仮面ライダーハイセ   作:黒兎可

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オワリ、ハジマル


#076 愁端/立場/哀悼

 

 

 

 

 

「あ、見て見てトーカちゃん! ハシビロコウ!」

「いや、わかんねぇって……」

 

 妙にテンションの上がってる依子に、私はちょっとリアクションがとれないでいた。

 久々に依子と二人で、動物園に来てた。とりあえず模試だとか、夏期講習だとかが一段落して時間が開いて、少しくらいなら遊んでもと気が抜けはじめてるタイミング。依子から誘われて、自宅で勉強をカネキにみてもらっている間にそれを相談した。

 

 特にカネキは何を気にすることもなく「いいんじゃない? いっておいでよ」と笑った。

 

『……』

『どうしたの?』

『いや、別に……。アンタからデートとか、そういうのないんだなーって』

『嗚呼、まぁね……。本屋とかで大丈夫なら』

 

 却下。

 私から誘うならともかく、カネキから誘われるのでそれはちょっとない。

 

『まぁそうなるよね。だったらしばらくは勉強に身を入れた方が良いと思うし……。んー、少しいい?』

 

 へ? と何か私が言葉を返すよりも先に、カネキは机に向かっていた私の手を引いて、そのままベッドに倒れこんだ。正面から抱きしめられる形になって、距離が近くって、シチュエーションが色々やばくって、思わず縮こまる私。

 横になりながら私をハグするカネキの息遣いが、ほとんど差のない距離から聞こえてきて、私は一瞬思考が真っ白になった。

 

 っていうか、カネキの手が片方、地味に腰とか胸の端とかに当たっていて、妙な気分っていうか。

 

『……べんきょーどころじゃなくなったんですけど』

『まぁ、そういうのも含めて今、直接やるのは違うんじゃないかなーってのもあるし。

 とりあえず、そういうことで。しばらく進展するより勉強に集中しようか』

 

 文句も言えなかった。

 

 ただそのハグした姿勢のまま「合格発表まで、僕もお預けかな」とか言っていたのが、なんだかこう、申し訳ない感じがした。何が申し訳ないのかは知んない。

 

「トーカちゃん、どしたの?」

「……、な、なんでもない」

 

 そんなことを思いだしていたからか、依子に話しかけれてもぼーとしていたみたいで、少しだけ慌てて私は答えた。

 

「大丈夫? ここのところずっとお勉強続いたから、実は寝不足だったりするのかなーって。ほら、昨日ちょっと引越しするって言ってたし、疲れてたりする?」

「大丈夫、そういうのはきっちりとってるから」

 

 むしろ家事とかについてはクロナが増えたお陰で、なんだかんだ前より楽に回るようになってきていた。

 引越しについても、そんなに関係なかったり。別に高校とか、生活圏が極端に大きく変わるわけじゃないし。

 

「じゃあじゃあ、彼氏さんと何かあったとか?」

「か、彼氏じゃ……、いや彼氏か」

「へ? え!?」

 

 ぐいぐい、と依子が私に迫ってくる。

 思わず身じろぎをしても、あんまり関係ないって感じの距離のつめかただった。

 

 そんな、何か期待してるみたいなきらきらした目でみられたって困るっての。

 

「つまり、えっと、どういうことかなトーカちゃん?」

「……まぁ、そういうことです」

「彼氏さんになったんだ。へぇ……!」

 

 自分の口を両手で押さえて「あらまぁ」みたいな驚き方をして、そしてにまにま笑って「よかったねぇ~!」と私にハグしてくる依子。正直、リアクションにめっちゃ困ってる。

 

「っていうか、依子、今までのそれって、完全にネタでいじってただけ?」

「……ひゅ~」口笛ふけてない。

「ま別にいいけど。でもまぁ、そんな感じになりました……」

「よかったね!」

「うん、まぁ……、うん」

「照れてるトーカちゃん可愛いな~」

 

 視線を逸らす私をハグしたままの依子。全身で祝ってくれている感じはしてるけど、やっぱりリアクションはとりづらかった。

 

「あ、ほら、うさぎの方行きたい」

「いいよいいよ、今日はぱーっと遊ぼうね!

 そういえば、先週から確かうさぎの方でイベントやってたような……」

 

 ようやくハグを解除して、パンフレットを見ながら私に色々教えてくれる依子。そんな依子に、私は視線をちょっと逸らしながら言った。

 

「たぶん、そのうち紹介するから。研のこと」

「あの眼帯の、いいヒトな感じのヒトだよね~。うん、楽しみにしてる!」

 

 いいヒトな感じのヒトって何だよ、という私のツッコミに、いいヒトってことだよ~と依子は笑っていた。

 

「――卒業しても、また、遊ぼうね」

「……気が早いっての。私ら、まず受かんないと」

「うん、それもそうだね!」

「あと、当たり前」

 

 そんな会話をしながら、私達はうさぎのイベントがやってる方に走っていった。

 

 

 

   ※

 

 

 

「ったく、何でこんなクソ忙しいんだ?」

「あー、お客さんの前でうんことか言っちゃいけないんですよーだ!」

「お前の方がオブラートの欠片もねぇじゃねえかよ」

 

 西尾先輩とロマさんとのやりとりだ。本来なら古間さんとかが割って入って、気の効いたことを言って仲裁する形になるのだけれど、今日はその余裕もないくらいには忙しい。入見さんと共に、並んで黙々とカウンターを回している。

 僕も僕でカップを運んだり、とにかく忙しい。

 

「ヒナミ、どうせだからカウンター回れ。ホールはこっち任せとけ」

「う、うん!」

 

 夏休みもそろそろ終わりに近づいている頃。お盆は過ぎて、この時期に学生でもない人達で込み合うという情景が、中々珍しいものがあった。

 クロナちゃんがリストバンドを巻いた右手をさすりながら「なんか、すごく込んでるね」と僕に耳打ちしてきた。

 

「うん、そうだね。ただ――」

「二人ともいちゃいちゃしてねぇでとっとと給仕しとけ! あとロマは食器割るんじゃねぇぞ」

「ひぃいいいい!」

 

 いちゃいちゃ、のところで微妙な笑みを浮かべたクロナちゃんと、悲鳴に近い声を上げるロマさん。

 

 そうこうしているうちに、追加注文が入る。「姐さん、一杯追加で」と言ったのは、僕よりリオくんと縁があった喰種、ルチ。髪型が目立つからか、カツラをして頬の刺青はガーゼで隠している。そんな彼を一緒のテーブルに座っていた女性二人がいじっているようで、なんだか居心地が悪いらしい。

 

 別なテーブルからは、理髪店とかやってそうなヒトと、いかにも工事現場に居そうなツナギを着た男性たちから、古間さんに向けて「ブレンド四つ、ブラックで!」とリクエストが入ったり。とにかく皆珈琲ばかり飲むのは、当たり前のように彼らが喰種だからだ。

 

 古間さんと入見さんは、ヒナミちゃんを挟んでテキパキと作業をこなしている。

 

 

 やがて普段より早くお店を閉める時間になって、トーカちゃんが片付けの手伝いにやって来た。依子ちゃんと別れたままの足で着たので、ちょっと服装がおしゃれさんな感じだった。

 

「クソ忙しい一日だったなぁ、これ」

「なんか、数ヶ月分が一気に来たような……」

「ロマ、あんた食器割らなかった?」

 

 トーカちゃんの質問に、胸を張って指をピースサインで突き出すロマさん。

 

「2枚割りました」

「あの忙しさで2枚だってんなら上出来だよ」

「あはは……」

「ニシキ先輩が優しい……、だと? なんでです? ひょっとして私のこと狙ってたりします?」

「あ゛?」

 

 調子乗ってんじゃねぇぞ、という威圧にひぃいいと声を上げるロマさん。ここ数ヶ月は見慣れた光景だった。

 

「でも、忙しかったよね。あと二人ともすごかった」

「ヒナミちゃんに同意」

「あはは、何せ私達、年季が違うからね~」

「でも、もう少しで我らあんていく最終兵器を投入するところだったよ」

 

 最終兵器? と古間さんの言葉に、僕をはじめ古参の二人以外はみんな首を傾げた。

 

「そうそう。目撃者は数少なく、ほんの一部は好評で――お、噂をすればだね」

 

 がちゃりと奥の扉が開けられ、現れたのは四方さん。その後ろに店長が居る。

 それを見て、僕は「嗚呼」と納得した。

 

「へ、まさか四方さん……?」

「そうだよ。一時期、お店に立ってもらっていたんだ」

 

 店長の言葉に、多くのメンバーが意外そうな顔をする。僕は以前、一度四方さんから一杯もらったことがあったので、そこのところは納得できるところでもあった。あの味は、文字通り店長の一杯と同じ味がするのだから。

 

「でも接客がねぇ……。本人の希望で裏方ってところかしら」

「「「「「嗚呼~ ……」」」」」

 

 そして入見さんの一言で、全員の意見が完全に一致を見た。

 少しばつが悪そうな顔を一瞬浮かべた後、四方さんはトーカちゃんの方を見た。

 

「董香、ヒナミ。クロナもか。荷造りは済んだか?」

「あ、やっば! じゃあカネキとか、また。ヒナミ、クロナ、レッツゴー!」

「あ、待ってお姉ちゃん――」「ばいばい、みんな」

 

 店のバックヤードに急いで走るクロナちゃん。一人だけ着替え終わってないので、彼女だけヒナミちゃんやトーカちゃんより家に帰るのが遅くなる。

 

「四方さん、万丈さん達は――」

「……バックヤードと下の方の片付けを手伝ってもらっている。

 研も、錦も、遅くならないうちに帰れ」

「うっす」「はい」

 

 僕の確認に、四方さんは一瞬視線を地面に向けて、店長を一瞥してから答えた。たぶん、僕の言った情報はきちんと伝わったと見て良いだろう。

 

 つい先日――某所の喫茶店で高槻先生と遭遇した時、たまたま耳に入った捜査官たちの会話。20区に梟が潜んでいる。討伐隊が組まれるという雑談。誰が梟の首をとるかという話題に、亜門さんの名前が上がるくらい、それはとても身近なものだった。

 20区の梟――エトさんがここに居るはずはないと考えると、必然、その対象は大きく限定される。

 

 その情報を伝えた結果が、あんていく関係の一時的な退避だった。単純な話、襲われる前に消失してしまえば良いということだった。ほとぼりが冷めた時点で、またはじめれば良いと、四方さんは僕に言った。

 その言葉を信じて、皆色々と準備している。万丈さん達は肉の運搬とかがメインらしいというのを、この間息を切らしたところで聞いた。

 

『……なんだか、アオギリ居たときよりキツいかもしれねぇ』

『それはそれでどうなんでしょうかねぇ……』

『いや、食い物あるからいいんだけどよ』

『バンジョーさん、見た目の割に体力ないッスからね~』

 

 アオギリは食料こそ最低限で、作業の精神的な辛さはあったかもしれないけれど、ある意味完全分業化していたとも言えるので、一人ひとりの作業自体は、こう、工場勤めのサラリーマンのような匂いがなんとなくしていた。両者反対ではあるものの、なんとなく店長とエトさんが肉親であると思わされる部分だった。

 

 ヘタレを持って、走って店を出て行くクロナちゃん。去り際、一瞬こちらを見て頷くクロナちゃんがちょっと謎だった。

 

 僕や西尾先輩も、ほどなく店を出る。

 

「……」

 

 その時、何故だろう。店長もまた、僕に向けて微笑んで、一回深く頷いたのは。

 

 

 

   ※

  

 

 

 カネキくん達を見送り、ロマちゃんも早々に店を出た。残るは私や四方くんと、古参の二人。

 私は二階に上がり、窓際に飾ってあった花を見た。リオくんの私物だったものも、既に四方くんが別な場所に運んでいる。

 

「芳村さん――」

「……四方くん。後は頼むよ」

「……古間たちも、ですか」

「……」

 

 無言の私に、四方くんは頭を深く下げる。「お世話になりました」という一言は、そっけなく聞こえもするが、しかしそれこそ子供のような付き合いの長さがあるので、込められた感情の機微を感じ取ることも難しくはなかった。

 

 そんな彼に、私は選別とばかりに、アルバムから写真を一枚抜き出して、手渡した。

 

「これは……ッ!?」

 

 映っているのは、三人。生まれたばかりのトーカちゃんと、アラタくんと、ヒカリくん。四方くんは最後まで意地を張っていたらしく、写真の中に映ってはいなかった。

 

「以前、アラタくんから譲られたものだ。最期(ヽヽ)まであると、勿体無いとね。

 ……君が見守ることしか出来ないというのなら、無理に明かせと勧めはしない。でも、後悔はないようにね――お互いに」

「……最後まで、ありがとうございました」

 

 ――CCGの動きは、「あちら」からの情報で掴んでいる。

 

 だからこそ、私が、私達がもはや自由に出来る時間も多くない。

 四方くんはそのまま地下に回る。リゼちゃんを、鯱から任された彼女を安全に運ぶために。

 

 一階に降り、レコードを出し、久々に店内に曲をかける。私以外、誰も居ない室内に、鍵盤を叩く即興が響く。

 

 かかる古いジャズピアノは、録音状況も相まってあまり良いものには感じない。しかし、憂那はよく好んで聞いていた。何が楽しいのか、彼女は「苦しんで、苦しんで、それでも何かしなくちゃいけないって。そんな感じがして、すごく貴いと思う」と私にしきりにこれを薦めていた。

 

 今でも時折聞きはするが、あまりよくは分からない。

 

 元が粗野なこともあるのだろう。年季によって磨かれた機微を察する力も、こればかりは性に合わないのかもしれない。

 

 カップを磨いていると、店の戸がノックされる。

 

「いやぁ、まだ開いてますか?」

「……本当は閉まっているんですが、せっかくです。改装前に、最後の一杯」

 

 入ってきた男は、篠原。捜査官の中でも、それなりに見知った相手でもあった。無論、正体云々は別にしてだが。

 今日は一人ですか、と尋ねると、「子供は寝る時間ですよ」と肩を振るわせて笑った。

 

「……ジャズピアノですか」

「ええ。滅多にかけないのですが、なんとなく」

「んん……、私の上司が、こういうの好きでしてね。家にあるのを見せてもらったことがあります」

「さようですか。再生機は結婚祝いに、知人から送ってもらったものです」

 

 へぇ、と言いながら、篠原はレコードを見る。かかる音楽はヒトによっては不気味だとか不快だとか思うこともあるようだが、彼は何も言わず、一杯注文した。

 

 丁寧に、時間をかけて。

 憂那から教わり、一人で何度も何度も頭を悩ませ、そして積み重ねてきた味。

 

「……うまいです」

「そうですか」

 

 カップを磨く私に、篠原はふっと笑って言った。

 

「やはり、豆が違うんでしょうかね? 香りが少し独特といいますか」

「それもありますが……、やはり積み重ねですかね。これでも当初は味が安定しなくって、四苦八苦してたんですよ。

 例えば焙煎の加減。例えば水の種類。温度、湿度一つとっても、差分は大きいものです」

「……」

「これは持論なんですがね。一番重要なのは、どう向き合うか。どう相手のためにしてやるか、ではないかと思うのですよ。この年になって、ますます。

 高い豆だからといって、粗末に扱えば美味しくはならない。

 逆に安い豆だからといって、特性を理解し、どう引き出してやるかを考えてやれば、美味しくもなる。

 沢山失敗して、沢山後悔して。……それでも、何かしなければならないと」

「……奥が深い」

 

 ジャズピアノの即興部分が、途端、なりを潜める。しめやかに、しとやかに、ゆったりとすすんでいくそれは、まるで母親が我が子を寝かしつけるときの歌のようでもあった。

 

 店を立ち去る篠原に、私は御代は結構だと言った。

 少し逡巡したが、彼はこちらの言葉に甘えてくれた。

 

 おそらくもう、察してはいるのだろう。だが、それでも今は何も言わなかった。

 

「ご馳走さまでした。また――味わいたいものです」

「ええ。――お互いに」

 

 おそらく来るはずのない機会だろう。それを分かっていて、なお私達はそう言葉を交した。

 

 表に出ている看板を下げ、ランプを消す。

 店内に戻ると、店の奥から古間くんたちが帰ってきた。

 

「芳村さん、店、表も裏もぴっかぴかですよ! 魔猿スペシャルクリーニングサービ――」「書類、全部処分しておきました」「おい、お前被らせるなよ『最後』くらい」

 

「ふふ。……ありがとう」

 

 曲をかけながら、私はカップを三つ出す。

 それぞれに珈琲を淹れ、彼らと、私の前に置いた。

 

「さぁ、どうぞ」

「待ってました!」「……久しぶりな気がしますね、こう、三人でってなると」

 

 そう言うカヤちゃんと、喜んでくれている古間くん。

 程なくして、我々は黙って、それぞれカップを口につけた。

 

「……」

 

 

 

 ――任された。よろしくね、エト。

 

 ――貴様が店を開くとは、意外ッ!

 

 ――俺様を魔猿だと、知ってケンカ売ってるんだよな、ああ゛!?

 

 ――ジジィ、気安く話しかけるんじゃねぇ。殺すぞッ。

 

 ――僕と彼女と、想いを、引き継いでください。

 

 ――芳村さん。俺、やっぱり店向いてない。

 

 ――店長! もってきますね。

 

 ――僕は、一人じゃないんでしょうか。

 

 ――じーさん、これで良いかよ。

 

 ――本当、に、沢山、お世話になりました……ッ!

 

 ――店長ぉぉ、すみませんん~。

 

 ――特別に、なんか美味しい。

 

 

「……寂しくなるね」

 

 脳裏を過ぎる、この店の記憶。今のメンバーと、印象的だった言葉と。

 走馬灯とは言うまい。嗚呼、この日々のためならば、私は今一度、立ちあがれるだろう。

 

 そんな私に、二人は少し得意げに言ってくる。

 

「芳村さん。俺も、カヤも一緒に付いて行きますから」

「それじゃ、ご不満かしら?」

「……私は、君達もここを去るべきだと思っている」

「寂しいこと言わないでくださいよ。そっちの方が確実だって、わかったから四方くんも止めなかったわけですし」

「…………最後まで世話をかけるね」

 

 立ち上がる私の背中に、気にしないでくださいと二人の言葉がかかる。

 レコード盤の立てかけてある隣、挟まっている一枚の写真。

 

 私が撮影した、彼女と、娘の写真。

 

 

 ――ゼンちゃん♪

 

 

「憂那……」

 

 

 どうやら……、私の願いは叶わなかったようだ。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
「……何だ、この曲は」
「あれ、ゼンちゃん嫌い?」
 
 首を傾げる私に、憂那は楽しそうに聞いてきた。いつも聞いている、即興が少ない音で、まるで普通の、下手すればアマチュアが弾いているもののようにさえ聞こえる。
 しかし、それを彼女は愛しそうに聞きながら、自らの腹部を撫でる。
 
「嫌いという訳ではないが、何だろうな……」
「このヒト、前期はものすごくもてはやされて、でも後期は駄目駄目だって言われててさ。
 でも、私は違うって思うの。苦しんで、苦しんで、それでも何かしなくちゃいけないって。そんな感じがして、すごく貴いと思う。
 このヒトはきっと、何もかも変わってなくって。ただやりたいことが変わっただけで、でも限界があって。それでもなお必死だったんじゃないかなって、そう思うとなんだか、何度も聞きたくなるの」
「……よくわからない」
 
 仕方ないなぁ、と憂那は私をからかうように、笑った。
 
 
 

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