※原作でこの時系列の話が入ると、後々いくらか改変される可能性もあります
chap.01 流れ者 ―― age or Noman ――
ぐしゃりぐしゃりと、血が滴り、肉が引きちぎられる音――。
耳障りなその音を立てる存在は、俺の目の前に居る。
白い髪をした女。背は高くも低くもなく、身体はやや華奢。
背中からは短い触手じみたものを出しているが、それはあくまでブラフ、はったりだ。その本体は、小さな触手の内側に「電撃的に」収納されている。
赤黒い両目で俺を見つめながら、そいつは俺の身体を引きちぎり、無感情に貪る。
――”
この世に蔓延る、俺達人間の天敵。
食性として人肉のみを喰らい、多くの人間を影で殺し続けるバケモノ。
そんな存在が居ると知った時、幼少期の頃から俺は奴らを殺すための職業を探し始めていた。深い理由はない。武器を合法的に振るえるとか、そんな理由もあったかもしれない。まぁ、思い出せない理由は頭に血が行ってないからだと思うが、もうそんなことも大した話じゃない。
こひゅー、こひゅーと息が続かない。
血が肺に入ったのに対して咽る事さえ出来ないほど、俺は瀕死だった。
「……まず」
人様の肉を食っていて、なんて言い様だこの女。
思わず右手に力を込めようとしても、血が溢れるだけ。視線を右側に集中させると、そこには俺の方を向いて刃を握る右腕が転がっていた。
嗚呼、流石はバケモノといったところか。
どうやら俺は、自分が思っていた以上にバラバラにされちまっていたらしい。
結構強いんだな、この女。自嘲げに笑おうとして、しかし力が上手く入らない。
戦闘は一瞬だった。気が付けばあっという間に俺の身体はボロボロだった。
電撃的な決着を齎した女は、文字通り餌でも見るような目で俺を見て、無感情に喰らい続ける。
捜査官になって何年かわかったもんじゃないが、しかしここまであっけなく殺されるとも思ってなかった。
上を向いていた視線を周囲に振りながら、ふと、俺の視界に人影が入る。
黒い髪をした兄ちゃんだ。年は若い。服は二区が近いからか、魚屋みたいな格好をしている。
俺を食べてるこの女を見て、どこか恐怖に震えているように見えた。
こちらを視線が合ったので、少しだけ顎をしゃくる。逃げろ、と。気づかれる前にこんなところから立ち去っちまえと。
だが、そこは流石に喰種の方がカンが良いらしい。
俺の方から視線を上げると、その兄ちゃんの方を見た。
慌てて逃げる兄ちゃんを鼻で笑って、俺の右腕を持ち上げ、間接のあたりを引きちぎる。
租借しながら走る女に、発泡スチロールが摘んであるバイクを走らせる兄ちゃん。
嗚呼、最後の最後で守る事が出来なかった。後味悪いなぁ……。
そんな感想を抱きながら、俺の肺は仕事をしなくなり――。
そう長く掛からず、何の音も聞こえなくなった。
※
八区に流れ着いてから、どれくらい経ったかよくわからない。
少なくともあの当時は二次成長途中だったと思ったから、まぁまぁ年月は経過してるんだろうけど。それでも自分の記憶が不確かなことは事実として受け止めている。なにせ当時は、時間に関する感覚というものがよくわからなかったのだから。
だからこそ、今は逆にしっかりしている。……仕事をするようになったからこそしっかりしていると言い換えて良いかもしれないけど。
「おう、坊主。今日は買出しに付き合って見るか?」
「お、お願いします……ッ」
「がはは、酒臭いのは簡便だな。お前、鼻は良いから、慣れたら魚の匂いもよく区別できるようになんじゃねぇか?」
アルバイトでお世話になっている魚屋の大将さんに荷物運びを頼まれて、二区の競り落としに同行したのが今日の朝。買い取った魚をバイクで往復して運んだ後、下宿で寝ていたら別な届け先を指示されたのが夕方。発泡スチロールと魚の山をバイクに固定して、また往復何度か。
「……バイク、返しにいかないとなぁ大将に」
気が付けば時刻は夜。
建造中の円筒型の巨大ビルが、やけに不安感を煽る。
まぁたまにはこんな日もあるさと、僕は気にせず二区から八区へ向けて走っている途中だった。ゴルフ場の隣を抜けて向かいにあるチェーン店舗の和風レストランを見つつ走り、線路の近くを通過しようと言う按配の頃。食欲をそそる匂いを感じながらバイクのアクセルを吹かす。今月のバイト代でも中々満たすことの出来ないような、食欲をそそられる匂いを、僕は無視した。
「……うん、まだ大丈夫」
最後に食べたのはいつだったか覚えてはいないけど、まぁ、まだ大丈夫だろう。食欲に理性が解かされるほど、僕は文明人から離れてはいない。そんな強盗じみたことが出来るまでにはなっていないはずだ。
とにもかくにも、まずはお金が手に入らないと。
人間社会で生きるために、必要な知恵だ。
母さんは言っていた。周りに迷惑をかけないような生き方をしなさいと。
父さんは言っていた。誰にでもなく、恥ずかしくない生き方をしなさいと。
僕にとって二人の言葉は、二人が思っている以上に絶対だった。僕は、二人のことが大好きだったのだから……。
道中にあったスーパーで足を止め、バイクを駐車。店内で缶コーヒーを買って、一口。
しばらくこれで食い繋げる。……本当は食い繋いでいないし、いいかげん胃袋に何も入っていないせいか吐き気とかもこみ上げて来る頃だけど、金欠になってから二ヶ月は経っていない。大丈夫、大丈夫。大家さんの娘さんに話したら「全然大丈夫じゃないよ!?」と叫ばれる気もするけれど、気合だ。深く考えてはいけない。
そして再びバイクを走らせる。そろそろ二区から抜けるか抜けないか、というところで、ふと、僕の鼻が妙な匂いを感じ取った。
いい匂いのような、同時に不快な匂いのような。
拳銃が狙撃される音が聞こえたのも、それに拍車をかけたかもしれない。
民家の間に入る手前でバイクを停車し鍵を抜いて、邪魔にならない程度に道に寄せてから僕はその方向に走った。さほど離れてはいない。離れていないからこそ、この匂いの根源にちょっとした恐怖と、好奇心を抱きつつ。
結果からすれば、失敗だった。
塀の影に隠れながら、僕は見た。銃を切り裂く、稲妻のような一撃。羽根のように左右から伸びたそれから放たれた一撃で、銃を握っていた男性の右腕が撥ね飛ぶ。
転がった男性になおも「彼女」は、攻撃を止めない。赤い羽根から電撃を伴いながら、男性の身体を焼いて、切断していく。
「ったく、レン追いかけてた
ぶつくさ言いながら、彼女は捜査官のバラバラになった肉を齧る。背中しか見えないものの、なんとなく荒っぽい印象を抱いた。
ぐしゃりぐしゃり、と血が巻き散る音。
ぬちゅりぬちゅりと、組織が本体から引きちぎられる音。
日常においては異様と言えるだろう。初めて見た光景に、僕は一歩も動くことが出来ない。
そんな僕に、食われているスーツ姿の男性があごをしゃくった。状況からして意図は理解できる。逃げろと言っているのだろう。でもそれが僕には出来ない。
彼女が男性をバラバラにする手を止める。
横顔の鼻がひくりと動く。どうやら匂いで僕の存在を感知したようだ。
ゆらりと顔を上げ、こちらを見る彼女。
その両目は黒く染まり、瞳は真っ赤に輝いていてー―。
不思議と僕は、そんな彼女を綺麗だと思った。
ただ、そう思ったことでようやく身体に力が入った。鋭い視線を向けられた事で、危機感と緊張状態で膠着していた精神のバランスが上手い事崩れたのかもしれない。
とにかく走った。背中を向けてでも急いで走る。振り返る余裕もなく、隙を見せないとかそんな達人めいた発想なんでいらない。元々素人なのだから、むしろ捕まらないことだけを意識して走るべきだ。
あの状況がどういった理由から引き起こされたものかなんて知らない。どっちが正しい、間違っているだなんて発想することさえできない。する気もない。ただただ僕は、ここで死ぬわけにはいかない。母さんが身を挺して守って、父さんが身を削って繋げてくれたこの命なのだから。
感覚としては、暗闇の中背後から「何か」に迫られるようなそれだ。
誰かが付けてきているだろう背後。足音はしないが、決して追跡していないということはないだろう。
暗闇が濃くなりつつある今、急いでバイクに乗り込み走り出す。アクセル全開とまではいえないけど(全開にしたらコントロールできないし)、それでも法定速度とかは気にせず走る。
――パリン、パリン、パリン、パリン、パリ、パリ、パリ、パリ――
猛烈な速度で、僕の背後から照明の割れる音が聞こえる。
それだけで命の危険を感じるには十分で。
やがて放電するような音と共に、バイクの後輪がスリップ。タイヤに穴でも開けられたのか、勢い余って空転し、僕は投げ出された。
ぎりぎりのところでバイクのエンジンを止められたのは僥倖だろう。
それだけの余裕が自分にあったのも驚きだけど、まぁ、最悪クビにされる可能性もあったので何も言えない。そしてそういうことに気を回せるだけ、意外と余裕があったのか。
いや、きっと現実逃避したいだけだろう。
目の前に立つ、白い髪の彼女に見下ろされながら、震えが全然止まらないのだから。
「あ゛~?」
「……ッ」
年は僕より少し上か、同じくらいだろうか。
血が目立たないようにか黒いロングコートを纏っている。こちらを見下ろす目は赤く光っており、とても胡乱だ。一触即発といった感じだ。
「お前、何だ?」
「な、何って……」
「何で逃げたんだよ。やましいコトでもあんのか、あ゛?」
ばちり、と背中から紫電が迸り、僕のすぐ右のアスファルトを焼く。
震え上がる暇もなく、彼女はしゃがんでこちらの顔を覗きこんだ。
「そういや見ない顔だな、お前。新入りか何か?」
「な、何を言って――」
本気の本気でそう答えたにも関わらず、彼女は僕を蹴り飛ばした。
ごろごろと弾け飛ぶ僕を追跡し、髪を掴んで顔を持ち上げる。
「知らないとは言わないよね?
アンタ――”喰種”でしょ」
言われずとも、だ。
僕の両目の視界は、既に赤と黒に染まっている。
だが、別に嘘を付いているわけじゃない。実際に「知らない」のだから。喰種の社会というものは、特に――。
「死ねよ」
「ッ」
頭突きをされ、痛みに一瞬思考が真っ白になる。気を失う程ではないのだろうけど、痛いことに違いはない。
止むを得ないか。
腹をくくり、僕は彼女の腕を掴む。
そのまま強引に引き離して、それこそ彼女の手首が内側で引き千切れるくらいに強引に引き離して、投げ飛ばした。
痛みよりも好奇心が勝ったのか、それともすぐ再生するからか、自分の右手の有様を見て彼女は笑った。
酷く楽しそうにして、僕の方を見る。
力が入らない。それでも無理やりに立ち上がり、彼女を睨む――。
「へぇ、盾ね」
赫子を出し、右腕に絡みつかせ整形。腕を覆う程度のサイズしかないものの、最低限殴るくらいは出来るものにした。
これだけで、既に意識がぐらぐらしている。
それでも、この場で倒れれば死あるのみだろう。
それを認められないからこそ、僕はあがく。
彼女は楽しそうに笑いながら両手を合わせた。
すると、背中から更に赫子が噴出する。さっきまでのはあれでも、手を抜いていたということだろうか。ばちりばちりと、赫子の繊維と繊維の隙間で電気が迸る。
――まるで鳥のような雷だ。
右手を上げ、その指先に電気を集中させる彼女の姿は、一目でそういう感想を抱かせた。
「――耐えてみな?」
ぼそりと呟いた彼女は、そのまま右手を僕に向けた。
先端で迸っていた電気が、僕目掛けて羽ばたく。気のせいでなければ、内側には赫子があった。
電気を纏ったその弾丸は、こちらに近づけば近づくほど加速していく。
とっさに右腕を構えても、全然、防御にならない。赫子にめり込み、電気を放ち、なお盾を突き破って僕を殺そうと襲いかかってくるこの攻撃力は、何と言ったら良いだろうか。
一撃につき、一瞬。
しかし、僕の体感はその100倍くらいの時間を耐えてる。
これは、アレかな? いわゆる「死の直前は脳みそが素早く回転するから体感時間が加速する」とかいうやつかな。まずいな、これ。
相性的には有利のはずの甲赫と羽赫のはずなのに、当たり前のように僕は死を覚悟していた。
いや、当たり前と言えば当たり前でもあるのだけれど……。だって、そもそも僕は――。
「へぇ、マジで耐えた!」
びっくりしたように、それでいて新しいおもちゃでも見つけたように、彼女は笑う。膝から崩れ落ちる僕を、むしろ褒めるように笑う。
だけど、流石にもう限界。
おなかが空いて、力が――。
ぐらりと倒れる僕が最後に見たのは。こちらを見て、意外そうな表情をしている彼女の姿だった。
ヒカリ「・・・耐え切った割には弱っ」