クロナ→レディゴー覚悟
カネキ→ドキドキゴースト
キープスマイリングと、笑顔を絶やさないでとナシロは私によく言っていた。
笑っていた方が、私達は可愛いんだって、そんなちょっとナルってるようなことを言ってた。
だから、私は笑っていなくちゃいけない……、出来る限り。
とても笑える気持ちじゃなくても、そのことはいつも頭のどこかに置いていた。
だから――いや、だからこそ。ここ数日、私は無理にでもそれを意識して笑っていた。
夕暮れ時のあんていく。トーカちゃんも、
「やぁクロナちゃん。研修バッジがとれても、何かこまったことがあったらこの魔猿に聞きたまえ」
気取ったポーズでそんなことを言う彼に、少し反応に困りながらも私は仕事を続けていた。
今日は珍しく、あんまりお客さんが居ない。
珈琲のテーブルを磨きながら、私はぼうっと、この間の花火大会のことを思い出していた。
――僕も、トーカちゃんが好きだよ。
お兄ちゃんは、トーカちゃんに対してそう言った。言いながら、まるでそれがいけないことのように泣いていた。トーカちゃんはそれを、いつくしむように抱きしめたままで。
私達から逸れたお兄ちゃんを探して、ちょっとだけ別行動をとった私。途中、玲とすれ違いかけてひやひやしたけど、最終的にトーカちゃんに連れられるお兄ちゃんの姿を見て、その後を(喰種的にギリギリの基準で)追いかけて。神社の方に入ったのを確認した後、こっそりと、森の中に入って。
そして、そんな場面を目にしてしまった。
「……元々わかってたじゃん」
うん、わかってはいた。わかっていたけど、でも可能性はあったような気がした。実際、最初お兄ちゃんは微妙な反応だった。でも、最後の最後でトーカちゃんの言葉に負けちゃったんだ。
負けたのは、わかる。
むしろ、お兄ちゃんが少しでも幸せになれるなら。そういう風に思っていけるのなら、私としては願ったりかなったりだ。
だから、そのことを私は素直に祝福するべきなんだろう。トーカちゃんから奪おうと思えば奪えなくもないかもしれないけど、それでお兄ちゃんが幸せになるかは別なのだから。
だから――落ち込む必要なんてないのだ。ないのに。ないのにさ。
でも、そんな一言で割り切れるほどに、私はそこまでイカれてはいなかった。
いや、ちょっと違うかもしれない。Vに対抗するため、力に飲み込まれないため、私達は私達を「殺した」。それを、そんな私の状態を、ひどく平凡な理由と方法でよみがえらせたのがお兄ちゃんだった。
イカれていないんじゃない。
イカれてないような状態に戻されたんだ。
だからこそ、私は、落ち込んでいる。泣くことは出来ないけど、泣いたらそれこそ、もう立ち直れなくなってしまいそうだから。だから、出来る限り笑おうとしている。
今日居ない芳村店長が、お兄ちゃんに言っていた。隻眼の梟を――娘を、エトを救ってくれと。
扉の向こうから聞いていたからこそ、その事実に私は大きく驚かされた。あの、あの変な小さいのが、まさかアオギリの首領だったなんて思いもしなかった。
だって、あんなの、そういうキャラじゃないじゃん。ああして組織的に動けていたんだから、もっとこう、インテリ的なのかと思っていたのに。それも、芳村店長とは全然違うタイプの。
ただ言われれば、似てるところもあるかもしれない。あの、何だか色々と見透かしてるような、見据えて居るような目や物言いは。
たぶん――お兄ちゃんはそれが出来てしまうような、そんな気がする。ほかならぬ私に対してそうだったように。
だから私に対してお兄ちゃんがしたことも、別にお兄ちゃんにとって大したことではないんだろう。こう言っていたっけ。性分だと。放っておけないと。
それが、なんだかたまらなく落ち込む。
いや、助けてもらったことはありがたいし、私のこの感情も別にそれが理由で発露したものではないのだけれど。むしろ、そうであって助けてくれたのだとしたらむしろ願ったりかなったりなんだけど。
でもただただ、私はお兄ちゃんにとって特別ではなかったのだという事実が、ちょっと寂しいし、落ち込む。
ため息をつけば、古間さんが訳知り顔で「幸せが逃げるよ? クロナちゃん」と頷いてくる。なんとなくうっとうしいけど、リアクションを返すだけの余裕もない。
そんなタイミングだった。
からから、とお店の扉が開かれる。いらっしゃいませ、とつとめて笑顔で言いかけて、私の表情は固まった。
「た、たた、高槻先生!?」
「やっほー、クロナちゃんおっひさー」
高槻泉だ。なぜか服装は秘書というか、OLというか、女教師というか、そんな感じ。眼鏡をくいっとあげる様が妙に似合っているような気がしないでもない。
とことことテーブルに座ると、彼女は私に「ちゃんヒナ今日はいないの?」と聞いてきた。
「一応、時間が時間だし」
「ふぅん? 最近は普通じゃないこれくらいだと?」
「一応物騒になってきてるし」
「ふぅん」
そしてじぃっと私を見てくる。何だろう、そのにんまりとしながら観察するような視線は。
「店長さんって、今日居たりする?」
「いないけど、です」
「ふむふむ(それは好都合……?)。
あそうだ、ねぇクロナちゃん。珈琲一杯もらえる?」
「う、はい」
くるりと古間さんの方に顔を向けて頼もうとすると、ちっちっち、と彼女は指を立て左右に振った。
「クロナちゃん、いれてくれない?」
「……?」
「クロナちゃん
「……へ?」
い、いや、いれられなくはないけど、まだまだ全然というか。入見さんからまだ完全にはおっけーもらってないんだけど……。そんな私の表情を、高槻泉は軽く流す。
「いれてあげたら良いんじゃないかな? せっかくのリクエストなんだし」
「ええ!?」
「もしお口に合わなかったら、この古間円児が腕に寄りをかけて――」
「いらないですよ、それは」
高槻泉は、古間さんの台詞をさえぎった。
「絶 対 に いらないから」
なんで二度押ししたんだろう。
妙に語調にとげを感じるけど、古間さんな慣れたように「それではごゆうくり」と言って店の外に、箒を持って出て行った。
店内は、私達二人きりになってしまった。
「……」
「♪」
じっと私の動きを見つめてくる高槻泉。やりにくい。やりにくいけど、なんとなく言うのは負けてるような気がして、そのまま続行した。香りは、まだよくわからないけど、それでも丁寧に、丁寧に。
「クロナちゃん、お兄ちゃんと何かあった?」
「――ッ!」
盛大に噴出しかけた。
高槻泉は、してやったりみたいな表情を浮かべて私を見ていた。思わず睨むような表情になってしまったけど、誰も攻められないと思う。
「……別に、何もない」
「そうかねぇ。私のカンだけど。お姉さんのカンはよく当たるのさ」
「……」
「おやおや黙秘権? ま別にいいけどね。
でもこれだけは聞かせて? ――自分を信じること。それがまず第一歩だ。自分を信じて、自分の言葉を信じること。自分で決めた事を信じることが」
その言葉に、不思議と私は、溜まっていた鬱屈が一瞬消し飛んだ。
私はー―そうだ。考えてもみればそうなのだ。私が
そもそも私に、特別だの何だの言う資格はない。ナシロに「あんなこと」をしてしまった私なんか、愛される資格なんてない、はずなのだから。
それでも求めてしまうのは、やっぱり……、うらやましかったからだろう。
誰かを思いやり、愛するお兄ちゃんがー―――――。
誰かに思いやられ、愛されているお兄ちゃんが――。
でもだから、それが残念だという感情とそれは、別なのだ。
「命、燃やせそう?」
「……燃やすよ、絶対」
私は、「金木くん」が好きだ。
いつか必要とされた時。この身に代えても彼を助けられるのなら。
愛という面で例え求められることがなかったのだとしても、そう私は心に誓っていたのだから――改めて、今、誓い直そう。
それでもし、何かの拍子にふと思いだしてくれれば、それで構わない。
私の出した一杯を口にして、高槻泉はふふっと微笑んだ。
「そういう『綺麗な生き方』、お姉さんやっぱ好きだな~」
楽しそうに、でも、何でだろう。
ふとその目に、私はなぜか哀れみを向けられているような印象も、同時に受けた。
※
……自責の念がある。
自分で決めたルールを、自分で守れなかった縛りが。
トーカちゃんに幸せになって欲しいからと、決して意識しないようにと自分に設けた制限が。ふとした表紙で、彼女本人の手によって撤廃されるという。その程度で、ぽろりと口からこぼれてしまったというのが、僕はものすごく、鬱だ。
そうか、僕はトーカちゃんが好きだったのか……? ヒデに何と言われるか。
というよりも、自分の女性の好みと照らし合わせて、いまいち首を傾げてしまうのは仕方ない。結局のところ、僕は「好き」だの「愛してる」だのといった言葉と態度で押し切られてしまったということだろうか。
確かに……、色々な意味でトーカちゃんは、というかアラタさんも含めて、僕にとっては特別なのだ。意識が向くのは仕方ないとも思うけど。でもあの状況で告白を受け入れたっていう流れが、何だろう、こう、ものすごく性欲に負けたみたいな、そんな汚いニュアンスを感じて、僕は少しへこんでいた。
花火大会のあの後、トーカちゃんの着付けを直して。「ふぇへへ」みたいな、変な笑いを浮かべながら僕の腕を抱きしめるトーカちゃんにどうしたものかと頭を左右に振ったり。それでもみんなの前では恥ずかしいのかいつも通りの振る舞いに戻っていたりもしたけれど。
……ちらりと携帯端末を確認して、トーカちゃんからメールが入ってないか、神経質に見てしまう自分に、なんだか肩が落ちる。これ、完全に高校時代の、川上さん相手だったときと同じ状況だ……。メールのやりとりとか、トーカちゃん全然そっけないんだけど、ただ絵文字にウサギだけだったのが、たまにハートマークが入ったりして、それだけで少し動悸を覚える自分が、なんだかこう、単細胞というか単純というか、あんまり自分らしくなくって変な感覚があった。
僕って、自分が思っていたよりトーカちゃんのこと好きだったのだろうか……?
誰かに聞いて答えが返ってくるわけもないだろう。というより、返って来るはずもないし、返ってきたらその相手はきっと頭がおかしい。何がおかしいかといえば、その相手の頭の何がおかしいかを僕が説明できないくらいにはおかしいはずだ。
そして、思考がゲシュタルト崩壊気味な自分が、もうなんだか盛大に空回りしてるというか、延々と悶々としているというか。
……状況的には、受験期の高校生に手を出してる形になる訳であって。
トーカちゃん本人も、僕がそういうのを気にするのを理解してか、デートに行こうとか言ったりはしない(家に来い、は結構言われる)。二人きりになる機会が少ないので、あの時みたいな、こう、あんな感じになったりもしない。あんな感じってどんなんだ。
ともかく勉強に力を入れてるのはいいことだと思う。うん。受かったら何をしてもらおっかなー、とか呟いていたのは、とりあえず聞かなかったことにしている。
ヒナミちゃんには、たぶんそういう話があったことは気づかれていないだろう。
クロナちゃんは……、どっちとも取れる反応が何回かあったから、そこは微妙だ。あんていくで休憩時間を、あえて僕とトーカちゃんを合わせるように調整したり。あるはヒナミちゃんの送迎を一人で買って出たり。
現状、付き合ってると言って良いのかもわからない状態だけれど。それでも何かしらの形で、僕と彼女との距離は大きく縮まったらしい。縮められた、の間違いな気もするけど、それはともかく。
「……」
うん、一人でくつろいでるときに、トーカちゃんとハグしたいと自然と考えるくらには、なんだか色々酷いと我ながら思った。
以前月山さんに案内された喫茶店で、僕は珈琲を飲んでいた。味はあんていくのものより軽いというか、苦さに深みがない感じのもの。インスタントよりは辛く、それでも飲みやすいといった感じだった。
落ち着かない……。久しぶりだな、こんなに内心、むずかゆく慌しいのも。
自分のことに一杯一杯というか、肩に力が入りすぎてるというか。慣れるものじゃないと思う、こういうのは。
こういう時は、そうだ。もっと落ち着いて考えなきゃいけない話題を思い浮かべよう。トーカちゃん、トーカちゃん、トーカちゃん――アラタさん。
店長は言った。僕になら、仮面ライダーの呼び名を渡しても良いと。
僕は僕なりに、自分の戦いに覚悟を持って仮面ライダーを名乗っていたつもりだった。でもだからこそ、直接、自称ではなくその名を譲られるというのは、案外と大きく意識に圧し掛かっていた。
改めて思い返してみると、あの時頷きはしたけれども、仮面ライダーという名前はかなり大きい。
アラタさんが、人間と喰種の自由と共存のために戦うと言い。それでも妻を失い、子供達を守るためにその決まりから逸脱し、店長に後を託してCCGに捕まって。
店長がその名前を引き継ぎ、娘さんを守りきれない自分と、奥さんを自分の手でかけざるをえなかった過去から、名前から逃げることも出来ず引き受けて。
そんな二人の、苦悩とか、痛みとか。そういったものも一緒に背負っていくものなのだと、僕は認識した。改めて、そのこめられた感情を、具体的に理解したからだ。
だからこそ、トーカちゃんのことに現実逃避してしまうくらいには、僕は僕で悩んでいた(あっちもあっちで現実逃避できればそれが良いのだけれど)。
ぼうっとそんなことを考えていると、店の窓が叩かれる。外側からこちらに顔を近づけていた彼女は――。
「高槻先生!?」
やっほー、と軽く口が動いたのがわかる。そのまま彼女は足早に入店して、僕の目の前に当たり前のように座った。
「いやぁ、奇遇奇遇、超奇遇だねェ。おひさ~」
「あ、えっと、お久しぶりです」
「もっとフランクでいいよん? 私と君との仲じゃないか」
「僕達、これで二度目ですよね。顔合わせるの」
「細けぇこたいいんだよ」
大体わかったって言えば大体わかったことになるから、と何だか新手のパワハラみたいなことを言い出した。
「いやしっかし暑いねぇ。取材用とはいえスーツなんて着るんじゃなかった……」
そんなことを言いながら、高槻先生は当たり前のように、スーツの胸のボタンを二つ外して、仰ぎ始めた。風にあおられてゆれる襟と、そこから胸元にかけて伸びる影。うっすらと胸の肉の盛り上がりの起点みたいなものが見えて、僕は視線を逸らした。
「ブラ付けてこなくて正解だったわさ」
やっぱり単に僕、性欲をもてあましているだけじゃないのだろうか。
むせる僕に「大丈夫?」と先生は覗きこむように聞いてきた。大丈夫ですといいながらも、僕は彼女の胸元と目を合わせようとはしない。人間、確か目をあわせづらい時は胸元を見て会話するというから、ひょっとしたら高槻先生には苦手意識を持っているのだろうか、僕は。
いや、でもだからといって視線を上げたのもまずかった。前とは違って整えられた髪に、きりっとした眼鏡。それに似合わないきょとんとした少女のような表情は、でもどこかに自分より年齢を重ねた人間の知性みたいなものが見える。
う~ん……。川上さんとタイプは違うけど、このヒトもこのヒトで本来なら僕の好みのタイプのはずなんだけどなぁ……。
不思議と性欲を除き、僕は彼女と対面しても、大きくは心を揺さぶられなかった。
「えっと、先生はどうしてこちらに?」
「ここ、私の縄張りの一つなんだよね」
「なわばり……」
「別名、生息領域とも言う。まぁ色々オフレコでね? まぁ本命の『場所は確認できた』し、ちょっと暇つぶし」
「は、はぁ……?」
ちなみに僕は何故かと言われ、先生がたまに現れる喫茶だと紹介されたと言った。
「へぇ、じゃあ、金木くん私に会いに来たの?」
「いえ、そういう訳じゃ」
「(ちっ)。まぁともかく、ふむふむ……。なんか晴れやかな顔してるね。何かいいことあった?」
晴れやか?
「うんうん。前の時より、表情の作り方が自然というかねぇ」
さすが作家というべきなのか、なんだか色々とお見通しと言った感じだった。
高槻先生は「いちご練乳カキ氷パフェ」を追加して、ふああとあくびをした。
「寝不足なんですか?」
「んー、まぁね。お姉さんは忙しいのだよぉ」
「お疲れ様です」
「いいってことよぉ。あ、ちなみにおごるけど何か食べる?」
「あー ……、大丈夫です」
「おっきーどーきー」
机にひじをのせながら胸元をメニューで仰ぐたび、ちらちらと見えそうになる何かを僕はひたすらに無視していた。無視するしかなかった。……これは浮気とかに該当しないことを祈っておこう。
そんな平和ボケしたことを考えていたにも関わらず――。
「しっかし、あの梟がまさか”20区”に居たとはなぁ」
店内に居た捜査官と思われる二人の男性の会話は、きっちと耳が拾った。
「……ふぅん」
金木が自分の背後の捜査官達を見ているのを、高槻泉はふりかえってちらりと一瞥し。
一瞬だけだが、まるでどこか遠くに居る親の仇でも憎んでいるような、そんな険しい表情を浮かべた。