「うあ……」
昨日の夜、模試の採点結果を見ながら復習(気持ち的には復讐)をして、気が付くと翌日、お昼回ってた。
これは、やばい。あんてのシフトが思いっきり入ってるから、場合によってはヒナに起こしてって言ったと思うのだけれど、家の中を見てもヒナはいない。とすればあえて置いて行ったのかもしれないけど、それだってまずい。大慌てで着替えて、私は歩いて十分足らずの「あんていく」に走って向かった。
「あら、トーカ。いらっしゃい」
ぜいぜい肩で息をする私を、カヤさんはにこにこと出迎えた。
「はぁ……、はぁ……、あの、私、今日の、シフト、は――」
「嗚呼、それなら私と古間くんからサービス。
トーカちゃん頑張ってるみたいだし、今日は休みでもいいって店長にかけあったのよ」
発起人はヒナミちゃんなんだけどね、と言ってカヤさんはウィンクした。古間さんがするやつより自然体というかサマになっていて、ちょっと見とれる。
「ヒナミは?」
「クロナとお出かけよ。だから、まぁ今日は気にしないで」
「い、いや、でもそゆ訳には……」
「聞いたわよ? カネキくんと一緒の大学に入ろうって頑張ってるって。まだまだ点数足りないってもね。だったら周りがサポートしてくれるうちは、それに頼っても良いのよ。落ちたらかなり落胆もするでしょうしね」
「は、はぁ……、って、へ? だ、誰から聞いたんです?」
「カネキくんから」
言われて、私は思考が一瞬停止した。頭ん中、真っ白になった。
そして次第に沸いてくる、この羞恥心は何だろう。顔が暑い。今まで徹底的にひた隠しにして、十二月くらいに暴露するつもりだったのに、なんでもう既にカネキが知ってる状態なんだっていうか、えっと……ってことは、あえて毎回模試の志望校をころころ変えて、前回ようやく上井を入れたってのも、そんな無駄なあがきもわかってたって? っていうか、全然そんなそぶり見せた覚えないのになんで知って――。
「ふふ、顔真っ赤ね」
「……ッ! べ、別に、何でもないですっ」
思わず顔を背ける私を、カヤさんは楽しそうに見てくすくす笑った。
「トーカって、そういう防御力は全然ないからね。見てて結構微笑ましいわ。
さて……、とはいえ全く仕事がないって訳でもなくってね? はいこれ。買う種類はこれに書いてあるから買出しお願いね?」
「買出し?」
「ちょっと豆が切れそうなのよ。で、せっかくだからニシキくんにも教えてあげてね。丁度上がりだし」
お客さんの帰った後の机からカップを下げていたクソニシキが「あ゛あ゛!?」みたいな声を上げていたけど、カヤさんには無論逆らえなかった。
道中、ニシキは面倒くさい面倒くさいと文句を垂れてた。
「人遣い荒ぇよなぁ。仕入れ先まで直接出向かせるなんてよ。送らせりゃ良いじゃねぇか」
「しょーがないでしょ。そこの豆じゃないと良い味出ないんだし、送ったら鮮度落ちるし」
よくわかんねぇ、と言ってニシキは肩をすくめた。
「……場所教えたら、次アンタ一人で行ってよ。めんどくさい」
「はァ? クソだりぃ……。次お前行けよ。俺急がしぃんだよ」
「女と遊んでばっかで説得力ない」
「ああ? 試験とかレポートとか色々あンだよ。お前も来りゃわかんだろ」
「カネキ余裕そうだけど」
「専攻が違ぇんだよ、専攻が」
「それでも胡坐かいてんでしょ」
「うっせぇなぁ……。
っていうか、お前どうなんだよ? 勉強」
「まぁまぁ。……順調って訳でもないけど」
「大丈夫かァ? 俺だって受験前、今の季節ごろにはA判定行ってたぞ。そんなんじゃカネキも苦労してんだろうなぁ、あー愛しのカレと同じガッコー行きたいオトメハツライネー」
「……っていうか、は? なんでアンタも知ってる訳?」
適当な口調だったけど、ニシキのそれはある程度の確信のあるような、そんな言い回しだった。
いぶかしがる私に、ニシキが「アホか」と半眼で振り返った。
「お前、貴未に頼んで問題集とか一緒に買いにいってたろ。そりゃ判るっての」
「いや、言わないでって頼んだし」
「いや確かに貴未は話しちゃいねぇよ。ただアイツの行動は俺が大体把握してるだけで」
「……キモい」
「あ゛あ゛ッ!?
何言いやがる、また変なのに襲われねぇか心配なだけだっつーのッ」
だったら堂々としてりゃ良いんだし、慌てるってことは自分でもキモい自覚はあるってことか。
ともかく、私はニシキに店の場所を教える。たどり着いた先は20区から外れた輸入雑貨店。色々なものを取り扱ってる中に、さらりと珈琲豆がまじってる。
決して専門店という訳ではないけど、あんていくの豆はここのものと、あと何店舗かの豆のブレンドで出来ている。
白いちょびヒゲの、物腰が丁寧なおじいさん店主が「どうぞまたご贔屓に」と行って頭を下げるのを背中に受けながら、私達は店を出た。
「……しっかし豆の仕入先も思いっきり人間なんだな。ホントあの
「しっかも結構付き合い長いみたいだし。さすがっていうか、何て言うか……」
何度かここのお店には来てるけど(カネキにも教えたし)、本当に深くは聞いて来なかったりするし、なんだかその表情からは色々、事情を知ってそうな気もしないではないけど……。改めて芳村さんの顔の広さを思い知らされる。
そんなことを考えてると、ニシキが私に言った。
「そういやトーカ、俺これから大学の研究室寄っていくけど、お前も見てくか?」
誘われた私は、そーいや今日カネキは学校だっけと、そんなことを思いだしていた。
※
夏休みだっていうのに、大学は学生がそこそこ居た。
オープンキャンパスやってる訳でもないだろうに、こーゆーのはなんだか新鮮だった。
「――あっちはコンピュータとか譲歩受けの棟な。工学部も大体あっちにまとまってる。なんだか結構有名な教授が居るとか居ないとかで、たまーに聞かれることあるぞ」
「ふんふん」
「で、今歩いてる大通りがメインストリート。あっちに見えるのが本棟な。……って言っても俺は化学棟ばっかで立ち寄ることもあんまねーけど。教員棟の方が多いくらいだな」
「学部によって違うの?」
「そーゆー訳でもねぇけど、俺は実験設備必要な科目多いからなぁ。授業によって教室確保できるところが違う場合と、担当教員の研究室が近くにある場合がある感じだな。
で、あっちが食堂。旧い方と新しい方あるけど、旧い方はおばちゃんがサービスしてくっから俺ら的にゃ地雷な。まぁ新しい方は新しい方で人間多いし、どっちもどっちか」
「こんだけ居れば食べなくても気づかれないんじゃない?」
「まーな。でも付き合いで食うこともあるしな」
説明を受けながら、校舎を見渡して思わず私は呟いた。
「でっけぇ……」
すごい頭の悪い感想だって自覚はあるけど、高校とは比べ物になんないくらいだ。
「まぁマンモス校だからな。学部も多いし――」
「西尾センパイ! お疲れ様です」
「よ、お疲れ。何だ掃除のバイトか? がんばれよー」
そして時々、歩いてるとニシキが色々と声をかけられていた。
「ニッシー、掘北の授業ノートマジ助かったわ!」
「俺もベンキョーすっから、来週までにゃ返せよ」
「にしても隣の子可愛いッスねー」
「止めとけ止めとけこんなガキ」
「あ゛?」
中央の、何か銅像みたいなのが立ってるところまで来て、ニシキは肩をすくめた。
「……アンタ、交友広いね」
「ん? そ? フツーにしてりゃ知り合いこんくらい増えるだろ。
まぁお前みてぇな単細胞にゃ厳しいか。ハッ」
「あ゛?」
「まぁあれだ。フツーに勉強してフツーに就職してフツーに人間ごっこやって。
……大したことなんて別にしなくったって良いんだよ。フツーに生きられれば。それが一番大変だけれど」
「……」
そう、確かにそれが一番大変なんだと思う。
でも、ニシキはなんだかんだ言って、私みたいに助けてもらわないでも今までやって来たんだよな……。
そんなことを考えてると、遠くからクソニシキの名前を呼ぶ声が。「貴未!」と手を振って、ニシキがそっちに走り出す。
あっちはこっちを見て頭を下げた。私も反射的に返す。
「あとお前一人でぶらぶらしてろよな」
「はぁ!?」
「一応あっち優先なんでな」
ごめんねと頭を下げられても、そーゆーのはアンタじゃなくてニシキがやれって感じだし。
いやでも……、案内くらいしろよと思わなくもないというか。
そしてニシキたちと別れてからようやく気づく。私、カネキからどこに研究室あるとか聞いてなかったっけ……。やばい、全然遭遇できる未来が見えない。
まぁ最悪いいや。テキトーにぶらつこう……。たぶん受けるとしたら理工学系の方だし。
あてもなく、テキトーにさまよう。食堂近くの自動販売機でコーヒーあるかチェックしたり、休日だっていうのに何か講義みたいなことやってる教室を覗いたり、ちらりと撮影みたいなことやってるところで「こっから先こないで」って言われたり。表のテラスの椅子とか見たり、木の生い茂った道を歩いたり――。
なんとなく、そのどこもかしこも全てにカネキが居るようなイメージを思って、ちょっと楽しくなった。たぶん永近さんとかと一緒に居るんだろうけど、うん、なんとなくそれはそれで、平和な感じがして、悪くない。
そこにちょこっと、おしゃれ決めた自分が背後からせっついたりしてるイメージを足して、自然、私は頬が緩んだ。ん、悪くない。超悪くない。
あいつもココに居るんだよな。たぶんそこら辺とかで、いつもみたいにワケわかんない本読んだりして――。
「……あ、すみません。理学部の校舎ってどっちですか?」
「ん? 嗚呼、それならあっちを曲がって――」
道中、泣き黒子のある髪型が片方に偏った感じの、なよっとしたヒトに聞いて、自分が通うかも知れない(通いたい)校舎へ向かう。
「やっぱ授業とか受けた方がいいかな。オープンキャンパスとかで。
……もうカネキも知ってるみたいだし、今更隠さなくっても――」
「ちょ、センパイ! 勝手に剥がしちゃ駄目ですよ企業説明会の!」
「バァロー、おま、天下の文化祭だぞッ!! いい場所にポスター張るべきだぜオイ!
一応三晃サンにも意見聞いたし――」
「だから誰ですかその三晃さんって!」
「アドバイザー? デザイナー? まぁともかく、相談乗ってくれる経済学部の先輩だぜ。研究テーマ食品らしいけど。
さて――って、あれ? トーカちゃん?」
そして浮かれながら歩いていると、カネキの友達の、例の永近さんと遭遇した。
※
「おんまたせ、トーカちゃん。アイスコーヒー、アイスコーヒー」
「……ありがとございます」
そこでお茶しない? と誘われて、そのままカフェテリアの外の椅子に座る私。永近さんは自販機のカップのやつから、アイスコーヒーを出して持ってきた。さらっと奢ってもらってるから、後でお金返さないと……。
「しっかしまさか、大学でトーカちゃんと会うとは……。
なんでまた大学に? 夏休みだぜ?」
「あ、はい。西尾さんに連れられて……。一応、下見しておこうかと」
「おお! トーカちゃんも上井受けるのか! となると……あ、なるほどね」
「……今、何を納得しました?」
「いやいや、こっちの話だよ。
しっかし、せっかく来てるならカネキ会ってく? 今たぶん教授と相談中だけれど」
「……相談?」
そそ、と笑いながら永近さんは説明を続けた。
「ほら、先生今目指してるって話じゃん? でウチでもその手のやつは出来なくないけれど、ちょっと授業の取り方がアクロバットになんよ。衛星放送で単位をとるか、必須科目やってる大学まで足運んで授業やるかって。
で今、そこのところどうやって取っていくのが良いか相談中って感じだな。インターン何があるか確認しに来たのもあるけど」
「へぇ……?」
「ま、そのうち判るぜ? 結構高校の時に頭使わなかった部分で苦しめられるから」
へっへっへ、とちょっと遠い目をしながら言う永近さんは、なんだかちょっとヤバいヒトっぽかった。
「俺、英文科であいつ国文科だけど、教科的に似通ってるところあるから、何なら相談のるぜ? 今からでも」
「んん、とりあえず今は、思いつかないですね……。逆に、これやっとけとか、そういうのあります?」
「春休みの使い方は考えようぜ」
だからその、ヤバそうなヒトみたいな目は何なんだろう。
「……っと、まぁ怖い話はさておき。何かあるか?」
「……大学の質問ってワケじゃないんですけど、いいですか?」
「お? いいぜ。ある程度ならなー」
そう胸を叩く彼に、私はふと、昔のカネキのことを聞いた。一瞬目を真ん丸くした後、何故か何度も頷く永近さん。
「んー、昔のカネキねぇ……。昔っからあんなんだったよ。休み時間も放課後もずっと本読んでてさ。なんかいじめっ子とかに取り上げられそうになったのを、こう、俺が知恵と機転でのらりくらりとしてやったりな。
なーにされてもやり返さなくって、困ったって感じでも笑ってやがって」
「……」
「で、小学校高学年くらいかな? 母ちゃん亡くなってから、ちょっと変わったなー。前より明るくなったって言うか、少しアクティブになったんだけど、時たまじっと寂しそうにしてて」
「……二人とも、亡くなってるんでしたっけ」
「お、知ってんの? 結構話してるな……。
前に一回だけ言ってたっけなー。『お母さんみたいになりたくない』って。『僕は誰かにお返ししたいんだ』って。ちょっと意味わかんねーよな」
笑う永近さんに、私も少し微笑み返す。なんとなく当時のカネキの言ってることは理解できないけど、その今回に在る部分は、今もあんまり変わってない気がした。
「あ、そーいえばさ! カネキ一回、劇で主役やったことあんのよ」
「……主役?」
「そ、学芸会で。半ば押し付けられた感じだったけど。でも意外に堂々としててさ。舞台上で結構すごかったんだよ」
「へぇ――」
…… 一瞬、白雪姫の格好した私と王子様の格好したカネキが思い浮かんだのは、我ながらないと思った。
私って、こんなぽんこつだったっけ……。そんなことを思いながらも、永近さんの話には真剣に耳を傾ける。
「何か演じるっていうか。仮面被ってるって言うか。……なんだかんだ全部、一人で抱え込んじまうところがあってさ。親友なんだから、俺にもなんか言えって感じなんだよなー。最近思うのは」
「……」
「で、トーカちゃんてところでカネキのこと好き?」
瞬間、私は頭がバットで殴られたような衝撃と羞恥を味わった。
呆然として思考停止すること二秒。言われた言葉の意味を租借するのにまた二秒。爆発するのに十秒くらいかけて、私は慌てふためいた。何か言葉を発しはしたけど、何を言ったか自分でもよくわかんない。
そしてそんな私を見ながら、永近さんは「そっかそっかー」と勤めて明るく振舞っていた。
「いやー、残念だなぁ……。でもまぁ、仕方ない感じでもあっかな?
おでこくっつけてたあたりから怪しいとも思ってたし」
「……!?」一体いつの話、それ……ッ!
「まぁだから、あれだ。俺が言うのも変かもしれないけど――何かあったらアイツのこと、頼むわ」
ぐっと、永近さんは頭を下げた。
「たぶんトーカちゃん、アイツが何抱えてるかとか、なんとなく聞いてるんじゃない? あー、別に言わなくても良いから!
でもそうして一人で抱えきれなくって、どっか行っちまいそうになったらさ。こう、チョークスリーパーとか決めて、連れ戻してやってくれよな」
「……私なんかで、いいの?」
「俺だけじゃ駄目なんだよ。たぶん。
まぁトーカちゃんだけでも駄目だと思うけど」
それくらいカネキとは友達やってるからな、と笑う永近さん。態度からは、そこはかとなく自信があふれていた。
「ま、そんな訳で……、ガンバな、トーカちゃん?」
「?」
「――ヒデ、バイトあるって言ってたんじゃ……、って、トーカちゃん?」
サムズアップをかます永近さんに気を取られてて、私は後ろから近寄ってくるカネキの存在を完全に気づいていなかった。
瞬間、ほてりまくるこの身体は何だというのだろうか……。
「なんでトーカちゃん、ここ来て――」
「まーまー! 西尾センパイに大学に連れてきてもらったんだってよ! せっかくだから、カネキ案内してやれって。俺バイトまだ残りあるし」
「いや、だったら何故トーカちゃんと――」
「ま、ファイトなー!」
お気楽な調子でその場から去る永近さん。不思議そうな顔をするカネキは、こちらを見て――。
「どうしたの、トーカちゃん。熱?」
「ッ、べ、ベタベタすぎんだよ!」
「ええ!?」
さっと手のひらを額に向けてくるカネキを、直視することが出来なかった。
状況:トーカ、ヒデから公認を得る
そして次回、ついにあのフラグ回収・・・!