだのだけれど……。

 

 当時は、もし自分がそうなってしまったらどうしよう、くらいにしか考えてなかった気がする。

 

 

 

『――少女に臓器提供の意志はあったんですか? 遺族への確認は――』

『――彼女は見殺しですか!? 医者なら全力を――』

 

『――彼女は搬送された時点で死亡が確認されており、即死だったものと思われ――』

 

『――誤診の可能性は――』

『――まだ脳死状態だったかも――』

 

『――何にしても、自分の目の前の命を救うことが重要だったと、私の使命だと考え、今回の決断を――』

 

「……」

 

 テレビで、僕を救ってくれた嘉納教授が、メディアに対して何事か言っていた。

 内容は決まっていた。僕が生き残って、彼女が死んだ。その理由は何かということについて、考えれば自ずと知れた。

 

 トイレの鏡の前で、服の前ボタンを外せば、僕の命を繋いだ傷跡。僕の命を奪い欠けた傷跡。

 肝臓のあたりをぱっくりと切り裂いた、その痕。

 

 ――時間が経てば経つほど、あの日の出来事から現実感が薄れて行く。

 リゼさんが「喰種」だったことも。

 そして――僕の目の前に現れた、「仮面ライダー」。

 

 「喰種」とはまた別な意味で、仮面ライダーも都市伝説だ。怪人を倒す超人。主にバイクに乗っていることが多いため、ついた通称がそれらしい。

 むしろ現実的に何ら話もないので、こっちの方が都市伝説だ。

 

 あのフクロウのような仮面。超人的な戦闘能力。

 

 何より、リゼさんのそれと同系統の力を使っていた部分が、違和感こそあれど、嗚呼、これがライダーなのだという説得力を伴っていた。

 

 

「調子はどうだい? 金木君」

「……まぁ、普通です」

 

 嘘だ。だが、余計なことを言えば危険なことを、僕は本能的に判断していた。

 病人食を残している事に、診察している時の先生は不審がっていた。

 

 しかし――受け付けないのだ。

 

 魚は、嗅覚を劈くように生臭い。

 味噌汁からはタールのような濁った機械油の匂いが漂う。

 豆腐の食感は動物の脂肪を塗り固めたような感覚。

 白米に至っては、口の中で糊でも捏ねてるような――。

 

 総じて、不味い。

 

 無理やり飲み込むことは出来る。たぶん消化とかもされてるんだろう。

 でも、何日も繰り返してたらきっと発狂する。それくらい不味いのだ。

 

 看護師さんも味は普通と言っていた。

 

 つまり、異常なのは僕の味覚だけ。

 

 ――本当に味覚だけなのか?

 

 その可能性に、少なからず襲われる僕。

 大学に復帰してからも、食欲は減る一方。

 

 ヒデが、体調の優れない僕を心配して、女の子が可愛いステーキハウスに誘ったりもした。

 今日、僕はそれに招待される形。

 

 嘉納先生の所から退院しても、治る気配が一向にない。

 

「「「「「いらっしゃいませー!」」」」」

 

 ビッグハンバーグと目玉焼きハンバーグをオーダーしてから、ヒデは僕に苦笑いを浮かべる。

 

「お前んとこの医者、すげー叩かれてるよなぁ」

「未だにワイドショーで出てるからね……。本人または遺族の同意なしに移殖したのが問題視されてる。倫理的にとか、制度的にとか」

「でもその子……、家族誰も居なかったんだろ? しかもほとんど――あ、悪い」

 

 ヒデには真実を伝えていない。彼女に襲われたこと、喰われそうになったことも。

 現実味がなさすぎるし、何より今は忘れていたい。

 

 ひょっとしたら、リゼという名前さえ偽名だったのかもしれない。 

 あの時、確かにリゼさんが好きになりかけていた僕だったけど。その姿が虚構だったろうことが、意外と僕は堪えていなかった。

 

 ウェートレスさんが僕らの前を横切る。配膳するために盆を運んでいた。

 

――そして、そのミニスカートとニーソックスの間。

 柔らかな人肌が露出している箇所を見て、不意に、僕は「ああ、うまそうだ」と思った。

 

「…………ッ!」

 

 口元を拭う。涎が出ている。

 今、何を考えた? 僕は。

 

「……おいカネキ、今俺の面白トークシカトしてたろ」

「あ……、ごめん」

「…………本当大丈夫か? いや、ガッツリ系に連れ出した俺も俺だけどよ」

 

 お待たせ致しました、と目の前に配膳されるハンバーグ。

 これを見ても、僕は、欠片も「美味そうだ」と思わない。……思えない。

 

 水は飲める。それだけが現時点では僥倖と言うべきか。

 

 唾を飲み込むその仕草は、むしろ食欲より忌避感から来るものだ。

 

「うめええええええええええ!」

 

 ヒデは美味しそうに食べる。実際、ハンバーグは美味しいのだろう。

 でも、僕はとてもじゃないが食べれない。

 

 あれほど大好きだったハンバーグが、今じゃ単なる拷問道具だ。

 

 食べてはいる。ヒデを心配させるから。

 でもその味は、食べたこともないけど、豚の生きた消化器官を、外側から舐めているような――。

 

「……ごめん、半分で」

「あー、悪い悪い。……ちょっとずつでも食べろよ、カネキ。体力持たねーからな」

「うん、ありがとうヒデ」

 

 結局、料金までヒデに奢ってもらう始末。立つ瀬がない。情けない。

 

「……何だって言うんだ、僕の体は」

 

 

 本当は、気付いている。

 

 気付いてはいるけど、目を背けたい自分がいる。

 

 

 

 公園のベンチに背を預け、無為に現実から目を背ける。

 

 ボール遊びをしていた小さい子が投げたボールが、それてこちらに当る。

 それを拾って渡してあげた時、その子から漂う汗の香りに、理性が飛びそうになった。

 

 

 

 あふれ出るその感覚は――文字通り、衝動的な食欲。

 

 

 

「……」

 

 家でベッドに横になる。現実逃避する他に道がない。

 

『――高田ビル通りであった、”喰種”の捕食事件――』

『――ここで喰種専門家、小倉先生にお話を――』

 

 画面に映るちょび髭のおじさん。彼が言うには、グールは短期間で大量に食事する必要がないらしい。

 だからこそ、こんな「大食い」は性質が悪い。

 

 そもそも、喰種は人間の食事で満足できない。人間以外から栄養を吸収することが出来ない。全くとは言わないが、相当に効率が悪いためだ。喰種特有のある酵素が原因であるらしい。

 

 舌の作りからして、まず人間のそれとは大きく違う。食べるものが、凄まじく不味く感じるらしい。

 

「……」

 

 一応、説明はつく。

 僕に移殖された臓器は、リゼさんのものだ。だから彼女の臓器から、その酵素が体に回って、食事に対する感覚が変わってしまったのだ、と。

 

 ただ、そうじゃないという気が僕はしていた。

 

 色々なものを食べた。冷蔵庫にしまってあったカレー。りんご。冷凍食品。ファーストフード店で買って来たハンバーガーの残り。

 

 どれを食べても、満足できない。

 

 味が、とても受け付けない。

 

「……ッ」

 

 それでも無理やり飲み込んで、流しこむのは現実を認めたくないからか。

 

 

 ――毒虫となってしまったザムザにとって、新鮮な食べ物は口に合わず、腐り掛けのチーズなどを好むようになったらしい。

 

 だとするならば、僕にとってのチーズは――。

 

 試すまでもない。嗚呼、試すまでもない。

 

 

 今日一日のそれを振り返れば、自ずと答えは見えてくる。

 

「……」

 

 それでもなお、何か合う食べ物はないかと考えて、僕は家を出る。

 コンビニに向かう足取りは重い。つい先日、霧嶋さんを送ったりした道のりの途中。

 

 路地裏ということもあって人通りは少ない。

 そこを歩いていると、女の子が、中年に絡まれていた。

 

「ちょっと……ッ」

「そんな足出しちゃってさぁ……。いいから来いって、遊んでくれよぅ」

「離してって、これから家に帰る途中――あっ」

「……あれ、霧嶋さん?」

 

 酔っ払いに腕を掴まれていたのは、霧嶋トーカさん。喫茶「あんていく」のアルバイトさんだ。

 今日も帰りが遅い……。バイトか、はたまた友達と一緒に居たのか。

 

「助かった! ちょっと、カネキさん聞いて下さいよー」

 

 ほっとした顔をした彼女は、掴まれていた手を払い近寄り、僕の左腕を「抱きしめて」くる。意図的に牽制をかけているのが丸分かりだけど、僕は、それどころじゃない。

 

 可愛い女の子とくっついている、という理由からじゃない。

 

 

 脳裏に涌いたのは――食欲。

 

 

 

 ショートパンツから覗く柔らかそうな脚。手の甲をくすぐる脂肪の感触。

 細い胴体と、その内側に詰まっている肉の臓器。腕に押し付けられる、案外大きな「肉」の感触。

 

 それらが齎したものが異性に対する緊張などではないのが、酷く恐ろしく、「愉」しかった。

 

 

「何人が目をつけた娘と。……何? カレシ? こんな――」

「――ッ!」

 

 そして、僕の視界は、半分が歪んだ。

 

「――な、何だその気持ち悪い目!?」

 

 酔っ払いは、目の前で酷く動揺した。

 

「カネキさん……?」

 

 目を見開く霧嶋さん。

 その目に映った僕は――片方の目が、赤と、黒に染まっていた。

 

「あ……ッ、あ……」

 

 僕の脳裏に、リゼさんが踊る。

 笑い、嗤い、ただただ愉しそうに僕をいたぶり。

 

 愛しそうに「食べよう」としていた彼女の姿が、その顔が、表情が――目が。

 

 霧嶋さんの目に映った僕のそれに投射され、ダブり、思わず僕は彼女を突き飛ばした。

 

 驚く霧嶋さん。そして、彼女の腕を引くおじさん。

 

「このバケモンが、そんな野郎より――ッ」

 

 だが、酔っ払いさんの言葉は、それ以上続かなかった。

 びゅん、という音と共に、彼の首が「握られる」。

 

「……アンタむかつく。何? 目の色が違っただけで『バケモノ』なの?」

「は……はぁ?」

「バケモノってのは、もっと『言葉』が通じない相手でしょ。……アンタみたいな」

 

 ぎり、と彼女は歯軋りをして、掴んだ左手でおじさんを「持ち上げた」。

 

 彼を睨む彼女の目は――黒目が赤くなった、真っ黒な瞳だった。

 

「ひ、ひぃィー―ッ」

 

 どさり、と落とすと、彼の腹を蹴り上げる彼女。

 その一撃の威力は、明らかに見た目通りの女の子のものではない。

 

「感謝しな。私が『違って』たら、アンタ命なかったわよ」

「あ――ああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 霧嶋さんの背中からは、赤と黒で彩られた、羽根が出現していた。

 

 

 

 

 それは凄く綺麗で、彼女の瞳の色に合わせたもので。

 

 制服の首筋のところから、煙のように漏れ出る、蝶のような、鳥のような翼。

 

 

 目の前の光景に見蕩れる僕と、失禁しながら駆け出す酔っ払い。

 

 

 アンモニアになる前の匂いに顔を顰めつつ、彼女は口元を手で覆った。

 

「クソ……。こんなんでも食欲出てくるから、”喰種”って面倒くさっ」

「……き、霧嶋さん」

 

 肩に下げていたバッグから、彼女は何かを取り出す。

 おつまみのジャーキーのようにも見えたそれを、彼女は加えて、噛み千切る。

 

 それと同時に、背中のそれが霧消していった。

 

「……酷い顔してんじゃん。ほら、食べる?」

 

 ほれ、と千切った残りのジャーキーを、僕に向ける彼女。

 食べないの? ほーれほーれ、と目の前でゆらゆら動かす様がちょっとコミカル。

 

 でも、そんなこと関係ない。

 

 嗚呼。そうか。やっぱりか。

 

 認めたくない。でも、認めざるを得ない。

 時間が欲しい。この事実を受け止めるための――。

 

 だけれど、現実っていうのは当たり前のように残酷で。

 

 ただただ、言葉にして確認しなければならない。

 

「……カネキさん、だったっけ。何で食べないの。『禁断症状』出かかってるじゃん」

「……僕、は……、」

 

 確認したくないことであったとしても。

 

「――僕は、”喰種”、なのか?」

「……は?」

 

 その確認が、第三者に理解されないものだとしても。

 

 気が付けば、手を伸ばそうとしている僕。

 でも、それを心のどこかで拒否している僕。

 

 目の前にある物体に対する「食欲」が、どんどん、僕の意識を塗りつぶそうとしている。

 

 

 震える手に、霧嶋さんは不審げな表情を浮かべる。

 

「……あー、もうハッキリしろっての!」

「――ッ!」

 

 口に押し付けられるそれを、僕は、噛み付こうとして。

 でも同時に、僕の中の「境界線」が、それを許そうとしない。

 

 

 

 

 

 

 

 間違いない。今、突きつけられているそれは「人肉」だ。

 

 

 

 

 

 これを食べれば、おそらく今の僕の症状からは開放されるはずだ。

 

 でも、それが出来れば、今僕はこうしていない。

 

 

 リゼさんのトラウマと、人間的な倫理観と。

 カフカのザムザ虫の末路とが脳裏を過ぎって、僕は、その場に倒れ混む。

 

「はぁ!?」という霧嶋さんの声も、うすらいだ意識で聞くばかり。

 

「最悪。……何、赫子(かぐね)まで出して、そんな食べたがってるのに食べないわけ?」

「僕は……、人間、だから」

「あ?」

 

 困惑するように言う彼女だけど、僕は、とてもそれを受け入れられない。

 

 手足がしびれて言うことを効かなくなっても。

 触覚が薄れて、涙が止まらなくても。

 

 

 ぶつぶつと呟きながら、霧嶋さんは何処かへ電話をかける。

 

「いや、でも、ひょっとしてリゼの……? いや、でもそんなのって有り得る? 小説とか映画とかじゃあるまいし。……はい、店長。私です。えっと、この間店長が助けそこなった……、はい。何か、どうも”喰種”みたいな感じになってて……。はい。はい。……はぁ? いや、ちょっと、流石にそれは……。

 ――あああああああああ、わかりましたよ! 全く、給料お願いしますよ!」

 

 しばらく会話すると、彼女は嫌そうな顔をしながら、残りのジャーキーを口に含み、もちゃもちゃと軽く咀嚼して。

 

 

 

「……ぜってー後でぶん殴るから、覚えとけよ」

「―ーッ!」

 

 

 口を開くことを拒否する僕の顎を押さえて、無理やり下ろして、勢い良く唇を重ねた。

 

 覆われた口から、咀嚼されて飲み込み易くなったそれが、僕の口内に落される。

 

 

 何一つ甘いものはない。入れられた瞬間に口を放し、顎を閉じて吐き出すのを阻止された。

 その状態で拒否しようともがく僕の理性と――受け入れようと言う本能。

 

 

 

 

 この味を、何と例えよう。

 

 

 

 この幸福感を、何と例えよう――。

 

 

 

 食欲に理性が、完全に呑まれてしまいそうだ。全身にかけ廻る快楽は、まるで麻薬のようだ。体感したことのないその浮遊感。

 

 確かにこれなら、高田ビルのような「大食い」が出てくることも、頷けるのかもしれない。

 

 でも、これは――これは、あんまりだ。

 

 

 

 こんなのって、あんまりじゃないか。

 

 

 

 

「うぇ……。ほら、飲め」

 

 口を拭ってペットボトルの水を飲んでから、彼女はそれを僕に突き出す。

 特に何も気にする様子がないのは、異性として見られていないのか、元から気にする性格ではないのか、あるいは気にするだけの余裕もないのか。

 

 それでも、僕はそれを受け取り、口にする。

 少しでも快感と、胸の奥に感じる不快感とを拭い去れないかと考えて。

 

 そんなの、結局気休めでしかないのだろうけど。

 

「……来な」

「……来るって?」

「”店長”が呼んでる。……アンタに話があるからって」

 

 それを受けても、僕は動けない。

 どうしたって、今のショックから立ち直る気配がない。

 

 蹲ったままの僕の髪を持ち上げ、彼女は顔を近づけて言う。

 

 その目からは、強い意志が感じ取れた。

 

 

「状況は詳しく知らないし、カネキさ……、アンタのことなんて全然知らない。

 でもアンタ、そのままで良いわけ? 放置しておいたら――理性飛んで、死にたくなるくらい苦しくなって、目先の人間(モノ)、何でもかんでも頭から喰らい付くようになるよ。

 大事な相手だって食い散らかして、散らばった血と臓物の中で後悔するわけ?」

「――ッ!」

 

 

 だがそれでも、霧嶋さんのその一言は、砕けた僕に活を入れるだけの効果はあったらしい。

 

 反射的に立ち上がると、ニヤリと笑ってから「こっち」と言って、僕を先導する霧嶋さん。

 

 

「……」

 

 

 何が起こるか分かりもしないし、彼女が何処へ連れて行こうとしてるのかもわからない。

 でも、今、間違いなく彼女に付いて行かなきゃ後悔する。

 

 それだけを直感的に理解して、僕は、霧嶋さんの数歩後を歩いていった。

 

 

 

 

 




恋愛描写・・・? かどうかはともかく、トーカちゃんは大好きです b
変身はもうちょっと先なんじゃ;

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