「梯子下りるの早くなってきたじゃん。鍛えてんの、体」
二日かに一回くらいのペースで、僕とトーカちゃんとは地下で訓練をしている。
僕がドライバーを使って変身した、という話を聞いてから「いつまた使うかわかんないし、やるよ」と数日に一回から回数を増やしたトーカちゃん。ドライバーを使うな、と言わなくなったのはどうしてだろうか。
正直言うと彼女の勉強時間が遅くなる、というか僕の帰りが遅くなるところなんだけど、そこは「あ?」と睨まれてしまうので諦めていた。
大学の勉強は、まあ、休日に家で何とかするしかないか。
そういえば、お陰でヒデともあんまり遊んでないな、最近。学校では一緒だけど。
ともあれ、トーカちゃんに頷いて僕は話す。
「最近、夜走ってるんだ。あんまり動いてなかったせいもあるんだろうけど、体動かすのが結構気持ち良くなってきたかな」
「ふ~ん……、ていッ」
「あ――うちッ!?」
そう言いながら腕を振り回し、僕の鳩尾に一撃。
変な声が漏れた僕に吹きだして、トーカちゃんは腹を抱えた。……腹を抱えたいのはこっちなんだけど。ていうか抱えてるけど。
「普通に痛いとかじゃないのかよ……、くくっ、キザヤローじゃねーんだしっ」
気のせいじゃなければだけど、前に比べてトーカちゃんは、よく笑ってくれるようになった気がする。あくまで気がするってだけだけど。
……同じ回数くらい睨まれたりもしてるので、ひょっとしたら一緒に居る時間が伸びたせいというだけかもしれない。
「人間相手ならともかく、ちゃんと筋肉つけろよ? 弱っちいとそこからやられるし。
”白鳩”の方だってやられっぱなしじゃなく対策練ってくるだろうし、これからもっとヤバい奴だって来るかもしれないし」
「……そう、だね」
あれから、未だトーカちゃんの指名手配はされていない。そのことに一抹の気持ち悪さを覚えはしたけど、少なくとも二名重傷を負ったのだから、何も対策されないとは思えない。
そういう意味では、もっと強くならないといけないということなんだろう。
「私も、もっと強くなんないと……。
アンタはいいよね、リゼの赫子あるし、ドライバーも使えるから」
「? トーカちゃんは使えないの?」
「出来なくはないけど、私の場合、あんま意味がないっていうか……」
なお質問すると、嫌そうな顔をしてこう答えた。
「……黒い、ワンピースみたいな感じになんの。
赫子使うのに邪魔にならないみたいに、背中開いたやつ」
「……?」
「手先とか足先とか、攻撃力上げたいところに全然赫子が集まんないってこと。変身してもしなくてもあんま変わんないから、やんない」
「へぇ」
話を総合するに、僕と店長との変身後が違うように、トーカちゃんのそれも違うのか。やっぱり変身者によって、そこは違いが出るんだろうか。
「んん、でもちょっとね」
「何?」
「……今の所、変身前後の力って完全に制御できてる訳じゃないからさ。
今の時点で、僕は安易に変身には頼りたくないかな。もちろん赫子にってことでもあるんだけど」
自分の手を見ながら、僕は言う。
あの捜査官と戦った時、僕ははっきり自覚した。喰種が混じった今、この力をどう使いたいのかということを。
誰かを助ける為に差し伸べる手。
だとするならば、その力で誰かを傷つけたり、壊したりした後じゃ遅いんだ。
「どっちにしても毎回、誰かに助けられっぱなしになっちゃうから、難しいとこなんだけどね」
「……んじゃ何? 次からは素手でって訳?」
「いやー、そこまで過信してはいないんだけど……。
ただこう、トーカちゃんみたいな戦い方が良いかなって。ほら、西尾先輩にやったみたいに、しゅばばって感じで。必要以上には傷つけない感じの」
僕のジェスチャーを冷めた目で見て、彼女はため息をついた。
「……ゼータクな悩み。
ま、別にいいけどさ。でも私みたいなのやるんなら、最低でもバク転くらいできないと厳しいから」
「へ?」
言うが早く、トーカちゃんは僕の背後に回り込み、背中を合わせて両手を掴んできた。
身長の高さも何のその、そのまま前かがみになり僕の体を背中に乗せる。
「あ、あの、手離さないでよ――うあああああああああ!?」
「うっさいから」
ぐらぐらとバランスがとれない僕に、普通にトーカちゃんは受け答え。
「……ん? あ、四方さん。」
「へ? あ、こんばんは」
そんなこんなしてると、トンネルの向こう側から四方さんが歩いて来た。被っていたフードを下ろして、僕等を無表情に見る。
「……何遊んでんだ、お前達」
「バク転ですよ、バク転。動けるようになりたいっていうから、特訓中です」
「あ、あのわかったからトーカちゃん、落ちそうなんだけど――にぎゃッ」
話していたら、そのままバランスを崩してごてん、と倒れ込んだ。背中の痛みに悶絶……。
こんなんじゃまだまだ先だなーと半笑いしながら、トーカちゃんは僕を起した。
「研。お前は避けるのはマシみたいだが、他は全然駄目だった。赫子の出力頼りだったな」
「へ? あ、はい」
「少し打ち込んでみろ」
上着を脱ぎ捨て、四方さんは棒立ちのまま。
立ち上がった僕に無言で頷く。
打ち込めって、どこをどういう……。
遠慮しても失礼だろうしということで、僕はまず顔面に。
手でそらされたのを見て、ひっくり返して肘を打ち込む。
「そうだ。外したら次。後、下も狙え」
「はいっ」
でも足を加えて動いても、流されるままに転がされて。
「腰を入れろ。一撃が軽い。
トーカ、お前も来い」
あぐらをかいて僕をじっと見てたトーカちゃんは、その一言で体を伸ばして立ち上がった。
体を伸ばしながら、彼女は呟く。
「懐かしいですよね、四方さん稽古してくれんの。アヤト居た頃だったっけ……。
二人同時でいいんですか?」
「……」
「わかりました。
カネキ、一発くらい入れるよ」
僕にはさっぱり分からなかったんだけど、四方さんの顔をみてトーカちゃんは大体把握したらしい。
走るトーカちゃんに、追う僕。途中から両サイドに分かれて、トーカちゃんは体を回転させる。
僕はフェイントをかけながら、ちょっと様子を見る。
「あっ」
四方さんがトーカちゃんの足を掴む。そのタイミングを見計らって、僕はスネを腹に向け――。
「狙いどころは悪くないが、店長くらいパワーがないと押し負けるぞ」
「ぎゃっ」
「うわ!?」
投げ飛ばされたトーカちゃんを抱きしめる形で、ぶっ飛ばされた。
痛みに体を擦る僕等を、見下ろすように拳を向ける四方さん。
「トーカ。稽古を付けるなら基礎鍛錬から叩き込め。研がバク転に憧れるのは分かるが、まずそこからだ」
わかるんだ四方さん。
「あとお前は、いい加減まともに食べろ。只でさえ鈍ってるんだ、もっと食わないと持たないぞ」
「……わかってますよ」
顔を背けたトーカちゃん。どこかばつが悪そうにしているのは、たぶん依子ちゃんのためだからか。
しかし全く歯が立たない。そして四方さんの言い回しからして、やっぱり店長の方が強いんだろう。喧嘩大好きとかじゃないんだけど、やっぱり差は大きくて素直にすごいと思う。
差は大きい……、もっと頑張らないと。
「……腰、いつまで触ってんの」
「……あ、ご、ごめんッ」
体を抱きしめながら飛び退くトーカちゃんに謝りつつ、僕は四方さんがやって来たトンネルの向こうを見る。
奥は闇が見えるだけで、結局その先に何があるのか、僕は知る由もなかった。
「それにしても、結局不審者って誰だったんだろう」
「フツーに捜査官だろ」
トーカちゃんの答えに、僕は少し違和感があった。けど何が違和感なのか特定できるわけもない。バイト帰り、トーカちゃんを送りながらの僕等の会話だった。
「まあ、でも少しは落ち着いていたいけどね」
「
「でもずっと気張ってたら、傷とか治すどころじゃないからね」
「……それはそうと、カネキ、責任とれよ」
へ? と首を傾げる僕に、トーカちゃんは鬱陶しそうな顔をしてスマホの画面を見せた。
「……あー、」
「ヒナミ、アンタに本屋連れていってもらってから、前より知識欲が強くなってるっていうか」
画面の中のヒナミちゃんは、画用紙に文字を書き連ねてご満悦そうな顔をしていた。たまに疲れると言う彼女に、ちょっとかける言葉が思い浮かばなかった。
「アンタが前に言い出したことだろ。一人で家に居ると、塞ぎこんで色々考え出すって。私も似たようなものだったから、仕方なしに連れて行ったけど」
「細心の注意を払うって言うしかないんだけどね……。んー、あんまりやると予算が続かないし、じゃあ図書館にでも行く?」
「……」
「?」
突然、意味もなく周囲をきょろきょろと見回すトーカちゃん。しばらくしてから、カレンダー機能を操作して一言。
「……日曜、昼ごろこっちに来いよ。寝坊したらぶっ飛ばす」
いつも遅れないのにぶっ飛ばされてるんじゃ、と反射的に言いそうになって、彼女の胡乱な目を見て思い留まった。
※
「うあああああ! いっぱい! これ全部見てもいいの?」
「あはは、うん。貸し出しカードは僕が持つから、気に入った本を持って来てね」
図書館で目を輝かすヒナミちゃんに僕は笑いながら言う。いつもよりテンションが上がっているけど、静かにねと言うとちゃんと口を押さえるあたり、やっぱり実年齢より子供っぽい。他の子供たちと話す機会が少ないからかな、と思いはするけど、解消する方法は難しいこともわかっているから、僕はやっぱり反応が難しかった。
「……何だよ」
「いや、別に」
ちらりと視線を向けると、トーカちゃんは鬱陶しそうに僕に文句を言う。今日は珍しく時間より早く来ていたトーカちゃん。大方、ヒナミちゃんが元気すぎて遅れる余裕がなかったんだろう。
「すごい、字、いっぱい……」
「高槻さんのも良いけど、こっちの方は?」
児童文学を薦めると、ヒナミちゃんは中を見て目を丸くした。
「よみかたかいてある……、かっきてき」
言葉は知ってるけど、語彙は不足していそうだった。
漫画本とか、他にも興味を引くものは多いらしく、僕等の見える範囲から外に行かないよう言って僕等は椅子に座った。テーブルで、隣にトーカちゃんが居る配置。
「でもちょっと意外だったかな」
「あん?」
「いや、てっきり図書館は反対されると思ったけど」
トーカちゃんの方はともかく、ヒナミちゃんの情報は一度は出回った情報だ。ほとぼりが冷めるまでということを考えても、少々心許ない気がする。それでも本屋だったら短時間で済ませられたけど、図書館となるとやっぱり時間がかかる。
そんなことを耳打ちすると、トーカちゃんはため息一つ。
「最終的に『行きたい』って言われたら、行くしかないでしょ。まぁ……、一応保護者代わりだし」
「……そう」
「……何だよ、その目。って、いうかアンタもアンタで色々気は回してるじゃん。図書カードはアンタ持ちだったり」
「まぁ、名前から足が付くかもしれないからね。それに僕の住所だったら、身元引き受けとか含めて一応、ちゃんと『こっち側』で処理できるし」
僕の言い回しを聞いて、トーカちゃんが少し目を伏せた。
「どうしたの?」
「……別に。でも、どーしてアンタもヒナミも本とか好きか。私、あんま読もうと思わないし」
「教科書よりは読みやすいんじゃない?」
「そりゃ、まぁ」
「んー、ちょっと気持ち悪かったらゴメンね。本ってさ、一瞬でも読者を主人公にして現実から引き離してくれたり、自分の知らない世界を体感させてくれるんだよ。それこそ映像がない分、文字から想像する世界だけどね。時に文章は人物の感情をなぞって、読者の人生にさえ触れる」
僕の言う言葉を、トーカちゃんは遮らずに無表情に聞いていた。
「見たくもないものを突きつけられることだってあるし、それも含めて色々なことを本を読んで知ることができる。だから読み終わると、言葉にならなかった感情とかそういうのが、本を読んで感じた感情と一緒に流れ出る、こともあるんだ。それですっきりできたり、少しでも心が軽くなったり」
「……慰められるってこと?」
「まあ、そんな感じ」
「やっぱり、よくわかんない」
近くにあった新聞を手に取り開いて、トーカちゃんは僕の話に肩を竦めた。
開いた記事を、横からチラ見する。少し前の新聞で、こちらでも喰種関連の事件が報道されていた。
「……やっぱり喰種関係の事件だよね」
「だろ」
20区、つまりここ。抱いた区病院勤務の女性看護婦、結婚式を挙げた直後にズタズタにされて発見されたらしい。皮膚の裂傷が特に激しかったという記述から、やはりその部位を重点的に食べていたのではないかと分析がされていた。
「どーせまたアイツだろ、変な食い方……」
「知り合い?」
「知りたくなかった」
その返答は如何なものかと。
と、トーカちゃんは突然僕の腕を掴んだ。
「どうしたの?」
「黙って」
僕の後ろから、黒髪の女性がやって来た。年は僕と同じくらいだろうか。
「……あなたも図書館に来たりするのね。意外だわ」
地味目な印象の女の人だったけど、トーカちゃんは警戒を解かない。
「えっと……」
「……この間、店長にぶっ飛ばされてたヤツの彼女」
「へ?」
「あら心外ね。彼が勝手にそう言いふらしていただけよ。いい迷惑よ、お陰で別な授業に潜入しなきゃならなくなったし、いくつかの単位がちょっと危なくなるし、レポート課題も増えるし。
バラされたくなきゃ餌集め協力しろとか言うし。顔、わたあめみたいにボッコボコにされて良い気味だわ」
……あ、あれ?
妙に生活感のある言葉の羅列に、僕もトーカちゃんも反応に困った。
でも警戒は解いたのか、僕等の前の席に座った後はトーカちゃんは手を離した。
「キザヤロー、随分暴れてるじゃん」
「き、きざ……?」
「今日のニュース見た? なら後で確認すると良いわよ。もっと暴れてるから。まあ、彼とは中高で一緒ってだけだったんだけど。今じゃホリチ……、友人経由でしか親交もないし。
それより貴方カネキ君よね。色々聞いてるわ、話すのは初めてだけど」
「あ、どうも……」
大方、捜査官と戦った噂を聞いたのだろうと思って頭を下げると。
「――永近君、聡い子ね」
「……ッ!?」
何で、ヒデの名前を知ってるんだ。
今度は僕に緊張が走った。
「警戒しなくても良いわよ。少し仲良くなっただけだから」
「仲良く……?」
「諸事情あって、一緒によく行動してたの」
「こ、行動? って、どういう――」
「あー、あまり詮索しなくても良いわ。たいしたことじゃないし、
トーカちゃんと僕を見比べた後、彼女はヒナミちゃんの方をちらりと見た。
「霧嶋さんが図書館だなんて似合わない、デートかしらと思ったらあの子のために来てたのね」
「そーいうんじゃねーし」
「最近よく一緒に居るって聞くわよ? 知らぬは本人ばかりなり、かしら。ねぇカネキ君」
「は、はぁッ!?」
小声で怒鳴ると言う器用なことをしながら、トーカちゃんはちょっと動揺して目の前の彼女を睨んだ。心なし頬が赤くなってるのは、きっと血が上ってるんだろう。
「でも、この方法はダメだと思うわ。経験則だけど、聡い人間は喰種に近寄らない。嘘の付けない喰種は人間に近づかない。じゃないと、凄い勢いで不幸が拡散するわ」
「あ……?」
「それは、一体、」
「カネキ君、貴方もよ。比較対象は少ないのかもしれないけど、貴方と永近君のことをもっと俯瞰して、第三者的に、客観的に考えなさい。彼の感受性は、それこそ見えないところまで嗅ぎ付ける類のものよ」
「……何で、アンタがそんなこと口出してくるワケ、三晃」
首をかしげて、彼女、三晃さんは言う。
「親切心よ。永近君には多少、世話になったし、持ちつ持たれつ行けそうだから。まあ、最初は同い年だと勘違いしてたみたいだけど、たぶん変わることもないだろうし、そういう意味では新鮮かしら。
ともかく、彼には感謝してるのよ。だから別な形で恩返しってところかしら」
じゃあね、と手を振りながら、彼女は入り口へと向かって行った。
「……どういうこと、なのかな」
「さあ。三晃は好戦的な相手じゃないし、ああ見えて人間の中じゃ猫被って小さくなってるようなヤツだし。
でも……」
こちらに向かって走ってくるヒナミちゃんを見て、僕とトーカちゃんは顔を見合わせて、何とも言えなかった。
※
ヒナミちゃんを家に送って、僕とトーカちゃんは夕方のシフトへ。
と、あんていくに備え付けてあるテレビで、三晃さんが言っていたろうニュースが流れていた。
『――被害者の目は神経の奥から刳り貫かれており、わざわざそれを狙った犯人像から、美食家喰種の仕業とCCGでは考えて――』
「アイツ、本当リゼが死んでから元気ですね」
「彼ねぇ。本当自重しないわよね、色々」
彼? と首を傾げてる僕に、入見さんが説明しようとして。
丁度そのタイミングで、扉が開く。からんからんというベルの音に、僕等は「いらっしゃいませ」と返すが。
「――ん~~、良い香りだ。
やはりここは落ち着くね……」
そこには、モデルのような長身の青年が居た。ぱっと思い付いたのはやっぱりそういう形容詞で、端的に言うと普通に格好良い。立ち姿もオシャレさんな着こなしで、こう、何というか僕とかとは空気が違った。
「久しぶりだね、霧嶋さん、Ms入見」
「……何の用?」
ただ、トーカちゃんの顔がすんごく怖いことになっていた。心底面倒そうというか、ゴミでも見るような視線を向けていた。
対する彼は機嫌を損ねた風でもない。微笑みながら続ける。
「何、顔を見せに来ただけさ。相変わらず君はクールだねぇ。まあ、そこもまた魅力ではあるんだけどね」
「……気持ちワリィんだよキザヤロー」
視線を逸らして対応に困っているように見える。かなり珍しい表情だ。
と、話していた彼の視線が僕の方を向いた。
大層面白そうな表情になって、彼は僕に微笑み掛けた。
「やぁ! 君かい? 捜査官を撃退したっていうタフボーィは」
「タフボーイ……? あ、カネキです。金木研」
「カネキくんね。ふぅん――」
言いながら彼は僕の回りをうろうろして、色々な角度から僕を観察していた。「華奢なんだね思ったより」とか「指についたインクからして読書家かな?」とか、なんか知らないけど色々分析されていた。
「んん……」
「ひぃッ!?」
「あ、テメェ」
そして、首元でクン、と匂いを嗅がれる。
思わず変な声を上げると、どうしてかトーカちゃんが走ってカウンターの出口に向かった。
「……不思議な香りがするね。まるで記憶の底、語らいに出てきた蠱惑的な」
「あ、あの……」
じゅるり、と何故か舌なめずりをする彼に、僕は反応が出来ない。
と、そんなタイミングでトーカちゃんが僕らの間に割って入った。
「テメェ気持ちワリィし仕事の邪魔だからとっとと帰れ!」
「んん、全く君は無粋だね。じゃあ今度はきちんと芳村氏がいる時に、客として来よう。
じゃあカネキ君も。
そう言って彼は爽やかな笑みを浮かべ、店を後にした。
トーカちゃんは、首を撫で続ける僕を見て「大丈夫?」と聞いてきた。
「いや、何というか一瞬ぞわっとね。鳥肌が……」
「……ま、アイツ別にそういうんじゃないから」
どういうののことを言ったのかは、ちょっと怖すぎて聞けなかった。まぁ分かったんだけど。
「あの人って一体……」
「リゼまでは行かないけど、ここの厄介者。目ぇ付けられんなよ? 面倒だから絶対」
そう言われても、目を付けるのは向こう側じゃないかなと思わなくもない。
とりあえず、あんまり関わるなという意味で受け取る事にした。
そして何故か、入見さんが僕等をずっとにこにこ温かい目で見守っていたのが、どうしてか不思議だった。
※
「興味深い匂いだったよ、マイリトルフレンド」
『ふぅん。って月山君、かちゃかちゃ少しだけ聞こえるけどひょっとして食事中?』
「イッグ ザクトルィイイイイイイイイッ! ハンドレスで通話中さ」
『行儀悪くない?』
「VIPルームだから周りは気にしなくても良いが、確かにね。だが、今この好奇心を僕は君に伝えたかったのさ」
『聞き様によっては大分ホモホモしいよね、それ』
「ノンノン。僕の呼び名を忘れはしていないかリトルマウス」
ぷしゅ、と音を立てる肉。セピア色の眼球をスライスして作った料理を口に運びつつ、月山習はスマホに笑い掛けた。
「僕は美食家。あくなき探求者さ」
浮かぶ微笑は、店内がやや薄暗い事もあって一層不気味に見えた。
「日々」と比較してイベントが大きく変わってますが、大体真戸さんが生存したのが原因です。