単位の取り方の相談が終わった後、表に出ればヒデがアルバイトをサボっているのか、休憩しているのか椅子に座ってカップのコーヒーを飲んでいた。対面に座っている相手までは分からないけど、とりあえずそっちに向かう。
そして、ちょっと驚いた。
「――ヒデ、バイトあるって言ってたんじゃ……、って、トーカちゃん?」
ばっ、とこちらを振り返ったトーカちゃん。ヒデいわく西尾先輩につれて来られたらしいけど、そんなトーカちゃんと何やら話し合っていたらしいヒデ。ひらひら手を振り、僕に案内してやれと言ってその場を去った。
えーっと……。とりあえず、僕はトーカちゃんを見る。
顔が赤い。
「どうしたの、トーカちゃん。熱?」
「――ッ! べ、ベタベタすぎんだよ!」
「ええ!?」
額に手を伸ばせば、何故かこれは反射的に避けるトーカちゃん。時折、勝手に手をとられて握られる側としてはこれくらいの距離感だろうと思っていたのだけれど、彼女的にはどうやらちょっと違うらしかった。
そわそわと伸ばした髪の毛先をいじるトーカちゃん。挙動不審っぽく視線が色々行ったり来たりしていて、こちらを見たかと思えば目が合うとさっとそらす。最近こういうのはなかった気がするから、ちょっと新鮮と言えば新鮮だけれど……。
明らかに距離感が、普段のそれじゃない。というか、何か無駄に意識しすぎているような。
「……ヒデに何か言われた?」
「べ、べつに」
顔を下にうつむかせて、ぱたぱたと自分の胸元を手のひらで仰ぐトーカちゃん。
「か、カネキの用事は終わったの?」
「あ、うん。そっちは一応大丈夫。三年生になってからの予定とバランスというか、妥協案がとれたし……。と、で、どっしようか。一応見学に来たんだよね」
「ん……、簡単には見て回ったけど、まぁ、うん」
今日のトーカちゃんは、なんだろう、歯切れが悪かった。なんとなくアオギリから帰ってきてすぐの頃のトーカちゃんを思い出す。
どこか行きたい所はあるか、と聞くと、トーカちゃんは少し悩んでからぶっきらぼうに言った。
「……カネキが」
「僕?」
「…………カネキが、よく行く所とか」
「……」
わざわざそれを聞く理由を考えてしまうのは、ちょっと自意識が過剰だろうか。いや……、んー、どうなんだろう。正直僕側から見て「おや?」と思うところは多いには多いのだけれど、それがどういった感情に根ざした言動なのかまでは、読み切れないので判別が付かない。
具体的に言えば、トーカちゃんの言ってるそれが「知り合いに会える場所を知りたい」と言っているのか、それとも「僕に会える場所を知りたい」と言っているのか、というような感じだ。微妙にニュアンスが違うし、結果ポイントも大きく違う。僕個人を指定している場合、何故僕なのか、というところにもなってくるわけで……。ちょっとこんがらがって来た。一旦、考えるのは止めた。
「普段利用してるところねぇ……。ここはよく使うけど、後は図書館と、本屋と、ネットカフェかな?」
「ネカフェ?」
「うん。去年に出来たらしくって。生協のすぐ近くにあるんだけど。ただあんまり面白くはないかなぁ……。
じゃあ、とりあえず本屋行こうか」
僕の言葉に首肯し、トーカちゃんはとてとてと、なんだか人見知りの小さい子みたいに周囲を見回して僕の後に続いた。
本当にどうしたんだろう。何を言われたと言うのだろうか……。
いや、まぁこう、照れてるトーカちゃんはトーカちゃんで、普段あんまり見る機会の少ないイメージがあって、これはこれで可愛いんだけれど。
そんなことを考えていると、おずおずと、トーカちゃんが聞いてきた。
「……そいえばさ。その、いつから聞いてた訳?」
「聞いていたって、何を?」
「だから、その……。ガッコー」
嗚呼、なるほど。上井に行きたいのを隠していた話か。
「割と最近だよ。最近っていっても、まぁ今月頭くらいだからそこそこ前かな。
納得はしたけど」
「ん?」
「思い返して見れば、結構、隠しきれてなかったかなぁと。
でも、ちょっと嬉しいかな。トーカちゃん上井志望してくれて」
「……嬉しいんだ」
「うん」
何か理由があるか、と言われると上手くは言えない……というよりも「考えるべきではない」ので思考は停止しているのだけれども。それでも嬉しいというのは気分としてあるので、そこだけは不思議と口を突いて出てきた。
トーカちゃんもトーカちゃんで、「嬉しい、そっか……」と反芻するように小さく繰り返して、ふふ、と微笑んだ。
「私も、ま……、行けたら嬉しい、けど……」
照れたように顔を逸らすトーカちゃんに、思わず僕も釣られて笑った。
※
「これ、どう?」
「CDのジャケットとかの表紙、飾ってそうな感じだね」
「似合ってるかどーか聞いてるの」
「あ、ごめんごめん。可愛いと思うよ」
「……」
「?」
「キレーとかの方が良かった」
「そこは、意見が別れるところかな?」
「ん、じゃあカネキもほら」
「え? いや、僕は別に、あちょっと――」
「ほら、ほら、もうちょっともうちょっと――あー! 何失敗してんだよッ」
「いやいや、これ結構難しいんだって。それにトーカちゃんの方が先に千円札使っちゃった後だし」
「これで取れないとか、ちょっとない」
「基本的にこういうのって、相手側が儲かるように出来てるから仕方ないかな、それは……」
大学を出た後、なんとなく僕とトーカちゃんは、一緒にぶらぶらと遊び歩いた。
駅ビルでウィンドウショッピングしたり、試着とかしたり(させられたり)。ゲームセンターでUFOキャッチャーでうさぎのぬいぐるみをとろうとして失敗して罵倒されたり、エアホッケーで思いの他盛り上がったり。
特にすることもなく、なんとなく線路沿いのベンチに座って、じっと電車が行ったり来たりするのを見ていたり。
何が楽しいという訳でもなく、同時に何が楽しくないという訳でもなく。ただ何となく、一緒に適当に時間を潰しているというのが、思いのほか心地良かった。不思議とトーカちゃんも、それに文句を付けたりはせず、ぼんやりとしている。
「……」
「……」
ただ同時に、自分の中である程度の線引きはしておかないといけない。気を抜けばそれこそ簡単に、相手の好意に溺れてしまうだろうから――。
そんなことを考えていると、不意にトーカちゃんの頭が、僕の肩の上に乗った。ちょっと目がとろんとしていて、こっちの眠気も誘ってくる。
夏場だから密着するのはちょっと暑いんだけど、元々トーカちゃんの身体は少しひんやりしているので、そこまで苦にはならなかった。
「……ごめん、ちょっと肩かして」
「いや、いいけどさ。……えっと、他のヒトとかにこういうのってやってないよね」
「流石にないない。そんなに防御力低い女子じゃないし」
「……」
僕には低くて良い理由があるのか、と勘ぐられて良いのだろうか、この
色々と当たる感触については、全力で無視する事にしよう。うん。
「……なんか、硬くなった。カネキの腕」
「そうかな」
「出会った頃はあんなに、ふにふにしてたのに。かじりがいがありそうだったのに」
「すごくコメントに困る感想どうも」
「なんかなまいき」
「いやいや、必要あってのことだし。ね?」
それより本格的に眠いのか、彼女の言葉が段々ひらがなだけの発音っぽく聞こえてくる。
「……このまま、だっこでいえまで送ってって言ったら、おこる?」
「……あのー、怒りはしないけど、相当恥ずかしいというか。お姫様抱っこで運搬とか」
「じゃあ負んぶで。あ、それいいや。ほっぺたいじれる」
と、トーカちゃん?
何だか本当、眠気に汚染されてるのか色々と普段のトーカちゃんのイメージからかけ離れた発言連発だった。気のせいじゃなければ、適当な思考が垂れ流しになってるようにも思う。
端的に言って、すごく心配だった。この幼児退行具合、「あんていく」に来た当初のクロナちゃんを思いださせる。
ただ、それにしてはこう無駄にベタベタしてくるというか……。いや、夏場だし汗臭いでしょと言いたい所だったけど、気にせずトーカちゃんは腕を絡めてくる。
周りから見たら現在の僕らがどう見えるのかとか、そいういうところに考えが及んで居ないような気がする。
そんなことを考えてると、トーカちゃんは少し不安そうな声で聞いてきた。
「……カネキ、嫌?」
「……あー、嫌っていうより、何と言うか、ちょっと暑いかな」
「あ、ん、ごめん」
すっと腕から手を離して、トーカちゃんは僕の顔を覗きこんだ。
距離にして、十センチもない。
自然と、僕はトーカちゃんの視線に吸い寄せられる。
不思議な感覚だ。なんとなく吸い付けられて、目を離せない。
出会った頃、リゼさんと話していた時のそれを思いだす。思えば彼女も距離感が近くて、でも不思議とあんまり違和感というか、嫌悪感みたいなものはなくて――。
そして、その距離にトーカちゃんが居るというのが、なんだかとても不思議な感じだった。
「カネキさ――」
トーカちゃんは、何らためらいなく言った。
「下の名前で、呼ばれたら嫌?」
「……恥ずかしいかな、少し」
そう言う僕に、トーカちゃんは「じゃあ、ちょっと試していい?」と、楽しそうに聞いてくる。
なんだかくすぐったい感じがして、そして僕の「トーカちゃんに対する線引き」として、これは大丈夫なのか少し自問自答する。でもその答えが出る前に、トーカちゃんは少し照れながら、視線を逸らして言った。
「……け、研っ」
「――」
いや、それは。
それはちょっと、反則じゃないかな。
どうしてこう、この子はこっちのボーダーラインをいともたやすく揺さぶってくるか。言語化さえしたくないこの高揚感を、言語化してはいけないこの胸の高鳴りを、どうして沈めさせてくれないのだろうか。
僕はこの子を不幸にしたくない。ないから、ないからこそ自分に線引きを強いてるのに、そんな――。
「……ちょっと、コーヒー買ってくる。待ってて」
「あっ――」
たまらずその場から離れて、近くの自動販売機に向かう。近くと言っても駅前通りの外れから大通り近くまで合流するので、結構距離は離れてる。頭を冷やすのには良いくらいだと、そう自分に言い聞かせながら僕は歩く。
肩から下げたバッグの中。店長に修復してもらったアラタさんのドライバー。バッグの外側からそれに触りつつ、僕は思わず呟いた。
「……どうしたら、良いんでしょうか」
問いかけても、誰の言葉も聞こえない。
僕の中のリゼさんも、それを形成するに足る理由を失いもう存在しないのだから。未だ理性を取り戻せない彼女に、定期的に食事を与える事をし続けているからこそ、もう存在できなくなってしまっているのだから。
だからこそ、答えは自分で見つけないといけない。
見つけないといけないからこそ――未だ答えに至るまで、僕は揺れている。
甘えなのだろう。きっとそれは、愛されたかった自分への。
でも、どうにも僕は自分で自分を律し切れていないらしい。だからこそ、断じて、断じて僕は――を認める訳にいかないのだから。だから――。
「……少し、良いかな」
自動販売機の手前で、不意に声をかけられた。どこかで聞いた覚えのある声だ。その方を振り向いて、僕より高い位置にある彼の顔を見て、僕は二の区が次げなかった。
「あなた、は――」
「上井大学の金木研君だね。少し、話をさせてくれ。
俺は――亜門鋼太朗という」
翻って、これが彼と――喰種捜査官の亜門さんとの、五度目の遭遇になった。