七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
誓い、そして百隻斬りの狼煙があがる。



第九十一話「期は熟した。さぁ、実験開始よ」

 

――――龍田、顔色悪いけど大丈夫?

 

 そう言われたのは実験が始まってから3日――3本の薬を使用した頃だった。

 その時は特に気にしていなかった。

 実験が始まってからは手に入れた力を試すのに夢中で、少し体に負担を掛け過ぎているのだろうと思っていた。

 

――――体が冷たい。

 

そう気が付いたのは実験が始まってから1週間が経った日。7本目の薬を使用した後だった。

深海棲艦の死骸を掴んだ時。それまで奴らに触れれば例外なく伝わってきた無機質な冷感。それを感じなかったのだ。

 違和感を拭うようにすぐに医務室に走り、体温計を拝借して己の体温を計測した。その数字を見て、私は強烈な吐き気に襲われた。

 それは医務室の壁にかかっていた温度計が示す室温と寸分違わず同じであった。つまるところ、まるで死人。私の身体は生者らしい熱を帯びていなかったのだ。

 

――――おかしい。最近、私が私でないようだ。

 

 実験が始まってから2週間。14本目の薬を使用する頃には私は身体だけでなく、心にも異変が現れたことを自覚した。

 敵を倒すことに悦楽を感じている自分がいる。最近、深海棲艦の突発的な出没が多いことを幸運なことだと思っている自分がいる。

 己の力に酔いしれている自分がいる。

 気が付けば、私に向けられる周囲の視線には畏怖と軽蔑が混ざり始めていた。

 これはいけない。

 これではまるで、かつての暴れ天龍ではないか。他ならぬ私が諭したのだ。彼女の在り方を否と断じた私が何をやっているのだ。

 

――――脈が弱い、心臓が偶に止まる。

 

 実験が始まってから3週間弱。使用した薬は20本を超えた。

 血色は失せ、体温は冷え切り、脈は弱い。それなのに力ばかりが日々増していく。

 私から、無駄なものが削ぎ落されているためではないかと思った。

 私という艦娘が、1つの本質にそれ以外の不純物を何重にも重ね合わせてできた肉の塊だとしよう。

 薬を使う度に、私から不純物が一枚一枚剥がれていくようなイメージだ。血を削ぎ、熱を削ぎ、理性を削ぎ、仲間を削ぎ、ひたすらに不純物を削ぎ落していった私に残ったものは、図らずも『力への渇望』だった。

 ああ、なんて情けない。だが、否定はしなかった。私は私に残された唯一を、愛おしく抱きしめた。

 

――――龍田、もうそれやめろ。

 

 実験が始まり一ヶ月が経った頃。天龍が私にそう言った。

 聞く耳すら既に削ぎ落ちている。対話すら不純物と切り捨てた。

 しかし、彼女が私の肩を掴んだその時、一瞬、削ぎ落ちた筈の不純物が戻ってきた。

 血色の悪さは化粧で胡麻化している。しかし、触れれば私の体温が冷たすぎることなど誰でも気が付く。

 それを天龍に悟られたくないと強く思った。

 

「触らないで!」

 

 気づけば天龍を投げ飛ばしていた。

 私は私自身に驚きながら、その場から走り去った。

 ああ、私はすっかりおかしくなってしまった。

 それでも私は止まることはできない。この実験さえやめてしまえば、『力の渇望』さえ、切り捨ててしまっては、もう私には何も残らないのだから。

 だが、何が起きているのかはハッキリさせておかねばならない。

 

――――そして、今、私は叢雲と対峙している。

 

「大丈夫よ、それは正常だから」

 

 叢雲は私の訴えに平静そのものといった表情でそう答えた。

 

「その薬は一時的にあなたに大きな力を与えてくれる。ただし、その分あなたの肉体は急速に死に向かって行く。副作用とでも言えばいいかしら」

「…………」

「あら、意外と冷静なのね? 狼狽した怒鳴り声の1つでも聞けるかと思ったのに」

 

 私の反応の薄さが予想外だったのか、叢雲は少し残念そうにこちらを見やる。

 

「別に。あれだけの力がノーリスクで手に入るとなんて思える程、甘ちゃんでもないしねぇ」

「そう、物分かりが良くて何よりだわ」

「ねぇ、これが実験? 私がこの薬で一体どれだけ生きていられるかデータを取りたいの?」

「薬の副作用がもたらす症状の進行は3段階。まず肌より血の気が失せ、次に体温が消える。そして、最後に心臓の鼓動が止まる。ここであなたという艦娘は死ぬ」

「……もう、残された時間は少ないみたいねぇ」

 

 既に心臓の鼓動は脆弱極まっている。運動能力全般に支障はないものの、死が既に目の前まで迫っている自覚はあった。

 

「――そして、そこからが『本当の実験』の始まりよ」

「なんですって?」

「実験始める前、あなたに1本注射打ったでしょ?」

「……ええ、記憶にあるけれど?」

「もしもあなたに資格があるならば、きっと奇跡が起こるわ」

「奇跡?」

 

 意味深な言葉を並び立てる叢雲に説明を求めようとしたその時だった。

 闇に紛れて私の両隣から迫る化け物の存在を察知した。

 駆逐イ級だった。

 

「こんな時にまた深海棲艦……本当に最近多いわねぇ」

 

 私に向かって吶喊してくる二体を薙刀で串刺しにした。なんとも手ごたえのない戦闘。回避もできずにただ貫かれに来ただけとは。

 そんな私を見て叢雲は笑いを噛み殺すように口元を抑えていた。

 

「何がおかしいのかしらぁ?」

「いえ、なんて茶番を見せられているのでしょうと思ってね」

「……どういう意味?」

「だって、ねぇ? 自分で呼び寄せた深海棲艦を自分で倒してしまうんだもの、それは茶番以外の何物でもないでしょう?」

「――――え?」

 

 不意に叢雲の腰のあたりから一瞬銀色の光が瞬いた。それは棒立ちで隙だらけの私の胸元をあっさりと貫通し、心臓を的確に貫いていた。

 銀色の光が叢雲の槍の切っ先であったことに気付くと同時、私は口から大量の血を吐いた。

 そんな死の間際だというのに私が考えていたことと言えば、まだ自分に赤い血が流れていることに驚いていた。

 

「期は熟した。さぁ、実験開始よ」

 

 槍が引き抜かれ、私の身体は海中に沈んでいく。

 真っ暗で底が見えない、文字通りの深淵へとゆっくりと飲み込まれながら、私の中で何かが蠢く気配を感じた。

 ゆっくりと目を閉じると、その『何か』の姿が瞼の裏の暗闇に見えた。

 

――――ああ、そうか。そういうことだったのね……

 

 叢雲の言っていた茶番の意味が、あの薬がなんなのか、全て理解した。

 直後、私の身体を引き裂き、その内で蠢いていた『何か』が海上へと浮上していった。

 

 

 爆発音がして数分も経たない内に俺と暁は営倉から解放され、艤装を装着し、出撃ドックへ集合させられた。

 鎮守府内は大騒ぎで、誰もが焦燥を浮かべて走り回っている。

 さらには絶えず聞こえ続ける爆音。なり始めるサイレン。尋常な事態でないことは明白だった。

 

「提督、こりゃ一体何の騒ぎだ?」

「深海棲艦の大群が近海に出現した。数は少なくとも100。依然増加しているとのことだ」

「はぁ!? 近海に100!?」

「現在総力をもって迎撃にあたっている。お前達第二艦隊も急ぎ出撃し、敵大艦隊を撃滅してくれ」

「第二艦隊って、龍田はどこだよ!?」

 

 集められた面々には旗艦の龍田の姿だけが見当たらない。

 

「龍田の艤装がなくなっていた。おそらくは既に単騎で出撃しているのだろう。よって、龍田と合流するまでは暁を臨時の第二艦隊旗艦とする、できるな?」

「当然よ、レディだもの」

 

 気合十分に応える暁。

 しかし、その仕草はどこか落ち着かない。おそらくは龍田の動向を案じているのだろう。

 

「暁に『岩融』を渡しておく。積載量としては1本が限界だろうが、十分に戦況を覆す切り札となりえるものだ。龍田に届けてくれ」

 

 提督が指さした先には重厚な鉄の棺桶のようなものが置いてある。あの中に岩融が入っているのだろう。

 

「俺がこいつ使っちゃダメなのかよ?」

「岩融は龍田の腕力と技量をもって初めてその威力を発揮する。いくらお前でも扱いなれない岩融を使用すれば少なからずこちらにも被害が出る可能性が高い。だからそれはやめてくれ」

「……了解した。取りあえず敵を殲滅しつつ龍田と合流すりゃいいんだろ? 任せとけって!」

「頼んだぞ、せめて周辺住民の避難が終わるまでは持ちこたえてくれ!」

 

 提督の声に送り出され、俺達は真っ赤に燃える夜の海へと出撃した。

 

「地獄絵図だな」

 

 鎮守府を出て10分もしない内に、既に戦闘域に入っていた。

 視界には溢れんばかりの砲火、航空機、そして、仲間たちの怒声、悲鳴。

 

「お前達なんかああああ! 殺してやる! 殺してやるぅうううう!」

「ひっ、助けて! もう燃料が! あああああああああ!」

「来ないで! 来ないでよぉ! 嫌だ! 死にたくない、死にたくない!」

 

 また1人、仲間が死んだ音がした。

 

「なんて、ことなの……ッ!」

 

 暁が拳を握りしめ、震えている。

 

「第二艦隊! 殲滅開始! 一匹たりとも逃がすな!」

 

 暁が怒号と共に砲を撃ち、前進する。

 俺も刀を抜き、陣形を維持しつつ、向かって来る敵を斬る。

 

「――っ! 天龍! あそこ! 全部斬って!」

「おう!」

 

 10匹程度の駆逐イ級が何かに集まり夢中でその牙を突き立て、咀嚼している。

 その中心に何がいるかを察しながら、深海棲艦を次々と切り捨てた。

 

「あ――――が、あ――――」

「うっ」

 

 俺と暁は口を手で覆い、胃からせりあがってくるものを無理やり抑えた。

 他の面々は耐えられなかったようで後ろで嗚咽をあげている。

 駆逐イ級にだけは殺されるな。艦娘の間で常套句となっている言葉の一つである。

 駆逐イ級は深海棲艦の中でも最も危険度の低い雑魚だ。そんなものに沈められるような情けない戦いは艦娘として決してするまいという発破をかける意味で主に使われる。

 しかし、実際にはもう一つの意味がある。あれには他の深海棲艦にはない、巨大な口と歯がある。

それらが何のために使われるのかと言えば、これだ。

食い散らかされ死ぬこと以上に凄惨なものはあるまい。故に、駆逐イ級にだけは殺されてはならないのだ。

 

「痛い……いた、い、よぉ……殺……して……」

 

 息も絶え絶えにそう訴える艦娘に俺は躊躇なく刀を振った。

 生温い返り血が頬にかかった。

 やがて、彼女の身体はゆっくりと、海底へと沈んでいった。

 

「行くわよ、まだ敵はいる。味方は今この瞬間にも死んでいっている。少しでも私達がその力にならないと……」

「う、うええ……もう、嫌だ……」

「これじゃ、龍田さんも……」

「泣き言言ってんじゃないわよ! レディじゃないわ!」

 

 早くも仲間達の心が折れかけている。

 無理もない。この舞鶴鎮守府でこれほど惨い戦闘は今まで一度だってなかった。こんな戦いを経験しているのは前線基地だけだろう。

 それでも、立ち上がらせなければならない。そうしなければ、死んでしまうから。

 

「おい、泣くのは後に――――」

 

 その時、俺は一瞬、周囲への警戒を解いてしまったのだ。

 あいつがそれを狙って来たのか、単純にタイミングが良かっただけなのかは今となってはわからない。

 だが、結果としてこの一瞬の油断がその後全ての結果に繋がった。

 

「ご、ふ」

 

 泣きじゃくっている艦娘の肩を持ち上げてやろうとしたその時、彼女の胸元から、黒鉄の刃が生えて来た。

 否、貫かれたのだ、後ろから。

 誰に。決まっている。薙刀を使い、俺の隙を突いて一撃入れる実力者など一人しかない。

 

「あなタは、弱イ、わねェ~」

「え……?」

「た、龍田…………?」

 

 薙刀を抜き、大量の血を流しながら、仲間が一人、また海面に倒れ、沈んだ。

 

「あ、うわあああああああ!」

「ちょ、馬鹿! 離れないで!」

 

 突然の仲間の死に動転したのか、一人が悲鳴をあげてその場から逃げる。

 しかし、ここは既に戦場。しかも、敵の数は圧倒的。

 隙だらけの彼女の側面を戦艦タ級の砲撃が襲う。

 そして、足が止まったが最後、無数の砲撃が彼女を一斉に襲った。

 爆炎に包まれ、焼け焦げた死体が一つ、また海へ沈んだ。

 

「暁! 天龍! ふ、二人が、あんな、あっという間に……!」

「俺達の後ろにいろ! 絶対に離れるんじゃ――――」

「――なんで、あなたの後ろが安全だと思ったのかしら?」

「――――ッ!?」

「あ、げ」

 

 音もなく、背後で叢雲が少女の首に三節棍形態にした槍を撒きつけ、容易くへし折っていた。

 慌てて、叢雲とも距離をとり、俺と暁は背中合わせになる。

 頭がまるで事態に追いついていない。

 数秒の内に、第二艦隊が俺と暁以外壊滅した。こんな理不尽を、脳が許容できない。

 

「気付くのが遅い、判断が遅い、警戒が遅い、何よりも来るのが遅い」

 

 叢雲が残念そうにため息を吐く。

 

「天龍、あなたがウダウダやってるうちに龍田は堕ちたわよ?」

「叢雲、これはテメェの仕業かッ!」

「違うワぁ」

 

 激昂する俺をなだめる様に聞こえてきたのは背後の龍田らしき何かの声。

 俺はゆっくりと彼女の方へ視線を向ける。

 薄紫の髪は真っ白に、瞳は炎のように真っ赤に、そして、全身が死体のように青白く、しかし、その声は、その笑みは、その技の冴えは、間違いなく、龍田のもので。

 

「ぜェんブ、私が望んでヤったことなノよ、天龍ちゃん」

 

 だから、俺は、こんな光景は見たくはなかった。

 

「私ね、強くなリたいノ。もっと、モット、もっと、モット、もっと、モット、もっと、モット、もっと、モット、もっと、モット、もっと」

 

 龍田はどこか妖艶な仕草で薙刀に手を絡ませながら俺を見つめる。

 

「天龍ちゃんハ、強いカしらァ?」

「――――ッ!」

 

 間髪入れず、薙刀が俺の胸元を抉らんと振り下ろされる。

 寸前で身を翻して躱すが、まだ龍田の間合いの中にある。

 

「天龍ちゃんヲ殺せたラ、私は強いわヨねぇ!?」

 

 大ぶりの中段横薙ぎ。刀で受ければ刀ごと腕の骨が砕かれる。だからこそ、これは海面ギリギリにしゃがんで避ける。

 しかし、相手は龍田一人にあらず、しゃがみ、動けなくなった俺を目掛けて3匹の駆逐イ級が襲い掛かる。

 

「やべぇ!」

「天龍!」

 

 この体勢では斬れるのは2匹までだ。

 暁も他の深海棲艦の相手で手一杯。防ぎきれない。

 しかし、その刹那、駆逐イ級は3匹とも薙刀の三連突きによって順に砕かれた。

 当然、龍田の仕業である。

 

「邪魔しなイでもらえルぅ? 私が! 天龍ちゃんヲ殺すことに意味がアるのぉ、取るに足らなイ雑魚でも介入さレると傷がつクのよぉ」

「龍田、やめろ! やめてくれ! こんなのお前らしくねぇよ!」

「天龍! 今の龍田は普通じゃない!」

「でも!」

 

 暁が必死に龍田に呼びかける俺を制止する。

 

「ふぅン、つまンないワぁ」

 

 その龍田の言葉の後、彼女は再び薙刀を構えて俺に襲い掛かる。

 

「ほら、ホラ、ほらぁ!」

「ぐっ、やめてくれ、龍田!」

「天龍!」

 

 防戦一方だった。

 いや、正確には違う。防戦一辺倒と言うべきか。俺は、龍田に攻撃する気など微塵もありはしなかった。

 ただ、彼女の攻撃を躱し、いなすばかりで、必死に言葉をかけ続けていただけだった。

 

「……本当に、つまラないわネぇ。じゃあ、モウいいわ。先にこっちを貰うから」

「え?」

 

 突然、龍田の薙刀が打って変わって真横に伸びる。その先には、暁の喉元があった。

 

「――――らぁッ!」

「ぐ……ッ!?」

「へぇ、やるじゃない」

 

 力の限り刀を舌から上に振り上げ、龍田の薙刀を強引に真上に弾き飛ばした。

呑気に観戦していた叢雲は拍手などしている。

 刀を振り上げた形の俺の目の前に武器を失った龍田が立っている構図となった。

 この瞬間、俺は龍田の生殺与奪を握った。

 

「…………」

「……振り下ろさないの?」

「…………ッ!」

 

 振り下ろせるはずがない。

 俺は龍田を殺したいんじゃない。彼女を助けたいのだ。一年前、俺が龍田に助けられたように。

 だからこそ、誓った。龍田を絶対に諦めないと。

 あの誓いを破り、この刀を振り下ろすことなんて、絶対にできない。

 

「……そウ、もういイわ。飽きた」

「龍田!」

「死んでいいワよ、天龍ちゃん」

 

 龍田の右手に黒い霧のようなものが凝集したかと思えば、それは瞬時に薙刀の形を成し、その切っ先は俺の左目を抉る様に裂き、次いでその上半身を撫でるように斬った。

 

「ぐ、ああああああああっ!」

「天龍!? 何やってんのよ、龍田ぁあああああ!」

 

 激痛に身をよじり、その場に崩れる俺を見て、激昂した暁が砲撃を繰り返す。しかし、いずれも龍田の薙刀に容易く弾かれ、届かない。

 やがて弾薬が尽きたのか、熱を帯びた砲塔から弾が出なくなると、暁は悔しそうに唇を噛み、叫ぶ。

 

「そいつが! 天龍がどれだけあんたのことを想ってここまで来たかわからないのか、龍田っ!」

「…………」

「なんとか言え! 言いなさいよ! 龍田!」

 

 涙を流しながら叫ぶ暁に、興味が失せたように龍田は背を向けた。その視線の先には鎮守府がある。

 

「次は、あソこに行きまシょうかぁ~、あれを殺せば、きっとモット強くなれルわぁ」

 

 まるで、龍田の後についていくように、彼女が鎮守府の方へ歩き始めると、それまで隙を伺って飛び掛かろうと勇んでいた深海棲艦達も、俺達を置いて移動を始めた。

 残されたのは暁と俺と、そしてその一部始終を観察していた叢雲だけだった。

 

「龍田はもう駄目ね。彼女には資格はなかった」

「ぐ、う、龍田……!」

「あら、寸前で避けたのかしら? 目の方は駄目そうだけど、胸の傷は浅いわよ」

 

 楽しそうに天龍の傷を見て笑う叢雲を暁が睨む。

 

「あんたは、一体なんなのよ! 何がしたいの!? 何もかもを壊して! ぐちゃぐちゃにして! 何のためにこんなことするの!?」

「何のためにですって?」

 

 叢雲は暁を睨み返しながら答える。

 

「人類と世界のためよ」

「こんな地獄を作っておいて、どの口が……!」

「私も私の目的があって動いているの。ただ、今回は私も少し事を急ぎ過ぎたわ。いや、というより私怨が祟ったというべきかしらね」

 

 クスクスと笑う叢雲は俺の左目にどこから取り出したのか包帯を巻きつけながら言う。

 

「まぁ、見ていてとても面白かったけれど、少しあなた達が不利すぎてつまらないのよねぇ」

「何のつもりだ、テメェ」

「だから、私にも私の目的があるの。少し力を貸してあげる。最後まで足掻いて見せなさい」

 

 叢雲が取り出し、俺達に渡したのは龍田が使用していたペン型注射器によく似ていた。

 

「これは、龍田の使ってた……」

「いいえ、龍田の使っていたものより弱いものよ。その分副作用も少ない。ただ、それを使えば、今の状況をどうにかできるかもしれないわね」

 

 悪魔の囁きだ。

 確かにこの薬で龍田は尋常ならざる力を手に入れたのは事実。しかし、同時に、今、龍田は化け物と化している。

 この薬を使うということは、俺達も少なからず同様のリスクを背負うということだ。

 

「前方、龍田を含め百隻程度、後方からも龍田に招来された深海棲艦五十隻程度。手負いのあなた達じゃ犬死にもいいところね」

「…………」

「まぁ、使うも自由、使わぬも自由。一応、参考程度に教えておくと、90 % で無毒。10 % の確率で龍田の二の舞よ」

 

 それだけ言うと、叢雲は槍を持って俺達に背を向けた。

 

「それじゃあ、私は私でやることがあるから行くわ。くれぐれも手遅れにならないよう、よく考えて足掻くといいわ」

 

 叢雲が見えなくなって、俺達は薬を持ち、鎮守府の方へ進む深海棲艦の群れと、その先頭に立っているであろう龍田を睨む。

 

「暁、俺に命令してくれ」

「え?」

「多分、俺の意思じゃ、また龍田を斬れねぇ。だから、背中押してくれねぇかな……?」

 

 暁は一瞬泣きそうな表情を浮かべ俯くと、今度は険しい表情になって顔をあげた。

 

「天龍、艦隊旗艦として命じるわ! 鎮守府へ侵攻する深海棲艦およそ百隻! そしてその首魁、龍田! 一体残らず、斬りなさい!」

「ああ、了解だ! 代わりに背中は頼んだぞ、暁!」

「ええ、後ろから迫ってくる深海棲艦五十隻は私が引き受けるわ」

 

 俺は腰の刀を、暁は艤装に鎖を巻き付けて引っ張っていたケースを開き、中の岩融を手に取る。

 

「暁、絶対に生き残るぞ」

「ええ、天龍。お願いだから薬でくたばんないでよね。介錯とかいやよ」

「はっ、そっちこそ」

 

 互いに注射器を首に当てる。

 覚悟は決まっている。

 死ぬ覚悟も、殺す覚悟も。

 

「天龍型軽巡洋艦1番艦、天龍、出撃するぜッ!」

「暁型駆逐艦1番艦、暁、出撃するわッ!」

 

 舞鶴鎮守府、現戦闘可能艦、天龍、暁、2隻のみ。

 敵深海棲艦、総数、約150隻。

 絶望的戦力差の中、彼女達の最後の戦いが始まった。

 




次話で過去編終了、できるかなぁ

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