ヒナミが寝静まっているのを確認して、私は部屋を出た。
クロナはニュースが始まるより前に「珈琲買ってくる」と言って、一旦マンションを出ている。だから、私が気を遣うのはヒナミだけで十分だった。
そして、外へ向けて家の扉を開ける。
目の前には……、四方さんが立ちはだかっていた。
「どこへ行く」
「……ッ、四方さ――」
「荷物を詰めろ。出るぞ」
「……店長たちは?」
私の言葉に、四方さんは首を左右に振った。
「……見殺しにするの?」
「……あのヒトたちが決めたことだ。元々、お前達には黙っているつもりだったから。
不満か? だったら、あの数相手にお前は戦えるのか? そんな、喰種として弱った身体で――」
いつか私がカネキに言ったような台詞であって、そしてそれはカネキなら絶対に言わないような台詞でもあった。元々、四方さんは依子と私の付き合いをあまり良く思ってはいなかった。
わかってる、そんなこと。
いったって力になれっこないなんて。
でも……、でも。
「だからって、ただ逃げるなんて――!」
「死にたいのか? トーカ。せっかく、研と一緒になれたのに」
「それは……、でも、」
なんで四方さんが知ってるのかなんて、気にならないくらいに私は焦っていた。死にたくなんてない。そんな訳ない。研と一緒に学校行って、勉強して、遊んで、ケンカして、依子とかとも紹介したりして、そして、いつか……!
だけど、だけど、だけどそれじゃあ。
「でもそれじゃ、古間さんやカヤさんは、死にたがってるっていうの……ッ!?」
「……落とし所だ。あいつらは――」
いつもそれを探していた。
四方さんは、何一ついつもと変わらず続ける。
「あんていくで働きながら、時々、言っていた。多くの命を奪ったことが。犯した罪が。平穏な世界で生きれば生きるほど、自分を蝕んで行くと。
芳村さんと出会って、その意味を理解したからこそ――消えない罪は、どこかで落とし所をつけなければいけないと」
「……ッ」
「罰を欲していた、と言えばいいか?」
「…………だったら、私たちだって――」
「そうじゃない。……考えろ」
四方さんは、言いづらそうに、それでも必死に言葉を紡いでいた。
その分、普段より饒舌に見えたけど、でも、だから四方さんもどこか無理をしてるように見えた。
「『あんていくは助け合い』。作ったのは芳村さんで、守ってきたのはあの二人だ。それこそ、俺なんかが拾われるまでもなく。アラタが店を尋ねにくるまでもなく」
「……! 四方さん、なんで、お父さんのこと――」
「だから、考えるんだ。……二人が、なんで引かないのかということを」
そんなの、そんなの、状況からすれば考えるまでもない――。
生きろっていうの? 私達に。
「みんな、みんな、場所も、ヒトも、犠牲にして」
「全てがなくなる訳じゃない」
「でも……、だって――」
カヤさんも、古間さんも。
店長も、みんな、みんな、家族みたいで――。
――お父さん、お母さん……ッ。
なんで、なんで全部なくなっちゃうのよ。身を隠さなきゃいけないってことは、必死で覚えたことだって、友達だって、あの、大切な毎日だって、もう――。
依子……。
失いたくないよ。もう。
空回りでも何でもいいから。なくさないように、なにかしなくちゃいけないって焦るしかないじゃないか、こんなの……。
……みんな、助けたいよ。
もう、嫌だよ。
……いやなの――。
泣き喚けない。そうするだけのこともできない。
ただただ駄々をこねるように、私は泣いていた。
そんな場に――カネキは現れた。
「――あ、良かった。まだ間に合った」
「……ッ」
四方さんに頭を撫でられながら、私はカネキを見上げた。
久々に見る、変身した後の姿。ただ仮面はつけてなくって――。
久々に見るその頭頂部は、少し、黒くなりはじめているような気がした。
※
アラタくんから作られたクインケを、容赦なく振るう特等捜査官。篠原と黒磐は、共にやはり厄介だった。
あの時とは違い、最初から何やらパワーアップする操作をしている。篠原は力押し、黒磐は速度が尋常ではなくなっている。
対する私は、今の所は回復で対応できていはいるが、それもどれくらい続くかとうところか。
対する私はと言えば、普段なら「バトルオウル」に装着させている分の赫子を背に纏い、空中へ飛び上がる。地上からはさぞ巨大な羽根が背中にあるように見えることだろう。
が、真骨頂はそこではない。
『――
「ライダーキック」
ドライバーを操作し、両足に赫子を集中させながら、私はそのまま地面目掛けて急降下。
交差点全体に「穿つ」ように、鳥の爪のような足で蹴りを叩き込む。
ヒビの入ったコンクリート、直撃を受けて背骨が粉砕された捜査官たちや、衝撃波でまた身体の一部をやられた捜査官達。
これだけで一網打尽に出来ないのだというのだから、全くアラタくんの赫子には恐れ入る。
「――ッ」
こちらを見る篠原の視線が、尋常でないものになっている。嗚呼、そうだろうとも。間違いなく、私は君達にとって最大の敵だろう――。覆る事は、「CCGが存続している」以上は決してあり得まい。
「残念だね。……イワっちょにも美味しい珈琲、ご馳走してあげたかったんだけど――ッ!」
嗚呼、それは適わぬ夢であるだろうよ。私が私の立場である限り。君達が君達の立場である限り。
そうこうしていると、肩に一撃、鈍い衝撃が走る。
と同時に、仕立ての良い、趣味の良いバイクが爆発四散した。……勿体ない。
「……かったぁッ」
「什造!?」
速度もある。技術もある。だが力が足りない――。それさえ除けば、CCGの死神に匹敵しうる存在が、この場に現れた。
※
猿も犬も関係なく、地上も、壁も、天井も、どこだって闊歩する光景は中々に酷いものがあるわね。
それを指揮している犬の頭でありながら、そんなことを思う程度には余裕があった。
『姐さん、音が何か変だ――』
空を闊歩しながら、近くでルチがそう話しかけてくる。
とほぼ同時に、数人が撃ち落とされる。
ビルの屋根の上を撥ねてる私達相手に、いや、私達の今の速度相手にこれだけ滅茶苦茶打ち込んでくるなんて、気が知れないわね。ホント。
そんなことを思っていると、こっち目掛けてカッターナイフを大型にしたみたいなのが、とんでもない数飛んできた。
避けるタイミングを失った私を、当たり前のようにルチが庇った。
舌打ちする暇もない。……死に際に「リオ」と言っていたのが聞こえて、なんだか私は複雑な心境になった。
ただ、それでも優先事項は「できるだけ多く道連れに死ぬ」こと。
ルチの死体を盾に使い、私は地面まで降り立った。
欠けた仮面から見える視界。こちらを見下ろすように睨む男が一人。
「よ――う、
見覚えのある顔。わんわん、とからかう様に言いはしたけど、ちょっと今相手するのはキツいかしら。
鉢川忠。階級は、あの時からすれば大分あがったようね。
蹴りを入れればクインケで防御するけど、胴体がら空きなのは相変わらず。
それをサポートするみたいに髪のすさまじく長い女の子が懐でクインケを振り回してるけど、あれくらいなら余裕で抜けられるわね。
こっちに勝機はあるけど、問題はあの猿ね。
円児はもう死んだかしら。アイツ、私より弱いから。
赫子を大きく展開して、壁を中継して何度も何度も、執拗にクインケというか「間接」を狙う私に、ハチがキレた。
「……ッ、大人しく当たって死にやがれ、イヌッコロの分際でッ!」
『当てる気あったの? ハチィ。そんなんだから――私なんかに殺されるのよ!』
このヒトっころが。
畜生なめんじゃないわよ――?
そう余裕ぶっこいて、意識が手先だけに集中していたのが悪かったのかもしれない。
気が付くと――本当に気が付くと、全く目立たないような動きで、ごくごく当たり前のように、私の首筋ちょっと先くらいに「刃があった」。
反射的に飛び退けたのは、長年の戦カンかしら。なんていうとお猿さんみたいで嫌だけれど。
背後で肩を押さえながら「姐さん!」と言うのはルチね。まだ息があったの、アンタ……。良かったのか、悪かったのか。
――もう一歩踏み込めば、首、とられてた。
村人その2、みたいな目立たないツラして、案外嫌な太刀筋してるじゃない。
「助かったぜ、平子」
「いえ」
そう言いながら、村人2はクインケを構え直した。直したって言っても大したものじゃなく、動きはなんだか最小限って感じかしらね。
追加で間に合ったイヌ達が、他の捜査官に襲いかかる。
私は私で、まーたこれが地味なの相手に苦戦させられているという事実が、かなり意外だった。
……っていうか、何よコイツ。
『――ッ!』
「ふっ」
顔色一つ変えないで、かなり余裕そうじゃない。
こっちなんて、ヘタに距離すらとらせてもらえないってのに。
というよりも、何かしらコイツ。そこらの准特等なんかより、よっぽど出来るじゃない。
後々まで残ってると、トーカたちが可愛そうよね……。
一人きりで逝くってのも寂しいし――冥途の土産に、アンタの首を――。
『――ッ!?』
途端、脚部に走る激痛。空中を舞う私相手に狙撃してくるような、空気が読めない輩は一人くらいしか知らない。
邪魔なのよアンタと叫べば、局でも言われてらとハチは開き直って返してきた。
ったく、地味に拙いわね。どっちの攻撃もバカに出来ないってなると、私の出力じゃとうてい射撃で押し勝てるかと言えば――。
ったく面倒くさっ。
そう思って、団地っぽいところの柵に乗った瞬間。私は我が目を疑った。
ババア。お婆ちゃんなんて綺麗に言ってられるだけの余裕はなかった。ババァがそこに居た。
人間の。
……はァ?
一瞬思考が消える。消し飛ぶ。
ババァは困惑したように私を見て、悲鳴を上げる。
でも、そんなものハチには関係ない。アイツは撃つときは撃つ。
……嗚呼、ったく、何て一日かしら。
死ぬまで、恨んでやンだから。クソババァ。
庇って、飛び出て、転がって。
身体に結構被弾して、部下たちもあっという間に、気が付けば私一人だけって状態になっていて。
……まったくお笑い種ね。今まで正しい選択なんて、できた試しなんてありゃしない。
こういう「人間らしい」思考が沸いてくるくらいに、あんていくの日常は平和で、楽しくって……。だから、それが私の首を絞めてるってだけの、そんな話だってのに。
「あ、アンタ、今、大丈夫かい? 私、庇ってくれたんだよね、ねぇ……」
ババァの言葉なんて、いちいち答えられる余裕も、体力もない。
再生するとは言ったって、補給する目処なんてないんだ。つまり私の今の状況は、全然芳しくない。
ったく、もっと使う局面もあると思って温存してたのにさ。ババァ守るためにこの私がなんて……。
「……環境ってのは本当、怖いわねぇ。頭とろけちゃうみたいで」
そのとろけていたのが、すごく幸せだったって。今でも、今だからこそそう思える。
そんな自分が少し誇らしくて――でも、だからこそ今は歯がゆい。
「どいてな、ばあさん。危ないから。
……もういいかな。ここで最後みたいだから――」
――感覚を、研ぎ済ませろ。
10秒を、100秒にするかのごとく。
背中の赫子から蒸気が噴出し、私の体内の血流が沸騰するように熱くなる。それと同時に熱に浮かされた思考が、早く、速く、もっとはやくと加速する。
時間が止まって見えるとか、そこまで珍妙なことはない。
自分の中で暴れる力を押さえるだけでも、本当は手一杯手一杯。
でも、だからこそやる意味がある。
平子の部下だっていう糸目にも、ハチの部下だっていう小さいのにも、軽く攻撃しながらハチ目掛ける。
ハチが攻撃するより先に顔面を蹴飛ばし、空中へ。
加速する思考の中で、段々と、熱に浮かされた自分と分析する自分とが乖離していく。まるで高い所から今の自分を見下ろしているような、冷めた自分がどこかに居た。
――今まで、正しい選択なんてしてきただろうか。
そんなもの、知ったこっちゃないわね。
正しいとか、間違ってるとか。良いとか悪いとか。そういうの、心底どうでも良い。
もともとそんなもの、あってないようなものなんだし。結局それに意味を付けるのは本人と、見ている誰かでしかないんだから。
ただ、今まで踏みしめてきた選択の後は――それで気づいたことまでは。
気づいた自分の罪までは――あの猿と、円児と一緒に「あんていく」に入った事は。きっとそれはあくびが出るくらいに退屈で、でも、だから。
今日、誰かのために死ねるってことは。
……悪い気はしない。
うん、良かったんじゃないかしらね。
今なら、死んでもいいかもしれない。
捜査官たちが何か会話を交わしてる。何言ってるか、あんまり聞き取れなくなっている。
ちょっと気合入れすぎたわね、耳が遠いわ……。
とりあえずあのバ……、おばあさんは避難させてもらえるらしいってのは、良かった。
あの様子だと、耳、遠かったのかしらね。全く……。
「……イヌッコロは、野良犬みたいに野垂れ死ぬのがお似合いだ。
あばよワン公」
嗚呼、それにしても本当に終わりみたいね。
仮面なんて完全にどっか行っちゃってるし。その眉間目掛けてクインケ構えてるし。
この状況から自力で脱出できるだけのパワー、もう残っちゃいないわよ。
「……先、逝って待ってるわよ」
「『
――科学的には、どっちもどっちですけどね。
そんな場違いな声が、場に響いた。
正直に言えば、私は円児に憧れた。
もちろん、お山の大将をしていた頃の猿にじゃない。あんていくに入って、何事にも全力投球で当たる円児がだ。
こんなこと、普段は絶対に言ってやらないけど。言えば調子乗って煩くなるし。
実際、私があんていくに入ったのは円児よりも後だった。
その頃には、あんていくの常連客の認識は「私」より先に「円児」が来ていた。そのうち私目当てのお客さんとかも出て来はしたけど、そんなお客さんでさえ円児のことは煙たがらず、むしろ元気を貰っていた。
はっきり言って、それは、ちょっと悔しかった。
芳村さんが言っていた事を、きっちりと実践していたのだから。それでいて鼻を鳴らして笑う、あのひょうきんな顔が、まぁそれはそれは面白くもあったのだけど。
でも、羨ましくもあった。
お客さんから、人間からも信頼を勝ち得て、それこそ文字通り、普通の店員って感じになっていて。
とてもじゃないけど、こうまで真っ直ぐには私は出来ないと思わされた。
だから、ついつい張り合ったり嫌味言ったり、色々遊んだりして、早十年。……十年、か。
思ったより、時間が過ぎるってはやいものよね。全く。
今じゃ円児と二人で古参だもの。
そんな私でも、芳村さんと円児には気を遣われていたし、今でも遣われていることが、結構ある。自分では気づかないところで、あの猿は進化しているらしい。
……全く、何というか。
冷めてる自分が居る私と違って、きっと円児は、ずっと情熱を燃やし続けられるのだろう。だから、いつまでも全力で物事に当たれる。
それが、やっぱり羨ましくって。
「――俺は、いい女だと思ってたぜ? 初めて会ったとき、俺様の顔面、鼻っ柱に蹴りを入れた時から」
お陰で丸くなっちまったと笑う円児に、私は、今の状況であっても肩をすくめた。
……そうね。なんだか色々、言いたい事もあるけど。
でも、アンタにそれを言われるのは、案外と、悪くないかもしれない。
もちろん、そんなこと言ったら、そっけなく返すんだけど。