「――プール行きたい!」
突然、ヒナミちゃんがそんなことを言い出した。
八月に入ってまだ一週間経ったか経って居ないか。トーカちゃんの家で彼女に勉強を教えていると、突然、目をきらきらさせて、ヒナミちゃんは立ち上がって言った。
「……なんでプール?」
「これ!」
トーカちゃんの疑問に、さっと、ヒナミちゃんはチラシを見せた……、ってこれ遊園地? 丁度20区にある大型の遊泳施設のチラシを指差し、妙に張り切ってヒナミちゃんは言った。
「ヒナミ、この長いウォータースライダー乗ってみたい!」
そもそもウォータースライダーどころか市民プールみたいなのそのものが初体験だろうヒナミちゃん。未知のものに対する好奇心なのかそれ以外の理由かは定かではないけれど、兎に角ハイテンションだった。
何せ頭に、前にウタさんが持ってきたヘタレを模したマスクを付けて、エッヘンと威張っているくらいだ。このわけのわからなさ、クロナちゃんの影響じゃないと思いたい。
「さんせー」
そしてそんなことを言いながら、ソファーの上でテレビを見てだらしなくくつろいでいたクロナちゃんも同意する。……こっちはこっちでちょっと力仕事があった関係で、完全にぐだーっとして涼んでいた。涼むのは良いのだけれど、ぜひともタンクトップのようなその服装における下着の取り扱いには注意してもらいたい。角度的に微妙なので、僕はそっちの方をまともには見ない。
「大丈夫なわけねーだろ」
さて、二人のリクエストに対してトーカちゃんは真正面から反対した。
「ヒナミの捜査網って、減ってはいるけど全くなくなった訳じゃねぇし」
「う、」
「捜査網?」
「クロナちゃんは知らないか。えっと、前にヒナミちゃんがCCGに目をつけられたことがあって――」
本当にごくごく簡単に、ヒナミちゃんの周りにあったことを話した。途中、黙って聞いていたクロナちゃんは、一通り聞き終わるとヒナミちゃんをぎゅっと抱きしめた。
「く、クロナお姉ちゃん!」
「でも、プールなら行って大丈夫だと思う」
なんで!? という僕の反応に、
「捜査官も、通報されるから水着を着た女の子はじっと注視しない」
という、本当なのか判断に迷う回答が返ってきた。
……仮にも元CCG捜査官の卵だ。でも、その言葉の説得力がどれくらいなのかの判断はこれだけだと付かなかった。
でも、続けられたそれに僕もトーカちゃんも言葉を失った。
「もちろんそれもあるけど、でも第一に、事件が起きてから既に半年以上経過してる。捜査官の視点がトーカちゃんに移って、ヒナミちゃんの危険度が判定されてない状態なら、少し変装するくらいでたぶん対応可能だと思う。
そもそもCCGの案件で言うなら、ヒナミちゃん達の顔が見られても未だに生活が送れてるのなら、それはたぶん何かの理由で『泳がされている』んだと思う。そうじゃないにしても、私の目から見ても『警戒心が薄すぎる』二人ともが、捕まらないだけの理由があるんだと思う。少なくとも、その戦った捜査官は二人のことを何も言ってないはず。
だったら、多少目立たない程度の対応にすれば、さっき言った理由から『直接戦ったくらいの距離で目撃していない人間』が見た程度じゃ、わからない」
「「……」」
「……ど、どしたの?」
首を傾げるクロナちゃんに、僕は反応に困った。何というか、普段以上に淡々と説明をする様子は、思いのほか様になっていたというか。敵対していた時のそれとはまた違った冷静さがあったように思った。
トーカちゃんも、普段とは一味違っているその言いぶりに思うところはあったのか。頭を左右に振って「……じゃあ、仕方ないか」と諦めたようにため息を付いた。
そんなこんなで、四人でプールに行く事になった。僕とトーカちゃんとクロナちゃんとで見張りをして、ヒナミちゃんがお望みのウォータースライダーに乗れるようにしようという話だった。
だったのだけど……。
「……へ、風?」
『ぶぅ……、うん』
当日、まさかのトーカちゃんが熱を出した。
今更ながら喰種って風邪引いたりするのか、という疑問が沸いてきたりもするけど、元々トーカちゃんは依子ちゃんのお弁当を食べたりして体調は不良気味だし、こういうこともありえると言えばありえるのかもしれないと考え直した。
そんなこんなで、某所遊園地。
なんだかんだでプール以外にも、1つ2つアトラクションを遊んだ僕らだったけど、最後の難関たるウォータースライダーのそれは、流石に大きい。都内でも結構古めというか、ウォータースライダーとしては最大級のものらしい。
そんなものを見上げながら、僕とクロナちゃんは息を呑んだ。
反対に、何故かヒナミちゃんは上機嫌だった。
「どうしたの? お兄ちゃん、お姉ちゃん」
「いやー ……」
「……なんでもない」
なお、僕らは既に水着に着替えている。
ヒナミちゃんは黄色にふりふりの沢山ついたようなタンキニ。ふわふわとしたイメージがヒナミちゃんに似合っているけど、選んだのはどうやら松前さんらしい(何やってるんだろうあのヒト)。
対してクロナちゃんは、黒いワンポイントが入った白いバンドゥ。パレオを腰に巻いていて、左右非対称に腹部が露出しているのが、なんとなく「あんていく」の制服を着ているとき、片手だけ袖をまくっているのを思いださせた。なお、こっちはいつのまにか準備してあったようだ。
「似合う?」と聞かれたのには、とりあえず頷く。……前のトーカちゃんの水着より、いくらかコメントしやすいものであったのが救いだ。
「一緒に行こ!」
「わ、私も」
そして、ヒナミちゃんとクロナちゃんが同時に僕の手を引く。
いや、言われなくても滑るつもりではあったので問題はないのだけれど、二人そろって手を引かれると転ぶので、一旦二人の手を外してもらった。
そして肝心のスライダーだったけど……。
「おお、こわかった!」
「「……」」
具体的に言えば、ぐるぐると色々回転していた感じで、身体全体が揺さぶられるイメージだ。
クロナちゃんは無言。その様子からすれば、僕同様に得意ではないのかもしれない。
ヒナミちゃんとクロナちゃんはボードに乗っていたのもあって良かったかもしれないけど、生憎僕だけそういう装備はなかったので、直接鼻の中にダメージを食らったというのも会って、なかなかコメントが出来ない。
根本的に「喰種」の肉体を獲得したとしても、平常時の感覚が人間のそれから抜けないのも大きいかもしれない。
そういう意味では、ヒナミちゃんの感想は喰種らしい感想なのかもしれなかった。
久々(?)に外で遊べるせいか、ヒナミちゃんはテンションが上がっていた。そのまま僕らの手を引きプールまで連れて行き、泳ぎを教えてくれと言う。
教えてと言われても……。とりあえず平泳ぎくらいできる様になれば大丈夫かと思い、手足の動かし方の概念をビート板に乗った上で教えている。
その横で、クロナちゃんは完全に脱力して水面に浮かんでいた。さっきので憔悴した分を回復でもしたいのだろうか。……えーっと、うん。水着のせいもあって「寄せて」「上げられて」いるせいもあるので、僕は彼女の方をあまり見ないことにした。
最終的に自力で泳げるまではいかなかったけど、ヒナミちゃんはほぼ足の動きはマスターした。
プールの端から端まで、ビート板を使って楽しそうなヒナミちゃん。他の子供のお客さんとぶつかりそうになったりもするけど、意外とうまいように動けているように見える。
そんな様子をビーチで観察していると、クロナちゃんが隣に寄ってきて、そして何故か、僕のあぐらをかいていた膝の上に頭を乗せた。
「……ど、どうしたの?」
「眠い」
「いや、気が抜けすぎだからね? クロナちゃん。一応来た目的忘れないようにしないと」
「でも、ちょっと寝させて……。トーカちゃん来れなくて、本当残念」
プールの端まで行ってこっちを見て手を振ったヒナミちゃんが、クロナちゃんの寝ている姿を見て「あー!」と指差して、勢い良くビーチに上がって、こっちに向かってきた。
「クロナお姉ちゃんずるい!」
「ず、ずるい?」
「ん……、お帰りヒナミちゃん」
「クロナお姉ちゃん、私泳いでたの見た?」
「全然」
「ぶぅ」
珍しくヒナミちゃんはすねた様子で……そしてそのまま、クロナちゃんとは反対側の方の僕の膝に頭を乗せた。
何だろう、この状況。両足をあわせて軽くストレッチしようかというタイミングでこの有様だ。具体的に言うと、股関節が外れそうになるのを無理やり力で押しとめている状態だ。
痛くないわけがない。
でも、すねた様子のヒナミちゃんと静かに寝息を立てるクロナちゃん(たぬき寝入り?)に、状況的に無理に振り払うのは気が引けた。
結果的に周囲の視線が痛かったけど……、まぁ十分程度で何故か機嫌を直したようなので、それについては諦めた。
その後、二人はどうしてか家に帰らなかった。「移すとまずいから」とトーカちゃんが判断したらしい。家にある肉のパックを一気に食べて体力とか免疫力とかを上げて寝ているとのことだが、どうにもちょっと心境は複雑だった。
トーカちゃんも、彼女に限らずヒナミちゃんだって「喰種」だ。そのことは当然理解してる。
ただ共存をうたう以上、例えそれが「殺された」ではなく「亡くなった」遺体であったとしても、無駄に量を消費するのはあまり良くないだろう。ましてやそれが、本来なら必要ない理由から発生したものなら――。
でも、それを断ったら、依子ちゃんとのつながりを断れば、それはトーカちゃんが人間社会で生きられないと言う事にもなる訳で。
お店に二人を送った後、僕は自宅に帰る前、ちょっとトーカちゃんの家に顔を出しに行った。
インターフォンを押すと、胡乱な声と一緒にトーカちゃんの声がして。……ごめん、何て言ったか聞き取れなかった。
そしてぐらぐらしながら扉を開けたトーカちゃ――。
「な、なんで今きたのよ……」
「ぶッ!?」
トーカちゃんは……、例の水着姿だった。紐止めの、縞模様の。今年の二月だったっけに、一緒に遊びに行った時に買ったもの。
上からバスタオルを羽織って、汗ばんでる身体を拭いている様子のトーカちゃんだったけど、それ以前に何故、風邪を引いているのにその格好なのかとか色々問い詰めたい。
「だ、だって、熱いし……」
実際、自分で言うくらいにはトーカちゃんは熱かった。額に手を当てて(トーカちゃんの「あは」とかいう声は聞かなかったことにする)確認した段階でかなりだから、39度下手すると行ってるんじゃなかろうか……。
っていうより、ひょっとしたら今まで風邪にかかったことなかったのだろうか、この子。部屋の中に入れば、明らかにエアコンが寒い温度に設定されていた。それでも毛布をかけているのが、不自然と言えば不自然というか。
「あー、とにかく色々間違ってるからさ。とりあえず、服はちゃんと着て?」
「せ、洗濯するのだるぃ……」
「それくらい僕がやっとくから」
「変態」
「な、なんで……? って、嗚呼。まぁ、嫌なら脱いでまとめておくだけで良いんじゃないかな」
「うぅ~~ ……」
僕の言葉にしぶしぶという風に、トーカちゃんは箪笥を開けて、服を出して、そのまま自分の首の裏側の紐を外して――。
「って、僕まだ居るから! 着替えるのは出た後にして!?」
「ん? ……あ、そだった」
もはや恥らうのも億劫なのか片手で両方の胸元を隠しつつ、胡乱な視線でそう返すトーカちゃん。いくらな何でも熱に浮かされすぎというか……。色々心配になるというか。
以前までの僕相手ならそれでも大丈夫だったかもしれないけど、今の僕相手だと……。
何分、自分に課した「好きになっちゃいけない」というルールのせいで、逆に意識しすぎてしまっている感じがあった。
極端な厚着まではさせない程度に服を着せて、熱を計りなおす。39までは言ってなかったけど、38度の後半くらいはあったので、エアコンの温度を上げて、そのまま寝かせた。「暑い~」とうなるトーカちゃんだったけど、さっきのは流石に温度が酷かったので、これくらいで常識的な範囲だろう。
「うぅ……バカネキ」
「あ、なんか久しぶりだねそれ」
ふふ、と思わず笑う僕の手を、トーカちゃんはとった。
「何?」
「……指、なめさせて」
「……何でまた」
「その、なんか、舐めたい」
「…………体調不良だし、今日だけだよ?」
水着の格好のせいか、なんとなく以前、無理にハグを要求したことを思い出し、むげに断ることができなかった。
僕の手をとって、トーカちゃんは先の方を、ちゅう、とした。そのまま舌とかもからめていたりするけど、でも動きはこういやらしいものではなく、小さい子供がアイスでも舐めるような、そんなこう、子供っぽい動きだった。
なんとなく普段のトーカちゃんとのギャップみたいなのを思って、力が抜けた笑みが浮かぶ。
一通り満足したのか、アリガト、とトーカちゃんははにかんだように笑った。
そして、何故か机の上を指差す。
「……何、鍵?」
「……スペア、一つ。あげるから」
「な、何で!?」
「ねーと思うけど、今日みたいに私、全然動けなかったとき用」
「いや、あの僕、一応男性な訳でしてね? えっと……」
「……どうせしねぇだろ。だって――研のそーゆー所が、私、好きだから」
ふふ、と微笑んで、トーカちゃんは目を閉じた。
「……弱ったな」
今の好きは、たぶん人格的な好きを言っていたのだろうけど。でも、その一言だけで猛烈に自分の羞恥真が煽られるというか。
思わず誰か居るはずもないのに、周囲を見渡してしまうくらいに、僕は心臓の鼓動が早くなって。
だから――だからこそ、なおのことトーカちゃんのことを好きになっちゃいけないんだろうと、改めてそう考えた。
なお完全復活した後、三日くらいトーカちゃんは顔を赤くして、僕と顔を合わせてくれなかった。
in あんていく
カネキ「あ、トーカちゃん。おはよう」
トーカ「おは――」――脳裏を駆け巡る、完全に頭が回って居ない自分と、目の前で箪笥を開けて下着だの何だのをいじってた自分と、目の前で上の水着を脱いだ自分と、布団の中で彼の指をなめていた自分と、言葉の中の一つとはいえ「好き」と言ってしまった自分――「――ッ!?」
カネキ「な、なんで目をそらすの?」
トーカ「べ、別に・・・/////」
次回はクロナのターン!