【番外編 不慣】
「……よしっ」
意を決したように、彼女は両手を合わせて「いただきます」と呟いた。頭の黒髪(前髪の一部が白い)がさらりと垂れて、袖をまくった右腕に引っかかる。「あんていく」の制服を、あえて左右のバランスを崩して着用するのが彼女のスタイルだ。
左目は眼帯で覆われていて、そこは少し僕のようでもある。
そんな彼女は目を開け、眼前の「串」を手に取り――がぶり、と齧りついた。
「……!? うぇ、えっほえっほ――」
そしてそのまま、彼女は口一杯に含んだ餡子団子を、むせるように吐き出した。両手で覆いはしていたけど、床にいくらか散乱する。バックヤードだから良いかもしれないけど……。いや、それより何をやっているんだろうという話か。
そしてそんな僕の視線を感じ取ったのか、彼女は、クロナちゃんはこちらを見て大慌てした。
「何してるの?」
「れ? れ、れ、れんしゅ……」
言われて概ね納得した。以前僕がやっていたような、サンドウィッチのようなそれだろう。それにしても、何故そんな喉に詰まりそうなものでやるのだろうか。
「……だって、オムライスじゃもっと残りそうだし」
「いや、何故それに限定されるのかっていう……。ひょっとして、好き『だった』の? 団子」
僕の質問に、クロナちゃんは何も答えず、悲しそうな目をしてうつむいた。
嗚呼、と僕は納得する。
僕ら半喰種は、一応人間の食べ物でも消化不良は起こさないし、栄養素もちゃんと取れているようだ。もっとも味は不味いし、肝心のRc細胞を欠片も取り込めないので、そのことにあまり意味はない。ないものの、少なくとも一月くらいはそれで確実に生き延びることができることを、僕は身をもって証明していた。
「……なんとなく、食べられたらいいなーって」
クロナちゃんは、うつむいたまま答える。ちょっとぼそぼそとしていたけど、そこに込められた「寂しさ」めいた感情は、なんとなく理解した。
クロナちゃんは……、どういう事情か詳しくは聞いていないものの、それでも先日彼女自身の口から、ナシロちゃんが居なくなって、一人だ。
彼女自身の背後関係を、ふんわりと知っている僕としては、たぶんだけれど、寂しいのだろう。
死別は、そういうことだ。死んだ人間は蘇らないのだから――失われた家族は、戻らないのだから。
だから彼女は、例え同い年であっても、今でも僕を「お兄ちゃん」と呼ぶのだろう。
嘉納先生とのつながりが切れ、リゼさんが「あんていく」管理となった今となって。ナシロちゃんを除き、家族の記号に当てはめられるのは、僕しか残っていないのだから。
ヒナミちゃんのそれとも近い、切実な代償行動だから――。
彼女と一緒に後片付けをしながら、僕は、クロナちゃんに言った。
「……この後さ、ちょっと珈琲淹れる練習しない?」
「……? いいの? お勉強あるんじゃなかった?」
「んー、だけどたまには良いかなって。いっつもトーカちゃんにまかせっきりと言うのもね。
一応、店長から面倒を見てあげてって言われたのは僕だったはずだし」
「だったら……、お願いします、お兄ちゃん」
そう言って、彼女は頭を下げると、照れたように笑った。
さて、あんていくの珈琲だけど、豆そのものについてはさほど考えなくても良い。というのも、大体朝方店長もしくは古間さん、入見さんの誰かしらが準備しておくからだ。それをベースに淹れていくことになるので、必然最初に覚えるのは淹れ方や、時間の計り方。
「の」の字に回すようにお湯を注ぐ、というのがいまいちわからないのか、渦を巻くようにぐるぐる外側からやっているクロナちゃんの手を背後からとって、そのまま操り人形するように手を貸してあげた。
「……トーカちゃんって、今日、模試?」
「クロナちゃん、一緒に住んでるんだからそれくらい把握しておこうよ……。厳密には過去問やりに学校に行ってるかな? 確か」
「そう。なら、大丈夫」
何が大丈夫なのだろう。しきりに何度も頷き、楽しそうに笑うクロナちゃん。つい先日まで敵対していた相手に向けるとは思えない、警戒心のない笑みだった。
「役得」
「何が?」
「なんでもない。
でも、布を使ってるっていうのははじめて」
「こっちの方が味がマイルドになるらしいよ。四方さんはこれで淹れてくれてたし。ここでもお客さんのリクエスト次第ではやるらしいからね。
そして店長は、紙で同じ味が出せるっていう」
「す、すごい……?」
「単純に年季が違いすぎるからね。あ、ちなみにこの布も単なる布ってわけじゃないから、終わったらきちんと元通りに洗わないと」
「わかった」
カップ一杯に注ぎ終わった後、さっとメモ帳を取り出してクロナちゃんは今の話を書いた。
「……ありがと」
そういってクロナちゃんは、また頭を下げた。気にする事じゃないよと言うと、彼女は首を左右に振る。
「そういう訳にはいかないから。結局、薬だってお兄ちゃんがいなかったら入手できなかったし。
それに……そもそも『あんていく』でも働いてなかったろうから」
「……」
「あのまま一人だったら、たぶん、正気じゃいられなかったと思う。だから、今の私があるのはお兄ちゃんのお陰だから」
「……そんな大層なものじゃないよ。結局僕だって『あんていく』に頼りっぱなしだし。それに、単に性分ってだけだから」
「それでも、それを決めるのは貴方じゃないから」
クロナちゃんは一歩、一歩とこちらに迫って来ていた。
気が付けば、クロナちゃんは僕の顔を見上げる。
心なしかその目は潤んでいて、そして頬はほんのり上気し、まるで何かを求めているような――。
「だから、私は――」
その瞬間、クロナちゃんの顔面に「脈」が浮かび上がった。
痛いとそこを押さえて、ドライバーを探すクロナちゃん。どうやらリジェクションが起こったらしい。さっきまで何ともなかったのに、どうしたものだろうか……。
とりあえず更衣室に入るわけにもいかないので、アラタさんのドライバーを一旦装着させた。
それに一瞬驚きながらも、クロナちゃんは少しいたずらっぽく笑って言った。
「……そういうところが、好き」
タイミングの問題もあったろうけど、僕はこの台詞の意図を、色々と間違えて理解していた。
【番外編 望察】
○月××日
郡と富良君に言われたので、日記を付けてみようと思う。
書けないことは書けない。
○月×4日
地下から帰ってきた。相変わらずあそこは何もなかった。
○月△/日
地下から帰ってきた。相変わらずあそこは何もなかった。
×月/4日
ハイルがチョコレートをくれたらしい。
食べる暇がないからどうにかしておいてくれと郡に渡しておいた。
×月××日
人間ドッグに行って来た。
△月 ×日
日記とは毎日つけるものだと富良君に言われた。
あまり書くことがないので、正直に言えば少し大変だった。
郡は「人間性を磨く勉強ですよ」と言っていた。
△月×○日
やっぱり書く事がない。
△月×△日
眼科の帰り、亜門と話した。少し妙な喰種のことを確認した。
眼帯。
△月2☆日
久々に帰ってこられた。
眼科に行って来た。
3月28日
今日はすごく良い一日だった。
△月2◆日
昨日はハイルが勝手に日記を覗いて書いていた。郡から「交換日記じゃないんだぞ!」と少し怒られていた。
ハイルは「有馬さんが何書くかわかんなかった」と言っていた。
□月○/日
アラタの量産型の計画書が特等会議に持ってこられたと郡から連絡を受けた。
機能を大幅にグレードダウンするものの、生存率は格段に上がるらしい。
なお、もって来たのは丸手さんだったらしい。
□月○×日
書くことがないので、クインケの機能整理でもしておく。
ナルカミはリンクアップ時、身体の表面に微細な赫子の膜を張っている。これにより、ライトニング発動時に外界と装着者との時間を断絶させ、高速で動かすことが出来るらしい。説明を受けたときは、207回くらい「エキサイティング」という言葉を聞いた。
でも、あれは高速移動じゃないと思う。十秒くらい、時間が巻き戻ってるような気がする。
□月○▲日
書くことがないので、クインケの機能整理でもしておく。
IXAはリンクアップ時、形態変形の性能が羽赫並に爆発的に流動する。そうでもないと全身を覆うことは出来ないのはわかる。だから以前、明らかに無駄な体中のトゲについて質問したことがあった。エキサイティングしか答えらしい答えを返されなかった。
☆月/□日
丈が誕生日だった。
伊東倉元からもらった煎餅を食べて咽ていた。
☆月○●日
郡にカラオケに誘われた。
眼科に行くからと断った。
☆月×※日
古い知り合いと会った。
みんな変身だと言ってると言ったら、間違っていると何度も言われた。やはり彼女は、こだわっているところがおかしい。
☆月/◆日
アラタの新型の設計に意見を聞かせて欲しいと言われた。
軽量化とより武装としての性能を引き上げるのは重要だろう。バイクに変形できるのも機動力を考えれば間違ってはいないかもしれないけど、あくまで鎧であるという前提で見ると、レッドエッジドライバーとの併用前提でなくとも在る程度プロテクターとして機能する必要が在ると思う。
●月 ●日
真戸アキラが誕生日だった。
亜門がドーナッツを買っているのを見かけた。
●月 ▲日
鈴屋が誕生日だった。
●月○○日
すばしっこい蝿だった。
※月 /日
眼科に行って来た。(もう見込みはないらしい。)
(そういえば最近量を食べられなくなって来ている。そろそろ無理が効かなくなってきているのかもしれない。
でも、まだ後を見つけて居ない。もっと時間を稼ぐ必要が在る。)
※注:カッコ内は斜線が引かれていて読めない
▲月 /日
富良君が誕生日だった。パーティーに呼ばれた。久々にゆっくりした気がする。
富良君が日記を見て、まぁお前らしいと言った。
▲月○※日
三波さんの墓参りに、富良君に誘われて行った。わざわざランタンを持って行っていた。
手を合わせる富良君は何を考えているのだろうか。最近はもうクインケのノイローゼにも悩まなくなって来ているようだけど、少しだけ心配になる。
帰る前に煙草を吸う彼に付き合って、はじめて吸った。盛大に咽て、心配された。
▲月○▲日
日記が見つかったらしく、富良君が自宅にしばらく出入り禁止になった。
どうやら禁煙中だったらしい。
▲月××日
遺書を準備した。
書く事は、なかった。
宇井「・・・有馬さん、これ、海外勢力来た情報とか全然ありませんよね?」
有馬「食い止めはしたけど、後始末は郡に任せたから、こっちの管轄じゃないし」