七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
大和、撃つ。




第九十九話「君の使い方を一番知っているのは君自身ではなく、この僕だ」

「素晴らしい技の冴えでありますな、まるゆ。ナイフの扱いは勿論でありますが、何よりもその無音潜航は目を見張るものがある」

「は、はい! ありがとうございます!」

 

 私の部隊を訪ねてきたあきつ丸と呼ばれた黒い軍服と対照的な真っ白な肌をした少女はそう言って、笑いかけてくれた。

 私は人から褒められることが少なかったので、その称賛が素直に嬉しかった。

 

「しかし―――」

「ひっ……」

 

 あきつ丸は、冷たい表情になると、私の首筋に手を添えた。

 瞬間、私は悟った。今、まさに、己の生殺与奪を彼女に握られたことに。彼女の気分一つで、私の首なと小枝のごとくへし折られるという事実に。

 それだけの殺気を、唐突にぶつけられたのだ。

 脂汗が滲み、体の震えが止まらなくなる私を見て、殺気を解いて不満げにあきつ丸は言った。

 

「しかし、あまりに心が弱い。その気性は優しいや穏やかというよりも、臆病でありますな」

「わ、私は、争うことも、殺すことも……嫌い、なので」

「では何故陸軍に? 何より、何故無音潜航とナイフを覚えた?」

「争うことも、殺すことも嫌いです……でも、傷つけられたり、殺されたりするのは、もっと嫌なんです」

 

 実のところ、私はどこまでも自己中心的な人間だった。

 私が争いを好まないのは善性からではなく、争いによって自分が傷つくことを恐れてのことだ。だから、陸軍に入った。

 海軍とは違って前線とは程遠く、かつ殺されない技術を学べる。

 殺されたくないから、傷つきたくないから、殺し、傷つける術を身に着けた。

 自分から決して殺意は向けない、しかし、殺意を向けられたならば殺意を返す。

 保身的かつ受動的な殺意こそが私の本質である。

 

「それに、奇襲に、敵の強さは関係ないので……」

 

 奇襲、暗殺に敵の戦闘力は関係ない。

 戦闘力とは文字通り、戦闘でしか機能しないものだから。即ち、私のサイレントアサルトは、強者弱者の区別なく、平等に死を与えることができる。

 それは、殺されないまま殺すことができる私の理想形。

 

「あはは! ようやく、お前の芯が見えたであります!」

 

 その言葉を聞いて、あきつ丸は心底嬉しそうな声をあげた。

 

「決めた。まるゆ、私と共に来るであります。お前の力が必要であります」

 

 

「うあ、ああ、あああああ!」

 

 目の前の武蔵という名前の怪物から、私は一目散に逃げた。

 気配を消すのではなく、彼女から少しでも距離を取るべく逃げたのだ。

 

「ああ、艤装保護膜を発動してしまった。これ一度オンにすると艤装を外すまで消えないのだが……」

「うん、艤装保護膜オフにできる時点でいかれてるからね?」

「そういうお前は、まるゆの……ストーキングとやらはいけそうなのか?」

「うん、大丈夫! 五感が満足に使えれば半径100メートル範囲でサーチできるよ!」

「お前も大概おかしいぞ」

「だってまるゆはお姉さまだから」

「その呪文はまだ必要なのか」

 

 一瞬、虚ろな目になるプリンツに苦笑する武蔵。

 もうすっかり余裕を取り戻したように見える。

 それはそうだろう。

 最早、私達の攻撃は武蔵の装甲を貫けず、そして、私のサイレントアサルトもプリンツによって封じられた。

 詰み、なのだ。

 私の退路を確保しようと他の隊員達が砲火をあげるが、それも今や牽制の意味すらなさない。

 

「まるゆ分隊長! 我々が時間を稼ぐので、その間にあの化物を!」

 

 無理だ。できるわけがない。

 私は首を横に振り、懇願の瞳で隊員を見つめた。

 もう無理だ、限界だ、許してくれと。

 

「まるゆ分隊長! しっかりしてください! あなたがそんなことでどうするのです!」

 

 私を激励しようとしているならそれは無駄な行為だ。

 今まで私の情けない姿を見てきてもういい加減気付いているだろう。

 私は、本来戦いだとか、ましてや殺しなどには一番向いていない脆弱な心の持ち主なのだ。

 

「――ふむ、終わりか? ならばこちらから行こう。プリンツ、良く頑張った。後は私に任せて退がっていろ。でないと、私に砲撃が集中しないのでな」

「最後の一言がなければ本当にかっこよかったんだけれどね」

 

 武蔵が、主砲を構え、こちらに一歩前進してくる。

 圧倒的な力の塊が、暴力の城塞が、迫ってくる。

 あれは殺せない。あれには何も通じない。あれと戦ってはいけない。

 

「う、おおお! 主砲、一斉射! 撃てェ! 撃ちまくれ!」

 

 雄々しい怒号と同時に、数多の砲撃音が海域に絶え間なく鳴り響く。

 しかし、武蔵はその全てを、まるで意にも介さず、その足は止まることはない。

 

「砲だけでは駄目だ! 魚雷だ! 魚雷も撃ち込めぇ!」

「いいぞ、当ててこい! 私はここだ!」

 

 武蔵は避けることはない。むしろ嬉々としてそれらの攻撃力を迎え入れる。

 そして、耳をつんざく爆発音と水飛沫の後、私達はようやく気付く。

 この世には、戦ってはいけない存在というものがいるという事実に。

 

「ぐ、お、おお! おお! おおおおおおおお!」

「主砲、一斉射だ。薙ぎ払えッ!」

 

 それが武蔵から隊員達に向けた死刑宣告であり、そこからは一方的な蹂躙が始まった。

 一つ、主砲が吠えれば、二人が吹き飛ぶ。

 十発にも満たない砲撃により、残されたのは私一人だけになった。

 

「ひっ、ひっ……ひぐっ!」

「さて、後はお前一人のみ。どうする?」

 

 恐怖で視界が歪む中、私を見つめる武蔵の視線だけは鮮明に見えていた。

 

「分、隊……長……海の中に……逃げ……」

「我々が……時間、を……稼……」

 

 弱弱しい声でそれでも私を逃がそうと自らの負傷も厭わず立ち上がろうとする隊員達を見て目を覆いたくなった。

 思考が痺れ、脳が現実を拒絶しかけている。

 

「さぁ、どうする! どうするんだ、まるゆ!?」

 

 周りを見る。私のために立ち上がろうと苦痛にもがく仲間達が見える。

 目の前を見る。私を見つめる武蔵が見える。

 ゆっくりと、目を閉じる。私に手を差し伸べたあきつ丸の姿が見えた。

 

「――――無暗に力を行使する暴王の目も届かぬ闇の中に私達は潜み、その愚行を諫める……!」

「……ほう」

「暴王にとっての――――力にとっての天敵とは、私……!」

 

 先刻、折れたナイフは捨てた。スペアは残り二本。

 私はそれを両手に構え、恐怖を必死に押し殺しながら切っ先を武蔵に向ける。

 今までは、殺意を向けられたから殺意で返す。受動的な殺意が私だった。

 今、私は、私の意志で、敵に殺意を向けた。

 

 

 まるゆの目が変わった。恐怖で塗りつぶされた色から、恐怖を押しつぶした色に。

 嫌な予感がすると顔を曇らせるプリンツとは対照的に、武蔵はそれに対して優しい笑みを浮かべた。

 

「武蔵――――」

 

 プリンツが声をかけようとした所で、まるゆの姿が消えた。

 否、海中に潜航したのだ。

 あまりに無音かつ無初動。まるで、自由落下していくかのような潜航はあたかもその場からまるゆが消えたかのように錯覚させた。

 慌てて、プリンツは耳を海中に沈ませる。自分のサーチなしに、武蔵はまるゆの居場所が掴めない。今の武蔵にまるゆの攻撃が通用するかは怪しいが、それを考慮しても助力が必要だと直感的にプリンツは判断した。

 

「ぬおっ!」

 

 しかし、遅かった。いや、速すぎた。

 プリンツのサーチが完了する前に、まるゆのナイフが武蔵の真下から彼女の足を突き刺す。

 艤装保護膜で守られた武蔵には傷一つつかないが、構わずまるゆは再度潜航する。

 

「うわ、まずい! 私のストーキングお構いなしにスピード勝負に出てる!」

 

 如何にプリンツが正確に海中のまるゆを見つけられても、それを武蔵に伝達するために数秒を要する。

 ならば、その数秒の間隙のうちに攻撃を済ませれば良い。

 まるゆは気配を消すことではなく、気付かれてでも、最速最短で攻撃を繰り返す戦法に割り切ったのだ。

 

「プリンツ、構わない。ここからは私一人でやる」

 

 武蔵は一言そう言って腰を低く屈めた。

 まるゆの攻撃を武蔵が予測することはできない。

 しかし、その表情に一切の動揺も焦燥も見えなかった。

 そして、まるゆの一方的な攻撃が何百と繰り返されたその時、戦況は動いた。

 

「来た……!」

 

 ナイフの先端が、ついに武蔵の艤装保護膜を突き破り、足部艤装に届く。同時に、まるゆから思わず声が漏れた。

 僅かな攻撃力でも、同じ個所に何百と攻撃を重ねれば、やがて、綻ぶ。まして、蜻蛉隊の艤装『ワダツミ』の攻撃力は戦艦に匹敵する。その一斉攻撃を受け切って無傷の筈はない。

 思いのほか、武蔵の艤装はまるゆの想定の遥か早期に悲鳴をあげたのだ。

 まるゆが戦況を支配したかに見えたこの瞬間、武蔵も動いた。

 

「むん!」

「えっ……!?」

 

 左足部に突き立てられたナイフ。それを武蔵は自ら足を振り上げ、押し込んだ。

 艤装の破壊音と共に深々と突き刺さるナイフ。その意図にまるゆが気付くのは数秒の後であり、あまりに遅すぎた。

 

「ナイフが、抜けない……!?」

「足一本はくれてやるッ!」

 

 まるゆがナイフを手放すより早く、武蔵が足を真上に振り上げる。

 ナイフを握っているまるゆは一本釣りの要領で宙に打ち上げられた。

 宙に飛ばされてはもう、何もできない。そのまま落下してくるまるゆを下から武蔵の拳が撃ち抜いた。

 

「あ…………うっ!」

「ここまでだ」

 

 飛び出るかと思うぐらい、大きく目を見開き、衝撃に悶えたまるゆは、ぐったりと武蔵の腕の中に沈んだ。

――――そう、見えた。

 

「まだ、です……!」

「何!?」

 

 既にまるゆの腕からそれは投げられていた。

 手榴弾。

 海戦向きではない、陸軍の武器。

 しかし、互いの身体に手が届くほどの近距離ならば、使いようはあった。

 手榴弾は、狙い通り、武蔵の右足の艤装にぶつかり、その周囲を爆発の中に包み込んだ。

 

「武蔵!」

「――――心配するな、プリンツ。私は武蔵だぞ?」

 

 プリンツの悲鳴があがるが、彼女の不安を裏切って、即座に武蔵の声が返ってきた。

 今度こそ力尽きたまるゆを両腕で抱えた武蔵は、どこか神妙な顔つきをしていた。

 

「……ふぅ、やっと終わったぁ! もう、本当にしんどかったよぉ」

「ああ、全くだな」

「……ん? なんか悔しそう?」

「ああ、してやられたよ」

 

 武蔵はそう言って、駆け寄ってきたプリンツに自分の足元を見るよう視線で促す。

 そこには、完全に壊された足部艤装が見える。

 足部の艤装は舵と推進器だ。

 それを壊されたということは、武蔵の足を切り落としたことと同義なのだ。

 全体としてのダメージは少破程度でも、被害はその実あまりにも甚大。

 武蔵のこれ以上の継戦は望めなかった。

 

「私の足を奪うつもりなのは見抜いていた。ならばと、片足を囮にし、裏をかいたつもりだった。しかし、私は見抜けていなかったのだ。この気弱な少女の奥底に隠された、執念を」

「…………」

「わかるか、プリンツ? この少女は、成長したのだ。それも戦いの中でな。こういう相手が一番怖いのだ」

「そっか、自分の弱さを乗り越えたんだねぇ」

 

 プリンツはそう言うと、まるゆの顔を見て笑った。

 

「――凄いなぁ」

 

 その羨望と諦念の入り混じったプリンツの小さな呟きを、武蔵はあえて聞かなかったふりをした。

 

 

「いいわ、最高よ、二人とも!」

「調子に――」

「――乗るなッ!」

 

 左右から挟み撃ちにする形で砲撃する綾波と磯風の砲口を槍の両端で跳ね上げ、射線を逸らす叢雲。

 磯風と綾波二人がかりですらまだ彼女を押し切れないでいた。

 

「さて、そろそろかしらね?」

 

 叢雲のその言葉の数秒後だった。

 今まで、綾波と同等かそれ以上の機動力で叢雲に食い下がっていた磯風の足が、止まった。

 限界だった。既に、蜻蛉隊との戦闘でほとんど体力は使い果たしていたのだ。

 怒りに任せて力を振り絞ったが、それも逆に無駄な体力の消費を招いた。

 

「あ……」

(ふぅん、あの機動力を発揮できる艤装センスは凄いけれど、やっぱり予想通り、体力不足が致命的ね。これでこの子の底は見えたかしら)

「磯風……!? 全く、何、やってんですか~」

(後は、綾波ね。まだ、何か奥の手を隠してる感じがするのよねぇ、もう少し追い詰めないと見せてくれないのかしら? それとも――――)

 

 綾波の攻撃を回避するや否や、叢雲は一直線に、足の止まった磯風に向かっていく。

 

(仲間を助けるためなら、出し惜しみはしないかしらね?)

「ぐ、う……!」

 

 綾波は思考する。

 今、ここで磯風を助けるためには奥の手を使うしかない。

 しかし、それを使うということは、勝負を決めるということだ。奥の手を発動させれば一分ももたない。

 全く疲弊も隙を見せない叢雲に対して今、それを使って勝負を決めきれるのか。

 答えは否だ。

 

(ここで私がやるべきは、今磯風を狙って背中を見せた叢雲の隙を突いて突破口を見つけること。悪いけれど、助けませんよ)

「ああ、それで正解だ」

 

 叢雲の槍が突き出された瞬間、磯風の身体が動いた。

 槍に対して半身になって外側に避け、そのまま槍を掴んで引っ張り、自らの身体を前方に押し出す。槍を突き出す力を利用され、叢雲の身体も容易く引っ張られ、その背中を磯風の眼前に晒した。

 

「ここで二発砲撃。一発目は退路を塞ぎ、二発目で当てる」

 

 すぐさま砲撃を察知し、左に避けようとした叢雲の退路を見事に塞ぎ、急停止した所に砲弾が命中する。

 綾波すら目を見張るほどに綺麗な有効打だった。

 

「な、なんなのよ……急に!?」

 

 狼狽し、叫ぶ叢雲の声は磯風には届いていない。

 彼女には、それ以上に耳障りな声が今も聞こえているから。

 

『そろそろ理解しただろう?』

「黙れ」

『君の使い方を一番知っているのは君自身ではなく、この僕だ』

「うるさい、黙れ。お前は指示だけ下せばいいんだ。幻覚が余計な口を叩くな」

『ますますもって反抗的になったものだ。だが、それすら僕は使いこなして見せよう』

 

 脳内に、しばらく聞かなかった宿敵の声が響いた。

 矢矧の指揮を叩き込まれてからは聞こえなくなった筈の声。

 二度と聞きたくない声。

 しかし、ある意味では矢矧以上に、磯風がその指揮能力を認めている男の声。

 

『こちらの駒は君と横須賀の綾波。敵は駆逐艦叢雲一人。苦戦する理由がわからないな』

「黙って、指示を出せ」

『いいだろう。君が再び僕の道具になるというのなら、この犬見誠一郎が勝利を約束しよう』

 

 犬見誠一郎。

 磯風の心の奥深くまでに根付いた闇を、彼女自身が呼び起こした。

 全ては勝利のために。

 

「はは、あははは! いいわ! いいわよ、磯風! あなたの全てを出し切りなさい、底の、底の、底までね!」

 

 




武蔵改二、瑞鳳改二とか最強かよ

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