※カネトーしたくなったので、√B最後にクリスマス特別編投稿しました
ついに包丁を握らせてもらえることになった。
正直に言えば、自分なんてまだまだというか、入ってからの年数も下の方。上にヒトはそれなりにいて、まともに厨房に入る機会もそうそうなく、まだ見極めというか、そういうところからだったのに。どういう風の吹き回しか、気が付けば大将から包丁を手渡されていた。
「やってみろ」
「へ? えっと……」
視線を周囲に漂わせても、周囲の先輩たちからも何故か意味ありげに頷かれる。今日は僕以外の、アルバイトの女の子たちはいない。完全に料理人たちで職場が満ち満ちている。
自分はその空気に押し負けて、魚に包丁を入れた。
正直、味については全く理解できない世界であるものの、匂いに関してだけは理解が深くなった。人間とは違い、不快感でものを知覚するため、その精度は高いようだ。
事実、血線もすぐにいくつか見つけ、ピンセットを使わせてもらっている。
握らせてはもらったもののお客様に出すように、ということではなく、どれくらい技術を吸収してるかの確認ということなのだろう。
実際、まだまだお店の受付とか会計とか、そこの周りの事が店内では中心の作業だ。その合間合間、見れるタイミングで料理の仕方を見たり聞いたりといったところなので、技術的には推して知るべし。
ただ、それでも切り分けて、飾り付けた刺身の赤身をとって、大将は面白そうに頷いた。
「やっぱこう、着眼点が悪くないよな」
次々に数人、先輩達が似たような意見を出す。どうも、意外と上手くいっていたらしい。
まだ客に出せるレベルじゃないと前置きこそされたものの、今後本格的に調理を仕込んでもらえることになった。
「たぶんお前、その気になったらあっという間に上達するぞ」
「そうそう」「なんだかんだ失敗もないしな、あんまり」
今後、とはいったものの具体的なタイミングまではまだ決まっていないらしい。基本的に料亭は椅子のとりあいというか、役割というものがかなり厳格に決まっている。正式に修行する段階にない自分だったが、色々あって末席くらいに数えられてもらえたらしい。それはありがたい。ありがたいのだけれど……。
こればっかりは、ちょっとガマンしないといけない。
大将が「まかない」をふるまってくれることになった。切り落とした魚の頭とアラを使った、簡単な汁物。この形容詞がたい、痛みこそ無い拷問を何と表現すべきか。
いや、そうじゃないのだ。本当の意味での拷問というのは、そういうことじゃない。
周囲の誰しもが美味しいといっている最中、一人だけその喜びや感動を共有できない。この現状こそが、自分にとっては拷問なのだ。
ありありと。自分自身の体感と、周囲との関係とに根ざして思い知らされる。
それこそ日ごろから何度も何度も体感するその感覚は、ことここに来てより一層強く自分を蝕む。
自分は人間じゃないのだと。
どんなに焦がれ、望んだところで人間ではないのだと。
営業時間というか、雇用契約の周期の関係で自分はまだ早上がりだ。だからまかないを食べ終わると、自分は店を出る。他の人達は、食べた後にもう一仕事と張り切るのだけれど、それを遠目から見るのが、今の心境とに密接に絡んで、痛い。
でも、自分は今の生活を離れるつもりはない。
色々な理由から、今の生活を離れる理由がないのも大きいけれど――やっぱり、慣れ親しんでくれる、自分を受け入れてくれるというのが、ありがたいのだ。
食事関係の事情からも、今の立地がかなり理想的だというのもある。
自宅からここまでの距離は、最悪、食欲が暴走しかけても、「全力で」走れば五分とかからない距離だ。
実際、アルバイトまがいの状態から少し進歩するので、そこも色々考えないといけなくなるだろうけれども。
だからこそ。そんなことを考えながら歩こうとしたとき。
店のすぐ近くで、自分のことを見ていたヒカリさんに、言葉を失った。
「……」
ヒカリさんは何も言わず、じっと自分の方を見ている。
服装は黒い、いつか見た外套。頭は今日は染めてなくて、これではまるで初めて自分が襲われたときのそれだ。
そんな服装のまま、ヒカリさんは僕を観察するように、遠目で見ている。
思わず、自分は立ちすくんでしまった。何故かといえば、漂わせている雰囲気の問題だ。時刻は既に夕暮れを過ぎ、日の光がない。まだぼんやりと青みの残った夜空に、人影が段々と少なくなっていく、そんな最中、以前見た殺気を漂わせて居るような彼女の姿。嫌でもあの時、初めて彼女に会った時に襲われたときのことを思い出す。
そして彼女は、自分の姿を見ても、態度を変えなかった。
固まる自分に向けて、彼女が足を踏み出してくる。
一歩、一歩と距離が縮まるそれに、どうしてか自分は恐怖心を抱いた。
「――! あ、ちょ……ッ」
何も言わず、ヒカリさんは自分の腕を掴み、歩き出す。どこへとも、何をとも言わず、ただただ無理やり自分の腕を引く。
ここまで物騒な雰囲気を漂わせていないのなら、自分は色々と大歓迎だったのだけれど。とてもじゃないけれど、そんな平和ボケした感覚で居られるほど、穏やかじゃないことくらいわかる。
ヒカリさんは本当に、うんともすんとも言わない。
困惑を通り越して、僕は不気味にさえ思った。
「あの、ヒカリさん?」
「……」
剣呑な声も。睨み返すことさえしない。
こちらとのコミュニケーションを放棄しているようなその様子に、自分は不安感を抱く。
そしてそうこうしているうちに、自分の家に。
そしてヒカリさんは、爆弾発言をした。
「――」
「……へ?」
「いいから」
いやいや。
何を言ったか聞き取れなかったが、彼女はさも当たり前のように「文句あるの?」と追求を許さない態度。
固まる自分を前に「事情話すから」とだけ言って、彼女は階段を上って行く。
あっけにとられながらも、確かに事情は知りたいので自分も後を追った。
「せま」
部屋の中に入るなり、ヒカリさんはそう言って、少しだけ笑った。
少しだけむっとなり、自分の反論もとげっぽくなる。
「そりゃ、贅沢も何も言ってられませんからねぇ」
「コンテナいいよ、おすすめ。応用けっこう利くし」
「あいにくと法令順守の姿勢なもので。
……それに、なんだかんだでここも短いようで長いし」
そう言った自分に、彼女は振り返って。
「……今日さ。アンタが包丁使ってるの、見た」
ヒカリさんは、そんなところから話を始めた。
何を言いたいのだろうといぶかしがる自分のことなど、彼女は気にも留めず進める。
「お店のヒト相手に、料理してるの」
「ああ、はい、どうも」
「楽しそうだったわね、アンタ」
そりゃ、まぁ……。
「なんで?」
「……なんで、とは?」
質問の意図がつかめない。
自分の反応に、彼女は肩をすくめた。
「大嫌いって言った手前さ、変に感じるかもしれないけど。
なんとなく通りがかり、目に入ったからさ。知りたくなった」
「8区に用事が?」
「食いつくところおかしいから」
へへ、と力無く笑うヒカリさん。その様子を見ると、ひょっとしたら怖い顔をしているのではなく、単に疲れているだけなのかもしれない。
愚痴の相手を頼まれていたのだろうか。そう考え直し、自分は冷蔵庫から水を入れて、彼女と自分の手前に置いた。
「楽しいかどうかと、言われても……。んー、強いて言うと、普通?」
「普通?」
「そうあるものだ、っていうのが、まぁ、普通かなーっていう認識です」
「じゃあ、なんで普通なの?」
「なんでって……」
「私達、喰種じゃん。そういう意味からすると、アンタ喰種っぽくない、喰種っぽくないと思っているけどさ。本当に喰種なのか心配になってくるような気がしてくる」
「いやいやいや、それは流石に……」
確かに、そうあって欲しいと思った事は何度もあるけれど。
でも、それこそ誰に言われるまでもなく、自分が何なのかは充分理解している。
「ちゃっかり普通に、住居借りて住んでるし」
「まぁ、そこは……。お陰で貯蓄あんまりないんですが」
「まぁ貯蓄したところで、使い道もそんなないってのはわかる。わかるけど、でも、あえて人間の中で生きるって言うのが、私はよくわからない」
この時の僕もよくは理解していなかったのだけれど、喰種の中のも一定数、人間に興味をもつ割合があるらしい。自分は純粋に、その話を聞いて「へぇ」と思った。
「……って、いや、反応それだけ?」
文字通り「へぇ」としか言わなかった自分に、ヒカリさんはがっくりしている。
「いや、だってその……」
「まぁ、ある意味アンタに近いわけでしょ? そういう趣味趣向というか」
「でも――」
「――ヒト、食べるんでしょ?」
自分の続けた一言に、ヒカリさんは目を見開いて固まった。
「死なないために、喜んで食べるんでしょ? 自分が『喰種である』っていう前提を崩さない範囲で、人間に興味があるってことでしょ?
だったら、僕とはちょっと違うかな」
「……じゃあ、アンタは何なの?」
当然の疑問だろう。今の話の流れからすれば。
だから僕は、不自然にならない範囲で彼女の質問に答えた。
「死にたいよ」
ヒカリさんは、一瞬何を言われてるかわからないって顔をしていた。
「ヒトを殺さないと生きられないくらいなら、死にたいよ。本当は。
でも、死んだらいけない。それだけは守らないといけない」
「……なんで?」
「父さんと、約束したから。一方的にだったけれども」
思わず苦笑いがこぼれるのも、仕方がない。数年前。家族三人でひっそりと暮らしていて。ある日突然その全てが覆されて。今際の一言として、父親は自分にこう残した。
生きろと。何があっても生きろと。
「僕の人生はまぁ……、それを言われる前と後とだと、状況が大きく違いすぎちゃっていてさ。
まぁ色々理由つけて死なないことにしてるけど、でも、死にたいっていうのは本当」
「……それ言って、ヒトが嫌な思いするの、見てて楽しい?」
「楽しくはないよ。でも、誠実に答えたいから」
僕はヒカリさんの顔を見る。
怒っているような、困惑しているような。それでいてやっぱり疲れた表情をするヒカリさんに、自分は笑いかけた。
「本当はさ。人間だったら良かったって思うんだ」
「?」
「そうすれば、みんな、あんなことにならなかったのに」
あんなことって何よ、とヒカリさんの目は語るけど。悪いけれど、詳細までは話す気にはとてもなれない。
ただただ、それまでの人生全てが消えてしまって。放浪し、今に行きつくまでに迷いに迷い続けたなんて話は、語るものでもないし、語りたくもない。
ただ一つ言えるのは、今の自分を形成するのにその出来事は不可欠で――それを経験してしまったという事実だけで、思わず死にたくなってしまう自分がいるということだ。
身投げとかはしたところで、決して死ねはしないのだけれど。
「……やっぱ、わかんね」
ヒカリさんはしばらく沈黙した後、恐る恐る続ける。
「じゃあ、さ。アンタ、それ、許されるの?」
「……許されるとは?」
「もし……、人間みたいに生きられたとして。今まで殺してきた奴らのこととか、さ」
「それは、許されないんじゃないかな」
少しだけ嫌な想いをしながら。
でもヒカリさんの言葉から真摯な何かを感じ取り、僕は続けた。
「少なくとも僕は、そう思う」
「……」
「と、いうのもさ。本当なら、許す許さないの問題じゃないと思うんだ」
「どゆこと?」
「結局のところさ。喰種自体、対策法なんてものがあるくらいだし、そういう意味じゃ僕らは、存在自体を人間社会から許されてはいない。
でも……、それでもなお生きようとしている時点で、『そういう』社会的な、許す、許さないという次元じゃなくなってると思うんだ」
つまりは、気持ちの問題なのだ。
「……許されないと、自分が思うから、許されないってこと?」
「例えば、自分が殺した相手の、家族とかがさ。自分のことを恨んでいたら。それは、その恨みは甘んじて受けなきゃいけないんだと思う」
「自分だけじゃないってこと、か……」
「ヒカリさんは、どんな言葉を投げかけて欲しい?」
僕の質問に、彼女は身体をびくり、と震わせる。
でも、動揺みたいなものは見せず、悲しげな表情を浮かべた。
それを見て嗚呼、いつだったか彼女が言っていた言い回しを思い出した。
「何があったのか知らないけれどさ。でも、僕は、そういうの察することは出来ないから。
だって、僕とヒカリさんは、別なヒトだし」
「……そりゃ、そーだろけどさ」
「そもそも、察することが出来るほど人間関係多くもなかったし」
「そりゃ知らねーけど」
「だから、どうしたい?」
ヒカリさんは膝を抱えて、そこに頭を乗せる。額をひざに乗せているので、表情は窺えない。
僕も彼女も、しばらく沈黙する。やがて顔を上げたヒカリさんは、無表情だった。
「……ない、な」
「?」
「いや、その、別に投げかけて欲しい言葉はないっていうか……。
単純に、アンタならどう考えるか聞いてみたかっただけだし。そういう意味じゃ期待外れだったけど」
勝手に期待されて、勝手に期待外れ呼ばわりされても困る。
「それは、ごめん」
思いのほか、ヒカリさんは素直に謝った。笑うとかすることもなく、元気なく言うその様は、やっぱり何か変だ。まだまだ少ない期間の付き合いだけど、明らかに様子がおかしい。
でも、それを追求してもこの様子だと何も言わないだろう。それくらいは、自分にも覚えがある。
とりあえず冷蔵庫から水をすすめつつ、冷蔵庫から「ジャーキー」もどきをとってきて、皿の上に何枚か乗せた。
「……アンタ、ちゃんと肉あるじゃん」
「一応は。あんまり無駄遣いできないんだけど」
「どういうこと?」
僕は自嘲げに笑った。
「―― 一人」
何を言われてるか、ヒカリさんは理解できていない顔をしていた。
「一人だけだから。僕が、この六年で殺したヒトは」
「……は、はァ? いや、そんなもの持つ訳が――」
「それは、赫子を出すからだと思ってます」
喰種が人間を食べるのは、RC細胞を補給するためだと言われている。
人間よりも効率的な肉体を持つ喰種が、何故何人も人間を殺すのか。大量に殺して自己顕示欲を満たしたいというのもあるかもいしれない。けれどやっぱり理由としては、お腹が空くからだろう。
でも、僕はこれがおかしいと思っている。
本来なら、それこそヒトを食べて一月くらいは持つのが喰種なのだ。
だったらば――バイトの子が慣れずに指先を切った時の血を舐める程度で。それに加えて一人の肉をほんの少しずつ食べ続けることで。それこそ六年くらいは、普通に持つはずだ。
実際、最近まで持ってはいたのだ。ここ最近までは。
「だったら私なんかに出すなよ。大事にとっとけよ」
「それは、そうなんですけど。でも、なんとなく出さないといけないかなーって」
「なんとなくで出すなよ。自分の首、しめてどーすんのさ」
「――友達を慰める手段がないんなら、これくらいはしないと。
人間関係は、支えあいが基本でしょ」
僕の言葉に、彼女は顔をこわばらせて。
「そりゃ、そうかもしんないけど……。
アンタこう、結婚とかしたらいい主夫なれそうね」
でもここで、ヒカリさんはようやく楽しげに笑った。力無く、でも少しだけ喜色のにじむそれに、自分もつられて口元が緩む。
「よくわかんないけど、アンタはアンタなりに向き合ってるのね。自分に。
って、そりゃそうか。そうじゃなきゃ、一人では生きられないし」
「そこまで向き合ってるとか、いう感じでもないかなーと。
ヒカリさんの方が、そういうのは――」
「あー、アタシは駄目」
ヒカリさんは、今度は自嘲するように笑った。
「色々エラソーなこと言ってるけど、結局、その場その場に流されてるだけだから。
今だって……」
いただきます、と、ヒカリさんはジャーキーもどきを口に入れた。
結局それから、僕らは会話することはなかった。すこしだけヒカリさんは、膝を抱えたまま僕の部屋に居て。包丁を研いで魚の三枚下ろしを練習している僕を、ちょっとだけ興味ありそうに見て。
対した会話もなく、彼女は帰って行って。
翌日、店内のテレビ放送で、8区の捜査官が大量に殺されたという報道を聞いた。
大勢、一般人が巻き込まれたと報道されていた。