「……デートには行かないのか?」
そんなことを四方さんが言い出したのは、丁度クリスマスイブのその日。バイクの塗装、なんか四方さんの趣味で描かれたマークが剥げかけていたのを、補修している時だった。
昼の一時。わずかに客足が遠のいたタイミングでのこの発言。
「いや、四方さんお店ありますし……」
「おじさんでいいと言っている」
「いや、こっちの方が慣れてるんでしばらく四方さんで……」
「そうか……」
残念そうな顔をしたものの、しかし四方さんは同じ言葉を再度繰り返す。
ちらりと店の中を見る。カウンターではトーカちゃんが、丁度クリスマス限定メニューの準備をしているところだった。小さなお菓子の家みたいなケーキだ。
そういえば、四方さんと一緒にホームページの編集もしていたりしたな。宣伝内容については、普段の四方さんらしからぬテンションのイメージな文章になってたけど。
「まぁ……今更っていうのもありますけど、普通に就業時間だし、かき入れ時じゃないですか? お客さん。
ここ、駅からそこまで離れてませんし」
「でも、研の方は今、冬休みだろう。たまにはしてもいいんじゃないか?」
「花買って帰ったら『店に変な匂いうつるから嫌』って突き返されましたけどね」
「……アラタもそんなことをしていたな」
「あはは……」
これは僕が彼女の父に似てるというべきか、結局だめって言ってるトーカちゃんと彼女の母が似ているだけだろうか。
しかし、実際そういうことをしたいという気持ちもなくはない。
「んん……、出来ればお言葉に甘えたいですけど、その……」
「ニシキと相談して、話はつけてある」
「いつの間に……? っというより、今回妙に手際が良いような」
「手を回したからな。
…………まぁ久々というか、初めてじゃないのか? 二人そろってクリスマス向かえるのは」
「それをつっつかれると痛いですね」
トーカちゃんと出会った初年度は、アオギリに捕まって拷問されて。翌年に至っては言うまでもないので割愛。
「んー、じゃあ、お願いできますか?」
「まかせろ」
うん、と頷く四方さんからは自信めいたものが溢れだしていたけれど。
あんていく時代のことを考えると……、帰ったら西尾先輩にボトルコーヒー買ってこう。
「と、いうのが今回の経緯なんだけど」
「いや、そんな話バラされたって、私、リアクションとれねぇから」
肩をすくめながら、トーカちゃんは僕にそう笑った。
どうやらトーカちゃんはあらかじめ午後休めるようになっていたらしく、デートしよう、と行ったら二つ返事で了解がとれた。
もっとも、いざデートするとしても何処に行くかとか、二人そろって全然考えておらず。今はとりあえず、喫茶店に近い大きな駅前をぶらぶらしているところだ。
「にしても、デパ地下とか行ってみたかったけど無理よね、研はともかく私だと。ほとんど食品じゃん、全然楽しめねーし」
「中々難しいところだね」
「っていっても、それはそれで私、研と行きたい所なんてぱっと思い浮かばないし」
「それは気にして欲しいかな」
「いや、だってアンタ、どんだけ間、開いてると思ってるのよ……」
確かに事情が事情だったというのもあるのだけれど、それとこれとは別問題だ。
ちょっとぐさっと来たので、トーカちゃんのほっぺを指でつついた。
「あん……っ」
くすぐったそうに声を上げるトーカちゃん。
ちなみにトーカちゃんの本日のお召し物は、全体的に最近のトーカちゃんらしくない。具体的に言うと足が出ている。なんとなくだけれど、あんていくに居た頃の服装のイメージに近くて、少し懐かしい。
からめられた腕は服がもふもふしていて、肉体的な感触はないけど暖かい。
「む……。だって、急にデートっていったって、特に買いたい物もないし」
「すごく原始的なところに立ち返ったね」
「そりゃお店やってますからね。経済観も変わりましたよ色々。
それに……、だって、研と一緒にいられればそれでいいし」
「それは……、ありがとう」
「ん。……っていうより、そこは研に引っ張ってもらいたかったんだけどー? どこか行きたい所って」
「んー、なくはないんだけど……」
「?」
頭を傾げるトーカちゃんに、僕は言葉を選ぶ。
トーカちゃん相手に、というよりも。あの時の関係者全員に、この発言をするときは気を遣うのだ。
「――あんていく、行かない?」
その言葉が指す意味が、文字通りの意味でない事を彼女はよく知っている。
だから一瞬、目を見開いて、足が止まる。
でも、それでもトーカちゃんは何も聞かず、「いいよ」と言ってくれた。
※
今の僕らが暮らしている駅前から、20区の駅前まではわずかに十分。電車にすればその程度の時間しかかからない。
でもわずかなその時間が、今の僕らには長く感じられた。
電車内で隣に座りながら、僕らはヒトがそこそこ多い電車内で会話をする。もちろん人数の関係もあるので、そこまで大きな声は出さない。
ちなみに、トーカちゃんは花束を抱き枕でもかかえるように抱きしめていた。
「……研さ、会って都合が悪い相手とかいないの?」
「? 都合が……」
「まぁ、私だと依子とか、高校時代の連中は会わないけどさ」
会っても分からない程度には、頭とか服装とかも変えてたんだけど、とトーカちゃんは前髪をいじりながら言う。
「だから今日は両目出してるんだね」
「そ」
「……ひょっとしてだけどそのヘアピンって、月山さんと戦った時の――」
「あ゛?」
「あー、はいはいごめん、当たり前だったよねごめんごめん」
「いや、だって、カチカチかわいいし」
そんな会話をしていると、あっという間に20区駅前。
駅を出て、旧あんていくだった、今はモバイルショップになっている場所を少しだけ見て通り過ぎる。
道のところどころに花束が置かれていて、それがあの時の、一年前の決戦の時のことを僕らに思い出させた。
「で、行きたい所ってどこ?」
「んっと……、あ、ここここ」
言いながら僕は、とあるマンホールの手前に。
その付近にも花が置かれており、捜査官と喰種との戦いの痕跡を感じることが出来るのだけれど。
でも、ここに来たのはそれ以上に、僕にとっては大きな意味があった。
僕らにとって、大きな意味が。
花を置き、両手を合わせる。
トーカちゃんもそれに倣い、一緒に手を合わせてくれた。
「……夏場はまだ来れなかったし、時期は色々突っ込みどころもあるんだけど。
でも仕事も一段落したって意味だと、丁度いいかなって思ってさ」
「……ここって、何なの?」
「一言では、説明できないかな……」
親友を助けると言って、助けられなかった。
大事な人達が、いつくしみあうよう殺されてしまった。
それを救うことができなかった――入り口。
周辺の経路から、おそらくここから中に入ったのだろうと僕は類推している。亜門さんと戦ったところからも、ここは中々に近い。あちらは不要なので、今日はここで手を合わせたかった。
「カヤさんも、古間さんも、なんでかなぁ」
「……あっ」
言葉少なくとも、トーカちゃんもそれで察したらしい。
手を下ろした僕のことを、心配そうに見上げる。
「……大丈夫だから。
後悔がないとは言わないけどね」
「……その言い回し、完っ全に前のアンタでしょ」
半眼でそう言って来るトーカちゃんには、苦笑いを返す他ない。言われてみれば、確かにそうかもしれなかったからだ。
今の自分は、一人で出来る事と出来ない事を、少しは理解したつもりだ。
だからこそ、本当の意味で、トーカちゃんには感謝している。
「ヒデがさ。言ったんだよ」
――喰種側がトーカちゃんだって言うなら、人間側は俺が立っといてやるよ。
「支えるって言われて……、まぁ、状況が状況だから仕方ないんだけどね」
「嬉しかったの?」
「うん。なんだろう……、報われたような気がしてさ」
だから、僕はもう一度そちらを見て、今一度誓い直す。
取引の猶予は、まだそれなりにある。
だからこそ、だからこそより一層、気を引き締めていかないと。
「研」
何? と言ってトーカちゃんの方を振り向こうとしたら、正面からぎゅっと、ハグされた。
鼻腔をくすぐる匂いが、ちょっと甘い。肩のすぐ隣にある彼女の髪の毛が、少しだけ鼻に掛かった。
「よしよし」
「……トーカちゃん、お母さんみたいだね」
「じゃお父さんアンタね。決定」
「……! な、なんか本当、発言に躊躇なくなったよね、そういうの」
「一応、これでも社会の荒波にもまれてますから。役所とか国営放送とか」
たとえが例えになってない。
でもなんとなく、それに合わせて僕は彼女の背中に手を回した。
「トーカちゃんの方こそ、無理してない」
「……いうな」
少しだけ僕の頬に自分の頬をくっつけるトーカちゃん。
わずかに、そこに湿った線のようなものを感じて。僕はトーカちゃんにしてもらったように、背中を軽く叩きながら、よしよしとした。
※
「あら、どうしたの? カラスくん」
キャンピングカーめいたワゴンの中でうだっている俺に、イカルさんはにやりと笑った。どこか魔女めいた暗い雰囲気を浮かべる彼女だ。ちょっと怖い。
何が悲しくてこんな笑顔を、花のクリスマスイブに見なきゃいけないのか。
もっと着飾ってくれれば綺麗になるだろうに。化粧とかも。
「別にどうでもいいじゃない、そんなこと。会社もあるし、最低限で済ましてるから。
それはともかく、何やらお疲れのようじゃない?」
「そりゃ疲れますよ。……『研究所』から奪ってきたコイツ、バラしてもいまいちどういうのかわからないし」
「専門分野でもないのによく頑張るとは思ったけど、仕方ないわね、そこは。
……はい、掘さんからの調査資料」
「いつもすみませんねぇ、イカルさん」
「それ、別に続く言葉は言わないから」
相変わらず手厳しいお方だ、と俺は肩をすくめて、和服の肩を入れなおした。
茶封筒を開けて中を確認し、ため息。
「よくも悪くも、ってヤツですかね」
「何が良くて何が悪いのか、判断基準を教えてもらいたいのだけれど」
「そりゃ、『人間』自由が一番でしょ!」
「そこはまぁ、個人の価値観もあると思うからあまり言わないであげるけれど……。
はい、差し入れのショートケーキよ」
「おおおおお! あざーッス! いやー、大学の頃からホント、イカルさんは気が効くよな~。学園祭の企画でも――」
「それはいいから、『右手』でとるの止めなさい、気持ち悪い」
「おっと! すみません」
がばり、と起き上がって、俺は彼女から受け取ったケーキを見る。いちごが少なく、クリームが上品な絶品だ。
少なくとも、俺はそう「記憶している」。
「止めておけば、と思うのだけれど……、まぁ、止めはしないわ。掃除さえしてくれたら」
それだけ言って立ち去るイカルさんの背を見て、俺は苦笑い。
「だから、人間自由が一番なんスよ。
――食べたいものを食べるなんて、その最たるものじゃないッスか」
付属していたプラスチックのフォークを取り出し、カットして、一口頬張った。
「――まっず!」
翌日、窓ガラスに残っていたクリームの跡を見つけられて、散々怒られた。