「……誰も来ないな」
一人の”死神”が、東京の地下で少し寂しそうに呟いていた。
高田、アクアビルディング。僕とヒデとがかつて喰種のニュースを見ながら会話を交した場所。
大々的に破壊されて、まるで「内側から何かが膨張して破裂した」かのような破損は、一年近くたった今でも修復されきっていない。
その止まった作業現場のクレーン、頂上から僕は20区の駅方面を見ていた。
「……」
音が聞こえる。聞こえて欲しくない音が聞こえる。
ヒデもちゃんと避難してるだろうか。こういう時にまで好奇心を優先しないとは思うけれど、そこまで確度がある訳でもない。今は……無事を願うしかないかな。
ドライバーを取り出し、腰に当てる。
赫子の”手”が腰に巻きついたのを感覚的に感じ取ったとき、背後から声をかけられた。
「――クソ冴えねぇツラしやがってよ。お前、そんな馬鹿だったっけ」
「……西尾先輩」
よ、と言いながら、彼は僕に缶コーヒーを投げてきた。それを手に取ると、先輩は「ほら」と隣を指差す。
何となしに隣にいって、僕と先輩は座った。
ブロンディのカフェオレだった。確か、先輩のおすすめだったっけ。
「よく見えるよな。あんて、ってか駅前」
「はい」
「……四方からさっき連絡あった。ジィさん達みんなで、引きつけるって」
見ろよあの数、と西尾先輩は笑う。「死んだのだけ集めて、ちょっと珈琲出してただけじゃねぇかよ。なぁ」
笑う横顔はいつも通りのようにも見えたけど、でも、同時にどこか空虚なものにも感じられた。
「……こーして終わってくんだよな、日常って」
「…………」
「突然とかは言わねぇぜ? そんなもんだろ。
当たり前だって思ってたものが、ある時急に崩れちまって。
終わる時は、長く感じてもきっと一瞬だ。……一瞬だ」
「……」
「ったく、ムカつくジィさんとか、
「……きっとこのまま、僕たち皆が姿をくらますのが、あのヒトたちの望みなんでしょうね」
「こちとら後味最悪だぜって。タク、クソみてぇだ」
「いつもより多いですね、それ」
言いながらも、僕は、どこかやりきれない。芳村さん達らしいとも思う。それを受け入れるべきだという思考も、確かに存在している。
でも――それじゃ嫌だという自分の声が、どうしても、どうしても押さえられない。
四方さんはたぶん、トーカちゃんの方に回っていると西尾先輩。
何をするかわからないからというのは、それなりに同意だった。
「……あんていくの戸棚の奥に、使われてないカップがあったんですよ」
「……?」
「あれはきっと、……生き別れになった娘さんのためのものだったんじゃないかなって。
考えちゃうんですよ。店長は、きっと待ってたんだろうなって。人間も、喰種も関係なく。ただただ、ずっと――」
爆発音が上がる。よく見れば白いフードに赤い仮面の喰種が、リーゼントっぽい髪型の捜査官を連れて地下に向かっていた。
「……西尾先輩は、どうするんですか?」
「バックれるに決まってんだろ? 今行ったらそれこそジィさん達、犬死だ。
後、まぁ……、貴未に会い、行かねぇとな」
「……」
「そう簡単に頷いちゃくれねぇだろうが、ババァになるまで放っておく訳にもいかねぇしよ」
「……僕が、」
「何も言うなよ。今更グダグダ言うんじゃねぇ。誰も、後悔なんざしちゃいねぇよ。
…………なぁ、カネキ?」
本気で行くつもりなのか、と。西尾先輩の問いに答えず、僕は立ち上がる。
「……何も出来ないのは、もう、嫌なんだ」
「……」
「――行かせぬよ」
背後からかけられた声は、月山さんのもの。
「あの数が、見えぬと言うか、君の目に? 君には……ッ! 君に、何かあったらどうするんだい……ッ!!」
「……でも、行きます」
「――だかああああああああら行かせまいでかああああああああああああああッ!!!!!!!!!!!」
月山さんの絶叫が、響く。
一撃一撃を交しながらでも、僕は、月山さんの目から目を逸らさない。
狂気に触れたようなその態度であっても……、月山さんの目は、潤んでいた。
「僕の、僕の家の力でも! 人脈でも! どうしようもないのだよッ! 家を買うのも違う、土地を転がすのも違う! 人間を食べるのでもない! 打つ手がないことくらい、考えればわかるだろおおおおッッ!!!」
「ただ、そうであっても――」
「僕がァ!!! 君を食べるのを邪魔するのは誰であっても許さない! 例えそれが君自身であったとしてもッ!!!
許可、し、な――」
カツラは飛び、マスクは転がり。
距離的には、大分追い詰められつつある。
そんな月山さんの最後の一撃を、僕はかわさず、そのまま正面から受け止めた。
赫子の”手”は、リゼさんのそれは、何一つ態度を変えずに、月山さんのそれを受け止めた。
「……月山さんも、巻き込めません。貴方の家は、大きいのだから、きっと多くのヒトに慕われて、今の月山さんがあるんでしょうから。
でも――止めてくれて、ありがとうございます」
「――ッ」
止めていた”手”が、月山さんの赫子にヒビを入れ、彼の腕から引き剥がす。赫子が剥がされたという事実に大きく目を見開き、そして、そのまま彼は地面に倒れた。
本当ならまだ戦えるだろうに。
気づいてしまったのだろう。何をやっても、僕は折れないのだろうと。
「行かないでくれまいか――ッ」
終始、目を合わせ続けたからこそ――。
「……少し、もらいます」
月山さんの赫子を少しかじって、僕は背を向ける。
そしてそのまま振り返らず、僕は西尾先輩に言った。
「――先輩、泣かせないように頑張ってください」
「……一字一句、そっくりそのまま返すぞ」
少しだけ肩をすくめて、僕はビルを飛び降りた。
※
カネキが、研が、私の目の前に現れた。
変身した姿は、少しだけ、以前のあいつを取り戻しかけてるようになっていて。
「――あ、良かった。まだ間に合った」
「……ッ」
そんな研が変身解除して、浮かべる笑顔を見て、私の中の何かが、最大限の警告を発した。
このまま行かせちゃいけないと。これは――お父さんの時と同じだと。
「研……」
「少し、時間を貰えますか? 四方さん。そんなにはかからないつもりなんで」
そう言って研は、私の手をとって、軽くお姫様だっこ。いつかのようなその体勢のまま、軽々とマンションの壁に赫子を突き刺して、上って行った。
屋上に着くと、私を隣に下ろして。そのまま研は、私の顔を見た。
「……何よ」
「いや、そう怖い顔しないでって。ほら」
ぐい、と私の目元を軽く拭う研。涙が流れ落ちるそれをはらって、そのまま、見ていてすごく安心するような微笑を浮かべた。
言葉とは、正反対のように。
「……行ってくるよ」
たまらず、また私の視界は滲んだ。
なんで、なんでアンタが行くっていうのよ。だったら、私が――。
「わがまま、言っていいかな」
「……?」
「帰り、待ってて欲しい」
私の手をとって、両手で包むように握って。研は少しだけ目を伏せて、言った。
「分かってると思うけど、今回は、だいぶキツいと思う。それこそ、何かの拍子に『死んじゃう』くらいに」
「……わ、わかってんなら、何で私だけ――」
「だから、待ってて欲しいんだ」
研は、手を離してそのまま、私を抱きしめた。今までのハグの中で、最も強い感じのハグだった。
「最後の最後で……、生きたいって思えないと、たぶん、駄目なんだ。だから、お願い」
「……」
「トーカちゃんが待ってるって思えば、たぶん、諦めない。
トーカちゃんを一人に出来ないって思ったら、きっと、どんなにボロボロでも立ちあがれる――」
気が付けば……、少し研の手が震えているがわかった。怖いのか、それとも、私にこんなこと言うのが辛いのかは知らないけど。
「――トーカちゃんに『お帰り』って言ってもらいたいから、それなら、きっと僕は生きて帰って来れる」
「――んなこと、言われたら、待つしかないじゃん……ッ」
声も視界も、気が付けばぐしゃぐしゃになっていた。
ハグを解いた研を見た。いつもみたいに笑っていた。それが、本当にいつも通りすぎて――逆にそれが、安心できなくって。
もう、色々、かまいやしない――。
研の顔を手でロックして、私は、いつか以来に口びるを重ねた。カネキの息が詰まる音が聞こえるのと一緒に、私は目を閉じた。
時間にしてどれくらいかなんて、わかったもんじゃない。ただ自然と、自分で納得するまでその姿勢でいた。
手を離して、顔を離して、少し上目遣いに研のことを見る。
「……て、照れてんじゃ、ねぇよ」
「……いや、ちょっと、うん。勿体なかったかなーって」
寂しそうに照れながら笑う研に、私はつい、悪態を付こうとして。でも、それも泣きながらだから、震え声のまんまで、まともにしゃべれてなかった。
私は……、小指を立てて言う。いつかリオとかにも言ったように。でも、それでもリオとかの時とは違うように。
「約束、は、しない主義なんだけど」
「うん」
「でも、絶対、帰って来て」
「うん」
「帰ってこなかったら、ぶ、ぶっ殺すから」
「う、うん」
「帰ってきたら――たたじゃ、おかないから」
「……どっちにしても大変そうだね。でも、うん」
からめられる小指に、私は願掛け。どうか、どうか研が無事、帰ってこれますようにと。
古間さんも、カヤさんも、店長も――例え誰一人助けられなかったとしても、せめて、せめて研だけでも帰ってこれますようにと。
指切ったして、研は立ち上がり、ドライバーを腰に当てる。
「じゃあ、しばらくは四方さんによろしく」
「うん」
「――変身」
『――鱗・赫ゥ!』
響く電子音と一緒に、研の全身は黒い、身体にフィットしたような格好に変化してく。胸元には肋骨を思わせるアーマー。背中は赫子で覆われて真っ赤なそれ。
顔面は、女の手みたいな赫子が丁寧にマスクを装着して。
姿勢を低くして、今にも飛び降りようと構える研。
そんな研に声をかける。少し不思議そうに振り返るコイツに、私は、出来る限り笑顔を浮かべて、言った。
「――行ってらっしゃい、頑張ってね!」
「――頑張る。じゃあ、ね」
そんな会話を交わして――私は、研の背中が見えなくなるまで、ずっと見ていた。
※
場違いな言葉を言いながら現れたのは、カネキくんだった。
『――甲・赫!』
「ぶ――」
さも当たり前のようにドライバーをいじって、両腕を覆うように出現した巨大なガントレットみたいなのの片方を飛ばして、ハチをぶっ飛ばして。
何というか、それでもわざわざクインケ越しに殴って、ハチよりもクインケの破壊をメインにするあたりは、カネキくんらしいのかしら。全く……。
悪い子ね。お姉さん達の言いつけ、守らないで来ちゃって。
「何、しに来たのよ――」
「古間さんは、安全なところに先に退避させました」
カネキくんは言う。あの猿が調子に乗って、特等相手に一人で立ちまわろうとしていた時に、トチって、腹に風穴開けられて。
『貴様ら猿ごときに、我々ホモサピエンスが負けるはずもないのだよ! ぬ? おお、制圧したのか、ナイスジョブ富良くん!
さて、我々も第一フィナーレといこうか――』
本当にギリギリのタイミングで乱入したらしくって、でもそれでも相手のクインケをバラバラにしたとか何とか。
『すみません。遅くなりました』
『カネキくん……、ふふ、君の腕が魔猿のゆりかごになるとはね』
相変わらず、調子が変わらないわねあの猿も。
「状況的に、古間さんから『アイツ俺より弱いから』と言われたのもあって、急いでこっちに来ました」
あの猿ッ!
今度あったら、またぐ……、覚悟しておけこのヤロウ。
「聞いて。これは、逃げてどうにかなる戦いじゃないの。みんな覚悟して戦ってるの」
「わかってます」
「だったら――」
「わかってるから――死ぬなんて許しません」
体勢を立て直して店長を助けに行くとか。もやしっこの文学青年だったのに、全く何を無茶言ってるのかしら。
冗談でしょ、今の状況がわかっているの? そんな質問をすれば、
「――冗談なんかで来はしません」
トーカちゃんの代わりにも、と小さく付け加えていたのは、思わず少し笑わせて貰った。
全く……。仕方ないわね。ウチのお子様達は。
「……手前三人、近接タイプ。小さいのは動きが速いけど一撃が軽い。攻撃は正確だから致命傷はさけて。
糸目はパワーが少しある感じ。手数も多いし機転も効くから。
一番厄介なのは、あの地味顔。なんの特徴もないくせに、普通に強くなってきた奴よ。たぶん」
奥で伸びてるのは流れで殺しちゃっても許すわ、と言うと、カネキくんは「何かあったんですか?」と少し困ったように聞いてきた。
まぁ、昔ちょっとって感じよね。色々あって、熱いキッスかまして、そのままべりべりひっぺがすくらいには因縁があるけど、まぁ教えるような話でもないし。
「……気をつけて」
「ありがとうございます――」
『――羽・赫ッ!』
カネキくんの首筋から、マフラーみたいに赫子が伸びる。
それと同時に、気が付けば彼は敵の渦中に。
――ねぇ、カネキくん。
一瞬気づくのが遅れて対応が間に合わない。そんな奴ら目掛けて、赫子を鱗赫に切り替えて凪ぐ。結構、面白いように一網打尽に出来そうなものだけど、そう簡単に行かないくらいには糸目の方は手馴れてるわね。
――あなた、可哀想よね。
――強くならなくっちゃ、いけなかったってことは、それだけ沢山傷つけられてきたってことだから。
――それでもなお諦めないで、強く在ろうとして。滑稽で、でも、それでもだからこそ今立っていられるんだから。
『――甲・赫!』
さっきのグローブとは違う。赫子が右手に巻き付いて、先端が刃のように変化する。
それを見て驚くこともなく、地味顔は対応する。
でも、もう一方にまでは対応できていなくって。
――強いって、悲しいわよね。
――いつだって、誰かの代わりに。誰かの想いを背負わなきゃいけないんだから。
二つの赫子に弾かれ、円運動するように、地味顔の持っていたクインケは空中に投げ捨てられた。
※
「……もう勝手になさい。あなたのせいで計画むちゃくちゃ」
「あ、じゃあみんなでまた新しい計画、立てないとですね!」
「なーに喜んじゃってるのかしら、この坊やは……」
僕の反応に、入見さんは面倒そうに頭を左右に振って。そして、振り返りながら言った。
「ルート、V14。地下周り、少しくらいは四方くんから聞いてるわよね?」
「はい」
「じゃ、わかるわね。そこまで行けばたぶんもう来ないでしょ。そこで落ち合いましょう。
……芳村さんの居る本隊が、わかってると思うけど、一番危ないわ」
入見さんは、忠告するように言う。喰種でも恐れおののくような、特等達がわんさかと居ると。
それでも、僕は行くのだ。彼女の言葉に頷き返し、そして、再度ドライバーを操作する。
距離事態は、もうそこまで離れていない。大通りの交差点を、三つ、四つまたぐ程度の距離だ。
だからこそ短期決戦を見込み、僕は赫子を羽赫にあわせている。
体感速度がそこまで上がるわけではないけれど、無力化するのには案外と使える。
まだ完全に形成は出来て居ないらしいけど、この場においては最も重宝する赫子だった。
「クソ――」「足狙え! 動きを止めるんだ!」
「だ、駄目だ、早すぎる……!」
「なんなんだあの喰種は……ッ!!」
クインケの弾丸を射出する銃を蹴り壊し、僕は倒れる彼を見上げた。……失禁されたのには目を瞑って、再び速度を上げ――。
『――リコンストラクション!
アラタG3! フルアタック!』
「――ッ!」
そんな僕の側面から、見覚えのあるバイクが突っ込んできた。見覚えのある大型のバイク。ただし下方から「クワガタの顎」でも連想させるマフラーが、いや、マフラーのような刃がこちら目掛けて突き出している。そんなものが高速で、空中のこちら目掛けて突進してきていた。
とっさにベルトを操作して、甲赫で受け、弾き飛ばされる。
その場で体勢を立て直し、ドライバーのレバーに指をかけ、その相手を見た。
バイク型のクインケにまたがり、こちらを見る――亜門さんを。
「……通しては、くれませんよね」
「……嗚呼、駄目だ」
僕と亜門さんは、静かに、微笑んで、言葉を交した。
雨が降っていた。
夜を通して降った雨が、朝日と共に上がった。
口を半開きで倒れる月山。目の前に、西尾が缶コーヒーを置いた。
「涸れんぞ? って、聞いちゃいねぇか。
……どうしたもんかねぇ、こりゃ」
「――おっつおっつ、お疲れ~」
唐突に、西尾に声がかけられた。億劫そうに振り返れば、己の腹よりちょっと上くらいの身長しかない、少女と形容すべき女性が現れた。髪は短く、どう見積もっても小学生にしか見えない容姿である。
誰だと問いただすと、彼女は当たり前のように「そこで転がってる月山くんの、半分保護者」と言った。
「おお、大分重症だねぇ。もう終わっちゃったみたいだけど……、はいはい、どうどう。棒っきれみたいなのはガマンね~」
倒れる月山の頭の近くに座り、投げ出した足の上に涸れの頭を乗せる。そのまま髪をすきながら、上る朝日を見つめていた。
「ホリよ……、何故、カネキくんは、いってしまったのかね」
「行きたかったからじゃないかな」
「何故、ああ無謀なことも、わかっていただろうに……」
「……それがもしわかるのだとしたら、私と月山くんの関係も、今とはちょっと違った感じになってたかな~。そこは、残念なところでもあり嬉しいところでもあるから、私の口からは言わないでおくよ」
首からぶら下げたカメラのレンズを磨きながら、片手間に答える少女。
そんな彼女――掘ちえに、月山は問うた。
「ホリ……、教えては、くれまいか。
『美食』とは、何かね?」
「それ、私に聞く? 知らないよそんなの。自分で考えな? でも、そだね、ヒントはあげよっか――」
――君は、食材のために命を燃やせたのかい?
彼女の言葉に、月山は目を閉じて、何も、言葉を返せなかった。
西尾がそんな様子を見ながら、コーヒーに口を付ける。
やがてビル街を照らす朝日へ、掘はファインダーを向けた。