「そ、そうですか。カネキ来てたのか……」
無駄じゃねぇけど無駄になっちまったか、と。軽くため息を付く青年。ワイシャツにチノパン姿だが、どこか作業着のような印象を与えるのは、くたびれた着こなしのせいか。金髪は根元が黒くなりはじめており、染めている暇がないのが伺える。
そんな青年に、小説家、高槻泉は笑った。
「ま、お友達のことはともかくとして。タイプ違うっぽいよねぇ、君。
彼、ど真ん中文学少年って感じだったけど」
「やっぱそっスかね? まぁ俺も興味持ったのは最近なんスけど」
「ほむほむ」
「この本もまぁ、アイツの趣味に合わせてって感じなんスよね。この”吊るしビトの
「何とも美味しそうだねぇオイ」
二文字足りないと半眼で笑う高槻に、しかし彼は、永近英良は特に気にせず話を続けた。
「最近あんまり会ってなかったから、共通の話題も作っておこっかなぁというのもあったっス」
「ふぅん。……ま、いいけどね。私は気にしないから。
ちなみになんで彼と会えないのん?」
「『敵を知り己を知れば』、なんとやら、みたいなモンです」
「ほむん、調査中って感じかな?」
「そうッス」
「君、テキトーに受け答えしてるでしょ」
「あー、えっと……」
あっはっは、と笑いながら、彼は本を再び手に取った。
「俺、この囚人182番の話が好きッスね。人間がお菓子に見えるってやつ」
「ユニタくんね。うん、私もこれは気に入ってるのだ。
次回作か次になるかわかんないけど、今プロット温めてるところ」
「人喰いの殺人犯ッスか?」
「そそ。けっこー内面も別にしようと思ってるけど――最近ちょっと、突破口が見え始めてる気がしてんだよね~」
出来るといいッスね、と永近が笑う。
それに笑い返しながら、彼女は、意識的にか無意識的にか己の左目の辺りを指でなぞった。
「テーマの予定は――『創世』かな?」
ただ、その言葉を聞いて、永近の眉間にわずかに皺が寄った。
※
「……海外勢力の足止めも掴めず、嘉納は雲隠れッスか」
政道の落胆したような声に、俺もわずかに同調していた。
20区のCCGにおいて、俺は再び資料の整理を行っていた。安久邸は現在、地元の局員たちが調査に乗り出している。近々資料も上がってくるだろう。
海外勢力の”時の尾”についても同様にか。20区での目撃情報もぱったりと消えた。もっともだからといって警戒態勢がすぐに解除される訳もなく、雨止もまたしばらくは20区に残る事になるだろう。
だが資料を整理しながらも、俺の頭の中ではとある言葉が焼き付いて離れないで居た。
――仮面ライダーは、喰種よ
かつて俺を救ったあの彼が。喰種に襲われていた無力な俺を助けた彼が。あの男、神父に怒りを燃やしている日々を送っていた俺の命を助けた彼が喰種だったという事実が、にわかには信じられず。しかし、所々符号するところもあったにはあったのだ。
俺が最終的にアカデミーで、局員と捜査官で迷っていた俺を決定させた、あの出来事を嫌でも思い出す――。
安浦特等は言った。仮面ライダーは、人間と喰種の自由と共存のために戦うと。
ハイセは言った。歪みは片方だけではない。それを、人間として、喰種として分からせると。
思考を整理して、少しだけおれは、何かが腑に落ちた。
「……だから、奴は仮面ライダーを名乗るのか」
「亜門さん?」
「いや、何でもない。そういえば永近はどうした?」
「あー、何だったっけな? 雨止になんか、クインケ操術を見せてもらってるみたいです」
「操術を?」
「いつ何があるかわかんないから、参考までにって」
「そうか……」
確かに、言われて見ればそれもそうだった。雨止は今日は非番だが、よく永近も申し出に付き合ってる。
何が起こるかわからないか。……そうだ、本当に何があるかわからない。
あの日、嘉納の後を負って安久邸に向かった際。ハイセだけではなく、俺は彼女たち、安久姉妹にも遭遇している。――目を片方だけ赫眼にさせた彼女たちに。
将来が嘱望された彼女達。行方が掴めず、死んだと言うような話も聞かされていたが。
だが、考えれば考えるほど、俺の中にくすぶるこの感覚は、何だ?
片方のみの赫眼……。
Rc細胞壁……。
嘉納の研究……。
眼帯……。
そして、仮面ライダー。
―ー人間で、喰種で、仮面ライダーです。
ジェイルを倒した際に奴が俺に言った言葉が。荒唐無稽な仮説のもとに、違った意味に聞こえてくる。
人間を喰種に近づけるような研究を行っていた嘉納の。あの場所で遭遇した安久クロナのことを考えればだ。
俺は、一人知っている。
嘉納の手により手術を受け、眼帯で隠せばわからなくなるだろう「片方だけ赫眼」になる可能性があり、かつ人間と喰種の共存を唱えうる可能性のある人物を。それらの条件に当てはまる、青年を。
すなわち、――。
「でも、美食家が居たんなら俺らも付いていけば良かったですよ。俺と法寺さんの捜査対象ですからね~」
政道の言葉が、俺の思考を現在に引き戻す。「そうだな」と言いながら、俺は少しだけ取り繕った。
「脱獄したナキが居たってことは、美食家と関係あるってことですかね?」
「さぁな。だら黒ラビットや梟が居たことを踏まえれば……、一連の事件に、アオギリが裏側で関わっている可能性は高い。ナキは”13区のジェイソン”の片腕だ。そのままアオギリに行ったとしてもおかしくはない」
「確かにそうかもですね」
「上等。捜査の件だが……」
ふと、室内にアキラが入ってきた。振り返ると、政道が少し嫌味のある笑みを浮かべていた。
「真戸ぉ、まだクインケ直らないんだって?」
「生憎とだな。今、新作の設計書をあちらに発注した分もある。
それに運が良ければ、まもなくレッドエッジドライバーの量産型が来るかもしれないから、文句も言えん」
「そりゃ残念だな。でもまー、有馬特等班のエリート様でも、そんなポカやらかすもんなんスかねぇ?」
「特等が以前、割り箸で喰種を殺したという噂が班で持ち切りだったがことがあったが、まぁそんなものだ」
割り箸で喰種を……? どこまで話が盛られているのかわらからないが、しかし下手をするとそれくらいやってのけてしまいかねないと思わせるものが、有馬特等にはあった。
そしてそれよりも何よりも。
「武器はそこまで選ばんさ。それに椅子に座り詰めでなくて良かったと思うよ。喰種共と相対さなければ、こうはならんからな」
「……ッ、何だと! 亜門上等足引っ張ってるくせに!」
「心配の前にわが身を振り返り、准特等の助けになるがいいだろうに」
「……二人とも、その辺にしておけ。顔を合わせるたびに言い争うな!」
この二人の相性の悪さは、一体何なのか。
全く、こういったことで頭を悩ませるのはもっと後になってからだと考えていたのだが……。
ともあれ俺達は、現在の情報を整理する。
篠原さん、什造は「
法寺さんと政道は「
そして俺達二人は「
それに加え、雨止がそれぞれのサポートに入りながら海外勢力の跡を追う。
篠原さんが「正式に」復帰するまで、俺達で全体の捜査を進めることになる。什造は単体では「動かすな」と篠原さんから直々に言われていることもあり、少し手が回っていない状態だった。
「上等、その捜査の件だが――」
アキラが少しだけ残念そうに話す。鑑識の結果、黒ラビットの赫子跡が、ラビットのものと一致するか否かについてだ。損壊が激しくまた崩壊速度の問題もあり、特定の喰種を割り出すところまでは行っていないらしい。羽赫は痕跡が残りにくいこともあり、安久邸での痕跡と、現在照合中とのことだった。
再び地道に捜査を続けるしかない……か。
わずかに諦めが混じりながらも、俺達は一旦報告書をまとめる。時間帯は既に八時を回っていた。
「あ、亜門さん。いい時間ですけど、夕食どうです?」
「そう、だな。何か食べに行くか。腹が減ってはだな……」
「――私も同行するが、構わないか?」
ぬ、と俺と政道の間に割って現れたアキラに、俺達は驚かされた。政道の「げっ」という言葉がその予想外さを現している。
どういう風の吹き回しだろうか。だが。
「近隣の店舗ならば、だが」
「……支度をしろ」
少しは打ち解けてくれたものかと、わずかに俺も頬が緩んだ。
※
「ちょぉっと、聞いてるんですか亜門さァん……?」
「お? おお、スマン」
そして店に行くと、政道の酔いの回りが速かった。近隣の串カツが美味い店に政道のリクエストで向かったのだが、疲れているのかカツを頬張る回数よりグラスを傾ける回数の方が多かった政道。
「什造も、全く、ヒック! ……篠原さん見舞い行けってんだよゥ、ヒック!」
「……」
安久邸で篠原さんが重態になった後。搬送中に「捜査官は二人で動け」と言った際、奴は笑顔で答えた。「ボクはそんなもの、別になにも思わないですよ」と。冗談ではなく本気だとのたまったヤツを引き、必ず後悔するとだけ言い残したが。什造は什造で、中々難しいところがある。
まだまだ自分の手に負えないのが、歯がゆい。
「はぁ……、俺も早く法寺さんみたいに、バッサバッサ切りこんで、
「昇進が我々の本分では
……らい?
「言われ
「昇進すれば責任も増えるさ。やりたくないこともやるだろうし、それにそれらは結果だ。まず
「メシくらい落ち着いて食え、お前達。
一回落ち着け。串カツが美味いぞ、ほら」
「むぐ……、ヒック!
学生時からやることなすこと全部否定しておってからに! 実技試験の時だって――」
「間違ったコトは言った覚えはないぞ。何が悪い」
「ハイキター。いっつもこうなんですよ亜門さぁん――」
……これは、どう対応するのが正解なのか。
更に宵が回ったのか、段々政道の言葉が聞き取れなくなっていく。
「ホれだって、まどみたいに実戦にたちゃ、ちから発揮でけですよぉそえなのに……、まいにちまいにちつくえつくえつくえつくえ――」
「たきじゃわ。私もいわせてもりゃうがにゃ」
ため息を付きながら、アキラは両手の指を立てて、政道の方に向けた。
「きしゃまは私を目の敵にしちぇいるようじゃが……、わらしにとって、そんにゃものはめじゃわりでしかないのら」
「あにぃ~~~~! 俺は、俺は……ッ」
立ち上がり震える政道。この辺りで収めようと俺が動くとほぼ同時に、政道の携帯端末が鳴った。
「もっしもし、誰だこにゃろ! 今おれぁ因縁の戦いの――」
『――もしもし滝沢くん。「この野郎」ですが』
ひぃいい、という声と共に政道の顔が青くなった。……電話の相手が一発で分かる反応だった。
『フフフ……。もう我慢でけん! と以前の私なら怒鳴り飛ばしていたところですが、時間帯も時間帯です。大目に見ましょう。
レポートの提出漏れがあったので、今すぐ支部に戻って取り掛かってください。それから酔いは十分覚ましてから来るように。着信相手を確認してから電話に出れないほど注意力が低下していては、何度手間かになりますからね。それでは』
「お先に失礼します」
政道が「引き摺り下ろして細切れにされる……」というような呟きをしながら、階段を上っていく様に俺は書ける言葉がなかった。料金は五千円を置いて行った政道だが、しかし……。俺がもっとしっかり管理して居れば。串カツを頬張っている場合ではなかったか。
いやそれより……。アキラは両手を合わせて、額に乗せている。うんうんうなっている様は、明らかにアルコールが回っていた。
「なんだその目は」
「こっちの台詞だ。据わってるぞ」
「たわけ目が座るものか目のどこに足がある、ゴーゴリじゃあるまいし」
ごーご……? ともかく明らかに酔っていた。
「お前……、アルコール弱かったのか?」
「わらしは酔ってなどいないっ!」
「そう言いながら篠原さんは20人背負い投げ記録を打ちたてている。酔っ払いは信用せん」
「――何を」
アキラは言葉を区切りながら、しっかりと俺に向けて言った。
「何を迷っている、亜門鋼太朗」
「……?」
「気づかぬとでも思っちぇいるのか? 嘉納の研究所襲撃の後、明らかに心がここににゃいではにゃいか」
「……にゃが二回続いていてわからん」
「ここに在らずではにゃいか」
わらしはくわしくしりもせんが、とアキラは胡乱なまま話を続けた。
「父を助けられなかったお前はきらいだぁ……。だが、鬱屈しているお前なぞもっときらいだ」
「……」
「父が上等捜査官から出世し
わらしたちのためだ。わらしの世話と、母の復讐のためら」
強い意思と確かな目標があれば、地位も階級も関係ない。
心に灯すべきはその火だと、以前真戸さんから言われた事があった。
「だがきっと、わらしのためのほうがおっきぃ。わらしの世話が出来なくなるから、ちちは出世から外れた。しゅっせしてれば、それこそまた梟に迫れたかもしれないのに。
だぁらわたしは――……うぇっぷ」
「お、おい、大丈夫か?」
アラタを運転する関係上、俺だけ素面だったため、コップには水が入っている。それを奪い取り、アキラは一気に飲み干した。
「アカデミーでもさんざんいわれたのら……、ちちはボンクラだと……。だぁら私がはやく一人前になって、他を見返せば、父も早く出世できただろうと」
「アキラ……」
「それが今じゃ、ああしてくすぶっている……。知ってるか? 亜門鋼太朗。一人で居ると、時たま父は泣いているようなのだよ。あの父が。手足をもがれて這ってでも戦うことが出来ない今の自分を見て。
私は――割り切れん」
段々と口調が回復するアキラ。その視線が、俺に突き刺さる。
「話さなくても良い。だが、前に進め。
悩んで止まってるなら、もっと悩んで答えを出せ。
ひいてはそれが、父のためら」
両手を合わせて額をそこに乗せて、アキラは再び押し黙った。
前に進めか。俺は……。
仮面ライダーが喰種だと聞いて、俺の中の喰種に対する価値観に、揺らぎが出てきているのは事実だろう。これが捜査官にあるまじき感情であることも……、真戸さんから引き継いだ「正義の火」が揺らいでいるということなのだから。
だが、俺の本心は一辺たりとも揺らいで居ない。目の前で奪われる命を守ること。悲劇を繰り返させないこと。……篠原さんや、什造。政道、法寺さん、雨止。それにアキラも。
例え嫌われても良い。疎まれても良い。俺がそう思っていれば、そうであるなら良いと。そう結論は出ているが――。
そんなタイミングで、どしゃり、とアキラが酔い潰れた。
※
「……まったく、そんなに弱いならもう飲むな。
ほら部屋の前に着いたぞ? 鍵はどこだ」
「うぅ……、おしりのポッケじゃ」
「……」
「とる、まってろ……」
胡乱なアキラのナビゲートに従い、俺は彼女を自宅まで送っていた。アラタG3は仕方ないものの、CCGに置きっぱなしだ。流石に今のアキラを持って二人乗りはできるとは思えなかった。
入り口では独特な顔の猫が出迎えてくれた。……微妙にかわいくないその顔は、なんとなくアキラが好みそうなセンスだ。
室内は私物が少ない。目に付いたのはテーブルに広げられた料理本と、棚の上に置いてある入局時の写真だ。隣に真戸さんが映っている。
ベッドに寝かせたアキラが未だ優れないので、仕方なく胃腸薬を買ってきた。
されるがままのアキラだが、正直色々と気が気ではない。
これでコイツも、色々と落ち込んでいたのかもしれない。……まだまだ俺達は未熟だ。反省会も考えないといけないか――。
そして立ち去ろうとした俺の手を、アキラは掴んだ。
「……」
「に げ る な」
何から逃げるなというだろうか、こいつは。
反応に困っている俺だが、どうもアキラはアキラで寝ぼけて居るように見えた。
もっとも、発言はその限りではなかったが。
「こわいのか? こたえが。もうみつかってるのだろう」
「……?」
「だいじょぶだ……私がついているぞ」
……意味はよくわからなかった。どんな夢を見ているのかも。だが自然と、俺はそれに微笑んだ。
なんとなくだが、アキラのその物言いに「彼女」のデジャブを感じた。
「張間……」
俺は……、これ以上迷って良いのだろうか。お前を殺した、お前の死体も残らず殺した奴らを、喰種達に対して。
だが、どうやら足を止めているわけにはいかないらしい。コイツはどうやら、それを許してくれる部下という訳ではなさそうだ。
一度深呼吸をして、俺は目を閉じて、開き、一つの決意を口にした。
「会いに行こう――金木研に」
そこにどんな答えが待っているのかを、俺は知らない。答えはないのかもしれない。だが、それでもなお俺は知りたいと思った。
奴の物語を――彼の物語を。
アキラ「あつい……」スカート脱ぎ脱ぎ
亜門「……ッ!」ベッドに背を向けて、腕を組んで目を閉じて険しい表情