「あ、気が付いた?」
うめき声が聞こえて、僕は背負った彼にそう話しかけた。レンくんは唸りながら首を上げて、周囲を見回す。
光の完全に消えた夜の東京湾は静かで、どこか物寂しい。昼間の明るさや働いている人達の光が閉ざされた時間ゆえにか、とても寂しい光景だ。
そんな光景を見て、レンくんはがばりと跳ね起きようとした。おっとっととバランスをとり、転ばないように彼を下ろす。
コンテナに囲まれた中で、僕らは向かい合った。こうして見ると、レンくん結構背が高い。
彼は、困惑しているようだった。
「……? 何が、一体……?」
「何が、と言われると、助けたとしか答えようがないかな……?」
「助けた? お前が?」
レンくんは頭を傾げる。
うん、と首肯して、僕は発炎筒を取り出す。
「いくら喰種捜査官といえど、ガスマスクとかなしにこれを顔面一発っていうのは、避けようが無いからね」
「…………」
目を半眼にするレンくん。もっともそのまま何もいわず、ため息をついた。
「助けてもらったことに礼は言う」
「うん、どうも。じゃあ一つ聞いていい?」
「?」
「ひょっとしてレンくんたち、引っ越した?」
「……嗚呼」
そう、これが僕がこんな場所でうろうろしていた理由。以前ヒカリさん達の家があったコンテナの場所に来たものの、既に何も無く途方に暮れていたのだった。
レンくんは無言のまま僕をじっと見て、そのまましばらくしてから口を開く。
「知りたいのか?」
「うん」
「なんでだ?」
「それは、まぁ、このままだと送って行けないし」
「どうでもいいが何でライダースーツなんだ?」
それはたまたまだよ、と言うと何故かレンくんは残念そうに「そうか」と言った。何が残念なんだろう。よくわからない。
「……」
ただ彼は無視して歩き出すこともせず、何か考えているようだった。
しばらく待つと、レンくんは「こっちだ」と言って、僕に先導した。
電車代あるか? と聞かれたので、それくらいはおごれると答える。
レンくんに主導されながら、山の手線。乗り換えてメトロ。雷門にはまだ遠いけれど、以前とかなり離れた場所で……。つまりは6区。
そして、そこの駅近くにあるとある貸しコンテナの手前にレンくんは足を止めた。
「……またコンテナ?」
「……文句あるのか?」
「いや、まぁ予算的には安いだろうけど……」
「2区の方は、監視カメラがあの位置にも設置されるって聞いた。ここのところはまだない」
まぁ妥当な理由なのだろうけど、色々と世知辛い……。
奥の方に歩いて、ノックを三回。中から「は~い」とヒカリさんの声が聞こえて、不思議と安心する。
「おっかえりー、レンと……? あれ、なんでアラタ?」
「まぁその、成り行きで?」
まぁ上がってけよ、とヒカリさんは手招きした。
コンテナ事態は以前のように繋がってはおらず、前後の出入り口で往復するような形になっていた。物自体は少なく、以前レンくんがいじっていたジャンクパーツらしきものも見当たらない。
「で、どしたの? レン、あんた引っ越すからってレーシングのところのおっちゃんに挨拶行くって言ってたと思ったけど」
「言ってきた……、…………」
「いや、それだけじゃわかんねぇよ」
言いづらそうにレンくんはうつむいて、そのまま奥の方の扉を開けていってしまう。「あ、ちょっと待て」というヒカリさんの静止で止まらない。僕も彼女も何も言わず、そのまま数秒。
こちらを見たヒカリさんから「説明してくれる?」と確認が来た。
「えーっと、僕も途中からだったんで全然なんですけど……」
僕の視点から見た話としては――。
まず大前提として、僕が仕事帰りだったこと。珍しく荷物を届ける往復作業が多く(なんでも付き合いのあるお店とのやりとりだったとか)、その帰り道。
ふと二区を抜ける直前、見覚えの在る捜査官二人の姿を見かけた。それだけならまだ逃げるだけで良かったけれど……。でも、その時ふと嗅いだ匂いが問題だった。
レンくんの、というよりヒカリさんの匂いだった。
たぶん選択物か何かの匂いだったと思うのだけれど、その匂いのせいで僕は彼女たち捜査官二人の後を付けることになった。……店の手前にバイクを置いたまま。
まぁそれは大した話じゃない。盗まれてなかったし、ヘルメットも店に返せたので問題じゃない。
それよりも問題なのは、捜査官二人にレンくんが追い詰められていたこと。
すぐさま手を出しても良かったけど、それをするには僕自身、力が足りない。だから色々小細工をして、からがら逃げてきたといのが現状だった。
その後自宅までレンくんを運び、保存していた肉を分け与え。バイクをお店に返して帰ってきてから、ヒカリさんたちのかつて住んでたコンテナの方に行ったというのが経緯。
そしてその話をし終えた時点で。
「そんなの、助けたことになんないでしょ」
ヒカリさんはそう言って、僕の頬を叩いた。
頬に走る痛みに、僕は目を見開く。頭が一瞬真っ白になった。
「殺しておけよ。それは」
そんな僕に、ヒカリさんは続ける。
「……殺せって、それは――」
「当たり前だろ。アンタ何したか、わかってんのか?」
ヒカリさんは僕の足を払い、地面に叩き付けると馬乗りになり、襟を締め上げる。
「確かに一瞬助かったろうけどさ。でもそれって、某か痕跡を残したってことじゃないの?」
「それは……ッ」
より強く締められて、反論することさえ許されない。
それだけ彼女の顔は、怖いものだった。
「なめんなよ。CCGを。私達なんか気づいていないものを理由に、どんどんどんどん特定してきて、気が付いたら何もなくなってたなんて、ザラなんだから」
「……」
「なんでアンタ、戦わなかったのよ。そりゃ、正面から行ったら勝てなかったろうケドさ。
でも、アンタ絶対、殺せるタイミングがあったろ」
「…………」
「――アンタみたいなの、大っ嫌い」
自分から戦おうともしないで。結局、全てを失うようなことしやがって。
「……」
ヒカリさんの言葉に、僕は二の句がつげなかった。
全てを失うようなこと、という言葉に、不意に母さんの顔が脳裏を過ぎった。
「そんなもの、助けたことになんてなんない。
アンタも、レンも、目ぇつけられただけだろ」
「……」
「わかってんのか、あ゛?」
拳を握り、振り上げ。しかしヒカリさんは手を下ろした。ぎりぎりと握っていた拳から力が抜ける。
僕から離れて、ヒカリさんは背を向け言い放つ。
「……アンタのことなんて知らない。キョーミもない。
アンタがなんで反論しないのかも。アンタがなんで殺さなかったのかも。アンタがなんで、自分が喰種であるっていうことを『毛嫌いしている』のかも」
「……」
「だけどさ」
ヒカリさんは、少しだけ振り向いて言う。
その視線には、怒りが。
「そんなものは、生きてこそだろ」
それだけ言って、彼女は起き上がった僕を蹴り飛ばした。コンテナの扉に背中から激突し、悶絶する僕。それを見下し、ゴミでも掴むようなノリで外に放り出した。
ばたん、と扉が閉められる。
「……」
ヒカリさんの視線には怒りが。殺意が満ちていた。
だけれど、その言葉はそれに反して、怒りだけではない感情が乗っているようにも思えた。
だからこそ。彼女の言葉が何度も、何度も、繰り返すように耳から離れない。
「大ッ嫌い、か……」
生きてこそだと。僕のその行動は生きてこそという前提から外れていると。
生きるために戦えと。直接でこそないものの言外に言われてるような気がして。
「……でも、嫌だな」
だかれども、それを直接肯定することが、僕には出来そうになかった。
だって、ほら。生きるために。捜査官を――「人間」を殺すなんて。喰らうなんて。
そんなことをしてしまったら、僕は本当に「バケモノ」みたいじゃないか。
そんなことをしたら、もう、後に戻れないじゃないか。
震える拳を握り。しばらく僕は、その場で蹲っていた。
※
前日、夜遅くまで仕事に出ていたので今日は代休となった。
それは正直助かった。昨日の夜のテンションを引きずったままだと、流石に何もできそうにない。
「なんかここのところ、落ち込んでばっかりだなぁ……」
上手い事気分転換することもできない。友達も居ないし、お金もそんなにないし、遊ぶことさえロクに出来そうに無い。
だから気分転換といえば散歩しかないのだけれど……。流石に今日はライダースーツじゃなく、普通に私服だ。
家を出て歩いて歩いて2区を過ぎ、気が付けば1区近くに来ていて、急いで外に回る。ぎりぎり駅をはさむ形になり、ゲームセンターとかパチンコとか、ショッピングビルが複数見えるところに来た。って、こんなところに来てもやることないし、遊ぶものもないし……。
ふと匂いを嗅ぐと、少し食欲をそそられるような……。
そして気付いた。丁度目の前の駅の中で、事故が起きていたようだ。スピーカーの案内音声が聞こえる。
電車は滅多に利用しないので(お金もそんなにないので)、こういう「トラブル」は珍しい。急いでショッピングビルに駆け込む。男子トイレが二階というのを見て急いでエスカレータを駆け上り、入る。
周囲に人がいないのを確認してから、僕は深呼吸し、ガラスを見た。
緊張状態を解いたせいか、少しずつ目が赤黒く染まる。
流石にあの大人数の中で、こんな状態になってしまったら命はないだろう。
深呼吸をして落ち着くのを待ち、目の色が白く戻ってから僕はビルを出て歩き出した。
「――あら、霧嶋君だったかしら」
丁度、そんな時だった。背後から声をかけられ、振り返る。
そこに居たのは、昨日戦った――僕の家に聞きこみに来た、あの女捜査官だった。
一瞬顔面が引きつるのを押さえる。彼女はスーツ姿ではなかった。黒いシャツとズボンは薄手で身体のラインを意識させる。肩からかけたショルダーバッグの紐が胸の谷間を意識させ、どぎまぎしないこともない。捜査官と遭遇したという事実を差し引いても、美人の顔見知りに声をかけられたという意識が勝る。
「覚えているかしら? 捜査官の、安浦」
「あー、えっと……」
「ませっかくだし、一緒に遊びましょ?」
「は、はぁ!?」
唐突にそんなことを言って笑う彼女。ばっと僕の腕をロックしたと思ったら、そのまま「れっつごー!」と言って、走り出した。
な、何がいきなりどうしたんだ!?
動揺する僕を無視して、彼女はゲームセンターに駆け込んだ。
……何でゲーセン?
動揺する僕を引きつれ、彼女は「おごるわ?」と言ってなれた手つきで1万円を崩す。……崩すことに躊躇の欠片も無い。じゃらじゃらとお金を手に取って、僕をロボットが浮かぶ画面のゲームの手前に引き連れて行った、
「ほらほら、じゃあやるわよウルフ」
「え? え?」
「横スクロールでやるのよ、こんな風に」
言いながら彼女は隣り合った筐体二つにコインを入れて、そして、それぞれの台を「片手で」操り始めた。さらり、とあまりに普通に捜査する彼女に僕は困惑する。宇宙空間でロボットが射撃をしているそれは、恐ろしい事に一発の打ち洩らしもなく進んで行った。
「ほら、じゃあここから。やってみて?」
「え? えっと……、こ、こう?」
「違う違う、それじゃ……、あー死んじゃった。上の方にアイテムあるから、それに当たりなさい?」
「アイテム……? あ、復活した」
「ここのボス、一気にライフ削りに来るから注意よ。本体にぶち当たるとその時点でゲームオーバーだから」
あ、あれ?
なんかしらないけど饒舌で、そしてものすごく楽しそうな笑顔を浮かべながら解説する捜査官。いや休日のせいなのだろうか、以前と昨日と、受ける印象がまるで違う。
「ほらほら、死ぬが良いわ!」
まるで違うっていうか、違いすぎる。
何と言うか、ものすごくはっちゃけていた。
「しょーりゅーけん!」
「ぷよ癒されるわー」
「やった! ノーミスで撃墜ぃ!!!」
「やっぱこの『村』だけは難しいわね……」
「チャンバラはお好き?」
その後も何度も何度も、複数のゲームの間を行ったり来たり。時には明らかに不良っぽい学生っぽい人達に混じってゲームしたりして(しかもそれでそこそこ相手と仲良くなってる)、正直言うとかなり、唖然とさせられた。
「あー、面白かった」
そんな小学生並の感想を吐き出す彼女だったけど、一部のゲームスコアが最高得点になっていたりと、もうなんだか、色々おかしい。奢ってもらったとかそれ以前の問題として、僕はただただ何も言えなかった。
「ん?」と振り返る彼女。
「あれ、霧嶋君。面白くなかった?」
「えっと……」
「あー、ならごめんなさい。若い人はほら、ゲーム好きだと思って……」
「僕、お金あまりないんで……。
えーっと、ゲーム、お上手なんですね?」
「そりゃまぁ、たしなみ程度には」
明らかに嗜みの域を超えていました。
「ちなみに、どれくらい行ってるんですか? ゲームセンター」
「え、え、そ、そんなに行って無いわよ? 仕事もあるし」
「……えーっと、ん? つまり、仕事がない日は毎日行ってると?」
「だから、そうでもないって」
言いながら彼女は「いやいや~」と困ったように微笑んでいた。
「家に積んであるソフトも結構余ってるし」
積んであるって、つまりプレイしていないソフトということか?
それを休日にプレイするから、そんなにゲームセンターに顔を出していないってことか?
う~ん、何だろう、今まで出会った事のない人種だなぁ……。明らかに捜査官の仕事をしている時の、何十倍も楽しそうな笑顔を浮かべていて。容姿が美人だからか、不覚にも何度もどきりとさせられたりもしたのだけれど。なんだかそれ以上に困惑が……。
「あら、どうしたのかしら? 熱?」
「い、いえ、そういう訳では……。
えーっと、あの、なんで僕を連れていったんでしょうか?」
「?」
何を言ってるかわからない、という顔をされた。そこでそんな顔をされても困る。
「えっと……、僕ら、顔合わせるの二回目ですよね? 特に知り合いというほどの接触というか、私的なつながrがある訳でもなく。
なのに、どうしてなのかなーって」
「あー、それはアレね……」
少しばつが悪そうに、彼女は肩をすくめた。
「…… 一緒にゲームセンターに行ってくれるような、知り合いがいなかったし」
「……」
「べ、別に友達がいない訳じゃないのよ? びっちゃん今、子育て中なだけだからね? なんか、前に八区のところの記録荒らしに行ったときも、終始笑顔でいてくれたし。一緒にやってくれなかったけど」
それは、なんだろう。普通に引かれただけなんじゃないだろうか。そう勘ぐってしまう僕は心が汚れているのだろうか。
っていうか子育て?
ひょっとしてだけどこのヒト、見た目ほど若くない……?
「あー、なんかごめんなさいね? 良かったらえっと、そこの喫茶店で何かおごるわ」
本当ならこのまますぐ帰ってしまうのが正解なのだろうけど、流石に僕も喉が渇いて来ているし、ちょっと疲れた。休憩させてもらえるのなら是非もないところだけど……果たしてどうするべきか。
そう思っていたのだけれど、何も言わない僕を見て少し涙目というか、悲しそうな表情を浮かべた彼女を見て根負けした。……なんなんだろうこのヒト。調子が狂うというか何というか。
店に入る。シックな店内には、何だろう、古いアイドルグループの歌がかかっていた。そしてそれを聞きながら、常連客っぽい男性とマスターの男性とが「10%!」「8%!」とか言い合って、一喜一憂している。何なんだろうこのお店。
「はいは~い、こちらになりま~す」
テンションの高めな女性店員が、僕と彼女を誘導する。
そして案内されたテーブルに対面で着いた時。
「あー、そういえばだけど霧嶋くん?」
「何です?」
「貴方――限りなく黒に近いグレイ、よ」
そんなことを、先ほどまでのほがらかな表情から想像も出来ないような、冷徹な顔で言われた。
常連「マスター、今日の体脂肪率は?」
店主「10%!」
常連「ふふ・・・、8%」
店主「負けたぁ!」
功善「・・・相変わらずだな、あの二人は」